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ふとももと説教


 俺は前世のころから、第六感というものを信じていた。


 霊的なものであれ、超能力的なものであれ、所詮人間が定義した5つの枠に全てが収まるとも思えない。

 加えてここは魔法が存在する世界だ。

 それらを超えた第7感があったとしても俺は驚かない。


 具体的にそれはどういう力かというと。

 世界が概念として持ち得る全ての外側とでも言えばいいだろうか。

 どこまでいっても抽象的な話に留まらずを得ないが、早い話が人間が観測することはおろか想像することすら遠い場所にある何かだ。

 俺に因果を扱う力を与えた神ですら知らないような。

 あるいは世界の創造主すら想定していなかった生物の力。


 俺は今日、改めてその存在の片鱗を見た気がする。


「ただいま」

「おかえり、アデル」


 家に帰った俺を出迎えてくれたレイシアは、いつになく神妙な面持ちだった。


「話って、なに?」


 俺も真顔で向かい合う。


 レイシアは飛行船に乗って、今朝ようやくリヒト公国に帰ってきたところだ。

 もしかしたらグランデ魔鉱山のできごとを俺に伝えるつもりなのかもしれない。

 最初に言われたときはそう思ったのだが、どうにも釈然としなかった。

 なにかもっと重大な話をしたがっている。


 俺には、そんなふうに見えた。


「アデル」


 スッと。

 流麗な足運びで近づいてきた。

 レイシアからは、風呂あがりのフローラルな香りが漂ってきた。


 それからレイシアは俺の間をぐるぐる回り。

 俺の体をくまなく見渡し。

 ついには鼻先を近づけてクンクンと匂いを嗅いできた。

 想像以上に距離が近くて気恥ずかしい。


「ふむ」


 気が済んだところで、レイシアは距離を取る。

 そして指で顎を擦りながら難しい顔で考え込んだ。

 どう突っ込んだらいいのかわからない俺は棒立ちのまま。


 普段はわかりやすい態度ばかりとるレイシアだ。

 こういった判断に困る行動をされるとお手上げである。


「ねえ、アデル」

「どうしたの?」

「魔法使ってみて」

「えっ」


 その言葉に、冷たい汗が俺の背中を通り抜けた。


 どういう意図を汲み取ったわけでもない。

 ただ、俺を見るレイシアの目が俺を見ていないようで。

 それが妙に俺の恐怖心を煽ったのだ。


「ね?」

「ああ、うん」


 急かされるようにして。

 俺は氷魔法を使った。


 空気中の水分を増幅させて凝縮し、手のひらサイズの氷柱を作る。

 属性変換の基本はまだ知識としてしか与えられていないが。

 できる生徒が全くいないわけでもないので、実技試験一位の俺がこれぐらいのことをやってのけたところで驚くようなことでもない。


 レイシアもそれを見て驚きはしなかった。

 代わりに、その顔にはどこか物憂げな。

 悲しい表情が伺えた。


「これでいいの?」

「うん」


 どうしてそんな顔をしたのかわからない。

 レイシアが悲しい顔をしたのは、本当に瞬きをする間のことで。

 次の瞬間には明るい、いつも通りのレイシアがそこにいた。


「アデルも、もう立派な魔法使いだね」

「ありがとう。姉さんほどじゃないけど」


 俺が魔法を使えること自体は、入学前から知ってるはずなんだけどな。


「学校お疲れ様。アデル」


 俺が魔法を使えるのを確かめたかっただけ?


 嘘くさいけど。

 強引に確かめるのも流れ的にちょっとな。


「姉さんこそ。長旅で疲れてるだろうから、ゆっくり休みなよ」

「ふふっ。ありがと」


 レイシアは手を後ろで組み、ウィンクを飛ばすと二階へ上がっていった。


 これは参った。

 相談しようと思ったけど。

 そういう雰囲気じゃない。


 どういう意図だったんだあれは。

 何かを悟ったって反応だったよな。


 俺の能力のことか。

 フィオネのことについてとかは、論外だとして。

 魔法に関係することなのか。

 英雄リーゼロッテから三属性混合トリプルについての情報でも仕入れて、それを確かめようとしていた、とか。


 ダメだ。

 考えても埒が明かない。

 こういうときは風呂で余計なもんを流すに限る。


 脱衣所に行って、服を脱ぐ。

 10歳ともなると女の子はそれなりに体が完成してくるけど、男であるこの身体は外見チートがあるとはいえまだ青いな。


 さっさと大人になりたい。

 この身体でも一応やれることはやれるけど。

 相手が引くからな。

 一時期はこの歳じゃなきゃ楽しめないプレイもあるだろうと期待を膨らませていたが、さすがに妄想と現実は違う。

 やたらとムラムラしていて1日3回はやれるだろうと思っていたら1回で落ち着いてしまったような、そんな気分だ。


「はぁ」


 加えて今は深層ブルーな心持ちだ。

 自分では立ち直った気でいるし、身体はすこぶる機敏に動く。

 でもふと気づくとぼーっとしている。


 こうやって湯船に浸かってる時なんかは、もうなんも考えたくなくなるな。


「アデル」

「ぬぉあ!?」


 レイシアが風呂場のドアを開けてきた。

 絶対に来ないと思ってたからやたらとビックリした。


「あ、ごめん。おどかしちゃった?」


 思わず変な声がでるぐらいには。


「えと、この後、お姉ちゃんの部屋に来てもらっていい?」


 なんで。

 というかそれはドアを開けないといけない話か。


「いいけど」

「じゃあ部屋で待ってるね。今日はどこにも出かけないから、ゆっくりでいいよ」

「わかった」


 レイシアの話は、あれで終わりのつもりだったんだろう。

 これはふと思い立って声をかけたって雰囲気だ。


 ゆっくりでいいとは言われたけど。

 そんなに長湯が得意なわけでもないし。

 レイシアが二階に行ったら俺も上がろう。


 さっきのとは別の話だよな。

 今度こそグランデ魔鉱山でのできごとを話してくれるんだろうか。

 俺はゴリラとは戦ったけど、レイシアが何をしてたかは知らないから。

 興味がないでもない。


 風呂から出て、部屋着に着替えてレイシアの部屋に向かう。


 レイシアの部屋に入るのも4年ぶりぐらいだ。

 内装は白とピンクのパステルカラー。

 この部屋にいるだけで血色が良くなりそうだ。

 昔は女の子らしいなと思ってたけど、レイシアの痴た……生態を知ってからは、レイシアがピンク好きというのは妙に、アレな感じがする。


「あがったよ」

「早かったね。はい、ここおいで」


 ベッドに腰掛けていたレイシアが膝をポンポンと叩く。


 風呂場でもそうだったけど。

 レイシアはなにかと俺を膝に乗せるのが好きだ。

 小さい頃は抱えてもらいながら絵本を読んでもらってたっけ。


 腕にすっぽりと包まれるのが幸せで。

 耳元でレイシアが読み上げてくれるのが心地よくて。


 あれ、なんだろう。

 涙が出そうだ。

 やばいやばい。

 ただでさえ精神不安定なんだし。

 しっかりしないと。


「重いよ?」

「頭だけならへーき」


 ほら早く早くと催促するレイシア。


 頭だけだと。

 待て。

 それはどういう意図だ。


「話があるんじゃなかったの?」

「そんなこと言った?」


 ……言ってなかったな。


「実はこういうものを教わったのです」

「ほう」


 レイシアが手に持って示してくれたもの。


 それはふわふわと綿毛のついた木製の極小匙だった。


 あれを世界では、耳かきと呼ぶ。


 誰に教わったんだ。


「痛くしないでね」

「初めてなので保証しかねます」


 ニコッと明るい笑みで答えるレイシア。


 んにゃろう。

 いつか同じセリフを交わしてやるぞ。


「ん」

「はい。素直でいい子ですね」


 そうして始まった耳かき。


 いや待て。

 どうして始まったんだ。


 グランデ魔鉱山での一件は確かに世界規模での大事件だったわけだが。

 俺にとっては道端で手頃な石を見つけてつい思い切り蹴飛ばしてしまったようなごくありふれたイベントの一ページだったわけで。


 なぜこのタイミングで?

 という疑念が頭の中に引っかかる。


 どう考えたって不自然だ。

 つい最近まで死の際にいたってのに、どういう流れで耳かきの話になる。

 そりゃまあ、レイシアもその友達も神経の太い人間で、あの山のバケモノのことなんて昨日の晩ごはんと一緒に軽く忘れ去られてしまうようなものだったのかもしれないが。

 それにしたって長旅してきた今日にやることはないんじゃないか。


「痛い?」

「ううん。気持ちいい」


「そっか」と呟くレイシアの声は弾んでいた。

 まあ、俺のこと好きだしな。

 ブラコンだし。


 そう考えると、レイシアが俺を世話することに安らぎを覚えているとも取れるのか。

 じゃあやっぱり、これはただの気まぐれ?


「はい。身体の向きを逆にして」

「わかった」


 そうやって、堂々巡りになった俺の思考。


 考えてるうちに、答えの方から勝手にやってきた。


 まったく力を入れないフェザータッチで。

 それでも確かに俺は耳の中に硬い感触を覚えながら。

 ザッ、ザッ、と耳の中を擦る音だけに支配されていた空間に、ためらいがちなゆったりとしたソプラノが流れてきた。


「ねえ。お姉ちゃんはアデルにとって、あんまり頼りにならないかな」


 それは決して暗い声音ではなく。

 ただ囁くようにレイシアは訊いてきた。


「どうして?」


 問い返す。

 これは俺の素直な疑問。


「アデルはお姉ちゃんに相談とかしないから」


 手の動きに乱れはなく。

 言葉は静かだった。


 言われてみればそうだ。

 今日しようと思っていた相談が初めてだった。

 こんなに頼りがいのある人がいるというのに。


 しかし人生で相談なんてことをしたこともそうないのも事実。

 だからたまたまだと言っても嘘にはならないし。

 特に俺はもう10歳までの人生を一度過ごしてるから、そのあたりの悩みは経験済みというか、そもそも相談するほど悩んだことがなかったというか。


 そう言われても困る、というのが率直な回答だった。


 レイシアが気にしてたのはそういうことか。

 グランデ魔鉱山でのことで色々と思うことがあって。

 きっと皆に頼りにされていたはずだ。


 そんな中、どうして愛する弟だけは自分を頼らないのかと。


 そう思ったに違いない。


 ……我ながらとてつもなく気持ち悪い妄想だな。


「相談とか、慣れてなくて。別に姉さんに対してだけじゃないよ」

「そう? でもそれは、相談したいことがないってことじゃ、ないんだよね」


 徐々にレイシアの声に感情がこもりはじめる。


 それはとにかく相談しろと。

 そう言いたいのか。


「相談、してくれないかなー」


 言っちゃったよ。

 ついにこの人考え丸出しにしちゃったよ。


「耳かき終わったら、考える」

「はい、終わり」

「はやっ」


 俺は思わずレイシアを見上げた。

 そこには、意外にもキョトンとした顔があった。


「もうちょっとやって欲しかった?」

「え、あー」


 冷静になってみると、ちゃんと最後までしてもらえてたな。

 偶然タイミングが一致しただけだったか。


「そんなに気持ちよかった? もう1回する?」

「い、いい」


 その誤解を孕んだ聞き方はやめてください。

 反射的にノーと言ってしまいます。


「あ、なるほど」


 レイシアは勝手にわかったような顔をする。


「お姉ちゃんの膝から離れるのが嫌なんだね」


 何を言ってんだこの人は。

 嫌に決まってるじゃないか。


 ってかちょっと待って。

 今まで考えこんでたせいで全然気づかなかった。

 レイシアのふとももマジ柔らかい。

 生肌あったかくてもちもち吸い付いてくるのが気持ちいい。

 それに横になったときの高さがちょうど良すぎる。


 こんな枕があったら最高だな。

 レイシアなら毎晩枕になってくれるんじゃないか。


「このまま相談する?」

「……いや、起きる」


 俺は後ろ髪を引かれることもなくレイシアから離れる。


 最近、いつもこうだ。

 バカみたいなことを考えて。

 盛り上がるだけ盛り上がって、いつの間にかそれを冷静に見つめている自分がいることに気づく。

 そうすると、途端に興奮が冷めて、逆に気分が落ち込む。


 なんだろうな、これ。

 楽しい気分にはなれるのに、それがいつの間にか苦痛になって、嫌になる。

 あれだけレイシアと接触しておいて下半身もまるで無反応だ。


 ……この場合、反応する方が健全なのか反応しない方が健全なのかはわからないけど。


「えと、実は――」


 どこまで話そうか。


 悩んでいるうちに、ほとんど全部話していた。


 能力のこと。

 フィオネのこと。

 グランデ魔鉱山のこと。

 1から10まできっちり揃えて。

 南馬遠夜のこと以外を、全部。


 その間、レイシアは頷きを相槌として返してくるだけで、何も訊いてこなかった。


「――だから、あの魔獣を倒したのも、僕なんだ」


 俺が言い終わると、レイシアは「へー」と短く返した。


 それだけ?


「結局、相談っていうのは、フィオネちゃんのこと?」

「あ、うん」


 そりゃ結論としてはそうなんだけど。

 え、能力のこととかは。

 グランデ魔鉱山のこととか、ツッコミはなしなの?


 フィオネのやつも似たようなとこあったけど。


「驚かないんだね」

「そりゃさぞかしモテていることだろうと、姉は思っていたよ」

「いやそうじゃない」


 そっちの心構えは聞いてない。


「ふふっ。その特別な力のことでしょ。別に驚かないよ」

「本当に? どうして?」


 ここまで無感動だと、裏があるんじゃないかと勘ぐりたくなるのは人のサガだ。

 しかしレイシアの目には疑いも動揺も映されていない。

 すましたままのレイシアは、いつも見ている優しい姉そのものだった。


「世の中、よくわからないものだらけだもの。それに魔鉱山のことについては、今日、アデルが帰ってきたときに、わかったから」

「今日って……ああ」


 あれか。

 そういう確認だったのか。

 どうしてあれで確信が得られた。

 女の勘ってやつか?


 それとも、バカにしたような言い方になるけど。

 ブラコン特有の電波みたいなのが実際に存在するのだろうか。

 匂いを嗅ぐだけで、本当にそんなことが。


「どんな力を持ってたって。お姉ちゃんはアデルのお姉ちゃんだよ」


 そう言ってレイシアは、俺のことを抱きしめてきた。


 なんだかうまく丸め込まれた気がする。

 でもこれ以上言及する気にはなれない。

 これが包容力ってやつなのか。


 敵わない。

 俺のチートなんかよりずっと反則級チートだよ。


 あーもう。

 いい匂いがする。


 俺は今、こんな幸せを噛み締めてていい立場じゃないのに。


「あの、相談のことだけど」

「フィオネちゃんの? そんなの、悩まなくても平気だよ」


 いやいやいやいやいや。


「そんなのって。僕は人の心を覗き込んで、女の子を傷つけたんだよ」

「もちろん、悪いことではあるし、反省は必要だけど。そのフィオネって子はアデルが悩んでるほど根に持ってはいないと思うよ?」

「でも、すっごい怒ってたし」

「うーん」


 レイシアは俺を胸の中から開放し、天井を見上げながら、緩く腕を俺にまきつけて頭を撫でてくる。


「人間はね。ある時間の中で、一番に印象的だったことを記憶に残すの。よく思い出して。アデルは自分に都合のいいように、都合の悪い記憶を捏造してない?」

「そう言われても」


 俺も変な言葉遣いをする方だけど。

 都合のいい都合の悪い記憶って、わかるようで、やっぱり矛盾してるような。


「アデルはそのときものすごく反省して、ものすごく落ち込んで、むしゃくしゃして魔獣にあたっちゃうほど取り乱してたのに。今ではどう? 冷静に過去を振り返れてるよね?」

「それは、まあ、うん」

「相手だって人間だよ。同じように今の時間を生きてるの。たまたま記憶に残ったイメージだけ引きずって、その人の気持ちとか人格を決めつけちゃダメだよ」

「うっ……」


 ガッツリ説教されてる。


 レイシアの言っていることは、逆に都合が良すぎる気もするけど。

 そうか。

 そういう考えも、ありなのか。


「筋の通し方とか、ケジメのつけ方は、アデル次第。100発ほど殴って欲しければ、手加減無しでお姉ちゃんが手伝うよ?」


 鬼か。


「本人に殴ってもらいます」

「そっか。それがいいね」


 俺が力なく答えると、レイシアはまたニッコリ笑った。


 本気で言ってるんだろうな。

 きっとアーイェだってそうだったんだろう。


 まだ明確な答えは得られてないけど。

 俺はそうであって欲しいという辛い現状に、しがみついていた気がする。

 こういう自分の殻を破らないといけないことはわかった。


 どうせ自分で出す答えだ。

 そこに自己満足があってもいい。

 過程なんて俺以外にはどうでもいいことで、結果を正しく見つめることが肝要。


 人は今の時間を生きている。

 この姉も中々良いことを言うものだ。

 自分がわかった気になるまで考えぬいてやろう。


 フィオネと、この力と向き合うために。

 俺は、心の換気をしなければならないみたいだから。



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