握手は仲良しのシルシ
次の日。
教室に着くと、いつも俺より先にいるはずのフィオネの姿は見えなかった。
態度こそアレだが授業に対しては真摯で。
暇な時間に会えば常々予習や復習をしていたり。
誰よりも早く講義に参加し、誰よりも遅く学校を去る。
フィオネは学ぶということに貪欲だった。
「珍しいな」
どこか寂しさを感じながら、一人席について俺は呟く。
話せる雰囲気というものを作らないフィオネを相手にしていると、会話をしていても独り言を喋っているような気分になるのだが。
何も返ってこないというのは虚しいものだ。
そういえば隣に来ないでって言われてたんだっけ。
ここにいるのもマズいかな。
なんて考えてると、一人の足音が近づいて、一旦止まった。
そしてまた近づいてきたその足音は、俺の隣までやってきた。
目を横にスライドさせてその人物を確かめる。
紅い髪を伸ばした仏頂面。
間違いなくフィオネだった。
無言のまま着席するフィオネ。
その後もだんまり。
やっぱり俺が移動したほうがいいんだろうか。
時折ため息なんかついたりして何か言い出しそうな雰囲気はあるんだが。
待っているだけでお互いアクションは起こさず。
エイミーがやってきて今日も授業が始まる。
お昼の後に魔法実技があるんだけど。
このままで大丈夫かな。
たまに目を合わせたりしてみるのだが。
フィオネはジーっとこちらを睨んでから目を逸らすだけ。
俺の存在は認識しているらしい。
いないものとして扱われているわけではないことに一安心。
それどころか、会話がないだけで日常は変わらず繰り返されていた。
お昼は食堂へ行かずそれぞれ弁当を持参。
咀嚼する音だけが二人の間を満たす。
そして魔法実技の時間。
今回の講義は前回やったボールラリーの別バージョン。
魔力を込めると磁石のように吸い付くボールと杖を使い、切り離しとキャッチのタイミングで上手く魔力コントロールをしてキャッチボールをしようというものだ。
遊びみたいな訓練が多いのは低学年である生徒たちを飽きさせないためだろう。
ペアで杖2本とボール1つを渡され、配置につく。
半年にもなるとペアが変わることもないので先生も勝手に判断して道具を配る。
俺とフィオネは今回もペアだ。
フィオネもそれに異存はないらしく。
やはり無言のままなのだが、つつがなくキャッチボールは行われたのである。
1つとして言葉も交わさず。
相手の様子を見て投げるタイミングを判断する。
それでも不自由することはない。
なんなんだこの微妙な距離感は。
「アデル」
「うおっ」
事が動いたのは放課後。
帰りのホームルーム前。
不意打ち気味の声に俺の背筋が伸びる。
「私はどうすればいいのかしら」
「え、あ、何が?」
頬杖をついて俺と顔を合わせない平常運転で。
フィオネがボソッと声をかけてきた。
言わんとしていることはわかるのだが。
今のフィオネの頭の中を察し切ることは俺にはできない。
「今朝、センツェルのやつが謝りに来たわ。酷いことをして悪かったって」
なるほど。
それで今朝は来るのが遅かったのか。
怒ってる様子じゃないけど。
あんまり気分が良さそうでもないな。
「正直よくわからなかったけど、どうせあんたが何かしたんでしょ?」
ご名答。
どう答えるべきかな。
ありのまま起こったことを話すか。
「昨日の帰りに絡まれてな。これから付き合ってく気にもなれなかったし。お互いが納得できる形で平和的解決を提案しただけだよ」
「例のよくわかんない力で?」
「ああ。企業秘密のな」
フィオネにはエッジとのいざこざで力の一端は看破されている。
それでも魔法による何かだとは思っているようだが。
8歳の子供がまともなやり方で得られる類のものではないぐらいには考えているはずだ。
「まあ、それはいいわ」
いいんだ。
「えと、あの……」
一拍置いて、今度は言葉を詰まらせるフィオネ。
表情は変わらないが。
目だけが落ち着きをなくしていた。
「一つだけ言いたいことがあるの」
「おう」
「言っていい?」
「ど、どうぞ」
それは俺に許可を取る必要があるのか。
フィオネはまた無言を挟んでワンテンポ会話のリズムをずらす。
このなんとも言えない間が、緊張する。
「昨日は、酷いことをして悪かったわ」
言い終わって。
わずかに口を尖らせるフィオネが可愛かった。
「別に気にしてないよ」
フィオネに気遣ってそう言ったつもりだったのだが。
これは失敗だったかな。
気にしてないってのはマズいか。
なにせ俺は本来、フィオネに許されるまでは近寄っちゃいけなかったんだからな。
あーやばい。
訂正したい。
もっといいセリフがあっただろ俺。
「俺からも、いいか?」
こうなったらセリフの上書きだ。
即座に質問を返せば印象はぼやけるはず。
「どうぞ」
「結局のところ、俺はフィオネと一緒にいていいのか?」
昨日の罵詈雑言を謝罪されたからといっても、それがイコール親しい関係になってもいいとは限らない。
そして案の定。
「どうかしら。あまりオススメはしないわ」
返事はネガティブ。
しかし門前払いというほどでもない。
「センツェルの話を聞いてたでしょ。私は人殺しなの。それも家族を殺した極悪人。そんな人間と仲良くしたいっていうならご自由に」
「あー。ってことは……一緒にいても問題ないわけか」
フィオネは皮肉のつもりで言ったんだろうが。
俺は知っている。
だいたいそうやって自ら罪を白状するやつには裏がある。
「同情?」
「そりゃ同情もするさ」
「……はあ」
フィオネはため息をついて俺と向かい合った。
「ん」
そして差し出される右手。
おお。
これはまさか。
つまりそういうことでいいんだな。
「これからもよろしくな!」
「ええ」
その素っ気なさも少しは改善してくれりゃいいけど。
こっちは生まれつきっぽいし時間をかけてくしかないか。
「えっと、話、聞いてもいいか?」
「家のことでしょ。私も話したいけど。もうホームルーム始まるわよ」
教室はまだざわついていたが。
エイミーはもう教卓についていた。
遠くの方からこっちを見てニッコリ。
どうしてそんな微笑ましい目を向けてくるんだ。
いや、もしかしたら。
見ていたのはフィオネの方なのかもな。
「なら、仲良くなったついでに、一緒に飯でも食おうぜ」
「えっ……」
ちょっ。
なんでそんな嫌そうな顔するの。
俺たちもうマブダチだろ。
「い、いいけど」
そんなところで素っ気ない顔を崩さなくても。
引きつった顔じゃなくて笑顔が見たかったよ!
「金ないなら、出す、けど?」
「あるわよ。自分で出すから、あんまり気遣わないで」
「わかった」
最後はなんか微妙な雰囲気になりつつ。
ホームルームは始まった。
俺とフィオネの心の距離は、今どれくらいなのだろうか。