第四話 素晴らしきスルメと柿ピー
「最初から、私に命じて下さればよろしかったものを」
水魔法で体を洗い流し、さっぱりとした魔王にニスロクが告げる。
彼女が手にしたトレイには銀のグラスが乗せられていて、その中には金色の液体――ビールがなみなみと注がれていた。
魔王が開封に失敗したカンを、ニスロクはあっさりと開けてしまったようである。
さすがというべきか、自分が情けないのか。
魔王は何とも言えない顔つきをしながら、白いガウンを羽織る。
「どうやって開けた?」
「取っ手が付いておりましたので、それを引きました」
「あの小さくてつまみにくそうなものか? 我がやった時は、すぐに千切れてしまって使い物にならなかったが」
「魔王様は力を入れ過ぎなのです。人間が扱うものなのですから、連中の非力さを考えに入れて取り扱うべきかと」
「それもそうだな」
ニスロクの意見に、魔王は軽くうなずきながらソファに腰を埋めた。
大きく手を広げて、上半身をゆったりと背もたれに預ける。
リラックス。
水魔法を浴びてさっぱりとした状態でうとうとするのは、いつものことながら最高であった。
ニスロクはそんな彼のひと時を邪魔せぬよう、衣擦れの音すら立てずに給仕をする。
彼女だからこそできる、熟達の技だ。
「そなたも一杯、飲まぬか?」
「魔王様と酒を共にするなど、恐れ多くございます。お相手が欲しいのであれば、どなたか呼ばれるとよろしいでしょう」
金色の鈴を取り出し、笑うニスロク。
現在魔王に妃は居ない。
だが、その候補となる美姫は七人も居た。
魔界各地の有力者たちが、魔王と縁を結ぶことを目的に差し出してきた娘たちである。
いずれ劣らぬ美貌の持ち主で、並の男ならばあっという間に骨抜きにされてしまうであろう文字通りの魔性の女たちだ。
「今日はそのような気分ではない」
「この間から、ずっとそうおっしゃっていませんか?」
「どうにも、ああいう手合いは苦手でな。食おうとしたら、逆に食われるような感じがしてならぬ」
「はあ、魔王ともあろうお方が情けないことです。全員まとめて、足腰立たなくするぐらいのことをおっしゃっても良いのですよ?」
「……気が向いたら考えよう」
そういうと、魔王はおもむろにソファから立ち上がった。
彼はそのまま部屋の端へと移動すると、『びにーるぶくろ』の中から菓子を引っ張り出す。
「皿を出してくれ」
「かしこまりました」
たちまち、ニスロクの手元に銀の皿が姿を現す。
魔界一とも謳われる職人が、精魂を込めて拵えたミスリル製の逸品だ。
魔王の権威を細かな部分からも示すべく造られたそれは、縁の部分に魔界の薔薇を模した見事な細工が施されている。
テーブルに乗せられた皿。
その上に、魔王は異界から調達してきた『柿ピー』と『するめ』を載せる。
ビニールが引きちぎられるのと同時に、銀の上にじゃらりと音を立てて柿ピーが広がった。
さらにそこへ、彩を添えるように赤いするめが加わる。
「……見慣れぬ食べ物ですね」
「うむ。こちらのばらけているものが柿ピー、イカを平たくしたようなものがするめというらしい。両方とも、ビールとよく合うそうだ」
「本当でしょうか?」
「そうだな。そなた、ひとつ試してはくれぬか? 毒見だ」
笑いながら、皿ごと菓子を差し出す魔王。
彼の言わんとすることを察したニスロクは、ふうっとため息をつくと、先ほどまでよりも幾分か優しげな声で言う。
「かしこまりました。『毒見』でございますね?」
「そうだ。感想はしっかりと言ってくれ」
「はい、もちろん」
そういうと、ニスロクはまず柿ピーの方へと手を伸ばした。
白い豆のような実と三日月形の焼き菓子をセットにして、口へと放り込む。
たちまち、舌先を強い刺激が襲った。
香辛料の一種、唐辛子が用いられているようだ。
しかし、ただ辛いだけではない。
辛みと同時に、香ばしく豊かな風味が鼻を抜ける。
それに続いて、今度は白い豆にまぶされていた塩が効いた。
そして最後に――豆の持つほのかな甘みが全体をまろやかにまとめ上げる。
「これはなかなか、私たちの知っている菓子とは違うようですね」
ここですかさず、ビールを一口。
強い炭酸としびれるようなアルコールを帯びた液体が、舌を綺麗に洗い流していく。
ゴクリ。
やがてビールが喉を通り抜けると、その後味は先に食べた柿ピーの味も含めて、すぐに消えて行った。
口の中に残りすぎるきらいのあった豆の油分も、綺麗に引いていく。
――なるほど、これは確かに良い組み合わせだ。
ニスロクは満足げにうなずく。
「見事な組み合わせです。酒を飲んだときに欲しくなる塩分をこの菓子が補い、菓子を食べた時に残る後味を酒で流す。これを考えたのが魔族でないことが、少し惜しく思えるほどです」
「それほどか」
「はい」
「では、するめの方の毒見も頼む」
「かしこまりました」
するめの足をちぎると、口に含む。
いか独特の強烈な風味が、彼女の鼻と舌を同時にパンチした。
匂いがかなりきつい。
人によっては、さっぱり受け入れることの出来ない食べ物であろう。
だが匂いの中に秘められた旨みは強烈で、噛めば噛むほどにあふれ出してくる。
いったい、どれだけの味が凝縮されているのか。
ほんの一口、口に含んだだけだというのにかなりの食べごたえがあるように感じられた。
「魚介の風味が恐ろしくきついですが、不味くはありませんね。むしろ、凝縮されている分だけ好きな者はとことん好きになる味かと。口の中で旨みがどんどんと溢れ出してきて、いくらでも食べていられそうなほどです」
「ほう、そなたがそこまで言うとはな。期待が持てそうだ」
「はい。こちらもかなり味が濃い食べ物ですので、後味を流してくれるその酒とは相性が良いでしょうね」
「そうか。ならば飲むが良い」
グラスを手に、ビールを進める魔王。
困ったなと肩をすくめる彼女に、魔王は悪戯っぽく眼元を歪める。
「これも毒見の内だ、毒見のな」
「……仕方ありませんね。かしこまりました、おつきあいいたします」
「うむ。では我が一口飲むたびにそなたも飲むように」
「承知いたしました」
本格的に、酒宴を始める二人。
つまみをしっかりと用意していたこともあって、見る見るうちにカンが空となっていく。
こうして数時間後、一ケースあったビールがすっかりなくなる頃には――
「酒~! もっと、もっともってこーい!!」
メイドという役職柄、滅多にしない飲酒。
魔界で一般的に飲まれている酒より、数段強い酒精。
一晩で一ケースという、人間ならば酔いを飛び越えて中毒死しかねない量。
この三つの要素があいまって、上級魔族が泥酔するという奇妙な状況が発生していた。
それも、よりにもよっていつもはお堅いことこの上ないニスロクがである。
魔王は額を抑えるのと同時に、どこかおかしくなってしまう。
「酒はもうないぞ、ニスロク」
「え~~! だったら、買ってきてください!」
「お前はもう飲み過ぎだ。部屋に戻って、早く寝るのだ」
「魔王様のけち! 少しぐらいいいじゃないですか!」
「とっくの昔に、少しなんて次元は通り過ぎておるだろう」
魔王はニスロクの身体を抱えると、そのまま強引に彼女の部屋まで運んで行った。
そしてベッドに寝かしつけて布団をかけると、やれやれと額の汗をぬぐう。
まさか、ニスロクがこのような醜態をさらすとは。
数百年来の付き合いで、初めてかもしれない。
「では、私は行くからな」
「……魔王様」
「何だ?」
「優しい魔王様のこと、私は大好きです!」
大きく口を開けて笑いながら、いつになく明るい調子で言うニスロク。
――やれやれ、これは酷い酔っ払いだ。
魔王は彼女の顔を見やると、微笑みながら部屋の扉を閉めた。
こうして迎えた翌日。
ニスロクの二日酔いという前代未聞の非常事態に、魔王城が震撼したことは言うまでもない――。