第十三話 魔王城のティーパーティー
薄日射す昼下がり。
魔王城の中庭にはテーブルセットが出され、七人の姫と魔王が席についていた。
白いテーブルクロスの掛けられた長テーブルの上には、数えきれないほどのケーキと紅茶。
銀食器の上に並べられた色とりどりのケーキは、さながら宝石のごとき姿で目にするだけでも美しい。
白いクリームの上に赤い果実の乗った、シンプルながらも美味しそうな三角のケーキ。
灰色を帯びた茶色の線が、積み重なって山となったようなケーキ。
黄色がかった白をした本体に、黒曜石のような色と艶を持つソースがかかった長方形のケーキ。
他にも種類はたくさんあり、いずれも見事な出来栄えだ。
「魔王様、これを私たちに!?」
テーブルに身を乗り出し、興奮した声を上げる淫魔族の姫アメル。
魔界の姫と言えども、これだけの菓子を前にするのは初めてのことであった。
その目はいつになく輝いていて、純真無垢な少女のようである。
普段の妖艶な印象からは、かけ離れた姿だ。
「そうだ。ここにあるものすべて、そなたたちのために用意した」
「これほどのものを一日でご用意なさるとは、流石は魔王様! 私どもに関心を寄せてはおられぬのかと思っておりましたが……安心いたしました。ありがとうございます」
そう言って頭を下げたのは、龍神族の姫ベルーナであった。
彼女の後に続いて、七人の姫全員が胸に手を当てて頭を下げる。
魔界式の優雅な挨拶だ。
「うむ、では茶会を楽しむが良い」
「はーい! ほな、どれからいただきましょか……アカン、よだれが溢れてまう!」
「すっごいですねえ! あー、どれにしようか迷ってしまいますゥ!」
興奮した声を上げるのは、魔鬼族の姫トネリと邪精族の姫レンネット。
二人は自分たちの取り皿にすぐさまケーキを満載すると、猛烈な勢いでぱくつき始める。
相当口にあったのであろう。
スプーンとフォークを持つ手が、シャカシャカと尋常でないほど手際よく動く。
その口からはうっとりとしたと息が時折漏れ、目には歓喜の涙すら浮いていた。
「へえ……。よっぽどおいしいのね。私も少し……」
おっかなびっくりと言った様子でケーキに手を伸ばすのは、堕天使族の姫リリス。
目の前に並んでいるケーキは、彼女たち堕天使族の故郷である天界にもない物であった。
まったく見たことのない異界の菓子というのは、果たしてどのような味がするのか。
恐る恐る、白い三角形の端をスプーンですくい取り――石化する。
「これは…………すっごいわ! なにこれ、超美味しい!」
口の中に広がる味わいの多様性。
その奥深さは、ただ甘ったるいだけの菓子しか食べたことのない彼女にとってはまさに衝撃的であった。
それまでのためらいが嘘のように、食べる食べる。
先に食べだした二人にも負けないほどの勢いに、隣にいた吸血族の姫エヴァネルもまたつられて皿に手を伸ばす。
そして、魔王の方を見やって言った。
「魔王様、血を頂けますでしょうか?」
「……菓子にまで血をかけるのか?」
「もちろんです! 我々、吸血族は血を愛する種族でございますので!」
そう言われてしまっては、言い返しようがない。
魔王が仕方なく手を叩くと、脇に控えていたニスロクがすかさず血の入った瓶を差し出した。
若い処女の血を魔界の瘴気の中でじっくり熟成させた、超一級品である。
……もっとも、血の味の違いが分かるのは吸血族ぐらいであるが。
「ありがとうございます、魔王様」
「あまりかけ過ぎぬようにな。せっかくの美味がわからなくなってしまうぞ」
「承知しております。『ほどほど』にとどめますので!」
そう言って魔王から瓶を受け取ったエヴァネルは、コルクを爪で引き抜くと、早速ケーキに血を掛けた。
瞬く間に、白い生地が赤く染まっていく。
やがてほとんどが紅くなったところで、ようやく彼女は瓶を傾けることをやめた。
彼女にとってのほどほどというのは、浸さない程度という意味らしい。
「……あんた、それで味がわかるの?」
「はい! 舌には少しばかり自信がございます」
「ホントですの? なんだか、どう見ても味覚音痴の人の食事にしか……」
食事の手を止めると、眼元を歪めて何とも微妙な顔をするアメル。
だが周囲の反応をよそに、エヴァネルは至極おいしそうにケーキを食べ進めていく。
「ああ……! 芳醇な血の味わいと上品な甘みの協奏曲! これほどの甘味をご用意されるとは、流石は魔王様! 舌が蕩けてしまいます……!」
「実況しなくていい、静かに」
エヴァネルをたしなめたのは、白狼族の姫ヘルネスであった。
彼女は先ほどから、ただひたすらにケーキをむさぼっている。
頬を膨らませたその様子は、誇り高き白狼というよりは可愛らしい子ネズミのようである。
騒がしくも順調に、茶会は進む。
店一つを買い占めて用意した大量のケーキも、あっという間に姫や魔王の腹へと収まっていった。
テーブルを埋め尽くすほどに並んでいた銀の皿が、次々と空になっていく。
やがて、それが最後の一つとなったところで――事件が起きた。
七人の姫全員が、殺到するようにフォークを伸ばしたのである。
「これは私のやで? 茶会が始まった時からずーっと、目をつけておったんや!」
「嘘おっしゃいなさい! だいたい、あなたは一番たくさん食べてるんですから、最後くらいはお譲りなさいな!」
「一番ってことはないで! レンネットの方が私よりも食べてるはずや!」
「な! そんなことはないですよゥ! 言いがかりは良してくださいです!」
「そのようなこと、もはや良いではないか。ここはもっとも高貴な姫である、この私が頂くとしよう」
ベルーナのフォークが、皆より少し前へと伸びる。
だがそれを、リリスが叩き落とした。
「あんたみたいな爬虫類がもっとも高貴って、笑えない冗談ね! 天界から来た堕天使族の姫である私こそが、もっとも高貴でかつ美しい姫に決まってるじゃない!」
「何を言うか! 祖先が魔界に来てからまだ二千年しかたっておらぬくせに!」
「龍神族なんて、歴史が古いだけでしょうが!」
「二人とも落ち着いてください! ここはひとつ、魔王様に決めていただいてはいかがでしょうか?」
黒髪を揺らしながら、落ち着いた声でエヴァネルが言う。
それに追随して、ヘルネスがコクコクと小さく頷いた。
――なるほど、その手があったか。
火花を散らせていた四人は、一旦矛を収めると、揃って魔王の顔を見る。
魔王の色白な肌に、みるみる冷汗が浮いた。
「……我が決めるのか?」
「お願いいたします。この中で、一番をお決めくださいませ」
「むむ……!」
――これは参った!
内心で白旗を上げた魔王。
こんな状況で誰が良いかなど、選べるはずもない。
しかし、選べないとも言えなかった。
魔王に向かって身を乗り出す姫たちの真剣なまなざしに、ドンドンと追い詰められていく。
ドラゴンよりも丈夫なはずの胃腸が、キリリと痛んだ。
「誰が……一番か……。うむ、しいて言うならば――」
「とうッ!」
魔王が重い唇を開いたところで、ニスロクがスッと前に出た。
彼女は掛け声とともに愛用のレイピアを突き出すと、残っていたケーキを貫く。
そしてそのまま空中へと放り投げると、超神速の斬撃でもって切り刻む。
綺麗な三角形をしていたケーキが、目にも止まらぬうちに七つに切り分けられた。
こうして出来上がったケーキの欠片は、姫たちの前に置かれた皿へと落ちていく。
――何という神業!
それぞれの大きさは完璧なまでに同じで、まったく狂いが無かった。
その場にいた誰もが、彼女の超絶的な剣技の無駄遣いにあきれるやら感心するやら。
変な感動を覚えてしまう。
「きっちり七等分いたしました。ですので、無益な争いはおやめくださいませ」
「……確かに、綺麗に七等分されてるわね。これじゃ文句の言いようがないわ」
「そ、そうだな。せっかくの良い機会だったのだが……致し方あるまい。皆で仲良く食べるとしよう」
「じゃあ、一足お先に! うん、うまー!」
勢いよくフォークを伸ばしたトネリ。
彼女に続いて、他の六人もまたケーキを口にする。
皆で同じものを食べるのは、やはり気持ちが良い。
七人の姫は揃って幸せそうな表情を浮かべた。
やがて食事を終えた彼女たちは、ぽつりぽつりと席を立ち部屋へと戻っていく。
こうして全員が居なくなったところで、魔王はふうっと盛大に胸をなでおろした。
「……やれやれ、助かったな。良い仕事だったぞ、ニスロク」
「従者として当然の務めを果たしたまでです。……ところで魔王様」
「なんだ?」
「先ほど、いったい誰の名前をおっしゃるつもりだったのです? やはりアメルさまかベルーナさまでしたか?」
酷く真剣な目で尋ねてくるニスロク。
魔王は椅子を傾けると、喉の奥で軽く唸る。
「そうだなァ、あの時は……やはりやめておこう。人に言うことではない」
「ずるいです、魔王様。私、夜も気になって寝られなくなってしまいます」
「気にするな、過ぎたことだ。それよりも、そなた向けのケーキを別口で確保してあるぞ。部屋に置いてあるから、戻って食べるが良い」
「上手くごまかされましたね?」
「言うな」
「ではせっかくのケーキがもったいないですので、頂いてまいります。誤魔化されたわけでは、断じてありませんから」
そういうと、一礼をして魔王の元を離れていくニスロク。
その足取りは、言葉の割には軽かった。
――相変わらず、素直になれぬ女だ。
魔王はふうっとため息をつくと、つぶやく。
「……もしあのまま、ニスロクと口にしていたらどうなったであろうな?」
魔王の小さなつぶやきは、誰にも聞かれることなく魔界の空へと吸い込まれていった――。
姫、いっぱい出し過ぎたような気が……!
これからは一気に出すのは少し控えます。
※追伸
そろそろ、日本側にもレギュラーが出るかも。
お楽しみに!