第二十四話 料理対決!
「魔王様、これはどういうことでしょう?」
「料理対決をするのだ。それには、審査員が必要であろう?」
「それはそうですが、この方々というのは……」
そういうと、ニスロクは席に着いた七人の姫を見やる。
いずれも魔王の妃候補であり、意見を求められれば魔王の側に偏った見解を示すのが当たり前の人物たちだ。
料理対決の審査員としては、あまりフェアとは言い難い人選である。
「そなたの方から言い出したことなのだから、これぐらいは了承してほしいところだな。それに、この者たち以上に舌が肥えたものもそうそうおるまい?」
「それはそうでしょうが、あまりにも」
「ニスロクよ。そなた、もしかして自信がないのか?」
魔王にそう言われると、素直にはいとは言えないのがニスロクの性格である。
彼女はふっと息を吐くと、笑いながら言う。
「分かりました。魔王様がそうおっしゃるのであれば、この条件で良いでしょう」
「うむ、では早速開始だな」
「はい。まずは私の方から、料理を持ってまいります。しばしお待ちを」
礼をすると、一旦その場を離れるニスロク。
たちまち、静まり返っていた場がにわかに騒がしくなる。
「一体どのような料理が饗されるのであろうか?」
「あのニスロクさんのことですもの。きっと素晴らしいものだと思いますわ」
「私としては、魔王様の用意される料理にも興味あるわあ。魔王様、あのニスロクさんを相手にどんなのを料理しなはったん?」
興味津々といった様子で、魔鬼族の姫のトネリが尋ねる。
七人の姫たちは皆、彼女の声に合わせて魔王の方を見やった。
魔王はその視線に応えるように、微かに笑みを浮かべる。
「秘密だ。いま話してしまっては、おいしさが半減してしまう」
「少しぐらいええやないですか。なあ、レンネットはん?」
「そうですよ! 魔王様、教えてください!」
「そう騒がずともすぐに分かる。ほれ、ニスロクの料理が出て来たぞ」
魔王がそういうと同時に、ニスロクがワゴンを押して食堂に戻ってきた。
彼女はそのまま、姫たちの前に手際よく食器を並べていく。
あっという間に、豪華絢爛なフルコースがテーブル上に出現した。
「三つ目コカトリスのフルコースでございます。スープには邪眼を、前菜には卵を。そして、メインディッシュには最も貴重かつ美味とされるトサカ肉を用いました」
「おお、これは素晴らしい!」
「さすがはニスロクさん、わたくしでもなかなか食べたことがないような逸品ぞろいですわね」
思わぬご馳走の登場に、歓声を上げる姫たち。
一方、魔王は渋い顔をしてニスロクの方を見やる。
「三つ目コカトリスとは、そなたも随分と奮発したな? 本気で我に勝つつもりか?」
「ええ。勝負をするからには一切の手加減はなしでございます、魔王様」
「少しは、主を立てるということを覚えても良いと思うぞ」
「御冗談を。私は常に魔王様を最大限に尊重しております」
顔こそ笑っているが、ニスロクの声は普段よりやや低かった。
おそらく、魔王が異世界へと入り浸りになっていることを良く思ってはいないのだろう。
その目はいつになく鋭く、静かながらも強烈な気迫を感じさせる。
「では、皆様どうぞ。まずは前菜から食されてください」
「スープではないのか?」
「前菜からの方が、良いのですよ」
そう言って笑うニスロク。
彼女の言葉に従い、皆、サラダへとフォークを伸ばす。
「では、私はこの卵からいただくとしようか」
「見てるだけでよだれが出てきてまうわァ」
「あんまりがつがつ食べると、見苦しいですわよ?」
「まったく、これだから魔鬼族は。でも、おいしそうね」
互いに軽口をたたきながらも、和気あいあいと食事を始める姫たち。
何だかんだで、こういう時に限っては彼女たちの仲もそれほど悪くはないようである。
たちまち、称賛の声が口々に上がる。
「ふんわりとした卵とシャキシャキとした野菜のハーモニー! なかなか見事ですわ」
「野菜の苦みによって、優しい卵の味わいが引き立てられているのですゥ!」
「これは素晴らしい。この黄身の濃さは、コカトリスでなければ出せないな。濃厚過ぎて、口から旨みが溢れてしまいそうだ」
よほど旨いのであろう。
姫たちはある程度のところでおしゃべりをやめると、ひたすらにサラダを食すことに没頭した。
皆いずれも目が幸せそうに緩み、身体全体から力が抜けている。
その状態を見た魔王は無表情で、一番近くにあった皿からサラダを少し手に取って食べた。
たちまち、濃厚な卵の味わいと爽やかな野菜の風味が口いっぱいに広がる。
「ほう。これは確かに見事なものだな。とろりとした半熟の味わい、嫌いではない。だが……少し、くどくはないか? 野菜がやや、コカトリスの卵に負けているように思える」
「それは心配なく。スープをお飲みになってください」
「なるほど、あいわかった」
ニスロクの意図を察した魔王は、軽く微笑みながらスープを口に含む。
眼球から溶け出したゼラチン質のせいだろうか。
スープは微かにとろみを帯びていたが、その実、とてもサッパリとしていた。
舌に残りすぎた旨みがスープによって流され、心地よい清涼感だけが残る。
「良い組み合わせだ。考えたものだな」
「それほどでも。魔王様にお仕えする従者として、恥ずかしくない程度の料理の腕でございます」
「謙遜を。そなたの腕ならば、どこに出ても通用するであろうに」
「どこに出ても通用するようでなければ、魔王様の従者は務まりません。さて、皆さま。次はメインディッシュであるトサカのソテーを食べてください」
彼女がそういうや否や、姫たちはフォークとナイフを手に取る。
そしてそのまま、クリーム色の三角形をしたトサカのソテーへと手を伸ばした。
黒いソースが掛けられたそれは、皿の上に溶けて一部が透明な液体となっている。
コカトリスのトサカは、そのほとんどが上質な脂によって構成されている。
全身に蓄えられた栄養がぎっしりと詰まったそれは、魔界でも屈指の珍味とされていた。
下級魔族などは、生涯お目にかかることがないような品である。
「おお……! 上質な脂に、ソースの酸味があいまって……旨い!」
「良いですわね。これなら、脂っこいトサカでもたくさん食べられそうですわ」
「んー! 血との相性もばっちりです! 魔王様は相変わらず素晴らしい……!」
「まーた、エヴァネルは血をドバドバーっと……。ぶれへんなあ」
「まったく、たいした味覚音痴ですわね」
事前に用意していた血を、調味料代わりとばかりに容赦なくかけるエヴァネル。
その姿に呆れつつも、皆、フォークを持つ手は止めない。
口数も少なくひたすらに食べ続ける姫たちの態度は、その料理のおいしさをはっきりと示していた。
ニスロクは軽く目を細めると、満足げにうなずく。
「勝負ありましたね、魔王様」
「そうであろうか?」
「この様子を見て、勝算があるおつもりですか?」
「もちろんだ。それ……!」
魔王は背後のワゴンへと手を伸ばし、掛けてあったクロスを取ろうとした。
だがここで、突如として待ったが掛けられる。
「お待ち下され!」
「む、マンモンか。何用だ?」
「魔鬼族の方が、予定よりも早く来られまして。既に、城の外で面会をお待ちでございます」
「なぬ? 魔界会議まで、あと三日ほどはあるはずだが」
「それが……」
「すみませぬな、魔王様! いやあ、食い意地の張った我らとしては魔王城の食事が楽しみで楽しみで! つい、早く来てしまいました!」
後頭部を照れくさそうに掻きながら、ぬうっと大男がマンモンの後ろより現れる。
魔鬼族の長、ガーゴンだ。
彼のあまりの言い草に、魔王は思わず石化してしまって、すぐにリアクションが取れない。
代わりに、彼の娘であるトネリが口を尖らせる。
「父さん!? なんつー恥ずかしいことをしてくれるんや……!」
「おお、トネリ! 大きくなったな! ちゃんと、魔王様に気に入られるようにしているか?」
「しとるけど、父さんのそういう無神経さのせいで台無しや! さっさと、中庭から出て行ってくれへんか? 今はな、大事な食事の最中なんや」
「なに、食事!? 魔王様、わたくしにも少し分けてはいただけませぬか?」
「いや、そういうわけにはな。これは、お前たち対しては会議で披露しようと考えていたもの。ここで見せるわけにはいかぬ」
そういうと、魔王は取ろうとしていた布を再びしっかりとワゴンに被せた。
そしてそのまま、ワゴンを守るように立ち上がって言う。
「うむ。ガーゴンが来てしまった以上、今日のところは我の料理を出すのはやめておこう。済まぬが、魔界会議の当日を楽しみにするように!」
「え!? 魔王様、それでは対決になりません!」
「今はそれどころではないだろう。ガーゴンに料理を見せたらどうなるのか、分からんそなたではあるまい」
そういうと、魔王はいつの間にか当たり前のようにテーブルに着き、食事をむさぼっているガーゴンを見やった。
この状況で新料理など出そうものなら、あっという間に食べつくされたうえ、その内容をあちこち喧伝されてしまうに違いない。
人は良いのだが、ガーゴンというのはあらゆる意味で『声のデカい』男なのだ。
「というわけだ。では、我は一旦部屋に戻る。そなたたちも解散するが良い」
「魔王様? 逃げるおつもりですか!」
「逃げるのではない。当日になればわかる」
「お待ちください!」
ワゴンを押して、そそくさとその場を離れる魔王。
その後を追って、ニスロクもまた中庭を出ていく。
やがて取り残された七人の姫は、揃って未だに食事を続けるガーゴンを見やる。
「ちょっと、あなた何を考えていますの!?」
「そうよ! いくら魔鬼族の長とはいえ、事と次第によっては怒りますわよ!」
「いやはや、すまんすまん。邪魔をしてしまったようだな! これは失敬!」
そういうと、そそくさと席を立つガーゴン。
その大きな背中に、すかさずトネリが寄り添う。
彼女は耳元に顔を寄せると、そっと耳打ちをする。
「父さん、何しに来たん? まさか、ホントに飯が目当てってわけじゃあないよね?」
「……うむ。飯が目当てというのもあるが、それだけではない。ちと、吸血鬼族の動きが不穏だという話を聞いてな。少し、早めに参ったのだ」
「吸血鬼族が?」
「それは厄介」
そういうと、ヘルネスがじとーっとした目つきでエヴァネルを睨む。
それにつられて、他の姫たちやガーゴンもまた彼女を見やった。
容赦のない疑惑の眼差し。
普段は落ち着いているエヴァネルが、珍しく冷や汗を流す。
「私は、特に何も! 妙な行動などしては居ません!」
「あんたは良くても、あんたの一族は胡散臭いのよッ!! だいたい吸血鬼族って、バカみたいにプライド高いしね。そもそもいけ好かない連中だわ」
「珍しく意見が合うな、リリス。その点については同感だ。奴らときたら、もっとも高貴で力の強い一族である我ら龍神族を差し置いて――」
「ちょっと待ちなさい! 誰がもっとも高貴で力の強い一族ですって!」
「まあまあ、こんなところで内輪もめしないでくださいよゥ!」
レンネットはパンパンッと手を叩くと、睨み合いを始めたリリスとベルーナを強引に引き離す。
珍しく強い態度に出た彼女に、さしもの二人も渋々ながら身を引いた。
「……それで、本当にエヴァネルは何も知らないの?」
「いえ、本当に。ただ……おじいさまのやりそうなことならばだいたい見当が付きます」
「何をするつもり?」
「それは……言えません。確証が持てないうちから、我が一族の名誉を傷つけかねないようなことは申し上げることはできませんから」
「あんたねえ! 魔王様が危機に陥るかもしれないのよ!」
リリスがそういうと、エヴァネルは柔らかに笑みを浮かべた。
そして、薄く唇を開いて言う。
「それなら大丈夫でしょう。私、魔王様を信じておりますから」
「し、信じてる!? あんたが!?」
「これはまた……」
エヴァネルの言葉に、動揺する姫たち。
ここに集った姫は皆、何かしらの思惑がある者ばかりである。
ある者は一族の運命を背負い、ある者は己の栄達を欲し、ある者は魔王にやりきれぬ思いを抱き……。
純粋に魔王のことを考えている者など、実のところほとんど居なかった。
魔王が姫たちのことを良く思っていなかったのも、ある程度はそれを見透かしてのことなのである。
エヴァネルがこうも素直に「魔王様を信じております」などと言うのは、彼女たちにとっては予想外に過ぎた。
「いけませんか? 私、おいしいものを食べさせてくれる人は大好きなんですよ。だから、魔王様のことも『好き』なのです」
「まあ確かに。魔王様が食べさせてくれたケーキは最高だったわね……。あれを毎日食べさせてくれるなら……分からないでもないわ」
「言う通り、あれは至高の甘味であったな。リリスと同じことを言うのは癪だが、心を揺らされる気持ちはよくわかる」
かつてティーパーティーにて食した魅惑の菓子「ケーキ」に思いをはせながら、頷く姫たち。
その幸せそうな顔を見て、ガーゴンは唖然としながら言う。
「これは……魔王様の人徳ということですかな?」
こうして、魔王の評判がまた一つ予期しないところで広がっていくのであった――。