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災厄なる最強


 暗い森の中を兵士たちが走っていた。

 100人は超えようかという大きな部隊である。

 彼らが乗っているものは、馬の形をしてはいるが生き物ではない。

 メタリックなボディをした馬型の機械、最新の魔法科学技術により生み出された、高速移動兵器バトルホースだ。


 バトルホースを駆る兵士たちは皆一様に重厚な鎧に身を包んだ屈強な男だった。

 だがその中心には一人だけ女性がいた。

 純白のドレスを風に流し、黄金の髪をたなびかせる麗しき女性。

 王冠の紋章からしてロレイスター帝国の皇女であることがわかる。


「急いでください! 早くこの異常事態をバルバド様にお伝えしなくては!」


 皇女は声を張り上げた。


 バルバドとはこの世界における三大英雄の一人だ。

 なにものにも屈しない強靭な肉体を盾に、大剣であらゆるものを切り裂くと云われている豪腕の大男である。


「皇女殿下! どうか前へ! 魔王の追手がもうそこまで―――――!」


 兵士の声が途切れ、遠くで悲鳴となって響いた。

 気づけば兵士たちが作っていた列の末尾が消えている。

 その後方には、腕と一体化した翼を広げる、おぞましい姿のバケモノが迫ってきていた。


「この! 皇女様には指一本触れさせるものか!」


 勇ましくも兵士たちが剣を振りながら応戦する。

 後ろが空けば横にいた者が埋め、さらに空けば前の者が皇女の背後を固める。


 しかしそれも長くは続かなかった。

 まだ英雄の住む村へは数刻かかるというのに。


 英雄たちは特定の連絡手段を持たない。

 煩わされることを何よりも厭うからだ。

 故に彼らを呼ぶには、世界へ大々的に発信する必要がある。


 だがそんな時間も余裕もありはしなかった。

 だからこうして外敵から逃れながら、英雄のもとへたどり着こうとしている。


 しかしその目論見は浅はかで。

 ものの数秒で兵士の数は半分にまで減ってしまった。

 このままいけば、全滅は必至であろう。


「くっ……こうなったら……!」


 皇女は胸の前で拳を握りしめる。


 ロレイスター帝国は、すでに滅んだ。

 突如として現れた魔王を名乗る巨悪によって。

 父は殺され、兵士たちは健闘も虚しく、魔物と呼ばれる圧倒的な物量と戦闘力を誇る新生物の前に倒れていった。


 せめて、ロレイスター王家の血だけは。


 その願いと共に、皇女シルフィーヌは兵によって運ばれた。

 今はただ亡き父のために、魔王に復讐をせんと英雄に力を求めて走っている。


 しかしもう、それも叶いそうにない。

 ここに残った数十名だけが帝国の生き残り。

 ロレイスターの民である。


 元々、シルフィーヌは帝国に骨を埋める覚悟で、混乱する民を導くつもりだったのだ。

 こうなってしまっては。

 全滅の道しか残されていないのであれば。


「止まりなさい。スレイプニル」


 シルフィーヌがバトルホースの首に手を添える。

 すると起動時に内部から漏れていた光が収縮すると共に速度が低下した。

 兵士たちが乗っているバトルホースには危険回避機能がついている。

 後続の兵士たちはシルフィーヌを避けながら少しばかり先行して立ち止まった。


「皇女様! いったい何を!」

「よいのです! あなたたちは先へ!」


 シルフィーヌはバトルホースから降りた。

 そして澄んだ碧眼で、毅然と目の前のバケモノを睨む。


 手の震えも、足の震えも、人前では決して見せない。

 それはこの絶望的な状況を前にしても変わらなかった。


「どういうつもりだ」


 魔物から濁った声で問いが投げかけられた。

 近衛兵を軽く蹴散らす戦闘力といい、かなり高位の魔物とみえる。


「降伏します。あなたたちの目的は私なのでしょう」


 シルフィーヌは自らの胸に手を当てて魔物と話を始める。

 兵士たちの叫びを背に感じながら、シルフィーヌはそれを無視し続けた。


 魔王がロレイスター帝国を襲撃した理由の一つに、シルフィーヌを妃に迎えるという目的があった。

 とりわけ人間を支配する・・・・・・・ことが大好きな魔王である。

 まともな扱いをするつもりはないだろうが、帝国の人間も全員殺すということは考えてはいないはずだ。


 それに、どうせこの先に待っているのは死だ。

 ならばせめて部下の数人だけでも。

 ロレイスターの民として世界に生きていて欲しい。

 それが皇女シルフィーヌの望みだった。


 兵士たちも本能では何が最善かはわかっていた。

 戦ったところでこの魔物にはどう足掻いても勝てない。

 ならばここでむざむざと全滅するより、一度皇女を手放してでも英雄に助けを求め、魔王から奪い返したほうが救われる人間はずっと多くなる。


「そうだとも。俺は魔王様にお前を取り返せと言われてここに来ている」

「ならば私だけを連れて行きなさい。他の者は見逃すのです。でなければ、私はここで舌を噛み切ってでも死にます。それはあなたも困るのではなくて?」

「あーもちろん。お前に死なれたら魔王様はお怒りになるどころではないだろうなぁイヒヒヒ……しかし……」


 ジュルリ。

 魔物の舌なめずりに、走る悪寒。


「他の奴らを殺しちゃイケねえとは言われてねえのよ!」


 魔物は上空に巨大な黒い球体を作り出す。

 禍々しいオーラに包まれたそれは、魔力の塊だった。

 魔の眷属が得意とする闇魔法の一種。


「――グラビティボム。お前らはこの重力の渦に巻き込まれて死ぬんだよ」

「そんな!? 私の言うことを聞いていなかったのですか!?」

「ああ聞いてたとも。死ねるものなら、死んでみな」


 ギッと魔物の大きな瞳に見つめられるシルフィーヌ。


「そん……ぐっ……これ……は…………!?」


 金縛りだった。

 足から上へ、徐々に自由の利かなくなる体。

 指を動かすことも、喋ることすらシルフィーヌにはもうできない。


「この重力空間は声まで閉じ込めちまうのがなんとも虚しいんだが。まあ、部下が死ぬ様を思い浮かべながらションベンでもちびってるんだな。ヒャハハハハハ!」


 撃ち放たれる黒球。

 それはあまりにも無慈悲。

 残虐な仕打ちだった。


 続いたのは、無音である。

 だが確かに。

 兵士たちの断末魔がシルフィーヌの耳に刺さるようだった。


「さて。さっさと魔王様のところに持ってくか」


 魔物は大きく翼を広げ、皮膚の硬質化した脚部でシルフィーヌの両肩を掴む。


「にしてもいい女だな……人間の女ってのはどうしてこうウマそうなんだ。こんだけデカいんだし、間違えて乳を揉んじまっても事故だよな……」

「バカ言え。許可取ってねえなら事故でも女の乳は揉んじゃいけねえよ」

「くっ……そうか……って何者だ!?」


 魔物はとっさにシルフィーヌを離し、臨戦態勢に入った。


 魔物というのは基本的に生物の探知能力が高い。

 その魔物に欠片も気配を悟られず近づける者などそう多くはないはずなのだ。

 それがこの魔物の畏れにつながっていた。


「まさか生き残りがいたとはな」

「いやいや。あちらの兵士さんは残念ながら全滅しちまったよ。大した実力だ」

「ああ? ……なんだ。ただのガキか」


 魔物は声の主を見て目を細める。


 そこに立っていたのは一人の少年だった。

 黒い髪に整った顔がキレイに収まっている、細身で背の高い美男子。

 歴史に残る美しさと讃えられたシルフィーヌと比べても、遜色のないほどの美しい出で立ちをしている。


「遅れて悪かったな。っても、帰るついでに偶然立ち寄っただけなんだが」


 少年にはまるで緊張感がない。

 それこそ友達と話すような気軽さで魔物に接近している。


「おい。調子に乗るのもいい加減にするんだな。俺たちは闇の支配者。殺戮の使徒だ。お前みたいに恐怖を感じないイカレ野郎なんざ何人も見てきた。そんな可哀想なお前に現実ってやつを教えてやるよ」


 魔物は再び大きく翼を開き、筋骨隆々とした鉤爪付きの足で少年を思い切り蹴り飛ばした。


「あ?」


 つもりだったのだろう。

 しかし魔物の予想は軽々と裏切られた。

 少年は微動だにしない。

 傷ひとつついてはいなかったのだ。


「なにぃ!?」

「魔王様とやらに伝えとけ。お前の交配相手なら豚小屋から探してやるってな」


 少年はその場で軽く魔物に拳を見舞った。


 今度はたったそれだけのことだった。

 それだけで魔物はジェット機に跳ね飛ばされたように遠くへ消えてしまった。


 同時に金縛りから開放されるシルフィーヌ。

 だらしなくも空いた口がふさがらなかった。


「部下を助けられなくてすまなかった。まさかこんなことになってるなんて知らなくて」

「は、はあ」

「ってヤバっ!? その格好、どこぞのお姫様か!? ももももしかして、敬語使わないと不敬罪で死刑だったり……!?」

「そう、ですね」

「まじかあああああ!!」


 少年は頭を抱えてうずくまった。

 むろんシルフィーヌは少年の話など聞いていない。


 いったい、何が起こったのか。

 それを考えるだけで頭がいっぱいだった。


「俺は……俺の人生は……うぐっ……!」

「あ、も、申し訳ございません。話を聞き流しておりました。助けていただいたというのに。どうか私の無礼をお許しください」

「え、ああ、そうなの。ならいいや」


 相好を崩し、握手を求める少年。

 シルフィーヌもそれに素直に応じた。


「なんだかなー。俺、美少女センサーでもついてんのかなあ。どうもこういう場に出くわすことが――」


 しかしシルフィーヌにはのほほんとしている暇はなかった。


「あ、あの、名も知らぬお方」

「なんだい?」

「このシルフィーヌ。無礼を承知でお頼み申し上げます」


 シルフィーヌは一歩下がり、ドレスを両手でつまみながら膝をついた。


「どうか我が祖国。ロレイスター帝国をお救いください。あの憎き魔王を。父の仇を。どうか……」


 深々と頭を下げるシルフィーヌ。

 少年はそれを見下し、不気味な笑みを浮かべる。


「お、ようやくご登場か。ここまで長かったな」


 少年はシルフィーヌの顎をクイと上げ、その瞳を覗き込んだ。


「いいぜ。国一番の宝と引き換えに、その依頼、受けてやろう」


 妖艶に響く少年の声。


 それに応えて頷くシルフィーヌの頬は、ほんのりと紅みを宿していた。



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