第六話 本格チキンカリー(テイクアウト含む)、四千三百万円也
「……そなたが、店主か」
胡散臭い雰囲気を纏った男に、魔王は慎重に声をかけた。
魔法薬を扱うような店の主は、そのほとんどが魔導師だ。
ひょっとしたら、自身の正体もとうに見破られているかもしれない。
自然と、手に魔力が集中する。
すると男は、魔王の警戒をよそに調子っぱずれな返事をする。
「そうね、私がここの店主よ! 見てのとーり、インド人!」
「ほう、インドジン……か。あまり聞き慣れない名だな」
「日本じゃ珍しいかもね! でも、正真正銘のインド人よ! だから、めっちゃうまい!」
「む、旨いだと?」
魔法薬というのは、まずいと相場が決まっている。
一番飲みやすいとされるポーションですら、甘ったるさの中に苦みの混じった非常に飲みにくい代物だ。
その傾向は魔法薬のグレードが上がるほどに顕著で、一般に普及している中では最も強力な「エクスポーション」など、気絶するとすら言われている。
幻の霊薬ともなれば、どのような味なのか想像すらしたくない。
そんなものを旨いと言われれば、魔王の眼が細まるのも当然だった。
「そうよ、ちょー旨いよ!」
「効果はきっちりあるのか?」
「効果? ああ、そうね! 三十種類のスパイス入ってるから、身体にもめちゃくちゃいーよ! お肌ぴちぴち、デトックスもできちゃう!」
「でとっくす?」
「えーっと、毒が無くなるってことよ!」
――活力アップだけでなく、毒消し草の効果もあるのか!
栄養ドリンクの威力に驚嘆した魔王は、目を見張ると何度となくうなずく。
これだけの効果を持つ霊薬は、魔界には他にエリクサーの劣化である万能薬ぐらいしかないだろう。
それが店で売られているとは、流石は異世界といったところであろうか。
もし魔界で万能薬を売りに出すならば、通常の店売りではなくオークション形式となる。
それだけ貴重な品なのだ。
「凄まじいのだな、栄養どりんくとやらは……!」
「ドリンク? ちょっと違うよ、間違ってる! カレーは主食よ!」
「主食……だと……!」
「そう! インド人、いつもカレーを食べるから主食!」
己の魔力を高めるために、魔法薬を常食する魔導師はそれなりに居る。
目の前にいるインドジンも、その類なのであろう――と、魔王はあたりを付けた。
それも貴重な霊薬を主食として食べるなど、相当なことである。
金銭的にも大変だが、何よりも肉体への負担が大きい。
もし実際に成し遂げているとするならば、魔王をして強敵と感じられるような存在かもしれない。
警戒感がさらに強まり、動きが停まる。
「お客さん、どーしたの? 固まってるよ?」
「……いや、なんでもない」
「そう、だったら注文してね! 今日のお勧めはチキンカリーよ!」
そういうと、インドジンはつるつるとした質感の冊子を魔王に手渡した。
どうやら、この店で買うことの出来る栄養どりんくの種類が書かれているらしい。
写真付きで解説されたそれは、文字が読めればかなり分かりやすいであろうことが察せられた。
しかし、魔王は例によって文字が読めないので、適当に返す。
「うむ、ではチキンカリーで」
「付け合わせは? ライスとナンの二種類があるよ!」
「どちらがおすすめなのだ?」
「もちろんナンね! インドカリーのだんご味よ!」
「だんご味」というのがどういう意味なのかは分からなかったが、随分と自信があるようである。
インドジンの提案に、魔王は素直にうなずいた。
「オッケー、ちょっと待ってて!」
氷の入った水と濡れた布が差し出される。
うどん屋で「水はタダ」と聞いていたが、やはりどこの店でもサービスで水を提供するものらしい。
魔王は緊張で渇いてきた喉を、その水でしっかりと潤す。
すると微かに、爽やかな風味があった。
青い果実を思わせるほのかな酸味。
すっきりとした味わいである。
「ほう、この店では水に果汁を混ぜているのか。意外と細かい心配りをしているのだな……」
「はーい! チキンカリーとナンお待ち!」
店の奥から戻ってきた店主の手には、銀色の底が深い器と白い平皿があった。
銀の器には黒味の強い褐色の液体が入っていて、白い平皿の方には大きさの違う円を繋いで細長くしたような形をした、何かパンのようなものが入っている。
どうやら――銀の器に入っている方が、件の「カレー」のようであった。
香辛料の強い香りが、魔王の鼻を刺激する。
「む、この場で食べるのか? できれば持ち帰りたかったのだが……」
「おお、テイクアウトご希望だった? それなら、別に用意するよ? 何人前がいい?」
「そうか。ならば……五人前で頼む」
少し多めに注文を出しておく。
店主は「わかったね! かしこまった!」と返事をすると、再び店の奥へと引っ込んでいった。
彼の姿が見えなくなったところで、魔王は意を決する。
「……食べるか。このスプーンを使えばよいな」
カウンターの奥に置かれた箱。
その中には良く磨かれたスプーンが何本か置かれていた。
魔王はそのうちの一つを手にすると、ゆっくりゆっくりと褐色の液体へ入れる。
少し抵抗を感じる。
かなり、粘性の高い液体のようだ。
中には大きな白い肉がごろごろと入っていて、スプーンの先に当たる。
霊薬の効果を高めるために、魔物の肉でも入れているのだろう。
「おお……!」
肉を救い上げ、一口含む。
辛い。
口全体を、これまで感じたことのないような種類の辛みが襲った。
複雑に調合された、店主曰く三十種類のスパイス。
それらの産みだす味はただ辛いと言うだけではなく、底知れぬ奥深さをもっていた。
さらにそこへ、肉がほろほろと崩れる食感が混ざる。
鳥の魔物肉であったようで、肉本体はさっぱりとしつつも皮の脂がまた何とも美味であった。
「言うだけのことはあるな。旨い」
独特で刺激が強いが、一度口にしてしまうとやめられない味であった。
食欲が刺激されて、次々とスプーンが伸びてしまう。
無我夢中。
腹を満たすべく、魔王はひたすらにスプーンを伸ばし続けた。
やがて白い箱を手に戻ってきた店主が、そんな彼を見て言う。
「お客さん、ナンをつけて食べるともっとおいしーよ?」
「なぬ? そうなのか?」
魔王は店主に言われるがまま、ナンを手でちぎった。
そしてその切れ端を、恐る恐るカレーに付ける。
それを口に入れると――先ほどまでとは、さらに違った世界が広がった。
小麦粉の甘みが強いナン。
それとカレーが口の中で絶妙に混ざり合い、まろやかな味わいとなる。
辛みの角が取れたようであった。
食べやすい。
先ほどまでよりもさらに。
魔王の手が次々とナンをちぎり、カレーに浸していく。
「はふ、はふ……」
「いい食いっぷりだねー!」
スパイスに刺激され、熱くなった身体。
魔王は額に汗を流しつつも、無言でナンを頬張り、カレーを体に流し込む。
やがて器に張り付いたカレーも何で綺麗にふき取り、最後のひと口を堪能した。
――実に美味であった。
恍惚とした顔をしながら、魔王は背もたれに深く身を預ける。
心なしか、全身に活力が満ちているような感じもした。
カレーに含まれている大量のスパイスが、良い働きをしているようだ。
身体が程よく火照り、活力の象徴と言わんばかりに汗を出している。
が、もはやそのことは大きな問題ではなかった。
とにかく――――旨かったのだから。
魔王はしばし、カレーの後味を堪能する。
「……さてと。では、お勘定を頼む」
「あいよー! チキンカレーセットとテイクアウト五人前で、四千三百万円ね!」
「ふむ、流石に霊薬。思った以上にするな」
魔王は服の袖を漁ると、小指の先ほどのサイズの金剛石を取り出した。
魔界で売り払えば、金貨千枚ほどの値がつく代物である。
金貨一枚で五万円と交換できたので、これだけあれば手数料を含めても足りることであろう。
そう思って差し出すと、店主の男は怪訝な顔をする。
「お客さん、これしかないの?」
「……足りぬのか?」
「こんなの、全然ダメね! ちゃんとしたお金で払ってよ」
「ふむ……それ以上のものとなると今は持っておらぬな。すまぬ、まさかこれほど値が張るとは思っていなかったゆえ」
「……もう、しょうがない! お客さんガイジンっぽいし、良い食べっぷりだから今日はこれで勘弁してあげるよ! ツケね!」
偏屈が多い魔導師にしては、心の広い店主。
魔王は彼に礼を言うと、白い箱を持って店を出た。
「そういえば、最初の男は店の名を『スギキヨ』とか申しておったが……ただの間違いか」
つぶやきながら、地下迷宮を出る魔王。
彼は栄養どりんくことカレーの入った箱を手に、ゆるゆると街を歩く。
のちに、彼が残した時価数億のダイヤが大騒動を巻き起こすのだが――それは、彼のあずかり知らぬことであった――。