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Fisherman’s Memoir  作者: 慶次
2/3

フィッシャーマンズメモワール#2

無力


“海の黒いダイヤ”を、追う日々が続いた。

12月24日、クリスマスイブの日だった。

上下カッパに身を包み、長靴を履いて、ヘル

メットをかぶり、マグロを求めるクリスマス。

この時期は夜の訪れが早いため、マグロの釣

れる時間帯も違う。

投縄開始時間5時、終了時間9時半

揚縄開始時間12時30分、終了時間10時30分頃。

10月初旬~3月初旬まで。

日本近海での、本マグロ漁は続く。

西高東低の冬型の気圧配置が、日本列島を覆

う冬本番の時期と重なる。

そのため、海が凪の日は1日も無い。

揚縄中、ブリッジの上に設置されたスピーカ

ーからは、常に音楽が流れていた。

その頃には、乗船1年生ながら、飯炊き兼冷

凍長として、仕事をこなしていたこともあり

先輩の船員達にも、認められてきていた。

この頃から「ボウズ」と呼ばれなくなり、名

前で呼ばれるようになった。

認められてくると、揚縄の作業中に流す音楽

も、リクエストもできるようなる。

僕の大好きな、Rock and Rollを聞きながら

ノリノリで揚縄♪ノリノリでマグロ獲る♪

ブリッジの操縦席の後ろにカセットプレイヤ

ーがあり、そこに自分の好きな曲が収録され

たカセットテープを置いておく。

船員、それぞれ好きな音楽のジャンルが違う。

揚縄中、船頭はいろんな音楽を流してくれた。

八代亜紀→ザ・ローリングストーンズ→北島

三郎→矢沢永吉→都はるみ→オフコース。

こんなローテーションで、音楽が流れてくる。

夕食が終わり、片付けをして揚縄に参加しよ

うとカッパの上下に長靴着て、野球用のヘル

メットをかぶり揚縄に参加した。

ブリッジを横切って、甲板に出ようとした時

音楽が止んでいるのに気がついた。

船頭は、忙しそうに近場で漁をする他の船舶

と無線で連絡を取っている。

僕は音楽を掛けようと、ブリッジのドアを開

け、カセットテープを入れてある箱の中から

佐野元春を探した。

「今日は、クリスマスソングでしょ。」

佐野元春“クリスマス・タイム・イン・ブル

ー”をセットし、再生ボタンを押した。

スピーカーから、鐘の音が流れ始めて、僕は

甲板で揚縄に加わった。

“雪のメリクリスマタイム♪”と

レゲェ調の、クリスマスソングが鳴った瞬間

ドン!ドンドンドン!ドドドドドドドド!!

と、拳大の雹が降りだした!

雹が降りだすと共に、落ち着いていた海が

急に荒れ狂いだした。

雹は容赦なく、ボコンボコンと体に当たった。

ゴンゴンゴンと、ヘルメットに雹が当たる。

雹が降る勢いがあまりにも酷く、危険だった

ため一時揚縄中止となった。

全船員、船首の屋根のある部分に避難した。

「テメェがこんな曲なんか掛けるからだ!!」

と言う叫び声と共に、久しぶりの右回し蹴り

をケツに喰らいました。ボースンです。

ズンチャカ♪ズンチャカ♪というレゲェ調の

クリスマスソングが、雹の降る荒れ狂った海

の上に流れ続け、なんともシュールなクリス

マスイブ。

曲が終わった瞬間、ピタリと雹が止んだ。

海は荒れ狂ったままだ。

「来たぞぉぉぉー――!!!」という叫び声。

魚倉の入り口に、しがみつく。

波が、ドッカァァァァーーーーーーン!!!

打ち込んで来た波が引き、揚縄が再開された。

それ以降、佐野元春の、その曲が流れること

は2度と無かった。


航海を終え、故郷の港に戻った。

宮城県の気仙沼市に入港し、彼女に電話した。

「もうすぐ帰るから」と言う僕に「うん」と

だけ彼女は返事をし、喋り辛そうな感じだ。

いつもは「やっと会えるね!」と、喜ぶのに。

「なんか微妙なリアクションだな」と思った。

故郷の港に戻り、夜になり彼女に電話した。

「今から会いに行っていいか?」と僕。

「うん」と彼女は答えた。

彼女の家に行った。

彼女の部屋に入ると、彼女の様子はヨソヨソ

しく話し掛けても、上の空という感じだった。

何かを言いたいが、言い出せない感じの彼女。

その感じを察知して「どうした?」と聞いた。

「あのね・・」と前置きをし、遠い目をして

すごく言い辛そうに「もう待てないよ」と

ポツリと言った。

彼女は高校を卒業した後、街の会社に勤め

OLをしていた。

「好きな男でも、できたのか?」と聞いた。

「ううん、違うよ。」と彼女。

僕は、彼女の次の言葉を待った。

時計の針の、時を刻む音だけが聞こえた。

彼女は下を向いたまま

「普通の人と付き合いたいの」と、言った。

僕は何も言えずにいた。

“普通の人”という言葉が、ズシンと僕にの

し掛かった。

「そうか」と言うのが、やっとだった。

確かに僕は、何ヶ月も沖にいる。

会えるのは、1年に数回しかない。

「俺の生き方は、普通じゃないのか?」と

自分に問いかける。二人に静寂の時が流れた。

考えても仕方がないことだし、俺の生き方を、

変える事はできない。

「そうか、わかったよ。」と言って、彼女の

顔を見た。彼女の瞳から、涙が落ちていた。

「じゃあ、俺帰るな」と言って、立ち上がり

部屋を出ようとした僕に「ごめんね」と

彼女は言った。

僕は「謝るなよ。お前は何も悪くない」と

強がるのが、精一杯だった。

彼女の家を出た。

彼女の“普通の人と付き合いたいの”という

言葉が、ずっと耳に残っていた。

その言葉を、理解しようすればするほど

その言葉は、僕に重くのしかかった。

自宅に戻り、部屋に入った。

灯りは付けずに、CDプレイヤーのスイッチを

押した。プレイヤーの灯りで、部屋は薄明か

りになった。

考えた。そして、言い聞かせた。

彼女はまだ、19歳の女の子。

同僚や歳の近い友達は、いつもそばにいる誰

かと付き合い、週末は一緒に映画に行ったり

食事をしたりと、“普通”のデートをしてい

るんだろう。でも、僕にはそれが出来ない。

俺の生き方は、そうしてあげられない。

なぜなら、僕は遠洋マグロ漁船の漁師だ。

いつ帰ってくるかもわからない。

生きて帰ってくる、保証もない。

1週間もすれば、また出港して行く。

優しい子だ。会えない間、苦しんだのだろう。

だから、その苦しみを受けとめようと思った。

それが、俺にできる最大の優しさのように思

えた。

オーディオからは、賑やかな曲が流れていた。

僕は一枚のCDを取りだし、CDプレイヤーに

セットをして、プレイボタンを押した。

矢沢永吉のSo Long。

“お前の、明日からのためになら。愛したこ

とさえ、忘れよう“

辛く切ない、19歳の春だった。


陸ににいる間、ずっと遊んでいた。

1週間振りに、実家に帰った。

翌日には出航だ。

僕の顔を見た母親が「あら、見慣れない人が

いる」と言い「飯食べるだろ?家に寄り付き

もしないで遊び呆けて!」と、母親は小言を

言った。

食事をしに居間に行くと、船頭と初対面の男

の人が座って食事をしていた。

船頭が「この航海から、うちの船に乗る吉田

マサル君だ」と、その男の人を僕に紹介した。

「この人、漁師の匂いがしねーな」と思いな

がら「どうも」と、僕が挨拶すると「初めま

して、よろしくお願いします!」と、マサル

君は、とても元気よく挨拶した。

「マサルは初航海だからな、面倒見てやれよ」

と、船頭は僕に向かって言った。

後輩ができた!!!

「よろしく。何歳なの?」と僕が聞くと、マ

サル君は「24です」と答えた。

やっぱり年上か、年上の後輩って微妙。

出された食事を流し込むように食べ

「船に積む荷物はあるの?」と、聞いた。

母が「家の前のリヤカーに荷物積んであるか

ら、それ船に持ってって」と、僕に言った。

僕は「わかった」と言い立ち上がると、マサ

ル君が「僕、手伝います!」と言って、僕と

一緒に立ちあがった。

おお!後輩君!!良い心がけではないか!!

清々しいじゃないか!!

家を出て、荷物の積まれたリヤカーを僕が押

そうと持った時、マサル君が「僕がやりま

す!」と言って、僕が持とうとしたリヤカー

の取っ手を、奪うように取り上げた。

僕はマサル君が押す、リヤカーの横を歩いた。

マサル君が「僕、自衛隊のレンジャー部隊に

いたんですよ!」と、話はじめた。

「マグロ船ってキツイって聞いたんですが。

僕、レンジャー部隊で鍛えてるんで、少々の

ことではビクともしないですから」と言った。

「そうなの?しかしあんた声でけぇな。」と、

くわえタバコに、偉そうな態度で僕は言った。

かなりの先輩ヅラだ。

「すみません!」と、マサル君は、またデカ

イ声で答えた。

「あのさ。あんた年上なんだから、俺に敬語

使う必要ないよ。俺も敬語使わないし。」と

僕が言うと「上下関係無いんですか?」と

また敬語で聞いた。

「上下関係はあるけど、船頭と機関長に対し

てだけだよ。敬語使うの。マグロ船は仕事が

出来る奴が偉いんだよ」と、僕が言うと

「へぇ~実力社会なんだぁ。僕にピッタリだ

なぁ」と、なんだか満足気なマサル君だった。

船に着くと、すでにボースンが船にいた。

出港の準備をしている。

リヤカーから荷物を下ろし、船に積み込んだ。

「ボースン、この人どこの寝台なの?」と

僕が聞くと「お前が今使ってる寝台だよ」と

ボースンは言って、ニヤリと笑った。

その“ニヤリ”の意味は、初航海の時に

嫌と言うほど味わった。

居住区のドアを開けて、真正面の寝台のため

引きずり出しやすいのだ。

それを聞いた僕も、“二ヤリ”とした。

僕の寝台は、マサル君と同じ部屋の、奥の上

の寝台だった。ちょっと出世した気分だった。

マサル君を、寝台に案内した。

寝台を見たマサル君は「せまい!」と、また

デカイ声で言った。

マサル君は、身長が180㎝位あった。

足を曲げないと、身体が寝台に収まらない。

僕は、自分の寝台に行き、布団と自分の荷物

を置いた。その時、寝台の異変に気がついた。

「なんだ!?寝台にTVとビデオがある!」

下の寝台を見ると、同じようにTVとビデオが

設置してある!

ボースンのところに行き「寝台にTVとビデオ

があるんだけど!?」と言うと。

「全部の寝台に設置したんだ」と、言った。

なるほど!だから、実家に大量のビデオ

テープがあったのか!

母親が、僕らが航海に出ていた間、色々な

TV番組を録画してくれていた。

すげぇ!なんだ、この満たされた感じは!?

彼女には、フラれちゃったけどね!!


出港の時間が近づいた。

出港する時、ブリッジ上のスピーカーから

大音量で音楽を鳴らす。それが出港の合図だ。

僕はブリッジに行き、カセットプレイヤーに

カセットを入れ再生ボタンを押した。

矢沢永吉の“バイバイ・サンキュー・ガール”

失恋して出港する僕に、ピッタリの曲だ!

船には、無事を祈る五色のテープが繋がれ

船員達は岸壁にいて、それぞれの家族と、ひ

と時の団欒を楽しんでいる。

幼子を抱きしめる人、奥さんと話す人。

「出すぞ!」という、船頭の掛け声と共に

全船員が船に乗り込んだ。

岸壁にロープを外すため、祖父が立っていた。

船と岸壁を繋ぐロープが緩められ、船が岸壁

から離れ、祖父は係留索からロープを外した。

出港だ!!!

船員は、サッサと機敏に、接岸用のロープや

坊弦柵を、手際良く船首甲板の倉庫に納める。

マサル君は、それを見ているだけだった。

そんな、マサル君を見て「一年前、俺もあん

な感じだったなぁ」と思った。

海は凪で、そよそよと春の風が吹いていた。

船が港内からでると、船は揺れだした。

マグロ船特有のローリング&ピッチング。

マサル君を見ると、その揺れに逆らいながら

他の船員とは逆方向に体重移動をし、船の揺

れに抵抗しているように見えた。

「ありゃ30分もすると気持ち悪くなるぞ」と

僕は思った。

しかし、それを教えても理解できない。

無意識に体が反応してしまうのだ。

頭で理解できても、体は言うことを聞かない。

一年前の僕も、そうだった。

片付けが終わると、船頭が僕を呼びとめた。

「この航海だけお前が飯炊きしろ、マサルが

マグロ船が続くようだったら、次の航海から

飯炊きをさせる」と、マサル君を指さして

僕に言った。

それは想定していたので、驚きもしなかった。

その航海は、総員8人での出港だった。

時計を見ると16時前だった。

僕の当直は18~20時なので、まだ時間がある。

今寝てしまうと、夜眠れない。

当直の時間まで、寝台のTVでビデオを見た。

ビデオは最高だ!

出港した当日の夕食は、幕の内弁当なので

夕食の用意をする必要はない。

17時30分、僕は弁当を食べてから当直に行こ

うと食堂に出た。

テーブルの上には、弁当が4個残っていた。

弁当を食べて、ブリッジ行き当直についた。

当直が終わり、寝台に戻ろうと船尾の船員室

を通り、食堂のテーブルを見ると、テーブル

の上に、弁当が一つ残っていた。

マサル君の弁当と言うことは、明らかだった。

翌朝、朝食を作ろうと6時半に起きて、寝台

から船員食堂に出てみると、その弁当はまだ

テーブルの上にあった。

その翌々日、仕事の日。

船員が朝食を済ませて、作業の準備に入った。

僕は朝食を済ませ、片づけをして昼食の準備

をして、仕事に加わった。

あれ?一人足りないんじゃない?と思った。

マサル君の姿が見えない。

怪物君に「あれ?新人が出てきてないよね?」

と言うと、怪物君は「そうだな」と言った。

「起してこようか?」と言うと、それを聞い

ていたボースンが「寝かしとけ」と、僕に向

かって言った。

へっ!?寝かしとけ!?

僕、髪を鷲掴みにされて、寝台から引きずり

だされましたよね??

驚いたような顔でボースンを見てると、ボー

スンは僕に向かって「どうせ“お客さん”だ

ろ、無理させんな」と言った。

当時マグロ船には、高給と漁師というロマン

に憧れて、乗船してくる人は少なくなかった。

しかし、そういうロマンに憧れた人は、大体

1航海でマグロ船を辞めていく。

そういう人のことを“お客さん”と呼んだ。

「お客さんなら、仕方ないね」と僕は言って

怪物君と談笑しながら、作業を続けた。

出港して3日目の朝。

いつものように賄いの片付け後、僕が仕事に

加わると、顔面蒼白で頬のこけた、マサル君

の姿があった。

マサル君に「大丈夫?」と声を掛けた。

マサル君は「大丈夫、もう慣れたから」と答

えた。しかし、顔面蒼白で血の気が全くない。

全然大丈夫そうに見えなかった。

正午、仕事が終了し、僕は用事を済ませて

賄いの片付けようと、食堂に行った。

テーブルの上には、昼食のチャーハンが

二皿残っていた。

一つは僕の分で、一つはマサル君の分だろう。

僕は、マサル君の寝台に行きカーテンを開け

「マサル君、ご飯食べたの?」と、聞いた。

マサル君は、寝台の電灯を付け

「気持ち悪くて食べれない」と、答えた。

僕は「気持ち悪いのはわかるけど、食わなき

ゃずっと気持ち悪いままだぞ」と言った。

すると、マサル君は「あとで食べるから」と

怪訝な顔で、僕に言った。

「今食べろよ。あんたが食べねぇと、俺の片

付けが終わらないんだからさ」と言った。

マサル君は、面倒臭そうに「うん」と答えた。

「どうせ気持ち悪いだったら、食べて気持ち

悪くなる方が楽なんだよ。俺もあんたと同じ

思いしたんだ。騙されたと思って、食べて見

なよ。少し楽になるからさ。」と言うと

マサル君は「わかった」と言って起き上がり

僕と一緒に昼食をとった。

マサル君は、チャーハンを二口食べてウッと

なり、船尾甲板の階段を駆け上がって、外に

出て行った。

数分して戻ってきて、そのまま部屋に入ろう

としたので「ちょっと待て!!もう一回食べ

て。今のもう一回やってみな」と、僕が言う

と、マサル君は「無理」と答えて部屋に戻ろ

うとした。

「無理じゃねぇ!言うこと聞け!食べろ!」

と、僕が声を荒げると、ムッとした顔で腰を

おろしチャーハンを食べは始めた。

「全部食べろよ。食べなかったらブン殴るぞ」

と言って、食事を済ませた僕は、船員室に入

り寝台に横になった。

すると寝台の下からパン!パン!パン!と

音が聞こえる。

下の寝台の電灯が付いていて、カーテン越し

にシルエットが映し出されている。怪物君だ。

僕は怪物君の寝台のカーテンを開けて

「またやってんの!?」と聞くと

「ばかやろ~!!爪で背中ガリッだぞ!!」

と、いつもの返事。

「背中に爪跡ついてるの、みたことねーぞ!」

「ばかやろ~!!俺は一日で治るんだよ!!」

と、平気な顔をしてウソをついた。

「強めにやんないと、ガリッて無理なんじゃ

ない?」と、煽ってみた。

それを聞いた怪物君は、渾身の力を込めて

濡れタオルを、イチモツに向け振り下ろした。

パァァァァァァァァン!!!

良い音がした瞬間、怪物君の顔がゆがんだ。

「あれ?痛いの?今、痛かったんでしょ!?」

「ばかやろ〜!痛くねぇよ!!ばかやろ〜!」

と、痛みで歪み、引きつった笑顔の怪物君。

それ以来、怪物君は僕の目の前で、パンパン

パンをしなくなった。

翌日、マサル君の顔色は元に戻っていた。

「いやー船酔いって結構キツイんだなぁ!!」

と、デカイ声で言っている。

仕事中、マサル君は大声で話し続けていた。

「僕、自衛隊のレンジャーにいたんですよ!」

「相当鍛えたから、船酔いが治れば大丈夫!」

と、“元レンジャー部隊”を、強調していた。


出港して12日目、船は一回目操業をむかえた。

一回目操業の揚縄が終わり、マサル君を見た。

あきらかに、疲れた顔をしていた。

二回目操業の揚縄の時、マサル君は魚倉の上

に座り込み、動こうとしない。

「商売!!」

僕は、枝縄を受け取った。

その頃には、僕は枝縄を持った感覚で、何が

釣れているのかわかるようになっていた。

「サメだ」と言うと、怪物君が鉤を構えた。

船にサメが上げられ、生きていて暴れている。

ある先輩が「おい、サメ殺せ!」と、マサル

君に言った。すると、マサル君は首を振りな

がら、明から様に面倒臭そうな顔をした。

その、面倒臭そうにしているマサル君の顔を

見た先輩が、マサル君をドヤしつけた。

「てめぇ!なんだその顔は!なんか文句でも

あんのか!」と。

マサル君は「文句なんかねーよ!」と、先輩

に対して、怒鳴り返した。

当たり前のことだが、誰でも怒鳴られたり、

怒られると、嫌な気持ちになる。

マサル君にとっては、全てが初めての経験で

馴れない長時間の労働に、疲労もストレスも

相当溜まっていたのだろう。

何かに怒りを打つけなければ、自分が壊れて

しまいそうになる。僕も経験したことだ。

そんな気分の時、ボースンに良く言われた。

「怒る元気があるなら、もっと動け。働け。」

しかし、その時のマサル君は、完全に自分を

見失っていた。

怒鳴りつけた先輩に、殴りかかって行った。

マサル君の身長は180㎝を超え、元レンジャ

ーと言うことは、格闘技もやっていただろう。

先輩船員との身長差は、かなりあった。

二人は、取っ組み合いの喧嘩を始めた。

前にも書いたが、船には病院は無い。

医療従事者もいない。

小さな怪我が、死に繋がることがあると

僕は教わっていた。

ラインホーラーが止まり、揚縄が中断した。

止めなければと、僕は思った。

マサル君の着ているカッパの後ろを、右手で

持ち力の限り引き離した。

するとマサル君は、僕の足元に転がった。

マサル君はビックリした目で僕を見ながら

僕に向かって「お前、何するんだ!」と怒鳴

り、今度は僕に殴りかかって来た。

キックボクシング経験者の僕は、向かってく

るマサル君を交わし、左ミドルキックをマサ

ル君の右脇腹下部に決めた。

マサル君は、脇腹を押さえ蹲った。

揚縄の甲板には、武器になるものは沢山ある。

蹲るマサル君に向かって、マグロ解剖用の包

丁を投げつけ、僕も右手に包丁を持った。

「その包丁持て。そんで俺にかかってこい。

子供の喧嘩じゃねぇんだ、大人の喧嘩やろう

じゃねぇか」

そう言って、マサル君を睨みつけた。

マサル君は唖然とした顔で、僕を見ていた。

誰も何も言わないし、止めようともしない。

甲板は静まっていた。

皆は、僕が何をしたいのかを理解していた。

マサル君は包丁を持つことなく、うつむいた。

僕は、マサル君に近づき

「ここは船の上だ、舐めたことすんじゃねぇ。

病院も無いし医者も居ねぇんだ。ちょっとで

も誰かに怪我させてみろ、間違ったらテメェ

人殺しになんだぞ」と言った。

僕は持っている包丁を置き、マサル君に

「どうせ疲れるんなら、気持ちよく疲れた方

が良くねえか?」と言った。

マサル君は「はい」と言って立ちあがり、さ

っき揉めた先輩ところに行き「すみませんで

した」と、謝罪をした。

先輩は「わかった。俺も怒鳴って悪かったな」

と言った。

揚縄が再開された。

その出来事も、操業を重ねる日々の中で、忘

れられていった11回目の揚縄の時だった。

上原さんという先輩がいた。年齢は38歳。

今の僕より、若い事になる。

色黒で、身長が高く、ガッシリした体系の

優しい海の男で、結婚はしていなかった。

僕が初めて乗った時から一年以上、苦楽を共

にしてきた仲間だ。

上原さんは凄く優しい人だった。

寡黙で、声を荒げたり怒ることも無かった。

僕が、ボースンや船頭に怒られた時

「あれだけ殴られたら、誰でも弱音吐くのに。

お前は一切弱音を吐かない、大したもんだ」

「初めてマグロ船に乗ったとは思えないな!

お前、即戦力だ。」と、新人の僕をただ一人

褒めてくれ励ましてくれた人だった。

そんな上原さんは、大酒飲みなのだった。

大酒飲みと言っても、酒を飲んで酔っ払って

暴れたりすることは無く、酔いに揺られてい

るのが好きな人だった。

とにかく酒が大好きで、コーヒーを飲むみた

いに、マグカップに並々とウィスキーを注ぎ、

キューっと半分近く一気に飲み、後はチビチ

ビと飲んで、酔ってくるのを楽しんでいた。

漁師に酒飲みは多いが、あれほどの酒好きは

今まで見た事が無い。

よく船頭に「お前、飲み過ぎだぞ。体壊すぞ」

と説教をされていた。

その日、投縄が終わり、友船ともぶね

会合をした。

友船とは、仲間の船という意味で、一般的に

は“僚船りょうせん”と呼ばれる。

会合とは、船同士の物々交換をいう。

会合で、スイカを貰った。

揚縄中、僕は夕食を済ませて、夜食の支度を

し、夕食のデザートにと思い、会合で交換し

たスイカを切り分けて、揚縄に持っていった。

その日は無風状態で、投光器に照らされてい

る甲板の気温は、極めて高かった。

揚縄を続けながら、船員は交代で休憩をとり

スイカを食べた。

上原さんも、他の船員と一緒に談笑しながら

スイカをおいしそうに食べていた。

揚縄は順調に進み、上原さんは船尾に、枝縄

が収められたカゴやウキを仕舞いに行った。

左舷側の船尾まで伸びたベルトコンベヤーが

回りだし、ベルトコンベヤーに載せられたカ

ゴとウキが船尾に送られて行く。

ベルトコンベヤーが止まった。

僕は、いつものように揚縄に参加し、ブラン

リールで枝くりをしていた。

船尾にカゴを収めに行き、甲板に戻って

全員にタバコを付けるのが決まりだった。

上原さんが船尾に行ってから、數十分が経っ

た頃、船頭が窓から顔を出して、マサル君に

声をかけた。

「上原が戻ってないぞ!マサル、見て来い!」

マサル君は、甲板からブリッジの横の階段を

上がり、船尾に駆け足で行った。

少しして、マサル君が血相を変え甲板に戻り

「上原さんが倒れてます!」と、叫んだ。

船のエンジンが停止し、幹縄を巻き上げるラ

インホーラーが止まった。

船頭が、ブリッジから飛び出して行った。

船頭に続き、僕や他の船員もそれに続いた。

上原さんは、船尾に仰向けに倒れていた。

仰向けに倒れた姿を見て「マズい」と思った。

学生時代、救急救命の講習を受けた時

人が倒れる時、大体場合、前のめりに倒れる。

人間の骨格は、前方にしか曲がらないからだ。

しかし後ろ側、すなわち仰向けに倒れた場合

倒れた人は無意識のうちに倒れた可能性が高

く、仰向けに倒れた場合は、生命に関わる疾

患の可能性が高いと教わっていた。

顔色を見ると、色黒の顔は青黒くなっていた。

船頭が「上原!」と声を掛けたが、上原さん

は全く反応しなかった。

船頭は、上原さんの頬っぺを何度か叩いた。

反応が無く、白目を剥いている様に見えた。

船頭が「無線で、陸の緊急連絡をする!ケイ

ジ!救命措置しろ!」と僕に言い、ブリッジ

に駆けて行った。

僕は手袋を取り、上原さんの口と鼻のところ

に手を当てて呼吸の確認をした。

呼吸は、確認できなかった。

心臓の音を聞いた。

しかし、エンジン音と振動が邪魔をして、心

臓の音が確認できない。

上原さんの体を通じて、エンジン音が僕の耳

に伝わってくる。

脈拍を確認しようとしたが、やはりエンジン

の振動が、上原さんの首や手首から伝わって

来て確認ができない。

機関長に「エンジンを止めてもらえますか?

心臓の音が聞こえないんです。」と言った。

機関長は、機関室に走った。

マサル君に「懐中電灯持ってこい」と言うと

マサル君は、ブリッジに走った。

マサル君が懐中電灯を持って来た。

僕は懐中電灯を使い、上原さんの閉じている

目を開けて、瞳孔を確認した。

上原さんの瞳は白く濁っていて、懐中電灯の

光を当てても瞳の中心が動くことは無く、瞳

孔は開いているように見えた。

エンジンが止まり、船の振動は無くなった。

胸に耳を当てたが、心臓の音は聞こえない。

「上原さんのカッパと上着を脱がせて!」と

僕が言うと、兄が上原さんの履いているカッ

パと上着を脱がせた。

改めて、口と鼻に手を当て呼吸を確認したが

呼吸をしていなかった。

僕は、人工呼吸用のマウスピースをブリッジ

に取りに走った。

ブリッジに行くと、船頭が日本船舶医師会へ

の、緊急無線連絡を繰り返していた。

人工呼吸用のマウスピースを救命道具箱から

取り出し、クッションを持って船尾に戻った。

僕は上原さんの気道を確保しようと、クッシ

ョンを丸めて上原さんの後頭部の首の付け根

にクッションを入れ、顎を頭方向におして口

を開けてマウスピースを口に差し込こんだ。

兄に「心臓の部分を強く押してくれ」と言い

心臓マッサージのやり方を教えた。

上原さんのマウスピースに口にあて、息を吸

い込み、マウスピース伝いに息を吹き込んだ。

息を吹き込むと、肺の辺りが膨らんだ。

マウスピースから口を離すと、膨らんだ肺が

萎むと共に、口からは空気が漏れた。

漏れてくる空気には、全く意思が無かった。

兄に「力一杯押して」と言い、ボースンに

「耳元で、声をかけてやってくれ」と言った。

ボースンが上原さんの耳元で「上原!」と、

何度も声をかけた。

それを、何度も何度も繰り返した。

船頭がブリッジから船尾に来て「どうだ!?」

と聞いた。

救命措置を始めてから、どのくらい時間が経

ったのか、全くわからなかった。

僕が「意識がありません」と言うと、船頭は

「続けろ」と言って、またブリッジに戻って

行った。

僕は、人工呼吸を繰り返し続けていた。

僕の顔から、上原さんの顔に汗が落ちた。

上原さんの顔に落ちた汗の粒は、人間の皮膚

の上に落ちた感じではなかった。

まるで、無機質の物体に落ちたみたいだった。

それは、人間とは違う、全く意思をもたない

物体に思えた。

それを見た時、「死んだ?」と思った。

しかし、声には出さなかった。

それから、30分位経った頃、船頭が再度船

尾に来て、改めて「どうだ?」と僕に聞いた。

僕は、かぶりを振るしか出来なかった。

船頭は、「替われ」と僕に言って、上原さん

の横に屈むと、閉じた目を開き、呼吸を確認

し心臓の音を聞いた。

そして「ダメかもな」と、ポツリと言った。

さっきまで、一緒に仕事をして、スイカを食

べ、笑ってた人が、突然亡くなった。

僕は「夢だろ?」と思った。

「そんな簡単に人が死ぬ訳ないよ、さっきま

で元気だったんだ。嘘だろ?」

僕は心の整理が付かずに、その言葉を繰り返

し頭の中で連呼していた。

マグロ船に乗って、約1年が過ぎた。

毎航海、必ず誰かが怪我をした。

しかし、これまで事なきを得て来た。

皆、怪我の大小に関わらず“生きて”いた。

だがそれは、もしかしすると生と死のスレス

レのラインを、歩いていただけかもしれない。

しかし、どんなにスレスレであろうと、必ず

生の方に歩み、最後には笑い合う日が来る。

そう信じていた。

それまで、他船で怪我や病気が原因で、船員

が亡くなる事故を何度か聞いたことがあった。

自分の乗っている船ではなかったため、話を

聞いても実感もなく、全く他人事だった。

まるで、雷を安全な場所で聞いているかのよ

うに。遠雷を聞くが如く、自分は安全な場所

にいると思っていた。

「俺の乗った船は何があろうと大丈夫さ、絶

対に誰も死にはしない」と、何の根拠も無く

本気で、そう思い込んでいた。

しかし本当は、死はすぐ側にあり、僕たちは

常に、その危険に晒されていた。

そして、人を助ける術も方法も、僕たちは持

ち合わせていないことを、知らしめられた。

横たえている上原さんを見ながら、心の中で

絶望感と恐怖心とが交差した。

呆然となる全船員に船頭が

「上原をブリッジに運べ、とにかく縄をあげ

よう」と、声をかけた。

あまりにも突然で、悲しむ余裕も無かった。

怪物君が「ケイジ、上原さんの肩の方を持ち

上げろ。俺が足を持つから」と、僕に言った。

上原さんの体を持ち上げると、すでに死後硬

直が始まっていた。

それは、持ち上げた感覚でわかった。

上原さんをブリッジに運んだが、ブリッジの

ドアは小さいため、一度入れると二度と出せ

なくなると思った。

僕が船頭にそれを言うと

「そうだな。毛布を敷いて機関室の通路に横

にしといてやれ」と言った。

ブリッジ後方に、機関室に通じる通路がある。

その通路に上原さんを運び、毛布を敷いてそ

の上に横たえた。

怪物君が、タオルで上原さんの顔を覆うよう

にと、タオルを持ってきた。

僕はそれを止めた。

怪物君は、黙ってうなずいた。

「もしかしたら今は眠っているだけで、その

うち笑顔で、よく寝たって起きるかも?」

僕は、そんなことも考えた。


揚縄中、船頭と機関長が話し合っていた。

揚縄が終わり、二番魚倉に入っている餌を

全て海に捨て、二番魚倉を空っぽにした。

空っぽになった二番魚倉に、上原さんを入れ

るように船頭から指示が出た。

帰港まで、腐敗をしないよう上原さんの遺体

を、冷凍保存するのだ。

二番魚倉に上原さんを運ぼうとした時

船頭が「上原の体を洗ってやれ」と言った。

僕と兄と怪物君の三人で、上原さんを洗った。

上原さんの体は、固まっていた。

やっぱり、死んだんだ。

その時、僕の心は無だった。

何も考えられないし、感情も沸いてこない。

今思えば、心を無にするしか、方法が無かっ

たのかもしれない。

体を洗い、遺体を二番魚倉に運び入れた。

木材で上原さんを囲い、棺桶を作った。

僕は、上原さんの好きだったウィスキーを、

枕元に置き、転がらないように瓶を縛った。

二番魚倉の扉は、固く閉じられた。

揚縄が終わり風呂を終えた後、船頭にブリッ

ジに来るように言われた。

ブリッジに行くと、兄と船頭がいた。

船頭が「母ちゃんが、上原の家族に事情を説

明した。船首の魚倉が一杯になるまで、操業

をして良いという許可をもらった」と、悲痛

な表情で僕達に言った。

母は、上原さんの家族に土下座をしてお願い

したと帰ってから聞いた。

僕と兄は、その意味を良く理解していた。

前の2航海、水揚げ高は芳しくなかった。

マグロ船を経営する、家に生まれ育った。

水揚げ高が、家計を直撃することを、子供の

頃から嫌という程思い知らされて育った。

母が金を羨む姿に、心を痛めた事もあった。

そして、いくら船の全権を持つ船頭が決めた

方針だとしても、非常事態である。

船員の心の負担は、相当なものだろう。

船員が働かなければ、操業は出来ない。

僕と兄は話し合い、翌日船員一人一人に事情

を説明し、働いてくれるよう説得することに

した。

その日、寝台に入った僕は

「なぜ、異常に気付いてやれなかったのか?」

そればかりを考え、一睡もできなかった。

翌日、船は休みを取った。

兄と二人で、船員一人一人に事情を説明し、

航海を続ける許可を貰った。

マサル君を除く、他の船員は快く引き受けて

くれた。

マサル君は、無理もない。

初めて乗った航海で、人の死に直面したのだ。

あの光景を直面し、自分はああいう死に方は

したくないと思ったに違いない。

マサル君は、投縄も揚縄も拒絶し、寝台から

出てこなくなった。

翌日から、6人で休み無く操業をした。

一度だけ、マサル君の寝台に行き

「なあ、仕事してくれよ」と言ったが

マサル君は、僕に背を向けて「ごめんなさい」

と言うだけだった。

それ以来、何も言わなかった。

操業15回で、船首甲板の魚倉は埋まった。

二番魚倉を除き。

船は、帰港を開始した。

その帰港中は、どの航海よりも長く感じた。

船は、水揚げはせずに、郷里の港を目指した。

入港する前日、上原さんが眠る二番魚倉の冷

凍を止めた。

その夜、遺体の確認をするため、船頭が魚倉

に入って行った。僕も入ろうとすると「上で

待ってろ」と言われた。

魚倉の中は小さな電灯で照らされ、上からは

船頭の影が見えた。

影は小刻みに、揺れていた。

「上原、帰ってきたぞ。ごめんな、ごめんな」

と、声が聞こえた。

翌朝5時過ぎ。船は夜明けに、港に入港した。

船の甲板部分は青いビニールシートで覆われ

外部からの視覚を遮断していた。

岸壁に、上原さんのお姉さん夫婦と、母と親

方が来ていた。

船の隣に、海上保安庁の巡視艇が繋がれた。

海上保安員に、全船員下船許可が下りるまで

船から降りないよう言われた。

上原さんの遺体を、二番魚倉庫から出して

甲板に横たえ、検視官による検視が行われた。

検死官は、遺体に外傷が無いかを念入りに確

認し、心臓の辺りを触診で確認した。外傷は

無く「心筋梗塞ですね」と、告げられた。

陸から、棺桶と白装束と清水が運び込まれた。

船頭と僕と兄、それと上原さんのご遺族とで

上原さんの体を清水で洗い、白装束を着せた。

綺麗になった上原さんを、棺桶に収めた。

そして、手に六文銭が書かれた紙を持たせ

棺桶の蓋を閉じた。

上原さんの入った棺桶が、陸に上げられた。

上原さんのお姉さんは、棺桶を撫でながら

「お帰り」と言って、泣き崩れた。

共に笑いながら、帰ってくるはずだった港。

その時、全船員が船友を亡くした悲しみと

助けられなかった悔しさに、打ちのめされた。

堪えてきた気持ちが噴き出し、全員で泣き崩

れた。



夕影の島


僕の乗る船からは、4人の船員が去った。

一人は亡くなり、三人は他船に移っていった。

船乗りはゲンを担ぐ。

事故を起こしてしまった船は、忌み嫌われる。

それが死亡事故ともなれば、尚更のことだ。

“板子一枚、地獄の底”

抗うことのできない、大自然が相手。

すがることも、頼る場所もない大海原が職場。

何かことが起これば、残された者は祈ること

以外はできない。

前時代的と言われるかもしれないが、愛する

者達が危機に瀕している時、神にすがり祈る

しかないのだ。

残った船員は4人。

船には、最低でも船員8人が必要だった。

7人で出漁する船もあるが、船員1人に掛る

負担は相当なものだ。

死に直面し、改めて命の儚さを思い知った。

しかし、悲しんでばかりはいられないことも

事実だった。

漁に出ない漁師は、無職と同じだ。

それに前を向かなければ、生きて行けない。

しかし、一向に船員は集まらずに、船員集め

に苦労をしていた。そうした中、船頭の兄弟

で、叔父が2人乗船してくれる事になった。

一人の叔父は船頭の兄で、すでに40歳を超え

ていた為、飯炊き専門として乗船した。

残りの必要な船員は、外国人船員で補うこと

になった。

フィリピンからの、出稼ぎ船員である。

上原さんの49日法要を済ませ、フィリピン人

船員を乗船させるため、グァム島へ向けて出

港した。

米国グァム島の位置の関係上、船の主な漁場

は太平洋の南方海域になった。

乗船てきたフィリピン人船員は2名。

一人は1航海で辞めたので、覚えていない。

もう一人は、氏名:サスピノサ・レンドン。

年齢:21歳、既婚。

彼が乗船してきた時、まず驚いたのは日本語

が、全くできなかったことだった。

「はい」や「いいえ」すら、理解できない。

彼は、フィリピンの母国語であるタガログ語

と、第二母国語である英語を話した。

彼の英語は、フィリピン訛りが強かった。

もちろん、言葉のわからない外国人だからと

いえ、仕事が軽減されれるわけではないし、

仕事の厳しさが変わるわけでもない。

レンドンは、頭の回転がすごく早く良かった。

怒られた時は、なぜ怒られたのか?

褒められた時は、なぜ褒められたのか?を

感覚で覚え、日本人の生活様式に、徐々にだ

が馴染んで行った。

まだ若く幼稚だった僕は、彼らをどこかバカ

にしていた。

日本語が理解できない彼らを、無視する事も

多かった。

日本語も喋れずに、何故日本の船に乗るのか

が、僕には理解できなかった。

レンドンが信仰している宗教はキリスト教で

カトリック教徒だった。

危険だと思った作業の時、良く彼は胸の前で

十字を切る仕草をした。

操業が始まると、言葉の壁は顕著になった。

仕事を教えたくても、言葉が通じない。

日本人船員達は、それがジレンマとなり

いつしかストレス変わっていった。

操業が進むと、レンドン達は度々怒鳴らた。

我々日本人船員には、危険なことや間違った

ことなどを、怒ることでしか彼等に教えるこ

とができないのだ。

そう言う時、もう一人は明らかな敵意ある表

情で怒鳴った人を睨みつけるが、レンドンは

不思議そうな目で観察するように、相手を見

つめることが多かった。

最初のうち、彼のその眼差しは、相手をバカ

にしているように僕の目に写った。

彼等に対して、僕は違和感しか感じなかった。

漁場を移動する「適水」の日。

眠っている僕を、兄が「当直だ」と起こした。

そして「次の当直は、どっちかのフィリピン

人を起こせよ」と、僕に言った。

当直終了後、僕はレンドンを起こした。

当直交代のルール上、次の当直員がブリッジ

にくるまで、僕はブリッジを離れることはで

きない。

僕は、レンドンが交代に来るのを待った。

彼はブリッジに入って来て「コウタイ!」と

言って、白い歯を見せて笑った。

少しは日本語を、覚えたようだ。

僕はCDプレイヤーとCDを持ち、操舵席をレン

ドンに譲ろうと立ち上がると、レンドンは僕

の持っているCDを、興味津々に見ていた。

僕は「ん?これ知ってるのか?」と、CDを見

せて、レンドンに日本語で聞いた。

すると「BON JOVI サイコウ!」と言った。

僕は「聞くか?」と日本語で言い、レンドン

にCDプレイヤーを差し出した。

彼は、ポータブルCDプレイヤーを初めて見た

ようだった。ポータブルCDプレイヤーをレン

ドンに手渡すと、マジマジと見ながら

「Small」と、つぶやいた。

彼はヘッドフォンを耳に当て、プレイボタン

を押した。ヘッドフォンから、音が漏れた。

ヘッドフォンをしているからだろう、普段よ

り大きな声で「サイコウ!」と笑って言った。

操舵席で、体を揺らしながら、リズムを取り

踊るような仕草をしていた。

その様子が可笑しかったので、僕は彼を見て

笑った。

笑っている僕を見たレンドンは、僕の笑顔を

見て笑った。

僕は寝台に戻り、ビデオを見ていた。

2時間が過ぎた頃、レンドンがCDプレイヤー

を返しに、僕の寝台にやってきた。

プレイヤーを渡し「アリガトウ」と言った。

それ以来、僕はレンドンを観察するようにな

っていた。

僕なりに、彼を理解しようとし始めていた。

そんな時、ある事に気がついた。

彼は、一度怒られた事は二度としない。

そして、彼が怒られたときに見せる相手を観

察するような眼差しは、何に対して怒られた

のか?を、懸命に理解しようとしていること

に、気がついた。

言葉がわからなくても、表情や表現で、ある

程度相手の感情は理解できる。

彼は、相手の表情は表現の変化を観察するこ

とで、やっても良い事なのか悪い事なのかを

理解しようとしていた。

操業が10回を過ぎた頃、物覚えが良い彼は

仕事も、結構サマになりはじめていた。

僕は生きたサメが上がると、親指を立て、喉

を搔き切る仕草をする。“殺せ”の合図だ。

レンドンに合図をすると、レンドンは躊躇な

く、サメを殺した。

彼が、日本語を理解できれば、どれだけ早く

仕事を覚えることだろうと、つくづく思った。

操業が最終回を迎える頃には、どこか漁師の

風貌さえ漂うようになっており、日本語の

「あれ」と「これ」の違いや、ある程度意思

の伝達は出来るようになっていた。

船が、操業を終えグァム島に向かい針路を取

っていたある日のこと。

漁具の修正等の作業をしている最中に、レン

ドンが、小さい声で僕に話しかけてきた。

「ケイジ、ワタシコレ?」と親指を立てて

首をかき切る仕草をした。

「私はクビですか?」と、僕に聞いたのだ。

僕は日本語で「私、わからない」と答えた。

レンドンは「ハイ」と言って、うつむいた。

その日の夜の当直の時に、当直をする僕の後

ろを船頭が通りかかったので聞いてみた。

「船頭、レンドンは一航海で降ろすの?」と。

すると船頭は「もう一人は使い物にならない

が、アイツは結構使えるんじゃないか?お前

どう思う」と、僕に聞き返した。

僕は、少し考えた。

レンドンの最大の良い点は“素直さ”だった。

素直が故、順応性が非常に高い。

言い換えれば、単純ということだが・・・・。

「あいつは、使えるんじゃないですか。指示

にも素直に従うし」と僕は答えた。

すると船頭は「そうか、お前もそう思うか」

と、頷きながら言った。

「ところで」と船頭が話を続けた。

「グァムで水揚げをしないかと言う依頼が来

てるんだが、お前どう思う?」と、聞かれた。

「グァムで水揚げできるの!?」と、少し驚

いて聞いた。

聞くと、グァムにある商社がマグロを買取

それを日本に空輸して、日本の市場に卸す。

僕は率直に「面白い!」と思った。

当時、実家が経営し、僕が乗るマグロ船の経

営は不振が続いていた。

2航海連続赤字に続き、死亡事故による、操

業停止状態が長く続いたことが影響していた。

「グァムに水揚げをして3日で出港する。二

航海に一度日本に帰港するというのはどう

だ?」と、船頭は僕に聞いた。

僕は「航海の日数的には、今までと変わりな

いから問題ないと思うけど。問題は、船員の

外国での慣れない習慣とか、精神面での負担

とかですね。でも面白いから、一度試しにや

ってみたらどうですか?」と、答えた。

船頭は「そうか、やってみるか」と言った。

翌日、そのことが全船員に告げられた時、船

員の反応は冷ややかだった。

日本という島国に生まれ、他人種との関わり

を、ほとんど持ったことが無い彼らの心中は

察するに余った。

船員は、船頭と兄がいないところで、僕に不

満を漏らした。

その中に唯一、喜んでいる人がいた。

怪物君である。

彼の喜ぶ理由は唯一「外人とやれる!!」

当時は、まだHIVがあまり知られていなかっ

た頃だった。HIVの記事が載っている雑誌を

怪物君に見せて、内容を5倍くらいに盛って

怪物君を諌めた。

船員の不安と不満は、グァム島に近づくにつ

れて増していった。

そこで僕は、兄と船頭と三人で話し合い、あ

る提案をした。

日本の港に入港する際、入港金5万と仕込み

金5万の合計10万円を、1.5倍の15万円にし

サメのヒレ等を売った副収入に関しては、船

頭は分配対象とせず、船員で均等に分配する

という案だ。無理の対価を、報酬で補う。

兄と船頭は、はじめ難色を示したが、船の士

気に関わるし、航海日数が少なくなったと言

うことは、経費負担を軽減することができる。

僕は、経費の減った分を船員に支給し、船員

の士気を維持することの重要性を、船頭と兄

に説いた。

すると、まず兄がその案に同意をした。

同意した兄に続いて、船頭が「まあいい、お

前の好きにしろ」と言った。

船は、グァム島に入港した。

亜熱帯地域特有の、湿度が高く、重い空気に

容赦なく照りつける太陽。

車のタイヤが焼けたような臭いと、のんびり

とした雰囲気。

グァム港に入港した船を、現地の商社スタッ

フと日本語通訳兼コーディネーターの韓国人

のキムさんが出迎えた。

イミグレーションを受け、上陸許可が下りた。

接岸した場所は、グァム島のコマーシャルポ

ートと言う場所だった。

港の向かい側には米軍の基地があり、時折基

地側から吹く湿った風にのって、油の臭いが

した。

船員はコマーシャルポート内の巨大な倉庫に

ある、商社の事務所に招かれた。

そこで、簡単な歓迎セレモニーが開かれた。

商社の社長は、日系2世の小柄なデェィビッ

ト・石丸と言った。

自己紹介の時に「ウェリット・石丸です。ど

うぞよろしく」と流暢な日本語で挨拶をした。

僕には「デェィビット」が「ウェリット」に

聞こえ、それ以来僕は彼のことを、ウェリッ

ト社長と呼んだ。

ウェリット社長が「貴方達は、グァムに新し

いビジネスをもたらすパイオニアです。それ

を歓迎して、今夜総領事官主催のパーティー

があります。私と一緒に出席しましょう!!」

と、えらいテンションの高さで言った。

しかし、それを聞いた船員のテンションは、

地に着く程低かった。

そのテンションを察知した船頭が

「船を代表してぇ~、こいつが一人で出席し

まぁぁす~」と、何故か英語なまりの日本語

で僕を指さした。

僕は思わず「えぇっ!!」と声を上げたが

テンションの上がりまくっているウェリット

社長は「Oh!!船頭さんの息子さんね!よろし

くね!」と、僕にハグをしてきた。

僕は拒否する理由も見つからないし、パーテ

ィーと言う言葉の響きに興味を持った。

「まあ、行っても挨拶だけして帰ればいんだ

ろ」と思い、パーティーに行くことにした。

夕方、僕は半パンとシャツを着て船で待った。

ウェリット社長の車が船の横に着き、その車

に乗って、パーティー会場である総領事官の

邸宅までいった。

邸宅は小高い丘の上にあった。

パーティーは、アメリカの映画でよく見る立

食式のホームパーティーにだった。

「おお!!なんか映画みたい!!」と思い

少しテンションが上がった。

総領事長の開会の言葉的な挨拶があったが

英語なので、僕はさっぱりわからない。

その挨拶が終わり、ウェリット社長が挨拶を

して、パーティー参加者に僕を紹介した。

これまた英語なので、何を言っているのか

さっぱりわからない。

パーティーの出席者が、何人か僕に話しかけ

てきたが、何を言っているのかわからないの

で、笑顔で会釈をするだけの僕。

そのうち、英語が喋れないことを察したのか

誰も話しかけてこなくなった。

一人ポツンとソファに腰をおろし、目の前で

談笑するパーティーに参加した人達を眺めた。

その人達を眺めながら「マジ、映画みてぇだ

な」と思っていると、不意に「お腹すいてな

いの?」と、日本語で話し掛けれられた。

声のする方を見ると、白髪でとても上品そう

な女性が立っていた。

「あの、日本の方ですか?」と、僕はその人

に聞き返した。

するとその人は、「そうよ、私は日本人よ。

沖縄生まれの沖縄育ち」と答えた。

その人は「主人を紹介するわ、その後食事を

運んであげる」と言い、ご主人を連れてきた。

さっきパーティーの初めに開催の挨拶をした

総領事長だった。

近くで見ると、総領事長は気品のある顔立ち

をしていて、紳士然とした白人だった。

「総領事長の奥さんは日本人か」と感心した。

「ここはうるさくて、のんびりお食事できな

いでしょ。プールサイドは涼しくて、のんび

りお食事できるわよ、運んであげるわ」と、

僕を気遣い、プールサイドに案内してくれた。

プールサイドには、パラソルがたたまれたテ

ーブルとイスが何脚かあり、僕はその中の一

つに腰を降ろした。

奥さんが食事を運んでくれた。

僕が「ありがとうございます」とお礼を言う

と「ごゆっくり」と言って微笑み、奥さんは

パーティーの中に姿を消した。

食事が終わり、タバコを一服。

プールの中に光る電灯があり、プールに張ら

れた水面をキラキラと揺らしいた。

とても綺麗だった。

プールの先には、グァム島の海岸線のオレン

ジ色の街灯が揺れている。

昼間の照りつける太陽は去り、太平洋から吹

き上げてくる、潮の香りが混ざった夜風が

とても心地よかった。

僕は、タバコをくわえたまま夜空を見上げた。

夜空に、街灯のオレンジ色が映り込んでいて

太平洋に比べると、星はあまり見えなかった。

タバコをくゆらせる僕に突然「ごきげんう!」

と、日本語で女性が声を掛けた。

声のする方を見ると、そこには金髪で、少し

日焼けした白い肌、ハッキリとした均整のと

れた顔で、スラリとした女性が立っていた。

僕はひと時、その人に見とれてしまった。

「こんな綺麗な人、世の中にいるんだ・・・」

と、心でつぶやいていた。

その人は「ごきげんようじゃないわね、こん

ばんはね」と言って、笑った。

僕は「そうだね」と言うのがやっとだった。

彼女は「私、ジュリア。よろしく」と言って

握手をする仕草で、右手を差し出した。

僕は「ケイジ。よろしく」と言って、握手を

交わした。

その人の手は、柔らかくて少し暖かかった。

ジュリアは僕の左斜め前で腰をおろし、足だ

けをプールの水に浸していた。

「パーティー、楽しくないの?」と、彼女は

プールを見つめたまま僕に聞いた。

「俺、英語喋れないから」と、僕が答えると

「そうなんだ、じゃあ楽しめないよね。英語、

覚えなきゃだね!」と言って、僕を振り返り

微笑んだ。

ジュリアはプールに浸した足を、ゆっくりと

動かしていた。その足の動きでプールには波

紋ができ、プールを照らしている明かりが波

紋に反射して、ジュリアの綺麗な横顔がキラ

キラと輝いていた。

僕は、輝く彼女の横顔に見とれながら「大人

っぽい人だな」と思った。

「何歳なの?」と、僕はジュリアに聞いた。

「23歳だよ」と、ジュリアは答えた。

「やっぱり年上だ」と思ったら、なぜか素直

になれた。

「綺麗だね」と僕が言うと、ジュリアは僕に

向かって振り向き、笑いながら「Thanks」と

言ってウィンクした。

彼女は「ねぇ、足を水につけると気持ちいい

よ」と、僕に言った。

僕は誘われるままに、彼女の横に腰を下ろし、

プールに足をつけた。確かに、気持ちがいい。

「今日入港した漁船の人なんでしょ。あなた、

何歳なの?」とジュリア。

「俺、19歳。」と僕。

「へぇ!19歳なの!大学に行こうと思わなか

ったの?」

「高校を卒業したら、船に乗るって決めてた

から」と、プールを見つめたまま言った。

僕の顔を、ジュリアが見つめている。

僕はジュリアを見て「ん?」と言った。

「決めてたって、あなた19歳だよね。いつか

ら決めてたの?」と、不思議そうに聞いた。

「覚えてない。子供頃、親父カッコいいなぁ

って思った時だと思う」と、答えると。

「決めてたからって、なりたいものに、なれ

るものなの?」と、また僕に聞いた。

僕は、その問い掛けが不思議でならなかった。

そういう風に、自分が進んだ道を考えた事が

無かった。

「よくわかんないけど。子供の頃から、なれ

るって思ってたし。生まれた家が、そう言う

家だし。それに、そんな大した仕事でもない

から」と、僕が言うと「それ、すごい事だと

思うよ。」と、ジュリアは言った。

僕は、ジュリアの言葉が、すごく嬉しかった。

「ごめんなさい。私、嘘ついてた。19歳よ。

あなたと同じ歳」と言って、彼女は声を出し

て笑った。

近くで彼女の顔を良く見てみると、確かに幼

さが残っているように思えたが、綺麗さは揺

るぎなかった。

「ねえ、グァム初めて?」と、ジュリア。

「うん、初めてだよ。」と、僕は答えた。

「じゃあ、仕事だけじゃなく遊んだりもしな

きゃ!船はどこにあるの?」

「コマーシャルポートってところにある」

「遠い!あの辺り、何もないでしょ!」

確かに車でここにくる途中、海と基地らしい

建物しか見えなかったなと思った。

「英語覚えないの?」と、ジュリアは聞いた。

中学生の時、矢沢永吉の音楽に出会い。

その後、ビートルズにやローリングストーン

ズ、クリームやブルース・スプリングスティ

ーン等を聞き漁った。その頃から、「英語の

歌詞がわかったら、楽しいだろうな」と思っ

ていた。

「覚えたいよ。歌の歌詞がわかるとすごく楽

しいだろうなって思う」と、僕が答えると

「私が英語教えてあげる!そのかわり、貴方

は私に日本の事を教えて」と、彼女は言った。

「君は十分日本語が上手だよ、僕より綺麗な

日本語を喋ってる」と、僕が言うと「確かに

あなたの日本語は、アクセントがちょっと変

だよね」と、笑いながら言って

「言葉じゃないの。日本の習慣とか、日本人

の考え方とかが知りたいの。私、日本の文化

に凄く興味があるの」と言った。

この時、なんとなく、今後ちょくちょくグァ

ム島に来ることになるような気がした。

それに、こんな綺麗な人と友達になれるのな

ら、断る理由など、どこにもない。

「いいよ」と、僕が言うと。

「うん。よろしくね!」と言い、彼女はまた

右手を差し出した。

僕が握手をしようと、彼女の右手を握ると

「はぁ〜、ダメね」と、溜息交じりに言った。

「あのね、こう言うときはね。そっと手にキ

スするものよ」と言って、眉間にしわを寄せ、

少し怒ったような顔で、僕に微笑んだ。

“照れ臭い!!”と思い、ジュリアの柔らか

な手を離して「んなこと、できないよ」と僕

が言うと「照れなくていいんだよ」と、彼女

は言った。

二人でプールサイドに腰掛け、僕の子供の頃

のこと、父や兄や家族の事。ジュリアはアメ

リカ人と日本人のハーフで、ここの家の娘で

あること。さっき僕をプールサイドに案内し

てくれた人がお母さんで、総領事長がお父さ

んであること。日本に3年位住んだことがあ

ることや、今はグァムの大学に行っている事。

時間が経つのも忘れて、夢中になって話した。

どのくらい、時間が経ったのだろう。

二人でいるうちに、お互いの気持ちの壁はい

つしか無くなっていた。

すると「ケイジさん、ディビットさんがそろ

そろお帰りになるそうよ」と、二人の会話を

遮った。

振り返るとジュリアのお母さんが立っていた。

僕は「はい」と答えて、立ちあがった。

ジュリアも、それに続いた。

玄関先に行くと、ジュリアのお父さんやパー

ティーに参加した人達が、僕を見送りに出て

いた。

ウェリット社長の車に乗り込もうとした時

ジュリアが「皆さんに、挨拶して」と、僕に

言った。

英語が喋れない僕が、戸惑っていると「日本

語でいいの」と、ジュリアは言った。

僕は日本語で「本日はお招き頂き、ありがと

うございました!」と、大きな声で言った。

ジュリアがそれを通訳してくれ、見送りの人

達から、僕に拍手が送られた。

僕が車に乗り込もうとした瞬間「明日、学校

が終わったら迎えにいく」と、ジュリアは僕

に耳打ちをした。

僕は「うん」と言ったが、何時にどこでとか

細かい事は約束せず、車のドアを閉じた。

帰りの車の中で、車窓から流れるオレンジ色

の街頭と海を眺めていた。

ジュリアの笑顔が、瞼の裏側に焼き付いてい

て離れない。

それを察したのか「彼女、いい子でしょ。す

ごく人気があるんだよ」と、ウェリット社長

が言った。

「綺麗ですよね。人気があるのはわかる気が

します」と、僕が答えると「でもね、一つ忠

告しておこう。現地の女の子に手を出すなよ。

手を出すなら、それなりの覚悟が必要だよ」

と、ウェリット社長は真面目な顔で、僕に言

った。

僕は「わかりました」と答え、また外を見た。

船に戻ると、船内は静まりかえっていた。

水揚げを2時に控えいた、みんな寝ている。

僕は、シャワーを浴びた。入港時、水は使い

放題だ。無くなれば、補給すれば良い。

シャワーを終えるて、寝台に入り目を閉じた。

ジュリアのことで、頭の中が一杯だった。

水揚げスタンバイのベルで、目覚めた。

時計を見ると、1時30分だった。

陸にはマグロを巻き上げるために、クレーン

車が用意されていた。

船からクレーンで巻きあげられたマグロは

氷を張った海水が入っている巨大な桶に移さ

れ、その桶をフォークリフトで倉庫内に運ぶ。

倉庫の中では、一本一本マグロの重さが図ら

れ、大きさに応じて、段ボール箱に納められ

ていく。

日本との水揚げの方法が違ったのと、現地ス

タッフが、初めて水揚げの作業をする人がほ

とんどだった。

そのため、水揚げにはすごく時間がかかった。

水揚げが終わった時、すでに時計は10時を

廻っていた。

日本での水揚げは、大体約4時間で終わる。

その時は、通常の倍以上の時間を要した。

夜が明けると、太陽が照りつけていた。

魚倉の掃除をして、片付け等の全ての作業が

終わると、時計は12時を過ぎていた。

水揚げが終わり、船員に$1,000が支給

された。入港金と仕込み金だ。

「$紙幣って、人生ゲームのお金みたいだ」

と思った。

コーディネーター兼通訳のキムさんが、船員

の仕込みに付き添ってくれることになった。

コマーシャルポートから、グァム市街地まで

は車で1時間程かかる。

キムさんのライトバンに乗り込み“ギブソン

ズ”という、スーパーマーケットに行った。

1時間半後に、ライトバンを駐車した場所で

待ち合わせになり、船員は各自が自由にギブ

ソンズで買い物をした。

僕と兄と怪物君と三人で、仕込みをした。

CD売り場を見つけた。

もちろんCDのタイトルは、全て英語で書かれ

ているため、良くわからない。

BEST HIT書かれたタイトルに、バンド名等が

書かれているが、読めたのは“STING”くら

いだった。CD一枚の値段は、$10.5。

僕は「物は試し」と、BEST HITのNo.1~1

0までの10枚と、ジャケットがカッコ良く

て気になった一枚を買った。その他、食料や

衣類を買い込み、仕込みを済ませ船に戻った。

船に戻ってもすることが無い。前日からあま

り寝てなかったこともあり、寝台で横になる

と眠りに落ちた。

間もなくして「ケイジ。フレンド、アル」と

レンドンが、僕を起こした。

「フレンド??」と僕が聞き返すと、レンド

ンは「ハイ」と答えた。

寝ぼけた感じで外に出てみると、白いピック

アップトラックの横に、サングラスをかけた

ジュリアが立っていた。

ジュリアは僕を見つけると「Hi!」と言って、

手を振った。

「ほんとに来たのか!?」と、僕が聞くと

僕を指差し「そう言うの良くない、約束した

よ!」と、彼女は言った。

「ちょっと待って、用意してくる」と言って

僕は船員室に戻り、上陸用の洋服に着替えた。

昨夜より、昼間に見るジュリアは綺麗だった。

気分が高まった。

階段を駆け上がり、船尾に出た。

船尾にレンドンと怪物君がいて、怪物君がレ

ンドンに、悪い日本語を教えていた。

「オンナ、ココ、オ○○コ。」と言いながら

怪物君は股間を指差して「ギャハハハ」と

笑っている。お前がギャハハハだわ。

二人に向い「俺、友達と遊びに行ってくる」

と言うと「あの美人、誰だ!?」と、怪物君

が僕に聞いた。

「昨日知り合った友達だよ」と言いながら

船から飛び降りた。

二人には目を向けず、ジュリアの車に向かっ

て歩いてくと「この、スケコマシ!!」と

背後で叫ぶ、怪物君の声がした。

完全に無視した。

車まで来た僕に「乗って」と言って、ジュリ

アは車の運転席に乗り込んだ。

車に乗ると、車内はすごく良い香りがした。

ジュリアは「夕暮れまでには、もう少し時間

があるから。ちょっとドライブしよう」と言

って、車を発進させた。

僕は、不思議でならなかった

僕は「本当に来たんだね。でも、なんで?」

と、改めて聞いた。

僕はただのFishermanで、相手は道を歩けば誰

もが振り返るほど容姿端麗。

パーフェクトな美人だ。

どこから見ても、俺とは釣り合いが取れない

と思っていた。

質問した僕に対してジュリアは「なんでだろ

うね?」と、質問に質問で返して誤摩化した。

僕は「まあ、いいか。今が楽しけりゃいいな」

と思い、それ以上は聞かなかった。

車は小高い丘を上ったり、いきなり海岸線出

たり、凹凸のある曲がりくねった道を進んだ。

道の途中の所々に、民家らしい10戸程度の集

落が点在していた。

ほどなくして、海岸線沿いの小さな駐車場に

車は止まった。

「着いたよ」と僕に言って、ジュリアは車の

ドアを開けて降りた。僕もそれに続いた。

車から降りると、とても穏やかで涼しい風が

吹いていた。

駐車場から十メートル程歩いた先に、小さな

砂浜があった。

太陽は、それまで照らし続けた自身を祝福す

るかのように、海を真っ赤に染め、水平線に

沈み行こうとしていた。

その夕日を見た時、ジュリアが僕に何を言い

たいのかが、なんとなくわかる気がした。

「座ろう」とジュリアは、僕に言った。

僕は「うん」と言い、ジュリアの横に座った。

タバコに火を付け、夕影を眺めていた。

“こんな穏やかで素敵な夕日を見たの、何年

振りだろう?”と思った。

エンジン音のしない海が、不思議だった。

時折、さざ波と緩やかな風の音が聞こえた。

それ以外、何も聞こえない。

昨夜、プールサイドでジュリアと語った時

ジュリアは僕に聞いた。「海、好きなの?」

僕は素直に「好きだ」と、答えられなかった。

「どうだろう?職場だから」と、誤摩化した。

物心ついたときから、海は僕にとって職場に

等しかった。

祖父に連れられ漁に出る、海を見る時には

いつも潮目を読む癖がついていた。

海で遊んだ記憶は、小学校に入学する前、近

所のお兄ちゃん達に連れられて行った浜辺で

遊んだ記憶しかない。

海に囲まれて、育ったのに。

辺りに夜の帳が下り始めた頃「ねぇ、海を思

い出した?」と、彼女は僕に聞いた。

僕は海を見つめたまま「ああ」と答えた。

「さっき聞いたね。なんで俺かって」と彼女。

僕は、また「ああ」と答えた。

「あなたと話したときに感じたの。海のよう

な人だなって。そういう感じがしたの」と、

彼女は言い「穏やかなときは、こんなに優し

いの」と、続けて言った。

そういう風に、僕のことを表現する人と出会

ったのは、生まれて初めてだった。

僕の心に、恥ずかしさと嬉しさとが交叉した。

僕は唐突に「なあ、抱きしめてもいいか?」

と、ジュリアに聞いた。

すると「聞かなくいいのに」と言って、彼女

は僕に寄り添った。

僕は彼女の肩を抱き、夕日が完全に消えて行

くのを、何も言わず見つめていた。

途中、ジュリアは僕の気持ちを察したかのよ

うに「私に気を使わなくていいからね、気が

済むまで眺めていようよ」と、言った。

夕日が完全に沈むまで、海を見つめていた。


その後、ジュリアのお勧めのチャモロ料理を

食べに行った。食事をしながら、いろんな話

をして、あっという間に時間が過ぎた。

帰りも、車で僕を船まで送ってくれた。

「明日、出港するから」と、僕が言うと

ジュリアは「うん」と言った。

船が接岸しているコマーシャルポートのセキ

ュリティがいるセキュリティゲートから船ま

では、少し距離ある。

セキュリティゲートでチェックを受けて、車

はゲートを抜け、車は船前に止まった。

少し間が空いた時に「本当に鈍感!」と

ジュリアは、少し怒った感じで言った。

何を言いたいのかのかは、理解していた。

映画のワンシーンの様に、臭いセリフを言っ

てキスに持ち込むパターン。

でも、照れ屋の僕は「俺、日本人だからさ」

と言うのが、精一杯だった。

「Cool!そういう日本的な事を、素直に言う

ところが良いよ」と、言ったあと

「でも、女心も理解してね」と言った。

僕は「またグァムに来るから。その時は、会

ってほしい」と僕が言うと、彼女は「喜んで」

と、微笑んで言った。

彼女の笑顔は、街頭のオレンジ色に染まって

いて良く見えなかった。

翌日、船はグァム島を出港した。ジュリアは

見送りには来なかった。

そのかわり、ウェリット社長がジュリアから

のメッセージカードを僕に渡した。

「Good luck!J boy!」と書かれてあった。



ナショナリズム


グァム島から漁場まで、5日程度で到着する。

グァム島に入港してから、僕は得体の知れな

い違和感の様な感覚を、ずっと感じていた。

ジュリアと出会ったことで、その違和感に似

た何かが明らかになった気がした。

情けなさと、悔しさが入り混じった劣等感。

その感覚は、それまで漠然としていたが「日

本人としての誇り」に、対してということは

間違いなかった。

しかし、当時の僕は、それを整理する知識も

経験も持ち得ていなかった。

グァムに入港した時、街で大勢の日本人観光

客を見かけた。

当時の日本は、バブル景気に沸いていた。

日本人観光客は、Duty Free Shopのブランド

ショップに大挙し、ブランド品を買い漁った。

現代の日本に、海外から来訪する外国人観光

客と同じ様に。日本人による、爆買いが起こ

っていた。日本人観光客の女の子達は、観光

地の男達に、イエローキャブと呼ばれていた。

そんな日本人観光客を、冷たい目で見ている

現地人や現地スタッフ。

その光景を、観光客でもなく現地人でもなく、

第三者的立場で見ている僕。

目の前には、フィリピン人船員のレンドンが

いて、黙々と漁具の整備をしている。

レンドンの向こう側で、初老の日本人船員が

作業をしていた。

日本人船員はグァム島入港時、自分たちとは

異なる人種、特に白人や黒人に対して、明ら

かに接触を、しかも極端に嫌がった。

白人や黒人が船に来て、何かを聞いたりする

と、必ず僕を呼んだ。

僕も、英語が喋れるわけではない。

しかし、身振り手振りで相手とコミュニケー

ションをしていると、意思の疎通は図れた。

しかしそう言う時、コミュニケーションが取

れないアメリカ人に対して、身振り手振りを

している自分に、何となく劣等感を感じた。

それが毎回起こる。

言葉が通じれば、2言3言で済むのに。

他の船員も、僕と同じ感覚を感じていたのだ

ろう。だから船員達は、グァム島での現地人

とのコミュニケーションを避けた。

僕もこの感覚を受けるのが面倒臭く、すごく

嫌だった。

同じ人間じゃ無いか。

僕はそれを、克服しようと思った。

自分から進んで、相手が白人であろうが体の

大きな黒人であろうが、日本語と英語をミッ

クスして使い、身振り手振りを駆使してコミ

ュニケーションを取ろうと努力した。

しかし、その反面、英語が喋れるように絶対

になりたい!と思ったのも事実だった。

そして、僕のその感覚と逆に、フィリピン人

や東南アジア系人種に対しては、ある種の優

越感があるのも間違いなかった。

当時の日本は、超先進国を自負していた。

経済力はアジア諸国の中で、群を抜いていた。

そんな日本の対極にあるのが、フィリピンと

いう国だった。

当時のフィリピンは、マルコス元大統領の独

裁政治が続いており、世界最貧民国とも言わ

れ、世界の出稼ぎ国と揶揄される、貧しい国

だった。

アジア諸国に対しては凛とし、欧米に対して

はひ弱な日本。

僕は、その構図を実際に体験し、感じていた。

フィリピン人船員と共に生活したり、グァム

島に入港して、多人種と触れ合うことにより

その感覚は、確信に変わって行った。

何よりも、目の前のフィリピン人船員が、僕

にそれを教えてくれ、ジュリアの存在が、そ

れを明確にしてくれた。

ジュリアのメッセージカードに書かれてあっ

た“Jboy"という言葉。

“日本人としての誇り”

誇りの裏付けには、祖国日本に対する自分な

りの理解で、歴史認識や知識必要だと思った。

知識を蓄えよう、今からでも遅くはない。

その気持ちに比例して、レンドンを認めるよ

うになって来ていた。

僕に彼と同じことができるか?と、自分と彼

を置き換えてみた。

僕には、彼と同じことが絶対に出来ないと思

った。

家族を支える為、自国に仕事が無いからとは

言え、全く言葉が通じない、しかも未経験で

過酷な労働を強いられる外国の漁船に、僕は

絶対に、一人で乗れない。

そういう風に考えると「こいつ、すげぇな!」

と、素直に彼を尊敬することができた。

僕は少しでも英語の勉強になればと思い、字

幕スーパーの洋画を、TVの字幕スーパーの部

分をテープで隠し、何度も繰り返し見た。

一度観た洋画でストーリーは把握しているの

で、ストーリーではなく、状況における言葉

のニュアンスを、掴むことから始めようと思

った。

覚えた英語をレンドンに使い、実践を繰り返

すようにした。

すると彼は「そういう時は、こういう言い方

のほうがいいよ」と教えてくれた。

そうしていると、彼との友情が芽生えていた。


数日後、操業が始まった。

レンドンにとっては、マグロ漁船に乗って二

航海目だった。

前回乗っていた、もう一人のフィリピン人船

員は、労働力の低さと併せ、命令への順応性

が低いと判断され解雇になっていた。

替わりのフィリピン人船員が、乗船して来た。

名前をエドワルド、ニックネームはエディー。

19歳で、僕と同じ歳だった。

レンドンは、よくエディーの面倒を見た。

後輩が出来ると、人は成長する。

かつての僕が、そうだったように。

レンドンは、二航海目にして、ずいぶんと仕

事っぷりが良くなっいた。

操業回数が進むにつれて、前の航海までは上

手く行かなかった作業も、スムーズに出来る

ようになっていた。

マグロ船の、日本人とフィリピン人の混成チ

ームには、徐々ではあるがチームワークが形

成されてきていた。

レンドンも、ずいぶんと船に馴染んで来たし

片言の日本語も話せるようになっていた。

特に僕とは歳が近かったこともあり、映画や

音楽の趣味も合っていた。

船には毎日FAXで、「船舶新聞」が送信され

てくる。

新聞と行っても、詳しい内容はほとんど書い

ていない。

船位の関係上、日本から送信する無線電波を

捉え辛い場所の時は、文字がにじんで読めな

いこともあった。

船舶新聞を見ていると、レンドンは日本で何

が起こっているのか?に、興味を持っていた。

それと日本の雑誌の、見出しの部分に書かれ

てある文字を僕に聞いてきた。

「コレ?ナニ?」と指差し、記事の内容を聞

いて来た。

それを僕は、うるおぼえの片言の英語でレン

ドンに伝える。

自然と仲が良くなって来た。


操業中、投縄終了後と揚縄終了後。

レンドンとエディーは

必ず日本人船員が、全員入浴を済ませるのを

待ってから、風呂に入った。

僕にとっては、新人の二人が最後に風呂に入

ることは、自然のことだった。

操業が終わり、グァムに向かう帰港中。

いつもの航海と同じように、朝から漁具の整

備をして、正午過ぎに作業が終わった。

仕事が終わり、風呂に入ろうと、風呂場のド

アを明けると、レンドンがシャワーを浴びて

いた。

僕は「お!悪い!」と言って、ドアを閉めた。

すると、後ろにいたある船員が、僕の後から

「フィリピンが先に風呂に行ったのか!?」

と、怒って言った。

僕は「別にいいよ、急がないから」と、レン

ドンを待つことにした。

するとその船員は、レンドンが入っているの

もかまわず、風呂のドアを開けて

「おい!お前、なに先に風呂は入ってんだ!」

と、怒鳴った。

僕は「そんなに怒らなくてもいいじゃん」と

思ったが、黙って見ていた。

船員の怒りは収まらず、風呂から急いで出た

レンドンを必用に怒った。

レンドンは、いつものように「何故怒られて

いるのか?」を、探る目で見ていた。

船員は、レンドンに向かって「お前が入った

後は、汚いんだよ!」と言った。

さすがに、それは言い過ぎだ。

「ねぇ、そこまで言わなくていいでしょ。一

度怒ったら、こいつ二度としないからさ」と

僕は、怒る船員を諭すように言った。

そう言っても、船員の怒りは収まらなかった。

僕に対して「こいつらが入った後の風呂なん

か、入れるか!」と、吐き捨てるように言っ

て、風呂に入らずに姿を消した。

もちろんレンドンには、彼の言った全部の意

味は理解できなかったと思う。

しかし、彼は怒られた感覚で何となく理解し

悲しげな目をしていた。

彼ら東南アジア系人種の肌は、僕ら日本人に

比べて黒い。

それと、食文化や生活習慣の違いから体臭も

違う。

その、視覚と臭覚の違和感が、我々日本人に

とって、汚いという感覚を生んでしまうこと

を知った。

肌の色の違いによる違和感。

その時の僕は、これは仕方ないことかもしれ

ないという思いもあった。

アメリカ映画で、人種差別問題をテーマにし

たストーリーを見たことがある。

その映画を見た時、人種差別の卑劣さに対し

て嫌悪感と強い怒りを感じた。

「人種差別=悪」というのは、子供でも理解

できる。

しかし実際自分が、異人種と寝起きを共にす

る閉鎖的な生活をした時。

肌の色の違いと、体臭に対する違和感は

理屈ではなく、感覚として直接心に響く。

それは、悪や善という知識とは関係がなく

感覚なので、自分でも制御が出来ない。

正直、当初フィリピン人と寝食を共にした時

僕にもこの感覚はあった。

人種差別が悪いこと言うのは、十分理解して

いるつもりでいた。

しかし、頭で理解しているのと、直接感覚で

受けることは、随分と隔たりがあることを知

った。

その感覚も、レンドンとのコミュニケーショ

ンの中で、薄らいで行った。

しかし、その感覚が完全に取れるまでは、少

し時間が必要だった。

それから、それを受け入れているレンドンが

腹立たしくもあった。友として。

“もっとプライドを持て”と、いつも思って

いた。

だが、その時の僕は、彼にそれを伝える英語

力を、持ち得ていなかった。

唯一の解決策と、思ったことがある。

それは、彼が船員の誰からも認められる

一人前の漁師になることだ。

「こいつならできるだろう。俺が教えてやる」

と思った。

だからレンドンに、できる限り仕事を教えた。

彼も、それを理解しているかのようだった。

フィリピン人船員との生活は、僕を少し成長

させてくれる気がした。


前回と同じグァム島のコーマシャルポートに

入港し、レンドン達はグァム島からフィリピ

ンに帰国した。

二人を下船させ、船はすぐグァムを出港する。

船には、ウェリット社長が来ていた。

船頭と、何やら打ち合わせをしていた。

僕は、船頭との打ち合わせが終わったウェリ

ット社長に

「ジュリエットに会うことがあったら、これ

を渡して欲しい」と言って、手紙を渡した。

ウェリット社長は「OK」と言い、手紙を受け

取った。

船は、日本までの食料と真水を積み込むと、

グァム島を後にした。

船はマグロを載せて、鹿児島県鹿児島市に向

かい入港した。

鹿児島に母親が来ていた。

母から「これ届いてたよ」と、AIR MAILを手

渡された。送り主は、ジュリアだった。

僕は、踊る心を表情に出さないように

無愛想にそれを受け取り、ポケットに入れた。

水揚げの準備や諸々の仕事が終わり、自由時

間が来た時、寝台に戻りAIR MAILを読んだ。

手紙は、“Dear Keiji"から始まっていた。

AIR MAILには、ジュリアの近況が色々と書か

れてあり、最後の方に

「日本のバンドにスターダストレビューとい

うのがあるんだけど。趣味じゃないかな。

“夜明けのリフ”という曲が好きなの、一度

聞いてみて」と、書かれてあり

最後に 「また一緒に夕日が見れるといいな」

と、書かれてあった。

AIR MAILは日本語で書かれてあり、ジュリア

の字は僕より上手かった。

僕は航海の垢を落としに、鹿児島市にある天

文館に行きサウナに入った。

そしてまた、長靴とジャージのままジョルジ

オアルマーニに行き、セットアップと靴等を

購入し、ジャージと長靴は捨ててもらった。

その後、怪物君と待ち合わせて一緒に焼肉を

食べに行った。焼肉を食べ終わり、店を出た。

僕は怪物君に「どうする?水揚げ3時からだ

けど、もう船に帰る?」と聞くと、多くの人

が通る、天文館の商店街のど真ん中を

ソーーープランド♪ソーーープランド♪

ヤホーーヤホーー♪と、スキップをしだした。

僕は知らない人のフリをして、はしゃぐ怪物

君の遠くを歩いた。

彼は離れて歩く僕のそばに来て「ソープラン

ド行こうぜ!!」と丸太のような腕で、僕に

肩を組んできた。「俺、いいや」と断ると

「じゃあ、ピンサロ?」と、怪物君は聞いた。

「そういうことじゃなくて!俺、船に帰るよ」

と僕がいうと「そうか!じゃあ俺一人で行っ

てくる!」と言って、怪物君は人混みの中に

消えて行った。

船に戻る途中、CDショップに入り

AIR MAILに書いてあった、曲を探し購入した。

船に戻り、早速CDを聞いた。

透き通ったメロディーが、彼女にぴったりの

曲だなと思った。彼女を思い出していた。

鹿児島での水揚げは、グァム島と違いスムー

ズに進んだ。

水揚げ高は2600万円で、予想した以上に

良かった。

水揚げの片付けをして、市場の風呂に怪物君

と二人で行った。

風呂に入っている時、怪物君の背中を見たが

爪の跡は無かった。

湯船に浸かっていると「船では聞かなかった

けどさ。あのグァムでお前を船に迎えに来て

た姉ちゃん、ベッピンだったなぁ!」と

怪物君は言った。僕は素っ気なく「ああ」と

答えた。「あのネエちゃんとやったのか?」

と、全くデリカシーの欠片もない事を聞いて

きたので「先輩だけど、ぶん殴っていい?」

と僕が言うと「そんなに怒るなよ、ガハハハ」

と、笑った。

その後、怪物君の洋服を買いに、天文館の商

店街の中にある衣料量販店に行った。

怪物君に、いろいろと試着をさせてみるが

大胸筋が異常に発達していて、胸板が分厚の

と腕も異常に太く、肩の僧帽筋が盛り上がっ

ているため、着丈の合った洋服を着せると、

首から胸にかけての部分が、ピチピチになる。

身幅に合った洋服を着せると、女性用のワー

ンピースみたいになる。

何を着せても、似合わない。

僕は、その光景を面白がりながら見ていたが

見た目の割には、優柔不断な怪物君は

なかなか洋服を、選ぶことが出来ない。

僕は、怪物君を待つに飽きてきたので、女性

店員に声を掛けた。

「俺に合う服、選んでもらえる?」

すると、その娘のはすごくカッコいい洋服を

何着か、選んで持ってきた。

僕は彼女と談笑を楽しみながら、試着をした。

上着を2着買った。

僕が「買っても着る機会ないんだよな。明日

船で出港するから」と、言うと

「今夜、近く公園でイベントがあるよ。着て

行ったらどうですか」と、僕に言った。

「一人で行っても面白くないよ」と僕が言う

と「あの人と一緒に行けば?」と、怪物君を

指差た。

「あの人ソープランドで忙しいから」

と言うと、その娘は声を出して笑った。

「君、今夜空いてないの?」と僕が言うと

「空いてますけど」と彼女。

「じゃあ、君が一緒に行ってよ」と言うと

「んー別にいいですけどぉ」と答えた。

「決まり!仕事何時終わり?」と聞くと

「20時30分にはお店を出れます」と彼女。

「じゃあ、その時間に店の前で待ち合わせよ」

「ナンパだなぁ。」と、彼女は笑って言った。

「イベント一緒に楽しむだけだよ」と言うと

「わかった、いいよ」と、微笑んだ。

名前を聞くと「ユウコ」と答えた。

ダブダブの真っ赤なアロハシャツに、ダブダ

ブの白いデニムの怪物君が現れた。

センスの欠片もない、コーディネート。

僕は笑いをこら「かっこいい!!」と、とり

あえず褒めた。

すると「あたりまえよ!!」と、怪物君は言

って肩で風を切って店を出た。

どこからどう見て、70年代のヤクザ映画の

チンピラ役にしか見えなかった。

店を出て、少し歩いた。

「これからどうするの?」と、僕が聞くと。

怪物君は、嬉しそうな顔で「ニャハッ」と声

に出して笑い、上目遣いに僕を見て「女と待

ち合わせ」と言って、少し離れた交差点を指

差した。

指の先を見ると、遠目からでも超ケバいとわ

かる、ピンク色の上下のスーツを来た女が立

っている。

近づくと、その女は泉ピン子にそっくりだ。

ピン子は怪物君を見つけると「会いたかった

ぁ」と言って、駆け寄り怪物君に抱きついた。

「あ、この人昨夜のソープの人ね」と思った。

怪物君は「まぁ、こういうことだ!付き合っ

てもらって悪いな!」と言い、僕の顔も見ず

に、ピン子と腕を組んで僕の前を歩き出した。

僕は満足そうな、怪物君の背中を見送った。

ソープランドに、同伴出勤か。

ユウコとの待ち合わせまで、時間があった。

サウナに行って汗を流し、買ったばかりのジ

ャケットに着替え、パチンコ屋に行き時間を

潰した。

待合わせ場所に行くと、ユウコは既にそこに

いた。

イベントは、音楽イベントとお祭りが合体し

た様な形式で、沢山の人と出店が出ていた。

二人で、ビール片手に色々と食べ歩きをした。

とても、楽しかった

少し酔ったユウコに「今夜、家に行っていい

か?」と聞くと、彼女は「うん」と言った。

その夜、ユウコの部屋に泊まった。

翌日、お昼前に船に戻ると、船は既にエンジ

ンが始動していて、僕が乗り込むとすぐに出

港した。

その日の夜の当直の時、海を見ているとザワ

ザワと、複雑な気持ちが込みあげて来る。

ジュリアに教えてもらった曲を、また聴いた。

その時、自分のジュリアに対する気持ちが

確かなものだと言うことを、確信した。

無性に彼女に、会いたいと思った。


マグロ船に乗って、約2年の月日が経過した。

すでに船の生活にも馴れ、誰からも指示をさ

れなくなっていた。逆に、他の船員に指示を

出すようになっていた。

僕の漁師としての成長には、常に4歳年上の

兄の存在があった。

子供の頃から兄は病弱で、背骨のゆがみから

くる体調の異常に加え、酷い小児ぜんそくを

患っており、学校に行けない日も多かった。

まだ現代のように医療が発達していない頃で

故郷の島には、小さな病院が一つあるだけ。

父はマグロ船に乗っていて不在が多かったた

め、母は兄の看病が大変だったことと、僕に

病気が移るかもしれないのを危惧して、僕を

祖父母の家に預け、僕は祖父母で育てられた。

兄は、マグロ漁船を生業としてきた家系に生

まれた、待望の長男だった。

しかし、病弱が故に、幼少の頃より漁師にな

ることは無理だと言われていた。

だが、親族の反対を押し切り、船に乗った。

蛙の子は、蛙である。

僕が初めてマグロ船に乗った頃には

すでにバリバリの、一人前の漁師の兄がいた。

兄に追いつき、いつか必ず追い越してやる!

負けたくないという気持ちは、常にあった。

力比べでも、仕事の早さでも、正確さでも。

全てにおいて、常に兄と自分を比較していた。

それがあったからこそ、僕は少し早く成長で

きたのだろう。

常に兄が出来ない事を、僕は出来るように。

兄が、不得手なことを、得手としようとした。

兄に追いつき、兄より早く上に行きたい。

兄は機械類が苦手だった。

だから僕は、機関長なりたいと思った。

その航海の南下中に、機関長に機械の事を教

えて欲しいと言うと、機関長は快く引き受け

てくれて、僕は機関長補佐になった。

通常の仕事が終わった後、機関長補佐として

機関室の中で、仕事をする機会が多くなった。

機関長は寡黙な人で、機関長が機械整備して

いる後ろにいて、その様子を見て覚える。

見て覚えたことを実践して、実践しながら間

違った部分を、修正していく方法で教わった。

手取り足取り教えることはほとんど無かった。

機関室内の気温は、エンジンの熱によって

常に40~45度あり、けたたましいエンジン音

とオイルの匂いがしていた。

機関室で作業をすると、手はオイルまみれに

なり、爪の間は、常に真っ黒だった。

機関日誌の記入方法、発電機のオイル交換方

法、燃料フィルターの交換方法、バッテリー

液の補充、1号補機と2号補機の切替え方法

等の、基本的な作業からはじまり、配管から

の水漏れの補修や修理、溶接のやり方等。

毎日、機関長が作業をする後ろに張り付いて

仕事を覚えていった。

徹底させられたのが、機関室の清掃だった。

機関長は「機関室が汚れている船は、いつか

必ず事故を起こす。そして儲けも悪い」と、

僕に教えた。

僕は毎日機関室の床を磨き、清潔に保った。

常に機関室を清潔に保つことで、オイルが一

滴でも床に垂れていると、機関のどこかから

か、オイルが漏れ出している証拠だとわかる。

非常に、合理的な考え方だ。

その清掃癖は、今でも抜けない。

当時の僕は、冷凍長兼機関長補佐という役職

だった。

若かった僕は、自分の進むべき道を必死で模

索し、先に進んで行くと、次から次に目標が

見えてくる。

そう感じていた。

だから、目標の一つとして、機関長になる事

を目指した。

それと、その頃もう一つ変わった事があった。

本を読むようになったことだ。

レンドンやジュリアが教えてくれた、日本人

のプライドとナショナリズム。それを、もっ

と的確に表現したいという気持ちに合わせ

親友の、一言がきっかけになった。

帰省中のある日、その親友の家に遊びに行く

と、一冊の本があった。

僕はその本を見て「お前、こんな本よんでる

の?」と聞いた。

「お前も読んでみろよ、面白いし考え方がち

ょっと変わるかもしれないぞ」と言われた。

何気なく、その本を手にした。

落合信彦著「狼達への伝言」という本だった。

僕の人生に、影響を及ぼした一冊であること

は間違いない。

この本の中に書かれていた

「苦しみも悲しみも人生のスパイス、自分自

身の二本の足で立つしかない!」という言葉

は、今でも大好きな言葉だ。

そしてもう一冊。

僕のバイブルと言っても過言ではない

矢沢永吉著「成りあがり」。

中学生の頃、船の経営がうまくいかず、家は

クソ貧乏だった。

毎晩布団の中で、豆電球をたよりに読んだ。

それを購入し、改めて読んだ。

中学生の頃とは、全く違った感覚を受けた。

自分の身の上と、重なる部分が多くあった。

まだ携帯電話も無く、パソコンやインターネ

ットが無かった時代。

船には、リアルタイムで見れるTVも無い。

ほとんどの情報は、本から得た。

日本の文化、宗教、国際情勢、社会問題、哲

学、心理学、経済。

寄港した時に、色々な本を買込み、空いた時

間を利用して読んだ。

本を読むことによって、書かれていることへ

の疑問が生まれ、その疑問を調べるために、

また別の本を読み調べる。

これの繰り返しだった。

本を読む事によりボキャブラリィが増え

いつの間にか、僕は自分の気持ちを、言葉で

表現できるようになった。

二十歳そこそこの僕は、色々な事を経験して

いく中で、人生設計とまではいかないが、一

つの決め事をした。

25歳までは、自分の好きな事や興味を持った

事を、徹底的にやろう。

ルールは、法を犯さなければ何をやってもOK。

25歳になってから、それまでの自分を振り返

り自分の生き方を決めて、夢を追いかけよう。

漁師として、仕事も体力も、先輩達に負けな

い程度になってきた。

釣れたマグロやサメのほとんど枝縄は、僕が

手繰る(たぐる)ようになっていた。

ボースンが「生きたマグロは、ケイジにまか

せろ」と言ったのが、きっかけだった。

生きたマグロを手繰り寄せるのには、コツが

ある。

キハダマグロやカジキマグロが釣れても

然程値がつかないため慎重になることはない。

しかし、生きたメバチマグロや本マグロが釣

れている場合は、手馴れの漁師しか、その役

を任せては貰えない。

近海物の50キロのメバチマグロの場合

1キロ当たり1,800~2,500円の値がつく。

それをバラした(逃がした)となると、最低

でも75,000~125,000円の、損出をだすこと

になる。

マグロを逃すと言うことは、金を海に捨てる

のと同じことだ。

一人前の漁師は、枝縄を持っただけで、それ

に何が釣れているのかがわかる。

サメは、最初ズシンと重く、枝縄を手繰って

いくとスースーと泳いでくる。

カジキマグロの場合は、ギューギューと抵抗

して綱引きのような感じ。

キハダマグロは、コツコツと小刻みな反応。

メバチマグロの場合は、クイクイと腰を使う。

本マグロはグイグイと、反対側から引っ張ら

れている感じがする。

マグロを手繰りよせる時のコツは、最初軽く

引っ張り、マグロが泳ぐ方向を船の方向に向

けさす。

マグロが船に泳いでくるよう、仕向けるのだ。

これはマグロの、体形構造上の泳ぎ型を利用

する。

マグロは、180度の急回転ができない。

緩やかな弧を描くように回転する。

だから、マグロの泳ぐ方向を船に向けてあげ

れば、自ずから泳いでくる。

ただし、マグロが船を見た瞬間、防衛本能か

ら逃げようと走り込む。

マグロに走り込む隙を与えないよう、手繰り

寄せる力を調節しながら、素早く軽快に手繰

りよせる。

逃げようと走り込んだ場合、持っている枝縄

を、絶対に押さえつけたりしてはならない。

押さえつけると、口が裂けてしまいバレてし

まう。

逃げようと走り込むと、枝縄に「とったり」

と呼ばれる延長ロープを付けて、マグロを走

るだけ走らせてマグロが止まるのを待つ。

止まったら改めて引っ張り、頭を船の方向に

向けさせてから泳いでくるよう手繰る。

そして、弦門にマグロが頭を見せた瞬間、鈎

で頭の部分をひっかけて、一気にマグロを船

に上げる。

この時、絶対に甲板に打ちつけるように、マ

グロを下ろしてはならない。

甲板に打ち付けた衝撃で、マグロの身が傷む

のだ。

素早く手繰り、一気に上げ、そっと下ろす。

しかし、ゴンドウクジラ等が近くにいたりす

るとマグロの食いが浅く良くバレる。


その日、縄を揚げ始めてすぐに「商売!」と

声が聞こえた。僕はサッと舷門の中央に立ち、

枝縄を受け取ろうとスタンバイした。

僕の手に枝縄が収まり、足を踏ん張り腰から

胸にかけての力を抜く。

枝縄を持った手の感覚をから、キハダマグロ

だと思った。生きている。

伝わってくるマグロの泳ぎ方に合せて、肩で

引っ張るように態勢を整え、腕で枝縄を手繰

り寄せた。

しかし、すぐにバレた。

その次も、そのまた次も、バレた。

「クソっ」と思い、呆然とする僕の頭に、

ジュースの空き缶が“コン”と当たった。

ブリッジで船を操縦をする、船頭が投げつけ

たのだ。

「逃がすんじゃねぇ!」という、意思表示だ。

アルミ製の空き缶なので、頭にあたっても大

して痛くはない。知らん顔をしていた。

また「商売!!」と声がかかった。

サッと舷門に行きスタンバイ、手に枝縄が収

まる。枝縄を持った瞬間、バレた。

誰かが「シャチ(ゴンドウクジラ)が近いん

だな」と呟いた。

すると“ゴン!!”と、頭に衝撃が走った。

かなりの痛さに、頭を押さえて足元を見た。

足元には、空き缶が転がっていて、中から水

が流れでていた。

アルミの空き缶当たっても、知らん顔をした

僕が気に食わなかったのか、船頭は空き缶に

水を入れそれを僕に向かって、投げ付けたの

だった。

痛かったが、痛がる姿を見せるのが悔しくて

何事も無かったかのように、また知らん顔を

した。

もちろん船頭も、シャチが近くにいることは

百も承知である。

船頭の、僕に対する八つ当たりなのだが、漁

師はゲンを担ぐ。だから、悪いのは近くにい

るシャチではなく、僕なのだ。

僕が“バリ臭い”のだ。

ものすごく矛盾している考え方だが、往々に

して、漁師にとっては一般的な考え方である。

甲板からブリッジを見上げると、船頭が操縦

する操舵席の机の上に、ズラリと空き缶が並

んでいた。

「あれ全部水入れてるだ」と、僕は思った。

「商売!」と声がかかるが、またバレる。

その都度、水の入った缶が投げつけられる。

投げられた水入りの缶は、頭や背中に当たる。

缶が当たらないこともあるが、結構な高い確

率で僕の体のどこかに当たった。

なかなかコントロール、良いじゃないか!!

その日、マグロが上がってくるのは10本中1

本が良いところだった。

水入り缶が頭に当たると、もちろん痛いし

頭にコブが、2~3個できてきた。

だから僕は、ヘルメットをかぶることにした。

揚縄も中盤になり「商売!」と声がかかった。

僕は弦門にスタンバイした。

左手に枝縄が収まる。

右手に枝縄を持ち替えて「生きたキハダ」と

言い2~3回手繰ると、バレた。

するとヘルメットをかぶっている頭に、水入

りの缶がゴン!と当たった。

だがヘルメットをかぶっているので、ちょっ

と衝撃があるくらいで、痛くもかゆくも無い。

シレッと知らん顔をして、ブリッジに背を向

け、ヘラヘラと笑っていた。

笑っている僕を見て、他の船員も笑っていた。

すると・・・・・。

ドッカァァァァァァーーーーーーーン!!!

背中に物すごい衝撃と激痛が走り、僕はあま

りの痛さに、うずくまった。

うずくまりながら横を見ると、機関室の使い

古されたバッテリーが転がっていた。

重さが30キロくらいある、バッテリーだ。

こんなものが頭に当たったら、頭蓋骨陥没か

下手すると死ぬこともある。

バッテリーを見ると無性に腹が立ち、僕は起

き上がり、ブリッジを見上げて「殺す気か!」

と怒鳴った。

すると船頭は、ブリッジの窓をあけて

「マグロはテメェより高ぇんだ!逃すな!!」

と、僕に怒鳴り返した。

怒りが収まらない僕は、バッテリーを持ち上

げ、海に放り込んでやった。

それを見ていた機関長が僕に近寄ってきて

「でかした!新しいバッテリーが買えるぞ」

と、小さな声で笑いながら言った。

怪物君は、顔を隠しながらクスクスと笑って

いた。

揚縄が終わり、風呂に入ろうとした時

「お前、背中えらいことになってんぞ」と、

兄が僕に言った。

風呂からあがり、背中を鏡で見た。

右の肩甲骨から、左の脇腹辺りに掛けて、長

方形の紫色の大きなアザができていた。

翌日は、適水(操業休み)だった。

熱帯低気圧が発生し、海は大時化だったが。

「二~三日したら凪になるさ」と思った。

海がどんなに時化でも、どんなに寒かろうと、

雨が降ろうが、雷が落ちようが。

マグロがいる海なら、縄をはえマグロを獲る。

僕らは、マグロはえ縄漁船の漁師なのだから。


その航海も満船となり、船はグァム島に入港

した。今回はグァム島での水揚げだ。

船が接岸するグァム島のコマーシャルポート

は外国船籍の入港するため、高さ3m近くある

鉄製の金網で、2キロ四方を囲まれており、

出入り口は一カ所しか無い。

出入り口にはセキュリティゲートがあり、常

に銃を携えた警官が立っている。

コーマシャルポート内への出入りには、セキ

リティチェックを受けなければならない。

船が着岸する岸壁から、セキュリティゲート

まで500メートル程離れていた。

グァム島は、相変わらず南国の、のんびりと

した雰囲気が漂っていた。

入港してイミグレーションを受け、上陸許可

が下りた。

すぐに事務所に行き、電話を借りてジュリア

に電話をした。

「入港したよ。すぐに君に伝えたくて電話を

した」と、僕が言うと「そう。連絡、待って

たよ」と、彼女は嬉しそうに言った。

「今夜。どこかで食事でもする?」と彼女。

「うん、そうしよう!」と僕。

「1時間後にゲートに迎えに行くわ」

「うん、ありがとう」と言い、電話を切った。

シャワーを浴びて身支度を整え、夕暮れの中

を歩いてゲートに向かった。

ゲートに行くと、警備をしている警官が

「Are You Japanese?」と、話しかけてきた。

僕は「Yes」と答えた。

するとその警官は「わたしは、山口県の岩国

基地にいました」と言い「ジェフといいます。

よろしく」と、綺麗な日本語で握手を求めて

きた。

僕は「日本語上手いですね」と言い、握手を

した。

すごく強いグリップだった。

ジュリアを待つ間、彼がグェム島出身のチャ

モロ系アメリカ人で、軍人として岩国基地に

駐屯していことや、奥さんは日本人であるこ

となどを話した。それ以来、僕はゲートを通

る時に顔パスになった。

彼と談笑をしていると、白いピックアップト

ラックがタイヤを鳴らし止まった。

車の中から、ジュリアが出てきた。

そのジュリアを見たジェフは「ピュ~」と口

笛を鳴らした。

夕暮れの風になびく金色の混ざった栗色の髪

をかき上げたジュリアは、息を呑むほど綺麗

だった。

ジュリアは「お待たせ!」と僕に声を掛けた。

僕は「久しぶりだね」と言った。

向かい合った瞬間、ジュリアは両手を繋いで

きた。照れ臭かった。

「Let's go」と言って、僕を引っぱるように

歩き車に誘った。車に乗り込もうとした時、

ジェフが僕らの背後から、英語で何か言った。

ジュリアは前を向いたまま、背中越しのジェ

フに向って、微笑み左手の中指を立てた。

僕が助手席側に回ろうとすると

「日本の男の人って、女に運転させるの!?」

と僕に言った。僕は少し恥ずかしくなった。

確かにここは、男が運転すべき場面だ。

グァム島はアメリカの自動車運転免許証がな

ても、日本の運転免許証を持っていれば、車

を運転することができた。

パスポートと免許証を提示すれば、レンタカ

ーを借りることもできる。

僕は「俺が運転するよ」といい、運転席側か

ら車に乗り込んだ。

僕はハンドルを握り、アクセルを踏み街に向

かって車を発進させた。ラジオからはアメリ

カのヒットチャートが流れていた。

車を運転しながら、不思議な感覚に襲われた。

グァム島と言っても、ここはアメリカだ。

緊張した。

車に乗ってからジュリアは、運転する僕の顔

をずっと見ていた。

僕が「なに?」と聞いても「なんでもないわ」

と、微笑むだけだった。

窓を開けたまま、車を走らせていた。

窓からの風と、カーラジをから流れてくる

ROCKの音色が心地よかった。

自然とタバコに手を伸ばし、口にくわえた。

僕がくわえたタバコを、取り上げて

「タバコ、嫌いなの」と、ジュリアは言った。

「先に車を停める場所があるから、そこに停

めてタバコ吸いなよ」と言ってラジオのチャ

ンネルを変えた。

U2のWith or Without Youが、流れてきた。

僕の大好きな曲だ。

海に面した道路に、車を停める場所があった。

そこに車を停め、エンジンを掛けたまま

僕は車を降りた。目の前にはオレンジ色から

暗闇に変わろうとする、海が広がっていた。

僕は、車を降りてタバコをくわえようと、浜

辺に向かって歩いた。

背後から「ねえ、何か言うことないの?」と

ジュリアが、僕に向かって言った。

振り返ってジュリアを見た。

振り向いたまま、考えるよりも先に、言葉が

口をついて出た。「会いたかったよ」

ジュリアは僕に駆け寄り抱きついて「Me too」

僕は持っているタバコとライターをポケット

に仕舞い、ジュリアを抱きしめ口づけをした。

時間を忘れ、何度もキスをした。

気がつくとすっかり日は沈み、辺りはオレン

ジ色の街灯に包まれていた。

「いいかげんにしようか?」と、笑いながら

僕が言うと「そうだね」と言って、ジュリア

も笑った。

車に乗り込み、レストランへ食事に行った。

食事を終えて、車に乗り込み「どこに行こう

か?」と相談した。

僕は、ジュリアと一緒にいられるのなら、場

所はどこでもよかった。

僕が「一緒にいられれば、何処でもいいよ」

と言うと、「わかったわ。私が運転する」と

ジュリアは運転席に座り、車を発進させた。

僕は助手席に座り、黙って窓の外を流れる街

の風景を眺めていた。

「どうして、急に黙るの?」と彼女が聞いた

「一緒にいることを楽しんでるんだよ」と答

えた。

車は登り坂の夜道を進み、グァム島の夜景を

見下ろせる、崖の上に停まった。

ピックアップトラックの荷台にラグを敷き

二人で並んで寝ころび、月を眺めた。

僕達の真上に、三日月が出ていた。

ジュリアは、無理やり僕の左腕を取り腕枕さ

せて「動かないで」と言いながら、僕の腕の

中で、自分の頭にピッタリ合うポジションを

探した。

頭の動きが止まった。

「ここだ」と、ジュリアは小さな声で言った。

彼女を抱きしめているだけで、十分だった。

「船の話を聞かせて」とジュリアは言った。

「聞かない方がいい事ばかりだよ」と僕が言

うと「いいの、教えて」と言った。

僕は、ジュリアに船での生活の話をした。

ジュリアは話を聞きながら、何度か「Woo」

とアメリカ人らしいブーイングを、僕の腕の

中でささやいた。

僕の話が尽きる頃、ジュリアが僕に言った。

「ねえ。こういう時、日本の男の人って好き

な女の子になんて言うの?」と、僕に聞いた。

僕が「アメリカ人は言葉が必要なのか?」と

聞き返すと、ジュリアは黙って、僕を見つめ

「OK」と言い、抱きついてきた。

僕は彼女を、力強く抱きしめた。

僕は、ジュリアに会ってから疑問があった。

「なぁ、なんで俺なんだ?」と、率直にジュ

リアに聞いて見た。

するとジュリアは、驚いた感じで少し怒った

表情をして「そういうこと、二度と私に聞か

ないで。私、自分に自信が無い人嫌いなの」

と言った。僕は「そうか」と答えた。

すると「本気で聞いたの?」と、僕に言った。

「嘘で聞かないだろ。本当に不思議なんだ」

と、僕が言うと「あなたは自分の事がわかっ

てないんだね。いいわ、私が少しずつ教えて

あげるよ」と言って、笑った。

ジュリアの門限の時間が近づき、僕が車を運

転してジュリアの家に向かった。

ジュリアの家に着き、車を駐車場に停めた。

「タクシー呼んでもらえる?」と僕が聞くと

ジュリアは「あなたって本当に面白い人」と

言いキスをしてきた。

「ご両親に挨拶した方がいい?」と聞くと

「アメリカでは、それが普通よ」と言った。

ジュリアの家は、あいかわらずの豪邸だ。

玄関からリビングに入ると、ジュリアのご両

親がソファに座っていた。

僕は「こんばんは」と挨拶をすると、ご両親

は優しく迎え入れてくれた。

僕はご両親を前にして、突然「あの、お父さ

んは日本語がわからないと思いますが。」と

前置きをして「僕、英語が喋れないので日本

語で言います。」と断って「僕、ジュリアと

お付き合いします!」と、直立不動の格好で

言った。

それを見ていたジュリアとお母さんが、大声

を上げて笑い出した。

僕が何を言ったかを、お母さんがお父さんに

英語で訳した。

すると、お父さんも吹き出して笑った。

僕は、自分の顔が真っ赤になるのがわかった。

恥ずかしさのあまり「俺、なんか間違って

る?」と、ジュリアに聞いた。

するとジュリアは腹を抱えながら「間違って

ないわ」と、笑って言った。


タクシーが迎えに来た。

タクシーに乗り、幸せな気持ちで船に戻った。

翌朝、マグロを水揚げした。

水揚げの後、船頭にブリッジに来るよう言わ

れ、僕はブリッジに言った。

ブリッジに入ると、船頭と兄がいた。

船頭は僕達に「あと3航海、グァムに入港し

たいんだが。どう思う?」と聞いた。

「ということは、あと3ヶ月位は日本に帰れ

ないということですよね?」と、兄が聞いた。

船頭は「そうだな」と答えた。

船員は、前航海の鹿児島入港を合わせると

すでに3ヶ月間、家族と会っていない。

プラス3ヶ月だと半年間会えないことになる。

それは、流石に長いと思った。

「船の事情なら仕方ないけど。次に日本に帰

った時、何人か辞めていくかも」と、僕は言

った。

船頭も「そうだなぁ」と考え込んだ。

兄が「それなら、これから日本に飛行機で帰

国したら?」と言った。

それだと通常の航海と同じ、3ヶ月で帰れる

ことになる。

僕は「それはいいい考えだ!」と言った。

船頭も「そうするかぁ」と、考え込む感じで

言った後「ただ船を無人で接岸しておくこと

はできない。誰か留守番が必要なんだ」と、

続けて言った。

「それなら俺とレンドンとエディーが残りま

すよ。」と、僕は言った。

「そうしてくれると、ありがたいが。いいの

か?」と船頭が聞いたので「問題ないっす」

と答えた。

僕とレンドンとエディーの三人は、他の日本

人船員が日本へ帰国する10日間、グァム島

で船の留守番をすることになった。

僕たち三人を残し、他の船員は帰国した。

入港中で他の船員がいなくても、ダラダラと

過ごしたくなかった。

そこでレンドンとエディーと話し合い、毎日

起床時間と作業内容を決め、仕事をすること

にした。

朝食は僕が作り、7時にベルで二人を起こす。

二人の朝食が終わり次第、僕が二人に作業を

指示して、僕は機関室に入り機械整備をした。

正午まで仕事をして、正午になると三人で

ゲートの外に駐車している、キッチンカーに

行きランチを買って食べる。

その後、シャワーを浴びて自由時間。

自由時間と言っても、フィリピン人船員の二

人は街に遊びに行く金は無かった。

フィリピンにいる家族に、収入の全額を仕送

りしていた。

僕は二人があまりにも暇だろうと思い

僕の寝台に設置している、TVとビデオデッキ

を船員食堂に設置し、ショピングストアから

アメリカ映画のビデオを買って来て、映画を

観れるようにした。

仕事をしている僕たちに、ジュリアがドーナ

ッツやピザを差し入れしてくれた。

ジュリアは、僕たちの中に直ぐに馴染み、フ

ィリピン人の二人とも仲良くなっていた。

留守番をしている僕たちに、ウェリット社長

が粋な計らいをしてくれた。

入港してまで、狭い船内だけで過ごすの可哀

想だし、街に行く交通手段も必要だと、自分

の所有しているマンションの部屋と、使って

いない車を貸してくれることになった。

僕達三人は、仕事が終わった後ウェリット社

長の車でマンションに向った。

マンションに向う車の中で、助手席に座る僕

に向ってウェリット社長が

「ケイジ君。君は私の息子と同じ歳なのに随

分としっかりしているねぇ」と言った。

ウェリット社長にはデェィヴィッドJr.とい

う、僕と同じ歳の息子がいた。

ニックネームを“J”といい、たまに港で見

かけることがあった。

マンションと車は、Jが大学に進学した時に

一人暮らしをしたいと言いだし、母親が購入

して与えたと、ウェリット社長は説明した。

Jは大学入学後、悪い遊びに部屋を使い、自

宅に連れ戻されたらしく、それで今は空き家

になっているということだった。

マンションはホテルストリートを抜けた、小

高い丘を登った途中の中腹にあった。

駐車場に車を停めて、マンションの門をくぐ

ると、中庭にプールが見えた。

階段で二階に上がり、一番奥の部屋のドアを

空け部屋に入った。

部屋の中は、整理整頓されていた。

ハリウッド映画に出てくるよな、広い部屋だ。

室内には、リビングと寝室2部屋ありキッチ

ンも広かった。

ウェリット社長は、マンションの室内設備の

説明をした後、ガレージに案内した。

ガレージには、HONDAアコードがあった。

ウェリット社長は「短い間だけど、グァムを

楽しんで。安全運転でね」と、僕に車のキー

を渡した。

車のキーを僕に渡した後「ところで、彼らは

泊まれないからね。お風呂だけだよ」とウェ

リット社長は、僕の耳元で言った。

レンドンとエディーのことだ。

当時グァム島では、フィリピンから出稼ぎ労

働者のビザが切れた後の、不法滞在が多発し

ていた。

そのため、入国管理局はフィリピン人の入出

国管理に、相当神経をとがらせていた。

僕は、ウェリット社長に「それを英語で彼ら

に説明してもらえませんか?」と言うと、ウ

ェリット社長は二人に英語で説明した。

レンドンとエディーは、心得いるようだった。

僕がレンドンとエディーに「Sorry」と言う

と、二人は「モンダイナイ」と笑った。

ウェリット社長が部屋を去った後、三人で早

速プールに行き飛び込んだ。

レンドンが、サングラスを掛けて、プールサ

イドにあるデッキチェアに腰掛け、ビールを

片手に優雅な表情を浮かべて、エディ・マー

フィーの真似をして、僕たちを笑わせた。

時間を忘れて、三人で遊んだ。

夕方になり、僕が車を運転して船に帰る途中

マクドナルドのに寄り、船に帰った。

二人に申し訳ないので、僕も船に寝泊まりを

することにした。防犯上の問題もある。

グァムでの日々は、瞬く間に過ぎて行った。

翌日は土曜日だったので、休日にした。

僕はジュリアと、ランチの約束をしていた。

レンドンとエディーを、ランチに誘った。

正午になり、三人でゲートに向かった。

グァム島は雨季に突入していたが、その日は

天気が良く、太陽は真上から照りつけていた。

太陽を避けるため、セキュリティゲートの影

に入り、ジュリアを待っていた。

白いピックアップトラックが近づいてきた。

車のフロントガラス越しに、運転しているジ

ュリアの姿が目に入った。僕はジュリアに手

を振った。

車は、セキュティゲートの前に止まった。

レンドンとエディーは、ジュリアに英語で挨

拶をした。ジュリアもそれに答えた。

僕が助手席に乗ると、二人はピックアップト

ラックの荷台に乗りこんだ。

グァム島では、ピックアップトラックの荷台

に人が乗って走行しても問題は無い。

助手席に座った僕に「二人、誘ったの?」と、

ジュリアは聞いた。

「ああ」と僕が答えると「あなたらしい」と、

ちょっと困った顔で笑った。

ジュリアの顔に「デートだよね!?」と書い

るようだった。

4人で、チャモロ料理を食べに行った。

小さな店だったが、テラスがあり太陽を遮る

ように屋根が付いていた。

ジュリアは食事しながら、レンドンとエディ

ーに、英語で色々と質問をした。

話の途中、僕の顔を観察するように見た。

ジュリアは僕の事を、二人に色々と聞いてい

るようだった。

しかし僕は、照れ臭かったので、何を聞いて

いるかは聞かずに、知らん顔をして食事を続

けた。

ランチの途中、ジュリアが僕に向かって

「行きたい場所があるの」と言った。

僕は場所も聞かずに「いいよ」と答えた。

「あなたっていつもそうね。どこに行くのか

聞かないの?」と、ちょっと怒った感じで

僕に聞いた。

僕は「場所を聞いても知らないし、行けばわ

かるじゃん」と答えると、あきれた感じで

「ほんと単純な人」と、微笑みながら言った。

ジュリアは独り言を、英語でボソボソと言い

それを聞いたレンドンとエディーが、クスク

スと笑っていた。

ランチを終えて、ジュリアは車を走らせた。

車は、山間の道路を進んでいく。

林を抜けると、駐車場があり車を停めた。

車を降りて、森に繋がる小さな山道を歩いた。

森全体が、湿気で覆われている感じがした。

少し歩くと、涼しげな風を肌に感じる。

水の音が聞こえてきた。

森を抜けると、キラキラと輝く池が見え水の

流れる音が聞こえてきた。

水の音のする方に目を向けると、滝があった。

滝は大きくは無いが、流れる水が綺麗だった。

僕は、キラキラと輝く池の側に腰を下ろした。

ジュリアは僕の横に座った。

池を見つめている僕の横顔を見ながら

「やっぱり、そういう顔をすると思ったよ」

と、ジュリアが言った。

僕が「ん?」と聞くと「何でもない、面白い

人」と言って、笑った。

レンドンとエディーは、僕達と少し離れた川

辺に大の字になり、目を閉じて水の音を聞い

ている。

僕の膝を枕に、ジュリアは横たわった。

僕は、随分と長い時間、キラキラしている水

面を見つめていた。

ジュリアの顔を見ると、寝息を立てていた。

目醒めるまで、このままでいさせてあげよう。

煌めく池の水面を見つめ、ジュリアの重さを

感じながら思った。

「このまま、時間止まらねぇかな」と思った。

陽が、少し西に傾いてきた。

ジュリアは目を覚まし、まどろみながら「寒

い」と言った。僕は、ジュリアを抱きしめた。

煌めいた水面は、日の傾きと共に輝きを失っ

ていった。

僕は、全ての輝きが失われるのを見たくなか

ったので「そろそろ戻ろう」と言った。

ジュリアが寝むそうにしていたので、僕が車

を運転した。山道を抜け、交通量の多い道路

に出て、コマーシャルポートに向かった。

レンドンとエディーは、滝の駐車場を出る時

僕達に遠慮したのか、船に帰ると言った。

二人を、船まで送ることにした。

信号で止まった時、赤いピックアップトラッ

クが僕たちが乗る車の右側に止まった。

赤いピックアップトラックの開けた窓から、

大きな音でヒップホップが流れていた。

赤いピックアップトラックには運転手と助手

席に一人、荷台に3人の男が乗っていた。

赤いピックアップトラックの運転席の男が、

ジュリアが座る、助手席側の窓をコンコンコ

ンとノックした。

ジュリアは、それを無視した。

その男が窓越しに、何かを叫ぶのが見えた。

ジュリアは「相手にしないで。ゆっくり行き

ましょ」と、僕に言った。

僕は「そうだね」と言って、信号が変わると

ゆっくりと車を進めた。

しかし赤いピックアップトラックは、僕らの

行く手を遮るように、僕が運転する車の前に

ピッタリと執拗に張り付いて離れない。

荷台に座る男達が、中指を立てたりして僕を

挑発している。

僕は、冷静でいるよう自分に言い聞かせた。

ジュリアは「彼らの目見た?真っ赤だったで

しょ。マリファナやってるの、ああいう人大

嫌い」と、吐き捨てるように言い「悲しい事

だけど、彼らはフィリピーナよ。レンやエデ

ィーと同じ国の人」と続けた。

ゆっくりと走る僕らに対して、挑発を続ける

赤いピックアップトラック。

僕は、赤いピックアップトラックから離れよ

うと思い、ハザードランプを点滅させ車を路

肩に駐車した。

すると赤いピックアップトラックは、僕たち

の少し先に同じように駐車した。

クラクションを鳴らしている。

荷台の男達は、僕達を見てニヤニヤ笑いなが

ら、僕達を指差し何か話している。

ジュリアが「とにかくコマーシャルポートま

で行きましょう。ゲートの警官を見たら、彼

らは引き返すわ」と、僕に言った。

僕は、改めて車を発進させた。

赤いピックアップトラックは、また僕ら車の

前を遮るように、蛇行運転をしながら走った。

すると、前方を走る赤いピックアプトラック

の助手席の男が箱乗りになり、ビール瓶を投

げつけた。フロントガラスから、投げ付けら

れたビール瓶が、頭上を過ぎるのが見えた。

狙ったのは運転席ではなく、荷台に座るレン

ドンとエディーだった。

僕はルームミラーで、荷台に座る二人を見た。

エディーが頭を押さえて、うずくまっている

のが見えた。

僕が「エディーに当たった見たいだ!」と言

うと、ジュリアは座席後方の窓から、荷台を

確認した。「頭から血が出てるみたい!」。

その瞬間、僕の中で何かがはじけた。

猛烈に怒りが湧き上がってくる。

僕はアクセルを踏み込み、赤いピックアップ

トラックの後方にピッタリと張り付き、クラ

クションを鳴らした。

次に右側を並行し窓を開けて、赤いピックア

ップトラックの助手席に向かって「止まれ!」

とジェスチャーをした。

助手席でジュリアが僕に向かって何か叫んで

いたが、全く耳に入らなかった。

“仁義なき戦い”という映画で、主人公の広

野が言った「追われるモノより、追うモノの

方が強いんじゃ」というセリフが、頭の中に

巡った。

ルームミラーでレンドンとエディーを見た二

人の表情は怒りに震えている様に見えた。

僕と目が合ったレンドンが、鋭い目つきで僕

に向かって親指を立て、横に引いた

それはマグロ船での揚縄中、サメを殺す時の

ジェスチャーだ。

道路は、三車線道路だった。

僕はレンドンに頷き、赤いピックアップトラ

ックの前に出たり、後ろに付いたり、並行し

たりして煽った。

赤いピックアップトラックの運転に、明らか

に焦りが見え、運転が荒くなってきた。

車が大きく揺れ、荷台に乗る男たちの顔に焦

りの表情が見てとれる。

赤いピックアップトラックは、僕達の車をか

わそうと、車線を右側に変更し、スーパーマ

ーケットの駐車場に入ろうとした。

その時、ルームミラーを見た。

頭から血を流しているエディーが、僕に向か

って親指を立て、横に引いた。

僕は赤いピックアップトラックを追って、駐

車場に車を進めた。ジュリアは黙っていた。

赤いピックアップトラックの隣に車を停める

と、レンドンとエディーが、赤いピックアッ

プトラックの男達と口論を始めた。

口論で交わされる言葉は、英語では無かった。

ジュリアは「あなたは出てはダメよ、中にい

て」と言って僕を制止し、車から降りた。

僕は「わかった」と言い、見守ることにした。

同じフィリピン人同士だし、殴り合いのケン

カには発展しそうになかった。

窓を開けて、ジュリアを見た。

ジュリアは、口論を納めようとしている。

徐々に声が静まり、口論は収まって来た。

僕は車から降りて、レンドンとエディーに

「まだやるのか?」と聞いた。

すると二人は僕を見て「モウイイ」と言い、

僕は二人に頷いた。

ジュリアに「もういいみたいだよ、帰ろう」

と声を掛けた。ジュリアは僕に頷いた。

僕は、ジュリアより先に運転席に乗り込んだ。

その時、ジュリアは助手席側のドアを開けて

振り返り、その男たち向かって叫んだ。

僕は、その時ジュリアに何が起こったのか見

ていなかった。

車を発進させようとした時、助手席のジュリ

アが怒った感じで、英語で何か言っていた。

僕は「どうしたの?」と聞いた。

「車乗る時、触られたの」と、涙を必死に堪

えた顔で、正面を向いたまま言った。

プライドの高い人だ、体を触ると言う女性を

軽蔑した男の行動が、心から許せなかったの

だろう。

僕の中の、何かが切れた。

僕は冷静を装い「誰がやったの?」と聞いた。

ジュリアは、白いシャツの男と答えた。

一方通行の駐車場を一周し、ジュリアに「つ

かまっておけ」と言い、荷台にいるレンドン

とエディーに、ルームミラー越しに親指を立

て、喉を搔き切るジェスチャーをした。

赤いピックアップトラックは、まだ同じ場所

に駐車していて、荷台に男達が座っている。

赤いピックアップトラックが正面に来た時

その車に向かって、僕はアクセルを踏み込み、

突っ込んだ。

ドォォォォーーーーーーーーーーーン!!!

赤いピックアップトラックの荷台に座ってい

る男達が、吹っ飛んで行くのが見えた。

車を止めて、運転席を飛び出し白いシャツの

男を見つけた。容赦はしなかった。

ジュリアは、僕を何度も止めようとした。

しかし、一度火が付いてしまうと、誰も止め

ることはできない。

レンドンとエディーとジュリアの三人が、僕

を押さえつけようとしているのに気がついた。

白いシャツの男は、顔面が真っ赤な血で染ま

り、鼻がグシャグシャにり、前歯が無くなっ

ていた。

他の男たちは、呆然と見ているだけだった。

すると、数人の警官がやってきて叫びながら

僕を抑えつけた。僕は抵抗しなかった。

心の中で「やっちまった」と思った。

僕は後ろ手に手錠を掛けられ、結束バンドで

足を固定された。

パトカーの後部座席に乗せられ、僕の両脇に

警官が座った。右側の警官が、僕のデニムか

らパスポートを引っ張り出した。

何か質問しているが、英語なので分からない。

パトカーの運転席に、女性警官がいた。

「You Speak English?」と左側の警官が聞いた。

僕は「No」と答えた。

すると右側に座った白人警官が「Yellow

Monkey」と、言うのが聞こえた。

「あぁ!んだこのクソやろー!!」と、その

警官に向かって叫んだ。

僕は秩序は乱したが、侮辱は許していない。

すると左側の警官が「Quiet!」と言って、

僕を抑えつけた。

僕は侮辱した白人警官を、睨み続けた。

少ししてパトカーは、警察署に到着した。

パトカーは警察署の正面門をくぐるり、一般

車両が止まっている、表玄関の駐車場を抜け

裏側に廻り入口の前で止まった。

僕は、パトカーから引きずり降ろした。

足を結束バンドで固定されていて、歩けない。

二人の警官に両脇を抱えられ、引きずられて

警察署の中に入った。

署内に入ると、金網に囲まれた受付があった。

凶器を隠していないか身体検査をされ、デニ

ムのポケットから、財布とタバコとライター

を取り出され、警官はそれを受付に渡した。

身体検査が終わると、足の結束バンドが外さ

れ、後ろ手の手錠が外されて、前で両腕を組

まれ、また手錠をされた。

受付の警官が「Name」と、僕に向かって言い

書類の“Name”と書かれた部分を指さした。

手錠をされたまま、僕は漢字で名前を書いた。

手錠を掛けられたまま、警察署内の廊下を歩

いて行くと、廊下の途中に通訳のキムさんが

立っていた。

キムさんは僕を見るなり「どうしたの!?大

丈夫!?」と、心配そうな顔で聞いた。

僕は「キムさん、面倒かけてごめん」と言っ

た。

「怪我ないの!?」とキムさんが聞いたので

「大丈夫だよ」と答えた。

通訳のキムさんは、僕のことをすごく可愛が

ってくれ、気にかけてくれた。

キムさんの年齢は64歳。

“日本人は閉鎖的”というイメージが強かっ

たキムさんは、僕に向かって「君は日本人に

しては珍しいね。開放的だ」と言った。

僕が興味を持った、韓国との文化交流の場に

ちょくちょく連れて行ってくれた。

本場の韓国料理を食べさせると言って、僕を

自宅に招待してくれ夕食をご馳走してくれた。

キム家自家製キムチとナムルは、絶品だった。

キムさんには、子供がいなかった。

息子さんは、祖国の内乱に巻き込まれ亡くな

ったと聞いた。

僕は、事務所の様な場所に連れて行かれた。

事務所の中に、キムさんも一緒に入ってきて

「わたしが通訳するよ」と、僕に言った。

L字型になった二つの机に二人の警官が座り

僕は、一人を正面に一人を右側を見る位置に

座らされた。

僕の隣にキムさん立っていた。

僕は「キムさん、座りなよ。俺が立ってるよ」

と言うと「ダメダメ!いいから大人しく座って!」

と、少し怒ったように言った。

警官の質問を、キムさんが通訳をして僕に伝

えた。

僕は、事と次第を全て話した。

大体の状況説明が終わった後、初めてキムさ

んが何やら警官に問いかけた。

警官は事務的な口調で、キムさんに何かを言

うと、キムさんは苦痛の表情を浮かべ、身ぶ

り手ぶりで何かを訴えかけていた。

僕は、キムさんが「No!No!No!」という言葉だ

けは、聞き取ることができた。

警官とキムさんとのやり取りは続いた。

キムさんは時には激しく、時には懇願するよ

うに、アクションを交えて警官に訴えかけて

いた。

その仕草は、僕を擁護しているに違いなかっ

たが、英語がわからない僕は、キムさんが何

を説明しているのかが、全く分からなかった。

僕が「キムさん、何を言ってんの?」と聞く

と「黙って!!」と、僕を怒った。

そこにスーツ姿の黒人が入ってきて、僕の目

の前の警官に何やら耳打ちをした。

二人は、ヒソヒソと話をした。

警官は納得いかない様子で、前に置かれた書

類に判子を押し、僕に向かって何かを言った。

僕は「?」という表情で警官を見ていると

隣に立っているキムさんが「オーライッ!!」

と言って、ガッツポーズをした。

僕は「なになに?」とキムさんに聞いている

と、警官が立ちあがり、僕の手首に掛けられ

てある手錠を外した。

両腕が軽くなった。

両手の拳を見ると、血の乾いた跡と両方とも

醜く腫れあがっていた。

殴り過ぎてしまったらしい。

キムさんは「これから裁判!簡単な裁判!!」

と言って、僕の背中を叩いた。

どうやら、裁判所に行くようだなと思った。

警官は判を押した書類の“Name”と書かれた

部分を指さし「Name」と言った。

僕は、また漢字で書いた。

するとキムさんが「ローマ字で掛けない

の!?」と両手を広げ、すごくオーバーなリ

アクションをとりながら、僕に聞いた。

「書けるけど。俺、日本人だもん」と僕が言

うと「ダメダメ!ここはアメリカだよ!ロー

マ字で書いて!!」と言って、僕を怒った。

キムさんが言うので、素直に聞くことにした。

漢字で書いた下に、ローマ字で名前を書いた。

それを見たキムさんは、微笑んでいた。

裁判所に入ると、傍聴席にはジュリアとジュ

リアのご両親、レンドンとエディーとウェリ

ット社長が座っていた。

裁判所に入った時「なんか映画で見たことあ

るな」と思った。

傍聴席のジュリアを見た、心配そうな顔で僕

を見ていて、お母さんとお父さんの間に座り、

ご両親と手を繋いでいた。

僕が頬笑みかけると、涙を浮かべ何か言った。

声は聞こえなかったが、口元は「ごめんなさ

い」と、言っているように見えた。

裁判所の中央にある、木製の手摺の囲いのあ

る場所に立つように言われ、そこに立った。

隣に、キムさんが立っている。

小さな声で「俺、刑務所に入るの?」と、キ

ムさんに聞いた。

「入らないよ。でも罰金高いよ。」と、キム

さんは言った。

僕の前の右側のドアが開き、アロハシャツを

着たおじさんと、制服を着た警官二人が入っ

てきた。

それと同時に、全員が起立をした。

アロハシャツのおじさんが着席するのを待ち

おじさんが着席してから全員が着席した。

「あのおじさんが、裁判長か」と思った。

裁判所に、ピリッとした空気に包まれた。

裁判長は、僕ではなくキムさんに向かって英

語で何やら聞いた。

キムさんは、それに答えていた。

僕に「反省してますと言って」と、キムさん。

照れ臭いのも苦手だが、それと同じくらい

ピリッと緊張感が漂う雰囲気が苦手な、シャ

イな僕は、ふざけたくなって「なんでぇ?」

と聞いた。

するとキムさんは「なんでってなんで?」と

ムッとした感じで、僕に聞き返した。

「だからなんで?」と僕が言うと、それを無

視して裁判長に向かい、何やら英語で叫んだ。

裁判長がうなずき、判決が言い渡された。

キムさんが、それを僕に通訳した。

「罰金$3600、社会奉仕活動12日間。ただし、

グァム島入港時に限る」と言った。

続けて「このバカ息子!」と、キムさんが叱

るように言うと、その声が裁判所内に響き、

傍聴席から笑いがおこった。

罰金をウェリット社長が立て替えてくれて、

僕は釈放された。

あとで聞いた話だが、僕が殴ったフィリピン

人は不法入国者で窃盗犯だった。

ジュリアが父親に事情を説明し、総領事長で

あるお父さんが、助力してくれたのは間違い

なかった。

裁判所を出てキムさんに礼を言うと、キムさ

んは目に涙を浮かべ、僕を抱きしめ「バカ息

子」と言った。

僕に対して、亡くした息子さんの面影を見て

いるのかもしれないと思った。

ウェリット社長にお礼を言い、レンドンとエ

ディーと握手をした。

レンドンは「サイコウ!」と言って、真っ白

い歯を見せて笑い、エディーは頭に包帯を巻

いていた。

ジュリアのご両親にお詫びとお礼を言うと、

お母さんが「あなたは今夜ウチに泊まりなさ

い、一緒にお食事もしましょう」と言ってく

れた。

お父さんを見ると「仕方ない」と言った表情

を浮かべていた。

ジュリアは、僕に抱きついてきた。

「ごめん、車壊しちゃったね」と僕が言うと

「いいの。直せばいいから」と言った。

ジュリアの家に着き、ジュリアとお母さんが

食事の用意をしている間、お父さんが僕の両

手の手当てをしてくれた。

お父さんは、ドイツ系アメリカ人で、仕事で

日本滞在が長かったこともあり、片言の日本

語をしゃべることができた。

僕の両手の手当てをしながら「ケイジ、カラ

テ?ボクシング?」と、僕に聞いた。

僕は「キックボクシング」と答えた。

お父さんは「なるほど」と、言った顔をした。

食事の用意ができ、四人で食事をした。

食事をしながら、ジュリアに通訳してと言っ

て、改めてご両親とジュリアに、謝罪をした。


食事が終わり、コーヒーが運ばれてきた。

コーヒーを飲みながら、お父さんが英語で僕

とジュリアに向かって、何か言った。

お母さんがそれを僕に訳した。

「ウチにはルールが必要だ。それは君とジュ

リアが、同じ部屋で二人で寝るということを

禁じるというルールだ」と言った。

ジュリアは「All right Dad 」と言い、僕は

「もちろんです」と言った。

お母さんが僕を、ゲストルームに案内してく

れた。

お母さんはゲストルームのドアを開けて

「着替えはガウンを着てね、あとは何でも遠

慮なく勝手に使ってと」と言った。

僕は、ゲストルームに入った。

お母さんは「おやすみなさい」と言って、ド

アを閉じようとした。

閉じかかっているドアに向かって、僕は「お

やすみなさい」と言った。

部屋には、バスルームやキッチンまで着いて

いた。

シャワーを浴びて、ベッドに横になった。

目を閉じる。

みんなに迷惑かけてしまったと、反省をした。

ベッドは広くて柔く、いい香りがした。

緊張の糸が切れる感じがして、急に眠気を感

じて、そのまま眠りに落ちた。

何かが、体に纏わり付く感じで目が覚めた。

安らかな感触と、心地よい香り。

纏わり付いているのは、ジュリアだった。

「ルール破ってるぞ」と寝ぼけながら言うと

「ルールは破るものでしょ」と答えた。

ジュリアを抱きしめ、また眠りに落ちた。

三日後、他の船員が日本から戻ってきた。

その日の夕方、船はグァム島を出港した。

その後、グァム島に3度水揚げをして、フィ

リピン人の二人をグァム島で降ろし、二人は

フィリピンに帰った。



惜別の海


船は、故郷の港に帰港した。

故郷の港に接岸する時、一番綱を陸で受け取

るのは、必ず船の親方である祖父だった。

そして、その一番綱を岸壁で待つ祖父に向か

って投げるは僕だった。

しかし、その時は違った。

岸壁に立っているのは、親戚の伯父だった。

荷物の陸揚げを終えた船員は、家族と共に帰

宅の途についている。僕は機関長補佐のため、

全船員が荷揚げを終えたのを確認し、全員が

下船した後発電機を停止して、全ての弁が閉

まっているのを確認して、下船し帰宅する。

機関長が「ケイジ、あとは任せたぞ」と僕に

言い船から陸に上がった、僕は「はい」と答

え、全ての船員が下船するのを待った。

全船員が下船したのを確認した船頭が、「機

械止めろ」と僕に言った。

僕は機関室に入り、全ての発電機を停止した。

発電機が止まり、機関室は真っ暗になった。

機関室内には、それまで回り続けていた機関

の熱気が充満していた。

真っ暗闇の機関室の中を、懐中電灯を持って

全て弁の確認をした。

船は静まり返っていた。

その時「じいちゃん、どうしたんだろう?」

と思った。

機関室入口に鍵をかけて、岸壁に上がった。

岸壁に上がると、伯父が僕を待っていて

「おかえり」と声をかけた。

僕は「うん、ただいま」と答えた。

「親方だがな、体調が良くなくて今日これな

かったんだ」と、伯父は僕に言った。

僕は「そうなんだ」と答えた後

「ありがとう。帰ってじいちゃんの様子見て

みるよ」と言った。

伯父は「早く帰ってやれ」と言った。

自宅に着き、すぐに祖父の部屋に行った。

祖父は目を閉じ、布団に横になっていた。

僕は「じいちゃん、帰ったぞ」と声をかけた。

祖父はゆっくりと目をひらき、僕を見た。

「ケイジか、帰ったのか。」と確認すると

「ごめんな、じいちゃん縄取りにいけなくて」

と、僕に申し訳なさそうに言った。

「なんの!じいちゃん気にすんなよ。それよ

り早く元気になってよ」と、僕は言った。

祖父は「そうだな」と言って、僕を見つめた。

少しの間、ジッと僕の顔を見た後

「じいちゃん、眠くてな・・・」と言い

目を閉じた。

僕は居間に行き、母に

「じいちゃん、大丈夫なの?」と聞くと。

母は「お前のじいさんだ!簡単にはくたばら

ないよ!」と、僕を励ますように、そして安

心させるように力強く言った。

僕は「そうだな!」と答えた。

僕の部屋は、祖父の部屋の隣だった。

その日の夜中、部屋にいると声が聞こえた。

「ケイジ!ケイジ!」と、僕を呼ぶ声がする。

祖父の声だった。

急いで祖父の部屋に行くと、薄暗い部屋で布

団に横になり目を閉じたまま、手を空中に上

げ、何かを掴む仕草の祖父の姿があった。

僕はその手を握り

「じいちゃん、ここにいるぞ。」と言った。

祖父は、僕の手を握り返し「ケイジか?」と

聞いた。

「そうだよ、ケイジだよ」と僕が言うと、目

を閉じたまま微笑んで「そうか、そうか」と

言って、安心したように眠りについた。

それは、毎晩続いた。

祖父は、寡黙で多くを語らず、優しくて折れ

ない心を持った人だった。

子供の頃、兄が病弱だったため「うちの後継

ぎはお前だぞ」と、常に僕に言っていた。

海が穏やかな日は、僕がまだ小さな頃から、

僕を連れて出漁した。

祖父は、一本釣りの漁師をしていた。

朝ごはんは、いつも焼いた食パンにマーガリ

ンを塗り、その上に砂糖をまぶし二つ折りに

する、じいちゃん特製パンだった。

僕が小学校に入学した時、入学祝いに小さな

木製の船を作ってくれた。

小さな櫓漕ぎの船で、「けい丸」と書かれて

いた。

それを見た時、僕は飛び上がって喜び、喜び

の余り転んで、怪我をしたのを覚えている。

僕が高校生の頃、不良と喧嘩をして警察に逮

捕された時、僕を警察署に僕を迎えに来てく

れた。

二人で帰る途中「喧嘩、勝ったのか?」と聞

いた。僕は「勝ったよ」と答えた。

すると祖父は「いいか」と前置きしたあと

「強くなければ男じゃないんだ。だがな、優

しくなければ男である資格はないんだぞ」と

言った。


1週間後、船は出港の日を迎えた。

その時ほど、出港したくないと思った事は無

い。

祖父の事が、気になっていた。

なんとなく、2度と会えない気がしていた。

出港の船に向かう前、祖父の部屋に行った。

寝ている祖父に「じいちゃん、今日出港する

からな」と、声を掛けた。

閉じている目を静かに開け、細い声で

「いい漁をしてこいよ」と、僕に言った。

僕は「任せろ。大漁してくるから!」と言っ

て、祖父の部屋を出て船に向かった。

船は出港した。

時期は9月を過ぎた頃、日本近海での本マグ

ロ漁のシーズンを迎えようとしていた。

日本近海操業のため、その航海にはフィリピ

ン人船員は乗船せず、日本人船員8名で構成

された。

本マグロの時期には少し早かったが、その年

は黒潮の蛇行が早かった。そのため、本マグ

ロを狙いに宮城県の金華山沖を目指した。

出港してから5日で漁場に到着し、操業開始。

一度の操業で、枝縄1500本に対し本マグ

ロが1~2尾釣れていれば、大漁だ。

以前も書いたが、近海物本マグロ(クロマグ

ロ)は“海の黒いダイヤ”と呼ばれる。

揚縄が開始され、縄先なわさきが、幹縄

の張り具合を掌で叩きながら、幹縄の感度を

確認する。

何かが枝縄に掛っていれば、物理的に仕掛け

自体が重くなり幹縄が張る。

海から巻き上げられる幹縄を最初に触れるの

が、この縄先担当である。

そのため、縄先を担当している時に本マグロ

が釣れると、縄先担当に賞金が与えられる。

その航海は、40キロ以上の本マグロ1本当

たり3万円の賞金が付いていた。

そして船員の間で、その賞金を賭ける。

一番本マグロを獲った者が、その航海での賞

金を総取りする。

1回目操業、僕に縄先担当の番が回ってきた。

その日の操業は、ビンチョウマグロが一本と

クロカワカジキが一本、内容は良くなかった。

僕は、左手で幹縄を叩き縄の感度を確認した。

すると左の掌に “ビンッ”と幹縄の張りを

感じた。慌てて足元の、ラインホーラーのブ

レーキを踏む。

僕の後にいるボースンが「そりゃマグロじゃ

ねぇか!?」と叫んだ。

僕は慎重に、ラインホーラ―のブレーキを調

整しながら、ゆっくり幹縄を巻き上げた。

幹縄が明らかに、船底方向に動いた!

僕は、ラインホーラ―から幹縄を外し

「商売!」と叫び、ボースンに幹縄を渡した。

甲板はワッと、賑やいだ。

ボースンが幹縄を人力でゆっくり手繰り寄せ

枝縄まで来た。

枝縄はボースンから兄に渡され、兄が枝縄を

手にした。すると兄が「銛用意しろ!マグロ

だ!」と、叫んだ。

ブリッジから船頭が飛び出し、ブリッジの横

で銛を構えた。

僕は船首付近から、その様子を見ていた。

海中に黒い魚影が見え、徐々に海面に近づく。

黒く銀色の魚体が、はっきりと見えて来た。

本マグロだ!!!

海面にマグロの頭が出た瞬間、船頭がマグロ

の頭を目がけて銛を打ち込んだ。

銛は頭に命中し、激しくのたうち回った。

マグロの辺りの海面は血で、赤く染まった。

「こりゃデカイぞ!!」と、誰かが叫だ。

マグロが舷門までくると、マグロの頭にガッ

チリと鈎が掛けられた。

ドラム缶のような魚体が、甲板に上げられた。

魚体は、黒く光り輝いている。

僕は「よっしゃ!」と、拳を突き上げ叫んだ。

その航海、僕が縄先に行くと、不思議なくら

い本マグロが獲れた。

15回で操業を終えた。大漁だった。

僕は、縄先で合計32本の本マグロを獲り

賞金は96万になり、ダントツの一位だった。

水揚げをするために、宮城県塩竃市に入港を

した。水揚げ高は3800万だった。大漁だ。

水揚げが終わり、魚層の清掃をしていると船

頭からブリッジに来るように言われた。

ブリッジに行くと兄と船頭がいた。

船頭が僕達に「お前達二人は、今からすぐ家

に帰れ。じいちゃんが死んだ」と言った。

突然のことで、頭の中が整理できなかった僕

は、つい「何言ってんだ、今忙しいんだよ!」

と、船頭に言い返した。

兄が「お前、いいのか?」と聞いたので

「いいもクソもあるか!」と言って、ブリッ

ジを飛び出して、作業に加わり続けた。

沖での操業の時、何となく気付いていた。

「もしかして、じいちゃんが俺に大漁をさせ

てくれてるんじゃないか?」って。

清掃作業を続けながら、じいちゃんの顔が脳

裏に浮かんだ。

僕を不憫に思い、優しくしてくれたこと。

鬼のような顔で、殴られたこと。

魚の仕掛けの作り方を教える時の、厳しい顔。

櫓の漕ぎ方を教えてくる時の、嬉しそうな顔。

僕が初めてマグロ船に乗った時の、自慢気で

不安そうな顔。

作業が終わり、船にはひと時の休息が訪れた。

僕の顔に、悲しみ出ていたのだろう。

兄が「お前、大丈夫か?」と僕に声をかけた。

「なぁ、じいちゃんいつ死んだんだ?」と聞

くと、「操業1回目の日らしい」と言った。

「やっぱりな」と、僕が言うと

兄は「ああ、やっぱりだな」と、言った。


夜になり、誰もいない岸壁の先端に行った。

堤防の端に腰をおろし、静かな海を見ていた。

暗い海に向かって、つぶやいた

「船のこと放って帰ったら、じいちゃん怒る

だろ。だから俺帰らないよ」

暗い海に、街灯の白い光が反射していた。

「帰ったら、会いにいくからな」

夜の静かな海が、滲んで良く見えなかった。


3ヶ月後、船は故郷の港に戻った。

岸壁に船が接岸する時、一番綱を投げようと

綱を持って船首の一番先に立った。

思わず、岸壁にじいちゃんの姿を探した。

岸壁には、伯父が立っていた。

家に帰り仏壇に手を合わせ、食パンを2枚焼

いた。

マーガリンを塗り、砂糖をまぶして二つ折に

してラップに包んだ。

それを持って、じいちゃんが眠るお墓に向か

った。

じいちゃん特性パンの1枚のお供えして、も

う一枚は僕が食べた。

「じいちゃん、美味しいよな。これ。」

お墓に向かって手を合わせ

「じいちゃん、ありがとうな。」

「俺、マグロいっぱい獲ったよ。じいちゃん

のお陰で大漁だったよ。」

「じいちゃん、さようなら」

そう言って、立ち上がり帰ろうとした時。

冬の日差しの中を、風が吹いた。

「立派な漁師になったな。

よくがんばったな。これからも大漁しろよ」

じんちゃんが、そんなことを言っている気が

した。


つづく

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