第1話 ベルリアン・シェリル
「それでは、被告人レイル・カーターが『異端』だと思う者は拍手を――」
広間に響き渡る司祭の声。
それに拍手で応える1人の騎士。
広間を埋め尽くさんばかりの民衆が声を上げる。
すぐ後ろに待機していた2人の衛兵に両腕を捕まれ、分厚い手枷に繋がれたこれまた頑丈そうな鎖を引く3人目の衛兵に先導されながら、俺はゆっくりと『断頭台』に向かって歩かされる。
その姿を見守る3千人の民衆の視線。
俺はふと空を見上げた。雨が降れば日を延期することができたかもしれないが、生憎本日は雲一つない晴天。まさに死刑日和というものだ。
民衆の群れの中に、見知った顔を見つけた。透き通るような白金色の髪に、藍緑色の瞳。
「――、―――!!」
見覚えのあるスキンヘッドの巨躯と、これまた見覚えのある金髪の巨漢に抑えられながら、少女は何か必死に叫んでいるように見える。だがその声は大勢の民衆の声によってかき消され、よく聞きとれない。
しかしまぁ、彼女の口元を見れば大体のことは読み取れる。
だから、俺は。
――良かった、と安堵に胸を撫で下ろした。
少女の叫びがここまで聞こえてしまったら、少女は間違いなく"また"審問にかけられてしまうだろうから。
あ。撫で下ろすと言っても、この場合は心の中での話だ。なにせ撫で下ろす両手は手枷に縛られ自由を奪われているので。
そんなことを考えているうちに、俺はとうとう断頭台まで来てしまった。
ツンと鼻先を刺激する血の匂い。つい1時間前に使用されたばかりで、ところどころ生新しい血痕が飛散している。
この場所で今までに何十何百という罪なき民衆が、『異端審問』にて『異端者』と決めつけられ首を落とされてきたのだ。
断頭台という名の"死"へ繋がる階段。その先に待ち受けるは、剣を手にした白き騎士――。
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俺の名前はレイル・カーター。18歳、童貞。町々を転々としている言わゆる――、
「――見ねぇ顔だな、"旅人"か坊主?」
大通りを歩いていると、ふと声をかけられた。振り向くと、そこにいたのはスキンヘッドがよく似合う、熊みたいな体躯をした強面の店主だった。
立ち止まり、店主から視線を外してその屋台に並んでいる品物に目を落とす。
パン屋、ねぇ。俺は店主の顔を見て、もう一度品物へと視線を戻す。
……似合わねぇ。
だがまぁ、パンに罪はない(店主も悪いことは何一つしていないのだが)。それに、ちょうど昼飯を取ろうと考えていたところだった。
「まぁな。おっちゃん、この店一押しは?」
実を言うと、ついさっき町に到着したばかりで、歩き疲れて腹はペコペコなのだ。
「一押し、ねぇ。……そうだな、この"ベルリアン・シェリル"はどうよ?」
なぜかそこだけダンディーボイスの店主が、そう言って指差したのは、紫色の生地にべっとり赤いケチャップが塗ったくられた、誰がどこからどう見ても、一押しとは程遠い物質だった。
どういう作り方をしたらこんな悪魔的外観になるのか、思わず顔が引きつってしまったような気がする。いや、引きつったよ確実に。
店主が俺を試すような意地悪い目で笑っているが、一度頼んだ以上は断れない。俺のプライドが許さない。
「む、無駄にカッコイイ名前だな。じゃそれ2つくれ」
まさか俺が本当にベルリアン・シェリルを頼むとは思わなかったのだろう。店主が驚愕の表情を浮かべている。
まぢかよお前目ん玉かっぽじってよく見てみろよお前、みたいな感じで。
そんな店主の目を、俺は真正面から見つめ返す。
おいおいまぢかまぢなのか。今ならまだ間に合うぜ坊主?
目で語ってくる店主に対し、俺は力強く頷いて、
「ベルリアン・シェリルを2つ、テイクアウトで」
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茶色の紙袋を受け取り、その中から魔女のパン――もといベルリアン・シェリルを1つ取り出す。
目線の高さまで持ち上げ、あらゆる角度から観察し始めた俺に対し、店主は呟いた。
「陰気臭え町だろ?」
「ん、別にそんなこたぁないさ」
口内に溜まった唾を飲み込む。駄目だぞレイル。外観で人を判断してはいけないように、外観でパンの味を判断してはいけない。
「隠さなくていいんだぜ?」
「正直、死んだような町だと思ったよ」
恐る恐るべっとりとしたケチャップみたいな血の匂いを嗅ぐと、鉄の匂いはしなかった。良かった。血みたいなケチャップだったので一安心だ。
「死んだような町か、そりゃあいい。センスあるな坊主!!」
大笑いする店主に、俺は真剣な声で一言。
「これ、毒とか入ってないよな?」
「安心しろ。毒は入ってねぇよ、毒は」
なんだよ毒はって。毒を強調するな2度言うな。
一度口元にパンを近づけるが、それだけで手足が震え、息が上がり心臓が脈打つのが早くなる。こんな化物と対峙したのはいつぶりだろう。
強引に微笑を作り、恐怖の感情を騙してやる。
再び口内に溜まった唾を飲み込み、覚悟を決めてガブリと一口盛大にかぶりつ――
「うッ――」
その瞬間、身体中に電気が奔る。絶え間なく襲ってくる嘔吐感。咄嗟に空いている右手で口元を覆った。鼻で呼吸を続けながら、俺は絶えず咀嚼を続ける。
はっきりいって、ここで口の中身をぶちまけたところで目の前にいる店主は怒らないだろうという自身はあった――が。
ごくん。なんとか気合で飲み込んだ。
「ほら、これでも飲め!」
水を差し出してくる店主の額を、冷や汗が伝う。俺は店主から差し出された水を一気に飲み欲し、胸を叩いて強引に胃に流し込んだ。
「ぷはぁ……」
顔が真っ青にでもなっていたのか、その言葉を聞き、驚かせんじゃねぇ全くよぉと店主は額の汗を腕でゴシゴシ拭う。
俺はその場で息をつき、天を見上げた。
ああ、今日も良い天気だなぁ。
「どうだ、うまいか?」
「こんな不味いパンは生まれて初めて食ったよ」
「へっへ。だろ?」
なぜか嬉しそうな店主。
「コイツを喰った奴は皆、口を揃えてそう言いやがる」
おいおい。そんな不味いの俺に進めたのかこのおっちゃんは?
「ちなみに俺も美味いと思ったこたぁ一度もねぇっ!!」
ガッハッハッハと声を出して笑う店主。呆れて物も言えねぇ。
俺は一度嘆息してから、手に持つパンを見つめて言った。
「でも。こんなに愛情のこもったパンを食ったのも生まれて初めてだ」
「ん、どういうことだ?」
不思議そうに聞き返して来る店主。俺はもう一度パンにかぶりついた。
「お、おいバカ!! 死にてぇのか!?」
慌てて店主がそう言う。過去に死んだやつがいるのだろうか? やっぱり出しちゃダメだろこのパン。
そんなことを思いながら、
「このゴツゴツしてんのは、タパコ豆だな」
店主の表情がピクリと固まった。
「血みてぇなケチャップはミネットクリームにヘキシ粉で着色してたわけね。どーりでドロッとしてるわけだ。んで、この毒みてぇな紫色に騙されたが、こいつは東の地ルクシム原産サツヤ芋だな」
ごくんと気合で飲み込む。口には出さないが。うえっ、不味ぅ……。
「他にも身体にいいもんばっかで、よく考えて作られてるなコレ。味と見た目は絶望的に終わってるが、これを作った奴の思い入れが伝わってくるよ」
ぽかんとした後、数秒遅れて店主は人差し指で鼻の下を擦って。
「へへッ、そうかい」
嬉しそうな、それでいて影のある表情だった。何か訳ありなことは確実だ。故に俺は不自然ないよう話を戻す。
こういうプライベートでシリアスそうな問題には、あまり踏み込むべきではない。体験談だ。
「おん。で、なんで陰気臭いんだよこの町は?」
いいながら、パクリともう一口かぶりつく。うん。とてつもなく不味い。
「おいおい。この町のこと、何も調べねぇで来たってのか?」
「おん」
ぺちんっと額を叩き、店主は声のボリュームを落として言う。
「ここだけの話し。この町は『異端審問』の数が他の町と比べもんにならねぇくらいに多いんだ」
「へぇー。どんくらい?」
店主は極めて真面目な顔で、
「3回」
吹き出しかけた。
「いやいやいやいや、年3回ならそれほどでもないだろ。つか少ないほうだろ」
店主の言葉を俺は笑い飛ばす。だって、異端審問の行われる回数は、各地の町々平均で年に4、5回程度。それが3回とは、ここはかなり平穏な町だなと思いかけ、ちょっと待てよ。だったらなんでこの町はこんなにも陰気臭い――?
俺が答えにたどり着く前に、真面目な顔のまま店主はぼそりと呟いた。
「1年じゃねぇ。――一月で、だ」
「異端審問って……作者中二病乙」とかやめてよね!?