第三十四話 魔王、自販機と奮闘する
「たまには、一人で行くのも良いか」
かき氷の一件から数日後。
再び日本へやってきた魔王は、ふと財布の中身を見てつぶやく。
「ひーろーしょー」なるアルバイトで仕入れた金で、懐はそれなりに温かい。
ちょっと飲み食いする分には、困ることはないだろう。
最近はずっと若菜に案内してもらっていたので、たまには気楽に行くのも良かろう。
彼は葵の看板の前で踵を返すと、商店街に向かってブラブラと歩きだす。
なかなか良い陽気で、歩いているだけでも気持ちが良かった。
そうして歩いていた時であった。
いきなり魔王を「いらっしゃいませー!」と何者かが呼び止める。
おかしいな、人の気配など感じなかったはずだが――?
とっさに振り向けば、そこには白くて大きな箱があった。
魔王よりも背が高く、横幅も三倍ぐらいはありそうだ。
昼だと言うのに明かりがついているらしく、妙に明るい。
大きさからして、中に人間でも入っているのだろうか?
『いらっしゃいませー! 冷たいお飲み物はいかがですかー!』
「飲み物? 飲み物を売っているのか? ならばひとつ譲ってくれ」
『ただいま、全品100円セールを実施中!』
「む、聞こえなかったのか? そなたの飲み物を譲ってくれと、言っているのだ」
『いらっしゃいませー! 冷たいお飲み物はいかがですかー!』
「……ずいぶんと、耳が悪いようだな。近づかなければ聞こえぬのか?」
声は若々しいが、意外と中に入っているのは年寄りなのだろうか?
魔王は首を傾げつつも、白い箱に近づいてもう一度言う。
「飲み物を売っているならば、ひとつつ譲ってくれ!」
『ただいま、全品100円セールを実施中!』
「そなた、もしやこの魔王を舐めておるのか?」
魔王の言葉に、わずかにだが怒りが籠る。
しかしそこは、数百年の時を生きて来た大人。
これしきのことでは、切れたりはしない。
「もしや、その箱の中には音が伝わらぬのか? ならば……」
魔王は財布を取り出すと、中から一万円札を引っ張り出した。
それを箱の透明な部分に、グッグと押し付ける。
しかし、箱からは何の反応も返っては来ない。
またも「いらっしゃいませ!」と言われてしまう。
「むむむ……かつてない難敵だ。どうすれば、飲み物を手に入れられるのだ……!?」
箱と奮闘しているうちに、少しずつ汗も出て来た。
身体が渇き、水分を欲しているのが分かる。
ここは是が非でも、この箱から飲み物を購入したいところだ。
魔王の頭脳が、かつてないほどの勢いで回転し始める。
まず、透明な入れ物の中に並べられた金属製の筒。
これは飲み物が入っている容器と見て間違いないだろう。
派手な色彩の文字が記されているが、おそらくこれは種類を示すものだ。
酒のラベルのようなものと考えれば、まず間違いない。
続いて、飲み物の下にかかれた記号。
これは確か、この世界の数字だったはずだ。
いま魔王が手にしている一万円札にも「10000」とある。
どうやら「0」の数が増えると、数が大きくなるという仕組みらしい。
十進法だろうから、一つ「0」が増えるたびに十倍になっていくのだろう。
そして、数字の横についている「円」というのは通貨単位。
一万円札にも同じものがあるので、まず間違いない。
つまり、この文字の並びは飲み物の金額を示している、という訳だ。
「一万の百分の一……つまり、一本百円という訳か!」
魔王は財布の中を漁ると、先日、釣銭としてもらった百円玉を取り出した。
今度はそれを、一万円札の代わりに押し付けてみる。
けれどもやはり、反応はない。
魔王は軽く腕組みをすると、唸り始める。
……もしかしたらこれは、中に人が入っているのではないかもしれない。
最初に話しかけられたのでどこかに人間が居ると勘違いしたが、これはからくりなのかもしれぬな。
魔王は考えを改めると、箱の全体をしばし観察した。
からくりならば、必ずそれを動かすためのスイッチがあるはずである。
「やはり、この押せば凹むところか? 若菜の家にも、この『ボタン』とやらで動かすからくりがいくつかあったな……」
飲み物の下にある、ちょっとしたでっぱり。
そこが気になった魔王は何度かしつこく押してみるが、反応はなかった。
これではないのだろうか?
しかし、そうするとほかに思い当たるような場所はない。
もしかしたら、このボタンを押すためには何かの条件があるのではないか?
魔王は再度、箱の全体を見やる。
すると端に設置された、奇妙な切れ込みへと視線がいった。
受け皿のようなものまで設置されていて、何かが切れ込みへと流し込めるようになっている。
「そうか、ここに金を入れろと言うことか!」
まさに天啓!
魔王の頭の中で、点と点がつながった。
百円玉を取り出してみれば、ちょうど切れ込みにぴったり収まる大きさだ。
魔王はすぐさま百円玉を切れ込みへと放り込む。
するとたちまち、ガタゴトと音がしてボタンが光った。
「おおおッ!!」
感動の瞬間。
魔王は腕組みをしたまま、うんうんと頷く。
この箱は、ひとりでに金を回収して商品を売るものらしい。
まさか、からくりが商人の真似事までするとは。
異世界のからくりというのは、なかなか大したものである。
あとでマンモンあたりにこの話をしたら、さぞかし喜ぶことだろう。
今はそれよりも、飲み物だな。
それぞれの容器の下にボタンが付いているので、これで商品を選べるようになっているのだろう。
さて、どれにしたものか。
筒に書いてある内容はさっぱり分からないので、魔王は雰囲気だけで選ぶことにした。
彼はとりあえず目についた、真っ赤な缶の下のボタンを押す。
――ガタンッ!!
何か重い物が落ちるような音がした。
慌てて音がした箇所を見れば、透明な扉の向こうに先ほど見た赤い缶が落ちてきている。
魔王はすぐさま扉を引くと、中の缶を回収する。
結露で濡れた缶は、手にすると冷たくて気持ちが良かった。
潰してしまわないように気を使いながらその栓を開くと、甘い香りが漂ってくる。
少し刺激があるのは、炭酸だろうか?
「くぅッ!! 旨いな!」
程良く喉を刺激する炭酸。
濃厚だが爽やかな甘みが口を満たし、清涼感が駆け抜ける。
シュワッと消える泡の感触もまた、何とも味わい深い。
ビールはもちろん至高の存在だが、こういう甘い飲み物も良いものだ。
魔王はゴクゴクと喉を鳴らすと、爽快な食感を堪能する。
「ふう……少し腹が苦しいが、実に美味であった」
炭酸で張ってしまったお腹をさすりながら、満足げに息をつく。
魔界には決してない類の味だった。
これはぜひ、ニスロクやマンモンにも土産として持って行ってやらねば。
魔王はすぐに財布の中を漁るが、困ったことに百円玉がもうなかった。
一万円札が一枚しかない。
「む、入るか?」
仕方なく札を取り出すと、魔王はそれを可能な限り細かく折り畳んだ。
そして、それを硬貨の投入口に差し入れようとする。
普通、そんなことをしても厚すぎて入るものではない。
だがそこは魔王、圧倒的な握力にモノを言わせて、折り畳んだ札をぺらっぺらにしてしまった。
薄くなった札は投入口から見事、中に入ってしまう。
「…………うぬ?」
『いらっしゃいませー! 冷たいお飲み物はいかがですかー!』
「反応がないな、おかしい」
からくりの調子が悪いのだろうか?
金を入れてやったというのに、さっきのようにボタンが光らない。
魔王は自販機の側面を叩いてみるが、それでも全くダメだった。
「こうなったら、金だけでもとり返さねば」
一万円と言ったら、今の魔王にとっては大金だ。
硬貨の投入口を指で無理やりに押し開くと、その中に落ちて行った札を回収しようとする。
しかし、かなり深いところまで落ちて行ってしまったようで、指を入れたぐらいでは取り出せない。
こうなったらと、魔王は箱を持ち上げてみることにした。
「そいッ!」
軽く力を籠めると、鉄の塊であるはずの箱が軽々と浮かび上がった。
こうして硬貨の投入口を下に向けると、大量のコインと共に魔王がいれたであろう一万円札が落ちてくる。
よし、これで――
金を取り戻し、胸をなでおろした魔王が箱を元の場所に戻そうとした時だった。
いきなり、箱が「ジージーッ!」と聞いたこともないような警報を発する。
途端に隣の店から、箒を手にした老婆が飛び出して来た。
「コラア、自販機泥棒ッ!! 何しとるんじゃァッ!!!!」
「む、違うぞ。我はただ、金が戻ってこなくなったから出しただけだ」
「なーにを言ってるか! 自販機をこーんなことするのは泥棒ぐらいしかいねえだよッ!! 警察さ突き出してやるッ!!」
「落ち着いて話を聞くのだ」
「問答無用ッ! とりゃあッ!!!!」
いきなり箒で殴りかかってくる老婆。
――これは、話を聞いてもらえそうもないな。
――本気で怒った時のニスロクなどと同じだ!
とっさにそう察した魔王は、箒の一撃を回避するとすぐさま逃げの体勢に入る。
しかし、老婆もそう簡単にはあきらめない。
「ドロボーッ! 待たんかいッ!!!!」
いきなり始まる追いかけっこ。
のちに、この光景を見た町の人々によって「ダッシュ婆とダッシュ怪人」という都市伝説が語り継がれることになるのだが、それはまた別の話である――。
前回までとは趣向を変えて、短編に回帰です。
オチがやや弱かったかなとも思いますが、いかがでしょうか。
感想など頂けると、ありがたいです。
※新作はじめました、それなりに続いておりますのでよろしければどうぞ。
『最弱骨少女は進化したい! ――強くなれるならゾンビでもかじる!―― 』
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