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Fisherman’s Memoir  作者: 慶次
1/3

フィッシャーマンズメモワール#1

僕は、現在都内でIT系の会社を経営している。

そんな僕には、珍しいと言われる経歴がある。

マグロ漁船に乗っていたという経歴だ。

この物語は、僕が18歳からの10年間。

マグロ船に乗った、実話に基づいた物語。

 初乗り(はつのり)


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 九州の小さな海辺の街にある、水産高等学校。 僕はある事情により、同級生よりも12日程遅れて高校を卒業した。

 僕の卒業式は薄暗い校長室で、で行われた。

 校長室の壁には「質実剛健」と書かれた、大きな掛け軸が掛けられてあった。

 卒業式には担任の先生と副担任の先生、それと教頭先生と校長先生の4人の先生方と僕の5人。

 校長先生が卒業証書を読み上げ、手渡すとき人生の教訓的なことを言ってくれたが何を言われたのか、全く覚えていない。

 僕は校長先生が差し出した卒業証書を受取り一礼をし、横に並んでいる先生方に一礼をした。

 素っ気ない、ひとりぼっちの卒業式だった。

 寂しい卒業式を終え、校長室を出て玄関まで3年間担任を務めてくれた先生と、副担任の先生が見送りに来てくれた。

 玄関に向かい歩いている時「出港はいつだ?」と担任の先生。「明後日です」と、僕は答えた。

 下駄箱から靴を取り出して履き、出口に向かって歩いている時、お世話になった先生に対 し“ケジメ”をしなきゃと思った。

 僕は、先生達に向かって振り返りピシッと姿勢を正して「3年間お世話になりました!!!」と辺りに響き渡るくらいの大きな声で言って、旧日本海軍式の敬礼をした。

 僕のその敬礼に二人の先生は、ビシッと姿勢を正し敬礼でして「元気でな」と言った。


 僕は踵を返し、出口に向かい校舎を出た。

 春休みのため校内には僕一人。いつも騒がしい学校は、静まり返っていた。

 校舎を出ると庭と花壇があり、その先にグラウンドに降る階段がある。

 僕はグラウンドに降りて、ベンチに腰掛けた。

 グラウンドは、薄い靄がかかり肌寒かったが澄み切った空気がとても気持ちよかった。

 少し離れた海から、潮の香りがしている。

 グラウンドにかかった靄は、朝の冷え込みが午後から急上昇する、気温を知らせていた。

 そんな春の陽気が漂う、晴れた朝だった。


 グラウンドに一人。

 3年間通った学校の日々を思い出し、それに浸った。

 空手とキックボクシングに明け暮れた2年間。

 頭の良くない僕は「沢村忠の次は俺だな」と、キックボクシングの世界チャンピオンになると本気で思っていた。

 高校二年生が終わりかけた年の春、左膝に大怪我を追いキックボクシングを辞めざる追えなく夢を断念した。

 人生で初めての、挫折を味わった。

 三年生になり、早く大人になりたくていっぱい背伸びをした。


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 色々な思い出が、頭を過る。

 僕は、大きく息を吸い込んだ。

 グラウンドの土と、近くの海からの潮の香りが混じり合った独特な匂いが鼻の奥を通り抜けていく。

 もう一度深く息を吸い込み、一気に吐き出した。

「じゃあな」と言って、立ち上がった。


 2日後、出港の日を迎えた。

 僕が乗る船は、遠洋マグロはえ縄漁船。

 実家が運営する船で、父が船頭で、兄も同じ 船に乗り合わせた。

 僕の故郷は、街から海上フェリーで30分程の豊後水道の先端辺りに位置した、太平洋に面した、周囲約4kmの小さな離島。

 昭和初期から、遠洋マグロはえ縄漁船で栄えた島だ。

 出港時間は15時。

 よく晴れた、春にしては少し暑い日で、出港30分前に船が停まる港に歩いて向かった。

 港までは、実家から徒歩で3分程度。

 僕の初の船出を見送りに、同級生をはじめ下級生や、近所のおじさんやおばさんなど沢山の人が、港に見送りに来てくれていた。

 初めての船出をすることと、初めて船に乗る人を合わせて“初乗り”と呼ぶ。

 船に向かう途中、近所のおばさんが僕を見かけ「大漁してくるんだよ!」と声をかけた。

 僕は、少し引きつった笑顔で会釈をした。

 船に着くと、航海の無事を祈る色とりどりの五色の紙テープが、沢山船に繋がれて、それは風に棚引いてとても綺麗だった。

 それは僕だけが特別な存在という訳では無く代々マグロを獲る漁師を生業として、受け継がれたきた島の風習で、“初乗り”が出港する時は、全ての島民が祝ってくれる。

 子供の頃から“初乗り”が出航する時、僕もこうして見送った。

 今は、僕が見送られる番だ。

 マグロ船の漁師になることが夢だった僕にとって“初乗り”は憧れだった。

「いつか自分も、あんな風に見送ってもらうんだ。」そう思って育った。

 しかし、その時の僕は、その光景の中心に自分がいて、自分が“初乗り”という感覚は殆ど無く、ましてや“漁師になる”という覚悟も全く無く、心の整理がつかないまま。

 ただ時が流れ、流れの中にぽつんと心が取り残されていて周りが騒がしいだけ。そんな感じだった。

 船のスピーカーからガンガンに流れている矢沢永吉のロックと、見送る人々の笑顔。

 混乱と複雑さと照れ臭さが入り混じり、変な引き攣った笑顔で友達とになっている僕。

 なんとかその場に馴染もうと、港の防波堤に寄りかかり友達と談笑ながら出港の時間を待った。

 お祭り騒ぎの周囲の人たちと、心ここに在らずといった感じの僕。

 その隔たりたるや・・・。

 その時、船から“ゴォー”という音と共に、中央にある煙突から黒い煙が勢いよく噴き出した。

 船のメインエンジンが起動した音だった。

 家族や友達と笑顔で会話をする船員達、父親が長い間不在となることを悟った子供が父親に、すがって泣いている。

 そんな中、船頭からの「出すぞ!」という号令がかかった。

 その号令に従い、船員が一斉に船に乗り込む。

 僕もテクテクと歩き、それに続いて乗船した。

 接岸用のロープが岸壁からとかれると同時に、船のエンジンの音は更に大きな音を上げた。

 ゴォォォォォォォー!

 船はゆっくりと岸壁を離れ、船首と船尾の、接岸用のロープが船に巻き取られて行く。

 船は、船首を港の外に向けゆっくりと進んだ。

 先輩船員が「おい!船首に立って、見送りに来た人に手を振って、大漁してくるぞと挨拶しろ」と言った。

 僕は船首の先端に立った。

 映画の「タイタニック」のジャックとローズが船の先端に立ってバックハグして位置。

 ローズはいないし、僕はジャックではないけど。


 船は港外に出ると、岸壁で見送る人々の目の前で、海に大きな弧を描き旋回を始めた。

 僕にとって、漁師になるための最初で最後の一代スペクタクルイベントの始まりである!

 船は洋上に綺麗な弧を描き旋回し、岸壁で見送る人たちの前を廻り、時折警笛が鳴らされる。

 エンジン音とスピーカーから流れる永ちゃんのロック。

 見送る人々は、船首に立つ僕に向かって「がんばれよー!」と声援を送ってくれている。

 船首先端に立つ僕に向かって投げられる五色のテープと打ち上げられる花火。

 僕は精一杯、できる限り大きなゼスチャーで手を振った。

 2度旋回した頃、故郷の島全体が僕の目に飛び込んできた。生まれて育った場所。海と空。

 そこに暮らす人々。

 そのすべてが友であり、愛すべき故郷。

 そんな思いが心をよぎった時「マグロ船に乗ったんだ」と初めて思った。

 船は3度目の旋回。

 目の前に見える友達や親戚。

 初恋の、あの子の顔も見える。

 少し離れたところに一人佇み、じっと僕を見つめている祖父。

 母の少し心配そうな笑顔。


「かあちゃん、ありがとう!」


「じいちゃん、一人前の漁師になるからね!」


「うまく言えねーけど、みんなに感謝!」


 感謝の気持ちは叫ぶべきなんだろうけど、声には出せなくて手を振ることが精一杯。

 船は三度旋回し、船首を外洋に向け遠洋航路に進路を取った。

「行ってくるぞ!」とばかりプァァァァァァァァーーーーーーーーーー!っと、長い汽笛が鳴らされた。

 外洋に向かう途中、島の北側に位置する山肌に小さな祠がある。

 船の安全と大漁を、祈願する神社だ。

 その前で一旦船を停止し、祠に向かい全船員で航海の無事を祈って手を合わせた。

 湯呑み茶碗にお神酒が注がれ、船員たちに配られる。

 僕は、湯のみ茶碗に注がれたお神酒を一気に飲んだ。

 船のエンジンは再び音を上げ、前進を始めた。

 島の半島を周り、船が太平洋に面した時、エンジン音は轟音に変わった。


 全速前進。


 船尾から見える故郷が、徐々に小さくなっていく。

 接岸用のロープや坊舷策などの片付け終わると、それまで出港の祝いムードに包まれていた船の雰囲気は、家族や恋人、友人や故郷とのしばしの別れを惜しむような哀愁的な雰囲気に包まれていた。

 同様に船員達の表情にも、物悲しさが漂っていた。

 片付けが終わると、船員達は各々の寝台がある船尾の船員室に入って行った。

 なにせ、僕は初めての経験である。

 船全体を覆っている哀愁は感じるが、自分の心の中を、どう整理して良いのかわからない。

 ただ、船の後方でどんどん小さくなっていく故郷をボーッと眺めていた。


 出港して2時間程経つと故郷は見えなくなり、辺りの景色は360度見渡す限りの海になった。

 夕闇が迫ってきていて、東の水平線は群青色に染まっていて、

 東側の水平線から空の中央付近の半分まで紺色から水色に変化していて、空の中央から西側にかけ

 夕陽に照らされた水平線は、オレンジ色に染まっていて、海が燃えているように見えた。

 少しすると空全体が、紺からオレンジに至る、綺麗なグラディエーションで描かれていて

 夜を迎え入れようとしている、東から北の空には星が瞬き始めていた。

 僕は、北極星を探した。

 北極星は、地球の自転軸を北極側に延長した線上の近くに位置しているため、地球上から見るとほとんど動かず、北の空の星は北極星の周りを回転しているように見える。

 北極星は船等の、天測航行を行う際に正確な測定をするための固定点となる。

 北極星は、船尾正面を向かって立っている僕の、右側の頭上にあった。

「船は南南東に進路をとっている」と思った。

 辺りは見る見るうちに、暗くなってきていた。

「夜の帳が降りるってこのことをいうのか?」と思いながら、空と海とを眺めていた。

 すっかり暗くなった空、見渡す限りの海と、ゴォーッという船のエンジン音。

 “初乗りスペクタクルイベント”の余韻と興奮はいつの間にか消えて行き、我に返っていた。

 その時、フッと「そうか!これからずっと海に囲まれて生活するんだ!俺は、この船で生活するんだ!」


「しまった!!!遊びたい……」


 と思ったのも、後の祭り。

 そんな気分に浸っていると、あるものが僕に襲いかかって来た。頭がクラクラして、眠気がする。

 同時に、胸に込み上げる何とも言えない気分の悪さ。

 船酔いである!!

 出港してわずか数時間。

 目を閉じると、故郷と友の顔が目に浮かぶ。

 僕は船尾(船の後部)に腰掛け、青ざめた顔

 でボーッと、黒い海を眺めていた。

 そんな僕に、誰かが声をかけた。声をかけたのは、ボースン(甲板長)だった。

 ボースンとは、船の漁具の製作や管理や外板設備、漁の運用など船の甲板部に関わるリーダーのことで、会社で言うなれば部長的な存在で、チームで言えばキャプテン的な存在である。

「お前の寝台に案内してやる。付いて来い」と、ボースンは僕に言い、船尾にある入口の下降階段へと向かい、船内の居住区へと繋がる下降階段を降りて行った。

 僕はそれに続いた。

 船尾の居住区は、食堂が中央にあり、左舷側と右舷側に1部屋づつある。1つの部屋に上下2段の6つの寝台が あった。

 ボースンは右舷側のドアをあけ、ドアの目の前の、上の段の小さな箱のようなスペースを指差し「ここがお前の寝台だ」と言った。

「うん」と、僕は返事をした。

 寝台には、小さな蛍光灯が一つ付いていて、僕はそのスイッチを押し電気を付けた。

 寝台には畳まれた布団があり、僕が積み込んだウォークマンやカセットテープ等が置かれててあった。

 予め、誰かがおいてくれていたのだろう。

 船酔いでクラクラしながら、畳まれた布団を寝台に敷き横になった。


 狭っ!!!!


 僕の身長は170センチくらいだが、縦幅は僕の身長でほぼぴったり。

 当時の僕の体重は60キロ位で、横幅も肩と壁の間に拳が一つはいる程度の隙間があるだけだ。

 寝台には、カーテンが一枚付いていていた。

 とにかく気分が悪いので、カーテンを閉めて横になった。

 船のエンジン音がゴーゴーと凄まじい音を立てている。

 すると、ジャッ!!!と音をたててカーテンが開いた、カーテンを開いたのは僕の下の寝台の先輩船員だった。

「お前の当直(見張り)は、ジュウジュウニだからな。起こすぞ」と言われた。

「ジュウジュウニってなに?」と聞き返すと「十時から十二時までの二時間の当直だ」と、先輩船員は答えた。

 僕が「わかった」と答えると、先輩船員は無言でジャッ!!!とカーテンを閉めた。

 当直は2時間で、船頭と機関長以外の船員が24時間ローテーションで担当する。

 僕の乗っていた船には8人が乗船していたので、10時間間隔で僕が当直当番になる。

 暗くて小さくて、エンジン音の鳴り響く寝台の中で少し怖くなった。


「これから、ずっとここに寝るんだ…」


 しかし、気持ち悪い。


 船酔いは容赦なくひどくなっていく。


 うるさいし、ゆれるし、きもちわるいし。


 寝ようとしたが、眠れるわけない。

 漁船特有のローリングとピッチングの連鎖は容赦なく、僕に襲いかかってくる。

 僕は叫びたくなり声に出して「うーん」と、唸った。

 すると、僕が横になっている寝台の下からドンッ!!と、突き上げる衝撃と音が聞こえ「うるせぇ!!!」と、下の寝台で休んでいる先輩船員君が怒鳴った。


「わぁ~お、怖いじゃないですか」と、心で 呟きそっと目を閉じ、布団を口に加えて歯をくいしばった。


 いつの間にか眠ってしまったのだろう…。

 寝台のカーテンが開く“ジャッ!!”という音で、目が覚めた。

 僕の下の寝台の、先輩船員が立っていた。

「起きろ!当直だ!」と、僕に向かって怒鳴ると、部屋から出て行った。

「起こし方ってもんがあるでしょうに」と思いながら体を起こし、船の中央にあるブリッジ(船橋)に向かった。

 ブリッジに行くと、操縦席があり先輩船員はそこに座っていた。

 僕の姿を見た先輩船員は、席から降りて「そこに座れ」と、僕に言った。

 僕は言われるがままに席に座ると「0時になったら、次の当直を起こせよ。」と言われ、僕は「うん」と答えた。

 先輩船員はそれだけ言うとブリッジを出て行こうとしたので、僕は慌てて聞いた。

「当直って何するの?」

「他の船が来ないか見張っていれば良いんだ」と先輩船員。

「船が来たら?」

「衝突するかもしれないと思ったら、船頭を起こせ。まぁ衝突するなんてことは万に一つもないけどな」と言い、先輩船員はブリッジを後にした。

「この人僕の事が嫌いなんだ」と思った。


 しかし、ゴーーッというエンジン音をBGMに繰り返されるローリング&ピッチング。

 真っ暗闇の海を見るだけのお仕事。

 10分もしないうち、また船酔いが始まった。


 うぉぉぉぉーーーー!!!!!!!!!!!


 気持ち悪いぞぉぉぉぉぉーーーー!!!!!


 と思えども、どこか陸を目指して船は航行している訳ではない。

 出港してまだ、数時間しか経っていない。


 これから漁をしに行くんだ。


 マグロを獲りに行くんだ。


 そんな事を自分に言い聞かせながら、暗闇の海を見つめていた。

 船なんか、一隻も通りゃしない。

 見渡す限り真っ暗な海が広がっている。

 船酔いと暇との、過酷な戦い。

 当直をはじめて1時間程したとき、父親である船頭が起きて来た。

 船頭室は、ブリッジの中にある。

 父親は無言のままコーヒーを入れて、ブリッジの操舵室中央に設置されてある、自動操舵機きに肘をつき、外に見える真っ暗な海を見つめタバコに火を付けた。

 父の視線は海を見つめたまま、僕に言った。


「いいか、今日から俺の事を父ちゃんと呼ぶな。今日からは、船頭だ」


 少しの沈黙のあと、僕は「うん」と答えた。

 返事をした僕に、タバコを差し出し「吸うんだろ?」と言った。

 僕は、父から差し出されたタバコを一本取り出し口にくわえた。

 父親は、自分の持っているライターに火を付けて、僕のタバコに火を付けてくれた。


 子供の頃から、怒るともの凄く怖い親父で、悪いことをすると、必ず殴られた。

 怖すぎて父の目を見て話したことがほとんどない。

 父親に火を付けてもらったタバコを吸ったとき“大人になった!!!”と、僕は思った。

 父親に、大人として認められた気がした。

 二人で真っ暗な海を見つめ無言でタバコを吸っていると、兄貴がブリッジに入って来た。

 兄貴もコーヒーを入れて、タバコを吸った。

 三人とも無言で、揺れる船の中、真っ暗な海を見つめていた。


「これからは、親父でも兄貴でもないんだ。男同士なんだ」と、僕は思った。


 何も喋らないが、二人から僕のことを思いやっている感じは伝わってくる。

 タバコを吸い終わると、兄貴は何も言わずにブリッジから出て行った。

 親父も、船頭室に入って行った。


 船酔いで気持ち悪さの中、暗闇の海を見つめていた。

 というより、耐えていた。

 気持ち悪くて、何も考えられないし、1秒でも早く横になりたい。

 眼前に広がる真っ黒い海と時計とを交互に見る時間が続いた。

 あと5分で0時になる頃、ブリッジのドアが開いた。次の当直員の先輩船員が入って来た。

 先輩船員はブリッジに入ってくるなり「当直交代!」と言って、僕の肩を叩いた。

 僕は「うん」と行って、操舵席から降り先輩船員に席を譲った。

 先輩船員が「日誌に記入して、機関室に行ってエンジン用の燃料を燃料タンクに移しせよ」と僕に言った。

 僕はブリッジの、左舷側の棚の上にある電気スタンドのスイッチを入れ、当直員名、船の速度、航行方向等を日誌に記入した。

 日誌に記入し終わると、先輩船員が「燃料の移し方教えてやるから付いてこい」と言い、先輩船員に付いてブリッジを出て機関室に向かい、機関室のスイッチや計器類が並んである配電盤の前に行った。

 配電盤の右側に赤いボタンがあり、そのボタンの下に「アブラ」と書かれている札が付いていた。

 その赤いボタンを押すと、エンジン用の燃料タンクに燃料を自動で移せる仕組みになっていた。

 配電盤の横に、燃料が溜まる計量ゲージがあり、ゲージの上部にマジックペンで「ここまで」と書かれて線が引かれてある。

 ボタンを押してから3分程して、燃料ゲージ内茶色の液体は「ここまで」の線まで来た。

「アブラ」と書かれたボタンの横の「停止」というボタンを押すと、燃料移動が完了だ。

 機関室はエンジンの轟音で覆われていて、話し声は相手の耳元で、大声で出さないと全く

 聞こえない。そのため、僕は先輩の顔を見て、アイコンタクトで「これでいいの?」という表情をした。

 すると先輩は、右手の親指を立てウィンクをした。

 船酔いの気持ち悪さよりも、先輩のそのリアクションの方が気持ち悪かった。


 それから、機関室から居住区に抜ける通路を通り、部屋に入り寝台に潜り込んだ。

 船酔いの気持ち悪さと眠気がミックスされた倦怠感に似た感覚と、ゴォォォォーというエンジン音の中、目を閉じてた。



 マグロ遠洋はえ縄漁船の航海の行程には

「南下中又は沖出し中」「操業中」「帰港中」

「水揚げ」に、分かれる。


 1、南下中又は沖出し中

「南下中」又は「沖出し中」とは、出港して漁場に向かっているという意味で、日本から南方海域(小笠原諸島以南)の漁場に向かって航行ことを指す。

「沖出し中」とは、日本から東側(三陸沖か らロシア国境海域付近「当時はソ連」)に向かって航行していることを指す。

 この間に、漁をするための漁具や制作や準備、機械の整備を行う。


 2、操業中

 漁場に到着し、マグロを獲るための操業を行っているという意味。


 3、帰港中

 漁を終え、マグロを水揚げするための港に向 け、帰港をしていることを意味する。


 4、水揚げ

 どこかの港で、マグロを水揚げする。


 マグロはえ縄漁船は、その船の所属する漁協への、毎日朝夕の定時無線連絡が義務付けられており、船から連絡を貰った漁協はそれを毎日掲示板に貼りだす。

 掲示板の表記は、海洋丸、南下中、北緯21、東経35°のように記載されていて、郷里で待つ家族は、この掲示板を見て、沖で働く恋人や旦那、父親の漁の状況を確認する。

 僕も子供の頃、学校に登下校する道すがらに掲示板があったため、それを見て船名の欄に「操業中」と書かれていると「父ちゃん、操業中か」とか「帰港中」と書かれてあると「お!!帰港中になったよ!父ちゃんが帰ってくる!」など、毎日それを見るのが日課になっていて、帰宅すると必ず母親に報告をしていた。


 マグロ船に乗船した二日目。

 またも、ジャッ!!っというカーテンの開く “嫌な音”と共に「起きろ!」と怒鳴られて目が覚めた。

 前日の当直が終わった後、寝ようとしたが船酔いで気分が悪く明け方まで眠れなかった。

 起き上がって寝台から降りた。

 頭がクラクラするし、意識はボーッとする。

 船は常に揺れているので、真っすぐ歩くこともままならない状態だった。

 そんな状況下でも、船員達は普通に歩いているし、普段通りの生活をしていた。

 僕を起こしに来たのは、船の飯炊きを担当している「コック長」だった。

 出港二日目、当直以外の仕事は休みだった。

 出港した直後である。

 何十年のキャリアを持つ船員でも、短い間の家族との楽しい日々や、恋人と楽しかった日々に後ろ髪を引かれる。

 仕事に対するモチベーションなど上がるわけがない。

 ただし、初乗りの僕は別だ。

 1日でも早く漁師として使い物になるよう、出航した翌日でも関係ない。

 漁師になるための、修行は始まった。

 しかし・・・・・。

 今の僕の最大の敵は、この船酔いだ!! 

 とにかく気持ちが悪い!!

 コック長に導かれるまま、部屋を出て食堂の横にある賄いに行った。

 そこで「今日からお前が飯炊きをやれ」と突然言われた。


「へっ???飯炊き??」


 そう聞き返すと「そうだよ!一年生は飯炊き係って決まってるんだよ!」と、なぜか荒い口調で言われた。

「あの・・・僕、飯なんか炊いたこと無いし、料理なんか一切出来ませんけど・・・」という言いわけを言う暇もなく、コック長は船酔いでフラフラしている僕に、米の貯蔵庫、冷蔵庫の使い方、ガスの使い方、食糧庫の案内等を

 淡々と説明した。

 船酔い中で意識が朦朧とし思考能力ゼロの僕は、コック長の説明をボーッと聞いていた。

 コック長は説明が一通り終わると、僕にご飯の炊き方と、料理の仕方を実践して見せた。

 米びつの1合と書かれたボタンを5回押し、5合分のお米をお大きなボールに出し、一気にお米を洗う。

 お米を洗うのは清水の量に限りがあるので、海水で洗った後に清水ですすぐ。

 洗ったお米を巨大な炊飯ジャーに入れ、炊飯ボタンを押した。

「こうやって飯を炊くんだぞ!」と言った次に、冷蔵庫から食材を取り出し、ササッと切り大きな鍋にそれに清水をザーーット入れた。

 計量器などは一切使っていない。

 鍋をガスコンロの上に置き、火をつける。

 ガスコンロは業務用の巨大なコンロで、二台設置されていた。

 火力が強いため瞬く間に鍋が沸騰し、コック長は鍋に中のアクを取り蓋をして火を止めた。

 次に長方形の巨大なフライパンをコンロに載せ火をつけた。

 ボールを用意して、片手で卵を割っていく。卵をパカパカパカ、実に手際よく作業をしていが、船は上下左右にかなりの振れ幅で、揺れ続けている。

 卵1パック分を割り、シャカシャカシャカと混ぜ、砂糖を少々、味の素少々、みりん少々を入れ、再度かき混ぜる。

 混ぜた卵を、キンキンに熱せられたフライパンに流し混み、フライパンの上で焼けた卵が固まりかけると、菜箸を使って器用にクルッと巻いていく。

 それを何度か繰り返し、卵焼きが完成した。

 あっという間に、大きな卵焼きを4枚作った。

 次に冷蔵庫から大きなカツオを取り出した。

 聞くと、今朝仕掛けに釣れたらしい。

 これまたサクッ、サッサッと出刃包丁一本で3枚に下ろし短冊切りにして、カツオに鉄の串を突き刺し、コンロの火で炙った。

 炙ったカツオを、刺身サイズに切り、皿に盛り付け、玉ねぎをみじん切りにし、カツオの刺身の上に振りかけた。

 生姜を刻み、ポン酢で合わせて調味料をつくり、それをカツオの刺身にかけた。

 そうしていると、炊飯器からピーッという炊き上がりの合図が鳴った。

 再度味噌汁の鍋へと向かい、味噌を溶き入れ、味見をして「ヨシッ」と言って蓋をした。

 料理を食堂のテーブルの上に並べて完成。

 実に手際良く、20分程度で全てを作り終えた。

 何度も言うが、船は上下左右に大きく揺れ続けている。

 見ている僕は、船酔いのせいもあるが立っているのがやっとの状況である。

 飯炊きの実習が終わると「飯炊きの当直は18時~20時の固定だからな、夕食を18時までに作って船頭に一番に食事が出来たことを伝えろよ。飯食うのは船頭が一番だからな!」と言った。

「今から船頭の所に行って、ご飯が出来ましたと言ってこい」と、僕に向かって言うと

 コック長は船員室に入って行った。

 その他の注意事項は?と、聞く暇もなかった。

 僕は言われるままに、船尾の食堂から船頭の いるブリッジに向かい、船頭に「飯ができました!」と言った。

 船頭は無言でブリッジを出て行き食事に向かった。

 僕は、当直員が座る操縦席に腰をおろして上下左右に揺れる海を見ていた。


 船酔いによる、気分の悪さは絶好調!!


 まるでSex Pistolsのシド・ヴィシャスのライブの時のハチャメチャな感じでございます。


 海を見つめていると、気分の悪さが増す。

 気分が悪くなるに比例して、何やら腹の底からこみ上げてきた。


「ウッ!!!!!!!出るっ!!!!!」


 と思ったが、さすがに操縦席でゲロをするわけにはいかない。

 ブリッジから飛び出し、手摺に手をあて体を固定して「ウゲェェェェェ」っと、声を上げゲロを吐こうと思ったが、何も出ない!

 そりゃそうだ、前日から船酔いで気分が悪くて何も食べてないんだもの。

 胃の中は空っぽ。

 しかし腹の底から、何かが込み上げてくる何か得体の知れないものと、声だけは出る。

「ウゲェェェェェェェ」。

 それを何度か繰り返していると、酸っぱい物が口から出たと思ったら、そいつは赤い。

 口の中に血の味がした。

 そう、胃液に血が混じり、それを吐いたのだ。

「ダメだこりゃ」と思った瞬間だった。

 僕の右側の顔に、鈍く重く鋭いドスッという衝撃と、激痛が走った。

 僕は衝撃と船の揺れのせいで、その場に転がった。

「痛い!!」と思い顔を上げると、鬼の形相をした船頭が立っていた。

「ああ、殴られたのか」と理解するまでに、大した時間は必要なかった。

「船が汚れるだろうが!グォォラァ!!」と倒れている僕の下腹部をめがけ、また鋭い蹴りが下から上に、ドスッ!


 蹴りは見事に、僕の下腹部にメガヒット!


 さすがに、その蹴りは効いた。

 腹を押さえうずくまる僕に向かって「船酔い治っただろうが」と一言放ち船頭は、ブリッジに入って行った。

 腹部の痛みで船酔いからくる気分の悪さを和らいでいた、これぞまさに荒療法。

 毒を持って毒を制す的な。

 一時、悔しさと痛さで起き上がれなかった。

 それを見ていた船員が、僕を「大丈夫か?」と言って、抱え起こしてくれ 船尾まで肩を貸してくれた。

 その先輩船員は、後に僕が「怪物君」と命名した先輩で、上半身の筋肉が異常に発達していて、Tシャツを着ると袖の辺りが裂けてしまう程腕が太いのだが、身長は160センチに満たない。

 とても残念で素晴らしい肉体を持った、僕を一番可愛がってくれた先輩だ。


 怪物君は僕に向かって「痛いか?」と聞いた、僕は「うん」と頷いた。

「いいか、船の上では“痛い”とか“寒い”とか“暑い”とか、弱音は絶対に言うなよ。縁起の悪い言葉を船乗りは嫌うからな」と教えてくれた。


 そして「飯食わねーと、ずっと気持ち悪ぞ。食えるか?」と聞かれた時に、気がついた。

 蹴られた腹の痛さで、船酔いを感じない。

 というか、ショックで船酔いを忘れていた。

 それどころか、少しスッキリしている。

 全く気持ちが悪くない。

 急激な空腹感を感じた。

 背中とお腹がくっつくくらいペタンとした腹。

 怪物君と一緒に飯を食った。

 食事を終えて、服を脱いで痛む腹を見ると、左の脇腹に紫色の鮮やかなアザがクッキリと出来ていた。

 顔を鏡で見ると、右目の上に500円玉大のコブが出来ていた。


「クソオヤジ!」と思った。


 自分の寝台に行くと、寝台に布団の上に料理の作り方の本が3冊置いてあった。

「これを参考にして、今日から料理を作れということ?」かと思った。

 おそらく本を置いたのはコック長だろう。

 僕は、寝台に横になり料理本を開き、今夜の夕飯に何を作るのかを考えた。

 考えて考えて考え抜いた結果。


 カレーと決まった。


 というのはウソで。


 学生の頃、キャンプで一度作ったことがあったので何となく作れる気がした。

 しかし、ご飯の炊き方も、味噌汁の作り方も 何もわからないし作ったこともない。

「俺に飯炊きができるかなぁ?」と不安になったが、生来の能天気で素直な僕は「まぁ、なんとかなるか。最初は誰でも素人だし」と、思ったら不安はなくなった。

 そんなことを考えながら料理本を見ていると、また気持ちが悪くなってきた。

 とりあえず寝ようと思い、15時に目覚まし時計をかけて寝た。

 15時の目覚まし時計の音で、目が覚めた。

 寝台を降りて部屋を出て行き、賄いに行ってタバコを一本吸った。

 なんとか動けるが、船酔いは続いていてまだまだ頭はクラクラ、意識はボーッ。

 気持ちの悪さは継続中なのだが、飯炊きをやれと言われた限りはやらねばならない!

「シャッ!」と声を出し気合いを入れ、カレー作りに取り掛かった。

 もちろん、カレーを作っている間も、容赦無く船酔いは襲いかかってくるし、船は上下左右に揺れ続けている。

 作っている間、何度かゲロを吐きそうになったがグッと堪えた。

 船頭に殴られてから、二度とゲロは吐かねえ!!と心に決めていた。


 というのも嘘で、隠れて2~3度吐いちゃったけど。


 揺れる船の中、タドタドしくカレーを作る。ジャガイモの皮をむいたり、人参を切ったり。

 数カ所、包丁で指を切ってしまった。

 そうしているうちに、自然と船の揺れに対して体を支える方法が身に付いた気がした。

 左足のかかとで後ろ側の壁を抑え、右足のつま先で前側の壁を抑える。

 左手でまな板と材料をしっかり抑えて、上半身の支えにする。

 体は斜め45度程度でまな板に向き合うと、体と船の揺れが一体化し、あまり揺れを感じず

 に材料を切ることができる。


「なるほど!」


 余談だが、この頃の経験の影響で今でも料理を作るのは好きで、よく作る。

 材料を切るときのこの姿勢が、染み付いていてまな板に45°の角度で向かい独特のポーズで、食材を切る癖がついている。


 初めてのマグロ船で作るカレーが出来た。

 時計を見ると18時少し前、18時ピッタリになるのを待ち18時になった瞬間にブリッジへ。

「飯、出来ました!」と、"俺はもう船酔い なんかしちゃいねーぞ!"ということを強調するかのように、デカイ声で言った。

 その声を聞いた船頭が無線室から出てきて

「うるせぇ!!!声がでけぇんだよ!!!」

  パシッっと、平手で頭を殴られた。

 心の中で「何をしたって、殴っちゃうんだ。元気を強調するんじゃなかった・・・・」と後悔をした。

 少しすると食事を終えた船頭がブリッジに戻って来た。

 ブリッジに入ると、僕に向かって一言「美味いじゃねーか」と、僕に言い船頭室に姿を消した。

 その後、18時から20時まで当直を担当し、それが終わり賄いの片づけを終えた。

 風呂に入りたいと思った。

 風呂のお湯は、もちろん海水である。

 お湯は、ステンレス製でできたバスヒーターで沸かす。

 バスヒーターとは1メートル程のステンレスがむき出しになっており、それが高熱になることによりお湯を沸くという仕組みになっていて、スイッチを入れてから30分程で浴槽の海水が40~45度程度のお湯になった。

 先輩に「風呂に入るときは、絶対にヒーターのスイッチを切ってから入れよ。スイッチ入れたまま入ると、感電死すぞ」とキツク注意れていた。

 バスヒーターは常に浴槽の海水に浸かっているため、海水により腐食してくる。

 腐食すると腐食した箇所が漏電を起こし、お湯に触れた瞬間、感電をして死に至る。

 中学生の頃、このバスヒーター事故により同級生の父親が亡くなったのを覚えていた。

 僕は、風呂場入り口横にあるバスヒーターのスイッチをOFFにして、風呂場に入った。

 風呂には二つの蛇口が付いており、向かって左側の蛇口に「海水」と書かれた札、右側の蛇口に「真水まみず」と書かれた札が付いていた。

 右側の蛇口をひねっても水は出てこない。

 機関室の真水弁を開けないと、真水は風呂場に供給されない仕組みになっていて、真水弁は機関長が管理しており、機関長の許可が無いと真水弁は開けてはならないし、真水弁に触れることすら許されない。

 船には大小合わせて10箇所に蛇口があるが、常に真水が供給されている蛇口は、食事を作

 る賄とブリッジ横にある蛇口の二箇所だけ。

 ブリッジ横の蛇口の横に小さな桶が設置されており、風呂上がりに使える真水は、その桶一杯だけと決められていた。

 僕は浴槽の海水のお湯を汲み頭から被った。

 何度かお湯を被っていると、口の中にお湯が入った。「塩っぱ!!」。

 まずは頭をシャンプーで洗う。オシャレなシャンプーは海水だと全く泡立たない。

 海水で泡立てるなら、エメロンシャンプー!

 海水でも、しっかり泡立つ。

 次に体を洗う。これまたオシャレなボディソープなどは、海水では泡立たない。

 海水で泡立てるなら牛乳石鹸!

 これも海水でも、しっかり泡立つ。

 体を洗ったついでに、顔まで洗う。

 海水のお湯を頭から被り、泡を洗い流す。

 そしてまたお湯が口に入り「塩っぱ!!」

 全身を洗い、海水の湯船に浸かっると肌にピリッとした、痛み似た感覚が走った。

 お湯に浸かっていると、ネットリとした海水風呂独特の肌にまとわり付く感じがしてくる。

 風呂なのに潮の香り。

 しかも、下からモワーッと湯気とともに。

 海水といえども、やっぱり風呂は気持ちいい。

 揺れてるけど・・・。

 風呂から出ると、清水で顔を洗った。

 さっぱりした。

 がしかし、お湯に浸かり火照った体を冷まそと、全裸で船尾に腰掛けて夜風に当たっていると、さっぱりするどころかベタベタと湿った空気が体に張り付く。

 体が乾いてくると、髪もガシガシ、肌はザラザラ。なんとも気分の悪い、風呂上がり感。

 船に乗るまでずっと、風呂は真水の風呂だった。

 ごく普通に。

 しかし今では、真水は貴重で限りがある。

 それまで、そんな生活したこともないし、水が無くなるなんて考えたこともなかった。

 しかも、揺れるところで生活もしたことないし、船内はとても狭い。

 こんなんで、俺やっていけるかなぁ?と弱気になった。

 そこに、先輩船員が通りかかった。

 風呂上がりで涼んでる僕を見て「お、風呂入ったのか!気分良くなっただろ?」と声をかけた。

 先輩船員は、僕の隣に腰を下ろした。

 僕は「うん」と答えた。

「あの」と一旦呼吸を整えてから、聞いた。

「こんなに揺れてるし、風呂も海水だし。よくみんな普通に生活していられますね?」

 先輩船員は答えた「普通じゃないことでも続けていれば、いつかそれが普通なるんだ。要するに慣れよ、慣れ。1年もすりゃあ、お前もこれが普通の生活になってるさ。」

「そんなもんですかねぇ?」と僕は返した。


 僕は「慣れるしかないんだ、俺は漁師になるんだ」と自分に言い聞かせた。




 初航海で共に乗船した、船の主要メンバーを紹介しておこう。

 僕がマグロ船に乗った10年間で、10年ずっと同じ船に乗り合わせた人は、一人もはいない。

 マグロ漁船の、人の入れ替わりは激しかった。


 船頭

 船長ふなおさで、船では神的な存在であり、全権を持つ。

 全船員の精神的支柱でもあり、船頭が船員に “なめられる”船は僕が知る限り存在せず もし“なめられる”ようなことがあればその 船の指揮系統は崩壊し、組織として成り立たない。

 100トンを超える大型のマグロ漁船には「船 頭」「船長」「漁労長」と役務により役職を分けるが、僕の乗った船は59トン型鉄鋼船で、マグロ漁船の中でも小型に組する。

 そのクラスの船では、船頭が上記3役を兼務する。


 機関長

 機関部の長であり、船の地位はナンバー2。

 機関の専門的な知識のほかに、冷凍機というマグロを保存し鮮度を保つための冷凍装置を

 取り扱う。

 そのため、機関長の腕次第で水揚げ高(売上高)が大きく左右される。

 経験と勘が必要となる職務で、機関長の腕の良し悪しで水揚げ高500万~1000万円の差がつくことも稀である。


 ボースン(甲板長)

 甲板部をまとめる長で、機関以外の船具や船の装備を管理する長であり、一般船員を統率する。


 冷凍長

 マグロを魚倉に収める役を担っている。船には船首甲板に合計10倉、船尾に2倉合計12の

 魚倉があり魚巣の形は個所によって違う。その魚倉の全ての形状を把握しておかなければならない。

 冷凍長の腕で、船にマグロの積む積載量が決まる。冷凍長の腕の良し悪しで、同型の船で同じ最大積載量の船でも3トン程、積載量変わることもある。例えば、50キロのメバチマグロを1キロ1200円で水揚げすると、3トンの差が出た場合売上高に換算すると、360万の差が出るということである。

 ※最大積載量とは、船に積める物資の最大量をいう。


 怪物君

 僕の今までの人生の中で、一番お世話になり、一番残念で、一番面白く、一番僕を可愛がってくれた愛すべき先輩船員。

 上半身の筋肉が異常に発達しいる。

 しかし、ボディビルダーのように、筋肉美を求めて作った身体ではないため、オシャレしてくても何を着ても似合わない、とても残念な体型をしていた。

 身長は160㎝弱。数多くの伝説を持つ、僕的に地上最強の漢である。


 有馬さん(ニックネーム:大河さん)

 中学もろくに卒業せずにマグロ漁船に乗る。

 漢字が全く読めない。

 僕はよく週刊誌にフリガナを書かされた。

大河オオカワさん」というニックネームは、僕が命名した。

 NHKで放送されている大河ドラマをオオカワドラマと言ったことに由来する。


 以上が主要なメンバーで、この時、船員総数は8名だった。

 ちなみに、新人の教育方針は、それぞれのマグロ船で大きく違う。

 しかし、僕の経験は当時のマグロ漁船で一般的な方針だったように思う。

 一人前のマグロ漁船の漁師になるには、3年かかると言われる。


 船は漁場である、太平洋のマーシャル諸島付近を目指し航行し出港した日を含んで、3日目をむかえていた。僕は18歳の誕生日を迎え高校を卒業して5日目のことだった。

 まだ、船酔いは続いていた。

 飯炊きを任され、5時半には起床し8人分の朝食を作らなければならない。

 しかしその日、僕は船酔いで眠れず、寝坊をしてしまった。船員室の中は、常に電気が消されており暗い。

 それぞれの船員の当直時間がバラバラのため、就寝時間もバラバラなのだ。

 ジャッ!!!というカーテンの開く“嫌な音” と共に「起きろ!!」と怒鳴る声。

 だが、体が言う事を効かない。起き上がれない。

 船酔いの倦怠感と、少し学生気分残っていた。

 心のどこかで「体調が悪い」と言えば、休めるのでは?と思っていた。

 僕は「体調が悪い」と、暗闇の中に立つ人影に向かって言った。

 すると、いきなり髪を鷲掴みにされ、寝台から引きずり出された!!

 もの凄い力だ!!!

 食堂に引きずり出された時に、食堂の明かりで髪を鷲掴みしているのが誰だかわかった。

 船頭だ!!!

「体調が悪いもクソもあるか!お前、まだ船に酔ってんだろ!!」と言い、髪を鷲掴みに

 したまま、賄いまで僕を引きずって行った。

 賄いまで引きずられていくと、船頭はおもむろに炊飯器を開け、中のご飯をつかみ取ると

 僕の口の中に押し込んだ。「飯を食わねぇから、いつまでも酔ってん だ!!!オラ!!食え!!」と言いながら容

 赦なく、僕の口にご飯を押し込んでくる。

 いくら何でも、僕だって抵抗しますよ!!

 僕はうつ伏せ状態でジタバタしながら、髪を鷲掴みにしている船頭の手を離そうと、船頭の腕をつかんだ。

 すると、抵抗しようとしている僕の腕を、他の誰かが掴んだ。かと思うとクルリ!!と簡単に仰向けにされ、僕の上に乗り両膝で僕の両腕を押さえつけ、完全に僕の体の自由を奪い、バカ力を利用し下あごと頭を持つと口を強引に開かれた!

 とてつもない剛力だ!!

 顔を見ると、怪物君だった。

 さすが怪物君!!

 強引に開かれた口に、船頭は容赦なく手づかみのご飯を押し込まれる。

 息が出来ないので、嫌でもご飯を飲み込むしか無い。

 次に、みそ汁の入った鍋にどんぶりをそのまま入れて汲み取ると、それを僕の口に流し込んで来た。

 もちろんゆっくりではない、ガバッとガバッとである。

 みそ汁は鼻にも入ってくる。苦しいし、熱いし、容赦なく喉に奥に流し込まれてくる。

 次にご飯、次にみそ汁と交互に・・・・・。

 残飯箱か人か、わからない状態でございます。

 それを3度繰り返され、僕は解放された。

 寝起きでの出来事である。

 何が何やら、訳わからず放心状態。

 すると、急激に吐き気が襲って来た。

 口を手で押さえて、船尾の外に続く階段を駆け上がった。

 たった今無理やり流し込まれた食べ物を、海に向かって「ウゲェェェ」と、一気に放出!

 さっきの惨劇を受け入れる事が出来ずに放心状態が続く僕。

 ハァハァハァと荒い息をしてる僕に、後ろから誰かが「おい!」と声をかけた。

 振り返ると兄が立っていて、その顔は笑っている。

「ほら!」と言い、僕に向かってポカリスエットを投げた。

「それ一気に飲め。気持ち悪くて吐きたくても、ちょっと我慢してから吐けよ」と言った。

 僕は、ポカリスエットを一気に飲み干した。

 ポカリスエットを飲むと、また気持ち悪くなり吐きそうになったが、とても素直な僕は兄貴に言われた通り、吐き気をグッと我慢して耐えた。

 すると、じんわりとポカリスエットが体に浸み込む感じがした。

 体がスポンジにでもなったかのようだった。

 気分が悪いのを我慢できるまで我慢し、そしてまた「ウゲェェェェ」。

 口からも鼻からもゲロがでるし、目からは悔しさで涙が止まらない。

 誰にも泣いてる顔なんて見られたくないからハァハァハァと荒い息をしながら、船から海に向かって顔をつき出し、涙で滲む目で海を見ながら頭の中を整理した。

 何が起きたんだ?

 なんという酷いことをするんだ?

 何なんだ・・・。

 息が収まり、汚い顔を服で拭い顔を上げた。

 すると「ほら!」と、兄がタバコとライターを差し出した。

 またまた素直な僕は、差し出されたタバコをくわえて火をつけ煙を吸い込み、空に向かって一気に煙を吐き出した。


 するとだ!!!


 気分爽快!!!


 あれ?今までの船酔いは、何なの!? 


 あのクラクラした感覚はなんだったの!?


 と思うくらい、爽快なのである。

 青い空と澄み切った空気、眼下には大海原。

 船は南を目指し航行を続けている、船は小笠原諸島を超え、日付は4月に入っていた。

 気候も、かなり暖かくなっている。

 気分が良くなると共に、乗船してから今まで心にあった悲壮感に似た感覚が嘘のように消え去っていた。

 そんな僕に兄が「みんな初航海の時はそんなもんだ」と言った。

 そこにボースンが現れ「おい、仕事始めるから、さっさと飯食ってこい」と僕に言った。

 残飯まみれの悲惨な僕の姿を見て、ボースンはニヤニヤと笑っていた。

 さっき無理矢理流し込まれた、豚の餌のような物は全て吐き出している。

 乗船してはじめて、空腹感を感じた。

 食堂に行くと、怪物君が惨劇の後片付けをしていた。

 片付けをしながら、僕に向かって「腹減ったか?」と言い、ニコリと僕に微笑んだ。

 怪物君の笑顔は、とても可愛いかった。

 例えて言うなら、凶暴な熊のプーさんがニコッと笑った感じだ。

 僕は「うん」と答え、どんぶりにご飯大盛りによそおい、それにみそ汁をブッ掛け、空腹の腹に流し込むように食べた。


 この時食べたご飯の、美味いこと!!!!!


 食事をしてから、服を着替えて船尾に出た。

 すでに、船員達はボースンの指示に従い、仕事の準備をしている。

 その日の仕事は、枝縄の釣り針を付ける部分のワイヤー切りと接続部分を作る作業だった。

 数十本まとめたワイヤーを、大きなワイヤー切り用カッタ―で切るのである。

 僕は、そのカッターを使いワイヤーを切る役目をボースンに指示された。

 数十本のワイヤーの束を、ボースンが1,3m程に図り、ビニールテープでとめ僕に渡す。

 渡されたワイヤーを、僕がの切るという作業。

 図って、まとめ、渡して、切る。

 とても簡単で、単調なお仕事。

 しかし、これが延々と続く。

 ワイヤーを切るカッターは、デカくて重い。右足でカッター下台を踏みつけて固定し、左手でワイヤーの束を持って、右手で上から下にレバーを押すとグヮシャ!!という音と共に、ワイヤーが切断される。

 このレバーを抑える時に、力が必要なのだ。レバーを押す重さは、5キロ程度で10回程度切ったあたりで右腕が重く感じた。

 20回程切ると疲れを感じてきて、切るスピードも落ちてきた。

 するとだ。


 パッコ―――ン!!!


 またまた鉄拳ですよ。

 しかもゲンコツで。

 ボースンの。


「仕事追われてんぞ!!さっさとしろ!!」

 普通は、殴る前に注意しませんか!?

 殴ってから注意するの、おかしくありませんか!?と言いたかったが、反抗しようものなら4倍返しになって返ってくるのがわかっているお利口な僕。

 無言で、感覚の無くなりつつある右腕を、振 り上げては下ろしワイヤーを切りましたよ。

 ただ心の中では

「テメェら、そのうち見てろよ!最上級の漁師になってテメェら全員コキ使ってやっからな!」と思ってました!

 ここで気持ちが折れちゃダメなんですよ。やっぱり。

 ムキになって、ワイヤーの束を切る僕。

 段々とワイヤーがボースンに見えてきた!

 心の中では「てめ!クソボースン!殴りやがって!」と思いながらワイヤーを切る。

 汗が顔を伝って滴り落ちてくる、完全に左腕の感覚は完全にないが、それを気力でカバー。

 気合いってやつですね!

 するとボースンの方が、遅れだした。

 ボースンがワイヤーをまとめるのを待つ間少しだけ腕を休めることができる。

 そのとき、火照った顔を風にあてて冷まそうと顔を上げた。

 仕事をする僕の姿を、微笑ましく見ている人がいた。船頭だ。

 それはあきらかに、父親の顔だった。

 しかし僕と眼が合うと、無表情のいつもの顔になった。

 南下中の仕事は、朝の7時起床し食事後にすぐ開始、途中10分程度のコーヒータイムをとり、正午の食事まで仕事をして、午後からは休みとなり、当直当番以外は自由時間となる。

 飯炊きの僕は、時計が11時30分になると賄いに行き食事を作り始める。

 30分で8人分の食事を作らなければならない。

 常に時間との戦い。

 10分でも遅れようものなら、船頭かボースンが怒鳴りこんでくるのは間違いない。

 今考えてみると、この時に「次にすべきことの準備」という「仕事要領」が、体に染み付いたと思う。

 タオルをハチマキにして、汗ダクになりながらチャーハンと味噌汁と野菜炒めを作る。

 時計を見た。12時を5分過ぎてる!!!

 ヤバいです!!

 来ましたよ来ました!やっぱり怒鳴りこんできましたよ!

 ボースンが!!!

 一所懸命料理をしている僕のケツに、容赦のない蹴りですわ!ヤクザキックです。

「さっさとしろ!!」と、また暴力の後の注意ですよ。

「もう出来あがります!!」と、デカイ声で答える僕。

 昼食が出来て、みんなに食事を告げると、さっさと仕事の片づけをはじめた。

 ブリッジに行き、船頭に「食事できました」と言うと船頭は目も合わせず、無言でブリッジを出て行った。

 操舵席(操縦席)にすわり、当直員の食事が終わるまで暫しの当直。

「フーーーッ」と深いため息をつき眼前の海を見た。船酔いは完全に消え去っていた。

 そこに、元コック長が入ってきた。元コック長は若いころ何か問題を起こし、それを船頭が救ったらしい。

 それ以来、船頭に一生ついていくと心に決め15年以上同じ船に乗っていた。

 子供の頃から僕を可愛がってくれた、気の良い優しいおじさんだった。

「船酔いはどうだ?」と、僕に聞いた。

 僕は「大丈夫、もうなれた」と答えた。

「どうだ?船はキツイか?」と笑いながら聞いた。

 僕は「全然キツくないよ」と、心と裏腹の言葉で答えた。

 それを聞いた元コック長の顔は、昔の優しいおじさんの顔に戻っていた。

「お前が船に乗るのを、船頭がどれだけ楽しみにしてたことか」とポツリと言った。

 続けて「あいつは俺に似てる、あいつはいい漁師になるぞ。と、お前が子供の頃悪さした時にいつも俺らに自慢したもんだ。父ちゃんみたいな漁師になれよ、がんばれよ」そう言い終わると、コック長はブリッジを出て行った。

 なんだか、照れくさかった。

 思い返せば、ガキの頃から超恐い親父でよく殴られたが、自慢の親父でもあった。

 どこかの港に親父が入港すると、母親は僕を連れて父親がいる港に会いに行った。

 35年以上前の日本の交通機関は、現在程発達しておらず、病弱な兄に長旅は無理だと

 兄はいつも留守番をしてた。

 宮城県の塩釜や和歌山県の那智勝浦等、いろんな土地の漁業関係者から

「お!船頭の跡取りか!父ちゃんみたいになれよ!」と声をかけられた。

 祖父は僕が小さな頃から、事あるごとに「お前は、うちの跡取りになるんだぞ。兄ちゃんは身体が弱いからな。父ちゃん見たいになれよ」と言った。

 記録は残っていないが、父が船頭をして間もない頃こと。

 父と一緒に乗っていた船員から聞いた話だ。

 日本近海(日本を出港して2日程度の海域)で、操業一回目に本マグロを含む60キロ上の

 メバチマグロを一度のはえ縄で360本釣りあげて、操業一回目にして船は一発で魚倉が満杯となる記録を、父は持っているらしかった。

 昭和40年後半頃、1週間足らずの航海で4000万円の水揚げをしたと聞いた。

 子供の僕は、そんな父が誇らしかった。

 小学生の頃、国語の宿題に「作文」があった。

「父ちゃんが帰ってくる日」という題名の作文を書き、何かの賞を貰ったのを覚えている。

 その作文を読んで、顔がくしゃくしゃになって喜んでいる親父の顔を今でも覚えている。

 ブリッジのドアが開くガチャという音がした。

 誰かが入ってきた。

 僕は、海を見つめたまま座っている。

 するといきなり、頭をパーーーーーン!!と

 殴られるのと同時に「チャーハンが塩っぱい!!」と怒られた。振り返ると、船頭だった。

 僕と目も合わせず、船頭室に入って行った。

 なぜ、口より先に手が出る人たちなの!?

 断っておくが、決して僕はひ弱ではなかった。

 中学生のころ、相撲部に所属し大会で入賞したこともある。

 高校生のころは1年生から2年間、キックボクシングに明け暮れた。

 僕の通う高校は、県下でも有数のおバカが集まる学校として有名で、卒業した人はその道

 に入る人は少なくないくらい、悪い子が集う学校だ。

 高校生の頃、何度か喧嘩をしたが、キックボクシングをやってたこともありタイマンでは無敗だった。

 というのは、ウソで。何度か負けた。

 しかし!この人たちは、レベルというより

 ラベルが違う!!

 喧嘩の強さとかではない。

 そもそも、生きている世界の次元が違う。

 男として、敵わないと思った。

 そして、一日も早くそんな人たちに男として漁師として、認められたいと僕は思った。

 日本近海を抜け、南方海域に差し掛かる頃、海は穏やかだった。

 船の揺れは緩やかで、トビウオが飛んでいた。水平線には、夏を思わせる積乱雲が盛り上が

 っていて、空気は澄み渡っている。

 太平洋のマーシャル諸島付近の漁場を目指し南に航行を続けていた。

 出航してから4日目を迎えた。

 怒涛の4日間だったが、大体だが船の生活パターンがわかってきた。

 もちろん、仕事ではまだまだ、使い物になるレベルではない。

 僕の仕事のほとんどは雑用と飯炊きだ。

 しかし、一つ大きく変わったものがある。

 気持ちだ。

 出港してからずっと船酔いに悩まされ続け、あまりの生活の激変を受け入れることが出

 来ずにいた。

 もちろん「マグロ船に乗る」という人生の選択は、自分でした。

 しかし自分が“今、まさにマグロ船に乗って、マグロを獲りに行く”という感覚は、ほとんど無かった。

 航海4日目にして、やっとそれを受け入れることが出来き、気持ちが変わった。

「甘ったれたこと言わねぇ。負けるか!一人前の漁師になってやる!!」と、思うようになった。

 考えてみれば、中学を卒業してすぐにマグロ漁船に乗った同級生が10人いた。

 あいつら、俺らが高校行ってバカやってる時こんなことやってたのか!すげえな!!と素直に思った。

 それと同時に、負けちゃいられねぇ!とも思った。


 3年のキャリアの差は大きい。

 彼らの足元に及ばないのは十分承知している。

 しかし、2年間必死にやれば追いつけるかもしれない。

 やってやろうじゃねーか!と、思った。


 しかし、現実はそんなに甘くはありませんよ。

 わたくし毎日あっぷあっぷでございます。

 マグロはえ縄漁船、漁師一年生の僕の船内での生活パターンはこんな感じ。

 朝6時起床。まず水を飲んで、タバコを吸う。

 そして、歯お磨きをした後、タバコを吸いながら、目覚めのコーヒーを飲む。

 この習慣は今でも変わらない。 

 それが終わり、8人分の朝ごはんを作る。

 朝食の献立は、ほぼ毎日同じ。ご飯とお味噌汁と卵焼きに簡単な付け合わせ。 

 朝7時朝食開始。ブリッジに行き、船頭に朝食が出来たことを告げ、操舵席に座り船頭の食事が終わるまでの間、僕は当直をする。

 船頭の食事が終えブリッジに戻ってくると「ベルをならせ」と言われ、スタンバイのベルのボタンを、押し船員全員を起こす。

 食事を終えたボースンがブリッジにやってきて、船頭とその日の仕事の内容を打ち合わせ

 確認をする。

 ボースンが現れると言うことは、船員全員が食事を終えたことを意味する。

 僕はブリッジを出て、食堂に行き5分もかからずご飯をかき込み朝食を済ませる。

 朝食の後片づけをするのだが、この時昼食の準備をできる限り済ませておく。

 昼食を作る時間は、30分しかない。

 8人分の昼食だ。

 前準備無しに30分で作れるわけがない。

 例えば、昼食が野菜炒め&刺身&お吸い物を作る場合、朝食の片付けが終わった後、予め野菜は全部切っておき冷蔵庫で保冷しておく。

 お刺身用の魚もさばいて、刺身に切るだけの形に整えて冷蔵に収め、お吸い物を作る鍋に

 は、水を張っておくと言った具合だ。

 朝食の後片付けと、昼食の前準備が終わり仕事に参加する。

 ボースンに何の作業をするのかを聞き、指示された通りの作業をする。

 作業をすると言っても、新米の僕が出来ることは限られていて、今は仕事を教わることが仕事のようなもの。

 仕事は誰に聞いても、厳しく優しく丁寧に教えてくれた。

 しかし、教えた通りに作業をせず、自分なりのオリジナリティを織り込み作業をしようものなら容赦なく、制裁が飛んでくる。

 グーパンか、サンダルで。

 サンダルは、まだいいです。音が激しいだけだけで、怪我にはならないので。

 グーパンは嫌です。腫れるから。


 人に教わった事をアレンジし自己流に応用しオリジナリティとして作り上げることは、悪

 い事ではないと思う。

 しかし、数十年の時の中で、先人が失敗や成功を繰り返し、その経験を基に作り上げられた「形」は完成形に近く、その先人達の「形」を漁師一年生の僕が自己流にアレンジしても「形」以上の方法に、勝るものはない。

 教わった方法を柔軟に受け止め、その方法を徹底的に追求し独自の方法で「形」に上書きし、自己流に洗礼しアレンジさせていく。

 この方法は、現在でも変わらず、仕事における初動の方法として続けるよう心がけている。

 しかし人はそんなに強くない、誤魔化したい時もあるし、楽な方法に逃げようとする。

 特に生来グウタラ気質の僕は、その傾向がとても強い。

 マグロはえ縄漁船とは、文字の如く「縄」を主に扱う作業が大半を占める。

 一流のマグロはえ縄漁船の漁師とは、縄を扱う職人でもあるのだ。


 マグロはえ縄漁の漁具の仕掛けは、「幹縄」または「主縄おもなわ」と呼ばれる大元の縄にマグロが掛る「枝縄」または「ブラン」と呼ばれる縄が、2000〜3000本程度取り付けられる。

 樹木の「幹」と「枝」を想像していただくとわかりやすと思う。

 枝縄は3層構造になっており、末端にスナップと呼ばれるステンレス製の器具で幹縄と枝縄を接続しスナップが付いている末端から中間までが「枝」と呼ばれ、中間部分を「さきながし」先端近く約3メートルにワイヤーが

 付いており、ワイヤーにマグロ用の釣り針が取り付けられ、1本の仕掛けとして完成する。

 末端のスナップと枝は、「さつま」という編み方で縄を編み込みを作り、スナップと枝縄を取り付ける。

「さつま」を刺すには、3本の束からなっている縄を1本ずつにバラし、「スパイキ」という、カジキの角で出来た尖った作業具を使い、縄に穴をあけて1本づつ刺し込んで「さつま」を編み上げていく。

 今日は、その「さつま」を作る作業で、その部分を3000本作る。

 船頭は漁場選定の情報収集をし、機関長は機関整備をそれぞれ行うので、作業には加わらない。

 そのため6人で3000本を作る。一人あたり500本作る必要があるのだが、新人の僕は先輩が3本作る間に、1本しか作れない。

 右利きの僕は、スパイキを右手に持ち、左手で縄を持ち「さつま」をさしていく。

 新人の僕の手は柔らかいし、力加減を調節するほど要領が良くないので、10本程「さつま」を刺すと、縄を持っている左手人差し指の第二関節あたりに、マメができた。

 左手の痛みが激しくなっていき、顕著に作業の効率や速さを下げた。

 左手の人差し指できたマメが破け、手に血がにじんできた。

 痛がる素振りを見せる僕なんか、誰も見向きせずに、みんな淡々とさつまを刺しながら、パチンコや

 風俗の話しながら和気あいあいと、手作業だけはサッサとしている。

 新人の僕の隣には、常にボースンがいた。

 ボースンの作るさつまの、上手くて早い事!しかも、きれい!!!!

 あまりの左手の痛さに、痛みを和らげようと「つぅ」と言う言葉が口をついて出た時

 ボースンが「手ぇ、痛いのか?」と聞いたので、素直な僕は、とても素直な僕は「痛い」と答えてしまった。

 すると


 ドッカーーーーーン!!


 左後頭部に衝撃が走った。

 僕からは見えない角度で、拳が振り下ろされましたよ。

「若いくせに、痛いなんて言うんじゃねー!!」と、怒鳴られました。

 拳が振り下ろされるのと怒鳴られるのは、ほぼ同時です。

 まあ、暴力の後に注意されるよりマシですが。

 しかし「若いくせに」というのは理解ができない。若くても痛いものは痛いし、痛みを感じるのに若さも老いも関係ありませんから。

 でも、その時は黙って殴られた痛みに耐えました。だって「痛い」と言うと、また殴られるのは、わかってますから。

 負の連鎖を招くような、野暮な僕では無いんです。

 仕事の遅さが仕方ないのは、先輩方も周知の事実。漁師一年生ですから。

 しかし、根性は同じレベルが求められると学びました。

「痛い」と言葉にするのは、「痛み」に対して「負けました!」と言っているようなもんなんだなと。

 屁理屈に聞こえるかもしれないが、時として理にかなっていることもあるかなと。

 こんな訳のわからない理由かもしれないが、それを自分に言い聞かせ納得させるのにさほど時間は必要ない。

 順応性の高い、僕でした。

 11時半なったので、僕は昼食を作りに賄いへ。

 この頃から、飯を炊きに行くタイミングに関しては、誰も指示を出さないし誰も命令もしません。僕が判断し行動する。

 遅ければ、ドヤされるだけ。

 ただ僕は約3時間で「さつま」を40個位しか作れていなかった。

 昼食を作り終え、船頭に昼食が出来たことを告げに行った。

 船頭は昼食に行き、船頭の昼食が終わると、船員の作業も同時に終わる。

 午後からは、各自2時間毎の当直以外は休みになる。

 そのための当直員が、優先で昼食をとる。

 その他の船員は、各自バラバラに行動するのだが、狭いスペースで集団生活をしているため様々なことに優先順位がある。

 みんなそれを皆把握していて、把握しているからこそ譲り合いが生まれる。

 実にスムーズに皆が行動するのである。

 船頭がブリッジに戻ってきた、それに続き当直員もブリッジに入ってきた。

 僕は操舵席を当直員に譲り、さっさと昼食に行こうとすると、船頭から声が掛った。

「お前、今日さつま何個作った?」と

「40個くらいです」と答えると

「飯食って後片付けしたら、ブリッジに来い」と、言われた。

 昼食を済ませ賄いの片づけをし、夕食の前準備をしてブリッジに行くと

 当直員と船頭はさつまを刺していた。

 嫌な予感がしたんだよなぁ。と思っていると「お前もさつま刺せ」と、船頭に言われた。

 船頭の横に座り、スナップのさつまを作り始めました。

 半人前にも満たない僕は、先輩より極端に作業が遅いため居残り作業ということだ。

 さつまを20個程刺すと、また左手の人差し指からは血が流れてきた。

 しかし、先ほどのボースンから言われた「若いくせに痛いというな」を覚えていたので、

 痛みに耐えながら、指から血が床に落ちても知らん顔で、さつまを刺していた。

「痛い」なんて絶対に言うもんか!と平然とそれを作っていると、船頭に頭をコズかれて

「床が汚れるから、絆創膏はれ」と言われた。

 ええっ!俺の手じゃなくて、床!?

 血ぃ出てますけど!!

 思ったが、口には出さず言われる通り絆創膏を貼った。

 おお!絆創膏っていいね!と思ったのは言う までも無い。

 痛くなんだよ!絆創膏貼ると!

 延々とさつまを刺していくと、徐々に要領もつかめてきた、100個程ができたかなと思った頃、船頭に「飯炊きに行って来い」と言われた。

 時計を見ると17時を回っていた。

 翌日も同じ作業をして、また居残り作業。

 その次の日は「さきながし」のさつまを刺す作業、そしてまた居残り作業。

 三日間同じ作業を続け、数百本のさつまを刺した。すると左手人差し指のマメが潰れて血が出ていた箇所が硬くなっていた。

 僕の手は、漁師の手になりつつあった。そんな毎日を繰り返し数日が過ぎた頃、船はすでに夏真の気候の海域に達していた。

 海は、素晴らしく穏やかだった。マグロはえ縄漁をするための、すべての漁具と機器の整備と準備は整っていた。

 いつものように朝食を作り、ブリッジに行くと「今日は休みだから、みんなを起さなくて

 いいぞ」と船頭に言われた。

 休みあるんだ!?と、嬉しかった。

 すると、当直員である有馬さんが「当直こうたーーーい!」と元気に叫びながらブリッジに入ってきた。

 ブリッジには、本を収める段ボール箱がある。

 段ボール箱には、大量に買い込んだ小説や週刊誌、漫画等、様々な本が入っている。

 もちろんエロ本も。

 有馬さんは、その箱の中から「週刊ポスト」を取り出し、操舵席に腰掛けて読み始めた。

 有馬さん、当直する気ないみたい・・・・。

 有馬さんがグラビアの部分を見てた時、船頭がブリッジに入ってきた。

「有馬さん、船頭に怒られる!」と思ったが、船頭は有馬さんには見向きもせず、船頭は自分の部屋に入って行った。

「あれ?ワッチの時に本読んでいいの?」と、僕は有馬さんに聞いた。

「2時間も暇だろ。どうせ船なんかいないんだから、10分に一回くらい前見りゃいいんだよ」と、有馬さんは言った。

 そう、太平洋ってとてつもなく広いんです。

 出航してから三日も経つと、他の船とすれ違うことはほとんど無くて、すれ違ったとしても米粒ほど遠くにいるくらいなんです。

「ウォークマンで歌とかも聞いていいの?」と僕が聞くと「いいに決まってるだろ」と会話しながらも、有馬さんは週刊ポストから一切目を離さず、食い入るようにグラビアページの女の子を見ていた。

 僕がブリッジを出ようとした時だった。

「おい、この字なんて読むんだ?」と聞きながら、週刊ポストのグラビアの、横に書かれてある見出しを指差した。

 見出しには「妖艶の夏」と、書かれてありビキニを着た女の子が写っていた。

 僕は「“ようえんのなつ”だよ」と、教えた。

「ほうほう」と言いながら、グラビアページから目を離そうともせず頷く有馬さん。

「ようえんってなんだ?意味わかんねーな」とポツリと言った。

「ん?」と僕は言ったが、有馬さんは僕の顔を全く見ずに、グラビアを舐め回すように見ていた。

 すると「ところでよー。NHKのおおかわドラマ面白いな!武田信玄!あれおもしれーな」と、いきなり僕に向かって言った。

 ぼくは「おおかわドラマ?・・・。はて?」と思って、そんなドラマあったっけ?」と、少し考えた。

 有馬さんは、グラビアから全く目を離さない。ずっと見ている。

 見えてはいけないものでも、見え出すかのように、食い入るように見ている。

 僕はそんな有馬さんに

「有馬さん、それってもしかして。日曜の夜8時から、NHKでやってるドラマのこと?」と聞いた。

 すると有馬さんは「そう!日曜の夜8時からのドラマだ!」と答えたが、まだグラビアを見ている。

「有馬さん、それ大河おおかわドラマじゃなくて大河たいがドラマっていうんだよ」と僕が言うと、有馬さんはやっと顔を上げて「バカやろー、うちの隣の大河おおかわさんは、おおかわじゃねーか!たいがなんて言わねーじゃねえか!」と、ムキになって僕に言った。

 僕は笑いを必死にこらえながら「有馬さん家の隣は大河おおかわさんだ けど、NHKのドラマは大河たいがドラマ って読むの!」と言うと「それはお前が間違ってる!そんな言葉、俺は聞いたことねぇ!」と、顔は少し笑っていたが、自分が間違えていることを一切認めない感じで、僕に言った。

 ちょっと待てよ、さっき妖艶の夏も読めなかったし、大河タイガをおおかわと言うし。

 さては?と思い、有馬さんに「ちょっと読んでる本貸して」と言い、有馬さんが読んでいる週刊ポストを取り上げ、記事の部分に書かれてある「裏金作りの仕組み」という文を指差し「これなんて書いてる?」と、有馬さん

 に聞いた。

 すると有馬さんは「なんとかつくりのなんとかぐみ」と言った。

 そう、有馬さんは小学校低学年で教わる程度の漢字しか読めなかったのだ。

 吹き出しそうになったが、有馬さんは先輩なのでバカにしてはいけないと思い、笑いを必死になっている僕の顔を見て「俺は中学にろくに行ってないんだから仕方ねーだろ」と有馬さんは、笑いながら言った。

 それ以来、僕は有馬さんのことを、愛を込めて大河おおかわさんと呼ぶようになった。


 その日の午後を回った辺りから、海が荒れ出し急に揺れが激しくなってきた。

 その揺れはどんどん大きくなって、夕方近くには上から下にド――ンッ!ド――ンッ!と船が叩きつけられるような、揺れに変わった。

 船はミクロネシア諸島付近で発生する、熱帯 低気圧の真っただ中を航行していた。

 この熱帯低気圧は日本に近づいて行き、日本近海に達すると台風に成長する。

 いうなれば「台風の卵」だ。そんな中でも、飯炊きの僕は夕食を作らなければならない。

 船が叩きつけられる中、体を支えながら金目鯛の煮付けと、刺身とブロッコリーとエビの炒め物を作った。

 夕食を作り終えると、いつものように夕食が出来たことを告げるため、船に打ち込んでくる波をくぐり抜け、ブリッジまで行く。

 船頭に「夕食ができました」と声をかけた。いつもなら、すぐに食堂に向かう船頭だがその日は僕に向かって、コクリとうなずくだけで、しきりに他の船と無線で連絡を取り情報交換をしていた。

 無線連絡の相手は、近隣で漁をする船だ。

 漁の状況を確認しているような話し声が聞こえてくる。

 ひとしきり無線連絡が終わると、船頭から「ボースンを呼んで来い」といわれた。

 ボースンを呼びに、ブリッジから出た。

 打ち込んでくる、波のタイミングを見る。

 ブリッジの出入り口は右舷側にあるので、船が左舷に傾いた時、波は通路に打ち込んでこないので、風に煽られた飛沫で少しだけ濡れるが、頭から波を被ることはない。

 通路を一気に走り抜け、船尾の居住区に行きボースンに船頭が呼んでいることを告げて、またブリッジに戻った。

 ボースンが、ブリッジ来た。

 船頭がボースンに向かって「明後日からやるぞ、明日構えろ」と言った。

 ボースンは「わかりました」と、船頭答え

 僕に向かって「明後日、第一回操業だ」と、ニヤリと笑顔を見せ言った。

 船頭とボースンは、共に船尾に夕食に行った。

 荒れた海は、収まる気配は全くない。

 波は容赦なく、船に打ち込んでは出て行く。

「こんな時化で操業なんかできんのかよ?? 立ってるのもやっとじゃん」と、思いながら暗くうねる海を見つめていた。

 翌日、海は荒れたままだった。

 そんな中、第一回操業に向けての準備をした。

 船尾の漁具を入れている倉庫が開き、マグロはえ縄漁をするための漁具をスタンバイして幹縄を巻き上げる機械のラインホーラーや枝縄を巻き上げる機械のブランリールのカバーが外された。

 船は、マグロはえ縄漁船にトランスフォーム。

 船員は誰に指示されるわけでもなく、激しく荒れた海を航行する船の上で、各自がテキパキとスムーズに動く。

 最後にボースンが全てのチェックをして、準備は完了した。3時間程で終わった。

 船は、戦闘態勢に入った。

 僕の胸は、期待に躍っていた。

 というのは、嘘で。

「俺、大丈夫かな?こんなに揺れてるのに歩けるのかな?」と考えていた。

 空はどんよりと曇り、海の色は黒く、荒れ狂う波は白いしぶきをあげていた。

 そのしぶきが、雨のように降り注いでいた。


 5時半に目覚ましを掛けて寝た、その目覚ましの音で目がさめた。

 目がさめてからすぐに食料庫に貯蔵されてい

 る、6枚切りの食パンを5個とマーガリン、

 こしあんの缶詰を、数個テーブルに出した。

 これが、操業中の朝食だ。

 タバコを吸っていると、けたたましくベルが

 鳴り響いた。

 リィィィィィィィン。

 ベルが鳴った直後、居住区から船員達がぞく

 ぞくと出てきた。

 一人の船員が「おい、投縄始めるぞ」と、僕

 に声をかけた。

 僕は付いていき、投縄を行う船尾に出た。

 船尾には、マグロを釣るための餌である冷凍

 ムロアジの箱が30箱程積み上げられていた。

 そのうちの数箱を開け海水をかけ、冷凍され

 固まったムロアジの固まりを、バラバラにし

 ているボースンの姿があった。

 僕を見かけたボースンが「おい、餌バラせ」

 と言った。

 僕は、ボースンがやっている「餌バラし」を

 見よう見まねでやった。

 餌バラしが終わり準備ができると、各自がそ

 れぞれの持ち場に付いた。

 ボースンが、船尾からブリッジに通じている

 マイクを使い「スタンバイOK」と告げ、投縄

 が開始された。

 投縄の配置作業は5箇所ある。

 まずは“枝解き(えだとき)”

 カゴに入って縛ってある枝縄を解いて台に載

 せる役。

 次が“スナップかけ”

 船尾に設置された幹縄を放出する繰り出し機

 の横に座り、枝縄の末端のスナップを、幹縄

 に掛ける役。

 そして“餌投”

 枝縄に付いているマグロ用の釣り針に餌をか

 けて、海に放り込む。

 雑用を兼務する“餌はぎ”

 餌投役の横に設置してある餌箱に、餌である

 ムロアジを解凍し、補給する役と雑用を行う。

 投縄は、船尾に設置してあるスピーカーから

 プーーッという低い音が6秒毎に鳴る。

 “スナップ掛け”は、その音に合わせて、繰

 出し機から放出される幹縄を掴み、枝縄のス

 ナップをかけていく。

 それと同時に“餌投”は釣り針に餌を掛け、

 海に放り込む。

 “枝解き”は台の上の枝縄が無くなった瞬間

 に、次の枝縄を解き台の上に載せる。

 プーーッという低い6秒毎の音が16回続き、

 ピー―ッという高い音が鳴る。

 高い音が、浮き球を付ける合図だ。

 カゴには48本の枝縄が入っており、2カゴ

 毎に持ち場を交代する。

 枝縄48本毎に「枝解き」「スナップ掛け」

「餌投」「餌解き」「玉寄せ&雑用」と交代

 して行き、10周するので枝縄の投縄本数は

 2400本になる。

 距離にして約130キロメートルになる。

 一年生の僕は、もちろん雑用ばかり。

 それでも「おい!餌がまだ凍ってるじゃねー

 か!もっと解かせ!」「タバコつけろ!」

「ジュースくばれ!」「コーヒー飲ませろ!」

「ウキを取りやすいように、寄せろ!」と

 どんどん指示が飛んでくる。

 息をつく暇もありません。

 しかも、前日の通り海は時化たまま。

 左右に、大きく船は揺れている。

 するとそこに船頭が現れ「ボウズにやらせろ」

 と、枝解きを担当しているところを指さした。

「ボウズ」とは僕のことで、新人の僕は名前

 など呼ばれません。

 船に必要とされ、仕事がある程度できるよう

 になるまで、ずっと「ボウズ」と呼ばれた。

 一人前になるまでは人格などは無いというこ

 とである。

 まあ、こんな荒くれ者の中で、大自然を相手

 に仕事をしていると

 人格どころか価値観まで崩壊していくので、

 否定されても屁とも思わないというか・・・。

 思う暇などありません!

 初めてする「枝解き」、枝縄は末端のスナッ

 プを持って引っ張れば解ける仕組みになって

 いるのだが、カゴから出して枝を解いて台に

 置くという見た目では簡単に見える作業も、

 初めての僕にとって6秒間で、その一連の作

 業は至難だった。

 ブーーーッという音に追われてくる、という

 ことは作業が追われている証拠である。

 先輩から「おらおらおら!追われてるぞ!」

 と煽られる、必死に追いつこうとすると

 枝縄を解くスピードを上げようとするが、枝

 縄をうまく掴めなかったり落としたりして

 どんどん焦ってくる、そして一瞬パニックに

 なり何をして良いのかわからなくなる。

 追われる、煽られる、パニくる。

 最初はこれの繰り返し。

 追われながらも、なんとか2カゴをこなし

 スナップ掛けに交代。

 繰り出し機の隣に立ち、台に置かれた枝縄の

 スナップを掴み、ブーーーッという音に合わ

 せて幹縄を掴み、スナップをカチャッと幹縄

 に引っ掛ける。

 この作業は簡単なのだが、ブーーーッという

 音と共に「餌投」が、餌を釣り針につけて海

 に向かって放り込むタイミングも合わせて見

 計らいながら、幹縄に掛けた枝縄のスナップ

 を離す必要がある。また2カゴをこなして、

 交代となった。

 次は“餌投”だ。

 餌投に交代しようとすると、ボースンに呼び

 止められた。

「ここに、こうやって針をかけろよ」と、釣

 り針を餌に掛けるやり方を教えた。

 僕は“餌投”のところにいき、後ろから「交

 代」と声を掛けた。

 当縄において、この“餌投”が一番重要な場

 所と言っていい。餌が付いていなければ

 マグロは釣れない。

 僕のすぐ後ろには、ボースンが立っている。

 僕は台に置かれた枝縄の釣り針を右手で持ち、

 左手に餌のムロアジを持ち、教わった通りム

 ロアジの前ビレあたりに針を掛け、右手で枝

 縄のワイヤー部分を持ち、左から右にシュッ

 と海に投げ込んだ。

 すると、枝縄はグシャっと一塊の縺れ(もつ

 れ)となり海に放たれた。

「横に投げるから縺れるんだ!縺れにマグロ

 は食いつかねーぞ!上方向に向かって餌なげ

 ろ!」と、僕の後ろにいるボースンに怒鳴ら

 れた。

 次の枝縄も同じように、縺れになった。

 見かねたボースンが、僕の右腕を持ち「こう

 やって横に投げるから縺れんだよ!この角度

 で、斜め上方向に餌なげろ!」と、僕の腕を

 持って、身振りを教えた。

 次の枝縄の釣り針を持ち、餌に針を掛けて、

 左から右斜め上をめがけてシュッと餌を海に

 投げ込んだ。

 すると、輪になった枝縄は、スルスルスルと

 縺れることなく綺麗に一直線に海に解き放た

 れた。

「よし!それでいい!」と、後ろのボースン

 が言った。

 僕も「よし!」と思った。「この要領だ!」

 次々に枝縄を投げ込んでいく。

 たまに遅れて後ろ立っているボースンに「追

 われてる!」と怒鳴られる。集中をして“餌

 投”をやっていると、あっという間に2カゴ

 を交代が来た。

 交代をして“餌はぎ”をやっていると

「お前、初めてにしては上手いじゃねぇか。」

 と、初めてボースンに褒められた。

 投縄が終わる1時間前に、いつものように昼

 食を作りに行き、昼食を作り終え投縄に参加

 した。

 初めての投縄は、教わることと追われること

 が多すぎて怒涛のように過ぎ、最後に幹縄に

 ラジオブイ(発信器付きブイ)を付けて投じ

 て、投縄は5時間半程度で終わった。

 昼食を取り風呂に入って、寝台に行き時計を

 見た。13時を少し過ぎたところだった。

 その2時間半後の15時半に、縄を巻き上げる

 揚縄が始まる。

 揚縄までの2時間半は、船のエンジンを止め

 全員仮眠を取る。

 寝台に入り、ヘッドフォンしてウォークマン

 の再生ボタンを押した。

 矢沢永吉の「時間よ止まれ」が流れてきた。

 歌を聞いていると、そのうち眠りに落ちた。

 ゴォォォォォーっと言う、エンジン音で目が

 覚めた。時計を見ると15時15分だった。

 揚縄の起床ベルは鳴らない、メインエンジン

 の起動する音が起床の合図だ。

 船は、2時間半前の投縄の最後に投じたラジ

 オブイに向かって船は航行を始めた。

 ラジオブイからは信号を発信する発信器が付

 いており、その信号を探知するのだ。

 寝台から出て揚縄用の作業着を着た、カッパ

 置き場に行きカッパと長靴を履き、ゴム手袋

 をはめて、ゴム手袋の上から軍手をはめて揚

 縄の準備は完了。

 南方海域の気温は30度以上ある。

 雨が降るか、大時化の波が打ち込んで来る時

 以外は上着のカッパは着ないし、ヘルメット

 も被らない。

 甲板デッキに向かった。

 甲板には、すでに先輩達が居た。

 何とも言えない緊張感が漂っていた。

 みんなでタバコを吸いながら、ラジオブイが

 来るのを待っている時に、ボースンが全員

「あみだクジ」を持って現れた。

 2日置きに一度、投縄を休める「寝ワッチ」

 と呼ばれる組み合せを決める「あみだクジ」

 だった。

 船頭と機関長以外の、6人でクジを引く。

 投縄は4人で出来るので、2人1組が3班で

 きることになる。

 僕の引いたあみだクジは3で、怪物君と同じ

 班になり、寝ワッチは明後日となった。

 マグロ船の漁の風景の写真を見たことがある。

 写真の船員が、上下のカッパを着てヘルメッ

 トを被って漁をしている写真だったが、南方

 海域などの高温海域で操業する場合、天気の

 良い日に上着カッパは着ないしヘルメットを

 被ることは絶対にない。

 暑過ぎて、仕事をするどころでは無いのだ。

 ラジオブイからは発信信号が出ており、それ

 を目指して船頭は船を操船するのだが、広い

 太平洋ピンポイントでラジオブイには絶対に

 到着できない。

 準備の整った船員は、ブリッジの上に上がり

 肉眼でラジオブイを見つけるのだ。

 20分程でラジオブイが見つかり、それに向

 かって船はスローで進んだ。

 右舷側の舷門が開かれ、「カギ」を使

 いラジオブイを捕まえた。

 ラジオブイが船に引き上げられ、デッキ前方

 右舷側に設置されてある“ラインホーラー”

 という、幹縄を巻き上げる機械が廻り始めた。

 幹縄をラインホーラーに掛け、幹縄が巻き始

 められた。揚縄の開始である。

 幹縄は海から甲板の右舷に取り付けられたサ

 イドローラーを経て、ラインホーラーに繋が

 り巻き上げられてくる。

 巻き上げられた幹縄は、ラインホーラーの左

 側の下に設置されたベルトコンベアーの上に

 落ち、落ちた幹縄を船尾の上部にある縄庫に

 送る仕組みになっている。

 ベルトコンベアーには「傷見」という担当が

 いて、幹縄の傷を探す。

 幹縄の傷ついた箇所があれば、すぐその箇所

 を“さつま”で補修する。

 ラインホーラーの幹縄を巻き上げる速度は、

 時速にして平均速度10キロメートル程度で

 130キロメートルはえた、幹縄に沿って巻

 き上げていく。

 そのため揚縄の作業時間は時間=距離÷速度

 で計算すると13時間となる。

 ラインホーラーとサイドローラーの作業箇所

 を「縄先」と呼ぶ。

 サドローラーの下には、ライホーラーを止め

 るブレーキがついており、ブレーキを踏むと

 ラインホーラーは止まる仕組みになっている。

 船頭は、操縦席に座りラインホーラーが巻き

 上げる縄のスピードに合わせて船を操船する。

 縄先担当は、巻き上げられる幹縄についてい

 る枝縄のスナップを、ブレーキを踏むことな

 くスパッと離していくのだが、常に幹縄を左

 手で叩きながら幹縄の張り具合を確認し幹縄

 の感度を確認する。

 幹縄がビンビンに張ると、すぐ近くの枝縄に

 魚が釣れているということだ。

 “縄先”は外したスナップを、後ろに設置さ

 れている“ブランリール”にかける。

 これを“枝くり”と呼ばれる担当が、ブラン

 リールで枝縄を巻き取っていく。

 枝縄をワイヤー部分まで巻き、ブランリール

 から枝縄を外し、ワイヤー部分をクルクルと

 綺麗な輪っかにして、丸くなった枝縄を縛っ

 てカゴに納めて行く。

 “枝くり”は、ブランリールに2人1組にな

 り、交互に枝縄を巻き取る。

 海は投縄の時の時化と比べ、落ち着いていた。

 “傷見”“縄先”“枝くり”を行なっている

 船員以外は、獲れたマグロの解剖作業などを

 する雑用となる。

 揚縄も投縄同様、2カゴ毎に担当箇所を交代。

 “縄先”担当が、サイドローラー足下にある

 ブレーキを踏んだ「商売!!」と叫び、枝く

 り担当に渡した。

「商売!」とは、枝縄に何か釣れてることを

 指すかけ声だ。

 僕と一緒に雑用係をしていた怪物君が

 弦門に行き、魚のかかった枝縄を受け取った。

 枝縄を手繰り寄せる怪物君を真ん中にして、

 鉤を持った船員二人が、怪物君を囲む。

 一人の船員が「なんだ?」と怪物君に聞くと

「サメだな」と怪物君は答え、それまで慎重

 に枝縄を繰り寄せていた腕を、強引に引っ張

 り始めた。

 手練の漁師は、魚影を見る事無く、枝縄を手

 に持つだけで、何が釣れているのか大体わか

 るのだ。

 サメは貴重な船員の小遣いになる。

 サメのヒレを取り、乾燥させて売るのだ。

 少し残酷だが、ヒレを切り落とされたサメは、

 そのまま海に投げ捨てられる。

 怪物君の豪腕が唸る。

 もちろんサメは抵抗するが、抵抗するサメの

 力など関係ない。

 とにかく力のままに引き寄せる。

 何か魚がかかっている場合、その魚が上がる

 まで縄先担当はブレーキを踏み幹縄を巻き上

 げるのを一時停止し、揚縄も魚があがるまで

 一時中断する。

 サメが弦門まで来ると、鉤を持った船員がガ

 チッと、そのサメにカギをかけて、二人でサ

 メを船に引き上げた。

 まだ掛かったばかりなのだろう、生きがい

 い!サメは暴れまわっていた。

 一番多く取れるサメは、ヨシキリザメで船で

 は「アオタ」とよばれる。

 頭の先から尻尾までは、大体2m程度。

 尻尾をバタバタさせながら、口をバクバクと

 何かに喰いつこうとしている。

 ボーゼンと見ている僕に「ホラ!」と、怪物

 君が少し大きめの包丁を渡した。

「殺せ」と言って

 凶暴で可愛らしい笑顔を、僕に見せた。

 こ…殺せって…と、包丁を持って呆然と立つ

 僕に「見てろ」と怪物君は言うと、甲板を掃

 除するためのデッキブラシの竹の部分を、サ

 メの口元に持って行った瞬間。

 サメがそれにバクッ!!と噛み付き、噛み付

 いたまま暴れた。もちろん、竹はバラバラだ。

「!!!!!!!!」となっている僕に怪物

 君が「絶対にサメの目の前に立つなよ、首を

 切り落として、首だけになっても噛み付くか

 らな」と言った。

 揚縄は再開されていた。

 どういていいのかわからず、包丁を持ったま

 まサメを見つめている僕を見て、怪物君はも

 う一つの包丁を持ち、サメの後ろに回り込ん

 だかと思うとサメの上に乗り、サメの頭と背

 中の中間点当たりに包丁を差し込んみ、スパ

 ンと横に引いた。

 同じように、スパンスパンスパンと、サメの

 背中を3箇所切った。

 サメは大人しくなったが、まだ口はパクパク

 していた。

 怪物君は「ヒレを切れ」と僕に言った。

 僕は、怪物君にヒレを切り方を教わった。

 サメはヒレが無くなり、細長い切り刻まれた

 固まりになっている。

 怪物君は、サメの目に右手の人差し指と中指

 を入れて引っぱった。

「腹側を自分に向けるなよ、サメはこうやっ

 て持つんだぞ」と僕に言った。

 サメの口は腹側にあるので、腹側を持つと、

 噛まれたり、サメの鋭利な歯で怪我をしてし

 まうことがあるのだ。

 背中側が自分の足下に来るように、引きずる

 のが正しいサメの引きずり方だ。

 怪物君はサメの目に差し込んだまま、ソフト

 ボールの投手の様なフォームで舷門をめがけ

 ヒュンっとサメを振り上げて海に捨てた。

 サメは、ヒュュュュュン!パシャァン!と

 海に投じられた。

 いくらヒレを切り落とされたサメとはいえ、

 重さは50キロくらいはあったはず。

 それを片手でヒュンって・・・。

「商売!」と、また声がかかる。

 怪物君が手繰り寄せる。

「サメだ」と怪物君。

 そう、サメは本当に沢山釣れるのだ。

 僕は鉤を持った。

 サメが弦門まで来るのを待った。

 怪物君はサメをたぐり寄せながら、僕に向か

 って「このサメ生きてるからな、カギを掛け

 た瞬間に揚げるぞ。そうしないと大暴れする

 からな」と言った。

 緊張した。

 鉤を持ったはいいが、初めての鉤持ちだ。

 サメが弦門まで来た時「かけろ」と怪物君

 僕がサメに鉤を差し込んだ瞬間「そりゃ!!」

 と言う怪物君のかけ声と共に、サメを船に引

 き上げた。

 呼吸はバッチリ!

 サメは綺麗に船に上がった。

 怪物君と僕のハイタッチ!!

「ほらやってみろ」と怪物君が僕に包丁を差

 し出した。

 僕は、「よっしゃ!!」と気合いを入れた。

 サメの後ろに回り込み、上に乗った。

 サメの力は想像以上に強く、僕はサメに振り

 払われはじき飛ばされてしまった。

 そんな僕を見て、デッキにいるみんな声は上

 げて笑っている。

「ほら!いけ!」とか「早く殺せ!」と声が

 かかる。

 僕は再度サメの上に乗り、包丁を差し込んだ。

 スパッ、スパッ、スパッっとサメの背中の三

 箇所を切った。サメは大人しくなった。

 ヒレを切断し、サメを海に捨てようとした。

 サメは思った以上に重い!!

 大きさはさっき怪物君が海に捨てたのと、同

 じくらいの大きさだが。重い!!

 あの人、これを片手の指二本で投げたの!?

 と思いながら、何とか海にサメを投じた。

 操業初日は、教わる事が多すぎるし、覚える

 のに必死でこれくらいしか記憶に無い。

 仕事を追いかけるのに、精一杯だった。

 ただ、今でも大切に持ってる、汚い字で書い

 た日記に「処航海、一回目、キハダ(キハダ

 マグロ)42本、バチ(メバチマグロ)8本

 クロカワ(クロカワカジキ)2本、メカ(メ

 カジキ)3本」と、書かれてある。

 約13時間に及ぶ揚縄が終わった後、翌日の投

 縄班は即座にシャワーを浴び、投縄用の作業

 着を着て、即座に寝る。

「寝ワッチ」班は、翌日の投縄の準備をする。

 重さ20キロのムロアジの冷凍された餌箱を3

 0箱ほど冷凍倉庫から出し、ラジオブイや浮

 等の準備をして、全船員の揚縄用作業着の洗

 濯をして風呂に入り就寝となる。

 風呂から上がった後、男だけの世界なので

 みんな前を隠さない。

 ノーマルなチンチンの人が大半だが、中には

 明らかに形がおかしい人がいた。

 翌日投縄班の僕は、投縄用の作業着を着て寝

 台に入った。

 その約3時間後には、また投縄が始まる。

 寝台で横になり、ヘッドフォンをしてウォー

 クマンの再生ボタンを押し、曲が流れ始た。

 前奏を聞き終わる前に、眠りに落ちた。

 リィィィィィィィンという、スタンバイの音

 で目が覚めた。寝台から降りる。

 2回目以降の投縄は4人で行うので、一人に

 掛る労働の負担は必然的に大きくなる。

 僕は、2回目の投縄から先輩船員達と

 同じローテーションに組み込まれた。

 投縄開始から終了まで間、先輩船員達に容赦

 なく追い立てられる。

「オラ!!タラタラしてんじゃねー!!」

「テメェ使えねぇな!サメの餌にすんぞ!」

 僕だって人間だし、感情はあります。

 そりゃムッとしますよ、それは顔にも出ます。

 すると「そんな顔は一人前になってからし

 ろ!!このクソボウズ!!」と、怒鳴られた。

 追われるだけで一人前に働けていない自分を、

 十分理解している、僕は返す言葉もない。

 そりゃそうだ。

 僕は、漁師になるためにマグロ船に乗ったの

 だから。

 これで飯を食って行くと、働くと決めたのだ

 から。

 先輩の仕事に、必死に喰らい付いて行くのが

 やっとで、息をつく暇もない。

 幹縄にスナップを掛ける作業をしていると、

 後ろで枝縄を解いている怪物君がポツリと

「怒られるのも仕事のうちだぞ、可愛がられ

 てんだぞ」と、僕に言った。

 その後、怒られてムッとしている僕に、怪物

 君は良くそう言って慰めた。

 僕はその言葉に、何度救われたことか。

 怒号の渦の中で2回目の投縄が終わり、揚縄

 の準備をして、即行の風呂と、即行の食事。

 1分でも早く、多く寝たい。

 約2時間半の就寝の後、揚縄開始。

 投縄とは違い、揚縄で座ることは許されない。

 13時間労働のうち、座れるのは食事の時間約

 5分とコーヒー休憩のタバコ1本分。

 合計で、1時間あるかないか。

 特に新人の僕は体力も無く、揺れに対する平

 衡感覚も体重移動も馴れないため疲れやすい。

 へたれこむように魚層の上に座っていると、

 容赦の無い蹴りと共に「若いくせに、座って

 んじゃねー!!」と、怒鳴られる。

 幹縄が巻き上げられ、枝縄が渡され枝縄を巻

 きあげる。

 枝縄に何か魚が釣れていると「商売!」と、

 声が掛る。

 操業二回目で何となく仕事の流れと要領はつ

 かめてきた。

 しかし、暑い!!!

 2回目操業の海は、かなり穏やかになり昼間

 の気温が32度、夜間で25度と気温的には過ご

 しやすい気温なのだが、湿った潮風と時折訪

 れるスコールで、湿度は常に高い。

 しかも、夜間の作業のためデッキは投光機の

 明かりで照らされているため、デッキの暑さ

 は35度近くになる。

 ズボンカッパに長靴をはいてい揚縄をするの

 で、揚縄を開始して1時間もすれば、長靴の

 中に汗が溜まってきて、足の裏の皮がふやけ

 てくる。

 そのふやけた足の裏で揺れを防ごうと踏ん張

 るためマメではなく、足の裏の皮が剥がれて

 くる。もちろん痛い。

 それに疲れる!!ほとんど寝てないし投揚縄

 合わせて18時間ずっと動き廻り、それに加え

 怒鳴られると気持ちまで疲弊してくる。

 そして、ここは太平洋。

 周りは大海原、娯楽も無いし逃げ場所も無い。

 しかし、不思議と現在抱えているような「ス

 トレス」を感じたことはなかった。

 というより、感じる暇がなかったと言ったほ

 うが妥当かもしれない。

 そんでもって、眠い!!

 寝てないから当たり前!!

「寝ワッチ」が、待ち遠しい!!!

 そしてそして、危険!!

 滑るし、揺れるし、殴られるし、蹴られるし。

 ノロノロしてると、缶も飛んでくる。

 サメは相変わらず、バタバタバクバク。

 クロカワカジキは、弦門から突っ込んでくる。

 マグロを釣るための釣り針は飛んでくるし。

 またまた、必死に仕事に食らいつき付いてい

 くのがやっとで、揚縄が終わった。

 待ちに待った寝ワッチだ!!!!

 ヒャッホーーーー!!!

 その日の揚げ終わり時間は3時半頃、同じ班

 の怪物君と二人で翌日の投縄の準備。

 餌箱の入った冷凍倉庫から、餌箱を出すのだ

 が、またまたそこで怪物君のバカ力発揮。

 一箱20キロの箱を5個重ねて歩くんです。

 合計100キロですよ!

 揺れない場所でなら、まだ理解できます。

 100キロくらいの荷物を持って、陸を歩く

 人ならその辺にゴロゴロいるでしょう。

 しかし、ここは揺れる船の上。

 僕は、2個重ねて持つのがやっとです。

 翌日の投縄の準備も終わり、僕が洗濯をして

 いると、風呂を終えたフリチン怪物君がやっ

 てきた。

「風呂行ってこい、俺が干しといてやるから」

 と言ってくれたので、僕は風呂に入った。

 風呂からあがり、洗濯機のところに行くとす

 でに洗濯は終わっていた。

 それを見届けて、船尾の階段を降りて船員食

 堂に行った時、僕に背を向ける格好で、フリ

 チンのまま怪物君が立っている。

 よく見ると、右手には濡れたタオルを持ち、

 もう左手にはエロ本を持っている。

「なにやってんだ?」と思いながら、小腹が

 空いていたので、怪物君を無視してカップラ

 ーメンを食べようと賄いに行き、カップラー

 メンにお湯を注ぎ船員食堂に戻った。

 すると!!

 左手のエロ本を見ながら、いきり立たせイチ

 モツを、食堂のテーブルに載せた怪物君が立

 っていた。

 唖然として見ている僕をよそに、テーブルに

 載せた自分のイチモツを、濡れたタオルで叩

 き始めた!!

 バシバシバシ!!!

「何やってんの!?」と、大きな声で聞くと

「ん?チンコ鍛えてんだよ」と、普通の顔で

 答え、またバシバシバシ!!!かなりの力で。

「鍛えられるの!?鍛えてどうすんの!?」

 と僕が聞くと「お前もチンコ鍛えてみ。こん

 なの初めてっつって、おねぇさんが俺の背中

 を爪でガリッ!!だぜ!」。

 ええっ!?おねぇさんが背中を爪でガリッ!

 なの!?

 その「背中に爪でガリ」というのを経験した

 ことのない僕は、そのフレーズに異常に反応

 した。

「俺もチンコ鍛えたら、おねぇさんが背中ガ

 リってなるかな?」と、怪物君に聞くと

 怪物君は左手の親指を立て、ウィンクしなが

 ら「オフコース!」と答えた。

 早速エロ本を取りに行き、パンツを脱いでイ

 チモツを立たせ二人並んで

 バシバシバシ!!! バシバシバシ!!!

 それを3回もすると、僕のイチモツ君は紫色

 に変色してきた。

「これ、いいの?」と、自分のイチモツを指

 さし、怪物君に聞くと

「オフコース!」と、またまたなぜか意味が

 合っていない英語で答えた。

 オフコースて・・・・。

 バシバシバシ!!!を10回程やると、鍛錬の

 お時間は終わった。

 その後、のびきったカップラーメンを食べて

 寝台に入り眠った。

 スタンバイのベルにも気が付かず、10時間

 寝続けた。

 翌日、寝起きに小便をしようとイチモツ出す

 と、僕のイチモツ君は青くなって、とても痛

 かった。

 それ以来、二度と鍛練をすることはなかった。


 操業は6回目となり。2度目の寝ワッチがき

 た。また、10時間くらい寝て起きた。

 時計を見ると14時半だった。体には、なん

 とも言えないダルさが残っていた。

 歯を磨き、コーヒーを飲もうとインスタント

 コーヒーをコーヒーカップに入れ

 電気ポットのお湯を注いだ。コーヒーカップ

 の取っ手を持った瞬間「熱い!!!!」。

 コーヒーカップの取っ手を持っているだけな

 のに、熱い!!

 手の平を見ると、真っ赤だった。火傷をした

 ような痛さだ。

 操業の揚縄中は、ゴム手袋をし、その上に軍

 手をして作業をするのだがゴム手袋の中の手

 は汗と海水で、常に濡れてふやけている。

 その手で、縄である漁具を扱うため、手の平

 の薄皮が剝けて傷んでくる。

 手の平は真っ赤になり火傷と同じような症状

 を感じるのだろう。

 そのため、微熱でも熱く痛く感じる。それが

 過ぎてくると、徐々に手の平の皮は厚く固く

 なりグローブのような手になる。

 どのくらい固くなるかって?

 ジャンケンが出来ないくらい!!!

 グー・チョキ・パーのどれを出しても

 パーにしかならないのだ!!!

 パーにしかならないと言うより

 パーにもならない!!

 しかし、それは一人前の漁師になっての話し。

 僕の手はまだまだ柔らかく、素人の手だ。

 ご飯を食べて、波間を漂うブリッジの上に上

 がりコーヒーを飲んだ。

 すごく良い天気の日だった。

 透き通る青い空!澄み切った空気!!眼下に

 広がる大海原!!

 なんて気持ちがいいんだろう!!

 気持ちがいいんだろ??

 気持ちが…

 ちょっとまて

 湿気で澱み、重い空気…。

 船全体を覆うような魚の血が乾いた匂い…。

 そして手の痛みと、疲れからくる体のダルさ。

 oh…。

 そんな事思っても、どんなにキツクとも否応

 無く、揚縄はあと数十分後に始まる。

「弱気になるだけ損!」と、自分に言い聞か

 せた。


 漁は12回目操業まで、順調に進んだ。12回目

 連続操業、12日間休み無しということになる。

 その間、3回の寝ワッチ以外は約18時間の肉

 体労働の毎日。

 さすがに先輩船員達の顔にも、疲れが見える。

 疲れから来るのだろう、みんな機嫌が悪い。

 揚縄中に、傷や重さが原因で幹縄が切れる。

 最低でも1回の揚縄で、一度は必ず切れる。

 幹縄が切れると、ブリッジ上に設置されてあ

 るサーチライトでウキを探す。

 ウキには、夜光管が付いており、夜光性のシ

 ールが張られている。

 サーチライトがウキに当たると、海面がキラ

 ッと光る。

 当たった瞬間、サーチライトは上下に激しく

 揺らされる。

「この方向にウキがある!」という合図を、

 サーチライトを上下に揺らし、操舵をしてい

 る船頭に知らせるのだ。

 サーチライトは波間に揺れるウキを照らし、

 船をウキまで誘導する。

 ウキを捉まえて、揚縄再開。

 時にはウキを数時間、探す事もある。

 その時間分、揚縄が終わるのは遅くなる。

 揚縄に15時間かかる事もあれば、海流の状

 態が良くスイスイと揚縄が進み12時間で終

 了する事もある。

 大海原という自然が、人間の労働を支配する

 かのような仕事なのだ。

 大自然が相手なので、自然に対して愚痴をこ

 ぼす馬鹿はいないし、腹を立てる者もいない。

 ただし、漁師というはとてもゲンを担ぐ。

 自然との関係を、誰かのせいにする。

 一年生の僕は、よく僕のせいにさられた。

 例えば「おまえ、昨日せんずりしたろ?だか

 ら縄が切れるんだよ!!」

 ええっ!!!それ関係なくない!?

「おまえの彼女がサゲマンだから、マグロが

 獲れねーんだ!!」

 全く根拠ないよね!!!

 もちろん、そういう時は僕も反論する。

「俺の彼女じゃなくて、あんたの嫁だ

 よ!!!嫁!!!」と。

 すると、本気で殴られる。

 しかし、ここで屈すると、相手をもっと助長

 させる。

 いじめの法則と似てるのかもしれない。

 いじめられる方が、都度、反抗の態度をとる。

 すると、いじめている方は、反抗されると、

 反抗される事が面倒くさくなってくる。

 そして、いつのしか、いじめなくなる。

 操業も半分を過ぎる頃、まだまだだ半人前に

 もなってない僕だが、ある程度の仕事も覚え、

 日常にもなれてきたのだろう。

 この頃には、相手が人間だろうと大自然であ

 ろうと、命の駆け引きをする覚悟をしていた。

 その時が、漁師の登竜門をくぐった瞬間かも

 しれない。

 操業12回目での出来事。その日の操業は、1

 5時半に縄を揚げ始めてから18時の夕食ま

 でサメが数匹しか取れず、マグロは一本も釣

 れていなかった。

「商売!!」と声が掛り、僕は右舷側の弦門

 にいち早く行き、枝縄を受け取る仕草をした。

 僕の左手に枝縄が収まり、僕はそれをたぐり

 寄せた。

「もっと腰入れて引っ張れ!腕だけじゃなく

 て、体使え体!」と、先輩からの声が掛る。

 僕は枝縄をたぐりよせながら、怪物君がマグ

 ロをたぐり寄せている姿をイメージし、枝縄

 を引っ張った。

 すると、力をあまり使わずにスイスイと枝縄

 をたぐり寄せることができる。

「そうか!腕で引っ張るんじゃなくて、腰を

 中心にして腕を固定して上半身で引っ張るの

 か!!」なるほど!!と思った。

 すると、枝縄を引っ張る僕の姿は、先輩船員

 からみても様になっていたのだろう。

「お!格好がついてきたじゃねーか!」と、

 褒められた。

 枝縄を引っ張っていると、急に軽くなった。

「あれ??」と思ったが、針に何かがついて

 いるのは間違いない。

 重さは感じる。

 ワイヤーの部分まで来て、それを引き揚げる

 と“マグロの頭”だけが上がってきた。

 マグロの頭を見たボースンがそれをとり、操

 舵席に座っている船頭に向かって「シャチ頭」

 と叫んだ。

 シャチ頭とは、ゴンドウクジラが、はえ縄に

 掛ったマグロの頭から下の身の部分だけをか

 じり取り、頭だけが針に掛って上がってくる

 ことをいう。

 包丁で頭部だけ切り取ったかのように、きれ

 いに頭だけが上がってくる。

 まるでマグロの覆面を作ったかのように、綺

 麗に齧り取っている。

「へ~こんなにきれいにかじり取るんだ!!」

 と、感心している僕の頭に衝撃が走った。

 足元にコカ・コーラの250mlの中身の入っ

 た缶が転がった。

 操舵席の窓から身を乗り出している船頭を見

 上げたら「テメェ!!バリ臭ぇ―んだ!!」

 と、船頭に怒鳴られた。

 バリ臭えとは、僕の故郷の方言でツキの無

 い人などに対して、使われる言葉だ。

 それと、シャチ頭を応用した言葉もある。

 頭の悪い子のことを「このシャチ頭!」と呼

 んだりする。

 一つシャチ頭が上がったと言うことは、その

 後の縄に釣れているマグロは、ほぼ全滅。

 仕掛けに掛ったマグロの全てが“シャチ頭”

 で上がってくるのだ。

 また、同じ海域で翌日操業した場合、ゴンド

 ウクジラはその船に付いて一緒に移動する。

 そして翌日の操業も、全て“シャチ頭”とな

 る。すごく頭の良いクジラなのだ。

 そのため船は、ゴンドウクジラのいない海域

 に移動する必要がある。

 それを「適水」という。

 いわゆる、お休みだ!!

 案の定、その日の夜食後に、翌日の「適水」

 が船頭から船員に伝えられた。

 操業12回目にして、初のお休み!!!

 リアクションもしないし、言葉にも出さない

 が、「わーーい!わーい!休みだぁぁぁー!」

 と思っていると

「お前、明日は7時に起きて朝食兼昼食を作

 っておけよ」と、ボースン様からのお告げ。

「はい・・・」と、答える僕の言葉のテンシ

 ョンの下がり具合が、明らかだったのか

 ボースンは、少し笑った。

 揚縄が終わったのは午前2時頃、マグロが釣

 れていないので普段に比べ1時間ほど早く揚

 縄は終わった。

 全ての片づけが終わった船は、他の海域へ移

 動するため、船の速度を上げた。

 お風呂からでて、空を見上げた。すると空に

 は、満天の星と天の川が見えた。

 星はキラキラ光り輝き、時折流れ星が流れて

 いた。

 激動の日々の、一瞬の安らかな時間。

 翌日7時に起きて食事を作り、それからまた

 泥のように眠った。

 操業も24回を迎えた。操業24回のうち、

 滴水(休み)は2日。

 ただし飯炊きの僕は、休みの日でも8人分の

 食事を作らなければならない。

 マグロを備蓄する魚倉は、船首甲板の4トン

 魚倉が1倉空いている。

 それと船尾の1.5トン魚倉が3倉空いていた。

 揚縄が始まった瞬間「商売!」と叫ぶ。

 約40キロのキハダマグロ、生きたまま上が

 って来た。長さは約150センチ程度。

 生きて上がって来たマグロは、絶対に暴れさ

 せてはならない。

 甲板は硬い板で出来ているため、その上でマ

 グロが暴れると、身を痛めてしまいマグロの

 鮮魚が落ちるだ。

 生きて上がって来たマグロは、上がった瞬間

 に、タオルで目を押さえ視界を奪う。

 そうすると、暴れない。

 マグロの頭の中央には白くなった部分があり

 そこに“突き殺し”というマグロを殺傷する

 漁具を、マグロの頭に約25度の角度で差し込

 むと、マグロは痙攣し絶命する。

 このマグロを殺すにも経験が必要で、経験の

 浅い“ヘタクソ”な新人がマグロを殺すと、

 急所を外し瞬殺できず、バタバタと悶え跳ね

 上がり、テンヤワンヤの大騒ぎになる。

 マグロがテンヤワンヤなのは仕方ないとして。

 そんな時“ヘタクソ”な僕にも容赦のない蹴

 りが飛んできて、僕もテンヤワンヤになる。

 その頃には僕と怪物君は同じ寝ワッチ班とい

 うこともあり、すっかりコンビ化していた。

 怪物君は僕より2コ歳上だが、中学を卒業し

 てすぐにマグロ船に載っているので、漁師と

 しては5年目のベテランだ。

 ブリッジの上にはスピーカーが取り付けてあ

 り、揚縄中は常に音楽が鳴っている。

 13時間黙々と続く作業の中、歌は淡々とし

 た雰囲気を和らげてくれる。

 それに歌には、船員それぞれの様々な思いが

 書き込まれていて、歌を聴きながらおか

 で待つ家族や、恋人に思いを馳せる。

 その頃、揚縄中の曲のバリエーションは北島

 三郎、鳥羽一郎、八代亜紀などの演歌が約

 70%、その当時のヒットソングが約29%、僕

 の好きな矢沢永吉は、1%の比率でしか流れ

 ない。

 この曲を流す比率も、経験が優先される。

 僕が雑用をしている時に、合間をみて「歌変

 えようか?」と先輩達に聞くと、必ず「オフ

 コースやってくれ」と、怪物君は言った。

 そう!怪物君はオフコースが大好きだった。

 もうぉ~♪終わりぃ~だねぇ~♪

 きぃみがぁ♪小さく見えるぅ~♪

 揺れる海の上で、自然を相手にマグロをとり

 ながら聞くオフコースの「さよなら」ほど

 シュールな曲は無い。


 その日の揚縄は、揚げ始めてからキハダマグ

 ロが良く釣れていた。

 15時半に揚縄を開始して、僕が夕食を炊きに

 行くのが17時半頃。

 その間に20本近く、釣れていた。

 1回の揚縄でとれるマグロは、キハダマグロ

 が約30本、メバチマグロが10本、カジキマグ

 ロがボチボチというのが平均の漁獲量だ。

 マグロは群れで行動する。

 らしい、見た事無いけど…。

 夕食を食べている間も、縄を巻き上げる

 “ラインホーラー”が止まる事は無いし、全

 員で一斉に一時休憩など無い。

 交代で食事をとり、交代で休憩もとる。

 僕は30分で夕食を作り、甲板に出て行った。

 すると、次から次にキハダマグロが上がる。

 4人1組で夕食に行くのだが、皆5分程で甲

 板に出てくる。

 カッパも脱がずに、ガツガツと食事をして揚

 縄に参加するのだ。

 夕食直後に、船首甲板の4トン魚倉が満杯に

 なった。

 直後、船尾を片付けし船尾の魚層にマグロを

 入れるよう船頭から指示が出た。

 まさか!!!もしかして!!!満船!?

 満船とは、魚倉満杯!!マグロを納める場所

 なし!!すなわち、揚げ終わりだ!!!

 それを聞いた、船員のテンションが上がった。

 十数年の乗船経験を持つマグロ船漁師でも、

 家族に会えるのはうれしい。

 とにかく、目の回るほどキハダマグロが釣れ

 ている、次から次へと上がってくる。

 雑用担当の時は、僕がキハダマグロを引っぱ

 り、怪物君が解剖。

 上がって来たキハダマグロは、エラと内蔵を

 取り出し解剖し、エラ部分の血の固まりを洗

 い流し、魚体の温度を下げるために魚冷倉へ

 入れる。

 魚冷倉で冷やされたマグロを、冷凍長が適宜

 魚倉に収めて行く。

 僕は、40本くらいのキハダマグロを引っぱり

 上げただろうか。さすがに疲労してきた。

 そんな時、後ろで解剖をしている怪物君が

「ソープランド♪ソープランド♪ヤホー♪」

 と自作の歌を、大きな声で口ずさんだ。

 あまりにも幼稚で、全く場の空気を読まない

 彼の歌に、さすがに「うるせぇよ!」と

 突っ込んだ。

 そうすると「バカ!ソープランドだぞ!うれ

 しくねぇのか!」と怪物君。

「うれしくねぇよ!!さっさと解剖しろ!」

 と僕が言うと「怒られた」と、笑いながら小

 さな声で言った。

 他の先輩船員達は、僕と怪物君のやり取りを

 聞きながら笑っていた。

 みんなのその笑顔に、僕はなんとなく漁師と

 して認められた気がして嬉しかった。

 その日の揚縄終わり2時間前、船尾の全ての

 魚倉が満杯だと、冷凍長が船頭に告げた。

 それ以降、冷凍長は釣れたマグロを無理やり

 魚倉に詰め込んだ。

 怒濤の如き24回目揚縄は、最後のウキを巻

 き上げ終了した。

 その日の揚縄で釣れたマグロは

 キハダマグロ40キロ150本、50キロ5

 0本、メバチマグロ50キロ25本だった。

 約9トンのマグロを、1回操業で釣り上げた。

 船頭がブリッジの窓をあけて「片付けろ!」

 と、全船員に告げた。

 その瞬間、皆の顔に笑顔が浮かんだ。

 マグロやサメなどの血で汚れた機器や装置を

 洗い流し、カバーを被せ、操業中デッキや通

 路、船尾の船の各所を照らし続けた投光器が

 全て取り外された。

 僕は、操業をやり遂げた満足感に浸っていた。

 とても、清々しかった。

 船は日本に進路を向け、全速力に速力になり

 風を切り走り出した。

 東から昇る太陽によって、暗い大海原はオレ

 ンジ色を纏いながら朝に変わろうとしていた。

 帰港中開始。

 その頃には父親の事を「船頭」と呼ぶことに

 も、兄のことを「冷凍長」と呼ぶこにも

 違和感を感じなくなっていた。

 船は、和歌山県那智勝浦町に入港し水揚げを

 するため航行していた。帰港中も、漁具の手

 入などの作業があり、南下中と同様に7時起

 床12時作業終了となる。

 帰港中の作業の中での皆の話題も南下中と変

 わらず。パチンコ、風俗がメイン。

 そんな中、怪物君の機嫌が著しく悪かった。

「どうしたの?」と僕が聞くと「入港するの

 勝浦だろ。勝浦にはソープランドがないんだ

 よ」と、ふて腐れた顔で答えた。

 10日後の朝食を作りブリッジに行き、船頭

 に朝食ができたことを告げた。

 すると、「今日の14時頃入港するから、昼

 飯は炊かなくていいぞ。冷蔵庫の物を片付け

 とけよ」と言われた。

 僕は「はい」と答えながら「やっと入港か」

 と嬉しかった。

 11時頃、余った食料などを冷凍庫から出し

 掃除をしていた。

 残飯を捨てようと外に出ると「空気が違う!」

 と思った。

 海の雰囲気すら違う!

 おかが近い感じがする!

 深く息を吸い込むと、確かに陸の匂いがした。

 14時少し前、船は那智勝浦町に入港した。

 子供の頃、母に連れられて良く来た町だった。

 なんとなく、懐く思った。

 船が着岸してすぐに、水揚げの準備をした。

 作業は1時間程度で終わり、ボースンから水

 揚げは翌日の3時スタンバイと告げられた。

 翌日の3時までは自由時間だ。

 船頭から各船員に入港金というお小遣い5万

 円が配られた。

 作業が終わり、水揚げの時間を確認すると、

 家族のいる船員は家族の声を聞こうと公衆電

 話に駆け込んだ。

 怪物君が僕に「風呂に行こうぜ」と言った。

 僕が「ソープランド無いよ」と言うと

「ソープじゃねーよ。普通の風呂だよ」と

 言った。

 僕と怪物君、冷凍長と大河さんの4人で銭湯

 に行った。

 約2ヶ月間、海水の風呂に入っていた。

 銭湯に入り湯船からお湯を汲み、頭から被る。

 その時、生まれて初めて

「真水ってサラッとしてるんだ」と思った。

 体を洗い、湯船に浸かる。

 これまた、体に触れるお湯がサラッとしてい

 て、気持ちがいい。

 まさに至極の時だと思った。

 余談になるが、感覚は今でも忘れられない。

 マグロ漁船を降りてから20年以上経つ現在

 でも、真水のお湯に浸かるとマグロ船時代を

 思い出す。

 最も贅沢であり至福の時だ。

 風呂から出て4人で町の定食屋に行き食事を

 して、パチンコ屋に行った。

 夜がくるのを待った。

 パチンコ屋の閉店間際、怪物君に「飲みにい

 くぞ」と誘われたが断った。

 タバコ屋でテレホンカードを数枚買い、港近

 くの公衆電話行き、ダイヤルを押した。

 相手は、当時付き合っていた彼女だった。

 受話器の向こうでカチャと受話器を上げる音

 がして「もしもし」と聞こえた。

 僕は「もしもし。ケイジだけど」と言うと

「あ!ケイジくん!帰ったの?」と、彼女は

 言った。

 僕は「うん、今日の昼に和歌山県の那智勝浦

 という町に入港したんだ」と言った。

 2時間近く、たわいも無い会話をして電話を

 切った。

 電話を切った後、会いたい気持ちが胸に込み

 上げた。

 彼女への切なさを胸に、暗く魚の匂いがする

 市場の中を抜け、船に戻った。

 ベルの音で目が覚めた、水揚げスタンバイの

 ベルだ。

 カッパと長靴を履き、デッキに行った。

 水揚げが始まり、魚倉から次々にマグロが陸

 に上げられていく。

 水揚げは4時間くらいで終わった。

 市場には、僕の船から水揚げされたマグロが

 ズラリと並べられ、競りが始まっている。

 水揚げされたばかりのマグロは、キラキラし

 て綺麗だった。

 競りの風景を見ていると「俺たちの獲ったマ

 グロだ」と思い、なんだか誇らしかった。

 水揚げの片付けをして、時計を見ると11時

 を過ぎていた。

 市場の食堂に行き食事を取り、市場に併設さ

 れている船員用の風呂に入り船に戻った。

 船に戻ると、僕を見かけたボースンが「ブリ

 ッジの黒板に水揚げ高が書かれてあるから見

 てみろ」と言った。

 僕はブリッジに行き黒板を見た、黒板には

「水揚げ量32t、水揚げ高2,500万」と書

 かれてあった。

 1,700万が1航海の総経費の損益分岐点とな

 るので、800万円の黒字だ。

 自分の初航海が、黒字だったことがとても嬉

 しく、自然と微笑みが出た。

「やってやった!」と思った。

 そこに、船頭が来た。船頭の機嫌も良かった。

「いい水揚げだったな」と、僕に声をかけた。

 僕は「うん」と答えた。

 そこに兄が現れ、僕と同じように黒板を見た。

 それを見て兄も喜んだ。久しぶりに親子3人

 の感じがした。

 ここで、やっと1航海が終わった。

 本当に目まぐるしく、追い立てられながら、

 食らい付いていくのが、やっとの初航海。

 次の航海からは、そういう訳にはいかない。

 目まぐるしいが、追われることなく、余裕で

 食らいつく航海にしてやると思った。

 翌日の10時からの燃料積みや餌積みまでは、

 自由時間となる。

 船頭から各船員に、仕込み金10万が支給さ

 れた。

 仕込み金とは、個人用の次の航海で使う用具

 や嗜好品や食料を購入資金である。

 怪物君と二人で仕込みに行った。

 仕込みをする雑貨屋に行き、ゴム手袋と軍手、

 お菓子などダンボールに詰め込んでいく。

 詰込み終わりレジに持って行き清算する。

 清算が終わると箱に船名と名前を書く。翌日、

 購入した仕込み品を船に配達してくれる。

 次に本屋に行った。僕は、漫画を数十冊と

 車やファッション雑誌を数冊買った。

 怪物君は、エロ本数十冊と漫画を買った。

 これもメモに、船名と名前を書くだけ。

 次にレコード店に行き矢沢永吉のカセットテ

 ープ型アルバムを10本とBOOWYのカセット

 テープを3本買った。

 それでも、3万円残った。

 金が余ったので、怪物君と焼肉を食べに行き、

 その後パチンコ屋に行った。

 金が全部無くなったので、船に帰って寝た。

 翌日10時にスタンバイのベルがなり、餌積

 み作業が始まった。

 同時に、燃料積みも行われた。

 その後、食料と飲料水の積み込みを終えて船

 の出航準備は整った。

「15時出航」とボースンに告げられた。

 時計は13時を回ったところだった、出航ま

 であと約2時間ある。

 出航前に家族の声を聞こうと、船員は公衆電

 話に走った。

 独身の僕と怪物君と冷凍長は、喫茶店に行き

 食事をしながら時間を潰した。

 出航20分前に船に戻った。

 船内は入港時の穏やかな雰囲気と違い、騒々

 しい感じがしている。

 15時になり、船の船首と船尾と岸壁を繋い

 でいた係留索が外され船に巻き取られていく。

 船は岸壁を離れ、船首を外洋に向けスローで

 進み港の灯台を過ぎた。

 灯台を過ぎるとゴォォーっと、機関の回転数

 を上げ、全速になった。

 向かうは前航海と同様、南方海域だ。

 係留索などを片付け、船尾に行った。

 中学三年生の頃、毎晩寝る前に読んで抱いて

 いた本がある。

 矢沢永吉著「成り上がり」。

 その本の中に

 “1回目ボコボコにされる、2回目落とし前

 をつける、3回目余裕”という言葉がある。

 僕の大好きな言葉で、今でも胸に刻んでいる。

 その時「よし!落とし前をつけてやる!」と

 気を引き締めた。


 沖の苦労


 2航海目は初航海に比べ、あまり殴られるこ

 とも、怒鳴られるなかった。

 3航海目は、2航海目よりも褒められること

 が多くなり、頼りにされることが多くなった。

 3航海目の操業も20回を超え、満船に近づい

 ていたある日。

 夜食を済ませ、揚げ終わりまであと2時間程

 度という時。

 その日は、潮流が悪く幹縄と枝縄が団子状態

 の「縺れ(モツレ)」となって、巻き上がっ

 てくる事が数回あった。

 海中で幹縄と枝縄が絡まってしまい、縺れに

 なってしまうのだ。

 そのため揚縄の作業はなかなか進まず、通常

 の揚縄のより時間が押していた。

 縄先を、冷凍長である兄が担当していた。

 軽快なリズムで幹縄と枝縄を接続している

 スナップを外している。パシッ!パシッ!

 僕は冷凍長の後方で、枝縄をブランリールで

 巻き上げる係を担当していた。

 すると、サイドローラーが「グワン!」と

 音を立てたかと思うと、団子状態の“もつれ”

 が巻き上げれるのが見えた。

 次の瞬間、目の前の縄先の冷凍長が、左手を

 引っ張られた格好で、右舷からがある左舷ま

 で、ヒュン!!とすっ飛んだ!

 人が中を舞って飛んでいくのを初めて見た。

 一瞬の出来事だったので、その瞬間、何が起

 きたのかわからなかった。

 冷凍長は左舷側の鋼鉄製の壁に、背中から叩

 き付けられ、その場に倒れ込んだ。

 よく見ると、冷凍長の左手からおびただしい

 血が出ているのが見えた。

 誰かが、ブリッジの船頭に向かって

「ラインホーラーストップ!」と叫んだ。

 ラインホーラーがストップされ、揚縄が中断

 された。

 冷凍長に駆け寄ると、うつ伏せのまま

「ウゥゥゥ……」と、うなり声をあげていた。

 僕は冷凍長の、左手を持ちあげ見てみた。

 手袋が裂け、左手の親指と人差し指の間から

 血がドクドクと出ていた。

 僕が「冷凍長!!」と声をかけると、冷凍は

 うつ伏せのまま「ウゥゥ」と唸っていた。

 とにかく止血をしなければと思い、僕は自分

 のカッパの腰を止めているゴムのベルトを

 外し、冷凍長の左腕の肘のあたりに、グルグ

 ルと強く巻きつけた。

 一刻も早く処置をしなければ、命に関わる。

 怪物君と僕とで冷凍長を担ぎ、ブリッジの横

 に運んだ。

 船頭がブリッジから出て来て、いきなり冷凍

 長の顔を引っ叩いた!!

「おい!返事しろ!」と怒鳴ると

 冷凍長は「ウゥゥ」と、唸って答えた。

 船頭は、冷凍長の意識があるのかを確認した。

 船頭は「焼酎をもってこい!!」と言った。

 怪物君が、焼酎を取りに船尾に走った。

 僕と船頭は、冷凍長の来ているカッパと

 長靴を脱がせた。

 冷凍長の左手からは、ドクドクとおびただし

 い血が流れ落ちていた。

 とにかく血を止めなければ。

 止血用のゴムベルトを一旦外し、改めてギュ

 ッと締め直した。

 僕は船頭に「医療道具あるの?」と聞いた。

 船頭は「操舵席の下に入っている」と答えた。

「船頭、申し訳ないけど、それを用意しても

 らっていいですか?」と言うと、船頭はブリ

 ッジに入って行った。

 船員達は、心配そうに回りを取り囲んでいた。

 僕は、自分のはちまきに使っていたタオルで

 冷凍長の左腕上腕二頭筋辺りを、もう一度縛

 り上げた。少し血の流れが緩やかになった。

 学生の頃授業で、応急処置の方法を教わって

 いた。その通りにやってみようと思った。

 ブリッジ横の真水用の水道で、冷凍長の左手

 の傷口を洗い流した。

 真水が傷口に当たると、冷凍長は「ウッ」と

 唸り、体がビクッとなった。

 真水で洗い流した冷凍長の、左手の傷口を確

 認すると、親指と人差し指の間が裂けていた。

 そこに、怪物君が一升瓶の焼酎を持って来た。

 僕は冷凍長の左腕を持って、体を押さえつけ

 冷凍長の傷口に、焼酎を流し込むように怪物

 君に言った。

 怪物君が傷口に焼酎を注ぎ込むと

「グゥアァァ!!」と言って

 冷凍長は、僕を跳ねよけようとした。

 顔を見ると、痛みで顔が歪んでいる。

 ここで暴れられると、出血が酷くになる。

 申し訳ないが、少しの間寝ていてもらおうと

 思い、左顎の付け根にコツンと一発右フック

 を入れた。

 気絶したのか、大人しくなった。

 高校生の頃やっていた、キックボクシングが

 役に立ったようだ。

 冷凍長を、ブリッジの中に運び込んだ。

 怪物君に下半身を、船頭に腕を、ボースンに

 胴体を押さえ付けるように指示した。

 医療用具の中から、消毒液と縫合用の針と糸

 を出し、消毒液をコーヒーカップに注ぎ、

 その中に、縫合用の針と糸を漬け込んだ。

 僕が消毒液で、手を消毒していると

 船頭が「お前、縫えるのか?」と聞いた。

 僕は「船頭、縫えるの?」逆に聞き返すと

 船頭は黙った。

 僕は「絶対に暴れさせないで」と、三人に言

 うと、改めて三人は冷凍長を押さえつけた。

 その頃には、冷凍長は意識を取り戻していた。

 傷口から出ていた血は、ほとんど止まってい

 るように見えた。

 幸い血管は、傷ついていないようだ。

 血が止まった冷凍長の、左手の親指と人差し

 指の間から、白い糸のような物が垂れていた。

 その白い糸は、ダランと垂れ下がっている。

 幸いそれも、切れていなかった。

 縫合に入る前に「この白いの何だろう?」と

 思い、指でツンッとやってみると。

 冷凍長は「ウガァァァァ!!!!」と、叫び

 声をあげた。

「あ、神経みたい」と思ったが

 医者ではないのでわかるはずが無い。

「うるせぇから、口に何か突っ込んどいて!」

 と、僕が言うと、ボースンがタオルを冷凍長

 の口に押し込んだ。

 とりあえず、傷口から出ている物や垂れ下が

 ってる物を、傷口の中に全部収めてと。

 さて、縫っちゃうよ。

 僕は、自分の左手の親指と人差し指の付け根

 を見て、これをモデルに縫ってみよと思った。

 縫い針をスッと押し込んで、シャっと通す。

 スッと押し込んで、シャっと通す。

 我ながら、縫うの上手じゃない!

 冷凍長の顔を見た。

 顔を見ている僕に気がついたのか、冷凍長は

 見開き真っ赤な目で僕を見ていた。

 その顔を見て、僕は優しくニコッと微笑んで

 あげた。

 すると冷凍長はタオルを咥えながら

「フフェッ!フハフフニファファフッ!」と

 僕に向かって言った。

 多分「テメェ!早く縫いやがれっ!」と

 言ったんだろうと、思った。

 僕は「はいはいはい」と返事をして、縫合を

 続けた。少しして、縫合手術が終わった。

 冷凍長を押さえつけていた三人は、揚縄を

 再開するため、それぞれの持ち場に戻った。

 再度傷口を消毒して、包帯で覆い、ペニシン

 を注射して、化膿止めの薬を飲ませた。

 オペ終了。

 僕は揚縄に戻ろうと、立ち上がった。

 揚縄に戻ろうとする僕に向かって

「ありがとうな」と、冷凍長は言った。


 その日、冷凍長の事故もあり

 船は、ほとんど満船状態となっていたため

 揚縄が終わると、そのまま帰港中になった。

 三回連続、和歌山県那智勝浦町入港。

 もちろん怪物君の機嫌は、とても悪かった。

 冷凍長は、入港してすぐに病院に向かった。

 醜く傷跡は残ったが、今でも不自由無く左手

 は使えている。

 季節は8月、お盆休みの時期を向かえていた。

 初航海から3航海を終え、約5ヶ月振りに

 郷里に船は帰ることになった。

 約5ヶ月間長いようで短かったし、短かった

 ようで長かった。

 港に入港し、速度を落としてゆっくり進んだ。

 船が接岸をしようと左舷に舵を切った時

 船首で接岸の準備をしている僕の目に

 船を繋ぐための係留策の、一番綱を取りに来

 た、祖父の姿が見えた。

 一番綱とは、漁を終え母港の港に接岸する時

 に、船首から最初に投じるロープの事を言う。

 接岸準備が終わり、船が徐々に岸壁に近づい

 た時、ボースンが僕に向かって

「ほら、親方に投げてやれ」と、接岸用のロ

 ープ渡した。親方とは、祖父の事である。

 岸壁には、祖父の他に船員の家族が、出迎え

 に来ていた。

「一番綱を投げれるんだ!」と、嬉しかった。

 ボースンからロープを受取り、船首の先端に

 立った。

 船はゆっくりとゆっくりと、岸壁に近づく。

 船頭もボースンも他の船員も。

 みんな、一番綱を持つ僕に注目している。

 そう!船の全ては、僕の投じる一番綱の合図

 を待っているのだ!

 船は徐々に、岸壁に近づいていた。

 タイミングを外せば、船は岸壁に衝突する。

 速度を落としているので、岸壁に衝突をして

 も怪我人は出ないが、船体トン数59トン

 積載物を含むと100トン近くになる。

 それが固いコンクリートの岸壁に衝突すれば

 船体の損傷は免れない。

 船頭はブリッジの上に出て、有線の遠隔操縦

 機を手に船を操縦しながら、僕が一番綱を投

 げるのを待っている。

 岸壁が近づいた時、僕は手に持った一番綱を

 岸壁にいる、祖父に向かって投げた。

 一番綱は、放物線を描き綺麗に岸壁に落ちた。

「よっしゃ!!!」と船頭が声を上げた。

 船のエンジンが、ゴォォー!と唸りを上げた。

 船のエンジンは前進から後進に切り替わり、

 前進する惰力がピタリ!と止まった。

 綺麗な接岸だった。

 船首に立つ僕に「いい漁ができたな!!」と

 祖父が声を掛けた。

 僕は「うん!」と、笑顔で祖父に答えた。

 僕を見て、嬉しそうに微笑む祖父の目には

 涙が浮かんでいた。

 僕が子供の頃、祖父は自分の小型船に僕を載

 せ、漁に連れて行った。

 潮目の見方、潮汐による流れの変化。

 魚がいる海の色。

 夕焼けが教えてくれる、明日の天気。

 海に関することは、全て祖父から教わった。

 船の片付けを終え、荷物を持ち実家に帰った。

 荷物を置き、風呂に入り、自分の部屋行った。

「帰ってきた」と、独り言を言いながら

 ベッドに仰向けになり、天井を見上げた。

「俺の部屋、こんなに広かったっけ?」

 と、思った。

 部屋の広さは5畳くらいしかない。

 無理もない。

 半年近く、小さな箱のような寝台で、寝起き

 していたのだから。

 ベッドに横になり、天井を眺めていると

 コンコンと、ドアをノックする音がした。

「どうぞ」と言ってベッドから起き上がると

 母親が部屋に入ってきた。

「ほら、お前の給料だよ」と、郵便局の

 預金通帳を僕に手渡した。

 預金通帳を僕に手渡し、母親はすぐに部屋か

 ら出て行った。

 給料!?そうか!働いたんだもんな!!

 通帳を開けて見た。

 0が多い!!

 指で一つずつ0をなぞって数えてみた。

 いち、じゅう、ひゃく・・・・

 ひゃく!!百!!4,000,000!!!!

 まだ18歳で、未成年の僕。

 そんな大金は見たこともないし。

 バカに大金持たされば、もっとバカになるの

 は当たり前。

 急にソワソして、矢も盾もたまらず!!

 すぐに、友達に電話をした。

「おい!遊びに行くぞ!!」

「なに!?仕事!?迎えにこんかいボケ!」

 僕は船から着て帰ったジャージを着て、スニ

 ーカーを履き、僕の住む島と街を繋ぐ、海上

 フェリーに乗り込んだ。

 フェリーが港に着くと、友達思いの僕のお友

 達は、仕事を早退して僕を迎えに来てくれた。

 彼の車で郵便局に行き、とりあえず200万

 を引き出して、近くの一番大きな街に行った。

 デパートに行き、当時流行のブランド物の洋

 服を買い、店内で買ったばかりの服に着替え

 店員に「ジャージと靴、捨てて」と言って

 店を出た。

 お盆休暇の5日間、実家には全く帰らず

 ホテル暮らし。

 連日連夜、彼女とゴージャスなディナーして

 その後は友達をみんな呼び出して、店を借り

 切ってのドンチャン騒ぎ!

 お盆休みが終わってみると、給料は全部、使

 い果たしていた。

 実家に帰った。

 翌日、船の燃料や餌などの積込みをし、船の

 出港準備は整った。

 積込み作業中、僕を見かけた船頭が

「お前、金まだあるのか?」と聞いたので

「全然ない!全部使っちまった!」と言った。

「そうか!お前も漁師らしくなったな!」と

 笑って言ったあと

「船乗りはな。陸で金掴むと沖の苦労を忘れ

 るもんなんだ」と言って、笑った。



 幻想の海


 翌日、15時に出港した。

 いつものように出港した後の片付けをした。

 すると、船頭がブリッジに来るようにと

 大河さんが僕に告げた。

「なんだろう?」と思いブリッジに向かった。

 ブリッジに入ると、兄である冷凍長と船頭が

 いた。

 兄の左手には、まだ包帯が巻かれてあった。

 前の航海の時の怪我が、まだ完治していなか

 った。

 冷凍長は、左手が思うように動かないようだ。

 船頭が「お前この航海冷凍長しろ。飯炊きを

 兄貴と交代だ」と言われた。

 へっ!?僕、まだ乗船半年ですけど…。

 マグロ船は、乗船3年乗って一人前と言われ

 3年目に、冷凍長になるケースが多い。

 早い人でも、乗船2年目からが普通。

「俺、できないよ!」と、言いそうになった。

 しかし、言うのを辞めた。

 船頭と冷凍長が話し合った結果、僕なら出来

 ると判断したのだ。

 断る理由も、ビビる必要もない!

「わかりました」と答え、ブリッジを出た。

「冷凍長か!やってやる」と、気合を入れた。


 出港して3日目、父島の近くを航行していた。

 その日は快晴で、ほぼ無風状態。

 海面は鏡のように光り輝き、空の青と積乱雲

 が、海面に写っていた。

 僕は当直が深夜の0時~2時で、23時55

 分にブリッジに行った。

 ブリッジに行く途中の通路から、海を見た。

 昼間と変わらず無風状態で、凪が続いていた。

 ブリッジに入り、前の当直員と交代をする。

 コーヒーを作って操縦席に座り、CDプレイヤ

 ーにCDをセットしてヘッドフォンで耳を覆い

 再生ボタンを押して、海を見た。

 夜空には、満月が眩しいくらい輝いている。

 こういうときは矢沢永吉の「A DAY」だな。

 永ちゃんのバラードが、体中に染み渡る。

 故郷に残した、彼女のことを思わずには

 いられなかった。

 出港の前夜、僕の腕の中で眠りに落ちる間際

「明日はいないんだね」とポツリと言い

 僕にギュッと抱きついた。

 僕は、何も言わずに、彼女を抱きしめるのが

 精一杯だった。

 月明かりが揺らいでいる海面が、とても綺麗

 だった。

 すると、右舷側の海面が“キラリ”と光った。

 ん??遭難信号か何かか??と思い

 双眼鏡を使い光った方向を見たが、何も見当

 たらない。

 しかし、万が一の事もある。

 双眼鏡を持って、ブリッジの上に上がった。

 双眼鏡で光った方向を確認した。

 何も見えない。

 左舷11時の方向には、巨大な満月が出ていた。

 再度、光った方向を双眼鏡で確認したが

 何も見えなかった。

 月が海に写っていて、とても綺麗だったので

 僕は、船が切り裂く風の音と月明かりを、楽

 しみたくなり、月を眺めていた。

 すると!

 月の真下あたりにキラ!キラ!キラ!と

 三連発光った。

 そのキラキラは、徐々に波紋のように広がり

 船の回りを取り囲んだ。

 すると今度は

 光はヒュン!!ヒュン!!ヒュン!!と

 真っ黒い海面に、光の帯が伸び出した。

 僕はびっくりして、ブリッジの上から降りて

 ブリッジの中に入り、船頭室のドアをあけ

 眠っている船頭を起こした。

「船頭!!海が何か変です!!」

 僕の声に、船頭は飛び起きて来た。

 起きて来た船頭は、僕に「どうした?」と

 聞いた。

 僕は海を指差し「あれ見てください」と

 船頭に言った。

 暗闇に目が慣れている僕には、船頭の表情が

 はっきりと見えていた。

 驚いた表情の船頭は「これは凄いな・・・」

 と、息を飲んだ。

 光の帯は、船に並行して進んでいた。

「これ、なんですか?」と僕が聞くと

 船頭は「イルカだ」と、答えた。

 イルカの群れが船に並走しいて、背びれや背

 中に月の明かりが反射しているのだと、船頭

 は僕に説明してくれた。

「俺は30年以上マグロ船に乗っているが

 昔1度だけ、これと同じ光景を見た事がある。

 しかし、あの時はこんなに大きな群れじゃな

 かった。」と言って、海を見つめていた。

 僕も同じように、幻想的な海を見ていた。

 光の帯は徐々に、海から消えて行き、数分後

 には、月明かりが輝く海に戻っていた。

「お前、いいもの見れたな。こんな光景そん

 なに見れるもんじゃないぞ」と、船頭は僕に

 言い、船頭室に入って行った。


 南下中、兄に魚倉の形状を全て頭に、叩き込

 んでおくように言われた。

 魚倉は、基本的に四角形をしているのだが、

 同じ四角形でも正四角形に近い物もあれば

 長方形に近い魚倉もある。

 それぞれ、大きさも形も違った。

 毎日、時間があれば魚倉に入り

 魚倉の形を、出来る限り頭に叩き込んだ。

 マグロはえ縄漁船には、マグロの保管方法で

 二種類に分けられる。

 一つは釣り上げたマグロを、解剖後に

 急冷室で瞬間冷凍して保存する冷凍船。

 もう一つは、生船と呼ばれ、解剖したマグロ

 を、海水と真水をブレンドした0.5度程度の

 冷蔵水で冷凍はせずに、生のまま保存する船。

 僕の船は、生船の方だった。

 魚倉には、予め冷蔵水が満タンになっている。

 そのため、マグロを魚倉内で、積み上げたり

 並べることはできない。

 それと、魚倉内の冷蔵水の水温が、0.1度変

 わるだけでマグロの鮮度に影響するため、人

 が入る事は出来ない。

 人の体温で冷蔵水が上がってしまうのだ。

 魚倉には、予め水氷が張られており

 マグロを収めるには、魚倉の入り口から魚倉

 の奥に向けて、マグロを差し込むように入れ

 ていく。

 全ては、冷凍長の頭の中にある“魚倉の形状

 の記憶”を元に、魚倉の中で綺麗に並ぶよう

 冷凍長の勘をたよりに、マグロを入れて行く。

 また、魚倉は入り口の高さが50㎝程あり

 マグロを魚倉に入れるには、マグロを腰の高

 さくらいまで、持ち上げる必要がある。

 そのため、冷凍長にはマグロを持ち上げるだ

 けの腕力が必要となる。

 80キロであろうが、100キロのマグロであろ

 うが一人で持ち上げられなければ、船の中で

 笑い者になってしまう。

 マグロを持ち上げる要領は、ダンベル等を持

 ち上げる要領と違う。

 持ち上げるための取手も無いし、魚の肌には

 ヌメリがあるため、持ち上げると滑るのだ。

 そのため、握力も必要となる。

 こういう作業を基礎として、マグロ船乗りの

 体は、作り上げられていく。

 操業が始まり、気を抜く事無く細心の注意で

 僕なりに、持てる力の限りを尽くし、マグロ

 を魚倉に積み込んでいった。

 兄へのライバル心が、僕の背中を押した。

 絶対に負けたくない!

 1キロでも多く、マグロを積んでやる!

 その航海は、28回操業で満船となった。

 入港して水揚げをし、総トン数が出た。

 兄が冷凍長をしていた時よりも、約1トン

 マグロの積載量が少なかった。

 水揚げが終わり、市場の船員用の風呂に浸か

 り、タオルで顔を隠して、悔し泣きをしたの

 を覚えている。

 次の航海、兄の左手の怪我は完治していた。

 しかし、どうしても負けた事が悔しかった。

 自分から船頭に「飯炊きもやるけど、冷凍長

 もやらせてほしい」と、願いでた。

 船頭は「やってみろ」と、言うだけだった。

 次は、絶対に負けねぇ!自分に言い聞かせた。



 海の黒いダイヤ


 時期は中秋を向かえた10月。

 ついに荒れ狂う“東沖ひがしおき”に

 出漁する時期がやってきた。

 東沖とは、日本の東側にあたる、三陸沖から

 北海道沖、ロシア国境付近までを言う。

 そこで、本マグロ(クロマグロ)を狙うのだ。

 僕は、飯炊き兼冷凍長として東沖に出漁した。

 本マグロ(クロマグロ)が、黒潮と共に

 金華山沖に、やってくる時期だ。

 金華山とは、宮城県石巻市の牡鹿半島の先端

 の太平洋上に浮かぶ島のことである。

 島全体が黄金山神社の神域となっており

 地場の信仰の対象として、有名な土地だ。

 僕の乗った船は、一路金華山沖を目指した。

 近海操業になるため、出港した翌日に操業の

 スタンバイをする。

 いつでも縄をはえられるように、準備をして

 おくのだ。

 南方海域に比べ、10月の三陸沖は少し肌寒い。

 南方海域と比べると、まず湿度が違う。

 肌にまとわりつくような、南方海域特有の

 空気の重さも感じない。

 陸から直線距離にして、20~40マイルに

 位置するため、風に乗り土の香りがしてくる。

 そして、明らかに違うのは波の形と威力だ。

 南方海域の波は、波の幅が狭く尖っている。

 重さで表すと、軽い感じの波だ。

 しかし三陸沖の波は違う。

 波の一つ一つの幅が広く、分厚い。

 波と言うより、大きなうねりが波となり

 船に打ちつける感じがする。

 しかし、その航海は出港してから

 ずっと、海は穏やかだった。

 天気図を見てみると、まだ冬型特有の

 西高東低の、気圧配置ではなかった。

 出港して4日目の朝。

 投縄スタンバイのベルが、船内に鳴り響いた。

 一回目操業の開始だ。

 僕は、マグロ漁船に乗ってから、半年以上経

 っていたが、本マグロが揚がったところを

 実際見た事は無かった。

「ついに本マグロと獲れるのか!!」

 僕の心は、躍っていた。

 しかし、第1回目操業の揚縄で揚がってくる

 のはサメばかり。特にアオタが多い。

 それと、ビンナガマグロが15尾。

 2回目操業も3回目操業も、同じ状況だった。

 3回目操業が終わり、船頭がブリッジの窓を

 開けて「一旦、漁具を全部片付けろ。漁場を

 変えるぞ」と叫んだ。

 ボースンがブリッジに行き、数分後甲板で待

 つ船員のところに戻って来た。

「5日くらい東に走るらしい。海が荒れるか

 ら、一旦全部片付けだ」

 操業の為に出した漁具や機器を、全て倉庫に

 収めた。

 翌日の朝食兼昼食を作り、ブリッジに伝えに

 行こうと外にでた。

 寒い!!!

 右舷通路を通りブリッジに行き、船頭に

 食事が出来た事を伝え、操舵席に座った。

 海は真っ黒く、大きくうねっていた。

 食事を終えた船頭がブリッジに戻り「今夜か

 ら海が荒れるぞ。冷蔵庫のドアを縛り付けて

 おけよ。食用油もしっかり固定しておけ」と

 言った。

 僕は「はい」と答えて、ブリッジを出た。

 これまで、一度だけ台風に遭遇した事がある。

 台風の時でも、“冷蔵庫のドアを縛り付けろ”

 と、言われた事は無い。

「どんだけ荒れるんだ!?」と思いながら

 言われた通りに、冷蔵庫のドアをロープで

 縛って固定し、食用油の鍋などを、しっかり

 と固定した。

 午後16時、夕食の用意をしに賄いに行き

 夕食を作る。午前中に比べ、船の揺れが激し

 くなっていて、大きく左右に揺れていた。

 海は、明らかに荒れだしていた。

 午後18時、僕は当直交代と夕食が出来た事

 を告げに、船尾の船員食堂から船尾甲板に出

 た時海を見た。

 波は大きくうねり、波の先端に白波が立って

 いる、ヒューヒューと風も強さを増し、鳴い

 ていた。

 ブリッジに行き船頭に食事が出来たことを告

 げ、当直を交代した。

 羅針盤を見た。南南西110度を指している。

 15分程して、船頭がブリッジに戻ってたので

「どこの海域に行くんですか?」と聞くと

 船頭は「ミッドウェーだ」と答えた。

 ミッドウェー海域。

 太平洋戦争の、ミッドウェー海戦で知られる。

 北太平洋の、ハワイ諸島北西の島(環礁)で

 北緯28度13分、西経177度22分に位置する。

 高校生の頃、マグロ漁船に乗っている先輩に

 ミッドウェーの話を、聞いた事がある。

「ミッドウェーには二度と行きたくない。

 何度も死にそうになった」と。

 当直が終わる頃、海は大時化に変わっていた。

 翌朝になると、山の様な波が、進もとする船

 を拒むかのよう船体にぶつかる。

 ドォォォォォォォン!ドォォォォォォォン!と、

 波が打ち付ける度に、船体に衝撃が走る。

 船内でも、立っているのがやっとだった。

 そんな中でも、飯炊きの僕は、朝夕の食事を

 作らなければならない。

 海が荒れすぎて、食事の献立は限られた。

 そんな中、船は怯むこと無く漁場を目指して

 4日後、ミッドウェー海域に到着した。

 操業再開。

 外気温度は、平均3度程度。

 日本の冬と同じくらいの気温で、とにかく

 海が荒れている。

 荒れているというより、風も吹き荒れていて

 海が、荒れ狂っていると言う感じだった。

 枝縄が通常はえる2400本から1000本

 減らし、枝縄1400本になった。

 海が荒れていて、船の速度が落ちるため

 南方海域と同じ数の縄数を、はえることがで

 きないのだ。

 投縄の作業時間が5時間、揚縄の作業時間は

 10時間程度で終わる。

 揚縄が始まった。

 揚縄中、縄を上げていると、海から真っ黒い

 波の壁が押し寄せてくる。

 誰かが叫ぶ。

「来たぞぉぉぉぉぉーーーーーーーー!!!」

 甲板にいる全員、自分の周りの固定された物

 にしがみつく。

 ドッカァァァァァーーーーーーーン!!!!

 波が船に打ち込んで、押し流されそうになる。

 甲板が海水で満たされ、一瞬の静寂が流れる。

 ズザザザァァァーーーーーーーーー!!!!

 甲板に打ち込んだ波が引き波になり、海に引

 きずり込まれそうになる。

 手摺などにしがみ付き、波が引くのを堪える。

 一回の揚縄で、平均して2~3回。

 多いときで5~10回、波の襲来を受けた。

 そうまでして、獲りたい魚がこの海にはいる。

 そう“海の黒いダイヤ”だ!

 漁は順調だった。

 1回の操業で、100キロ程度の本マグロが

 平均1本、多い時で3本獲れた。

 大きい物は、200キロの本マグロもあった。

 初めて、本マグロを見た感想。

 ドラム缶みたい!!!!!

 黒くて、キラキラしていて、丸くて、大きい。

 操業15回、操業が終わり帰港中になった。

 クロマグロが25本、重さで3トン程度。

 その他、メバチマグロ、キハダマグロ、クロ

 カワカジキ等。漁獲総トン数は18t。

 本マグロは、高値で取引される。

 水揚げが、楽しみだ。

 帰港中、あまりにも海が荒れ、ブリッジの上

 に設置されているる、無線用のマストが折れ

 るというアクシデントがあった

 怪物君は「こんなの初めて!」と、言った。

 事故もなく、無事に宮城県塩竈市に入港し

 水揚げをした。

 水揚げ高は4200万、航海日数28日。

 大儲けしたことになる。

 水揚げが終わり、怪物君と二人で仙台市に遊

 びに行こうとしたとき、船頭に呼び止められ

「一晩で、この金全部使って来い!領収書は

 いらねぇ!」と言われ、封筒を手渡された。

 明けてみると、帯のついた100万円の札束

 が、3個入っていた。

「ヒャホォォーーーーーーーーーーーイ!」

 怪物君とハイタッチ。

 二人でタクシーを使い、汚い長靴にジャージ

 のまま、塩釜市から仙台市に行った。

 サウナでさっぱりした後、伸びた髪を切って

 デパートの中にあるジョルジオアルマーニに

 行き、僕はセットアップとシャツとコートと

 靴を購入。怪物君はサイズが無かったので、

 適当な店でデニムと、トレーナーにジャンパ

 ーを買った。

 店員に「これ捨てて」と言って、長靴と

 ジャージ捨ててもらい、アルマーニに身を包

 んで、仙台市の国分町に繰り出した。

 超高級焼肉食べ、キャバクラへ。

 一晩で、綺麗に300万円を使い切り、朝ま

 で遊んで船に戻った。


 “船乗りは。

 陸で金を手にすると、沖の苦労を忘れるのさ”


 つづく



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