第二十五話 魔王の居ぬ間に
「やれやれ。一日目は、どうにか乗り切ったと言ったところだな」
「お疲れ様です」
「体のあちこちが凝ってしまった。湯あみでもしたいところだ」
椅子にどっかと腰を下ろすと、首を回す魔王。
もともと色白な肌が、いつもよりもさらに白みを増していた。
銀髪の艶も、心なしか失われているように見える。
魔界の重鎮たちと顔を突き合わせての会合は、普段自由人として行動している魔王にはやはりどうしても堅苦しいのだ。
周囲の視線を意識して「魔王らしく」ゆったりと座っているだけで、全身の筋肉が疲れてしまう。
「残念ですが、本日の夜は皆様揃っての食事会でございます。魔王様の料理は、当然ながら宴の目玉でございますよ」
「ああ、そういえばそうであったな……」
「今思い出したような風ですね? あんなに前から準備をしていたというのに、お忘れだったのですか?」
「そのようなことはない。だが、どうにも疲れていてな。意識から外れていたのだ」
「それを忘れると言うのです。準備は大丈夫ですか? 万が一にも――」
「分かっておる。昨日のうちに、きちんと支度はしておいたのだ。あとは会場で調理をするのみ、全く問題はない」
疑わしげな顔をするニスロクに、はっきりと告げる魔王。
料理に必要な材料などは、既に若菜と協力して準備済みである。
何度もチェックしたので、万に一つの漏れもないはずだった。
「ならばよいのですが」
「そなたは少し心配しすぎだ。もう少し、我のことを信用しても良いのではないか?」
「魔王様の言うことをいちいち信じていては、魔界は回りません」
「……さり気なく酷いことを言う」
ニスロクの言葉に、さしもの魔王もショックを受ける。
言葉の剣で胸を突き刺されてしまったかのように、ビクッと背中を逸らせた。
しかし、自分がだらしないことぐらい魔王にも自覚はあった。
彼はすぐさま立ち直ると、一応、忘れ物がないかどうかをチェックしに厨房へと向かおうとする。
するとここで、部屋のドアが開いた。
「魔王様……その……」
「エヴァネルか。どうした?」
「少し、お話したいことがありまして」
ドレスの裾を引きずりながら、エヴァネルはゆっくりと部屋に足を踏み入れる。
うつむき加減に光るその目は、何か強い決意を秘めているようであった。
――これは、普通ではないな。
エヴァネルのただならぬ気配を察した魔王は、すうっとニスロクの方に手を伸ばす。
「すまぬが、少し出てくれ」
「かしこまりました」
ニスロクを部屋から出すと、魔王は改めてエヴァネルと向き合った。
ひどく真面目で、重苦しい空気が漂う。
やがてそれに耐えかねたように、エヴァネルが薄く唇を開く。
「実は魔王様。その……ですね!」
「なんだ」
「お父様やおじいさまが、魔界会議に……良からぬものを持ち込んでいるかもしれないのです」
「良からぬもの?」
「はい、おそらくは――」
エヴァネルが何事か言おうとしたところで、魔王の胸元が光った。
魔王は「しばし待て」と手のひらでエヴァネルを制止すると、光の源である魔石をポケットから取り出す。
「これは、あちら側から念が送られてきているのか? ううむ、念じられるようなことを果たして我は……しまった、あれを忘れておったか!」
「魔王様、どうなされたのです?」
「少し、異世界に忘れ物をしてしまったようでな。あれが無ければ、『お好み焼き』が完成せぬ!」
「異世界に忘れ物、でございますか」
「うむ。だが困った、流石に異世界へ行くとなると小一時間で戻ってくるのは……」
異世界に行くためには、膨大な魔力が必要である。
行きと比べれば帰りの魔力はかなり少なくて済むのだが、それでも多少の力は必要だ。
魔力を回復させる暇もなく行ってすぐ戻ってくることは、流石の魔王でもいささか厳しい。
かといって……『あれ』無しのお好み焼きなど、ただの小麦粉焼きだ。
「エヴァネルよ」
「はい!」
「我はしばし、異界へと出かけて参る。それまで、我の不在を上手くごまかしてはくれぬか?」
「ご、誤魔化す!?」
「そうだ。そなた、変化の魔法が使えたであろう?」
「それはそうですが……」
吸血鬼族は変化の魔法を使うことができる。
もともとは人型から蝙蝠へと変化するために用いるものだが、他のモノや人物への変化ももちろん可能だ。
けれど、自由自在に変身出来るのは一部の熟達した者のみ。
エヴァネルにはそれほどの自信はなかった。
「自信がないか?」
「はい……。私、族長の娘としてはその……上手く出来ますかどうか」
「ならば、アメルよ。そなたも手伝ってやれ」
不意に、部屋の入り口付近を見つめて言う魔王。
その声に追い出されるようにして、扉の陰からアメルが姿を現す。
予想外の人物が登場したことに、エヴァネルの目がみるみる丸くなる。
「アメルさん!? どうしてここにいるのです!?」
「いや、その……せっかくのパーティーですから、魔王様を事前にお誘いしようと思っただけですわ」
「誘いか。そなたのことだから、大方、ダンスではなくそちらの誘いなのであろう?」
「その通りですわ。パーティーに行く前に、私とベッドの上で踊りませんこと?」
「聞いて居たであろう。今はそのようなことをしている場合ではない。我が居ない間、不在を上手くごまかしてくれ。他の者たちも協力してな」
魔王は再び扉の方を見ながら、語り掛けるように言う。
その声にほだされるようにして、五人の姫が部屋になだれ込んできた。
まさかの全員集合である。
互いに互いの来訪を知らなかったらしい姫たちは、微妙な空気を漂わせながら見つめ合う。
「あなたたちまで……! みんな、考えることは同じということですわね」
「ふん、誰があんたみたいな色ボケと同じよ! 私はただ……魔王様を、ダンスにでも誘おうかと思って」
「私は食事」
「私は、魔王様から剣技のご教授でもいただこうかと」
「私はえーっと、えーっと……」
「もう、みんなただ魔王様を独占したかっただけじゃありませんの!」
アメルの言葉に、一同は引きつった笑みを浮かべた。
いろいろと口実をつけてはいるが、結局のところ、みな魔王と二人きりになりたかっただけなのである。
他の姫たちを出し抜き、パーティーで魔王を独占するつもりだったのだ。
「まあ良いではないか。こうして集ったのだ、我のために働いてくれるな?」
「魔王様がそういうのなら……まあ」
「私も、働くことに異存はありません。だが、上手くいくのでしょうかか? 今回のパーティーに集っているのは、魔界屈指の実力者たちばかりですぞ。彼らの眼は節穴ではありませぬ」
「それならば、私も手伝いましょう」
「わッ!?」
いつの間にか、ニスロクが皆のすぐそばに立っていた。
その神出鬼没さに驚く姫たちをよそに、彼女は懐からスッと緑に輝く魔石を取り出す。
「この魔石には私の魔力と術式が刻まれております。これを変化魔法と合わせて用いれば、姿かたちはひとまず誤魔化せるでしょう」
「ほう、さすがだな」
「ただ、立ち振る舞いまではどうしようもありません。こればかりは、本人がぼろを出さないように気を付けていただきませんと」
そういうと、ニスロクは目を細めながらエヴァネルの顔を見やった。
訝しげなその視線の鋭さに、エヴァネルの頬が軽く引き攣る。
「き、気を付けます!」
「うむ、では頼んだぞ。行って参る」
「早めの帰還をお願いいたします。皆様にお出しする料理は、我々ではどうしようもありませんので」
「わかっておる。我が料理を出すのは、一番最後であったな?」
「はい。皆様のお土産が一通り披露された後でございますね」
「わかった。では――」
魔王はマントの裾から手を出すと、銀の指輪を高く掲げた。
たちまちのうちに濃密な魔力が魔王の身体を取り巻き、覆い尽くしていく。
うねる魔力がにわかに光を帯び、たちまち魔王の身体が光の衣に隠された。
やがて「ビョウ」と荒々しい風が鳴るような音が響き、魔王の姿が消失する。
「行ってしまわれましたわね……」
「とにかく、今は魔王様の不在を誤魔化すことが重要だな。エヴァネル、術を」
「わかりました」
エヴァネルは瞳を閉じると、意識を集中させる。
魔力が空中でスパークし、火花が散った。
やがて彼女を中心として緋色の魔法陣がいくつも展開され、塔を造るように重なり合っていく。
それに華奢な全身がすっぽり包まれた時、発光。
光が部屋中を覆い尽くし、世界が白くなる。
しばらくして、網膜を焼くような光の洪水が収まると、その場には黒マント姿の魔王が立っていた。
「そっくり」
「見た目的には、ほとんど変わらないわねえ。素敵だわぁ」
「あ、ありがとうございます。どうやら、上手く術がかかったみたいです」
「そのしゃべり方はいけませんね。もっと、魔王様に似せてください」
ちょっぴり、とげのある物言いをするニスロク。
翡翠色の瞳が、矢じりのように細まってエヴァネルを睨んだ。
猛禽を思わせるその迫力に、エヴァネルは肩を軽く震わせると、小刻みにうなずく。
「そ、そうじゃな! 魔王様に似せねばならんのじゃ!」
「魔王様はそのような爺臭い言葉遣いはなされませぬ」
「そ、そうなのですか!? えーっと、じゃあ……吾輩がこの光亡き魔の世界の覇者、魔王であるぞ! ……こんな感じですか?」
「魔王様の一人称は我です。吾輩ではありません。あと、そこまで大仰な言い回しも好まれません」
ダメダメとばかりに、首を横に振るニスロク。
彼女は動揺するエヴァネルや他の姫たちを見やると、軽く肩をすくめる。
「あなた方、あれだけ求愛しておきながら魔王様のことを全然見ていませんでしたね?」
「そ、そんなことないわよ!」
「そうだ、我々は魔王様のことはキッチリと見ているぞ! ただ……忘れっぽいだけだ!」
「……まあいいでしょう。これから一時間で、エヴァネル様がきっちりと魔王様を演じられるようにして差し上げます。他の方々にも叩き込みますので、覚悟くださいね?」
そういうと、ニスロクは得体の知れない笑みを浮かべたのであった――。