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最強魔王様の日本グルメ  作者: 至高の飯はTKG
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第九話 至高の逸品

 峠道の脇。

 急峻な崖にせりだすようにして、広々とした平地があった。

 本来ならばずっと上まで続いていたはずの崖を、途中で綺麗にえぐり取って整地したかのようである。

 そこに、拭けば飛ぶような木造の小屋が停まっていた。

 下部には大きな車輪がついていて、移動できるようになっている。

 赤字に白い模様――おそらくは文字だろう――が描かれた布が、ひらひらと風に揺れていた。

 橙色の灯りが、闇に沈みつつある山際を煌々と照らしている。

 その下で黙々と作業を続ける男が一人。

 なんとも物悲しく、深い哀愁を帯びた景色だ。


「つきやしたぜ!」

「うむ……」


 勇は平地の端に乗り物を停めると、すぐさま魔王の手を引いて歩き始めた。

 魔王はなすがまま歩いていくが、その額には深いしわが寄っていた。

 ――あのような吹けば飛ぶような店の料理が、旨いのだろうか?

 先ほどまでは微塵も感じていなかったラーメンなる食物への不信が、次々と頭をよぎる。

 考えてみれば、ここは異界だ。

 今まではたまたまうまい物ばかりを食べてきたが、まずい物だってあるかもしれない。

 その土地では珍味と称されていても、ほかの土地の者が食べるとただまずいだけというものを、魔王は腐るほど知っている。


「親父、久しぶりだな!」

「おう、勇か! 一年ぶりぐらいか?」


 店主らしき男に、勇はずいぶんと気安く話しかけた。

 互いに顔なじみらしく、男もまた勇に気の置けない返事をする。

 やがて勇は慣れた様子で、店主から見て一番右側に置かれた席に腰を下ろした。

 そして、隣の席を引くと魔王を誘う。


「さ、兄貴! ここに座ってくれ!」

「ああ」


 魔王は店内――というよりは、軒先のようなスペースにある椅子へと腰を下ろす。

 三本脚の丸椅子は、背もたれもなく造りも粗末だった。

 体重をかけたらすぐに、キュッと軋むような音がする。

 魔王の額のしわが、ますます深まる。


「勇よ。ほんとにこの店は――旨いのか?」

「もちろん! 見た目は悪いけど味は最高だぜ! ほら、匂いを嗅いでみな」

「どれ…………むむッ!」


 大きく息を吸った途端、濃厚な風味が鼻から口をいっぱいに満たした。

 肉、野菜、香辛料……ありとあらゆる食べ物の良い匂いを、凝縮して混ぜ合わせたかのようだ。

 たちまち、舌先からよだれがあふれ出る。

 あまりの濃厚さに、匂いだけでも物を食べたような気がしてきてしまう。

 何かのスープの匂いのようであるが、魔界のシェフたちが腕によりをかけたものでもこれほどの薫りはしない。


「疑って悪かった。これは……素晴らしい」

「驚くのはまだ早いぜ。親父、ラーメン十二人前だ。外にいる連中の分も頼む」

「あいよ、ちょっと待ってな!」

「ぬ、この店は料理を選べぬのか?」


 首をかしげる魔王。

 すると店主の男は、笑いながら言う。


「うちの店は、昔っから醤油ラーメン一筋でね。チャーシューの配分とかも、俺が一番うまいと思う量にしてあるのさ。悪いねえ」

「良くわからぬが……とにかくこだわっているということか」

「そういうことさ。ははは!」


 景気よく高笑いをする店主。

 やがて彼は、大鍋で何かを煮始めた。

 金網の上に乗せられた黄色味の強いそれに、魔王は微かに見覚えがある。

 麺だ。

 いつぞやの店で見た物に比べればかなり細いが、その形は確かに麺である。


「もしや、ラーメンというのはうどんの一種なのか?」

「うどん? 違いますぜ兄貴。ラーメンはどっちかっていうとそばだろう」

「そば?」


 顔に疑問符を浮かべる魔王。

 小首をかしげる彼に、店主は意外そうに言う。


「ほう、あんた日本語ペラペラなのにそばとか食ったことがねえのかい! じゃあ、ラーメンを食うのもうちが初めてってわけか?」

「そうだな。名前を聞いたのも、今日が初めてだ」

「珍しいねえ! よっしゃ、最高の一杯を食わせてやる!!」


 腕まくりをすると、気合を入れる店主。

 彼はうどん屋と同様、金網でザッと一気に麺の水分を飛ばすとスープの入った器に入れた。

 その上に薄く切られた肉や茶色く染まった卵、渦巻き模様の白い何か、緑の野菜を手際よく盛り付けていく。

 こうして――ほこほこと湯気を出す醤油ラーメンが、魔王の目の前に出現した。


「お待ち!」

「これが……ラーメンか……!」

「まずはレンゲでスープを啜ってみると良いぜ! それから麺と具だ」

「あいわかった」


 勇の助言に従って、魔王は陶器のスプーンでスープを救い上げた。

 美しく透き通った液体は、黄金が溶けたような色合いをしている。

 それを一口含めば――至福。

 肉をベースとした力強い旨み。

 そこへ野菜の甘みや香辛料の香ばしさなど、あらゆる風味が乗せられて、混然一体となっている。

 どれほどの材料をそろえ、どれほどの手間をかければこれだけの物を作れるのか。

 魔王には想像すらできないほどであった。


「……これは、大地を絞ったようだな」

「へ?」

「大地を絞って、その土地が持つすべてを凝縮したかのようだ。これと比べてしまえば、今まで我が飲んでいたスープなど……水だな。何の味もしない、水と変わらぬ!」

「おお、そこまで言ってくれるかい! だが、驚くにはまだ早いぜ! 麺を食べてみな!」

「ああ! 言われずとも!」


 器の上に置かれていた箸を手に、麺を啜る。

 衝撃。

 魔王の身体が、雷光に撃たれたがごとく震えた。

 麺を口にくわえたまま目を見開いた彼に、店主も勇も思わず心配そうな顔をする。


「あ、兄貴!? ど、どうしたよ!?」

「喉にでも、詰まらせちまったかい!?」

「これは…………旨い!!」


 器を手にすると、魔王はその場で立ち上がった。

 興奮のあまり、身体から自然と放出される魔力。

 それが光り輝くオーラとなって、夜空を駆け上る。

 空が――割れた。


「おお、おおッ!?」

「な、なんだ!?」


 強い光を放ち始めた魔王に、後ろにいた男たちまでもが声を上げた。

 旨いものを食べたからと言って、物理的に光る人間――正確には人ではないが――を見るのは、彼らもこれが初めてである。

 そのリアクションまでもが人知を超えた魔王の様子に、腰を抜かす者まで現れる。

 やがてしばらくしたところで、光を失った魔王は何事もなかったかのように席へ腰を下ろした。


「実に美味であったぞ、店主よ。これほどの料理を用意したこと、感謝しよう。勇も、案内ご苦労であった」

「あ、ああ……そうかい。そこまで言われると、少し照れちまうじゃねえか」

「そ、それほどのことでもねえよ……兄貴」

「単体としても完成されているスープに、麺を入れることによって食感とのど越しをプラスする……完璧な発想だ。モチモチとした食感が、スープの旨みを数十倍にも増幅してくれる。これは誠に素晴らしい。さらに――」


 冷静になったものの、今度は味の解説が止まらない魔王。

 それに対して勇たちがうんうんと頷いていると、いつの間にか彼の器が空になっていた。

 しゃべりながらであるというのに、驚異的なスピードである。


「おっと、無くなってしまったな。店主よ、次を頼む」

「ちょいと待ってな。あいつらの分が終わってからだ」

「うむ、いつまでも待つぞ。わが命脈が尽きるまでは」

「……そこまでは時間かからねえから、安心しな」


 こうして店主が外にいる男たちの分までラーメンを作り終えたのち、魔王はさらに四杯のラーメンを注文して完食した。

 途中から店主が気を効かせて大盛にしたにもかかわらず、スープも残さずだ。

 その食べっぷりに、勇や店主たちは皆、もはや呆れを通り越して感心したような顔をしていた。

 やがて五杯目を食べ終え、ようやく満足げに腹を擦った彼に、勇が尋ねて言う。


「やっぱ兄貴はすげえや! それだけ食べる奴は初めて見たぜ!」

「それほどでもない。これでも、我は食が細い方だ」


 ――暴食の名を持つ部下など、一日で食糧庫を空にしたことがあるからな。

 魔王はあくまでも、平然とした口調で言う。

 それをジョークと捉えた一同は、盛大に笑った。


「おもしれえや! 兄貴、俺はこれからもあんたについていきますぜ!」

「む? そうは言われてもな、我は――おっと」


 魔王の身体が、いきなり薄くなり始めた。

 急速に存在感が消えていく。

 異界に居られる期限である、三時間を過ぎてしまったのだ。


「あ、兄貴!? ど、どうしちまったんだ!? か、身体が……!!」

「ではな、機会があったらまた会おう」

「兄貴ーーーーッ!!!!」


 姿を消した魔王。

 勇は彼が居たはずの席へとダイブすると、そのまま宙を切って椅子の座面に頭をぶつけた。

 やがてゆっくりと身を起こした彼は、大きなたんこぶをさすりながらボロボロと涙をこぼす。

 だが、決して声だけは出さない。

 男泣き。

 そう形容するのが相応しい、静かな泣き方だ。


「兄貴……。俺、あんたみたいなビッグな人間になるぜ。誰にも負けないビッグな人間になって、また会った時はあんたを驚かせてやる!!」


 拳を握りしめると、決意を固める。

 豪田勇、二十一歳。

 この瞬間が、のちに『熱湯ラーメン芸』でリアクション王と呼ばれる彼の出発点となったのは、また別のお話である――。


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