四天魔、再び
荒廃した大地にも緑が戻っていた。
しかしそれは芽吹く、などという生易しいものではなく、おそらくまだ世界でも発見されていないであろう異形の植物が蠢いているだけだが。
中心を大きく抉られた部分はまだ禿げたままで、そこから黒いモヤが噴き出している。
「予想するまでもなくあれが原因ですね」
はるか遠くの岩山の上。
魔力で視力を強化したレイシアが、背後の大男に言葉を投げる。
「ああ」
バルバドは物憂げに遠くを見つめていた。
「実地調査、ということでよろしいのですよね」
「らしいな」
今回の任務は、はっきり言ってしまえば異常だった。
それはリデアに命令の聞いた瞬間から感じていたことだった。
未開の地で、突然の職員の死。
英雄と共闘といえど、同じ末路を辿る可能性のある危険な調査。
しかし断れなかった。
拒否権がなかったわけでも、リデアに物怖じしたわけでもない。
必要だったのだ。
レイシアにとって。
ここに来ることが。
「懐かしいですか」
レイシアは問いかける。
もはやバルバド様と呼ぶ敬称ほどの敬意はない。
「勘づいておったか」
「ええ。普通じゃないですしね、みなさん」
「とはいえ、ここが我らの故郷だとは思うまい」
「100年前にたった三人で戦争を終わらせ、その後各国が総出を上げて調査を続けるもなんの手がかりもつかめず今に至る。とすれば、手の入っていないこここそが、英雄の真実」
「キレすぎるのも考えものだな」
バルバドは顎鬚を擦りながら唸る。
そう。
このシュヴァーレ島こそが三英雄出生の地。
かつて人間だった者達の、唯一の故郷。
「ではゆくか」
「はい」
二人が進むのは鬱蒼と茂る森。
とはいえ、目前に迫る度にバルバドが吹き飛ばしているので平地を進んでいるのとそう変わらない。
今までここを覆っていたという膨大な魔力も今は見る影もなくなっている。
「不自然なくらいですね」
「ああ。霧散したわけでもなさそうだし。これは消えたか。あるいは……」
「どこかへ集中したか」
「恐ろしい話だな」
疲れとは別に汗をにじませるバルバド。
それに対し、レイシアの目には確かに宿るものが。
「なあレイシアよ」
「なんでしょうか」
進む速度を落とさぬまま、問いを投げかける。
「お主はなぜここに来た」
「任務ですから」
「そうではない」
レイシアがそうしたように。
バルバドもまた察する。
「私は……」
更に速度を上げて進む。
切る風に消え入りそうな声を、それでも確かにレイシアは言葉にした。
「追いつきたいんです。弟に」
レイシアは目を細め、反対にバルバドは見開いた。
バルバドはすべての事情を知っているわけではない。
だがレイシアの弟が特殊な才能を持っていることは今や周知の事実であり、リーゼロッテに至ってはその先まで見通しているようだった。
人間の分を持ってすれば有り余るほどの才。
それをレイシアは、一度として満足をしたことはなかったのだ。
目まぐるしく景色が変わる中。
バルバドは静かに笑った。
△▼
中央に近づいた2人は、やがて黒いもやの正体に気づき、足を止めた。
「魔力か」
「ええ。遠方から可視化されるほどの高密度の魔力……」
予想していなかったわけではない。
ただ、魔力が自然に可視化するなど通常は考えられるものではなく、人為的なものだったとして、魔力汚染が残ったままのこの土地に一体だれが侵入したというのか。
能力的に最有力なのはリーゼロッテだが、彼女は最近は人間の前に姿を表すことが多くなっており、連日目撃情報が確認されている。
バルバドは調査を行っている本人であるし、魔法協会のトップもそれぞれの持ち場にいることがわかっている。
唯一フロレンシアだけが連絡不通らしいが、そもそも三英雄が魔法協会の職員を虐殺するというのは埒外であるのだ。
「やはり、あれの根源を突き止めなければ調査にはなりませんよね」
「だろうな」
苦々しく顔を崩しながらバルバドは答える。
「ワシが先行しよう。これでも身体は丈夫な方でな。盾だと思ってくれて構わん」
「はい。お言葉に甘えさせていただきます」
さらに前進しようと構える2人。
しかしその動きが、止まる。
「まさか……この距離で……」
バルバドの目が宙を泳ぐ。
それは一瞬のことだった。
中央に登っていた黒いモヤが消え、かと思った時には周囲から大量の殺意を向けられていた。
魔法に不慣れなものならこの時点で致死量。
まだクレーターまではだいぶ距離のある位置に伏せていたというのに、2人はこの地にいる何かに感知されてしまったのだ。
「この距離? ほう。ではどの距離なら気付かれぬと思ったのかな?」
上空から降り注いだ声に2人はとっさに顔を向けた。
明らかに人間とは違う病的なまでに白い肌の色。
赤いタキシードを整然と着こなし、灰色の髪を靡かせるその姿は、レイシアの持つとある情報と符合した。
それは弟であるアデルから聞いたもの。
「魔王直属部隊のデーデルニッヒ!? 魔王は滅んだはずなのに……!」
「ほう。その若さ、学生かね。君のような美しい娘に覚えていただけていたとは光栄だね。うむ、実に美しい。散らしたくなるな」
会話を挟んでいる余裕はなかった。
レイシアめがけて高速で降下してきたデーデルニッヒに、先に反応したのはバルバド。
お互いの拳と剣を一つ、二つと交わし、一度距離取る。
「こやつはワシが引き受ける! お主は周りの雑魚を蹴散らせい!」
「はい!」
デーデルニッヒの突撃に合わせ、わらわらと出てきた魔物たちが木々をなぎ倒しながら迫ってくる。
「範囲攻撃は得意じゃないんだけど!」
レイシアは氷柱を周囲に高速で打ち出し、それを榴弾のように爆発させる。
直撃した魔物は即死だったが、細かい攻撃では倒れない。
地面から巨大な氷柱を生やして串刺しにし、周囲の水分ごと氷漬けにして粉砕し、ときに剣の形を作った氷で迫ってくる敵を倒していく。
この魔物たちは大したことがない。
これなら魔力も温存できるだろう。
そう考えた矢先のこと。
魔物たちの動きが変わる。
「なに……!?」
より戦術的に、フェイントを織り交ぜ、魔物同士の連携が上がる。
なにより、この魔物たちは確実に加速していた。
その動きがレイシアの膝をかすめた。
「あらまあ。私が力を貸してあげないと、あなたたちはなーんにもできないのねぇ。とりあえず駒としては役に立ってもらうけど、帰ったら選別しないと」
出血を凍らせることで止めるレイシアの背後から、ねっとりとした声音が這い寄ってくる。
「まさか、2人も!?」
振り返ったレイシアの視線の先にいた者。
それも魔の眷属ではあったが、人間の形をしていた。
間違いなく、あれは四天魔の1人。
デーデルニッヒと同格の存在。
「残念だったな。3人だ」
更に別の声。
それはバルバドとデーデルニッヒの間を割るようにして入ってきた。
「お主は!」
「……なんのつもりだ。ガルメデ。それにリリムも」
両者の睨みに挟まれる者。
それは一見するとただの青年のような風体で、しかしあれもまた、魔族なのだという。
「こいつには借りがある。まさかこんなところで会えるとは思ってもみなかったよ。老兵」
ガルメデ、リリム、デーデルニッヒ。
四天魔の面々が登場を始める。
するとまだ1人いるのか、と思ったレイシアだったが、その最後の1人が姿を表すことはなかった。
「なるほどな」
バルバドは不敵な笑みを浮かべる。
「行方不明になっていたメーとやらの仕業か」
魔王との小戦争の生き残りから得られた情報に、メーは魔物を操る能力があるのではないかという推察があった。
となれば彼らがなんらかの形で復活し、あるいは操られている死体としてそこにいるのであればこの事態も納得がいく。
大方、ここに漂っていた魔力が消えたのも彼らを復活させるのに消費したからであろう。
だが四天魔たちの反応は、予想を大きく裏切るものだった。
「はて。やはりメーの所在は人間も知らないのだな。やつはどこにいったというのだ」
デーデルニッヒのとぼけたひとこと。
しかしウソをついている様子はない。
なによりこの状況でウソをついての騙しというのは、彼らの魔族としてのプライドとやらが許さないだろう。
「私たちが復活した理由なんてわからないわ。でも、体が戻ったからには、させてもらうわよ。復讐ってやつを」
リリムが手を挙げ、その合図とともにレイシアに魔物たちが一斉に襲いかかる。
「俺は復讐のつもりはないが、借りは返させてもらうぜ。英雄バルバドよ!」
それが戦闘再開の合図だった。
ガルメデはバルバドとの一騎打ちを。
デーデルニッヒはレイシアと魔物の戦いに加勢する。
いや、デーデルニッヒが参加するとなると立場は逆転するのだが。
「これだけの戦力は予想外じゃ! 逃げることを最優先に考えい!」
「余所見してる場合かよ!」
その戦場に発せられた怒号はそれだけだった。
レイシアに返事などしている余裕があるはずもない。
世界を恐怖させた魔族の軍勢に、対するはたったの2人。
絶望が始まった。




