第二十六話 魔界の大パーティー
「魔王様、お料理は期待しておりますぞ!」
空が昏さを増していく宵。
人々の集う魔王城中庭のパーティー会場にて。
顔を赤く染めたガーゴンが、会議の時とは打って変わって、気安い様子で魔王に話しかける。
まだ料理は出されていないというのに、既に酒を飲み始めているようであった。
大きく吐く息から、むせかえるようなアルコールの匂いがする。
「ガーゴン様、あまり酔わないようになさってくださいね。この場で酔いつぶれたら、恥ですよ」
「ははは! このガーゴン、ちょっとやそっとの酒では潰れたりはせぬわ! わしを潰したければ、樽を持って来い! 樽を!」
「……はあ」
呆れてため息をこぼすニスロク。
その後ろでは、父親の醜態にたまらずトネリが額を手で押さえていた。
「魔王様も一杯どうですか? この酒は、なかなか行けますぞ?」
「我は遠慮しておこう。酒よりも血が好きなのでな」
「血?」
ガーゴンのオウム返しに、魔王の口が強張る。
脇に立つニスロクが、すかさず魔王の足をヒールで踏んだ。
痛みにハッとした魔王ことエヴァネルは、すかさずごまかしに入る。
「う、うむ。我も吸血鬼族に習って血を飲んでみたら旨くてな。そなたも、後で飲むか?」
「せっかくのお誘いですが、それはさすがに遠慮いたしますぞ。血の美味さだけは、よくわかりませんからな!」
「そうか、それは残念だ」
「ところで魔王様……ちと、お耳に入れたいことが」
そういうと、ガーゴンは急に魔王との距離を詰めた。
とぼけたような赤ら顔が、急に真剣身を帯びる。
上級魔族にふさわしい威圧感が、スッとガーゴンの身体から沸き上がった。
突然のことに、魔王に化けていたエヴァネルは筋肉を石化させる。
「……何用だ?」
「吸血鬼族のことですが、やつらどうにもここで騒ぎを起こそうとしているようでございます」
「騒ぎだと?」
「はい。どうやら連中は、土産に何かを仕込んでおるようです。それがどのような代物かまでは分かりませぬが、食さぬ方が良いかと。今年も、順番は変わらないのでしょう?」
「ああ、そうだが」
「連中のことです、おそらくはすべての責任を魔王様のせいにするに違いありません! 即刻、このことを皆に言わねば!」
ガーゴンの言葉に、エヴァネルは顔を硬直させた。
どこで情報を仕入れて来たのかわからないが、ガーゴンは吸血族の企みにほぼ気づいているようだ。
彼女は周囲を伺うと、すぐさま耳打ちをする。
「待て! このこと、他の者には言ったか?」
「いえ、証拠がございませんゆえ」
「そうか。どこで知ったのかは知らぬが、この事態は我が処理する。良いな?」
「魔王様直々に、でございますか」
「そうだ。我が内々に始末をつける」
そういうと、エヴァネルは有無を言わせぬ強い視線でガーゴンを見やった。
さしものガーゴンも、魔王の意向には逆らえない。
彼は深々と頭を下げると、そのまま身を引く。
「ふう……疲れる」
ためいきをついたエヴァネルは、一旦、パーティー会場の端へと移動した。
彼女はそのまま近くの壁にもたれかかると、肩を回して筋肉をほぐす。
慣れない術を使い続けているせいか、もはや全身が石のようだ。
「おじいさまの考えていることは分かるけど……」
教えられているわけではないが、エヴァネルには吸血鬼族の族長、すなわち自身の祖父が何をやるかの見当は大体ついていた。
土産物に毒を仕込んで会場を混乱させ、その責任を魔王になすり付けるつもりなのだ。
魔界会議は四年に一度の重要な会議。
そこで問題が発生したとなれば魔王政権に対して結構な打撃を与えることができる。
その隙に支持を拡大し、勢力をもっと大きく――といったところなのであろう。
もちろんそのままでは土産物を出した吸血鬼族に責任が及んでしまうため、当然のことながら仕掛けがある。
遅効性の毒物を用いて、吸血鬼族が土産を披露した後、すなわち魔王の料理が饗されるタイミングで毒の効果が現れるようにするのだ。
こうして場が混乱したところで、吸血鬼族の誰かが魔王の料理にこっそりと毒を仕込み、すべてを魔王のせいにするという計略だろう。
吸血鬼族はその性質上、血を介する毒については極めて詳しい。
多少調べられたところで、ばれないようにことを運ぶのは容易なはずだ。
「問題は、誰が毒を持っているか……ね」
土産物に仕込まれる毒については、実のところ、エヴァネルはあまり心配していなかった。
現状、魔王の支配体制は盤石であり、魔王がこのパーティーの参加者を殺す理由などない。
むしろ、そのような事態になれば他の参加者の誰かが疑われることであろう。
魔王の下で団結しているように見せかけてはいるが、各血族の中はあまりよろしくはないのだから。
そこを考えると、殺すところまで行ってしまうとマズイ。
おそらくだが、毒は性質の悪い食あたりに見えるぐらいの量で調整されるはずだ。
あくまで、食べ物に含まれていた自然毒を装うのである。
それより問題は、誰が魔王の料理に毒を仕込むかということだ。
魔王の料理の材料はいま、ニスロクがしっかりと守っている。
毒が事前に仕込まれる心配は、ほとんどないだろう。
誰が毒を持っているのかを事前に察知し、取り上げてしまえばすべては内々に処理できる。
魔王の味方をしたいが、吸血鬼族の姫でもあるエヴァネルにとってはそれが最良の展開だ。
「とはいったものの、難しい」
会場を見渡すと、黒い翼の生えた男女の姿がちらほらと飛び込んでくる。
吸血鬼族だけでも、その参加者数は十名を超える。
全員を調べるのは限られた時間の中では不可能に近いし、調べるための口実もない。
ことがばれてしまっては、元も子もないのだ。
自体の難解さに、エヴァネルはたまらず頭を抱える。
その時であった。
「魔王様、背中にゴミが!」
「え?」
不意に、リリスが話しかけて来た。
慌ててエヴァネルが背中に手を回すと、肩甲骨のあたりが出っ張っている。
術が解けて、翼が出かかっている証拠であった。
「あ、危なかった……。ありがとう」
「ありがとうじゃなくて、そこは『すまぬな』でしょ? 魔王様らしくしてないと、ボロが出るわよ」
「あいわかった」
「そうそう。やればできるじゃない」
リリスにそう言われて、エヴァネルは思わず苦笑した。
魔王らしい態度を習得するために、ニスロクからどれほど絞られたことか。
その厳しさと言ったら、思い出すだけでも身が縮むようだった。
「いざとなったら、我々がフォローするのだがな」
「頼ってくださいなのですよ!」
「ま、救い料としてあとでお小遣い頂くさかいな」
さらに続けて、トネリたちが姿を見せる。
いつもはいがみ合っている姫たちであったが、今日ばかりは頼もしく思えた。
何だかんだ言っても、立場を共有する者同士で通じ合うものがあるのだろう。
仲間の登場に気持ちの軽くなったエヴァネルは、笑いながら言う。
「ありがたい。今日ばかりは、皆の世話になるとしよう」
「ははは、こらホントの魔王様みたいやなあ」
「ニスロク殿の指導が良かったのであろうな。なかなか、堂に入っているではないか。もっとも、魔王様にある強者としての――」
「それでは、皆様お待ちかねの土産物の披露でございます」
ベルーナが語りだしたところで、メイドの一人が声を張った。
それに応じるかのように、待ってましたの声があちこちで上がる。
「おっと! いよいよ、土産物の披露が始まってもうたか……」
「魔王様、お帰りが少し遅いですね」
「さ、流石に最後までには帰ってくるわよ」
「魔王様は約束を守るお方ですわ。信頼して大丈夫ですわよ……」
予想以上に時間が経過していたことに、動揺する姫たち。
一方で、魔王に化けたエヴァネルはいよいよ時間がないことに冷や汗を流す。
出来ることならば、魔王が帰ってくるまでにすべての始末をつけてしまいたいところだ。
「……あと、一時間ぐらいか」
エヴァネルにとって、いよいよこれが正念場であった――。