チョロインじゃありませんッ!
「あー。俺はこれから何を癒やしに生きていけばいいんだ……」
魂が抜けるとはかくがごとしか。
生気まで漏らすように俺は呻く。
ガタゴトと大型バスに揺られ、その度に両頬に当たる柔らかな感触が、壊れそうな俺の心を優しく包み込んでくれていた。
「ねえ、アデル。私はあんたをぶっ飛ばしても文句を言われない立場にいると思うんだけど。どう思う?」
「そんな夢も希望もないことを言わないでくれ。あと少しだけで良いから」
「いや、死ぬほど恥ずかしいんだけど」
フィオネに体を起こされ、俺は椅子の背もたれへと押し戻される。
まあ、これでもよく付き合ってくれてたほうか。
俺も本気で落ち込んでたし。
フィオネも本気で心配してくれたんだろう。
これ以上こいつの優しさにつけ込むのもよくない。
「んで。今日は何の実習だっけ」
「二人組での素材採取。朝のホームルームで担当とペアを言い渡されたでしょ」
「げ、俺、なんて言われたんだ」
「知らないわよ。私はあんたのペアじゃないんだから」
「フィオネじゃないのかよー。フィオネがよかった。こんな状態で見ず知らずの人間と表面的な付き合いをしなければならないとか神経使う」
「無神経極まりないことしといてどの口が言うのよ」
フィオネはやや苛立たしげに呟いた。
最近、フィオネは少し表情が豊かになった。
残念ながらネガティブな面が多いのだが、それでもときおり明るい顔になることもある。
笑った顔を見れる日もそう遠くはないだろう。
「なあ、フィオネ」
「なに」
窓の外を眺めながらフィオネは答える。
「やっぱり胸を触られるのって、嫌か」
「死ねばいいと思うわ」
「だよな」
ボディタオル越しだったとはいえ、レイシアもそうだったのかな。
それだけはないと思いたいけど。
というか冷静になってみると今とんでもないことを聞いてしまった。
フィオネにはなぜか嫌われる気がしないが。
反省しよう。
しばらくして、俺たちはリヒト公国郊外にあるプネルケ村にやってきた。
村とは言っているが、ここは市街地のように自治体が存在しているわけではない。
戦士見習いや学生たちが自然とふれあうために使われる仮村。
ぶっちゃけ宿舎と食堂以外何もない場所である。
俺たちはこれから丸一日かけて、指定された素材を集めて来なければならない。
生徒がバラバラになって自由に動き回れてしまうこの実習だが、安全のために様々な魔法道具は持たせてもらっていて、ここ一帯の魔獣の監視をしている魔法士もそこらに散らばっていることもあり、迷ったとしても頼る相手はいくらでもいる。
行き過ぎると危険度が上がってしまう場所もあるが、そういったところにはきちんと立入禁止の柵が張ってあるので、馬鹿以外はまず危険にさらされることはない。
バスを降りた瞬間から俺たちはこの地に投げ出さる。
全部自分でやって目的を達成しろということらしい。
フィオネに確認したところ、今回はタクトノットの生徒と合同で実習を行うようだ。
ペアは名前順で決まっているらしく、お互い顔はわからないので、前から名前の早い順にそれとなく生徒たちが移動している。
だから俺も先頭にいればそのペアを見つけられるはずなんだけど。
名前を忘れちまったから確かめようがない。
相手が来てくれるまで待つか。
「もし。あなたがアデルさんですか?」
おっ。
ナイス。
さっそくお声が掛かった。
「ああ、俺がアデルだよ。よろ……」
「はっ――あなたは!?」
俺を見た瞬間、声をかけてきた銀髪の少女は、なぜかバックステップをして杖を構えた。
「あなた、バスで女子生徒にいかがわしい行為をしてた人ですよね!」
「なっ」
見られてたのか。
厄介だな。
きっと反対側に乗ってた生徒だ。
「あ、アレには深いワケがあってだな」
「ワケ? 隣の生徒はものすごく嫌そうでしたけど」
「あいつは元からああいう顔なんだよ」
「おや。そうなのですか」
う、うん。
名誉毀損とかしてないよな。
あれ、マズいこと言ったかな。
今のは流石に酷かったかも。
「隣にいたの、フィオネっていうんだけど。すごく優しいやつで、頭も良くて、魔法力も高くて、美人で、大人で、とにかくめちゃめちゃいいやつなんだ。ただ、普段からぶっきらぼうなだけで。俺はあいつの優しさに甘えて、心の傷を癒やしてもらってただけなんだよ。本当に、ダメな人間だな、俺は」
「そうでしたか。なにやら深い事情があるようですね。しかしアデルさん。人に甘えることは決してダメではありませんよ。そうやって支え合うのが人間ですから。もしそのフィオネという方が落ち込むようなことがあったときは、今度はアデルさんが慰めてあげてください」
なんだその世間を知ったような口ぶりは。
出会い頭に説教とはなかなかない機会だ。
「わかった。ありがとうな」
銀髪の少女はとりあえず俺との距離を詰めてくれた。
結果オーライか。
理解の良い女の子だ。
歳は俺とそう変わらないぐらいか。
はつらつとしていて、打ち解けてみると話しやすい。
色の白い子だな。
レイシアたちも十分白いけど。
あれはもっと、健康的な白さだもんな。
こっちはちょっと不安になるぐらいだ。
顔のパーツも、お人形さんみたいというのがもはや比喩にならない。
ロリータファンションに着替えさせて椅子に座らせたらマジでわからんだろうな。
はー。
胸がない。
って俺はまた……。
アホか。
ダメだ。
まだ心の傷は深い。
「むむっ。なにやら邪悪な気配を感じます」
「気のせいじゃないか?」
どうしてお前ら女はそんなに敏感なんだ。
「そうですか。では、今日探すべき素材を確認しましょう。きちんと覚えていますか?」
「いやーそれがさ。メモした紙を学校に置いてきちゃって。油断してたから記憶が」
「おやおや。それはいけません。ですがご安心ください! そんなドジっこさんのために、このわたくしの頭にはしっかり叩き込んでありますので」
少女はない胸を張ってドンと叩いた。
そりゃありがたい。
お互いに忘れてたら先生に聞きに行かなきゃならないからな。
色々ぼやかれそうで面倒だ。
あれ。
ってか、こいつの名前は、なんだ。
あっちは俺のこと知ってるけど。
俺は知らない。
知らないぞ。
どうしよう。
聞いて、いいよな。
「あのさ。名前、なんて言うんだ?」
「へ?」
銀髪少女の足が止まった。
あ、まずいかも。
「もしかして、アデルさんは非常に不真面目さんなのではありませんか?」
むーっと頬を膨らませる少女。
そりゃこんだけ迷惑かけられりゃぷっくり顔もするわな。
「も、申し訳ない。今日一日ブルーで」
本気で申し訳なくなってきた。
せめて何かで汚名を返上できれば。
この子のために少しでも働かないと。
「アーイェです。アーイェ・フォル・ビタフィン」
「アーイェな。わかった。俺も面倒かけないように頑張るから、よろしく頼むよ、アーイェ」
俺はお近づきの印に握手を求める。
仕方ないですねと言いながらもアーイェは応じてくれた。
今まで握手した中で一番小さい手だった。
体格としてはシャルロットより大きいぐらいだが、身長と手の大きさは必ずしも比例しないみたいだ。
「いいですか? 採取対象は4つ。ドラカラ草、コロペン草、石光虫、モヒヒのメスです。これらは見分けさえつけば手に入れるのはそう難しくないので、日が傾く前に終わらせてしまいましょう」
「おうよ」
石光虫は岩陰に隠れてるホタルみたいな虫。
モヒヒは長い尻尾が絶品とされる猿とモモンガを足したような生き物だ。
だけど草は自信がない。
コロペン草とか葉っぱの着脱ができる以外なにも知らないし。
ほんとに俺はアーイェの役に立てるのか。
「とりあえず、水辺に行くか」
「そうですね。コロペン草と石光虫の採取をまとめてしたほうが良さそうです」
「んじゃあっちだな」
「……んにゅ?」
アーイェは俺を見て50度ぐらい体ごと首を傾ける。
なんだその宇宙人語は。
「ここらへんに詳しいんですか?」
「こっち来るときに、水が流れてそうなとこ見つけたんだよ。ここからそう遠くないところにあると思う」
「そうでしたか! アデルさん、頼りになりますね」
えへへ、なんて言って擦り寄ってくるアーイェ。
態度がコロコロ変わるやつだ。
本当は水の音と聴覚の関係を密にするチートを使っただけなんだが。
喜んでるみたいだしいっか。
「なあ。草の見分けとかつくか?」
「まっかせてください。わたしの家は本屋さんをやっていて、時間があればそこから色々と拝借しているのです。知識の量なら誰にも負けませんよ」
「ほー。そりゃ頼もしい」
なんだかんだいいコンビかもな、俺たち。
それからしばらく歩いて、無事に川を見つけることができた。
透明な水が陽を反射してキラキラと輝いている。
その景色を見てはしゃぐアーイェ。
大空の下で走り回る、無垢な女の子。
ああ……心が……浄化されていく……。
「はっ!? い、いけません!」
アーイェが何か危険なものを発見したらしい。
走って俺のところへ寄ってくる。
「アデルさん気をつけてください! トロケロオオガエルです!」
「なに!? トロケロオオガエルだって!?」
「あれは特殊な酸で衣類だけを溶かす凶悪な魔獣です!」
「な、なんだって!?」
そんな魔獣がいたのか!
「それは大変だ! ここ一帯は魔法士によって管理されているはずなのになぜそんな危険な魔獣がいるのかわからないがとにかく大変だ!」
「こういうときは逃げるが勝……ああ、アデルさん! これはかなりまずいです!」
「どうした!」
「反対側にドロドロシロヘビがいます!」
「なんだと! ドロドロシロヘビまで!?」
名前からしてもろわかりだがいったいそいつはどういうやつなんだアーイェ!
「あれは自分の体を保護するために特殊な白い粘液を分泌するトロケロオオガエルと同じくらい凶暴な魔獣です!」
「そんなバカな!」
もう絶望的な状況じゃないか!
これはどうしようもない!
「こうなったら川に飛び込んで逃げ……られません!」
「どうしてだ!」
「12本の足を持ち、一度相手を掴んだら死ぬまで決して得物を離さないと云われているドデカオクトパスが下流側を占領しています!」
「うそだろ!? 八腕形上目のタコ目に分類される海洋棲の軟体動物で主に岩礁や砂地で活動するはずのタコがなぜこんなところに!」
とにかく叫んだ。
叫べるだけ叫んだ。
「ぐ、ぐわー!」
「どうしたんですかアデルさん!?」
腹を抱えて膝をついた俺をアーイェは心配そうに見つめる。
「ダメだ動けない。やはり今朝食べた10年開いた魚の塩焼きが祟ったか!」
「10年前の魚を食べたんですか!? どういう経緯でそうなったのかはわかりませんがそれは大事です! アデルさんはわたしの後ろに隠れてください!」
アーイェが杖を構えて三匹の魔獣と対峙する。
それを眺めて俺は思った。
いったい何をやっているんだろう。
気づけば心の中には虚しさしかなかった。
アーイェがノリノリだったからつい遊んでしまったが。
そんな場合じゃないだろ。
「はあ」
俺は渋々と立ち上がり、ぽんとアーイェの肩に手を乗せる。
「そこで待ってろ」
「ふぇ?」
空気摩擦との関係希薄化。
蹴る行為と推進力の関係を強化。
他のやつに構っている間にアーイェを襲わせたりはしない。
そんな暇は与えない。
一匹ずつ。
一秒以内で仕留める。
トロケロオオガエルに接近、俺の攻撃とトロケロオオガエルの魔力との関係を希薄化。
パンチと衝撃の関係を強化、反作用を無効化。
一撃で仕留め、次に移る。
これを三セット。
弱点を突く必要すらない。
ぶっとばすのに必要なエネルギー量さえわかれば、あとは周囲に影響を与えないように思い切りぶん殴って破壊するだけだ。
「わ……」
っという間の出来事。
三秒もかからなかったな。
汚れがつくこともない。
上々だ。
「へ? あれ?」
「もう安心していいぞ。全部ぶっ飛ばしたから」
「ほえー」
アホみたいな顔でアホみたいな声を出す。
アーイェはそれが似合ってるから許されるけどな。
「す、すごいですアデルさん! かっこいいじゃないですか!」
「あ? おん、そうか」
「そうですよ! も、もしかしてわたし、とても高名な方とペアを組ませていただいていたのでは……?」
「いちおう、第一学年の進級試験じゃ実技トップだったけどな」
「わーそうだったんですね! なら早く言ってくださればよかったのに。あ、不真面目な生徒さんなんて言ってごめんなさい。なにも知らなくて」
「いいっていいって」
やっぱり浸透してないよな。
クラスの奴らが無反応なのは確認してたけど。
アイスクリフが気にしてないじゃ他のクラスは況やおやか。
「あいつら、ここらじゃ見ない魔獣なんだろ? どうして三匹もいたんだろうな」
「さあ。どうしてでしょう。不法投棄ですかね?」
「ペットじゃないんだから」
しかし異常は異常。
そもそもここは魔獣とかいないことになってるはずだし。
帰って先生に報告したほうがいいかな。
「なあ、アーイェは……どう…………思う?」
尋ねながら、俺の耳は確かに聞いていた。
森の中から。
姿が見えないにもかかわらず、はっきりと響く何かの足音を。
「アデルさん」
アーイェが俺の服の裾をキュッと掴む。
気のせいなんかじゃない。
なにかヤバイものが近づいている。
「あ、あれは」
チラと見えた巨大な影。
生い茂る木の半分ほどの背丈はあろうかという、大きな生き物だった。
「グリーズ……リッパー……」
力なくアーイェは声を漏らす。
俺でもその名前は知っていた。
危険度Bランク相当。
国からプロとして認められた魔法士複数人での対処が望まれる。
そんなレベルの魔獣の名前。
おいおい。
だからよ。
そもそもここは魔獣がいちゃいけない場所だろ。
いったいなにが起こってるんだよ。
「マズい」
他の生徒たちが。
フィオネたちの命が、危ない。