第十二話 まかないケーキと執事服
「ホントに、全部ですか?」
「ああ、すべて頂こう」
念押しをする店主に、魔王は深くうなずいた。
その目から漂うただならぬ気配に、店主は彼が本気であることを察する。
――他のお客さんの分が無くなるけど……どうせ来ないしなあ。
自分の店の悲しい現状を良く知る彼は、しばらく悩んだのち、気合を入れなおすように「よし!」と頷く。
「分かりました、その注文を請け負いましょう!」
「それは助かる」
「追加分はどれぐらい用意すれば?」
「そうだな、今出ている物をそれぞれ半分ぐらいずつ追加してくれ」
「そいつはまた、凄い量ですな! パーティーか何かで?」
店主の問いかけに、魔王は軽くうなずく。
持ち帰ったケーキをどう食べるかまでは考えが達していなかったが、パーティーというのも悪くない。
「うむ、そうだな。軽く茶会でも開こうかと思ってな」
「茶会ですか。あなた、もしかしてイギリス人?」
「イギリスジン? 良くわからぬが、少なくともこの国のものでないことは確かだ」
「やはり!」
店主の頭の中で「魔王=欧米人」の図式が出来上がる。
欧米と言えば洋菓子の本場。
きっと、目の前の男も舌が肥えているに違いない。
もしかしたら、これは大チャンスなのではないか?
これだけの大口注文を出すのだから、この男はきっと相当の金持ちのはずだ。
もしそれに認められれば――。
店主の妄想は次第に広がっていき、止まらなくなる。
「おい、店主よ。大丈夫か?」
「あ、ああ! すいません! テレビ局の対応をしてたら、つい!」
「てれびきょく?」
「な、何でもないですよ! では早速支度をしますので、しばらくお待ちください!」
そういうと、店主は店の奥へと引っ込んでいった。
が、数分としないうちに戻ってくる。
――準備にしては馬鹿に早いな。
魔王がそう思っていると、店主は大きな皿を彼に向かって差し出す。
銀色の蓋を外せば、たちまち茶色い渦巻きのような姿をしたケーキが目に飛び込んできた。
「これは?」
「少し時間がかかりそうですので、これでも食べてお待ちください。試作品のチョコレート・モンブランプリンです」
「ほう……」
「本来ならばお客様に出すケーキではないのですが、何もなしにお待ちいただくのも心苦しいので」
「あいわかった。して、どこで食べればよい?」
店の中はがらんとしていて、ケーキを食べられるような椅子やテーブルはなかった。
すると店主は、ドアの向こうを指し示す。
「外に、オープンカフェをしていた頃のテーブルセットが残っています。そちらで食べるとよいでしょう」
「そういえば、何かあったな。うむ、そこでいただくとしよう」
今日は天気も良い。
外で食べる甘味というのも、なかなか通であろう。
魔王は皿を手にしたまま器用に扉を開けると、外のウッドデッキに出る。
そして、置かれていた白いテーブルセットに腰を下ろした。
「さて……匂いは甘いが……どのような味がするのだ?」
落ち着いたところで、魔王はケーキにスプーンを刺した。
するり、とほとんど何の抵抗もなく先端が埋まる。
水を固めたかのような感触だ。
魔界に生息するスライムを、さらに柔らかくしたかのようでもある。
今までにはなかった感触に、魔王はやや戸惑いつつも、匂いに誘われて欠片をすくって口に入れた。
すると――
「…………おお!」
ため息が漏れる。
真っ先に広がったのは、ほのかな苦みであった。
奥深く、しっとりと舌に残るかのようである。
表面に掛けられていた、細い糸を束ねたような茶色い何か。
それがこの苦みを産み出しているらしい。
舌触りはほんのわずかにザラリとしていて、微かに渋みも感じられた。
甘い植物の実を潰してムース状にし、さらに苦い何かを混ぜ込んだようだ。
つづいて、訪れたのは甘味。
どこまでも奥行きがあり、まったりとした食感だ。
舌が蕩けるような錯覚すら覚える。
茶色い外側の内に秘められていた、黄色い物体。
外側がかすかにだがザラリとした感触があったのに対して、こちらはどこまでも舌触りが滑らかだ。
舌先で触れただけで、水に帰っていくかのようだ。
苦みと甘み。
内側と外側、それぞれが持つ食感の違い。
互いに互いが引き立てられて、味が無限に広がっていく。
自然と、魔王の口から感嘆のため息が漏れた。
やがてその身が自然と震えはじめ、魔力がこぼれ始める。
背中から発せられ始めた強烈なオーラ。
並の人間ならば相対するだけで冷や汗を流すであろうそれに、たちまち近くにいた者たちが魔王に注目を始める。
「な、なんなのこの威圧感……!」
「見なきゃいけない、そんな感じがする!」
「あ、あの人は何者……!」
向かいのケーキ屋の前に並んでいた人々が、自然と魔王を注視し始めた。
そんな中にあっても魔王は気にせず食べる、食べる、食べる!
スプーンを持つ手を一切とめることなく、モンブランを口に放り込んでいく。
大きすぎるほどであった茶色い山が、見る見るうちに切り崩されていった。
かなり重い甘味だというのに、あまりにも良い食べっぷり。
人々の喉が、いつの間にか鳴った。
「あのケーキ屋のケーキ、凄くおいしいんじゃない?」
「隠れた名店的な?」
「そうそう!」
「確かに。凄い食べっぷりよね」
にわかに騒ぎ始める女性たち。
ここで、店主が顔を出した。
「お客さん、準備が出来ましたよ!」
「どれ……」
「こちらです。店頭の商品と、冷蔵庫にあったストックをすべてワゴンに乗せました」
そういうと、店主は銀色の台車を引っ張り出してくる。
一台には乗りきらなかったようで、二台に分かれていた。
三段に分かれた台車にはケーキが所狭しと満載されていて、今にも溢れ出してしまいそうなほど。
そのおいしそうな姿に、魔王はよだれが出そうになる。
「素晴らしい。して、お代はいかほどか?」
「はい、全部で三十三万四千円でございます」
「三十三万……! しまった、この国の金はそれほど持っておらぬぞ!」
魔王は、自身が日本円をあまり所持していないことを思い出した。
ついつい魔界に居る時のような気分で買い物してしまったが、どうしたものか。
彼は困ったように眉を顰めると、店主に尋ねる。
「すまぬ、金貨は使えるか?」
「き、金貨? そういうのはちょっと……」
「ならば宝石はどうか。一通り持っておる」
魔王は自らの財布をひっくり返すと、中に入っていた宝石をテーブルの上に並べて見せた。
ダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルド……。
いずれも、小指ほどの大きさがある超一級品ぞろいである。
一目でわかる本物の輝きに、店主はおろか彼らを見守っていた者たちまでもが目を見開く。
「そ、そんなもの頂けませんよ! 質屋とか、そういうところで換金してきてください! お待ちしてますから!」
「そうは言われてもな、我にはもう時間が……。何かほかに良い物はないか」
腰の袋に手を入れると、中をガサゴソと漁る魔王。
魔法でほぼ無限と言えるほどにまで中の空間が拡張されたその袋は、魔王自慢の逸品だ。
だがこういう時に限っては、その大容量が仇となる。
出したいと思う品をすぐには出せないのだ。
「お、ちょうど良さそうなものがあったぞ。これでどうであろう?」
「服……ですか?」
魔王が取り出したのは、黒い燕尾服のような形状をした服であった。
俗にいう、執事服である。
本来ならば魔王城の使用人に配給されている物だが、変装して城を抜け出すときに便利であろうと、たまたま所持していたのだ。
「そなた、その年では仕事をするにもきつかろう。この服には様々な魔法補正がかかっているゆえ、着ればいろいろと楽になるぞ。姿勢補助も組み込まれておるから、背筋も伸びる」
「は、はあ……」
「む、そろそろ時間だな。ではさらばだ」
「あ! ちょ、ちょっと!」
魔王はワゴンに手を掛けると、そのまま光と共に消えて行ってしまった。
制止するも間に合わなかった店主は、消失してしまった彼にただただ唖然とする。
彼の手元に残されたのは、ただ一着の執事服だけであった。
「今のはいったい……! 狐にでも化かされたのか? ……まあ、宣伝にはなったし悪くはないか」
自分の店の方を見る、無数の女性たち。
久しく見たことのないその姿に、彼は寂しげながらもどこか満足げな笑みを浮かべる。
そして、そのまま執事服を手に店の中へと入っていった。
この数か月後。
ケーキショップ・マツバは『執事ケーキショップ・マツバ』へとリニューアルを果たし、一躍大人気店となった。
ダンディで渋い老執事が居る店として、注目を集めることとなったのである。
店の形態が突如として変わった経緯については、『謎の海外セレブ』が関わっているという噂があるが……その真相は深い闇の中だ。
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