第二十四話 魔界会議、開催!
「どうやら、各血族とも順調に揃いつつあるようだな」
テラスに立ち、城下を見下ろす魔王。
その視線の先には、各血族の者たちが建てた無数の天幕があった。
普段は荒涼とした大地の広がる魔王城の城下に、わずか数日のうちに町でもできたかのようである。
魔界会議に参加する各血族の代表者は、約百名ほど。
だが、伴の者まで含めればその数は数千にも及ぶ。
広大な魔王城と言えども、流石にそれほどの人数を収容すると手狭になってしまうため、位の低いものはこうして外に滞在するのが常だった。
「いつみても、この光景は憂鬱になる」
「そうでしょうか? この熱気、私はそれなりに好きでございますが」
「嫌がおうにも、会議が近づいていることが分かってしまうのでな」
「そのようなことをおっしゃらないでくださいませ。魔界の将来を決める大事な会議でございます」
引き締まった表情でそう言うニスロク。
一方の魔王は、あくびを一つついて気だるい表情を見せる。
「族長連中が、適当に喚くだけのあの会議がか。結局、最後は我の意見に従って終わりではないか」
「魔王様は絶対君主でございますから。最終的にその御意向に従うのは当然のことです」
「ならば、会議など開かずともよい」
「そういうわけにも行きませぬ。魔界会議は、重要な社交の場の一つですゆえ」
「社交……か」
ますます、渋い顔をする魔王。
プライドの塊で、付き合いにくいことこの上ない代表者たちと和やかに会食したりダンスをするなど、彼にとっては面倒事以外の何物でもない。
頑強なはずの胃が、キリリと痛む。
「はあ……早く終わってほしいものだ」
「そんなにがっかりした顔をなさらないでください。もう少しシャキッとしていただかないと、魔王様の威厳に関わります」
「そういうそなたは、随分と元気だな?」
「はい。魔王様のお料理が、ようやく食べられますからね」
どことなく、含みのある口調で言うニスロク。
魔王に向けられたその視線は、非難めいたものを含んでいた。
料理対決が結局成立しなかったことを、責めているようだ。
「せいぜい期待しておくが良い」
「言っておきますが、並の料理では駄目ですよ? 散々ハードルを上げて、不味かったりしたら……」
「承知の上だ。安心しておけ、我もあれからいろいろと準備したのだ」
「そういえば、昨日も異世界へ行かれましたね。また新たな料理を?」
「それとは少し違うのだがな。期待しておくが良い」
眼元を歪め、愉しげに笑う魔王。
緩んだ口元からは、たっぷりとした余裕が感じられた。
若菜から直伝された、様々な技。
それらを駆使すれば、特製お好み焼きがさらにおいしくなることは確実である。
その味を想像しただけで――
「魔王様、お口元が」
「おっと!」
「……その調子であれば、味の方は問題なさそうですね」
「すまぬな。我ながら、情けない」
「魔王様がそのような顔されるなんて、昔を思い出しますね」
懐かしそうに目を細めると、笑うニスロク。
彼女の頭の中では、魔王がまだ魔将軍と呼ばれていた日々の出来事が蘇っていた。
――思えば、あの頃の魔王様は素直でよく言うことを聞いてくれた。
ニスロクの瞳が、日向ぼっこをしている猫のように細まる。
魔王は彼女の考えているであろうことを察すると、気恥ずかしげに視線を逸らした。
「……昔のことなど、とうに忘れたわ」
「おやおや。ちょっとお顔が赤いですよ?」
「主をからかうものではない。だいたいそなた……ずいぶんと、恰好が派手ではないか?」
そういうと、魔王はニスロクの全身を見渡す。
いま彼女の着ているメイド服はいつもの物とは異なり、裾や袖に金糸が折りこまれていた。
さらに履いている靴も、いつもと違って高いヒールがついている。
デザインはそれほど違わないのだが、全体として高級感や華やかさが増していた。
主を立てるべく質素を旨とするニスロクには、何とも珍しいことである。
「舞踏会の席で、あまり質素なのも逆にどうかと思いまして」
「ほう」
「それに――」
不意に、執務室の扉が開く。
たちまちドレスを纏った七人の姫が、雪崩を打つように部屋へと入り込んできた。
その先頭に立っていた淫魔族のアメルが、これ見よがしにドレスのふくらみを持ち上げて言う。
「魔王様、わたくしのドレス姿はいかがでございましょう? 似合いますか?」
「ん? まあ、そうだな」
「釣れないですわねえ。ほら、もっとよく見てくださいまし」
そういうと、アメルは胸をグッと寄せる。
ドレスの縁から白い柔肉が溢れ、露出した谷間が思いっきり強調された。
並の男ならば、興奮しすぎて逆に気絶してしまうほどの色香が溢れる。
しかし魔王は、煙たげに眉をひそめた。
「あまり下品なドレスを着るでない」
「げ、下品……! そ、そのようなことは……」
「ははは、確かにそうだな! 魔王様の言う通りだ、露出すればいいと言うものではない!」
いつの間にか脇に立った龍神族のベルーナが、アメルの身体を笑いながら小突く。
碧のロングドレスを纏った彼女は、アメルとは対照的にほとんど肌の露出はなかった。
しかし、細身で引き締まったデザインのそれは、恵まれたボディラインをこれでもかとアピールしている。
「あなただって、人のことは言えませんわよ! なんですの、その卑猥なデザインは!」
「卑猥!? そなたにだけは言われたくないな! 私の色気は健康的だ!」
「健康的というより、スタイルの割に色気がないだけ」
髪を掻き上げながら、さらりときついことを言う白狼族のヘルネス。
彼女の一言に、ベルーナの顔がにわかに赤みを帯びる。
「そ、そなたまでそのようなことを! それを言い出したら、そなたなどまるっきり凹凸がないではないか!」
「ん、私はこれでいい。完成されているから」
そういうと、ヘルネスは白いドレスの裾を上品に持ち上げて見せる。
その仕草は愛らしく、華奢な体型と相まって一幅の絵画のようであった。
本人の言う通り、一種の美として完成されている。
「ぐ……!」
「まあまあ、落ち着きましょうよ! それより魔王様、どうですか? この日に合わせて、みんなドレスを新調したんですよ!」
「ほう」
七人の姫をさらっと見渡した魔王は、何とも気のない返事をした。
もともと、服や化粧などにはあまり頓着しない人種なのである。
姫たちが精一杯着飾ったところで、「綺麗なものだな」ぐらいの感想しか抱かなかったのだ。
「やっぱ、魔王様はそっけない感じやなあ。みんな精一杯おしゃれしとるんやから、もうちょい反応してくれてもええんやないか? 鼻血出すとか。なんなら、押し倒してもええんやで?」
「そのようなことはせぬ」
「またまたー。自分に素直になってもええって言うておるのに」
「……皆さま、そろそろ時間でございますじゃ」
扉を開けたマンモンが、わずかに顔を赤くして言う。
姫たちが艶やかに詰め寄るその光景は、年寄りにはいささか刺激が強すぎたらしい。
「もうそのような時間か」
「はい。すでに各血族の代表者たちは、玉座の間に集って魔王様の到着を待っております。姫様たちも、お支度を」
「うむ、相分かった。ではニスロク、マンモン。我の後についてまいれ」
「はッ!」
首を垂れるニスロクとマンモン。
魔王はマントを羽織ると、そのまま彼女たちを引き連れて部屋を出た。
その後を、しずしずと姫たちが付き従う。
さらにそこへ警備の騎士たちも加わり、たちまち魔界の覇者にふさわしい見事な行列が出来上がった。
先頭を行く魔王はそのまま廊下を抜けると、階段をゆっくりと昇り、巨大な扉の前へとたどり着く。
黒檀で造られたその扉は、金の飾り金具が備えられ、煌めくばかりの宝石で彩られていた。
その厚く頑丈な扉の向こうからは、ただならぬ熱気とざわめきが伝わってくる。
魔王の到着を待ちわびた魔族たちが、何やら騒いでいるようだ。
「ほう、我の登場を待ちわびておるようだな」
「今年の会議では、既に魔王様が珍しい異界料理を出すとの噂が流れておりますゆえ」
「まったく、みな食い意地の張ったことだ」
「魔王様とて、人のことは言えぬではありませんか。では、扉を開かせていただきます」
「うむ」
重量のある扉が、軽く軋みながらゆっくりゆっくりと開いていく。
やがてその隙間から覗いた魔王の姿に、玉座の間のが一気に高まった。
「魔王様ー!!」
「魔王様、万歳ッ!!」
口々に発せられる称賛の声。
それに軽々しく応じることもなく、魔王はただ静かに歩を進めていく。
やがて玉座の前に立った彼は、そのまま深々と腰を沈めた。
その両脇に、後からやってきたニスロクとマンモン、そして姫たちが侍る。
「待たせたな。では始めよう!」
「おおッ!!」
「堕天使族、龍神族、吸血鬼族、魔鬼族、邪精族、淫魔族、白狼族の代表よ。それぞれ我が前へ!」
覇気の溢れた魔王の声に応じて、各血族の代表者が玉座の前へと進み出る。
いずれも魔王には及ばぬものの、魔界を代表する七種の血族を治める長たちだ。
その気配たるや凄まじく、七人全員が揃えば大した迫力である。
一列に並び、首を垂れるその姿からはちょっとした軍にも匹敵する巨大な存在感が発せられる。
「表を上げよ」
「はッ!」
「会議の開催を宣言する前に、牙の儀式を行う。代表の者は、それぞれ身に帯びている武器を我に捧げよ」
魔王がそういうと同時に、脇に控えていたニスロクが黄金の台座を取り出した。
彼女はそれをもって代表者たちの前を回り、次々と武器を回収していく。
そして最後に魔王の前へとやってくると、武器の載った台座を恭しく差し出した。
「そなたたちの牙は、我が受け取った。我もまた、会議にて武を振るわぬことを誓い、牙を捧げよう」
魔王は腰に差していた魔剣エルルトースを高く掲げると、ゆっくり台座の上へと置いた。
――牙の儀式。
魔界会議の参加者たちが、魔王も含めて事前に武器を預ける恒例の行事である。
もともとは会議での暴力沙汰や暗殺を避けるために行われてきた実務的なものであったが、現在では「魔界会議において力の強弱は関係ない」という建前を強調するために行われている。
もっとも、実際のところは力こそ正義なのが魔界の常であるが。
「これで、我らの牙は抜かれた。これからは話し合いの時間である。魔界会議の開催だ!」
「おおーーッ!!!!」
歓声を上げる魔族たち。
アーチを描く天井を、音が幾度となく反響し、石壁が唸る。
今まさに、年に一度の魔族たちの宴が始まろうとしていた――。