第二十一話 思いがけぬ戦い
「それは残念です。食材調達の準備もしっかりとしておりましたのに」
魔王城の厨房にて。
城に戻ってきた魔王の報告を聞いたニスロクは、やれやれと深いため息をついた。
魔界会議まで、あと一週間と少し。
既に、パーティーに必要な食材を調達するため、人員を魔界中に派遣してしまっている。
かかった経費ぐらい大した問題ではないが、いらないならば早めに言って欲しかったというのが彼女の本音だった。
金はともかく、人をあちこちに出すとなるとやはりいろいろと手間がかかるのである。
「すまぬな。我としても、魔界の食材を使うつもりだったのだが……調理法がまったくわからぬと言われてしまってな。それでは、レシピは無理だと」
「まあ、致し方ありません。人間界には流通していないものがほとんどでしょうから」
そういうと、ニスロクは背後のテーブルに置かれた『野菜』を見やった。
炎のような形――人間界の野菜で言うとレタスに似ている――をしたそれは、紫の葉を生い茂らせていて、中心部には捕食をするための口がある。
そこからヒョイッと影のようなものが伸びて、ニスロクの肩を掴もうとした。
それを手刀で切って捨てると、彼女は軽く顔を下に向ける。
魔界では一般的な野菜なのだが――これでは確かに、人間には調理できないだろう。
野菜の中心に引きずり込まれて、逆に食べられてしまう。
「しかし、異界の食材で作るとなれば期待も持てそうですね。どのようなものが食べられるのか、私も楽しみでございます」
「うむ、そのことなのだがな。実は金があまり……」
「ん? それはどういうことなのでしょうか?」
怪訝な顔をするニスロク。
魔界の主たる魔王が、金がないとは何事か。
城の宝物庫には、財宝の山が雪崩を起こすほどに蓄えられているというのに。
「あちらの世界では、こちらの金貨は使えなくてな」
「なるほど。では、宝石を換金すればよいのでは?」
「それも試そうとしたが、無駄であった。あちらの世界は何かと面倒なのだ」
ニスロクの額に、ますます深いしわが寄る。
それでは、魔王の所持金はほとんどないはずだ。
向こうに行っているのは一週間で三時間ほど、働いて金を得られるはずもない。
「大丈夫なのですか、魔王様? もし料理が揃わぬとなれば、大変なことになりますが……」
「それは大丈夫だ。協力者にしっかりと頼んでいるからな」
「もしかして、若菜とかいう小娘のことですか?」
「ああ、そうだ。あの者はいろいろと旨い料理を知っておるようだしな」
若菜の食べさせてくれた料理の数々を思い浮かべながら、魔王は舌なめずりをした。
その幸せそうな顔を見たニスロクは、ほんのわずかにではあるが目つきを鋭くする。
かすかにだが――嫉妬の色がうかがえた。
「魔王様、随分とその者のことを信頼しておられますね?」
「旨い飯を造る者に悪い者はおらん」
「……まさかとは思いますが餌付けされておりませぬか?」
ニスロクの指摘に、魔王の肩がわずかに動いた。
視線がスウッと、左右に走る。
唇も引き締まった。
どうにかポーカーフェイスを装おうとしているが――これでは、驚いたことはバレバレだ。
ニスロクは軽く肩をすくめると、再び大きなため息を漏らす。
「図星のようですね、魔王様。あなたは昔から……」
「まあまあ、良いではないか。我の決めたことだ」
「例えそうだとしてもですね……はあ。わかりました、魔王様がそうおっしゃるのであれば私にも考えがございます」
「ほう、どうするつもりだ?」
「対決でございます」
「……は?」
突然のことに、戸惑った声を漏らす魔王。
一方、ニスロクはそんな彼に畳みかけるように言う。
「料理対決でございます。私の料理とその若菜と申す娘の料理、どちらが美味しいか比べようではありませぬか。もし娘が勝てば、魔界会議にはその者のレシピと材料で作った料理を出しましょう。私が勝てば、私の作った料理を出させていただきます」
「そなた、本気か? 異界料理の美味さはそなたが良く知っておるであろう?」
「私とて、魔王様の従者を三百年務めた身でございます。そう易々とは負けませぬ」
ニスロクの言葉の端々には、妙なトゲがあった。
若菜に対するただならぬ敵意が感じられる。
一体なぜ、ニスロクは若菜に対してそのような感情を抱いているのか。
真意を測りかねた魔王は、眉をひそめてしかめっ面をする。
だがすぐに、得心してポンッと手を叩いた。
「そなた、まさか妬いておるのか?」
「妬くとは?」
「我が魔石を置いてきたこと、随分と苦々しい顔をしておったではないか」
「あれは、魔石のような貴重なものを誰とも知れぬ者に渡したからでございます。あの石だけで、城が建つほどの価値があるのですよ?」
そう言われて、魔王は渋い顔をした。
若菜に手渡した石は、魔界でもめったに見られないほどの高い魔力を秘めた魔石である。
魔王がコレクションしている中でも指折りで、ニスロクの言う通り、売れば城――いや、領地が一つ買えるような代物だ。
例え魔王といえども、見ず知らずの者に気前よくポンッと手渡すようなものではない。
魔王が若菜に対して『良からぬ感情』を抱いているとニスロクが疑うのも、無理はなかった。
「分かった、その勝負を受けるとしよう」
「ありがとうございます。では、私は予算無制限、相手はえーっと……四百円でしたか。ということで」
「なぬ……!? それはあまりにも不平等ではないか?」
「本番はこの条件なのです。これで私に勝てなければ、意味がないかと」
「それはまあ、そうであるが」
――あまりにも大人げない。
魔王はそう言おうと思ったが、ニスロクの背後に何か黒いものを感じてやめた。
余計なことを言えば、たちまち炎が燃え上がりそうである。
ニスロクは普段穏やかな女であるが、ひとたび怒りだせば魔王に次いで恐ろしいと称されるほどなのだ。
「とにかく、やっていただきます。私が認めない限り、料理は私が用意いたしますから!」
こうして若菜対ニスロクの料理対決が、若菜の知らないところで決定された――。
――○●○――
「そういうわけだ、私のメイドと戦ってくれ」
「えーっと、何がどうしてそうなった?」
数日後。
魔王から事情を告げられた若菜は、ほへっと顔に疑問符を浮かべた。
目を泳がせる彼女に、魔王は言い聞かせるように言う。
「どうにも、そなたの実力を信用していないようでな。あと、我が石を渡したことが気に入らないらしい」
「石って、前に貰ったやつのこと?」
「そうだ。あれは結構高いものなのでな」
「ふーん、だったら返そっか? 私、そんなにいらないし」
若菜はポケットに手を入れると、魔王から貰った魔石を取り出した。
魔王はそれを見やると、首を横に振る。
「取っておいてくれ。それがないと、我はそなたのもとに来られないのでな」
「わかったわ」
「それで、対決には何を出すのだ? やる前に、試食をさせてくれ」
「いきなりそれ? 食いしん坊さんだなあ」
早速食事のことを口にする魔王に、若菜はやれやれと肩をすくめた。
彼女はお茶を魔王に出すと、そのまま椅子に腰を下ろす。
「分かったわ、ちょっと待ってて。すぐ作るから」
「おお! して、何を造るのだ?」
「それは、あと少しのお楽しみ。四百円で作れそうなパーティー料理、いろいろと考えてたんだから!」
そういうと、若菜は台所から小麦粉を取り出したのだった――。