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Fisherman’s Memoir  作者: 慶次
3/3

フィッシャーマンズメモワール#3

新造船


1992年、春。

僕は、遠洋マグロはえ縄漁船に乗り、働きだ

してから4年目を迎えていた。

これまでのマグロ船の記憶は、怒られたこと

や殴られたこと、仲間の死や怪我など、衝撃

的なことは鮮明に覚えている。

しかし、自分自身がどういう風に漁師として

成長したのかは、あまり覚えていない。


常に必死だった。


一年365日のうち、陸にいる期間は合計30

日程度。

一年のほとんどが、洋上での生活。

しかし、“慣れ”というものは不思議なもの

で、長い間その生活をしていると、それが普

通の生活になってくる。

当時、刑務所を出所したばかりの人が乗って

きたことがあった。

彼が僕に言った。

「マグロ船より、刑務所の方がマシだ」

もちろん、刑務所がどんなところか僕は知ら

ない。

しかし、彼が言った言葉は妙に納得できた。

外界から隔離されている環境は同じだろう。

しかし刑務所は、嵐の中で波を被りながらの

作業も無いし、病気や怪我をしても医療が充

実しており、対応も十分できるだろう。

死が、すぐそこにあるわけでもない。

作業中に、立ったまま眠ってしまうほどの労

働もないだろう。

しかし、それが僕の普通の生活だった。

乗船してから4年もすれば、後輩の船員も出

来て、バリバリのマグロ船乗りとして、若々

しく勢いがあった。

仕事では、誰にも負けない自信があった。

しかし、他人同士で、職業柄気性の荒い者同

士が24時間乗り合う船である。

諍いが起こることもある。

クセのある人もいれば、威張散らす人もいる。

仕事が嫌いでサボる人もいれば、大風呂敷を

広げる人もいる。

しかし、そういう者に対して文句を言ったり

同じ様に接すれば、諍いはエスカレートする。

そして、それはすなわち、自分も同じレベル

と言うことである。

そういう相手に対して、決して暴力を振った

り、威勢で威嚇したり、恫喝してはならない。


どうするのか?


全て仕事で勝つ!

そして、一睨みして、目で殺す。


そうすると、ほとんどの人は僕に何も言えな

くなると共に、自然と上下関係が構築される。

マグロ船乗りに、言葉など必要ない。

これはボースンに、教えられた。

もちろん、言葉で教わったわけではない。

ボースンが、そうしていた。

だから、それを僕も真似ただけのことだ。

そうしているうちに、いつの間にか船内での

作業中に、その中心にいることが多くなって

いた。

僕は、マグロ船に乗船した10年間で2度

“これは痛い!”

と、思った怪我をしたことがある。

丁度、この頃のことだった。

20年以上前の傷跡なので、今では鮮明には

残っていないが、僕の左手の親指には、切り

傷の跡が残っている。

マグロ船に乗って3航海目くらいの、新人君

がいた。

揚げ縄中、彼は船に上がってきたサメを殺そ

うと、サメ殺し用の包丁を振り上げ、サメに

めがけて振り下ろした。

その瞬間、波で船が揺れ、彼はヨロついた。

彼が振り下ろした包丁はサメではなく、横を

通りかかった僕の左手の親指をかすめた。

包丁がかすめた瞬間「切れた」と心で思った

が、顔色は全く変えなかった。

左手にはめていたゴム手袋と軍手の親指の辺

りは、スパッと切れていた。

新人君は「すみません!!大丈夫ですか!?」

と、心配そうな顔で僕を見た。

僕は「なんの、なんの。切れてねーよ。世話

ないから、仕事しろ」と、笑って答えた。

マグロ船で、痛さを表情に出してはならない。

「痛い」という言葉は、絶対に言ってはいけ

ない。

何故かは知らないが、先輩にそう教わった。

「ちょっと手袋変えてくるよ」と、他の船員

に言って、船尾に向った。

船尾に向って歩いている時、左手のゴム手袋

の中が、血で満たしていくのがわかった。

手袋を外してみると、左手の親指の中間辺り

が切れていた。

しかし流れ出る血で、傷の大きさや深さは見

えない。

親指の傷口を清水で洗い流して傷を見ると、

傷口はパックリと口を開け、骨が見えていた。

「まったく、面倒くせーな」と思った。

マグロ船での操業中、どんな大きな怪我をし

ようと、仕事は絶対に休めない。

休むつもりも、全く無かった。

ある先輩船員は、指が半分千切れても、翌日

普通どおりに仕事をしていた。

“手当をするか”と思い、ブリッジに行った。

船頭に「船頭、ちょっと怪我したので手当し

てもらえますか?」と言うと

船頭は「見せてみろ」と揚げ縄をする船を操

縦しながら、僕の左手の親指の傷をチラッと

見た。

すると「そんなもん!自分でやれ!」と、怒

鳴られた。

“やっぱり”と思った。

そういう答えが返ってくるのは想像できた、

こっちは気を使って、一応聞いてみただけだ。

揚げ縄の最中で、船員は皆、マグロを穫って

いる最中なのだ。

誰一人として、暇な者などいない。

左手の親指から出る血を止めるため、道具箱

の中からビニールテープを出し、左手首にキ

ツく巻き付けた。

それから、左手をタオルで左手を覆った。

救急箱を出し縫合用の針と糸を出し、親指を

消毒液に浸けた。

ピリピリとした刺すような痛みが、左手の親

指を覆った。

タオルを口に入れ歯を食いしばり、左手の親

指の傷口の縫合を始めた。

僕を心配して、怪物君がブリッジのドアを開

けて、顔をのぞかせた。

自分で縫合している僕を見て「自分で縫って

んのか!?」と、驚いて僕に聞いた。

僕は、タオルをくわえたまま怪物君を見て頷

いた。

すると怪物君は「お前はランボーか!」と言

って、大声で笑った。

縫合が終わり布を傷口にあて、その上からキ

ッチリとテーピングをし、揚げ縄に戻り作業

を再開した。

新人君が僕に近付いてきて「大丈夫ですか?」

と聞いた。

僕は「一個貸しな。入港したら飯おごれよ」

と言った。

すると新人君は「はい!」と言って笑った。


この頃、船は大きな問題を抱えていた。

船体の老朽化である。

当時、僕の乗る船は、僕が10歳の時の1979年。

和歌山県の那智勝浦町で建造され進水してか

ら、すでに13年目を迎えていた。

機械の故障は多発していたし、腐食による配

管の破裂が、頻繁に起こっていた。

エンジン水冷用の配管が破裂し、浸水を止め

るために、修理に20時間近くを費やすことも

あった。

船体は鉄鋼で覆われた、鉄鋼船だった。

当時の100トン未満クラスのマグロ漁船は

船体が、繊維強化プラスチックで製造される

FRP船が主流となっており、鉄鋼製の船体は

旧世代的な船となっていた。

FRP船は鉄鋼船に比べ、船体の重量が軽く

推進力があり速度も速く、燃料の燃費性能も

高かった。

船の速さを表す単位をノットという。

1ノットは、1時間に1海里マイル進む

速さを表す。1海里をメートルに換算すると

1,609.344メートル。約1.6キロとなる。

僕の乗る船(鉄鋼船)の平均速度は8ノット。

それに比べFRP船の平均速度は約10ノット。

2ノットの船速の差が出れば、1日で距離の

差は48海里(約77.2キロ)の、差がつくこと

になる。

鉄鋼船が8~9日かけて航行する距離を、

FRP船は約6~7日で航行した。

2日間という時間差は、単なる速度だけでは

なく、水揚げをするマグロの鮮度に大きく影

響を及ぼした。

そのため、鉄鋼船とFRP船とのマグロの水揚

げ高の差は大きく、FRP船の方が良かった。

その様な理由により、一年程前に新船を造船

すると聞いていた。

6月の梅雨の雨が降る日、造船所の船体建造

ドックに行った。

そこには、ピカピカの繊維強化プラスチック

で出来た、マグロ漁船が横たわっていた。

陸上に揚げられた船体を船の下から見上げる

と、乗っている時よりも遥かに大きく見えた。

辺りにはプラスチックの、独特の鼻をつく匂

いが充満していた。

船に登ってみると、外板や船内など、全てが

新しくキラキラと輝いていた。

6月吉日、午前に船は進水式を迎えた。

船体は、陸上のドックから海へと、ゆっくり

と下げられていき、数分後に船は完全に海上

に浮いた。

エンジンが始動しそのまま試運転を行った。

ピカピカの新船は、軽快なエンジン音を上げ、

湾内に立つ海面の小さな波を切り裂きながら、

スムーズに進んだ。

僕は、機関長と一緒に機関室で、主機エンジ

ンや発電機、冷凍機などの試運転を繰り返し

行った。

約5時間試運転を行い、船体の全てに異常は

無く、無事試運転を終了した。


処女航海


1週間後、出航の日を迎え、新船は処女航海

に出航した。

新船という変化以外は、それまで何度も繰り

返してきた出航と変わらず、淡々と出航後の

作業を終え、自分の寝台に向かった。

船首部分から船尾への居住区へ向かう途中

ブリッジを通りかかると、船頭から呼び止め

られ、ブリッジに入る様に言われた。

ブリッジに入ると、船頭と兄がいた。

船頭は僕に向かって

「新船も出来たし、俺の次の代のことを考え

ているんだが」と言って、一息置いてから

「兄貴に船長を任せて、俺は漁労長になろう

と思う」と言った。

10人足らずが乗り合う小さな船だ。

船長と言っても、一般船員に比べ地位は上が

るが、仕事の内容が変わるわけではない。

船頭が漁労長になっても、現在の地位に変化

はない。

しかし、兄貴が船長をするということは、次

の船頭は兄に決定したと言うことだ。

すなわち、家業の跡継ぎは兄だと言うことを

宣告されたのだった。

この時、次男として生まれた自分の運命を感

じた。

仕事の質でも量でも、兄には絶対に負けない

自信があった。

子供の頃から、マグロ船の船頭になることが

夢だった。

それと、祖父が築き、父が受け継いだ、実家

の家業の跡継ぎになることが夢だった。

小学2年生の時の文集の“将来の夢”の欄に

「とうちゃんのようなマグロせんのせんどう

になる」と書いた。

長兄である兄を従わせようとは思ってはいな

かったし、考えもしていなかった。

ただマグロ船乗りとして、トップになりたい。

それだけだった。

船頭に“兄貴に船長を任せる”と言われた時

のショックは、ものすごく大きかった。

そのショックは僕の表情に出ていたのだろう。

船頭の顔は、父親の顔になり

「親として言うが。お前、兄貴を支えてやっ

てくれないか」と言った。

僕は何も言わず、コクリと頷くのが精一杯だ

った。うつむき、少しの間考えた。

ブリッジには、エンジン音だけが響いていた。

考えたというより、心の中で自分を納得させ

る言葉を探していた。

自分に言い聞かせた「次男だから仕方ない。

長男が跡を継ぐのは当たり前のことだ」

僕は「わかりました」と船頭に言い、ブリッ

ジを出た。

兄とは目を合せなかった。

船尾に行き、群青色にうねる海を眺めた。

悔しさと虚しさと諦めとが、心の中で交差し

ていた。

僕は、漁師になるために育てられた。

4歳か5歳の時、祖父に連れられ浜に行った。

祖父は僕を抱え上げると、海の沖に向って僕

を放り投げた。

もちろん、僕は泳げない。

溺れそうになり、悶えている僕に向って

「漁師の倅のくせに!泳いでここまで戻って

来い!」と、叫んだ。

叫ばれても、足の届かない深い海が恐ろしや

ら、泳ぎ方も教わってないやら。

だが、祖父は全く僕を助けようとしなかった。

何か叫んでいるのはわかったが、何を言って

いるのか聞き取れない。

僕は完全にパニックに陥っていた。

それでも祖父は、助けに来なかった。

バシャバシャと海面を叩いて、足をバタバタ

と漕ぐと、身体が浮いて顔が海面から出るこ

とに気がついた。

身体が浮くことに気がつくと、パニックは収

まり、手足を交互に動かした。

すると、前に進むことに気がついた。

そのまま“犬かき泳ぎ”のような格好で、陸

の方で待つ祖父に向って泳いで行った。

祖父のすぐ前まで来ると、海底に足が届くこ

とに気がつき、立ち上がった。

立ち上がった瞬間、さっきのパニックと安堵

感とで、半ベソになった。

半ベソの僕の頭をなでながら「お前はやっぱ

り漁師の子だ!!ガハハハハッ!」と、祖父

は空に向って叫びながら、笑っていた。

それからというもの、凪の日には祖父の船に

乗せられ、イカ釣り漁や鯵釣り漁に行った。

僕は幼稚園に、行っていない。

小学校に入学する前、小学一年生程度のひら

がなや簡単な算数は、祖父母に教わった。

「ケイジ、今日は潮がいい。じいちゃんメバ

ルの煮付けが食べたいから、今日はメバル釣

って来てくれ。」と祖父に言われると、僕は

自分で釣りの仕掛け作り、メバル釣りに行っ

た。

「じいちゃんとばあちゃんとお前の分、3尾

でいいからな」と言われ、僕は「うん!!釣

ってくる!!」と言って、家を飛び出し桟橋

に行き、メバルを釣った。

“3尾釣って来い”と言われると、僕は必ず

4~5尾釣って帰った。

そすると、祖父は必ず褒めてくれ、近所の家

に僕を連れて行き「これ、うちのケイジが釣

って来たんだ!食べてくれ!」と言って、ご

近所さんにお裾分けをし、自慢して廻った。

桟橋はL時型になっていて、潮汐による潮の

流れや、陽の傾きににより魚のいるポイント

は変わってくる。

前日、桟橋の先端部で良く釣れたかと思うと

翌日の同じ時間に、同じポイントで全く釣れ

なかったりした。

潮と陽の関係と水温によって、魚のいるポイ

ントや食い方が違うことを学んだ。

行動させ体験することによって、学ばせると

いうのが祖父母の教育方針だった。


僕は、「クソ!」と、思わず叫んだ。

やはり、家業を継げないことは悔しかった。

しかしこういう時、僕の単純な性格はとても

便利だ。

海を眺めながら「まあ、しかたねぇな!」と

思ったら、少し心が軽くなった。

「夢が終わったわけじゃねーし!俺は親の作

った船じゃなくて、自分で自分の船を造れば

いいもんな!」と、夢の方向性を変えること

にした。

家業を継ぐことはできないが、夢であるマグ

ロ船の船頭になる方法はいくらでもある。

まだ終わったわけじゃなく、まだまだ夢の途

中なんだと思うことにした。


新船は、軽快なエンジン音を上げ航行した。

それまで乗っていた鉄鋼船の揺れ方とは少し

違った。

日々が過ぎる中で、僕は自分の気持ちを、整

理することができた。

“できる限り、兄貴をサポートしてやろう!”

“まず最初の目標である機関長を目指すぞ!”

“覚えることは、もっともっと山ほどある!”

考え方を変えることによって、気持ちが、か

なり楽になった。

その時。

悩みから解放されるのは、考え方を変えるの

が一番良い方法かもしれないと学んだ。

出航して数日後の南下中、いつもの様に機関

長に付き添い機関室で仕事をしていた。

仕事の合間の休憩中、二人でタバコを吸いな

がら、缶コーヒーを飲んでいる時だった。

二人とも手はオイルにまみれ、真っ黒くなっ

ている。

機関長が「俺も、もう身体が言うことを聞か

なくなって来ている、そろそろ引退だ」と、

機関長が呟いた。

機関長は、父である船頭の実の兄であり僕の

伯父だった。

父の実家は11人兄弟の大家族で、機関長は

長男として、父はその家の三男坊として生ま

れた。

「俺は今年一杯で引退だ。それまで、お前は

この船のエンジンの癖を徹底的に覚えろ。俺

も、徹底的に教えてやるから」と言った後

「次の機関長は、お前だ」と言われた。


予兆


フィリピン人船員のレンドンとエディーを乗

船させるため、船は一路グァム島を目指した。

フィリピン人船員は、太平洋南方海域での

メバチやキハダマグロ漁の時期(4月~9月)

の間だけ、グァム島から乗船し就労した。

しかしこの時、新造船だったため、試運転や

漁具の整備等に時間を要したため、約1年振

りのグァム島に入港だった。

出港して5日目の深夜のことだった。

僕は、機関長補佐だったため機関室横の船員

室の寝台を使っていた。

機関長補佐と言っても、一般船員と同様に航

行中の当直のローテーションに入る。

当直が終わる時に、航海日誌に天候や風速、

緯度経度等を記入する。

一般船員の場合は、それで当直が終わる。

僕は機関部員のため、航海日誌と共に機関日

誌を記入した。

そして、船体底部の後部にある、プロペラの

シャフト下の汚水溜まりに溜まる“ビルジ

(汚水)”を、ビルジポンプを使い船外に排

出し、当直は終わりとなる。

その日の僕の当直時間は、20時~22時だった。

当直が終わり、交代要員を起してブリッジに

戻り航海日誌を記入して、機関室に向かった。

機関室でメインエンジンの温度計や分電盤の

メーターのチェックをして、期間日誌に記入

を終え、ビルジを確認した。

ビルジは、計測棒の中間点まで達しておらず

大して溜まっていなかった。

僕はビルジポンプのスイッチを入れ、ビルジ

が引いて行くのを確認し、ビルジの計測棒の

最低点に達したのを確認してビルジポンプを

止めた。

その時は、全く異常は見られなかった。

その後、寝台に入り、設置してあるTVで1時

間程ビデオを見て眠りについた。

リィィィィィィン!!!

ベルの鳴り響く音で、目が覚めた。

スタンバイのベルとは違う、機関室からの警

報機ベルの音だった。

僕は、跳ね上がるように飛び起きて、寝台を

飛び出し機関室に向かった。

機関室に向う途中、時計を見ると午前4時過

ぎだった。

船は航行を続け進み続けている。

そのため、エンジンは回り続けているので、

エンジン系の警報でないことはすぐに理解で

きた。

僕とほぼ同時に機関長が機関室に入ってきて、

メインエンジンが設置されてある下部に駆け

下りて行った。

機関室は、2階層になっている。

上部2階部分には、魚層を冷やすための冷凍

機や、海水から真水を精製する造水機や配電

盤や計器盤等が設置されており、下部1階層

には船を動かすためのメインエンジンが中央

にあり、メインエンジンの両脇に1号発電機

と2号発電機の2機が設置されてあった。

僕は、機関長に続き機関室下部に下りた。

下部に下りてみると、下部には水が充満して

おり、メインエンジンの3分の1に浸かって

いた。僕は、下部に溜まった水を手に濡らし

濡れた指先を舐めて見た。塩っぱかった。

下部に充満している水は、海水だ。

機関室の後部を見ると、船を動かすために回

っているプロペラのシャフトが、激しく水を

巻き上げていた。

機関長は僕に近づき僕の耳元で

「船を止めてこい!!!」と、叫んだ。

僕は機関室の階段を駆け上がり、急いでブリ

ッジに行き、操舵機のレバーを引きエンジン

回転数を落とし“停止”の位置にした。

船が停まると、船頭が船長室から飛び出して

きた。

「どうした!?」と僕に聞いた。

僕は「機関室で浸水してます!」と言った。

船頭は「原因は!?」と聞いた。

「わかりません、とにかく機関室に戻ります」

と答え機関室に戻ろうとした時、メインエン

ジンが止まった。

エンジンを止めたのは、機関長だった。

僕は機関室に戻った。

メインエンジンが止まった機関室内は、かな

り静かになっていた。

僕が下部に降りようとした時「ケイジ!移動

ポンプとホースもってい!」と、叫ぶ声が聞

こえた。

僕は、機関長が何をしようとしているのか?

を、瞬時に理解した。

師弟関係の阿吽の呼吸とでも言うのだろうか。

師匠の言葉や行動を見ていると、次に何をや

ろうとしているのかが大体把握できた。

余計な指示や指導は、必要なかった。

僕は踵を返し、機関室から船首倉庫に駆けて

行き、手に移動ポンプを持ち、肩にホースを

担ぎ、機関室入口に設置し、移動ポンプにホ

ースを結合して移動ポンプのコンセントを

分電盤に差し込んだ。

吸い込み側のホースを機関室に持って入り、

機関長に向かって「機関長!」と叫び、ホー

スの吸い込み口を機関室上部から下部に向か

って下ろした。

下部にいる機関長は吸い込み口を受け取ると、

機関室後部に行き、僕に向かって左手の親指

を立てて“OKサイン”を出した。

それを確認した僕は、機関室入口に行き移動

ポンプのスイッチをONにした。

ポンプは作動し、機関室に溜まった水を吸い

上げた。

その頃には、船の異常に気がついた全船員が

機関室の入り口周りに集まっていた。

僕は船員に「移動ポンプを全部もってこい!」

と指示をした。

数人の船員が、船首倉庫に向かった。

僕は、再度機関室に入って行き、機関室上部

から下部を覗き込んだ。

機関室下部には、まだ水が溜まっていた。

数分後、ある船員が「移動ポンプの用意でき

たぞ!」と僕に声をかけた。

移動ポンプは、僕が設置した物と他に3台、

合計4台が設置されてあった。

僕は、3本の吸い込み側のホースを機関室下

部まで持って入り、ビルジ溜まりまで持って

行き、ホースを水の中に入れ、スイッチを入

れるよう合図した。

4台の移動ポンプは稼働を続け、機関室に溜

まった海水は、徐々に減って行った。

幸い発電機は、メインエンジンよりも少し高

い位置に設置されていたため、多少濡れはし

たが、海水に浸かることはなく機動をしてお

り、電気は確保できた。

数分後、機関室から海水は完全に無くなり

浸水の原因が判明した。

船底の最後尾の、舵の部分の外板の一部分が

欠落し、そこから海水が船内に侵入していた。

船頭と機関長と僕は、ブリッジで話し合った。

欠落している部分の損傷は大したことはなか

ったが、海が荒れた場合、損傷が拡大する可

能性が非常に高い。

船は、グァム島まで2日の距離にあった。

船頭は天気図のデータを確認し、今後数日間

は晴天であることを確認した。

それから、航行は可能なのか?を船頭は機関

長に確認した。

浸水量はかなり多かったが、ビルジポンプと

移動ポンプを併用し、当直員が1時間おきに

排水の排出を行えば、航行は可能と機関長は

判断した。

しかしメインエンジンの3分の1が海水に浸

かっていたため、メインエンジンのオイルに

海水が混入した可能性がある。

そのためメインエンジンのオイルバスの洗浄

と、オイルの交換が完了するまでメインエン

ジンは始動できないこと、その作業に24時間

程度必要なことを船頭に伝えた。

「エンジンのオイルはな、人間の体に例える

と血と同じなんだ。人間も血が汚れると体の

どこかが壊れるだろ。エンジンもオイルが汚

れると、どこかがおかしくなってくる。」と

機関士見習いを始めた頃、機関長に教わった。

幸い天候は良好であり、エンジンの応急処置

には対応できる環境だった。

次に船頭は、損傷箇所の修理は可能なのか?

を機関長に確認した。

船には、浸水等を止めるための、ある程度の

修理をする部品等は装備していた。

しかし外板の損傷の場合、船の内部からだけ

では完全に補修することはできない。

僕は、海に潜り、外側から損傷した部分を修

理するという提案をした。

しかし、外洋の海流は速く、そのまま流され

て、行方不明になる危険性があるのと、素潜

りでは大した作業はできないという点から、

即座に却下された。

破損修理に関しては、船頭が無線連絡で造船

所に確認し、結論をだすことになった。

「とりあえず、コーヒーでも飲むか」と、機

関長は僕に言った。

僕はそれが何を意味しているのか、言葉から

理解できた。

“コーヒー飲んで一息入れた後、長い作業に

取りかかるぞ”

ブリッジの横に二人で腰掛け、タバコを吸い

ながらコーヒーを飲んだ。

そのとき思った。

“警報機が鳴る前に発電機まで浸水してい

たら、電気は停止し船は沈没していただろう”

僕と機関長は、コーヒーを飲み終えるとツナ

ギに着替えた。ツナギは機関士の戦闘服だ。

機関長と二人で、機関室に入った。

機関長は、そのまま機関室下部のメインエン

ジンに向い、僕は工具が収められている工具

台の引き出しから、これからの作業に必要な

工具を工具箱に入れ、機関室の下部に向った。

機関長は工具箱から工具を取り、エンジン上

部のカバーを外し始めた。

僕はオイルを抜き取る作業に取りかかった。

オイルレバーの右側に、小さな切り替えレバ

ーがある。

切り替えレバーに「潤環」と「排出」とかか

れてある。

僕は切り替えを排出にセットして、レバーを

前後に押しオイルの排出を開始した。

数十分後、レバーは軽くなりメインエンジン

内のオイルは空になった。

機関室内の温度は40度近くあったため、僕

はすでに汗ダクの状態だった。

水を取りに船員食堂の賄い室に行き、2つの

コップに水を入れ機関室に戻った。

機関長に「水です」と渡すと、機関長は喉を

鳴らし一気に飲んだ。

機関長は水を飲み終わると、コップを僕に渡

し作業を再開した。

メインエンジンのオイルバス部分のカバーを

取り外し、オイルタンクの中をできる限り洗

浄していく。

オイルバスの洗浄が終わり、カバーを取り付

け、新しいオイルを入れエンジンを始動した。

30分程アイドリング運転をして、エンジン

を停止。

そして、またオイルを排出してオイルバスを

洗浄し、新しいオイルを入れてアイドリング

運転をする。

エンジンに回っているオイルを、完全に交換

するため、この作業を3回行なった。

作業をしている間、2回の休憩と3度食事を

取った。

全ての作業が終わり、メインエンジンが通常

通り始動するまで、損傷の発生から23時間

後だった。

船は、航行可能となった。

機関長と二人でブリッジに行き、船頭にそれ

を告げた。

船頭から、造船所から破損箇所を修理するた

めの作業チームが、グァム島に来ることにな

り、グァム島で破損箇所の応急処置をした後、

通常通り出港すると告げられた。

船頭は操舵機のレバーを、行進の位置にした。

船はゆっくりと動き始めた。

操縦桿を回し、船の進路を南南東に向けた。

操舵機のレバーの回転数を上げると、船は速

度を上げた。

機関長が僕に「ビルジを見て来い」と言った。

僕は、機関室に行きビルジを確認した。

プロペラのシャフトの付け根から、かなりの

量の浸水があったが、ビルジポンプが回り続

けているため、ビルジ溜まりに海水は溜まっ

ていなかった。

確認が終わると僕はブリッジに戻り、それを

船頭と機関長に伝えた。

ビルジポンプが故障した時を想定して、移動

ポンプとホースは機関室入り口に設置し、

いつでも作動できうるよう準備されてあった。

船頭は、全船員を集め当直終了後、必ずビル

ジの確認をするよう言い、異常があった場合、

僕か機関長にそれを伝えるよう指示をだした。

僕は、「先に風呂に入って休んでください。

俺は、もう少しビルジの状態を見てから休み

ます」と、機関長に言った。

機関長は「ああ、任せたぞ」と、オイルにま

みれた真っ黒い顔で笑いながら、僕の肩をポ

ンッと叩き、船尾の風呂に向った。

僕は、機関室に戻りビルジ溜まりのところに

腰をおろし浸水の状況を確認した。

ジワジワと浸水はしているが、ビルジポンプ

が稼働している以上、問題は無いように思え

たが、安心はできないので少しの間、浸水の

状況を監視していようと思った。

肩を揺すられ起こされた。

見ると、肩を揺らしたのは兄だった。

エンジンの轟音が鳴り響いている中、座った

まま眠り込んだらしい。

兄は、当直の合間にビルジを確認しに来たの

だった。

改めて損傷箇所からの浸水を確認すると、浸

水量は、2時間前と変わっていなかった。

僕は機関室から出て、タバコを一本吸った。

幸い、海は穏やかで快晴だった。


2日後の早朝、船は無事グァム島に入港した。

入港後に入国の審査を終えると、日本の造船

所から派遣された修理チームが、船に乗り込

んで来た。

修理チームは船頭と機関長に挨拶をすませる

と、早速損傷箇所の確認を始めた。

詳しい損傷の確認により、損傷箇所は船の舵

の付け根部分の、防水用外板材の破損による

浸水だということが判明した。

すぐさま最短で補修できる修理方法が検討さ

れ、舵の付け根部分を覆う、円形の浸水防止

用補修機器を製作し、それで損傷部分を補修

することが決定した。

浸水防止補修機器の製作に1日、それを取り

付ける作業に1日、完全乾燥させるために1

日、補修完了までに合計3日を要するという

い結論が出た。

修理チームは、グァム島にある造船所の一角

を借りて、浸水防止用補修機器の製作に取り

掛かった。

僕と機関長は、船が浸水した際に海水によっ

て汚れた、メインエンジンのオーバーホール

をし、分解した部品を洗浄した後、エンジン

を組み立てる作業に取り掛かった。

昼食の時間以外は、機関長に指示をされ通り

メインエンジンの分解作業を黙々と行った。

機関室の床に油性マジックで、クラッチ、過

給器、セルモーター等のメインエンジン部

分の名称を書き、部分ごとに分解をしていき、

部分名称が書かれた床に、分解した部品を並

べていく。

作業が進むにつれ、機関室の床にエンジンの

部品がズラリと並んだ。

作業を続けて数時間が経った頃、機関長が僕

のところに来て「大体終わったな。そろそろ

上がろう」と言った。

時計を見ると、20時を回ったところだった。

僕は作業を終え、機関室を出た。

外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。

汗でビショビショになったツナギのジッパー

を下ろすと、少し身体が軽くなる気がした。

外は相変わらず、グァム島の南国の熱気と、

独特の香り漂っていた。

外の空気は熱気に包まれているが、機関室の

中よりは、格段に涼しかった。

タバコに火をつけ深く吸い混み、フゥーっと

ため息混じりに煙を吐き出した。

機関室入り口に腰掛け、タバコをふかしなが

ら、船が接岸されている岸壁を見ると、少し

離れた倉庫の前に白いピックアップトラック

が停まっているのを見つけた。

“見たことのある感じの車だな”と思い、そ

の車をジッと見つめていると、その車は僕を

見つけたかのように、僕に向かってライトを

パッシングした。

僕は船を下りて、その車に近づいて行った。

車の左側の運転席に近づくと、運転席の窓が

開けられた。

窓が開いた瞬間「おかえり!」と、ジュリア

は微笑んみながら言った。

約1年ぶりの再会だった。

僕は「ただいま」と返した。

「来てくれたの?」と僕が聞くと

「うん。会いたかったから」と、笑顔で彼女

は答えた。

「俺、これだからさ」と言って、エンジンの

オイルで真っ黒くなった手を見せた。

「シャワー浴びてくるから、もうちょっと待

っててもらえる?」と聞くと「うん、待って

るわ」と答えた。

船に戻りシャワーを浴びた。

オイルで真っ黒くなった手を、何度洗っても

爪の間に入ったオイルは取れなかった。

車に戻り助手席に乗り込んだ。

「とりあえず、船から離れよう」と僕。

「うん」と答え、ジュリアは車を発進させた。

車はコマーシャルポートのゲートを抜け、少

し離れた海岸線道路の路肩に停まった。

ジュリアは車を停めると、車を降りた。

僕も、それに続いて車から出た。

前を歩くジュリアの背中越しに「なかなか会

えなくて、ごめんな」と、言った。

ジュリアは僕に向かって振り返ると、振り向

きざまに、ギュッと強く抱きついて来た。

「I missed you very much.」と、僕の耳元で

囁いた。

僕は、彼女への愛おしさが、爆発しそうな感

情が湧き上がってくるのを感じながら、強く

彼女を抱きしめた。

辺りは、さざ波の音しか聞こえなかった

海辺に腰を下ろし、会えなかった時間を埋め

るように、ずっと二人で語り合った。

「そろそろ船に帰るよ。明日も朝から仕事だ」

と僕が言うと「グァムにはいつまでいるの」

と、ジュリアは聞いた。

「船の修理に後2日かかるから、3日後の午

後には出航すると思う」と僕。

「グァムにいる間、また会えるかな?」

「うん、会いたい。会える時間が出来たら連

絡するよ」と、僕は答えた。

車で船まで送ってもらい、船に戻った。

寝台に入り目を閉じると、疲れからかすぐに

眠りに落ちた。

翌朝7時、目覚まし時計の音で目が覚めた。

さっさと朝食を済ませて、機関室に入り作業

に取り掛かった。

昨日分解した部品やボルトを1点ずつ、灯油

を張ったバケツにつけ、ブラシを使い、汚れ

を落としていく。

洗い終わった部品を布で拭き、洗浄完了。

午後を過ぎた頃には、すべての部品の洗浄が

終わり、エンジンを組み立てる作業に取り掛

かった。

その間、日本から来た造船所の修理チームは、

損傷箇所の修理を進めていた。

僕は作業の休憩の度に、修理状況を確認した。

修理は順調に進んでいた。

エンジンの組立を進め、その日の深夜に組立

が完了した。

翌日の朝、エンジンを始動し試運転を行った。

3時間ほどエンジンのアイドリング運転を行

い、機関長と二人で、メインエンジンのすべ

ての計器と温度計を10分毎にチェックし、

結果をメモしていく。

試運転の結果、メインエンジンに異常は見ら

れなかった。

翌日、浸水部分の修理の完了に合わせて、

実際に船を航行させ、浸水修理部分とエンジ

ンの試運転をすることになった。

その日の作業は、午前中で切り上げ午後は休

みになった。

僕は事務所の電話を借りて、ジュリアの家に

電話をした。

電話をすると、ジュリアのお母さんが電話に

出た。

ジュリアは学生で、平日だったため学校に行

っているのは承知だったが、当時はまだ携帯

電話のない時代だったため、自宅に電話をし

て伝言を残すしか、連絡方法が無かった。

お母さんに「ジュリアに、コマーシャルポー

トで待っていると、伝えてもらえますか?」

と告げると「いいわよ、伝えておくわ。今晩

はうちに食事にいらっしゃい」と、食事に招

待してくれた。

陽が西に傾きかけた頃、事務所からウェリッ

ト社長の息子のディヴィッドJr.が僕を船

に呼びに来た。

ディヴィッドJr.は周りから“ジェイ”と

いう愛称で呼ばれていた。

「ケイジ!ジュリアがゲートに来てるぞ!」

と、ジェイが僕を呼びに船までやってきた。

僕とジェイは、僕がグァム島で喧嘩騒動を起

こして以来、親友となっていた。

彼は、日常会話に支障が無い程度に日本語を

話せた。

僕が事件を起こした翌日、船に戻った時に僕

に声を掛けてきた。「お前ガッツあるな」

僕は二コリと笑って、表情だけで答えた。

するとジェイは「俺は日本人の血が半分入っ

てる、お前を誇りに思うよ」そう言いながら、

拳を僕に向けた。

それに対して、僕も拳をジェイに向けた。

ジェイの拳と、僕の拳はコツンと音をたてた。

アメリカ人らしい表現だなと思った。

その日は大型客船が入港していた関係上、コ

マーシャルポート内に、一般車両の入場は制

限されていた。

そのため、コマーシャルポートのゲートまで、

フォークリフトで、ジェイに送ってもらった。

ゲートの監視所には、銃を携帯した数人の管

理官が監視していた。

普段より、コマーシャルポートへの入出場は

厳しくチェックされていた。

僕はゲートを抜けようと、管理官にパスポー

トを提示しようと、パスポートを監視官に差

し出した。

すると管理官は、パスポートを確認して、僕

の顔を見ながら「You Keiji?」と、僕の名前

を確認した。

僕は「Yes I am Keiji」と答えると、

「Nice to meet you」と言って、監視官は握手

を求めてきて、早口の英語で何か言った。

僕の隣にいるジェイに「なんて言ったの?」

と聞くと「ギャングをぶっ飛ばしたの、お前

だろ?って聞いてる」と、ジェイは答えた。

僕は「Yes」と照れながら、笑った。

監視官は「You Nice guy」と言って、ハグを

してきた。

僕は「Thank you」と言いながら、ハグをした。

それから監視官は「Go ahead」と言いながら

顎で「行けよ」という感じで合図した。

これには、当時のグァム島内での住民の問

題が背景にあった。

グァム島の原住民であるチャモロ族とフィリ

ピン人は、同じマイクロネシア系の人種に属

する。

当時のフィリピンは、マルコス元大統領の独

裁政治が続いており、フィリピン国内の富は

一部の富裕層が独占していて、一般の国民は

貧困に喘いでいた。

そして、フィリピン国内にアメリカの軍事基

地あり、フィリピンとアメリカは同盟国とし

て密接な関係にあり、アメリカ領であるグァ

ム島とフィリピンとは距離的に近く、フィリ

ピンでのグァム島で働くための就労ビザが取

得し易く、入国も簡単にできた。

しかしその反面、就労ビザの期限が過ぎても

帰国せず、不法滞在する者が多数いた。

不法滞在をしても、アメリカのIDを持たない

彼等は定職につけるはずも無かったが、日雇

いや重労働等の、現地住民が嫌うキツイ仕事

にはありつけた。

しかし、そのような労働で働けるのもほんの

一握りの不法滞在をするフィリピン人だけで、

大半のフィリピン人の男は、悪の道に入って

しまい、フィリピン系ギャングと化していた。

この頃、フィリピン航空の飛行機のタイヤか

ら、大量のコカインが発見された事件なども

発生していた。

そのため現地住民の大半を占めるチャモロ族

は、グァム島の治安を乱す者として、フィリ

ピン人に対して敵対心を持っており、僕が暴

力事件を起こした相手が、たまたまフィリピ

ン系ギャングであり、不法入国者で犯罪歴も

あったため、そういう奴らを殴り飛ばしたと

いう噂が広まり、いつの間にか、僕の周りの

チャモロ系現地住民の間で、僕はグァム島内

で、少し有名になっていたらしい。


ゲートを抜けると、白いピックアップトラッ

クにもたれ、黒髪とブロンドが混じった髪を

潮風になびかせ、グリーンの瞳で微笑むジュ

リアが立っていた。

僕は車の助手席に乗り、車はジュリアの自宅

に向け発信した。

ジュリアの自宅に着くと、お母さんが「いら

っしゃい」と、微笑みながら出迎えてくれた。

お父さんは海外出張中で留守だった。

3人で夕食をした。

夕食中、ジュリアが僕のどこに惹かれている

のかを探るように、お母さんは色々と質問を

した。

夕食が終わる頃「なんとなくジュリアの気持

ちがわかるわ。面白い人」と、お母さんは僕

に向かって、笑顔で言った。

その言葉を聞いたジュリアは、満足そうな表

情を浮かべていた。

食後のティータイムの後「ケイジ君、ゆっく

りしていってね。今日は泊まっても大丈夫よ」

と、お母さんはウィンクしながら言った。

「あとはごゆっくり」と言いながら微笑み、

ダイニングルームを出て言った。

僕達は、ジュリアの部屋に行きベッドに二人

並んで腰掛けた。

ジュリアの部屋の机の上には、学校で使って

いるテキストなどが積み上げられていた。

僕は机の上にある、分厚い辞書を手に取り開

いて見が、英語で書かれているので、もちろ

んさっぱりわからない。

「これ、なんの辞書なの?」と聞いた。

「それ、法律辞典だよ。私、法律の勉強をし

てるの」と答えた。

「へぇー法律の勉強してるんだ。将来、法律

家になるの?」と聞くと「うん、お父さんも

元弁護士だし。私、お父さんのような弁護士

になりたいの」と答えた。

僕は「そうか。ジュリアが弁護士かぁ。カッ

コ良すぎて、遠くに行っちゃうみたいだ」と

少し冗談っぽく言った。

するとジュリアは、真面目な顔をして「遠く

に行っちゃうよ」と行った後、僕を見つめて

「あと1年くらいで大学卒業でしょ。その後

ニューヨークのLaw Schoolに行こうと思って

るの」と行った。

ジュリアは、僕の反応を待っているような眼

差しで、僕の顔を見ている。

僕は「それ!すごくカッコいいじゃん!」と

無邪気に、自分のことのように喜んでいた。

ジュリアは少し驚いた表情で「離ればなれに

なっちゃうんだよ?会えなくなるかもしれな

いんだよ?」と、僕に詰め寄った。

「どんなに遠くても、離れていても。2度と

会えなくなるわけじゃないんだし。どこにい

ても、会おうと思えば会えるさ。」と答えた。

「本当に、何でもかんでも前向きに捉えるん

だね」と、ジュリアは少し呆れた感じで、微

笑みながら僕に言った。

僕はジュリアの反応を無視して「弁護士かぁ。

本当にカッコいい」と、手に持った法律辞典

を見つめながら言った。

「そういえばさ。ア・フュー・グッドメンと

いう、トム・クルーズが出てる映画観た?」

と、ジュリアに聞いた。

「観たよ。好きなの?」と、ジュリアは僕に

聞き返した。

僕は「最後のシーンでさ、主演のトム・クル

ーズが演じるキャフィ中尉が言うんだ。

“我々は間違っていた。

我々は強い者のためでなく、弱い者のために

戦わねばならなかった“って。あのシーンと

セリフが大好きなんだ」と言った。

ジュリアは「私もそのシーン大好き!」と、

感激した様子で言った。

「弁護士になるんだったら、そういう弁護士

になって欲しいと思う」と、僕はジュリアに

言うと「Thank you」と言いながら、ジュリア

は僕に抱きついてきた。

ジュリアは僕の腕の中で言った。

「あなたはとても器用な人よ。どこにいても、

何をやっても生きていける気がするわ」

「そうかな、自分ではそんな風に思えないけ

ど」と、僕が答えると「もっと自分を信じて」

と、彼女は言った。

「いつか一緒に暮さないか」と、つい口をつ

いて出た言葉だった。

何を考えていたわけではない、ただずっと一

緒にいたいと思った。

彼女は笑って「船をやめて陸で働いてくれ

る?」と、僕の顔を覗き込んだ。

僕は戸惑った。

それは、明らかに表情に現れていたのだろう。

“船をやめる”

全く思ってもいなかった。

ジュリアは、そんな僕の顔を見て、イタズラ

な笑顔で「無理でしょ」と笑った。

「でも、一緒にいたい気持ちは同じよ」と、

僕の胸に顔をうずめて言った。


無念の海


翌日の早朝に、僕は船に戻った。

僕が船に戻って直ぐに、試運転に出航した。

損傷部分からの浸水は完全に止まっており、

オーバーホールしたメインエンジンは、軽快

にエンジン音を上げていた。

3時間程、グァム島周辺を試験航行した。

海から見たグァム島は、雨季の到来を告げる

低く暗い雲で覆われ、ドンヨリと曇っていた。

試験航行を終え、再度岸壁に接岸し、日本の

造船所から来た修理チームを下船させ、入国

管理局への船の出港申請をした。

約1時間で出港の許可が下り、出港の準備も

整い、船は改めて処女航海に出港した。

新船の処女航海は、まずまずの漁に恵まれた。

操業21日、満船。

グァム島へ向けて帰港をしている途中。

怪物君からこの航海で船を降りて、他の船に

移ると聞かされた。

訳を聞くと「グァムにはソープランドとパチ

ンコ屋がないから」と、怪物君らしい答えが

返ってきた。

怪物君と過ごした、マグロ船での4年間。

彼は、新人の頃から、僕をすごく可愛がって

くれた。

“漁師”を、絵に書いたような人だった。

キャバクラのお姉さんに「好き」と言われれ

ば本気になり金を貢ぎ、フラれては落ち込む。

風俗のお姉さんに“イク”と言われ、それを

真に受けて「俺は風俗嬢をイカせた」と豪語

した。

優れた上腕を持ち、腕が太すぎるためTシャ

ツが着れずに、常にタンクトップ。

「女の爪で背中をガリッ」っとされるために、

チンチンを濡れたタオルで鍛えていたが、共

に生活をした4年間で、背中の傷跡は一度も

見たことが無い。

グァム島に入港した翌朝、マグロを水揚げし

た後、怪物君は飛行機で日本に帰国した。

不思議と、あまり寂しさは感じなかった。

寂しさよりも感謝の気持ちの方が強かったの

を覚えている。

入港してから次の出港に向け、マグロの水揚

げ、燃料補給、餌の積み込み、食料品の買い

出し等、次の漁に出る準備に追われてた。

出港の準備が整い、出港の許可が下りると、

船は直ぐに出港した。入港してから出航まで

中二日での出航だった。

船は、処女航海から年末までに4航海を終え

る予定だったため、1日の猶予もなかった。

処女航海から3航海を終え、グァム島入港に

入港した11月下旬、4航海目に出港した。

次の航海が終われば、日本に帰国し年末年始

の休暇が取れる予定だった。

グァム島を出港してから東南東に進路をとり、

5日目に操業を開始した。

船員は船頭を含む、合計8名での航海だった。


僕の乗っていた船と一緒に、同じ漁協所属の

幸新丸と熊本県の進栄丸との3隻で船団を組

み、同じ海域でマグロはえ縄漁を行っていた。

3隻は、頻繁に無線で情報交換をしながら漁

を続けた。

漁は3回目操業まで、かなりの漁に恵まれた。

しかし、3回目以降の2日連続で不漁が続き、

3隻は同時に、漁場を移動することになった。

3隻は、24時間東南東に約260マイル航

行し漁を再開したが、またも不漁だった。

2日間操業をしたが、マグロが穫れそうな気

配が全く無かった。

そこで、48時間東に航行した、北緯10度・

東経155度付近に移動することになった。

この海域は年間を通して気圧が低く、それが

発達して熱帯低気圧に変化する。

北西太平洋と南シナ海において、低気圧域内

の10分間平均の最大風速がおよそ34ノット、

風力8以上に発達すると「台風」と呼ばれる。

すなわち、台風の卵が生まれる海域である。

漁場を移動するために航行する2日目、僕は

14時~16時の2時間の当直をした。

当直が終わり、いつものように機関室に行き

燃料をメインエンジンの燃料タンクに補給し、

機関日誌にメインエンジンの各温度計と油圧

計を記入しビルジ溜りを確認した。

機関に、全く異常は見られなかった。

そのまま寝台に入り、ビデオを見て過ごした。

18時半頃、寝台から出て船員食堂に行くと、

夕食の支度がしてあり、一人で夕食をとった。

夕食を終えてから、また寝台に入りビデオを

見ていた。

20時を過ぎた頃だった。

その時、ビデオで見ていたTV番組をはっきり

と覚えている。

当時TBS系列で放送されていた「ギミアブレ

イク」という、大橋巨泉氏が司会を務め、ビ

ートたけし氏や石坂浩二氏がコメンテーター

として出演する、情報バラエティ番組で、ネ

パールの宝石の特集だった。

リィィィィィィィン!

突然、スタンバイのベルが鳴った。

“この時間にスタンバイ!?なんだ!?”と、

その瞬間思った。

4年間マグロ漁船に乗船して、そんな時間に

スタンバイのベルが鳴ったのは初めてだった。

僕は寝台を飛び出し、船員室を出ようとした。

同じ部屋の船員も、僕と同じように寝台から

飛び出してきた。

船員室のドアを開ける前に「何かゴムが焼け

る匂いがするな」と、同じ部屋の船員が僕に

言った。

僕も“何かが焼けてるような匂いがする”と

思った。

船員食堂を通り、船尾甲板に上がる階段をあ

がり船尾甲板に出た。

すると、フィリピン人船員のレンドンが

「Fire!Fire!」と、叫びながら船尾に駆け

て来た。

僕は「なに!?どこだ!!!」とレンドンに

聞くと、レンドンは「wakaranai!」と叫び

僕の手を引っ張り、ブリッジの方に向った。

レンドンに連れられるままに、船の中央部分

の機関室入り口のところに差し掛かると

レンドンは、「Look!」と言って、船の中央

上部にある煙突の方を指差した。

指の差す方を見上げると、ブリッジの後方に

ある、煙突辺りから黒煙が立ち上がっていた。

煙の量から、一目で通常煙突から出ている煙

でないことはわかった。

煙突の後ろ側から、とてつもない量の真っ黒

い煙が立ち上がっていた。

船頭の「消火しろ!」と叫ぶ声が聞こえた。

全船員は、消火活動に取りかかった。

船には「ボンペット」という、出火場所に投

げつけるタイプの消火剤が設置されてあった。

僕はボンペットを手にし、機関室入り口から

機関室に入り、出火元にそれを投げつけよう

と思った。

しかし、機関室入り口から機関室に続く通路

は既に黒煙が充満しており、一寸先も見えな

い状況で、火元が確認できなかった。

その間、黒煙の量はどんどん多くなった。

僕は外で大きく深呼吸をして息を止め、黒煙

の中を機関室に続く通路を進み、通路から機

関室に下る階段から、機関室めがけてボンペ

ットを投げ込んだ。

もう一度出火元を確認しようと思い、機関室

に入ろうと通路を進んだが、通路の中は黒い

煙で覆われていて、一寸先も見えない。

目に煙が入り、目も開けられない状況だった。

ボンペットの消火効果があったのかすら、確

認できない程、煙が充満していた。

熱さと息苦しさを感じて、来た通路を戻り船

外通路に出た。

外に出ると、僕と代わるように消火器を手に

した兄が、機関室に入って行った。

僕は、“一刻も早く火元を確認して、そこを

鎮火しなければ!”と思った。

そのためには、火元の確認が最優先される。

煙が出ているのは、船の左舷側。

船の左舷側には、船外の通路は無く、ベルト

コンベアが設置されてあった。

僕は、船首甲板に行き左舷側のベルトコンベ

アの上を歩き火元を確認しようとした。

僕が船首甲板に出た時、ドンッ!という爆発

音と共に、船外通路の外灯が消えた。

発電機が停止したのだった。

“まずい!!!”

発電機停止は、無線を含む、全て電気機器が

使用不可能に陥ったことを意味する。

左舷側のベルトコンベアを歩き、左舷中央部

に行き、出火元を確認しようとした。

しかし、左舷側から凄まじい量の黒煙と共に

炎が吹き出していた。

出火元は、左舷側だと言うことが確認できた。

僕は船尾に戻り、設置されてある消火器を持

ち、炎に近づけるギリギリの位置まで近づき

消火器を吹きかけた。

消火器から泡上の液体が吹き出し、炎に吹き

付けたが、炎の勢いが強く、噴射した泡上の

液体は、炎に届く前に蒸発しているように見

えた。

それを見た瞬間“消火は不可能だ”と思った。

灯りの消えた船外通路は真っ暗で、空は曇っ

ていて月明かりも無い夜だった。

僕は、暗い中を、手摺を頼りに持ちベルトコ

ンベアを歩き、右舷側に戻った。

右舷側に戻ると、暗闇の中をうごめく人影は

見えるが、誰が誰なのかが確認できない。

“救命イカダを降ろさなきゃ!”

僕の前を通りかかった人影の腕をつかまえて

「救命イカダ降ろすぞ!」と言った。

「そうだな!」と、その人影は答えた。

その声で、つかまえた相手が兄であることが

わかった。

救命イカダは、ブリッジの上の左舷側に設置

されてあった。

二人で救命イカダを降ろそうと、ブリッジの

上にに登った。

ブリッジの上に登り、愕然とした。

ブリッジの上から見た船の左舷側は、既に火

の海と化しており、救命イカダが焼け落ちて

いるのを見た。

「イカダは無理だ、別の方法を考えよう」と、

僕は兄に声をかけ、ブリッジの上から降りた。

ブリッジの上から降りると、船員全員がブリ

ッジの出口辺りに集まっていた。

ブリッジより後方の、船尾付近の数カ所に火

の手は周り、船尾付近に炎が見えた。

船員のうち数人は、呆然と立ちすくんでいた。

船頭が「おい!全員いるか!?」と叫び、

船員一人一人の名前を呼んだ。

船頭が名前を呼び始め4番目か5番目だった。

「機関長いるか!?」と声をかけた。

機関長からの返事は無かった。

他の船員も「機関長!いるんですか!?」と

声をかけるが、返事がない。

暗闇の中にいる人影の人数を数えたが、7人

しかいなかった。

僕は「俺、見てくる」と言って、船尾に行こ

うとした時、兄が僕の腕を掴みそれを止めた。

「やめろ!お前死ぬぞ!」

「見てくるだけだ!」と言って、僕は兄が掴

むの腕を振りほどき船尾に向った。

その時には右舷側には、まだ火の手は回って

いなかった。

船尾の船員食堂には、機関室に通じる入り口

があり、機関室入口の右側に機関長室がある。

機関長は、そこにいるに違いない。

僕は、船尾の分電盤に設置されてある懐中電

灯を取り、スイッチを入れた。

深呼吸をして息を止め、船員食堂へ下る階段

を駆け下りた。

船員食堂の中は真っ暗で煙が充満しており、

懐中電灯の明かりが煙に反射していた。

僕は“こういう時こそ、冷静にならなければ”

と思い、懐中電灯の灯りを頼りに、船員食堂

内を見回した。

食堂内の上部に黒煙が溜り、下部を白煙が

覆っていて、煙の層が出来ているのが見えた。

黒煙は有毒ガスを含んでいるので絶対に吸い

込まないようにと、高校生の頃の救命実習で

教わっていた。

僕は黒煙を避けるように、身を屈めて白煙の

中を、懐中電灯を灯し機関室入口を目指した。

目に煙が入り、涙がボロボロ出て来て煙と涙

でほとんど前が見えない。

機関室の入り口まで、3m程の距離があった。

しかし、その時は何十倍の長さにも感じた。

何も見えない中、手探りで機関長入口を見つ

け、入り口のドアノブに手をかけた。

“熱い!!!”

ドアノブの熱さで、掌を火傷してしまった。

機関室側は炎に包まれていたのだろう、ステ

ンレス製のドアノブはそれで熱せられていた

のだと思う。

僕は、ドアノブに布か何かを巻き付けようと

思い、辺りを手探りで探した。

それを探している時だった。

懐中電灯の灯りが、機関室入口ドアの隙間を

照らした時、奇妙な光景を目にした。

ドアの隙間から、煙が出たり入ったり。

まるで、ドアが呼吸しているかのようだった。

“バックドラフト現象”

室内など密閉された空間で、火災が生じ不完

全燃焼によって火の勢いが衰え、可燃性の一

酸化炭素ガスが溜まった状態の時に窓やドア

を開くと、熱された一酸化炭素に急速に酸素

が取り込まれると結びつき、二酸化炭素への

化学反応が急激に進み爆発を引き起こす現象。

これも学生の頃教わっていた。

“ドアを開いたら、爆発するかもしれない”

そう思ったら、背筋に寒気を感じた。

息を止めているため、呼吸が苦しくなった。

しかし、機関長を助けなければ。

刹那の葛藤だった。

呼吸がどんどん苦しくなり、とにかく息がし

たい。

ひとまず外にでて、ドアを開けるための物を

探し、もう一度試みて見ようと思い、身を屈

めたまま階段に向った。

懐中電灯は、殆ど役に立たなくなっていた。

手探りで、階段にたどり着き、階段を登ろう

と上を見上げたが、煙と涙で何も見えない。

階段を登り切るまで、あと2段の時だった。

後ろで、ガタッと言う音が聞こえた次の瞬間。

何か得体の知れない物に体を押され、猛烈な

勢いに僕の体は宙を舞い、僕は船尾甲板に投

げ出された。

投げ出された勢いで、漁具を収めている鉄柵

に、身体を打ちつけた。

顔を上げると、船員食堂に降りる階段の入口

から、炎とも煙とも言えない薄いオレンジ色

の気体が、強烈な勢いで吹き出していた。

何が起こったのかを理解するまで、少し時間

がかかった。

驚きのあまり体が固まり、僕はその得体の知

れない気体を見つめていた。

その吹き出した気体の先にある、船尾の天井

が、見る見るうちに焼けただれて行くのが見

えた時、“逃げなきゃ!”と、思った。

船員食堂に入った時、少し煙を吸い込んだの

が原因なのか、体を投げ出され打ち付けられ

た時に打ち所が悪かったのか、少し意識が朦

朧としていて、体が思うように動かせない。

ヨロヨロと立ち上がっていると、船尾は見る

見るうちに、炎に包まれて行った。

僕は、炎を避けて船首に行こうと右舷側の通

路に行くと、既に右舷船の通路も炎に包まれ

ていて、右舷側に設置されてあるプロパンガ

スのボンベから炎が吹き出していた。

僕は炎に囲まれ、相当熱かった。

“躊躇していると、確実に死ぬな”と思った。

息を止め腕で顔を覆い、右舷側の通路を一気

に船首甲板まで駆け抜けた。

船首甲板に行くと、機関長以外の船員がいた。

船首甲板には、まだ火は回っていなかった。

しかし、船のブリッジから後方の全ては炎に

包まれ、船首甲板はその炎の灯りで照らされ

ていた。

僕は船頭に「船尾が爆発した。」と言った。

それを聞いた船頭は「皆、救命胴衣を着けて

おけ!」と、指示をした。

僕と兄の二人で船首の倉庫に入り、浮く物を

全て船首甲板に出した。

他の船員は、それをロープで繋ぎ合わせた。

船には合計で12着の救命胴衣を搭載してい

たが、船首の倉庫には救命胴衣が4着しか無

かった。

残りの8着は、ブリッジと船尾に搭載されて

おり、既に炎の中だった。

僕は、日本人の年配の船員二名と、フィリピ

ン人船員2名に救命胴衣を渡した。

レンドンは「わたしだいじょうぶ!」と言い、

僕に救命胴衣を着るような仕草をした。

しかし、彼には国に残している、女房と子供

がいる。

それを思うと、もしもの場合、彼が生き残る

ことが第一に思えた。

僕はレンドンに「いいから着ろ!」と怒鳴り

救命胴衣を彼に押し付けた。

炎は徐々に、船首甲板に近づいて来ていた。

スタンバイのベルが鳴ってから、約20分位

の間の出来事だった。

すでに船の半分以上は、炎に覆われていた。

船は繊維強化プラスチックで造られており、

プラスチックの主成分は油でできているため

火災には非常に弱かった。

機関長を除く船員は、船首甲板に焼け出され

た状態で、全員着の身着のままで、放心状態

で、船を包み込もうとしている炎を見つめて

いた。

“これは現実なのか?”

“嘘だろ?”

“夢だよな?”

僕は、黒煙を噴き上げながら燃えている船と

迫り来る炎を見つめながら、頭の中で何度も

何度も、繰り返しそう思っていた。

“夢なら早くさめてくれ!”

目の前の巨大な炎を見つめながらも、現実を

受け入れられることが出来ない。

しかも、師匠である機関長の姿はそこに無い。

“なんなんだ!なんなんだよ!!”

“どうして機関長はいないんだ!”

叫びたい衝動と、機関長を助けに行きたい気

持ち。

炎の中で、機関長が苦しんでるに違いない。

まだ、間に合うかもしれないと思っていた。

そんな時「行くなよ!」と、腕を掴まれた。

正気に戻った感じがした。

「お前、死ぬぞ。絶対に行くなよ」

そう言って僕の腕を掴んだのは、兄だった。

船頭が「ペンドルを繋ぎ合わせろ!」と叫ん

だ。

ペンドルとは、接岸時に船体の損傷を防ぐた

めに船舷に吊り下げる緩衝材のことである。

ドラム缶程の大きさで、発砲スチロールで出

来ている。

船首上部に収めてあるペンドルを下ろし、そ

れを4本円形にロープでつなぎ合わせて、簡

易イカダを作り、それに操業の時に使う

信号発信器付きのラジオブイを繋いだ。

皆で、簡易イカダを造っている時だった。

“生き残るんだ!絶対に生き残るんだ!”

と、思うようになっていた。

そう思うと、不思議と冷静になれた。

その時、我々に残された選択肢は2つだった。

このまま船に残り、自然鎮火を待つか?

海に飛び込み、捜索を待つか?

僕は、“出来る限り浮く物を探さなきゃ!”

と思った。

船首の倉庫には、まだ浮く物が残っていた。

僕は「浮く物を全部だすぞ!」と、他の船員

に声をかけ、船首倉庫に入った。

船首倉庫の中には、機関室やその他と繋がっ

ている通気口が通っており、その通気口を伝

って、船首倉庫内にも煙が充満してきていた。

「煙を絶対に吸うなよ!」と船員に声を

掛けて、僕は外で大きく息を吸い込み、煙を

吸わないよう呼吸を止めて倉庫の中に入った。

僕について、兄も入って来た。

倉庫の中は、真っ暗だった。

手探りで浮きそうな物を探し、手当たり次第

倉庫の入り口に向って放り投げた。

目に煙が入り、涙がでてくる。

呼吸が苦しくなると、外に出て深呼吸をし、

また倉庫内に入り、手探りで浮きそうな物を

探した。

その時、通気口からゴォーーッと言う音が聞

こえた。

次の瞬間、真っ暗の倉庫内が明るくなり、船

尾で見たオレンジ色の、高熱の気体が通気口

から吹き出してきた。

僕は「逃げろ!」と言いながら、兄を出口

から引っぱりだした。

船首倉庫の中に、通気口を伝って高熱の気体

が流れ込み、倉庫内は瞬く間に炎に包まれた。

船首にも火は回った。

炎で船の前後塞がれ、逃げ場所が無くなりつ

つある中、ある船員が言った。

「甲板の地面の形がおかしい、膨れている」

確かによく見ると、船首甲板の地面が丸みを

帯びていた。

僕は“ハッ”っと思った。

船の構造上、甲板の下は燃料タンクになって

いる。

甲板の下の、燃料タンク内の燃料が熱せられ、

気化した燃料で、燃料タンクが膨張してるに

違いない。

その時点で“このまま船に残り、自然鎮火を

待つ”という選択肢が消えた。

僕は船頭に近付き「飛び込む指示を出してく

ださい。この下にある燃料タンクが熱で膨張

している。いつ爆発してもおかしく無い」

それを聞いた船頭は黙って頷き、悲しそうな

目で船を包み込もうとしている炎を見てた後

「ペンドル降ろせ!全員、飛び込んでそれに

掴まれ!」と、船頭が叫んだ。

僕は海に飛び込む前に、足下に転がっている

浮きそうな物を手当たり次第海に放り込んだ。

捜索する場合、残留物を手がかりに潮流を読

み捜索するに違いない。

“手がかりは多い方がいい”そう思った。

日本人船員5名、フィリピン人船員2名の合

計7名が一斉に海に飛び込み、ペンドルで作

った簡易イカダに掴まった。

簡易イカダといっても、7人で上に乗れる浮

力はないため、体は海に浸かったままだった。

赤道に近い南方海域とはいえ、夜の海は冷た

かった。

そこら中に、さっき船から投げ込んだ浮遊物

が散乱して浮いていた。

その時、僕の目の前の海面に、赤い円筒形の

浮遊物が漂って来た。

僕は、その赤い円筒形の浮遊物を掴んだ。

手に取ったのは、打上式の遭難信号弾だった。

“これは持っておいた方が良さそうだ”と思

い、ペンドルを編み込んでいるロープに差し

込んだ。

その海域の潮流は早く、海に中にいる我々と

炎をあげる船は、見る見るうちに離れていっ

た。

ある船員が「船頭、他の船に救助の連絡はし

たんですか?」と、船頭に聞いた。

船頭は「新栄丸と幸新丸には、連絡してある。

新栄丸はここから3マイル北だ、幸新は5マ

イル西にいる。俺たちの救助に向っているは

ずだ」と答えた。

我々は、無言で燃えながら遠ざかる船を見つ

めるほか無かった。

10分ほどした頃、既に船は我々から数百メー

トル離れていた。

船から炎が吹き上がり、爆発したのが見えた。

海に飛び込むという選択は、間違っていなか

った。

甲板下の燃料タンクの燃料に引火したのか、

それとも、その他の何かに引火したのか。

原因はわからない。

海と空の境目もわからない、暗闇の夜だった。

ただ我々が数分前まで乗り、生活していた船

の周りだけが、炎で煌々と照らされていた。

何時間、海を漂ったのだろう。

それすらも、わからなかった。

誰も、腕時計を持ち出す余裕すら無かった。

ただ漂っていた。

ある船員が「他の船が俺達を探す時に、船の

周りを探すはずだから船の近くにいた方がい

いんじゃないか?」と言い、泳いで船に近付

こうとした。

しかし、今潮流の流れに逆らって泳ぎ、体力

を使うことは命を削ることに等しいと思った。

僕は、遭難は長期化する可能性があると思っ

ていた。

長期化した場合、極力体力は消耗しない方が

いい。

それに、この早い潮流に逆らって泳ぎ、船に

近付くなど無理だった。

「助かりたいなら、ただ浮いていた方がいい」

と言い、僕は止めた。

海水は、容赦なく体から熱を奪っていき、数

分後寒さから体が震え出した。

寒いのか、怖いのか。

それすらもわからない状態だった。

とにかく、体が震えていた。

誰も機関長のことを、口にはしなかった。

自分の命すら危うい中、考える余裕が無かっ

たと言った方が妥当かもしれない。

そよぐ風と簡易イカダに波打つの音だけしか

聞こえない、夜の真っ暗な海を漂うだけ。

時間が経つにつれて

“このまま、救助が来なかったら終わりだな”

“いいや、俺は絶対に助かる!”

“でも、どうやって助かるの?”

“救助の船が、捜索に向かってるはずだ”

“死ぬ確率の方が、遥かに高いぞ”

“いいや!俺がこのまま死ぬわけない!”

そういう言葉が、何度も何度も頭の中をグル

グルと駆け巡る。

そうしている間に、燃え続けている船は米粒

くらいの大きさになっていった。

そんな時、ポツリと一人の船員が言った。

「俺たち、死ぬのかな」

誰も不安になるのが嫌で、口に出さなかった

が、思わずつい出てしまった感じだった。

その瞬間、僕たち全員を不安が包み込んだ。

その時僕は「俺な、占い師に言われたんだ。

あなたは九死に一生を得る星の元に生まれて

るって。飛行機が落ちても、一人だけ生き残

るような人だって。だから俺と一緒にいたら、

絶対に死なないよ」と言った。

嘘だった。

占い師に見てもらったことなど、一度もない。

辺りに漂っている、不安な雰囲気を吹き飛ば

したかった。

それを聞いた船員は、普段船の上で話すよう

な会話を始めた。

「おい、今度帰ったら何する?」

「帰ったら子供を遊園地に連れていく約束し

てるんだ」

「新しく買った車が届いてるから、ドライブ

するんだ」

「帰ったら正月だな、正月の休みが一番いい。

静かでゆっくりできてよ」

「正月か!お年玉に金かかるなぁ~」

僕はその会話を聞きながら、皆の気持ちを痛

い程感じた。

船員は、誰一人として平静を取り戻していた

のではない。

今の自分の置かれた身を、現実を受け入れる

ことが恐いのだ。

とてつもなく巨大な、恐怖と不安。

全員の心は、それに覆われていた。

覆われた恐怖と不安を誤魔化すように、普段

通りの自分を精一杯演じているように思えた。

あの時もし、恐怖と不安を受け入れていたら。

恐らく、一番簡単にそれを消し去る方法を選

んでいたのだろう。

“あきらめ”という言い訳を自分にして“死”

を選んでいたに違いない。

みんなを安心させるような嘘を言ったが、そ

の気持ちは僕も同じだった。

本当は、恐怖と不安で、頭がおかしくなりそ

うだった。

皆の会話が続く中、僕は無言だった。

“助かる可能性”と“生き残るためには、何

をすればいいのか?”

それを、ずっと考えていた。

頭の中で、助かるシミュレーションをしよう

と思って、目を閉じた。

“船が捜索に到着した場合、僕が捜索船の船

頭ならどこを探すだろう?”

まずは燃えている船に、船員はいないか?を

確認するに違いない。

船に誰もいない事を確認した場合、次に燃え

ている船の周辺を捜すはずだ。

それでも船員が見つからない場合は、燃えて

いる船を中心にして円を描くように捜索する。

その円周を徐々に広げながら、捜索を続ける

はずだと考えた。

そうなれば、まだ燃えている船が肉眼で確認

できる範囲内になるうちに捜索船が来てくれ

れば、救助される確率はかなり高いと思った。

次に、では今の僕らは何をすればいいのか?

今、僕らが持てる物の全ての物を最大限に活

用して、捜索船が見付けやすいようにするこ

とが、ものすごく重要に思えた。

簡易イカダに縛り付けているラジオブイには、

信号発信用のアンテナの中間部分に、夜光シ

ールが貼られている、筒状の金属菅がロープ

で縛り付けられていた。

夜光シールは、光が当たると反射する。

操業中、夜間に揚げ縄をしていると、幹縄が

切れることが多々ある。

縄が切れると、サーチライトを利用して幹縄

に取りつけれている浮き玉を探す。

浮き玉に夜光シールが貼られており、サーチ

ライトが当たるとキラリと光る。

“これだ!!!!”と思った。

僕はラジオブイのところに泳いで行き、アン

テナの中間部分に縛り付けられてある、夜光

シールの貼ってある金属管のロープをほどき

アンテナの先端部分に取り付け直した。

取り付けが完了すると、簡易イカダの元の位

置に戻り、さっき海に飛び込んだ時に、たま

たま拾った打上式の遭難信号弾を見た。

“あとはこいつを、いつ発射するかだな”

目を閉じて、遭難船を捜索している自分の姿

をイメージした。

捜索船が、暗闇の海面に沿ってサーチライト

を照らしていく。

捜索船の船員は、サーチライトで照らされる

方向を見つめ捜索する。

遭難しているこちらは、見つけてもらおうと

慌てて遭難信号弾を打ち上げる。

遭難信号弾の閃光が暗闇に光るが、誰も気が

ついてくれない。

捜索船の全船員は、サーチライトで照らされ

ている海面を見詰めているからだ。

“これじゃダメだ!”

次に、サーチライトを持って捜索する自分の

姿をイメージした。

海と空の境目の海面に沿って、サーチライト

を照らし捜索する。

船は揺れるため、海と空の境目の海面が常に

見えるように、サーチライトを上下左右に操

作していく。

僕が手に持つサーチライトが、船の近場の海

面を照らした時、サーチライトの光の中から、

一筋の閃光が空に打ち上がる。

僕は、“こっちで何かが光ったぞ!”と、ブ

リッジで操船する船頭に知らせるために、サ

ーチライトを激しく上下に揺らす。

操船する船頭は、瞬時にサーチライトで合図

された方向に船を向け、その方角を重点的に

捜索を行う。

捜索船が近づいた時に、ラジオブイのアンテ

ナに付けた夜光シールにサーチライトがヒッ

トし、遭難している僕達を発見する。

“これだ!!!

“救助されるシミュレーションは完成した!”

あとは、捜索船が現れるのを待つだけだ。

しかし、寒い。

太平洋の南方海域とはいえ、夜の海水は容赦

なく体温を奪っていく。

船員達は、日常的な会話を続けていた。

そんな中、一つ気がかりな事があった。

海に飛び込んでから、船頭の様子がおかしい。

無言で、何も言わない。

燃える船を見ることも無く、ずっと目の下の

海面を見つめている。

瞬きもしていないように見えた。

僕の横には、兄がいた。

僕は兄の耳元で、小さな声で言った。

「親父の様子がおかしい、見張っててくれ」

「そうだな、俺も思ってた。」と兄が答えた。

寒さと恐怖と不安が僕らを包んでいる中、船

員達の会話は日常的な会話から、徐々にネガ

ティブな方向に進んで言った。

「このまま死ぬのかな」と、誰かがポツリと

言った。

「そんなこと言うなよ!!」と、誰かが叫ぶ。

「かみさんと子供に、もう一度でいいから会いたいなぁ」

「だから言うなって!」

不安の声と、弩号が飛び交いだした。

僕は無意識に叫んでいた。

「うるせえ!俺が連れて帰ってやるから!」

その言葉を聞いた兄が、暗闇の中で僕の顔を

覗き込んだ。

言葉にはしないが、その顔には「お前、何言

ってんの?」と書かれてあった。

そんな兄に向って「俺に任せとけ」と言った。

兄は「お前が言うと、嘘に聞こえないから不

思議だ」と言った。

僕が叫ぶと、周りは静寂に包まれた。

そんな時、誰かが叫んだ。

「何か光った!2時の方向!」

皆は「どこだ!?」と言って確認した。

僕達の目には、光は見えなかった。

空と海との境目がわからない、暗闇の太平洋

の中だ“流れ星か”と思った。

船に乗ってから何度か、想像もつかない程の

閃光を放ちながら、空から落ちてくる流れ星

を何度か見たことがある。

しかしその日は、空は厚い雲に覆われた曇り

の日だった。

“もしかして”と思い、その人が言う2時の

方向をずっと見ていた。

他の船員も、同じ方向を凝視していた。

すると、明らかにキラリと何かが光った。

そのうち、その光は一度だけではなく、何度

もキラリキラリと光り出した。

キラリと光るそれは、明らかに星の光では無

く、人工的な光だった。

「船だ!船が来た!」と、誰かが叫んだ。

人口的な光は、捜索船のサーチライトだった。

捜索している船は、徐々に燃える船に近づい

て行くのが、捜索船の舷灯からわかった。

舷灯とは、万国共通の船舶が夜間に航行する

ときに掲げる灯火のことで、航海法規により

マスト灯と船尾灯が白色の灯火で、右舷側が

緑色、左舷側が赤色と定められている。

僕達は、船からかなりの離れた距離にいたが

船の形状に見覚えがあった。

ズッシリとした、鉄鋼船独特の船尾。

同じ海域に向け、共に航行していた熊本県牛

深の新栄丸だ。

新栄丸の照らすサーチライトは、燃えている

船を発見し、燃えている船一点を照らしなが

ら、徐々に近づいて行った。

サーチライトで燃えている船を照らしながら、

その周りを迂回し始めるのが見えた。

3~4周して、舷灯の位置で新栄丸の方向が

変わるのがわかった。

燃えている船から離れ、その周辺の捜索を始

めたようだった。

「おい!それ救難信号だろ!打ちあげろよ!」

と、叫ぶ声がした。

「おい!何やってんだよ!早く打ち上げろ!」

船員達は、僕に向かって叫んだ。

僕は、打上式救難慎吾を握りしめ、叫ぶ声を

無視した。

今打ちあげても無駄だ。

僕の頭の中には、さっき描いたシミュレーシ

ョンがハッキリと残っている。

僕は、サーチライトの動きと、舷灯から見て

とれる新栄丸の動きに集中した。

僕の予想通り、新栄丸は燃える船を中心にし

て時計回りに、弧を描きながら動き出した。

僕は“よし!!”と思った。

その間も、船員達の僕に向かって叫ぶ声は止

むことは無かった。

「お前ら黙れ!ケイジに任せておけ!」

と叫び、それを兄が制した。

僕は、新栄丸の動きだけに集中した。

新栄丸のサーチライトは、海と空の境目を沿

うように動いている。

僕達から見える新栄丸のサーチライトは、波

の影響で、見えたり見えなくなったりした。

燃える船を中心にして、新栄丸の捜索範囲が

広がってきて、僕達から見ると何度かサーチ

ライトは僕達を照らしたが、僕達からはサー

チライトが照らしているように見えても、新

栄丸の船員は気が付いていなかった。

もし僕達を見つけたのであれば、必ずサーチ

ライトは上下に激しく動くはずだ。

新栄丸が、燃えている船と僕達の中間点当た

りの位置にきたとき。

僕は“次だ!!と、思った。

僕は救難信号弾の上部のキャップを開き、後

部から発射用の紐を引き出して手に持ち、発

射口を夜空に向けた。

新栄丸の舷灯の配置で、新栄丸の方向を確認

し、サーチライトが僕達の方向を照らした。

その時、僕は救難信号弾の紐を引いた。

打上式救難信号弾は“ボンッ”と音をたてて、

ピンク色の光を放ち揺らめきながら、夜空に

一筋の閃光を放った。

その瞬間、新栄丸のサーチライトが僕らに真

っすぐに向い、サーチライトが上下に激しく

動くのが見えた。

船員達から、歓声が上がった。

「助かった!」「よかった!」

皆、口々に声にした。

新栄丸は、一直線に僕達に向かってきていて、

サーチライトは僕らを照らし続けている。

30分程して、新栄丸が僕達まで数十メートル

の位置に来た。

サーチライトは、僕達を照らし続けていて、

辺りは明るく、みんなの表情が確認できた。

その表情は、なんとも言えない安堵感に包ま

れていた。

新栄丸が僕達の間近にきた時、新栄丸の甲板

に立っている船員が、右舷側の弦門を開けて

「泳げますか!?」と大声で聞いた。

船員達は「泳げるよ!」と答えた。

新栄丸から「一人ずつお願いします!泳いで

来てください!」と、声がかけられた。

年配の船員から先に、泳いで新栄丸に向った。

新栄丸の船員は、4人掛かりで一人ずつ船に

船員を引っぱり上げた。

僕は、一人ずつ助けられていく船員達を確認

していた。

その時、後ろから「何やってんだ!」と、兄

の叫ぶ声した。

振り返ると、兄が船頭の服を持ち、自分の方

に引っぱり寄せていた。

船頭は「いいから離せ、お前らだけ帰れ。俺

はもういい」と、簡易イカダから手を離し、

海に消えようとしていた。

「させるか!一緒に帰るんだよ!」と、兄は

叫びながら、船頭を引き寄せていた。

それを見た僕も、船頭のところに泳いで行き

船頭の腕を持ち「オヤジ、絶対に離さねぇか

らな」と言った。

「いいから。この方がいいんだ。お前達、手

を離せ」と言いながら、父は抵抗をした。

すると兄が「俺たちはお袋になんて説明する

んだ!?親父を見捨てましたと説明するの

か!?」と、父の胸ぐらを掴み怒鳴った。

その言葉を聞くと、父の腕から力が抜けた。

兄と二人で力の抜けた父を引っぱり、親子三

人で新栄丸に泳いで行った。

先に父を新栄丸に上げ、兄を先に上がらせて

僕はそれに続いて、僕は新栄丸の船上に引っ

ぱり上げられた。

船上に上がって立ち上がろうとしたが、足腰

が立たない。

体に、全く力が入らない。

他の船員も同じだった。

そのまま、甲板に大の字になっていた。

甲板を照らす投光器が、すごく眩しかった。

大の字になっている僕に、新栄丸のフィリピ

ン人船員が「ダイジョウブ?」と聞いた。

僕は「大丈夫、ありがとう」と、答えようと

したが、腹に力が入らずに声が出せなかった。

コクリと、頷くのが精一杯だった。

彼が腕時計をしていたので、その腕時計を指

差して時間を聞いた。

「イマ、4ジ」と、彼は答えた。

その時、初めて自分たちが海に逃れてから、

何時間経ったのかがわかった。

その時、ある言葉が心をよぎった。

いつかTVで明石家さんまさんが言っていた

“生きてるだけで、丸儲け”

“ほんと、そうだよな”と、強く思った。


新栄丸に助け上げられてからのしばらくの間、

ほとんど記憶がない。

少しの間、意識を失っていたような気もする。

とにかく寒かった。

身体が震え、全身に全く力が入らない。

体が硬直して、関節を曲げることができない。

喋ることも、ままならなかった。

そんな僕達を、新栄丸の船員が毛布で身体を

覆ってくれ、その上から身体を暖めようと、

さすってくれていた。

「ありがとう」と言おうとしたが、口がまわ

らず「は ひ は ほ う」と言った。

その「はひはほう」としか言えない自分がお

かしくて、笑ってしまった時に

“ああ、助かったんだ”と実感した。

「大丈夫か?しっかりしろ!」と、新栄丸の

船員が声をかけてくれている。

その船員の手の暖かさが、毛布越しに伝わり、

身体が温まってきて、震えが少し収まってく

ると、急激な喉の渇きを覚えた。

「み・・・ず・・・」と伝えると、その船員

はすぐに水を持ってきてくれた。

アメリカ製の、1ガロンボトルに入ったミネ

ラルウォーターだった。

力の入らない腕で必死にボトルを持ち、ボト

ルを口に運び、水を含んだ。

水が、とても甘く感じた。

少しずつ水を飲んだが、あまりの美味しさに

いつの間にか、ボトルの水は空になっていた。

水で喉を潤すと、体の硬直が少し和らいだ。

僕達は、何も持たずに着の身着のままで逃げ

ていて、僕はジャージのズボンにTシャツを

着ていた。

ズボンは膝から下は、焼けてほとんど無くな

っていた。

「お風呂用意してます!皆さん、入ってくだ

さい!」と、新栄丸の船員が僕らに告げた。

助けられた船員7人は、二人一組になり5分

程度、順番に風呂に入り体を温めた。

僕はレンドンと一緒に、風呂に浸かった。

風呂に入り体が温まってくると、手首や足首、

肘、膝の、体のあらゆる関節を無理なく動か

せるようになってきた。

風呂につかりながらレンドンに「レン、大丈

夫か?」と聞くと、レンドンは「ワタシOK」

と言った。

レンドンは「But you」と言いながら、風呂

にあった手鏡を持ち、僕の顔を鏡に映した。

鏡に写った自分の顔を見た時、驚いた。

髪が焼けてチリチリになっていて、右の目の

下の頬の辺りに火傷があった。

「なんだこれ!?」と、僕が驚きながら笑う

と、笑っている僕を見て、助けられてから初

めて、レンドンは笑顔を見せた。

二人で笑った。

風呂から出ると、新栄丸の船員食堂に数種類

のカップ麺が用意されていた。

新栄丸のコック長が「急だったので、何も用

意できなくて。とりあえず食べてください」

と言った。

僕は「いいえ、ありがたいです。」と答えて

どん兵衛を手に取り、お湯を注いだ。

数分待ち蓋を開けて、汁をすすった。

その時すすったどん兵衛の汁が、気絶する程

美味しかったのを覚えている。

鰹出汁の風味と味が、体中に染み渡る感じが

した。

食事を終え、兄と二人で新栄丸のブリッジに

行くと、新栄丸の船頭がレーダーを見ていた。

新栄丸の船頭が僕達にレーダーを見るように

言った。兄と二人で、レーダーを見た。

レーダーには、数時間前まで僕らの乗ってい

た船の船影映っていた。

小さな点だった。

その小さな点に向かって、新栄丸は進んだ。

新栄丸は、僕達の乗っていた船に目視できる

距離まで近づいた。

新栄丸の船頭は「まだ煙が出ているな、どう

する?」と、僕と兄に聞いた。

僕は考える間も無く「煙が収まったら、船に

行かせてください。機関長を連れて帰りたい

んです」と答えた。

兄は頷いていた。

新栄丸の船頭は「わかった、煙が収まるのを

待とう」と、言ってくれた。

夜が明けてきて、辺りが明るくなってきた。

空はドンヨリとしていて、ぶ厚く暗い雲に覆

われていて、海はうねりを上げ、かなり荒れ

ていた。

僕らの乗っていた船は、新栄丸の数十メート

ル先に見えていて、まだ黒煙を上げていた。

船は外板だけが残っていて、船首部分やブリ

ッジの形跡は全く無く、波間を漂っていた。

その光景を、ずっと見つめていた。

あの中には、まだ機関長がいる。

“一緒に帰るんだ。絶対に連れて帰るんだ。”

午前8時を過ぎた頃、海は更に荒れだした。

気圧計を見ると、気圧は下がってきていた。

父は、助けられてから一言も喋らなかった。

その眼差しは、ずっと遠くの何かを見ている

ような、眼差しだった。

敢えて声はかけなかったし、かける言葉が見

つからなかった。

僕は新栄丸の船頭に「船を右舷側に近づけて

もらえますか?」と言った。

新栄丸の船頭は「近づけてどうする?」と僕

に聞いた。

僕は「泳いで船まで行きます、機関長を回収

したらすぐに戻ります」と答えた。

船頭は「そうか、これ以上海が時化ると、船

が沈む可能性があるな。一人だと危ない、う

ちの船員から泳ぎの達者な者をつける」と言

った。

兄が僕に向かって「俺も行く」と言ったが、

「兄貴、親父についててやってくれ」と、僕

は兄を止めた。

僕と新栄丸の機関長の二人で、救命胴衣を着

用し、海に飛び込んだ。

海に入ってみると、船の上から見ているより

も、波は思った以上に高かく、潮の流れが早

くて、なかなか前に進めなかった。

焼け残った船を目指し泳いだが、数メートル

進むにも、相当な体力を使う。

新栄丸と焼けた船の中間辺りに着た時に、新

栄丸の拡声器を通して、父の声が聞こえた。

「ケイジ、帰って来い!帰って来い!もうい

い帰って来い!」

その声は、泣いているように聞こえた。

新栄丸の機関長が「帰りましょう、この波じ

ゃ無理だ!」と、僕に言った。

僕は、数メートル先にある漂う船を見た。

波に揺られながら、船の内部がチラチラと見

える。

船の内部は真っ黒だった。

何も残っていないように見えた。

近くまで来ると船の上部が消失した船は、船

の重量が軽くなった分、波間を漂う木の葉の

ように、激しく上下左右に揺れていた。

それに、この位置まで来るのにも、相当な体

力を使っており、新栄丸に戻ることができる

かに不安があった。

船を見つめている僕に、新栄丸の機関長が

「波が静まるまで待ちましょう!」と言った。

二次被害だけは起こしたくない。

無念だったが、後ろ髪を引かれる思いで、新

栄丸に引き返した。

新栄丸に戻ってから数時間後には、更に海は

荒れ、海域は暴風雨に包まれた。

僕と兄は、ずっとレーダーで焼けた船を追っ

ていた。

しかし、雲が厚く船影はレーダーに映ったり

映らなかったりした。

レーダーを見つめる僕らに「二人とも、僕ら

が見てますから少し寝てください」と、新栄

丸の船員が言った。

新栄丸の船頭も「気持ちはわかるが、二人と

も寝なさい。君らが倒れたら、誰がお父さん

を支えるんだ?」と言われた。

僕達は「わかりました。休ませてもらいます」

と言い、兄は父が休んでいる新栄丸のブリッ

ジの船長室で休み、僕は船尾の船員食堂に行

って休むことにした。

船員食堂に行くと、僕と同じ船の船員が、毛

布を被り体を丸くして4人寝ていた。

一枚の毛布があった。

僕はその毛布を手に持ち、寝る場所を探した。

新栄丸は、僕らが乗っていた船と同じ、最大

船員数12人乗りの59t型のマグロはえ縄漁船

だった。

新栄丸には10名の船員が乗船しており、それ

に合わせて、助けられた船員7名が乗船する

ことになった。

当然ベットの数は足りない。

右舷側の船員室を開けると、室内に電気が付

いて、船員室の通路に雑誌が散乱していた。

その散乱した雑誌を片付けて、寝る場所を確

保し、毛布を体にかけて目を閉じた。

その時も「これは夢じゃないだろうか?」と

思った。

僕が通路に横たわっていると、僕の左側の寝

台のカーテンが開いた。

僕が寝ていると邪魔だと思い、僕は起き上が

ろうとした。

カーテンを開けたのは、新栄丸に乗るフィリ

ピン人船員だった。

起き上がろうとした僕に、彼は小さな声で

「NoNoNo」と言い、手で僕を制した。

「You Sleep,Me OK」と言って、自分の寝てい

た寝台を指差しながら、彼は寝台から出て行

こうとした。

僕は「大丈夫」と言ったが、彼は「No. Me

OK. You Sleep.」と、笑顔で言って、彼は寝

台を後にし、船員室を出て行った。

お言葉に甘えようと思い、僕はフィリピン人

船員の寝台に横になった。

“布団ってこんなに柔らかくて暖かいんだ。”

と思った。

助けられた船員は皆、何一つ残されていなか

った。

ズボンもTシャツも、パンツ1枚すら。

ある日突然、全て燃えてしまった。

着替えは、新栄丸の船員から提供された。

僕が着ている服も、全て他人の施しによって

与えられた物だった。

その時思った。

いつか、今の僕と同じような人がいたら。

その人達に、僕がしてもらったことと同じこ

とをしよう。

全てを無くした人は、それが誰の物であろう

と、どんなに使い古された物だろうと関係な

い、その人達が選択すればいい。

きっと、暖かいと思ってくれるはずだ。

なぜなら、今の僕がそうなのだから。

“生きる”という目的の前では、プライドも

クソも関係ない。

目を閉じるてから、不思議な感覚を感じた。

フィリピン人船員と一緒に仕事をしてから、

ある意味彼らを尊敬すると共に、その反面、

彼らと働き始めた当初は、僕の心の中には、

彼らへの差別の種があった。

これがどこからやってくるのか?

この時、はっきりわかった気がした。

高校生の頃、We are The Worldを初めて聞いた

時、体が震えるほど感動した。

人種や宗教や文化は関係なく、世界は一つな

んだと思った。

しかし、いざ自分が肌の色や文化の違う人達

と生活を共にする環境に置かれた時、その感

動は幻想だったと知った。

体臭や肌の色の違いへの違和感は、感情では

なく感覚だと知った。

しかし、フィリピン人に与えられた布団は、

人間の匂いがして、暖かく柔らかかった。

体臭や肌の色等関係なく“ありがとう。”

ただ、そう思った。

いつの間にか眠りに落ちた。

5時間程して目が覚め、ブリッジに向った。

海は、大時化になっていた。

横殴りの雨と風と巨大な波が、容赦なく新栄

丸を叩いていた。

ブリッジに行くと新栄丸の船頭と父の二人と、

僕らに寝台を提供してくれている、新栄丸の

船員が4名がいた。

父が「船が沈んだかもしれん、完全に見失っ

た。レーダーにも映ってない」と僕に向って

言った。

時化は2日間続き、2日後やっと太陽がでた。

海は穏やかさを取り戻し、新栄丸は見失った

船の捜索を2日間しが、船の形跡は何一つ見

つけることが出来なかった。

2日後の夜、捜索打ち切り許可の無線連絡が

漁協より届き、焼失した船の捜索は打ち切ら

れた。

新栄丸は僕らを乗せて、グァム島を目指した。

3日後の早朝、新栄丸はグァム島に到着した。

僕達が入港する事前に、事故の連絡は日本領

事館に伝えられており、領事館の人が事故に

よる緊急入国の手続きを取ってくれていたお

陰で、入国審査は数分で終了し、上陸許可が

下りた。

その後、キムさんの車に乗って、日本領事館

に行き、グァム島からの出国と日本の入国許

可の手続きを終えた。

ウェリット社長の会社が、日本に帰国するた

めの航空機の予約の手配をしてくれ、翌朝4

時グァム発の飛行機で、日本に帰国すること

になった。

飛行機への搭乗までの間、ホテルを取って

くれ、そこで過ごすことになった。

ホテルに着いた頃には、日が暮れていた。

兄が日本の実家に、電話をかけた。

兄は、電話越しに一通り出来事の状況の説明

を母にし、「お袋だ。声聞かせてやれ」と、

受話器を僕に差し出した。

僕は受話器を持ち「もしもし」と言った。

受話器越しに、母の声がした。

「ケイジ、手はあるのかい?足はあるのか

い?どんな体でもいいから生きて帰っておく

れ」と、すすり泣きながら言った。

「母ちゃん、俺は大丈夫だよ」

それしか言えなかった。

母の辛そうな声を聞くのが、辛かった。

ホテルは1つの大きな部屋を、7人で使った。

部屋の中は、辛い雰囲気に包み込まれていた。

一人だけ残して来てしまった・・・。

誰も口には出さないが、皆同じ気持ちだった。

全員が救助されていれば、仲間同士で救助さ

れた喜びを分かち合えたはずだ。

その後、全員でホテルのレストランで夕食を

済ませ、飛行機の出発の時間まで、部屋で待

機した。

僕は部屋を出て、ホテルのロビーに行き、公

衆電話から、ジュリアに電話をした。

電話越しに「もしもし」と僕が言うと、ジュ

リアは「うん、大変だったね」と答えた。

ジュリアにも、事故の情報は入っていた。

「これから、会いに行っていい?」と彼女は

聞いた。

僕は「俺も会いたい」と答えた。

そのままホテルのロビーの椅子に腰を下ろし、

ジュリアを待った。

数十分後、ジュリアが現れた。

彼女は僕の前に立つと、椅子に座ったままの

僕の頭を抱えて、胸に引き寄せて、僕を抱き

しめた。

僕は崩れ落ちるように、ジュリアに寄り添い

抱きついた。

ジュリアは「生きててくれて、ありがとう」

と僕に言った。

僕が何かを言おうとした時「大丈夫だよ。何

も言わなくて大丈夫」と言って、頭にキスを

した。

それから、二人でホテルのロビーの椅子に腰

掛け、事故の詳細を僕はジュリアに話した。

その時、事故が発生してから初めて、自分の

気持ちを打ち明けた。

「事故は俺の責任かもしれない」

機関長以外で、機関部員は僕一人だけだった。

「なぜ?」と、彼女は聞き返した。

「俺が、もっとしっかり機械の確認をしてい

たら、火事は発生してなかったかもって思う

んだ」と言いながら、俯いた。

そんな僕に「あなたはできる限りの事をした

でしょ」と言って、俯く僕の顔を抱き寄せて

「事故なの。事故は不可抗力なの。だから自

分を責めないで」と言い、僕の顔を見詰めた。

「辛いよね」と言い、彼女は涙を流していた。

僕は、ジュリアに救われた気がした。

別れ際に「日本に帰って少し休んで。元気に

なったら会いにきてね」と、彼女は言った。

僕は「うん、そうするよ」と言った。


飛行機への搭乗2時間前、ホテルを出発した。

出発する時、ホテルのロビーで、レンドンと

エディーに再会の約束をして別れた。

空港に到着し、出国審査を受けたが、日本領

事館の人が付き添っていて、出国審査官に説

明をしてくれたお陰で、ほぼ無審査だった。

JALの飛行機に乗り込み、出発を待っていた。

座席に座り、“日本に帰って、実家に帰った

ら、機関長の家族に会ったら、どんな顔をし

て会えばいいんだろう?”

僕はうつむいたまま、ボーッとそればかり考

えていた。

そんな時だった。

「メリークリスマス」と言って、キャビンア

テンダントが、小さな青い箱を差し出した。

僕は無意識に、差し出された箱を手に取った。

渡されたのは、青い小さな箱には、青い布の

リボンがついていた。

箱の中を開けると、取手のところに鈴の付い

た、小さな金色のスプーンだった。

機内にはジョン・レノンの「Happy Xmas(War

Is Over)」が流れてきた。

金色のスプーンは、搭乗した全員へのクリス

マスプレゼントとして配られた物だった。

その時、“今日はクリスマスイブか”と、気

がついた。

掌にある、小さな金色のスプーン見つめてい

ると、なぜか知らずのうちに涙が出て来た。

“やっと帰れる。”

そのスプーンを見ていると、それを実感した。

辛くて、やるせなくて、暖かくて、生きてい

ることが幸せで・・・。

幾重にも重なる感情を、押さえることが出来

なかった。

“泣いているところを仲間に見られたくない”

と思い、ずっと下を向いてた。

すると後ろの座席から、嗚咽が聞こえてきた。

周りを見てみると、全員が僕と同じように、

下を向き泣いてた。

荒くれのマグロ船の漁師達に、ひと時訪れた

クリスマスイブの優しさは、それまで張り詰

めていた気持ちを、解してくれたようだった。


飛行機は、午前中に大阪国際空港到着し、そ

こから飛行機と電車を乗り継いだぎ、故郷の

実家に到着したのは20時を過ぎた頃だった。

実家に帰り居間に行くと、僕の顔を見た祖母

が僕に抱きついてきた。

「お婆に顔を見せておくれ」と、泣きながら

僕の顔撫でた。

母は、兄と僕と父の顔を見ると、床に崩れ落

ちるように伏せ、肩を震わせていた。


翌日の早朝、船頭の父と機関部員の僕の二人

で、事情調書の尋問を受けるため、海上保安

庁に出頭した。

海上保安庁の担当官は、同じ海に生きる男と

して話しを聞いてくれた。

「よくご無事で戻られましたね」と言って、

親身に事故当時の話を聞いてくれた。

午前中に海上保安庁の尋問が終わり、午後か

ら船員保険組合に行き、船員保険における保

険補償金手続きのための、事故当時の状況説

明をした。

しかし、船員保険組合の対応は、海上保安庁

の対応とは真逆だった。

容疑者の様な扱いには、本当に驚いた。

「放火した可能性が高いんじゃないのか?」

「保険金目当てのが目的じゃないの?」

「船頭として責任は感じているのか?」

「機関部の確認に落ち度があったのでは?」

調書を取るための質問と言えど、物には聞き

方があるし、言い方がある。

保険組合の連中から、心ない質問がされる度、

父は激昂して反論した。

「どこのバカが太平洋のど真ん中で、自分の

乗る船に火つけるんだ!」

しかし、相手は船の乗船経験の無い連中だ。

質問と説明の辻つまが合わないことが、多々

ある。

保険組合の担当者は、理解ができない説明に

対して、さらに説明を求めるてきた。

僕も相手に理解してもらおうと、事故当時の

機関部の状況を細かく説明したが、全てを信

用して聞いてくれているような様子ではなく

疑心に満ちた目で、父と僕を見ていた。

僕たち漁師にとっては当たり前のことでも

海を知らない人には、いくら説明をしても通

用しないことがあると、思い知らされた。

それから3日間、朝の9時から18時まで、

船員保険組合での尋問日が続いた。

心無い聞き取りと、どんな説明しても、それ

が伝わらないことに対して、相当なストレス

を感じた。

そんな時間は、知らず知らずのうちに父の心

を蝕んでいた。

自宅に戻っても食事を取らない日が続き、見

る見るうちに痩せて頬がこけ、窶れていった。

船員保険組合での説明が終わった日の、帰り

の電車の中、窓側の座席に乗っている父が

窓の外を見つめながら、ポツリと言った。

「あの時、俺は死んでればよかったのか・・」


その夜、父が寝るのを待ち、僕は兄と母に、

この数日間の船員保険組合での様子と、帰り

の電車で父が呟いた言葉を話した。

三人で話し合い、今の状況から父を離すこと

が優先で、心も体も療養させる必要があると

話した。

それには、今の生活環境から隔離することが

必要だということになり、隣町の療養施設に

入院という形で、入所させるのが良いという

結論を出した。

翌日の朝、兄がそれを父に話した。

父は「お前達に迷惑かけてすまない」とだけ

言い、父はうつむいたままだった。


その年も、あと2日を残す12月30日。

僕と兄は自動車の運転免許証を、船の火事で

焼失していたため、二人で再交付の申請に運

転免許試験場に行った。

その年の受付最終日で、翌日から年末休みに

入るということもあり、再交付を受け付ける

窓口には長蛇の列が出来ていた。

まずは紛失届用紙に住所や氏名、それと紛失

した場所や原因を記入をした。

用紙を記入している時に、兄が僕に聞いた。

「おい、紛失場所と原因はなんて書けばいい

んだ?」

僕は「紛失場所は太平洋上で原因は火災だろ」

と答えた。

兄は「そうなのか?もっと詳しく書かないと

ダメなんじゃないのか?」と、僕にまた聞き

返したので、僕は「そうなのかなぁ?わかん

ないから係の人に聞いてみるのが一番だ」と

言い、近くを通りかかった運転試験場の制服

を着た関係者らしき人を呼び止めた。

「あの、すみません。」

その人は振り返り「はい?」と答えた。

「船の火災で免許証を無くしたんですけど、

書き方ってこれでいいんですか?」

そう言いながら記入した用紙を差し出すと、

その人は「もしかして保漁丸の方ですか!?」

と、驚いたように僕らに聞き返した。

僕は「そうです」と応えると、「新聞で読み

ました!ちょっと待っててください」と言っ

て、僕と兄が記入した再交付用の用紙を手に

持ったまま駆け足で申請窓口の横にある扉を

開け中に入って行った。

数分後、その扉からその人が出て来て「船長

さんですよね?お名前は新聞で拝見しまし

た。」と、兄に向かって言った。

兄は「はい、そうですが」とキョトンとした

感じで答えた。

その人は、「用紙預かります。私に着いて来

てください」と言って、二人の用紙を預かり、

歩きだした。

僕と兄は、その人について行った。

行った先は写真撮影と視力検査場だった。

そこにも、長蛇の列が出来ていた。

その人は、列の一番前にいる人に頭を下げな

がら、僕たちの記入した用紙を見せて何やら

説明していた。

少ししてその人は、僕と兄に手招きをして

「さぁ次に写真撮影と検査を受けてください」

と言った。

僕と兄は、並んでいる人達に「すみません」

と言いながら、一番前に行き写真撮影と視力

検査を済ませた。

その人は、僕たちの写真撮影と視力検査が終

わるのを待ってくれていて、免許書用の写真

が出来上がると「写真預かります、待合室で

待っててくださいね」と言い、立ち去った。

待合室で30分近く待った頃、その人が現れた。

「これ、再発行した新しい免許証です」と、

笑顔で、真新しい免許証を僕達に差し出した。

僕が「親切な対応、ありがとうございます」

と、礼を言うと「いえいえ、よく元気で帰っ

てこられましたね。」と、笑顔で言った後

「私も釣りが趣味でね、良く船に乗るんです。

だから何だか他人事じゃなくて。本物の漁師

さんに、こんなこと言うと笑われちゃうけど」

と言った。

出口付近で再度その人に礼を言い、運転試験

場を後にした。

帰りの電車の中で、救助されてからの数日間

の慌ただしさからか、僕は体が重く感じてい

て、重い倦怠感を感じていた。

“遭難してから、ゆっくり休んでいないので

疲れてるのかな?”と思っていた。

自動車の運転免許証と再交付したことで、な

んとなく気持ちが一段落して、何とかこれで

年を越せるという気もしていた。

町から故郷の島に渡る、帰りの海上フェリー

に乗った。

座席に座ってすぐに、海上フェリーのエンジ

ンがかかり、乗客が乗る船内には、にわかに

エンジンの匂いが漂ってきた。

それまで自分でも、自分の異変に気がついて

いなかった。

「おい、お前大丈夫か?」と、兄が聞いた。

僕は「なにが?」と言うと、「それ」と兄は

言いながら、僕の左手を指差した。

僕の左手は小刻みに、明らかに震えていた。

“あれ?なんだこれ?”と思った。

手の震えに、自分でも気が付いていなかった。

「なんだろ?なんで震えてんだ。わかんねぇ」

と、僕は言って誤摩化し、ボーッと窓の外の

海を見て、何も考えていないフリをした。

そのうち、重い耳鳴りのような音が、耳の奥

でするような感じがした時だった。

“怖い”

ふと、心をよぎった感情を感じた。

なんかわかんないけど、エンジンの音も匂い

も、船内の空間も、全てが怖い。

手の震えを押さえるために、右手で左手を抑

えて肩に力を入れたが、体中が震えていた。

一言も喋らずに、島に着くまでずっと、外の

海を見ていた。

喋ると「怖い」と言ってしまいそうで、それ

を口にすると、二度と船に乗れない気がした。

自宅に戻り、食事もせず自分の部屋に入った。

“俺、どうなっちゃったんだろう?”

ベッドに仰向けになり、天井を見つめてた。

いつの間にか、体の震えは収まったが、重い

倦怠感は残ったままだった。

翌日、体が重くなかなかベッドから出ること

ができなかった。

“俺、疲れてるんだな”と思った。

起きてこない僕を心配して、母が部屋に来た。

母や「体調でも悪いの?」と僕に聞いたが、

心配させたくなかったので「疲れが出ただけ

だよ。大丈夫」と答えた。

食欲は無かったが、母を心配させたく無いと

思い、ササッと食事を済ませて、部屋に戻り

ベッドに横になり、目を閉じていた。

いつの間にか眠ったのか、目が覚めて時計を

見ると1時過ぎていて、1993年を迎えて

いた。

重い倦怠感は、その後も続き、何もやる気が

起こらないし、体がすごく重い。

正月が終わり、機関長の葬儀に出席した。

すごく辛かった。

師匠を亡くした悲しみと、船が無くなったこ

とへの不安。

しかし、一番辛かったのは人の噂話だった。

島という小さなコミュニティの中での噂話は

否応無しに、僕の耳に入ってくる。

飛び散ったガラス片のような噂話が、心に突

き刺さった。

抜いても抜いても、ガラスの細かな破片が残

ったまま、心がズキズキと痛む気がした。

そんな噂話を耳にしていると、いつの間にか

“俺が殺したようなもんだ。”

“俺がしっかり機関室を確認していれば、こ

うはなってなかったはずだ”

と、思うようになっていた。

葬儀を終えた数日後、子供の頃から親友で幼

馴染のタマオが帰港した。

タマオは、物ごころついた時からいつも僕の

横にいた。

小学生の時、いじめられるのも一緒。

中学生の時、悪いことをするのも一緒。

彼は中学を卒業してすぐにマグロ船に乗り、

僕は高校に進学した。

僕がマグロ船に初めて乗った頃には、彼はす

でに一人前の漁師になっていた。

僕は、何日経っても、体から倦怠感が抜けず、

人と会うのも面倒だった。

何人かの友達が心配して電話をくれ、遊びに

誘ってくれたが、全て断り部屋にこもり、ボ

ーッとTVを眺めている日々が続いていた。

玄関の開く音がして、階段をドカドカと全く

デリカシーの無い足音が聞こえてきた。

僕の部屋のドアが開くと同時に「兄弟!帰っ

たぞ!」と、大きな声がした。

僕はその声がする方を見ずもせず、TVを見つ

めたまま「誰もお前なんか待ってねぇから、

帰った報告はしなくていいぞ」と言った。

タマオは「ガハハハハッ、死にぞこないが!」

と全くデリカシーの無いことを言って、僕の

肩をグーパンチで、力一杯殴った。

僕は「死にぞこかいって言うんじゃねーよ!」

と言って、力一杯タマオの肩を殴り返した。

これが僕とタマオの、子供の頃からの挨拶だ。

彼の顔を見た時、久しぶりに笑った気がした。

タマオはドカッと腰をおろし、僕に向かって

「よく無事で戻ったな」と真顔で言った。

僕は「ああ」と答えた。

僕はその翌日、一人で船員保険組合に、再度

詳細な機関部の説明に行くことになっていた。

タマオに「明日、保険組合に行かなきゃいけ

ないんだけど。お前一緒に来てくれないか?」

タマオは「なんで?」と、聞いてきた。

僕は「担当の奴が嫌な奴でさ。嫌な質問され

たら殴っちゃいそうで怖いから。殴りそうに

なったら、お前止めて」と、僕が言うと

タマオは「別に用もねぇし、いいぞついて行

ってやる」と答えた。

夜遅くまで、タマオと語り合った。

タマオと一緒にいると、いつの間にか倦怠感

が軽くなる感じがしたが、タマオは僕の話す

言葉に、僕の異変を敏感に感じ取っているよ

うで、何度も僕を慰める言葉を掛けてくれた。

聞くところによるとタマオの乗った船も、僕

達の捜索に向かってくれていたそうだった。

タマオは、僕の部屋からの帰り際「兄弟、心

配すんな。俺がついてる」と臭いセリフを言

って、部屋を出て行った。

翌朝、海上フェリー乗り場に行くとタマオは

すでにそこにいた。

二人でフェリー乗り込み、座席に座った。

エンジンが掛り、エンジンの焼ける匂いが船

客室に漂ってきた。

その匂いを嗅いだ時、また身体が震えだした。

誤魔化そうと腕を抑えつけたが、震えはひど

くなっていく。

タマオは、そんな僕にびっくりしたように

「大丈夫か!?」と聞いた。

自分で自分を抱きしめるような格好で、ブル

ブルと震えている僕の肩に腕をまわし「どう

した!?」と、タマオは言った。

僕は顔を上にあげることができず、そのまま

「笑えるよな。俺、船が恐いんだ」と言った。

タマオは何も言わず、震える僕と肩を組むよ

うな格好で、僕が周りから見られないように

僕をかばいながら、町の港にフェリーが到着

するまで、ずっと僕の肩を抱いていてくれた。

港の駐車場に停めてあった僕の車に乗り込み、

僕の震えが収まるのを、何も言わずに待って

いてくれた。

震えが収まり、車のエンジンを掛けて船員保

険組合の事務所に向けて走り出した。

「お前、我慢しなくていいんだぞ」と、車の

中で、彼は僕に向かって言った。

僕は「ああ」とだけ、気のない返事をした。

船員保険組合に着き、質問を受ける会議室に

通された。

タマオも僕と一緒に会議室に入り、タマオは

僕の後ろのパイプ椅子に座っていた。

その日は、それまで聞きとられた状況説明書

への署名と、判を押すだけだと聞いていた。

少しして、中年の太った担当者と若い担当者

の二人が、会議室に入って来て、僕の目の前

にある机を境にして、二人並んで座った。

若い担当者が、僕に状況説明書に目を通すよ

うに言い、僕は状況説明書を読んだ。

僕がそれを読んでいる時、中年の太った方が

「船頭、大丈夫なの?入院してるらしいけど」

と、すごく嫌味っぽく聞いた。

僕は、その嫌味な言い方にカチンときたが

「大丈夫です」と答えた。

太った中年の方が続けて話し出した。

「しかしあれだけ暴れん坊で有名だった人も、

もうお終いだなぁ」と言うと、若い方が「そ

んなにひどかったんですか?」と、バカにし

たようにケラケラと笑いながら、太った中年

の方に聞いた。

僕は、二人の会話を無視して状況説明書の、

確認を続けていた。

太った方が「そりゃあもう、ヒドイってもん

じゃ無かったよ」と、言った時だった。

ドッカーンと音がして、パイプ椅子が二人の

担当者の後ろの壁にぶつかった。

振り返ると、タマオが立ち上がっていた。

パイプ椅子を投げつけたのは、タマオだった。

タマオは更に、自分の隣にあったパイプ椅子

を持ち上げ、また二人の担当者の方に投げつ

けた。

パイプ椅子は二人には当たらず、二人の頭上

を過ぎて、後ろの壁にぶつかった。

それから、僕の座っている椅子を蹴って

「我慢しなくていいって言ったじゃねーか!」

と、僕に向かって怒鳴った。

それを聞いた時、自然と笑みがこぼれて、す

ごく心が軽くなる気がした。

“そうだよな。こいつらにバカにされて、卑

屈になって我慢する筋合いはない”と思った。

僕は一度、フーッと深いため息をつき、呼吸

を整えた。

目の前の会議室の机を持ち上げ「テメェら、

誰の親父をバカにしてんのかわかってんの

か!」と叫びながら、担当者二人に向かっ

て、持ち上げた机を振り下ろした。

僕の振り下ろした机は、二人にぶつかり、二

人は椅子に座ったまま後ろに倒れ、机の下敷

きになったような格好になった。

すると、後ろに座っていたタマオが、椅子を

持ち振り上げて「こらおっさん!テメェらい

い加減にしろよこら!」と言いながら、二人

の上に被さってる机に向かって投げつけた。

僕は倒れていいる太った中年の方に近づき、

髪を鷲掴みにして顔を上げさせ

「なんだって?もう一回言ってみろ。誰の親

父がどうだって!?」と、睨みつけて聞いた。

中年の太った方は、恐怖で唇を震わせながら

血走った目で僕を見ていた。

「テメェのようなクソに、バカにされるよう

な親父じゃねぇんだよ!」と、僕はそいつに

向かって叫んだ。

「おい!わかってんのか!」と髪をつかんだ

手に力を入れると、太った中年は「はい」と

震えながら答えた。

「クソが!」と僕は言って、髪をつかんだ手

を離した。

タマオを見ると、なぜか若い方の顔を踏みつ

けながら「兄ちゃん男前じゃねーか、もっと

男前にしてやろうか」と言っていた。

僕はタマオに向かって「おい、それ違うくね

ーか?」と笑って言うと「違うかな?へへ」

と、タマオは笑って答えた。

床に落ちた状況説明書を拾い、署名して判子

を押して、二人で会議室から出て船員保険組

合事務所の出口に向かって歩いた。

出口から出た時、サイレンを鳴らしながらパ

トカーが事務所の入り口に止まった。

パトカーから警察官が飛び出し、僕らの横を

中に向かって走って行った。

僕とタマオは、無言で早足で歩き、保険組合

事務所の角を曲がったところで全力疾走で走

って逃げ、近くパチンコ屋に入った。

パチンコ屋に入るとタマオが「どうする?」

と僕に聞いたので「どうするもこうするも、

パチンコしようぜ」と僕が言うと、タマオは

「それもそうだな」と言って笑った。

二人でパチンコをした。

パチンコ屋から出ると、外はすっかり暗くな

っていた。

「これからどうする?」と、僕が聞くと

「お前を連れていきたいところがあるんだ、

ついてこい」と言い、パチンコ屋の前でタク

シーを止めた。

「車があるじゃん」と僕が言うと、「いいか

ら黙って乗れ」と言ったので、黙って言うこ

とを聞くことにした。

タクシーに乗り込むと、タマオは運転手に行

く先を告げた。

「どこ行くんだよ?」と聞く僕を、完全にシ

カトしていた。

タクシーは、静かな住宅地の中にある、一軒

の家の前に停まった。

タクシーから降りると、タマオはその家のチ

ャイムを鳴らし、少ししてから玄関が開いた。

玄関が開くとタマオと僕の中学時代の恩師で

ある、園山先生が立っていた。

園山先生は「二人ともよく来たなぁ!!待っ

てたぞ!」と、顔をクシャクシャにして笑っ

ていた。

「さあ、寒いだろ上がれ」と言い、僕とタマ

オを迎え入れてくれた。

僕達は、居間に通された。

園山先生は、僕が中学2年から卒業するまで、

僕のクラスの担任の先生だった。

この人がいなければ、今の僕は無いと言って

も過言ではないほど、お世話になった先生だ。

中学2年の時、生まれて初めて「お前はやれ

ばできる」と、僕に言ってくれた人で。

“お前は、自分で自分の事が全くわかってい

ない。お前はやればできるんだ”と、僕が問

題を起こす度に、言い聞かせてくれた。

家庭の経済状況の関係で、中学を卒業してす

ぐにマグロ船に乗ると決めていた僕に、高校

進学を進め、母との三者面談の時に

「この子は中学生らしい生活を何一つしてい

ない!お母さんお願いです!この子に学生ら

しい生活をあと3年だけさせてやってくださ

い!」と、言ってくれた。

それから3日間、僕の家に通い奨学金のこと

や手続きの説明をし、母を説得してくれた。

卒業アルバムの片隅に「けいじ、なせば成る

成さねばならぬ、何事も」と、書かれてある

ことを、数十年経った今でも思いだす。

居間に行くと、奥さんがいて、テーブルには

料理が並んでいた。

タマオが奥さんに向かって「すみません、お

世話になります」と挨拶をすると、奥さんは

「主人からお二人のことはよーく聞いてます

よ」と、優しい笑顔で答えてくれた。

園山先生は「俺の教師生活の中で、最強のバ

カ二人だ」と、奥さんに紹介した。

僕はタマオに「お前、これ仕組んだの?」と

聞くと「野暮なこと聞くなバカ!」と言った。

食事をご馳走になった。

食事をしながら園山先生は、僕とタイジが行

ってきた数々の悪さを奥さんに話した。

僕はちょっと緊張していたせいもあり、あま

りしゃべらなかった。

すると園山先生が「こうやって大人しくして

ると、本当にこいつは好青年にみえるだろ」

と、僕を指さしながら、奥さんに聞いた。

奥さんは「ええ、とても」と答えた。

「しかしな、こいつは校長先生の机にうんこ

をするようなバカなんだぞ」と、自分の受け

持った生徒の、一番ダメな素行を、胸を張り

ながら奥さんに自慢した。

その経緯を僕が説明すると、奥さんは涙を流

しながら腹を抱えて笑った。

食事が終わり、お酒が運ばれて来た。

園山先生とタイジは焼酎を飲み、お酒が苦手

な僕は、コーヒーを飲んでいた。

落ち着いた頃、園山先生が「ケイジ、よく無

事で帰ってきたな」と、僕に向かって言った。

僕は「先生、ありがとう」と言った。

タマオが「お前、先生に話したいこと一杯あ

るだろ、話せよ。」と、僕に言った。

僕は黙っていた。

すると園山先生が「ケイジ、いいから何でも

話せ。俺はお前の先生だ」と言った。

僕は少しずつ、今の自分の心の内を話した。

遭難した時のこと、帰ってから受けた色んな

経験、人からの親切と人への不信感、親族か

ら受けた辛い言葉、島での噂話。

僕が、これまでの辛い経験を一通り話し終わ

った後、「先生、俺思うんだ。俺が機関長を

殺したんじゃないかって」と言った時だった。

園山先生の目から涙が溢れていて、泣きなが

ら僕を抱きしめ言った。

「お前は殺したんじゃない!7人を助けたん

だ!これからお前が生きていくうえで、お前

の誇りにしろ!」

その言葉を聞いた時、涙が溢れ出した。

いつの間にか、僕は声を上げて泣いた。


翌日、園山先生に従い船員保険組合に行きお

詫びをした。

別れ際「俺はこれからもずっと、お前達の先

生だからな」と僕に言い「ケイジ、誇りだぞ。」

と言って、僕の頭を撫でた。

僕は「ありがとうございます」と言った。

帰りの車を運転していると「お前、いつまで

も一人ぼっちぶってんじゃねーよバカ」と、

タマオが言いながら、僕の左肩にグーパンチ

を入れた。

信号待ちの間、お返しに「ありがとうな、兄

弟」と言いながら、タマオの右肩に力一杯の

左フック入れてやった。


つづく


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