第十九話 魔王、地球外生命体と認識される
「な、なにやってんだッ!?」
魔王のやらかした行為に、若菜は頭の中が真っ白になった。
世間知らずだとは思っていたが、まさかいきなり剣を抜いてマグロを解体するとは。
気が遠くなるあまり、魂がスルッと口から抜けてしまいそうだ。
どこぞの傭兵だって、こんなワイルドな調理はしたことが無いに違いない。
ワイルドすぎて、このままではポリスマンが現れてしまうことだろう。
「しょうがないなあ!」
一応、あれでもコーヒーショップ葵の恩人である。
若菜はその場に千円札を置くと、全速力で魔王の元へと駆け寄った。
そして彼が自慢げに手にしている剣を、無理やりに腰の鞘へと納めさせる。
「む、何をする! 人間がこれに触れると危ないぞ」
「それどころじゃないよ! いきなりそんなもの出してさ、つかまりたいの!?」
「つかまる? 別に我は非法をした覚えはないが」
「現在進行形で、銃刀法違反だよッ!」
唖然とする客と職人にぺこぺこと頭を下げると、若菜はそのまま魔王を店外へと連れだした。
そしてそのまま人気のないところまで彼を引っ張っていくと、やれやれと大きなため息をつく。
魔王は自身の行動のどこが間違っていたのか分からず、盛大に首を傾げた。
「いったい、どうしたというのだ。それほど慌てて」
「あのね! 日本じゃ、街中で剣を持ってたりしちゃいけないの! 分かる!?」
「なぬ? 持っているだけでダメなのか?」
「そうだよ。そんなのちらつかせてたら、あっという間に警察を呼ばれちゃうよ!」
若菜の言葉に、魔王は愕然とした。
武器の所持が禁止されている国など、生まれて初めて聞く。
彼の常識では、服を着るのと同じぐらいの感覚で武器は持ち歩くものなのだ。
「馬鹿な、それではこの国の人間はどうやって己の身を守るのだ? この国にも、獣はおるのであろう?」
「獣って、こんな街中に動物なんて出やしないよ。田舎ならイノシシぐらいいるだろうけど」
「では、盗賊などはどうするのだ? こういった路地裏には、暴漢も出るであろう。そなたのような女子が丸腰で街を歩いていたら、昼でも瞬く間に捕まってしまうのではないか?」
呑気なことを言う若菜に、不安げな顔をする魔王。
しかしすぐさま、彼女はいやいやと手を振る。
「日本の治安はそこまで悪くないから! 特にこの辺なんて、犯罪が起きたなんて話はほとんど聞かないぐらいだよ。せいぜい、この間の地上げ屋さんがちょっと暴れてたぐらいかな?」
「むむむ……そんな地域、あり得るのか? 我の住んでいるところなど、人の女子が一人で歩けば瞬く間に襲われてしまうぞ?」
とことん納得のいかない魔王。
彼の住む魔界では、力の弱い者はあっという間に殺されてみぐるみをすべて剥がされるのが常識だった。
世紀末も真っ青の力こそ正義という世界なのである。
しかし、若菜はそんな魔王の言葉にいよいよ眉を顰める。
「……はあ、あなたってどこの国から来たの? いまどきそんなのは紛争地域ぐらいだよ」
「そうなのか。にわかには信じられぬが……」
「とにかく、日本で武器は出しちゃダメ! どこから出したのか知らないけど、それもさっさとしまう!」
「仕方ないな」
若菜に急かされて、魔王はしぶしぶながらも剣を魔法袋の中へと収納した。
剣が影も形もなくなったところで、若菜は周囲を見渡して警察が居ないことを確認すると、ほっと胸をなでおろす。
「まったく。あんまり騒ぎを起こしたら、もう手伝ってあげないよ?」
「それは困る。断じて困る!」
顔をプルプルとさせながら、必死の形相で否定する魔王。
この地の食に精通しているであろう若菜の協力を得られなくなるのは、是が非でも避けたかった。
「だったら、私の言うことをちゃんと聞いてね。……さてと、家に戻りますか。お寿司ほとんど食べられなかったし」
「そうだな。あのマグロとやらは実に惜しいが……またの機会としよう」
そういう魔王の口の端からは、堪え切れないよだれが少し零れていた。
あれだけ大きく、丸々と太った魚である。
脂がのって旨いであろうことは、見ただけでも明白であった。
まさに、逃した魚は大きい。
後悔しても遅いと分かりつつも、魔王はため息をつかずにはいられなかった。
その表情は昏く、勇者の大群が押し寄せて来たかのようだ。
「……そんなに食べたかった?」
「まあな」
「だったら、うちにお刺身があるよ。ほんとは、父さんのつまみ用に買ってきた奴なんだけどさ。今日は商工会の寄合に出るとかで、夜は急に出かけることになっちゃって」
「なぬ、あの魚が食べられるのか?」
身を乗り出し、ズイッと顔を近づける魔王。
あまりの剣幕に、若菜は嫌な冷や汗をかきつつもうなずく。
「う、うん。お寿司にするには、材料が足りないからちょっと厳しいけどね」
「構わぬ。あれが食べられるならば何でもよい」
「ははは、ホントに食べたいんだね。じゃあ、ユッケにしてあげる。スーパーで買ってきた安い奴だからさ、そうした方が美味しいと思うんだ」
「調理法はそなたに一任しよう」
腕組みをすると、よきにはからえとばかりに鷹揚な態度でうなずく魔王。
若菜は「よしっ!」とサムズアップをして見せると、彼の腕をわしづかみにする。
「そうとなったら善は急げだよ! さ、戻ろう!」
「うむ」
こうして数分後、二人は無事にコーヒーショップ葵の前まで戻ってきた。
葵はすぐさま魔王を連れて建物の裏へと回り込むと、住居部分の扉に手を掛ける。
すでに葵の父は家を出た後だったようで、扉には鍵がかかっていた。
電灯もすべて消され、真っ暗となっている。
葵はすぐさまカバンをひっくり返して鍵を探すが、入れていた内ポケットから落ちてしまったらしく、なかなか出てこない。
「あちゃー、昏くて家の鍵がどこだかわかんない……」
「これでどうだ?」
「サンキュ……ええ!?」
いきなり発光した魔王の指先。
非常識の連続に、さしもの葵も思わず目を見開いた。
彼女は白く染まる魔王の長い指を見ながら、言う。
「……もしかしてあなた、E○? さっきからいろいろとおかしいなーとは思ってたんだけど……」
「なんだ、そのイー何とかとは?」
「地球外生命体のこと。えーっと、要はこの星の生き物じゃないってことだよ」
「そうだな、おおむねではあっているか」
異世界人であるため、否定はしない魔王。
彼のその言葉に、若菜の眼がみるみる輝いていく。
思えば、不審な点が彼にはあまりにも多かった。
だがそれも、エイリアンだったとすればすべて納得がいく。
ポンと手を叩いた彼女は、実に生き生きとした表情を浮かべると、そのまま魔王の手を取ってピョンピョンと跳ねる。
「す、すごい! 私とうとうエイリアンと出会っちゃったよ! おめでとう私! おめでとう人類! ついに宇宙時代が始まるんだねッ!!」
「う、うむ。そうなるとよいな」
「よーし、待っててエイリアンさん! 私、人類を代表してすっごく美味しいもの作るから! 材料はスーパーの特売品だけど、最高のユッケを造って見せるから!」
グッと腕まくりをすると、ただならぬ気合を見せる若菜。
彼女は全身から燃え上がるようなオーラをたぎらせると、そのまま蝶番が千切れんばかりの勢いでドアを開き、大急ぎで台所へと消えていった。
魔王は軽くお辞儀をすると、ゆっくりその後を追う。
「よーっし! まずはマグロの下ごしらえからっと……」
台所につくと、さっそく身支度を整えて、早速料理を始める若菜。
いつの間にやら、エプロンを着て三角布を被っている。
その様子を、魔王はリビングから興味深げに観察していた。
テーブルに頬杖をつくその様子は、休日のお父さんのようである。
まだ葵家に来たばかりだというのに、相当にくつろいでいた。
この度胸こそ、魔王が魔王たるゆえんであろうか。
「さてと」
まずは、マグロのさくをユッケに手ごろな大きさに切り分けるところから。
刺身よりは小さく、たたきよりは大きく。
マグロ本来の食感が残る程度に、細切れにしていく。
良く磨かれた包丁が、筋にも負けずにスッスと軽快に身を斬り落とした。
続いて、今度はマグロをしょうゆをベースとした合わせ調味料に漬け込んだ。
数分後、身にしっかりと味が染みたところで風味づけのごま油を投入する。
それを軽く混ぜ合わせたところで、そこの深い皿によそい、ねぎとノリを散らした。
最後に、うずらの卵黄をマグロの山の中心に載せて完成である。
「できたっと!」
パンッと手を叩く若菜。
彼女は皿を手にすると、ズイッと魔王の前に差し出した。
予想外に早く現れた料理の姿に、魔王の口からと息が漏れる。
「ほう、早かったな」
「ユッケだからね。でも、合わせ調味料とかは結構こだわってるんだよ? ま、食べてみて。エイリアンさんにも満足してもらえるように頑張ったから!」
胸を大きく張ると、Vサインをする若菜。
エイリアンとは何のことか、魔王にはいまいちよくわからなかったが、とりあえず頷いておく。
彼は状況に流されやすいタイプであった。
「では……」
ゆっくりと箸が伸びる。
やがてそれが紅いマグロの欠片を魔王の口へと運んだ瞬間。
至福の笑みがこぼれたのであった――。