第三十話 宇治庵の宇治金時
「ここが、うじあんとやらか」
商店街のアーケードを抜けて、少し歩いた先に佇む木造建築。
一見して民家のように見えるその建物こそが、魔王たちの目指す宇治庵であった。
風雨にさらされて白くなった瓦に、やや黒ずんだ板張りの壁。
軽く、築百年ほどは経過していそうな趣だ。
その軒先には大きなガラスの風鈴が吊るされ、涼しげな音を響かせている。
「なかなか、立派なところでしょ?」
「そうだな。かなり歴史がありそうだ」
「今年で創業八十年らしいですからね。建物自体は江戸末期からと言いますから、そう感じるのも当然でしょう」
「うちの街で、一番の老舗だろうからなぁ!」
自分のことでもないのに、誇らしげな顔をする商店街の面々。
いわゆる「我が町の自慢」という奴である。
すると魔王は、胸を張る皆を見渡して少し意外そうな顔をする。
「ほう、割と最近ではないか」
「最近……?」
「うむ。八十年前と言えば、ちょうど我が――」
「ワーワーワーッ!!!!」
若菜が大慌てで魔王の口をふさぐ。
彼女は血走った眼をすると、魔王をキッと睨みつけた。
そして魔王のそばへと駆け寄ると、すぐさま耳打ちをする。
「宇宙人さん! 変なこと言わないで!」
「……そうか?」
「そうだよ! そんな数年前のことを語るみたいに、八十年前のことを語る人はいないよ! だいたい、八十年前なんて流石に生きてないでしょ?」
「む、我はこれでも……何百年と生きておるぞ」
「うっそォ!?」
驚愕の真実。
若菜は調子っぱずれな悲鳴を上げると、その場でズッコケそうになった。
彼女のあまりのリアクションに、商店街の面々も思わず怪訝な顔をする。
「どうしたんです?」
「若菜ちゃん、熱でもあるのかい?」
「そ、そんなことないよ! ちょっと、段差につまづいちゃってさ!」
「まだ若いと言うのに、ずいぶんと年寄り臭いことであるな」
「あなたが言わないの!」
他人事のような魔王の言葉に、すかさずツッコミを入れる若菜。
妙に息の合った二人の様子に、一行は大いに笑う。
そうしていると、彼らの目の前のガラス戸がゆっくりと開かれた。
やや薄暗い店の中から、腰の曲がった老婆が姿を現す。
「おや、皆さんお揃いで。寄り合いか何かですか?」
「ちょっとした打ち上げですよ。ほら、最近やり始めたヒーローショーの」
「ああ、アノレンジャー! この間、孫が面白いって言ってましたよ!」
「ははは、そりゃありがてえや!」
「そういうことなら、ちょうど空いてますよ」
老婆は人懐っこい笑みを浮かべると、よっこらせと戸を押し開く。
ガタピシとガラスが鳴った。
開かれた戸の隙間から、温い空気が抜けていく。
「さ、どうぞどうぞ。エアコンが古いから、ちょっと暑いですけどねェ」
「いいのいいの、これぐらいじゃないと氷が美味しくないから!」
「そうかい? そう言ってもらえると助かるよ」
老婆の手招きに従い、魔王たちは店の中へと入った。
「ちょっと暑い」との言葉通り、外に比べれば幾分かマシなものの、生温い空気が部屋を満たしている。
それを天井に据え付けられた風車のような装置が、ブウンと低い音を立ててかき混ぜていた。
その風を求めるように、魔王たち一行は装置に一番近い席へと腰を下ろす。
「ご注文は?」
「もちろん宇治金時だよ!」
「金時に決まってる!」
「私も宇治金時で」
魔王以外の全員が、即座に宇治金時を注文した。
老婆もまた、手慣れた様子でメモを取る。
「お客さんは、いかがなされますか?」
「我か? そうだな……。おすすめは、やはり『うじきんとき』なのか?」
「ええ。うちは先々代が京都の出身でしてね、宇治金時には特にこだわって作ってるんです。お茶も小豆も、最高の品ですよ」
「そうか、ならばうじきんときとやらで頼む」
「かしこまりました。では、しばらくお待ちください」
軽く頭を下げると、奥へと引っ込んでいく老婆。
やがて店のどこからか、シャラシャラと何かを擦るような音がする。
耳に心地よく響くそれに、魔王はほうと息を漏らす。
「この音は何だ?」
「氷を掻いてる音じゃないかな」
「なるほど、それでかき氷という訳か」
「そういうこと。この調子だと、すぐに出来るんじゃないかな」
そう言ったそばから、お盆を手にした老婆が戻ってきた。
お盆の上には、ガラスの器に綺麗に盛りつけられた緑の山が六つ、載せられている。
照明の光を反射し、淡く光る山肌は清涼感たっぷりだ。
その山頂には艶のある黒豆が鎮座し、裾野に埋まった白玉との対比が美しい。
「はーい、宇治金時ですよー!」
「やった! これ、最高なんだよねー!」
「お、来た来た!」
「この小豆が、うめえんだよなあ!」
「あんまり食べ過ぎて、お腹を壊さないように気を付けてくださいね。では、ごゆっくり」
皆の手を借りて、手際よく回されていく宇治金時。
やがて魔王の目の前にも、隣に座っていた若菜の手によってトンッと山が置かれた。
――かなり大きいな。
雪を積み上げたような山は、空気をたっぷりと孕んでかさを増しているのだろう。
魔王の顔をすっかり隠せるほどの大きさがあった。
その迫力と鮮やかな緑色に、魔王はたまらず圧倒されてしまう。
他の皆がスプーンを伸ばす中、彼だけは動けなかった。
「これが……うじきんときか。なかなかのものであるな……」
「何をぼーっとしてるの? 早く食べないと、溶けちゃうよ?」
「う、うむ……」
「早くしねえと、俺が食べちまうぞ?」
魚屋のオヤジが、横からぬっと手を伸ばす。
魔王は慌てて器を手にすると、その魔手から宇治金時を防衛した。
やれやれと、大きなため息を一つ。
魔王はおっかなびっくりながらも、スプーンを手にする。
「む」
スプーンを差し込むと、予想していたよりも遥かに軽い感触が返ってきた。
銀色の先端が、いともたやすく潜っていく。
こうして救い上げた塊を口へと放り込むと、一瞬にして消えてしまった。
まさに、淡雪そのもの。
舌の上で形を亡くしたそれは、即座に広がってひんやりとした心地良さを提供する。
「おお」
その直後、上品な甘みと渋みが口に広がり、微かに苦い香りが鼻を抜けた。
――これは、茶であろうか?
渋みと苦い香りをもたらすものの正体に、魔王は即座に当たりを付けた。
だが、彼の知っている紅茶といま感じたそれの食感は明らかに違う。
甘く味付けられているが、その強い渋みや苦みは紅茶をはるかに凌いでいた。
しかし、それが良い。
奥深い苦みと渋みは、引き締まった清涼感をもたらすのに一役買っていた。
さらに、濃厚な甘みを綺麗に中和して、量を食べやすくもしている。
「これは良い」
思わず唸る魔王。
彼はスプーンを握り直すと、そのままサクサクと山を崩していく。
食べきれるのかどうか不安に思えたほどの威容も、あっという間に半分ほどになった。
ここで、魔王は黒い豆の塊――小豆というらしい――に手を付ける。
「これはまた、良いものだな」
始めに口へ広がったのは、すっきりとした甘味であった。
食感は滑らかで、舌先に当たった粒もすぐさま柔らかに潰れる。
豆本来の風味が強く、氷で冷えた舌にもそれがはっきりと感じられた。
茶の風味がする氷と合わせて食すと、渋みとの対比で甘みと瑞々しさがさらに際立つ。
――素晴らしい、ケーキとは違う旨さだ!
魔王はさらにスプーンを早め、あっという間に残りわずかというところまで山を削る。
「さて、最後は……この白玉だな。さて、どのような味がするか……!」
白玉を救い上げると、コロンッと口に放り込む。
まったりと緩い食感。
しっとりとした白玉の表面が、舌の上で溶けた。
歯で潰すと、もっちりとした弾力が返ってきて気持ちが良い。
ほのかな甘みもまた、至福であった。
「これは、米を固めたものか……? 少し違うようだが、弾力があって美味だな。なかなかない食感だ」
「宇治庵の白玉は絶品だからねー! ……うーん」
「どうした?」
「いや、何かね。ちょっと違うんだよなー……。冷たすぎというか」
スプーンの上に載せた氷を見ながら、つぶやく若菜。
彼女はそのまま氷を口へと放り込むと、それを舌の上でゆっくりと踊らせる。
やがてトクンッと喉を鳴らした彼女は、軽く眉をひそめた。
「やっぱり違うなあ。氷の溶け方とか、細かいところがさ」
「そうですか? 私は、そんなに変わらないような気がしますけどねえ」
「若菜ちゃんの考えすぎじゃあねえのかい? どうせ、頭がキーンとして味が良くわかんねえんだろ?」
「そんなことないよ! これでも、舌には自信あるんだから!」
膨れっ面をした若菜は、そのまま店の奥を見やった。
そして、そこにいるであろう老婆に呼び掛ける
「おばあちゃん! 宇治金時の氷、ちょっと変えたでしょ?」
「……よくわかりましたねえ」
「うちも、夏はかき氷を出してるからね。味にはちょっとうるさいんだ」
「なるほど。そういうことなら、昔と違がってちょっとがっかりさせちゃったかもしれません……」
老婆は軽くため息をつくと、店の奥から出て来た。
彼女は空っぽになった器をお盆に戻しながら、語り始める。
「去年まで、うちは大倉山の天然氷を使ってたんですよ。だけどちょっと事情がありまして、今年は製氷所の氷を使ってるんです。一応、これでも一番いい氷を仕入れたんですけどね。天然ものと比べると、やはりどうしても……」
「へえ。氷にそんな違いがあるんだ?」
「もちろんですよ。天然の氷は、一冬かけてじっくりと作られるんです。その分だけ、一気に凍らせる普通の氷よりも不純物が少ないんですよ。だから、固くて簡単には溶けないんです」
「固くて溶けにくいと、何か良いことがあるのか?」
顔に疑問符を浮かべながら、魔王が尋ねる。
氷の違いなど、彼にとってはささやかなこととしか思えなかった。
すると老婆の声が、不意にトーンアップする。
「ええ、もちろん! かき氷にする前に、ほんの少しだけ氷を温めるんですよ。そうすると、ちょうどいい温度のかき氷が出来るんです。でもこれは、溶けにくい天然氷じゃないとできないことでして。あと、固いと掻いた時にふわふわの食感に仕上がるんです!」
「そ、そうなのか……」
「ええ! 食べ比べると、その違いはすぐに分かりますよ! そうですよねえ、若菜ちゃん!?」
「え、私!?」
突然、話を振られて戸惑う若菜。
彼女は老婆の強い眼差しに、とりあえず頷きを返す。
「でしょう? やはり、天然氷を使えると一番なのですが……」
「……それほどに違うと言うのであれば、我としてもぜひとも食してみたいな。何とかならぬのか?」
「それはちょっと。うちに氷を卸してくれていた氷屋さんが、腰を悪くしてしまいましてねェ。今年は氷室まで氷を取りに行けないって。他の産地の氷を入れてもいいんですけど、距離の都合でどうにも。冷凍車で運んできてしまうと、再凍結してどうしても味が悪くなってしまうんですよ」
「なるほど、そういうことか。ならば、我が何とかしようではないか」
「え、ええ!? 何とかと言われましても……」
あまりにも突然の提案。
老婆だけでなく、その場にいた皆が魔王を驚きの眼で見やった。
若菜など、眼を飛び出さんばかりに見開いている。
だが、魔王はそんな皆のことなどお構いなしとばかりに、宣言した。
「安心するが良い、これでも大抵のことは何とかできるのでな。さあ、氷屋の住所を教えてくれ!」
「は、はい!」
魔王の勢いに押されて、住所録を引っ張り出してくる老婆。
こうして、魔王は問題の氷屋の元へと向かうのであった――。
いよいよ、本作の発売日と書影が公開となりました!
発売日は9月10日で、既にamazonさんなどで予約が始まっております!
書影は↓のページでご覧いただけますが、魔王様の渋くて気だるい雰囲気や美味しそうなうどんなど、絵師様には見事に描き切っていただきました。
渋い魔王様の姿を、ぜひぜひご覧になってください。
http://www.cg-con.com/novel/publish/4_str_gourmet.html