オトコたるもの
家に帰った俺とミーニャ。
ドアを開けると「おかえりなさいませアデル様」の声が届いた。
金色の髪を一本に三つ編みにしたおさげがエプロンと共に揺れる。
そして顔を上げたクリフォード家のメイド、プルメリア・ベントッシュの、最もメイドらしい瞬間が終わった。
「ぼっちゃんよー。女連れたあどういう了見ですかい」
ミーニャをみてプルメリアは口を尖らせる。
俺が生まれた頃からずっといる人だ。
確実に30歳は過ぎているはずなんだが。
背の低さと肌質のせいか、学校にいる奴らとそうかわらない見た目をしている。
「プルメリアさんも聞いてなかったんですか。バーバラさんも驚かれていましたし。どうやら父一人で全部決めてしまったらしいですね」
交渉にかかりっきりで暇がなかったんだろう。
朝食の時間じゃ全部話すのは不可能だろうしな。
半端に情報を入れるべきではないとでも判断したか。
「アデル! おっ帰りなさい!」
プルメリアの後ろから、弾むような声と共にレイシアが姿を現した。
家族共有スペースである1階にいるときは粛々としているはずなんだが、今日のレイシアは元気ハツラツ天真爛漫だ。
弾むような声と形容したものの、実際のところ弾んでいる。
ぴょん、ぴょん、と片足を上げる度に。
黄金の比率で肉付けされた悩ましい身体が。
それに合わせて2つに結んだ髪がひらひらと楽しそうに踊っていた。
歳を重ねるごとにいっそう艶の増していく黒色が俺の視線を釘付けにする。
まさにブラックホール。
なんでツインテールになってるんだ。
可愛い。
「あら、お友達?」
レイシアはミーニャを見て笑みを深めた。
「お初にお目にかかります。魔法教会よりアデル様の監視を任命されております。ミーニャ・バスチアーノと申します」
「これはどうもご丁寧に。姉のレイシアです。ところで、監視とはいかがされたのでしょう?」
レイシアの疑問に、ミーニャは食堂でフィオネたちにしたような説明で答える。
「なるほど。そうでしたか」
レイシアには憤りも不快感も見受けられない。
どちらかといえば喜んでいるようだった。
「では、歓迎会でもしましょうか」
パチンと手を叩いてまた二本の尾を揺らすレイシア。
「ちょうどいまお料理を作っていたところなんです。お父様たちも今日は早いみたいですから、みんなで食べましょう」
レイシアの料理か。
お菓子の類は作ってもらったことあるけど、ちゃんとした食事として出してもらったことはないな。
最近プルメリアとよくいると思ったらそういうことだったのか。
「お姉ちゃんも、そろそろこの家を出ちゃうからね。お料理の一つでも作れるようにならないと」
そうだよな。
この姉も、もう高等部を卒業して社会に出るんだ。
何して働くのかな。
全然聞いてないや。
ミーニャの監視が終わったら、ゆっくり話す時間を取ろう。
「残念ながら、お断りします」
そんな和やかな空気に冷水をぶちまける声があった。
「アデル様にもそれを召し上がっていただくわけにはいきません」
「えっ。今夜ぐらい……」
「なりません」
口を硬く結ぶミーニャ。
まったく。
頑固なやつだな。
「それが仕事だからというのはわかるんですが。せっかく歓迎しようという話になっているんですし。わざわざギスギスした関係にすることはないのではないかと」
「だとしても、すでに始まってしまったものを捻じ曲げるわけにはいきません」
あくまでも事務的に。
ミーニャは淡々と返事をする。
「いま作ってる分はどうするつもりですか」
「そこのお二人で召し上がっていただくか、捨てていただくか。いずれにしても、アデル様には今後、魔法教会が許可を出した食事以外を口に入れることのないようにしていただきます」
疑念が疑念なだけにまっとうなやり方なんだが。
さすが魔法教会の差し金だけあって一筋縄ではいかないか。
「料理を捨てる? あんた、料理人の前でよくそんな口が利けるもんだな」
腕を組み、青筋を立てるプルメリア。
非常に怒っていらっしゃる。
この人は料理に関してはうるさいからな。
「勝手に家にやってきて。我が物顔で理屈通してんじゃねえ」
「私は与えられた使命に従っているだけです」
「魔法教会の犬が」
「なんとでもおっしゃってください」
立ち込める暗雲。
「まあまあ」
それを払ったのは笑顔のままのレイシアだった。
「お父様に話を通していらしたのでしたら、それは把握していなかったこちらの責任。少なくとも、ミーニャさんを責めるというのは理不尽というものです」
「ですがお嬢様……」
「よいのです。作ってしまった分は私たちで食べましょう」
レイシアは気持ち悪いぐらい友好的だった。
筋の通ったことを言ってはいる。
でもそれがあまりに嬉々としていて。
どうしてミーニャを受け入れているのか。
俺にはそれがわからなかった。
それからしばらくして、レイシアたちが食器の片付けを始めたころ。
冷蔵庫の中身を逐一検査していたミーニャがその作業を制止した。
「これから私がアデル様のお料理をお作りしますので。後は私にお任せください」
手際よく食材を捌いていくミーニャ。
それを見るプルメリアも、その実力だけは認めているようだった。
そしてテーブルに並べられた、一見なんの変哲もない米の炒め料理。
なんの変哲もないというのは生まれてからプロの食事ばかりを目にしているアデルとしての感想だが。
口を含んだ瞬間に世界が変わった。
今まではプルメリアが作る料理が最高峰だと思っていた俺の価値観を見事に打ち砕く逸品だった。
スプーンを入れたときの米のほぐれ方。
口に含むと同時に驚きと感動を与える味の意外性。
それが瞬時に上手いものとして舌に慣れ、次なる咀嚼を求める。
火加減も、混ざられた具材との調和も、想像もしていなかったほどの完成度だった。
「美味い」
思わず口にした。
それが周囲にどんなイメージを与えることになるとしても。
言葉にせずにはいられなかった。
「アデル様に喜んでいただけるなら。これほど光栄な事はございません」
すべてを慈しむような目で俺を見る。
桃色の髪はスッと伸びて腰もとに落ち着き。
女性らしい肉体から感じさせるものは、エロスではなく母性に変わっていた。
そこには一人の女が居た。
ただ男を立てんと身を奮う。
可憐でかつ優雅なるその立ち居振る舞い。
彼女は正規に派遣されてきた監視役。
ただ横暴なだけの同居人ではなかった。
進級試験までは2週間ほどあったが。
ものの3日で俺はミーニャと居る生活に慣れてしまった。
ミーニャは俺専属のメイドのような働きをしてくれた。
食事はもちろん、学校の用意や衣類の整理など、本来の業務には含まれていないであろうことまで、進んで、なんでも快く。
その様を見て、俺が小さいとき、レイシアがよくしてくれていたのを思い出した。
別に亭主関白になろうなんてつもりはない。
仮に誰かと結ばれたとしても。
好きなことはやりたいが、その分だけ好きなことをやらせてやりたいし。
お互いの自由を尊重できるように俺も協力するつもりだ。
でも、これは本能的なものなのか。
誰もが憧れるはずだ。
こういった生活が心地いい。
一週間もするころには、ミーニャと一緒にいることが俺の当たり前だった。
「アデル様。隣の街に新しい図書館が出来たそうです。とても大きいと噂ですよ。行ってみませんか?」
ときには街に繰り出したり。
「魔法学についてですか? ええもちろん。何でお教えしますよ」
ときには勉強をしたり。
「レーフォン陵丘へは行ったことがありますか? あの頂上からの眺めは格別ですよ」
ときには遠出したり。
自分でも何やってんだかと思いながら。
楽しそうが案の定楽しい経験に変わった事しかなく。
最初こそ渋々だったが、最近では出かけることに躊躇もなくなった。
しかし監視役としては理不尽な働きをする。
そもそもが監視役なのだから、俺の世話をする必要もないのに。
それでもミーニャは俺と居る時間を楽しみたがった。
俺と居る時間だけを有意のものとして欲した。
そして俺の心の中にも。
なにかこう、表現できない違和感が蠢いていた。
そうして、進級試験も目前にまで迫った日のことだ。
「アデル様」
脱衣所にて絶賛ストリップ中の俺に声をかけてきたミーニャ。
「一緒にお風呂に入ってもよろしいでしょうか」
頬を朱く染めながら。
ミーニャはうつむき気味に訊いてきた。
「は?」
思わず心からの声が漏れる。
「いや、今までだって一緒だっただろ」
ミーニャとはトイレに入る時まで一緒だ。
当然、風呂場だろうが布団の中だろうがそれは変わらない。
「そうではなく。その、見ているだけではなくて。お背中をお流ししたり。できれば、浴槽にも並んで……入りたいのですが」
最初からわかっていたことだが。
完全に監視としての役目からは逸脱した申し出だった。
そもそも、こいつは俺に情など移してはいけないはずで。
それが好意であれ敵意であれ、監視に影響の出るようなことはしてはならないはずだった。
しかし俺はすぐさま、その理由を知ることとなる。
「まあ、構わないけど」
今までとあまり変わりもしないし。
レイシアとの経験もあるから、拒絶反応は出なかった。
承諾して、服を脱いで、身体を洗ってもらって、ついでに洗ってやって、風呂に入る。
うん。
まんまレイシアのときと同じだな。
あのころが懐かしい。
「アデル様」
肩に手を重ね、頬をすり寄せてくる。
この熱いお湯の中には、確かにミーニャの体温があった。
触れ合う肌。
2人の男女が並ぶ、その浴槽で。
俺は、ある重大な事実に気づく。
――なぜ俺はこんな美女と裸で触れ合いながら平然としている!?
冒頭でも断ったが。
俺はエロいことが好きだ。
そして自分のことを、それほど真面目な人間だとも思ったことはない。
それが自分の行為に対するいい訳だと指をさされても。
クズだと言われることも厭わず。
見たままの善性と悪性を区別して。
あるがままに欲望に従う。
そういう人間なんだ。
隣りにいるのは、男であれば誰でも欲情してしまうほどのメリハリボディの美しい女性。
そんな人が好意的に俺に接しているというのに。
この何も感じない感覚はなんだ。
「お頼み申し上げたいことが、ございます」
ついに露わになるミーニャの真意。
しかしこのとき、俺にはミーニャの言葉など理解できてはいなかった。
「どうかこの私めを、孕ませてはもらえませんか?」
小首をかしげると、濡れた髪が雫を垂らした。
いつもはまんまると可愛らしい二重が色っぽく細められる。
唇と、胸の先も、キレイな淡い桜色をしている。
吸い込まれそうになって、吸い付きたくなる、はずなんだ。
こんな理性的に物を考えてないで、もっと本能的にならなければ。
少なくとも、レイシアとのときはそうなっていた。
このままじゃ、ダメだ。
ここでいきりたたないと、肝心なものを失う。
俺の男としての何かがとある危険を訴えていた。
それはまるで実態のないもので。
考えて出せるような答えではなく。
ただひたすらに、俺の男としての本能が、抗えと叫んでる。
「ひゃん!」
気づけば俺は、ミーニャの胸をわしづかみにしていた。




