第二十八話 魔王の巨大料理
「魔王様――いや、エヴァネルというべきか。これはいったいどういうことか説明してもらおう」
冷え切った目をしたフォーストが、魔王の姿をしたエヴァネルに詰め寄る。
静まり返った会場に、カツカツと硬い足音が響いた。
――絶体絶命!
エヴァネルはとっさに何か言おうとするものの、上手く言葉が浮かんでこない。
情けない呻きだけが唇から洩れる。
「ま、魔王様はその……急用で席をはずしておられまして! 急遽、エヴァネルに代役を任せたのだ!」
エヴァネルに代わってベルーナが言う。
フォーストの眉が、ゆっくりと持ち上げられた。
彼は立ち上がったベルーナの顔を一瞥すると、薄く唇を開く。
「そういうことか。しかし、なぜそのようなことを? 出席できないならばできないと、素直におっしゃっていただければそれで良かったはずだ」
「魔王様は……そのだな。詳しいことは何も……」
歯切れの悪いベルーナ。
魔王がエヴァネルに跡を任せた理由は、彼女にもだいたい見当はついている。
単に「自身のミスが恥ずかしかった」ということであろう。
忘れ物を取りに異界へ赴くなど、皆に知られたくなかったに違いない。
かといって、フォースト卿はそれを素直に言って通じるような相手でもなかった。
「ベルーナ殿。事は重大なのだ、素直に話してもらおう。魔王様が魔界会議の宴を欠席なさるなど、何かあるに違いない!」
「そ、それは……!」
「……こうなったら、魔王様はいったい何をなされていたのか、お戻りになられたらすぐにお尋ねせねば! 事と次第によっては、魔界会議の新たな議題ともなりましょうぞ! のう!!」
吸血鬼族の族長が吠える。
フォーストを押しのけて前に出た彼は、手にした杖でダンッと地面を叩いた。
それに呼応して、何人かの吸血鬼族が声を上げる。
彼らの勢いにつられて、他の種族の一部までもが「魔王様はどうしているのだ!」と鼻息を荒くした。
会場全体に、のっぴきならない気配が満ちる。
「まあまあ、みんな落ち着くんや! 魔王様はすぐに戻られる、すぐにや!」
「そうです! あともう少しなのですよ!」
見かねたトネリとレンネットが、大慌てで場を鎮めようとする。
しかし、今となってはもはや後の祭りだった。
場の緊張感は時を追うにつれて高まり、物理的な圧力すら感じるほどとなる。
「どうすれば……!」
ヒートアップする周囲に、エヴァネルは顔をひきつらせた。
このままでは、魔王が戻ってきたところで会場が紛糾してしまう。
そうなれば吸血鬼族の思うつぼだ。
騒ぎが大きくなったところで事件を起こし、魔王に対して揺さぶりをかけるに違いなかった。
そんなことになれば、下手をすれば魔界が真っ二つに割れてしまう。
もしそうなれば、魔王と敵対した吸血鬼族にあるのは――破滅だ。
魔王城に住み魔王の強さを肌で感じているエヴァネルには、それが分かる。
いや、分かってしまう。
「みなさん、落ち着いてください」
涼やかな声が会場に響く。
皆が一斉に振り向けば、そこには台車を押すニスロクの姿があった。
彼女は銀色の髪を掻き上げると、呆れたような眼で周囲を見渡す。
「この程度のことで騒ぐなど、上級魔族らしくありません。魔王様のお帰りはすぐです、落ち着いて待ちましょう」
「しかしニスロク殿! 理由の説明もなしに、宴を欠席したというのは――」
「欠席されたわけではありません、少し遅れておられるだけです。料理を披露する時間が来るまでに戻ってこられれば、何の問題もないはずでは? 急用にて出席が遅れることなど、よくあることでしょう」
実にきっぱりと言い切るニスロク。
彼女のあまりに毅然とした態度に、さしもの族長も押し黙った。
確かに、料理を披露する時間までに戻ってくるのであれば大きな問題はない。
第一、単なる遅刻であれば族長自身も経験がある。
「……分かりました、そこまで言うのならば我々の土産物の披露がひと段落するまでは待ちましょう。それを過ぎても戻られなかったら、いいですな?」
「ええ。煮るなり焼くなり好きにするとよいでしょう。私も協力いたします」
そう言うと、ニスロクは不敵な笑みを浮かべた。
族長はフンっと鼻を鳴らしつつも、ひとまずその場を離れる。
あとに残されたエヴァネルは、力が抜けてしまってその場にへたり込んだ。
「……まったく。代役がばれてしまうとは」
「申し訳ありません、私が不甲斐ないばかりに」
「いえ、もともと今回の件には無理があったのです。悪いのはむしろ、魔王様の方でしょう。あとで言っておかないと」
瞳が怪しく輝く。
エヴァネルは彼女の様子に軽く引きつつも、頭を下げる。
「そう言ってもらえるとありがたいです」
「しかし、私が指導したにしては残念な結果となってしまいましたね」
「申し訳ありません」
「……まあいいでしょう。それよりも今は――」
スッと、ニスロクはエヴァネルの手を握った。
彼女はそのままエヴァネルを会場端の木陰へと連れ込む。
あまりに突然のことに、エヴァネルは何が何だかわからず、唖然と目を丸くした。
「な、なんです!?」
「耳を」
「は、はい……」
言われるがままに、エヴァネルはニスロクの方へと耳を傾けた。
すると――
「魔王様が戻ってこなかった時は、もう一度代役をお願いします。一度席をはずし、魔王様のふりをして戻ってくるのです」
「えッ!?」
「静かに。もう一度言います、魔王様が戻ってこなかった時はもう一度代役を」
「で、でも! 魔王様は戻ってくるんじゃ……」
「分かりません。あの方は割と自由人なので。時間を守らないことは結構ありますから」
実にあっけらかんとした様子で言ってのけるニスロク。
さっきの真に迫った言葉は、驚いたことに演技だったらしい。
そのことを悟ったエヴァネルは、見る見るうちに表情をこわばらせる。
「そ、そんな!」
「あの時はああでも言わない限り、場を落ち着かせることが出来ませんでしたからね。いざという時は、お願いしますよ」
「しかしそんな! もしもう一度失敗したら、大変なことに!」
「大丈夫です。あなたは、自分が思っているより出来る人のはずですよ。だって、あの魔王様が代役を任せられたのですから。期待を裏切ってはいけません」
そういうと、ニスロクはエヴァネルの肩をポンポンと叩いた。
らしくないほどに柔らかな笑みを浮かべた彼女に、エヴァネルは戸惑い、目をぱちくりとさせた。
そうして戸惑っているうちに、ニスロクは彼女の元から歩き去ってしまう。
「ニスロク様らしいと言えば、ニスロク様らしいですが……」
エヴァネルはへなへなと近くの植木にもたれかかると、魔法を解いた。
本来の姿へと戻った彼女は、髪を揺らしながら会場の中心へと戻る。
曇った表情を見せる彼女に、すぐさま他の姫君たちが駆け寄った。
「ニスロク様は、なんと?」
「いざという時は、私がまたやれって」
「それはまた……ニスロク様は、魔王様を本心では信用しておられないのか……」
「そうじゃない。魔王様を信じているからこそ、魔王様の信頼した私たちに期待を寄せているみたいよ」
「そうは言われても、二度目はさすがに厳しいわよ! やはり、魔王様が戻るのが一番だわ」
「魔王様、早く早く……!」
とてとてと足踏みをし、待ちきれない様子のヘルネス。
彼女につられるかのように、リリスもまたトントントンっとリズムを刻む。
その速いテンポには、たぶんにいら立ちが含まれていた。
やがて――
「続いては、吸血鬼族の土産物です!」
「もうこんな時間か!」
「まっずいわねえ!」
メイドの無慈悲なアナウンス。
焦った表情を浮かべる姫君たちの前に、巨大な御輿が担ぎ込まれた。
白銀に輝く鱗。
天を引き裂く蒼黒の角。
場を圧するホワイトドラゴンの威容に、にわかにどよめきが広がる。
「さあ、皆様ご覧ください! 我が吸血鬼族が威信をかけて捕獲した、最高クラスのホワイトドラゴンでございます!」
「おお!」
「素晴らしい!」
「量はたっぷりとございます。皆様どうか、ご堪能あれ!」
剣を思わせる巨大な包丁。
それによって次々とドラゴン肉が切り分けられ、会場全体へと行き渡っていく。
――あとほんの少し。
恐らく族長たちは、ある程度時間が経ったところで容赦なく次へ行こうとするだろう。
それまでに魔王が到着しなければ、また先ほどと同じになる。
エヴァネルは額に冷や汗を浮かべて周囲を見渡したが、やはり魔王らしき人影は見えなかった。
「……こうなったら、もう一度やるしかない」
決意を込めてつぶやくエヴァネル。
彼女は拳をぎゅっと握ると、それを胸に押し当てたまま会場から一時去ろうとした。
だがそこで、前のめりになった頭が誰かにぶつかる。
「申し訳――あっ!」
目に飛び込んできた顔に、エヴァネルはたまらず歓喜した。
わずか数時間ぶりであるが、懐かしさのあまり涙すらこぼれてきてしまう。
喉の奥から、感極まった声がこぼれた。
「魔王様……魔王様ッ!」
「うむ、ただいま戻った。それよりそなた……どうしたのだ?」
「魔王様が、全然戻っていらっしゃらないから……! 大変だったのですからね!」
そう言うと、エヴァネルは魔王の胸元に静かに顔を押し付けた。
魔王は何が起きているのかさっぱり自体を飲み込めなかったが、女が胸に飛び込んで来たらやることはひとつである。
肩に手を回し、細い体をしっかりと抱きしめてやる。
「……あッ!」
「エヴァネルさん、ずるいのですよ!」
「こ、これは……! みな心配していたというのに!」
エヴァネルの様子に気づいた姫君たちが、にわかに声を上げる。
それにつられて、会場に居た他の者たちも魔王の帰還に気づいた。
「魔王様!」
「お戻りになられたのか!」
「おお、魔王様ッ!」
あちこちで歓声が上がる。
予期しない出来事に、魔王は瞳を細めた。
いきなり抱き付かれたため思考停止してしまっていたが、そもそもエヴァネルが本来の姿でいること自体がおかしい。
魔王は改めて彼女の頭を見やると、額に手を押し当てて肩を落とす。
「……いったい、何があったのだ」
「それは私が説明いたしましょう」
「おお、ニスロクか」
いつの間にか、脇に控えていたニスロク。
魔王は頼もしい従者の姿に安堵するや否や、彼女の方へと身を寄せた。
すかさず、ニスロクは前に進み出て耳打ちをする。
「実は――」
素早く手短に。
流石は、長年に渡り魔王を支えて来た侍女というべきか。
ニスロクはものの三十秒で、これまでのあらましを魔王に伝えた。
事情を把握した魔王は、軽く鼻を鳴らすと背負った透明な筒を高々と掲げる。
中に入っていた黒い液体が、たぷんっと涼しげな音を立てた。
「皆、どうやら相当に待たせてしまったようであるな! だが、待たせただけの成果はあったと言おう! 異界にて入手してきた伝説の『中濃ソース』を、とくと味わうが良い! ……ではニスロク、あれを」
「はい!」
白くたおやかな指が、パチッと軽い音を響かせる。
たちまち会場の端から、メイド服を纏った一団が姿を現した。
彼女たちは額に汗しながら、声を合わせて巨大な台車を押してくる。
その上には、先ほどのホワイトドラゴンが丸ごと載せられるほどの鉄板が置かれていた。
おそらく、大人五人が楽に寝転がれるほどの面積があるであろう。
「うむ!」
「魔王様、こちらを」
「よし。タネの準備も万全だな」
鉄板がパーティー会場の中央に置かれたところで、魔王はニスロクから寸胴を受け取った。
さすがの腕力。
たっぷりと中身の入っているであろうそれを、魔王は実に軽々と持ち上げる。
彼は重い寸動を手にしたまま、ひょいっと鉄板の上に乗ってしまった。
そして――
「炎よッ!」
魔王が声を上げると同時に、鉄板の下から赤々と炎が吹き上がった――。
「ぬんッ!」
寸胴からこぼれた生地が、みるみる広がっていく。
熱く焼けた鉄板が、たちまち水分を沸騰させて滾るマグマのような音を響かせた。
魔王は生地をすべて出し切ったところで、ドラゴンの腕ほどもあるコテを高々と掲げる。
「とりゃッ!」
無秩序だった生地の形が、魔王のコテによって円く整えられる。
その動きは洗練されていて、円熟味すら感じられた。
この日のために、魔王はかなりの練習を重ねてきたようである。
「よし……やッ!」
ある程度生地が固まったところで、魔王はそれを一気にひっくり返した。
布団ほどもある生地が、轟と低い風切り音を鳴らす。
綺麗に半回転した生地は、そのまま崩れることなく見事に着地を遂げた。
「凄い!」
「流石は魔王様!」
拍手喝采。
魔王の見事な技に、参加者はみな歓声を上げた。
フォースト卿ですら、その技の見事さにパラパラと拍手をする。
魔王はどよめく客たちに応えるかのように手を振ると、すっかり焼き上がった生地を綺麗に切り分けていった。
「……マズイな」
吸血鬼族の族長が、ぽつりとつぶやく。
魔王の作り上げた料理の内容は、まったくもって彼の想定外であった。
これでは、まったくと言っていいほど隙が無い。
灼熱の鉄板に守られたような格好となって、料理に近づくことがまったくできないのだ。
ならば食器は――と思って視線を投げると、こちらはこちらでニスロクとメイドたちがしっかりと守りについていた。
食器に塗るルートもまず不可能であろう。
「……フォースト、いかがする?」
軽く舌打ちをしながら、フォースト卿を見やる族長。
するとフォースト卿は、どこか諦めたような顔をして笑う。
「どうしようもないですな」
「なんだと?」
「こうなってしまっては仕方ないでしょう。無理は禁物ですぞ」
「ぐ……臆病風に吹かれたか!」
族長はその場でつばを吐き捨てると、フォーストのポケットから小瓶を奪い取ろうとした。
だがその細い腕を、フォーストはグッと掴み取る。
「何をする!」
「腕が……細く成られましたな」
「何が言いたい?」
「父上も衰えられたということです。このあたりで、隠居なさってはいかがですかな?」
フォーストがそういうと同時に、数名の吸血鬼族が進み出て来た。
上手くいかなかった場合を想定して、事前に根回しは済んでいたようだ。
彼らが懐に武器を隠しているのを見て取った族長は、悟ったようにため息をつく。
「…………仕方あるまい。わしも、そろそろ年であるな」
「まあ、娘に任せても良いでしょう。少しはやる気を出したようですからな」
そういうと、フォースト卿はエヴァネルの方を見やった。
エヴァネルは頬を朱に染めて、鉄板の上で踊る魔王を見守っている。
その瞳の輝きは熱く、乙女を感じさせるものであった。
「そなたらも早く来るが良い! 冷めてしまうぞ!」
魔王の声が響く。
族長とフォーストは互いに顔を見合わせると、そのままゆっくりと魔王に向かって歩き出した。
やがてその鼻孔を、何とも芳醇な香りが満たす。
「これは……!」
「少し、酸味がありますな。だが香ばしい……!」
「こんなに腹がすく香りは、初めてかもしれぬ」
強まる香りに、自然と二人は喉を鳴らした。
そんな彼らに向かって、魔王は切り分けた生地を皿にのせて差し出す。
黒と白のソースが格子状に掛り、その上に木くずのようなものがたっぷりと載せられている。
何かと思って匂いを嗅げば、濃厚な魚介の香りがした。
「ほう、これは乾いた魚ですな!」
「そうだ、かつお節という。さ、早く食べるが良い」
「……では」
族長はほんの一瞬、ためらうものの食欲には勝てなかった。
魔王から手渡されたお好み焼きに、思い切りかぶりつく。
たちまち、濃厚なソースの味が口いっぱいに広がった。
「おおッ……!」
「旨いですな」
「うむ。これほどとは……!」
甘みと酸味、そして旨み。
黒くとろりとしたソースには、ありとあらゆる味がぎっしりと詰め込まれていた。
さらに、ふんわりとして優しい味わいの生地がその味をさらに引き立てる。
かつお節の魚介と白いソースのもたらすコクも、ベースとなる中濃ソースにベストマッチだ。
旨い。
文句のつけようがない。
大きく切り分けられたはずの生地が、あっという間に口の中へと消えていく。
「……勝てるわけがなかったな、フォースト」
「ええ」
完食し、敗北を認める族長。
フォースト卿もまた、それを肯定するようにうなずいた。
しかし、旨いものを食べたからであろうか。
二人の顔は晴れやかで、穏やかだ。
「魔王様、最高だ!」
「素晴らしいですわ!」
「旨い、旨いぞ!」
「流石は魔王様ッ!」
会場のあちこちから口々に魔王を讃える声が響く。
それは次第に大きくなり、やがて城全体を包むかのような大歓声へと変わったのであった――。
何とか、何とか仕上がりました……!
魔界会議編はこれにて終了です。
次回からはまた、日本での食べ歩き路線に戻ります。