チートの存在
森を駆け抜ける悲鳴。
それを拾い上げるように、俺は各地を回っていく。
今度は犬っころに追われてるのか。
サイズも大したことないし、蹴り飛ばして一撃に伏してやろう。
スピードも俺からすれば遅いもんだ。
「止まって見えるぜ!」
すまんな。
一度言ってみたかった。
俺は魔獣と化した狂犬を始末し、生徒たちに村に戻るよう命令する。
「よし! 次!」
救難信号の出方にはある程度の法則がある。
といっても、村から遠い順にというぐらいなものだが。
これが円周上にぽつぽつとこられるとたまらないが、幸い半分は市街地側だ。
一つクリアすると、次に向かうべきところはそう遠くないところにある。
「シャルロット!」
シャルロットはイラベラのペアと4人組で固まっていた。
こいつらはまだ救難信号を出していなかったが。
周囲の異変に気づいて、どうするか相談していたようだ。
「あ、アデルくん!」
すでに涙目になっていたシャルロットが泣きながら駆け寄ってきた。
「アデル。どうして君がここに」
ついで落ち着き払ったようすのイラベラが。
フィオネと同じようなことを。
「ここら一帯に魔獣が出現してる。それもBクラスのやつらまでできやがった」
「なに!? それは本当か!?」
イラベラは途端に焦りを見せ始める。
こういうときはシャルロットぐらい臆病な方が安全そうだな。
「俺もあまりゆっくりはしてられない。やらなきゃいけないことがある。お前らは急いでプネルケ村に行け。真っ直ぐ向かえば魔獣には絡まれないはずだ。周囲に魔獣の気配はない」
「アデルくんは一緒に来ないの?」
「言ったろ。やることがあるって」
俺が少しずつ離れると、シャルロットは未練がましく俺を見つめてきた。
その場にいるだけでこいつらの足止めになっちまいそうだな。
「走れよ!」
その言葉だけを残し、俺はすぐさま別の生徒のところへ行った。
それから生徒一人一人の足音を辿り、救難信号がある度にそちらを優先して魔獣を排除していく。
次から次へ。
休む間もない。
こんだけ動いても筋肉疲労がないってのは、さすがチート様様だな。
「エッジ!」
こいつも今だに目の敵にしてくるが。
助けてやらないわけにもいかない。
「ちくしょう! 来てみろよ! 僕はクロモルト家の長男、エッジ・クロモルトだぞ! 君たちなんて刺身にして今夜のディナーに並べてやる!」
エッジは筋肉質な足の生えた4足歩行の魚と対峙していた。
どういう経緯でそんなんが生まれるんだ。
人間に憧れて悪魔とでも契約したか。
それにしても。
誰が相手でもその態度が取れるのは尊敬するぜエッジ。
お望み通り風属性のかまいたちで半人魚をスライスした。
ギャーと濁った声を出しながら崩れ去る魔獣。
き、キモい。
「お、お前は! 今のは……なんだ……」
さすがに今回はインチキだの何だのとはいえまい。
ってかお前、俺より実技試験の点数だいぶ下だからな。
「なんでもいいからプネルケ村に戻れ」
「なに!? 僕に命令するのか!」
「俺からの命令じゃねえ。さっきみたいのが各地で暴れてるんだ。プネルケ村に避難してる奴らがお前の力を必要としてる」
「そ、そうだったのか」
こういう思い込みが激しいタイプは誘導するのも楽でいい。
「そういうことなら任せろ! クロモルトの偉大さを学校中に知らしめてやる!」
おうおう頑張れ。
そうして俺があと数体の魔獣を仕留めたぐらいで信号は完全に止まった。
もうこれで100人以上の安全は確かめたか。
合同で実習をやっている生徒が200人。
もう巡回中の魔道士とか先生に回収されてるやつらもいるだろうから、あらかた片付いたはずだ。
俺もいい加減キリのいいとこで戻らないと。
アイスクリフの生徒の所在を名前順に検索していく。
うん。
全員プネルケ村周辺に足音が集まってるな。
タクトノットの生徒は知らないから探せないけど。
ひとクラスでひとりずつペアになってるんだ。
離れずに行動していることを願おう。
となると状況確認のためにプネルケ村だ。
周囲の魔獣をもう少し殲滅するというのも手だが。
遠くに人影がある。
巡回中の魔法士か。
制服についてる羽付き杖の紋章からして、魔法戦闘特化のハイキャスターだな。
話を聞いてみるか。
「すみません」
まだ若い。
高等部卒業したてぐらいの魔法士だ。
「あ、君! オスマルドの生徒だね! 今ここは非常に危険な状態で……避難指示が出されてるんだけど。ペアの子は、どうしたんだい?」
「実は――――」
俺は事情を説明しつつ、今の状況を教えてもらった。
「ビオトープの魔獣が脱走した?」
なんでも、ここにはまったく開拓しないまま周囲を開発している地区があるらしく、この一帯と違って魔獣の殲滅も一切行っていない管理区があるのだとか。
それをオスマルドが研究用に所有していて、今回の魔獣はそれが脱走したものだと言うのだ。
「そうなんだ。悪用されるといけないから詳しいことは言えないけど。ビオトープの一部が破壊されてね。もう脱走しないように処置はしてあるから心配はいらない。魔獣は、我々プロが責任を持って退治するから、君ももう村に戻りなさい」
「はい。わかりました」
なんだそういうことだったのか。
そんな場所があるなんて全然知らなかった。
にしたってBクラスも魔獣まで放し飼いするかね。
研究家の考えてることはよくわからん。
でも大したことなくてよかった。
俺はプネルケ村に戻り、バスの中に詰められている生徒たちを確認する。
魔法士たちも隊列やバリケードを作って待機していた。
バスの外にはまだ先生が残っている。
担任のエイミーと救護用のメリルだ。
エイミーが魔法士に何か強く訴えていて、メリルがそれを心配そうに眺めている。
どうしたんだろう。
誰か帰ってない生徒でもいるのかな。
「アデルくん! いったいどこに行ってたんですか!」
あ、俺か。
二人は俺を見かけた瞬間にものすごい剣幕で走ってきた。
「早くバスに乗りなさい。どうにも近くの魔獣管理施設に不具合があったらしくて、この地域は今とても危険だわ」
「それは知ってます。途中で魔法士の方に聞いたので」
「そう。なら話は早いわね。もうバスを出すから、メリル先生といらっしゃい」
これ、俺が欲を張って魔獣討伐とかしてたら余計に面倒事になってたのか。
あいかわらず思慮が足りないな俺は。
もっと状況をよくみないとな。
エイミーはメリルにひとことかけてからバスに乗った。
メリルからも怒られないといけない。
そういえば、久しぶりに会った気がする。
「もう。あまり先生を心配させないで」
メリルは俺を強く抱きしめてきた。
その頬の熱さの中に、湿った冷たさがある。
泣いてる。
俺なんかのために。
悪いことしたな。
メリル、子供好きみたいだったし。
あたりまえだよな。
生徒がいなくなれば泣きもする。
「ごめんなさい」
「ううん。いいの。あなたが生きていればそれで」
メリルは俺の両肩を掴んでそう言い聞かせてから、涙を拭く。
「最近、あなたの顔が見えなくて、ちょっと寂しかったわ。今度また保健室にいらっしゃい。せっかくこんなに大きくなったんだし」
愛おしそうにメリルに頭を撫でられて、なんだか気恥ずかしい。
最後のセリフにはちょっと引っかかりつつも俺は首を縦に振った。
メリルに連れられてバスに乗り込む。
緊急時だが人員把握のために、みんな行きと同じ席に座っていた。
「みなさん。今日は怖い思いをさせてごめんなさいね。今までにない不測の事態でしたが、全員が無事に帰ってくれたのは、ひとえに対応力のあるみなさんの優秀さによるものだと思います。元気に戻ってくれて、本当にありがとうございました」
エイミーがまだざわついていた生徒たちを鎮めるため、全体への謝罪と感謝を述べる。
その間にもバスはプネルケ村を発った。
たしかにこいつらの対応力はさすがといった感じだったな。
1分ぐらい魔獣と戦ってたやつもいるみたいだし。
命がけになると人間どうにかなるもんだ。
俺は労働の疲れを吐き出すように、椅子にもたれかかって大きくため息をついた。
行きと同じ席ということで、隣にはフィオネがいる。
かつてないほど苛立たしげな顔をしたフィオネがいる。
「アデルさん! お待ちしておりました!」
フィオネの前上あたりから、フィオネのものとは思えない口調の声がする。
ちなみにこいつがフィオネを苛立たせている原因だったりする。
フィオネの膝の上に堂々と座り、高いところから俺に抱きついてきた。
自分の上で忙しなく動くそれに、青筋を立てるフィオネ。
そんな状態でも落ちないように体を支えてあげているその優しさが、俺は好きだったりする。
「アーイェ。お前、どうせ反対側の席なんだからわざわざそこに陣取らなくても。同じ隣なんだからさ」
「同じじゃありません。通路ひとつ分という果てしない隔たりがあるじゃないですか」
んな彼岸じゃないんだから。
「そうだ。アデルさんお疲れですよね。お水いりますか? プネルケ村の方が配ってくださっていたのですが、アデルさんは受け取っていないみたいですので」
そういえば、バスの中のやつらが円筒状のペットボトルみたいなのを持ってたな。
待機してる間に配られたのか。
「んじゃもらおうかな」
「はい。どうぞ」
と言って渡された水は、人差し指の第二関節分ぐらいしか残っていなかった。
まあ、いんだけどね。
足りることには足りるし。
ただ想定とギャップがあっただけで。
「ところで、アデルさん。物は相談なのですが」
アーイェは居住まいを正す。
フィオネの上で。
お前はいつまでそこにいるつもりだ。
そしてフィオネ、お前は文句言っていいんだぞ。
「なんだ」
「その、そろそろ、二年の昇級試験があるではないですか」
「そうだな」
これが二年最後のイベントだったしな。
よくわかんないまんま終わっちまったけど。
「実はわたし、あまり実技の点数がよろしくなくて」
「はあ」
この時点で俺は察する。
なんでこいつがこんなにかしこまっていたのかを。
だが最後まで聞いてやる。
「アデルさんは去年度トップだとおっしゃっていましたし、その、1日だけでもよいので、練習に付き合っていただきたいのですが」
試験直前には準備期間もあるし。
俺はどうせ練習とかしないから暇なんだけど。
俺が魔法を使うプロセスは若干普通と違うからな。
「付き合うのはいいけど。実力があるからって指導ができるとは限らない。選手とコーチの存在価値は別物。それはわかってるよな」
「もちろんですとも」
アーイェは銀色の髪を振りまきながらニッと白い歯をのぞかせた。
フィオネが鬱陶しそうにしている。
あまり大きな動きをするのはやめたまえ。
「オーケー。約束するから、とりあえず席に戻れ」
「はーい!」
アーイェはスルッと床に降りた。
なおこのときまでフィオネはアーイェを支えていた模様。
アーイェは律儀に俺とフィオネにおじぎをする。
フィオネはガン無視である。
俺は二人のこれからが心配である。
果てしない隔たりを軽く飛び越えて、元々隣の席だった生徒に元気に話しかけるアーイェ。
その生徒はというとややゲッソリとした顔だった。
中には恐怖でずっと泣いてる生徒もいるというのに。
太てぇやつだ。
それから俺は、フィオネと話したかったのだが。
空気がそんな感じじゃない。
外を向いてるのはいつものことなんだが。
今は話しかけないでオーラが満載である。
今日は色々頑張ったし、学校に着くまで寝るか。
俺は改めて背中に体重を移して瞼を閉じる。
疲れた疲れた言っても精神的な疲れだけだ。
こういうのは寝て解消するに限る。
「うわっ」
ほっぺたに冷たい感触が当たった。
これは、水?
「ん」
視界の左側からにゅるっと手が伸びている。
どうやらフィオネのしわざらしい。
今度はボトルいっぱいの水が波打っていた。
「水」
「あ、ありがとう」
気づけばピリピリした雰囲気はなくなっていた。
フィオネはフィオネで別のボトルを持ってるみたいだし。
飲んでないわけじゃないのか。
ってかもらっといてくれたのか。
ありがたく頂戴して、一息つく。
やはり飲む量は同じでも、最後にボトルが空になるあの虚しさがあるのとないのとでは満たされる感じが全然違うな。
「ねえ」
タイミングを見計らってフィオネが話しかけてきた。
窓の外を見ているはずなのにどうやって見計らったのかはわからないが、とにかく話すにはちょうどいいタイミングでフィオネからのエクスキューズミーがあった。
「なに」
「一つだけ言いたいことがあるんだけど」
「おう」
「言っていいかしら」
「どうぞ」
俺が答えると、フィオネは俺の顔を見る。
そして少し空白を入れる。
デジャヴである。
「ありがと」
「いえいえ」
あの程度の敵、どうってことない。
つかどんなやつが来ようと無敵だからな俺は。
こいつらにとっては命がけでも、俺にとっては作業だ。
上手く助けられるかどうかってのはヒヤヒヤするとこだけどな。
「あのさ」
「なに」
「一つ聞きたいんだけど」
「さっき一つって言わなかったか」
「別にいいじゃない」
別にいいけど。
「あんた、アレ、魔力使ってなかったでしょ」
「ああ、アレな。使ってない」
はっきり言ってしまった。
フィオネには初対面のときにチートを見られてるからつい。
盲点だったな。
戦うとき、魔法使いは自分の得意分野に応じて必ずと言っていいほど肉体強化を施す。
炎属性適正者であれば腕力を。
水属性適正者であれば五感を。
俺はそれをチートで補っているからわざわざ魔力消費する必要がない。
というかそもそも魔力を使うという発想がなかった。
今度からチートは魔力関係だけにしようかな。
でもバレたからってそこまで困ることでもないんだよな。
力の存在だけに関しては。
「生身であんな芸当ができるのは、英雄であるバルバド様ぐらいなものよ。もしかして、あんたもあの英雄様たちと同類なのかしら」
「企業秘密だって言ったろ」
こいつは人付き合いも多くないし。
口も硬そうだし。
信頼はできる。
正直、言ってしまいたい。
俺は根っから隠し事が苦手なんだ。
だからフィオネに力を匂わせてるのも、きっと心の奥底で真実を打ち明けたいからなんだと思う。
俺が力を隠す理由は、ただ大げさな機関に目を付けられたくないからだ。
毎日質問攻めにされて、毎日実験の勧誘をされて、そういう生活だけは送りたくない。
三属性混合だってただの妥協だ。
もしどこかの学会で三属性混合の可能性が示唆されれば、俺は世界中から注目を集めることになるだろう。
それは非常に邪魔になる。
俺が、このチートで可愛い女の子ときゃっきゃウフフする人生のな。
そんな事態にだけはあってはならない。
どんな凶悪な敵が出現するより厄介だ。
俺にとって真の強敵とは、魔王でも悪魔でもなく人間なのだ。
そんなことを考えていたとき。
大事件が起こった。
「どうせ私しか気付いてないんだし。教えてくれてもいいじゃない」
プイッと顔を背けて、フィオネが口を窄めたのである。
拗ねた。
フィオネが拗ねた!
「あーえーっと……」
ヤバイ。
我慢できない。
「そんなに、教えてほしいか?」
ついに聞いてしまった。
いいよな。
構わないんだよな。
「早く話しなさいよ」
ムスッとしたまま要求してくるフィオネ。
「じゃあ」
そして、俺は心を決めた。
「手、繋いでいいか」
接触しないと他人にチートを共有できないからなんだけど。
その時、微妙にフィオネの頬が紅潮した気がするのは。
フィオネの紅い髪に反射した光がたまたま当たったせいなのだろうか。