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詩曰く、心はあえて見えなくしたものであると


 人間の行動原理なんて、結局は損得勘定だ。


 一見割りに合わないような行為でも、個人ではきっちり利益を見込んでいる。

 それが物理的なものであれ心理的なものであれ。


 たとえば対戦ゲームであえて不利な状況に自分を追い込むような行為。

 相手を油断させる作戦だったり、負けゲームの時間の浪費を抑えるためだったり、限界の状態になることで力を出そうとしていたり、その人なりの意義がどこかにはある。


 知人と食事に行って自ら財布を開くのはその先の人間関係の構築に有益であると考えるからで、人によっては承認欲求を満たすためだけにすることもある。

 自らの体を傷つけることすら、自殺願望がある人にとってはプラスだろう。


 人は客観的に言動を眺めるだけではすべての意味を推し量ることはできない。

 自分のことですら深層心理を理解できないのだから。

 その人の履歴を一つ取って、これはどういう目的だと問うのはナンセンスだ。


 心というものは観測ができない。

 よく心の広い人が好きだとのたまう輩がいるが。

 いったいどこに心の広さを測る物差しを持っているのだろう。


 相対的にある価値観を絶対的に決めつけるから、人は他人の気持ちを読み間違える。


 それはときに予想を大きく飛び越えるような。

 推測と真逆の位置に事実が存在することだってあるというのに。


「いよいよだな」


 第三訓練場4番ルーム。

 重厚な銀色の扉の上部に、でかでかとゴシックな文体でそう書かれている。


 訓練場は一般生徒が授業に使うほか、放課後には自主的な魔法の練習や、社会人グループがお金を支払って利用したりするわけだが、それは第二訓練場までの話だ。


 ここ第三訓練場は魔法実技で優秀な成績を収めた生徒のみが利用できる。

 本来なら進級試験を控えた今は予約で一杯で連日訓練場の使用などできずはずがないのだが、俺とフィオネのような人間は特別扱いされるってわけだ。

 平均して魔法力の高い生徒を排出する学校と、数人でも世界で著名な人物を生み出す学校と、どちらが魔法学校として通りがいいかは言うまでもない。


 これが前世ならPTAやらから苦情が殺到したことだろう。

 なんとも嘆かわしい限りだ。


「アデル・クリフォード。生体認証を開始してくれ」

「ニンショウ、カイシ。データベースへ、アクセス、データノケンシュツ二セイコウ。ヨウコソイラッシャイマシタ。アデル・クリフォードサマ」


 無機質な声が流れるとともに、扉が開いた。


 生徒の生体情報は学校によって保管されている。

 別に会話なんてしなくてもボタンをポチってやってスキャンしてくれればいいのだが、音声系の魔法研究者が研究データを集めるために学校に依頼しているらしい。


 フィオネは来てないみたいだな。

 まだ約束の五分前。

 あいつのことだからジャスト18時にくるはずだ。


 緊張はしない。

 色んな人に助けてもらって、覚悟はできているから。


 俺はなんとしても仲直りする。

 結果的に絶縁になるとしても。

 限界ギリギリまで俺の想いを伝えるんだ。


「ヨウコソイラッシャイマシタ。フィオネ・ブラスネイルサマ」


 訓練場を眺めていると、背後でまた無機質な声が聞こえた。


 いよいよか。

 あいつは、フィオネはどんな顔をしてるかな。


 俺は深呼吸をする。

 目を閉じて、大きく二回。


 すると俺の背中に、トン、とぶつかってくるものがあった。


 フィオネ、だよな。

 ここのセキュリティは頑丈だし。

 あの音声は聞き間違えるほどわかりずらくはない。


 背中から伝わる感触からして、身長はまだ俺より高いぐらい。

 肩に乗せられた両手が、外側に移動していって、腕ごと俺を抱きしめるように回される。


 なにしてんだこいつは。

 刺されたりは、して、ないよな。

 こんな時に失礼か。

 何考えてんだ俺は。


 身動きが取れない。

 フィオネも動かない。


「まあ、こんなものね」


 何が。


「早かったのね」


 その言葉の後に俺は開放される。

 一拍置いて、後ろを振り返った。


「そりゃ、一言でも多く謝りたかったからな」


 二歩ほど下がったあたり。


 ムスッとした顔で俺を睨む、以前までの見慣れたフィオネがそこにはいた。

 話しづらい雰囲気じゃなくてよかった。

 他の奴らは話しづらいだろうがな。


「そう。なら、最初にその芳しくない頭に叩き込んでおいて」


 回りくどい毒舌で忠告をする。


「今ここで一言でも謝ったら、あんたとは絶交するわ」


 フィオネは強めの口調でそう言った。


 これは、どう捉えればいい。

 謝罪しなければいいことはわかったが。


 なんだ。

 この言葉は俺にとっての、救いなのか?

 終わりなのか?


「いい?」

「わかった」


 意図はわからないが。

 フィオネの命令なら答えはイエスだ。


 でも謝らないなら。

 俺はフィオネに何を言えばいい。


「私はね」


 大きく息を吸い込んでからフィオネは言う。


「あんたといるとイライラするの」


 紅い髪を揺らす、フィオネの鋭い視線が刺さる。


 ドクン、と、心臓が跳ね上がった。


 そう語るフィオネが偽りなく苛立たしげで。

 無表情がデフォルトのフィオネがここまで歯がゆさを露骨にするのは稀だ。


 やばい。

 謝りたい。


 俺は、フィオネにそんな負担をかけて。

 本当に。


「嫌いになれないのよ。あんたのこと」


 思い切って、意気込んで、最後に吐き出されたような。


「あんたにどんなことをされても、どんなことを言われても。離れてるときの虚しさが消えない」


 その言葉に、俺の鼓動は更に加速した。


 待て。

 それって、まさか。


「可笑しいと思うでしょ? 私自身、信じられないくらい。私は確かにあんたに怒りを覚えてたはずなのに。人間って馬鹿になるようにできてるんだなって、わかったわ」


 言い切ると、フィオネの体から怖い感じは消えて。

 代わりに優しい雰囲気がフィオネを包んだ。


 こいつが俺に好意を抱いていたのは知っていた。

 それを知るきっかけが、こいつに嫌われるきっかけになった。

 はずだったのに、こいつはまだ、俺のことを。


 たしかに、世の中には酷い目にあいながらも男を愛する女はいる。

 でも今回のはそういうのとは別のはずだ。


 わからない。

 俺には。

 女心ってやつが。


「初めて会った日。初めてアデルに話しかけられたときから、そう思うようなことは何回かあって。センツェルのときと、バスの一件と。その、さっきので、確信した」


 フィオネは最後をごまかしながら言葉を絞り出した。


「私、あんたのことが好きみたい」


 ついに、言われてしまった。

 いきなりすぎてかなり動揺している。


 どうすればいいんだ。

 わからない。

 なんだこれ、男としてすごく情けないぞ。


 こんな流れはまったく予想してなかったからな。

 せめてなんか言え。

 なんでもいいから言えよ俺。


「つまり、それは」


 どうすべきか、わからない。

 聞いていのか。

 聞いて、いいん、だよな。


「男女の関係になりたいって、ことか?」


 いや、なんか違う!


 それを聞くってどうなんだ。

 そういうの察した上で、もっと気の利いたことを言うべきだっただろ。


 フィオネは真顔で考え始めちゃったし。

 ああもう。

 訂正したい。

 タイムマシン欲しい。

 時間を巻き戻して、過去の自分を一発ぶん殴ってやる。


「まあ、いずれは、そうなのかもね」


 フィオネは掴みどころのない答えを返してきた。


 流れ的に、はいそうですと言えなかったんだろう。

 その流れを作ったのは俺だ。


 でも、もしそうだと言われていたら俺はどうしていた?

 俺はフィオネと付き合うのか?

 即座にお願いしますとは言えなかったはずだ。


 そうか。

 この迷いは、答えが出せないのが原因なのか。


「いずれってことは、今は違うんだな」

「そうね。いま現時点で答えるならノーよ。付き合う気はない」


 わっかんねー。

 余計にわっかんねー。


 告白されるってもっとキラキラしたもんだと思ってたけど。

 現実はこうもギクシャクするんだな。


「というわけで」


 フィオネは俺との距離を詰めながら言う。


「私があんたを好きってこと、忘れなさい」

「……え?」


 こ、ここまできて、それ?


「できるんでしょ? その力で」

「ん、まあ、俺が把握してる内容なら、出来はする」

「そう。ならそうして」


 フィオネの凄みかたは怒っているものではなかった。


 ただ何かに耐え、心の奥底で歯を食いしばっているのがわかるような、そんな面持ちだった。


「わかった。やるよ」

「ずいぶん素直なのね」

「謝罪するなって言われたからな。俺なりの筋ってやつだよ」


 やるのは構わない。

 フィオネが望むなら。


「でも、いいのか? 忘れたふりして覚えてるかも」

「好きな男のことだもの。信頼するわ」


 うっ。

 恥ずいってか、照れるってか。

 なんか身体中をかきむしりたくなる。

 嬉しいけども。


「三日以上の記憶がいきなり飛ぶのも不都合でしょ。それに仲直りしたというのは憶えていて貰いたいし。あんたはただ、私の秘密を知って怒られた。そういう都合のいいように変えておきなさい」

「わかった」


 バスでのできごと。

 みんなに相談したこと。

 そして今のできごと。

 それぞれ生起した事象と俺との記憶の繋がりを強くする。

 

 そうしてフィオネが俺に好意を寄せていると判断できる記憶との繋がりだけを極限に弱くーーーー。


「ちょ、ちょっと待って」


 突然慌てた様子で、フィオネは集中していた俺を妨げるために肩を揺らし気味に掴んできた。


 なにかマズイことでもあったか?


「どうせ、忘れるんだから」


 息を呑み込み。

 速まる呼吸。

 フィオネの瞳が揺れていた。


「好きなことさせなさいよ」


 ほわー。


「お、おう」


 それが贖罪になるならいい。

 フィオネの望みはすべて叶えると覚悟を決めてきた。


 でも、フィオネさん。

 なんか顔も赤いし。

 テンパってませんか?


「じゃあ、ちょっとこっちに来なさい」


 制服の裾を引っ張って俺を誘導するフィオネ。

 フィオネは広い訓練場をあえて使わず、数ある休憩所のうち部屋の角にあるベンチを選択した。


 2人でそこに腰をかける。

 気持ちはわからんでもないけど。

 監視されてるわけでもないんだがな。

 こんな圧迫感のある場所がいいのか。


「もっと寄りなさいよ」


 仰せのままに。


 体温が伝わるほどに距離を詰める。

 フィオネは長い髪で横顔を隠しながら俯いていた。

 ズルい。


 これは俺からもなんかアクション起こしたほうがいいのかな?

 また余計なことして怒らせたくはないけど。

 俺も、まあフィオネのことは、好きだしな。


「フィオネ」


 俺は声をかけると、ビクッとフィオネが跳ねた。


「なに」


 目をまんまるにして、両手を構えながら俺の方を向く。

 そんなおっかなびっくりにならなくても。


「俺も、フィオネのことは、好きだよ」


 多少ややこしいことになっても。

 これだけは口にしておかなければならないと思った。


「そう」


 フィオネは小さくつぶやいた。


 それだけだった。


 一応好きな相手からの好意的メッセージなんだけど。

 お前の興味のあるものがわからん。


 フィオネはなかなか話し出さない。

 手持ち無沙汰にスカートのプリーツをいじっている。

 ときどきそれが止まったりして、何か話し始めるのかと思ったら、まただんまりのままスカートをいじいじ。


 おうつまりそれはそういうことか。

 乙女心察してアピールなのか。

 好きなことさせろって言われた手前、できればフィオネからの指示が欲しいんだが。


 ここは言いたくても素直になれないと、取るべきだよな。


 俺が右。

 フィオネが左。

 だからあれを掴むには左手を伸ばす必要がある。


 フィオネはひとしきりスカートを弄った後、また止まった。

 ここか。


「ちょっ……!?」


 フィオネは俺に手を握られたことを驚きながら、抵抗はしなかった。


 しかしこれはフィオネにとって望ましい展開ではなかったようで。

 先生が生徒を諭すような口調でフィオネは言った。


「余計なことはしない」

「はい」


 怒られてしまった。


 でもフィオネは手を離そうとはしなかたった。

 結局どっちなんだ。


「その、実は。私、恋愛経験とかなくて」


 いまさら!?


 し、知ってるけど。


「煩わしい?」

「いえ。初々しくて結構だと思います」

「そっか。ならいいの」


 大したことは言ってないのに。

 フィオネは嬉しそうに口元を緩めた。


 恋愛経験豊富な輩は数多くいれど。

 こんなイチャましいシチュエーションを体験したやつはそうはいるまい。

 そういう意味ではこちらとて初めてだ。


 今私の心を支配しているのは喜びだけである。


「なんか、やることなくなっちゃったわね」


 手をつなぐことがゴールだったんですか。


「街に出れば、買い物とかできたんだけどな」

「このまま? それは、さすがに、まだ無理」

「そうか」

「ええ。全裸で学校を歩いたほうがまし」


 それは言いすぎだよ。

 なにげに俺の心をえぐってるからね。

 わかってるよね。


「なあ。失礼かもしれないんだけど。フィオネは俺のどこが好きなんだ?」

「え? あー。そうね」


 お、答えてくれるのか。

 まあどうせ忘れるからな。


 フィオネは熟考してから、俺の目を見てきっぱり言ってきた。


「外見、かしら」


 顔なの!?


「一目惚れってわけじゃ、ないと思う。第一印象は最悪だったし」

「すこぶる迷惑そうな顔してたもんな」

「あの頃は、人と接するつもりがそもそもなかったから。でもそのせいで逆に、何度も話しかけてくるあんたのことが忘れられなくなって」


 あの粘りが功を奏したわけか。

 なんだかんだ王道を征ってたんだな。


「しかし決め手は顔なわけか」

「性分なの。許して。あんたの将来を考えると楽しみでしょうがないわ」


 お、おう。

 ぶっちゃけるようになってきたな。


 照れる。


「それはそうと」


 フィオネは一度俺との距離を取り、真正面で向き合うように居住まいを正す。


「あんたさっき、私のこと好きって言ったわよね」


 ここで拾うのか。


「嘘はついてない」

「なら」


 フィオネはベンチに両手をつく。


 そしてかつてほど頬を朱に染めて、目を逸らした。


「キスとかしても、怒んない?」


 ねだるように、血色の良い唇のほんの内側に舌を滑らせて。

 その後はプルプルと震えながら、真一文にした口は恥ずかしさを必死にこらえている。


 俺の隣にいるのはかわいい女の子だった。


「怒るはずないだろ」


 いずれこういう流れになることは想定していた。

 経験がないことは知ってたがここまで奥手だったことが逆に予想外だ。


「そうよね。私のこと、好きなんだものね」


 自分に言い聞かせるように。

 フィオネはつぶやいた。


「それじゃあ」


 区切り区切りに息を吸いながら。

 フィオネは俺を見たり、見なかったり。


 フィオネの指先に力がこもっていることがわかる。


「キスしてって、言ってもいい?」


 フィオネは完全にこちらを見なくなった。

 吹っ切れたというか、投げやりな感じさえする。

 もうどうとでもなれと内心思っているのだろう。


 そこまでの覚悟がいるものなのか。


「いいよ」


 俺も男だ。

 キスぐらいで動じることはない。


 だが緊張はする。

 とてつもなく。

 この雰囲気を壊してしまわないか。

 そういうキスができるのか。

 男の責任はいつだって重大だ。


 心の準備が済むまでの、数秒の間が空く。


 フィオネは壁に向かって、口を窄めがちに言った。


「じゃあ、しなさい」


 どうやら「して」とは言えなかったらしい。


 そんなフィオネの頑張りに免じて、俺の方から顔を近づけた。


 方法は2つ。

 1つは、そっぽを向いているフィオネの顔を両手でこちらに向けさせて、キスをするという方法。

 それもこの場にはそぐわないことはない。


 しかし俺は、体の向きを変え、フィオネの顔の正面に回りこむようにしてキスの合図をした。


 フィオネは目を閉じ。

 俺は軽く唇を重ねる。


 息は触れ合わないようにして。

 スッとフィオネから離れた。


 さてフィオネ嬢。

 いかがでしたでしょうか。


「案外あっさりなものね」


 だいたいそんなもんだよ。

 もし妄想で楽しむことが好きな人がいたら、貞操は守りぬくことをオススメする。

 やらないほうが幸せだったなんてことはいくらでもあるんだ。


「これなら、私にもできるかも」


 フィオネは眼差しをこちらに向けて何かを訴えてきた。


 はいどうぞ。


「んっ……」


 フィオネからは、やや大きめに。

 ついばむようなキスを頂いた。


 意外とこれが一番良いものだったりする。


「どうだ?」

「あんまり楽しいものじゃないわね」

「そりゃな」


 女の子は気分さえ乗ってれば気持ちいいって聞いたけど。

 フィオネはそうでもないのか。


「でも、もう手も繋いだし、キスもしたし。これで大人の仲間入りよね」


 フィオネは小さくガッツポーズを作る。


 どうしたフィオネ。

 もしかして、フィオネって根っからの少女気質?


「満足したから、帰るわ」

「おう」


 スクッと立ち上がるフィオネ。

 俺もそれに合わせる。


「あんたには、改めてちゃんと告白するから」

「わかった」


 家に帰って記憶を消して――――じゃ、ダメだ。

 相談した三人にも会って話さないとな。

 あいつらのことだし二つ返事でオーケーしてくれるだろう。


「また明日ね、アデル。いつもの席で待ってるわ」


 フィオネはそれだけ言って、帰ってしまった。

 俺に念押しすることもせず。


 信用されてるな。

 どうして俺みたいなやつを好きになったのかはわからないが。


 人に想われるってのは、悪くないもんだ。



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