プロローグ3
「――はい、以上で試験を終了します。お疲れ様でした♪
試験結果は一週間以内に学校の方へ送られますので、そちらで受け取ってください。
それでは~、最近インフルエンザも流行ってますから、お気を付けて~」
「ありがとうございました」
頭を下げて退出する剛。妙におっとりというか、のほほんとした印象の女性教員に頭を下げ、未だ長蛇の行列がなくならない校門へ向けて歩く。途中明良が「ヘイユー、どう?」と聞いてきたのに「ソゥソゥ」と何故か英語で返した。
校舎自体、妙な形状の上はともかく下の方は公立中学のそれを拡張したままの印象だった。木のタイルが張られた廊下に、防音の天井。壁はコンクリートに直塗装。違う箇所と言えばエレベータと、食堂のような場所があることくらいか。剛のいる中学は、給食は基本的に配給制だった。
「……本当、長い。試験日程初日でコレとか、やばいと思う」
実際、未だ長蛇の行列である。
開始時間は一時間ほど遅れ。いくら冬とは言えずっと外で不憫に思ったのか、アルバイトをしている先輩生徒が缶ジュースを配ったリしてるあたり泣けて来ていた。
「ゲホッ、ゲホッ……」
「ふぁ!?」
もっとも、その誘導員の生徒が吐血したりもしていたが。
真っ白な髪に白い肌。妙に細い印象で声もややかすれており、吹けば倒れそうとはまさにこのこと。制服の襟首と顎を真っ赤に染めながらも、「大丈夫大丈夫」と言って笑う。見てる側は全く笑えない。
校舎から慌てて現れた金髪の、ハーフなのか外国人なのか定かではない女生徒が彼の背を擦る。
「何してるんですか、ゲッカ君。みんな引いちゃってるじゃないですか」
「あ、ソフィア、ちょっとね。えっと、少し変わってもらえる? 薬だけ飲んでくるから」
仕方ないと言いながら彼の場所を代わった彼女。当の少年は血を押さえながら疾走していく。
やりとりのテンションからして慣れたもの、といった感じだったが、本当に大丈夫なのか周囲は甚だ気が気じゃない。
剛の視界においても、彼の付近の蝶の動きが不規則というか、妙に変な動きをしていることが気にかかった。かかりはしたが、だからといって何かするほど馬鹿正直でもなかったのだが。
「……?」
唖然とした表情で歩いていると、並んでる列の中に、見覚えのある顔。
同じ中学の女子生徒だ。一言で言うと、大和撫子。超中学生級である。身長は女子にしては高めの160センチ代後半。切りそろえられた前髪。流れる挑発はモミアゲのあたりも後ろに流し、耳が露出してるあたり更に古風な印象を与える。
浮かべる表情は静かなもので、生まれて来てから一度も笑ったことありません、と言わんばかりの無表情。
と、閉じられていた彼女の目が開き、剛と視線が交差した。
どちらも言葉につまる。
「……や、やぁ」
「……おはようございます。二宮君もこちらに?」
丁寧口調が距離感を感じさせる。
「まあ、記念受験的な。藍場さんは?」
「似たようなものです。一応私は十時半開始なのですが、この調子ではまだ先は長そうですね。
それでは、ごきげんよう」
古風な別れの言葉に、行列の視線が集る。お嬢様らしい容姿と言えばそうだが、実際彼女、藍場 澪は良い家柄というか、お金持ちの家の出だった。
周りのそれに耐えられず、剛は逃げるようにその場を後にする。
足早に去る剛。
その背中を、興味なさそうに会話していた割には、澪はじっと見つめていた。
もしこの時、一瞬でも剛が背後を振り返っていれば――彼女の周囲に、唐突に集りだした「蝶」の群れを見ていれば、この後の彼の人生は大きく変わっていたかもしれないが、残念ながら運命は彼に微笑まず、嘲笑していた。爆笑していたかもしれないが、さておき。
「……試験って感じじゃなさすぎて、気持ち悪かったよなー何か」
試験自体は、面接らしい面接ではなかったものの、一応はそれらしいものがあった。といっても出身校とかを聞かれたりする程度で、驚くべき事に志望動機すら聞かれもしなかった。その変わり心理テストなのか、変な質問をいくつかされたくらい(ちなみに上がって答えられなかった時用に、マークシートさえ存在している始末)。
後は、ひたすらに十分間、自分の才能アピール。
成績などは願書と一緒に提出した成績表で判断するのだろうか、疑問はつきなかったが剛は焦った。何せ才能が才能である。簡単に言って説明できる類のものでもないし、証明も困難だった。だからこそ対策を考えてはいたが、その結果がジャンケンと神経衰弱である。馬鹿にしてるのか、と普通なら怒鳴られかねないだろう。
幸いにもトランプを持ち出すと、担当した試験管に「あぁ~、いいですねー、なつかしいですぅ。最近全然やらないんですよね~♪」と楽しげに微笑んだりされて、なんだかんだでつつがなく終了はしたが。
「あれで合否判定されるのか……。改めて考えると、凄まじいよね」
風見と言ったか。彼は大きなバッグを持って来ていたから、ひょっとしたらサッカーボールが入ってるのかもしれない。キーパーと言っていた以上、示す才能もそれだろう。
そのアピール一つで最終的な合否が決められるのだから、確かに凄まじい。人格などを無視し、ただひたすら才能のみを追求するそれは、穿って見れば、学生の入学試験というよりも実験動物探しのような気配すら察することが出来るかもしれない。
そんなことを考えていたからか。
信号機を見て「そろそろ赤か」と足を止めた剛。向かい側の信号機には、金色の髪をした綺麗な少女。制服姿と向かっている方向から、彼女もまた受験生であることが伺える。
――そんな彼女が、唐突に背後から「押された」。
「ッ!」
顔は見えない。姿も見えない。
彼女を車道に突き飛ばした相手は、次の瞬間、影も形もこの場から姿を消した。
バランスを崩して、横断歩道に転等する彼女。本来ならそこから起き上がればまだ済んだかもしれない。
「出来すぎでしょ!?」
だが――剛の視界には、猛烈な勢いで接近してくる桃色の蝶が見える。
それは背後に、軽トラを引き連れていた。
トラックの運転手は、不自然に居眠り運転をしていた。まるで運転中に唐突に眠ったような、そんな不自然なスピードだ。段々と加速するそれは、地面に描かれた「30キロ」を大幅に超えている。
どうするべきかと一瞬逡巡。
その一瞬が、決定的に判断を遅らせる。
何をするにも、既に間に合わない――。
「――レディー ……、ゴーッ!」
そんな時、耳に聞こえてきた叫び声と、爆音。
己の後方で、剛は小規模な爆発のようなものが起きたことを理解する。
振り返る間もなく、多数の桃色の蝶を撒き散らしながら――コンクリの大地に対して砂煙と焦げた臭いを上げながら、彼は、駆ける。
爆風の余波が襲ってきて、剛はようやく理解する。彼のスタートダッシュ、その一歩が自分の背後で、アスファルトに罅を入れる破壊力、爆発のような威力を伴ったのだということを。その威力をもって地面を踏みしめ、彼は彼女目掛けて疾走したのだ。
トラックの速度は普通に制限速度オーバーである。
しかし爆発を背に受けて走った彼は、まさに弾丸のごとく倒れた少女を抱えて、反対側の岸に転げて行った。
呆気にとられかける剛だったが、しかし同時に頭のどこかが冷静に判断している。
道はしばらく直進で、先は車も人も少ないが。大通りに面しており、このまま放置すれば大事故に繋がり兼ねない。
咄嗟に剛は、眉間のあたりを一度指で軽くなぞってから、人差し指を立てて振りかぶる。己の才能を使って何事かしようとしているのだ。
彼は集ってきた蝶数匹を「同時に」タッチした。動きとしては薙ぎ払った、というのが正解か。
そして青い蝶が桃色に変化し、波紋のように消え――。
直線方向に暴走していたトラックは、急に意識を取り戻したようにブレーキをかけ、クラクションを鳴らしんがら減速し、ハンドルを切って電柱に激突した。
「痛ッ……」
つう、と右の鼻から鼻血が垂れる。
ポケットティッシュを一枚抜くと、彼は丁寧にそれを詮のように丸めて詰めた。
「……だ、大丈夫? 君達!」
よろよろと見た目ダメージを全く負ってないにも関わらず、千鳥足で彼等のもとに歩く剛。
走った少年に抱き起こされながら、金髪の少女は僅かに頬を染めていた。
「わ、私は大丈夫、です、けど……。お鼻、どうしましたぁ?」
「僕の方は大丈夫だから。今止血してるし」
「俺は、肩ちょっとやっちゃった以外は大丈夫かな」
「本当に大丈夫ですか!?」
「あー、これくらいは日常茶飯事だし。大丈夫大丈夫、かすり傷かすり傷!」
わたわたしていた彼女が、走った彼の言葉にほっとした顔をする。
対して、楽しそうに笑うこの少年。髪は毛先に行くほど色が抜けているが、染めてるという印象ではない。剛のようにぼさぼさの髪型だが、こちらは無造作と言うのが正解か。顔もスポーツマンのように細く精悍で、有体に言って爽やかだった。
やろうと思っているわけではないが、剛の視界には蝶が見える。
少女の蝶と少年の蝶は、剛より多くあるものの極端に多いというレベルではなかった。
バッグを足元に置き、さっと両者に手を差し出す剛。両手をとられ一瞬ぐらつくも、二人が立ち上がるまでは何とか耐えた。
「……あ! トラックの運転手さん!
大丈夫ですかー!」
はっと思い付いたように、少女は運転席がひしゃげたトラックに向けて走る。
少年と剛も続き、その、助手席と運転席の間に電柱が上手い事入って難を逃れた様を見た。
「あ、えっと、俺、どうした?」
まだ二十代だろうか。若い運転手に、剛は居眠りで事故を起し掛けたことを言った。
大層顔色を悪くしながらも、彼は謝り続ける。
「ごめんね、今日確かここ、受験日だったのに」
「は、はぅぅ……、運転手さん、サンドバッグで大事ないみたいで何よりですぅ。
私、今日お寝坊さんだったので、そのぅ……」
「あ、ちなみに一時間くらい開始がずれてるから、今から行けば間に合うんじゃね?」
「ほ、本当ですか!?」
ダッシュの少年の両手を取り、驚いたようにぴょんぴょん跳ねる彼女。
と、彼はスマホを取り出して一言。
「氏名と年齢と、あと住所と所属してる学校名、ここに打ち込んでくれるか?」
「ほぇ?」
「通報する以上、俺達事情聴取されることになるけどさ。このまま待ってたら一日、時間取られるじゃん。向こうは再試験とか、ぜってー保障してくれないぜ? 俺それで英検落したし」
「あー、そういうのはあるかもねー」
「ふえええ」
「だったら先に試験受けてきて、後からってことにすれば良いじゃん。
という訳で、警察の人に渡す情報が要るから。あ、スマホ嫌だったらメモ帳とかルーズリーフとかの方でもいいと思う。俺残るから、行ってらっしゃい」
「むしろ紙で書いた方が良いんじゃないかな。……まあ、僕も残るよ」
「あぅぅ、二人ともありがとうございます」
デコレーションされたスケジュール帳から、メモエリアを一枚べりべりと剥がし、丸い文字を書いて少年に手渡し、彼女は走って校舎へ向かう。ここからすれば歩いて十分前後。行列並びは三十分以上ゆえ、さて何分かかるか。
手渡された紙を、ダッシュの少年は中身を見ないで、折りたたんで手の中に収めた。
下世話な好奇心などなく、当たり前という風な動きだったそれに、剛は直の事関心した。
「……すごいよね、君」
「ん? 何が?」
「いや、だって……。その」
「あー、足か? いや俺、これくらいしか取り得ねーもん」
腕を回し片足を膝で曲げて上げ、変なポーズを取る少年。
不意打ち的な子供らしい動作に、剛は釣られて笑った。
「いや、あの爆発ダッシュ? みたいなのさ。それも凄いんだけど、そうじゃなくて。
漫画みたいだった」
「漫画みたい?」
「そう。……あんなタイミングで、後先とか考えてなかったと思うけど。
僕、足とか全然出なかったから。うん、カッコ良かった」
「……アレだな、女の子に言われたい台詞だけど、男でも照れるもんだな」
頭を搔く彼に、自然と剛は微笑んだ。
「でも、結局走るしか取り得ないし。一歩間違えれば引かれてただろうし、あんまり誇れるもんじゃねーって」
「それでも、運転手さんがあの子を跳ねるのと、跳ねないのとじゃ大きな違いだよ。
君は間違いなく、一人の命を救ったんだ。仮定に思うところがあっても、誇って良いと思うよ」
「……台詞長い」
言葉はぶっきら棒だったが、照れてるのかそっぽ向く彼。
と、ふと何かに気付いたように剛へ聞いた。
「君も、第三学園受験したん?」
「あ、うん。十五分くらい前に終わったところ。君は?」
「俺は、実は三番目な。終わって、ちょっと寄り道してた」
「……ここの受験ってそんなに時間とらないから、終わったら学校に帰って授業受けろって先生に言われてるんだけど、そっちはどうなの?」
「あー、まぁ、ナイショな」
「オフレコっていうか、まあ、うん。そんなものか普通は」
言われて見ると、確かに彼からは某ファーストフード店の揚げ物の臭いが僅かにした。捻くれてはいるが、ポーズは真面目を気取っているだけの剛。根っこはどっこいどっこいなので、多くは言わない。もっともそれ以上に、彼が寄り道していたから女の子が助かったと考えると、不幸中の幸いというものだった。
そして、剛は言う。
「……うーん、ちょっと聞きたいんだけど」
「何だ?」
「あの子転ぶところって、見た?」
「見たけど」
「僕、あの時彼女の背後に何か『居た』ような気がしたんだけど、そっちは見た?」
「あ? いやー、別に何も居なかったような……。何、そっちってユーレイとか見える才能?」
「いや、そうじゃないけど……。怖いの?」
「別に」
と言いながらも、少年は数歩足を引いていた。
わかりやすい反応に笑いながら、剛は手を差し伸べる。
「何? 何で握手求めんだ?」
「いやー、何となく。こう、記念に?」
「記念?」
「うん。後は、受かってたら四月から、ヨロシク的な」
「それなら、意味わかるけどさ。何だよ記念って」
相手も笑いながら、剛の手に応じる。
「俺は、安登 勇樹。受かってたらヨロシク」
「二宮 剛。同じく、受かってたらヨロ」
軽く握手を交わす二人の少年。
片方は屈託なく笑い、片方は目を細めて笑う。
(――すごいな、君は)
剛の視界には、勇樹の「蝶」が映っている。
十数匹、やや多めといった蝶の中で、剛は見たこともない蝶を一匹見つけた。
それは、白。
真っ白に輝く蝶。
青でも桃色でもないそれは、剛の直感が正しければ「何だって出来る」という蝶で――剛の意識の呼びかけに、欠片も応じる事はなかった。
だがしかし、勇樹の頭上で漂うそれは、見ているだけで不思議と、剛に元気を与えるような気がした。
そして、剛は思う。
(嗚呼、これか。これが――主人公だ)
今まで蝶が多く纏わり付いている人間を見た。芸能人だったりスポーツマンだったり、時にはクラスメイトの同年代だったり。その多さに嫉妬を覚えた事も、一回や二回じゃない。
だというのに、彼のそのスペシャルな蝶は、嫉妬が全く湧かない。
きっとこの勇樹という彼は、その蝶の存在に気付くこともないだろう。
気付かせたところで、自分がタッチすることさえできないのだからどうしようもない。
だというのに――まるでそんなこと関係なく、その蝶の輝きのごとく、彼の笑顔は純粋だった。
(こういう人間に、僕もなりたかったんだよな。一緒に居るだけで、自然と誰かを元気にさせられるような、そんな――)
お互いに手を離して、試験の内容についての雑談を始める二人。
楽しそうにしている彼を見つめる剛は少しだけ――少しだけ、羨ましそうな目をしていた。
二人の少年の握手。
時は二月の半ば。お互いに交わした挨拶が、果たしてこの一回だけで終わるものなのか。焦らずとも二ヶ月後、四月には自ずと結果は見えてくる。
入学者は毎年各校数百人に上り、卒業者は多かれ少なかれ社会に影響を与える人材となることが約束された、そんな学校にて。
彼等が再会できるか否か。それは神と、試験を担当した学園の教師陣のみぞ知る。
「……彼が受けたのでしたら、私も真面目にやりましょうか」
剛が去った後の学園の行列の中。澪はかなり珍しい事に、小さく微笑んだ。
その微笑みは、可愛いや綺麗というよりも、こう、何とも言えない凄みがあった。獲物でも見定めた猛獣のそれを思わせる目は、後ろを向いている前の生徒すら震え上がらせる、独特のオーラを放っていた。




