グランデ・ゴリエ
8つの槍が突き刺さった猿型の魔獣、ゴリエ。
全身から豪炎を撒き散らし、悲痛な雄叫びを上げる。
「はっ! どんなもんだ!」
「あー! バーナードだけズルいぞ!」
その様子を見てはしゃぐ二人。
しかし次の瞬間、バーナードは愕然とする。
体中の炎を振り払ったゴリエは、多少毛が焦げた程度のダメージしか負っていなかったのだ。
「まじか……」
「へへっ。そんなへなちょこ魔法じゃダメさ! 攻撃魔法っていうのがどういうものか、見せてあげるよ」
バーナードが放ったのは炎属性の具現魔法だ。
高等部とはいえ、一年生で属性変換と性質変換の両方を組み合わせた魔法を扱えるというのは、魔法使いとして優秀な証であるのだが。
難しい技であるがゆえに魔力コントロールが疎かになり、具現化する際の魔力純度が低く相手の急所にまで届かなかった。
「空間転移、具象化、鬼の手!」
リックが飛び跳ね、その場で右拳を振るう。
するとゴリエの横で魔法陣が展開され、そこから赤く巨大な手が姿を現した。
全長3メートルにも及ぶゴリエを押しつぶすほどの大きさだ。
リックが発動した鬼の手は大質量を高速度で打ち出すものであり、その拳がゴリエに炸裂した瞬間、ドゴッと鈍い音が周囲に鳴り響いた。
「こいつは驚いたな」
その様子を見てトニーが言葉を漏らした。
トニーはいつでもゴリエの突進を止められるよう、とある武術の呼吸法を繰り返し、肉体の強度を最大にまで高めている。
リックが発動したのは闇属性の魔法である。
光属性に専用の回復魔法があるように、闇属性も特殊な効果を持つ。
これは扱いが難しいことには変わりないが、元々の特性を活かした攻撃なので、リッツ自身には魔力消費以外の負担が少ない。
グルルルと犬が唸るような低い音が響く。
鬼の手はその速度を0にすると消えてしまう。
わずかに凹んだ地面の中心で、しかしゴリエはまだ生きていた。
「くっそー! 一撃じゃ倒せないか!」
鬼の手を受け止めたと思われる左手は破壊されていた。
だが、それだけだ。
ゴリエを倒すには不十分。
怒りに身を任せたゴリエはリックたちに突撃を仕掛けた。
しかしそれは、トニーによって阻まれる。
「大したものだ。君たちが大人になる頃には、僕なんてとうに超えているだろう」
斜面を駆け下りてきた3メートルものゴリエの巨体を、トニーは腰を押さえることで止めていた。
そして一度体勢を崩すと、足と、腹に、それぞれ強烈な一撃を見舞う。
ゴリエは口から飛沫をあげて後ろに倒れこんだ。
「気負うことはない。こいつはゴリエの中でもかなりデカい方だ。多少魔法が効きにくいからといって、君たちに力がないことにはならない。さあ遠慮なく攻撃魔法を使いたまえ。魔法で魔獣を倒すことがどういうことか、君たちはまず学ぶべきだ」
トニーがそう言いながら、後ろの生徒たちに向き直ったとき。
轟と雷鳴が響き渡り、倒れたままのゴリエを穿った。
雷は地面に辿り着くと同時に弾けて霧散する。
これほどの近距離で雷が落ちたにもかかわらず、その音は周囲の人間の耳を劈く程度に留まっていたことから、それが自然現象によって引き起こされたものでないことを全員が悟る。
「あい。和了り」
アマミがつぶやいた。
直前の轟音とあいまって、その場の空気が静かに感じる。
ゴリエはその後動くことはなかった。
絶命したのだ。
あの一瞬で。
「ああいう外皮が硬いタイプは、内部から破壊するに限る」
風属性から直接の派生である雷属性の魔法である。
特に直進移動や刺突系の攻撃に応用され、先ほどアマミが行ったのは、先端に多量の魔力を凝縮した雷の槍を創造し、それを体内で炸裂させるというものだった。
それが故にゴリエにはほとんど外傷がない。
しかし赤い血を口から垂らすそのゴリエを見て、誰もが致命的な傷を負ったことを理解する。
「てめえかっこつけやがって! 俺だって本気だしゃあれぐらい燃やせんだよ!」
「素直に褒めればいいのにー。子供だな、バーナードって」
「さっきまでギャーギャー騒いでたお前に言われたかねえよ!」
リックとバーナードがじゃれあっている。
反応は皆、バラバラだった。
トニーが驚いた顔をしながら褒め称えているのは言うまでもなく。
片眉を上げてチラリとアマミを見るアルフレッド。
ヤグネはうんうんと頷きながら感心している。
「どうですか。お嬢様」
「少しうるさかったです」
「そりゃ悪かったな」
レイシアとアマミは付き合いが長い。
これぐらいは想定の範疇だったようだ。
「さあ、進もう。君たちなら、ここら一帯の魔物を掃討できる」
トニーたちは意気揚々と行進した。
ぐんぐんと進んでいく一行。
途中水分補給を挟みながら、上へ、更に上へ。
採取ポイントが見つかりやすい場所まで、障害という障害はまるでなかった。
「……おかしい」
トニーは難しい顔で考えこむ。
まだ安全対策をしていないこの一帯で、先ほどのゴリエ以降、一匹も魔獣が襲ってこない。
魔獣が襲ってくるどころか、普段は人間と距離を取って隠れている魔物の姿すら見えなかった。
「トニーさん! 計測始める?」
リックは食事を前にナイフやフォークを鳴らす子供のように楽しんでいる。
事前の打ち合わせでは、この周辺で魔力の集中度合いの計測を始めることになっていたのだが。
「いや。今日は、中止にしたほうがいいかもしれない」
トニーが呟く。
「僕も賛成だ」
ここでアルフレッドが口を開いた。
アルフレッドはアマミと同じ風属性使い。
それも風属性特化の魔法使いだ。
まだここの平常時を知らない彼らが違和感を覚えないのは無理もないが。
どうやらアルフレッドだけは空気の流れに敏感なようである。
「えーせっかくここまで来たのにー!」
ぶぅと頬を膨らませるリック。
バーナードたちもつまらなそうな顔をしているが、雰囲気から察して下山することには賛成のようだった。
「ついでに救援要請もだしておこう。何かあってからじゃ遅い」
トニーはかばんから小さな筒を取り出す。
信号の代わりにこれを射出して合図を送るのだ。
アナログだが、襲撃されて魔法がろくに使えなくなった場合でも救援が出せることを想定しているため、携行性があり実用性は高い。
それを地面において、着火する。
筒は天高く上っていき、山の頂きよりもはるかに高い場所で爆発した。
その直後。
グランデ魔鉱山を強い揺れが襲った。
「また地震か!?」
トニーがうろたえている。
火山帯がないこの地域では地震は珍しいのだが、ここ最近では定期的に地震が起こっていたのだ。
「急いで降りよう! 魔法を使えば、登るよりは簡単だ!」
号令に応じ、各々が得意な属性に応じて肉体を強化する。
しかし彼らは気づいていなかった。
異常事態は、すでにことを始めていたということに。
「なんだ……こりゃ……」
引きつったバーナードの表情。
下山をしようとしていた彼らの動きが止まる。
「馬鹿な。いったい、いつの間に!?」
トニーの声が震える。
そこには、多数のゴリエが待ち構えていたのだ。
それも100や200では利かない数である。
「どういうことだよ! ありえねえだろ!」
「わわ! 大ピンチだ!」
「これは……マズいな……」
「うむ」
「きっついわぁ」
救援要請を出した後とはいえ、これでは他の魔法使いたちが到着する前に圧殺される。
まさにありえない事態だった。
ここが木々の生い茂る森林地帯なら、気配を殺した大量の魔獣たちにいつのまにか囲まれていたなんて状況は容易に起こりうる。
だがここには姿を隠すには岩の陰しかないのだ。
多くても十匹。
どんなに上手く隠れたとしてもそれがせいぜいのはずだ。
この現象は、想定される範囲内では物理的に起こりえない。
「こうなったら、僕が突撃して道を開く。みんなは空いた道を進みながら、壁になっている魔物たちを少しでも押しやってくれ」
しかし事実、起こってしまった結果がここにある。
それから目をそむける訳にはいかない。
捨て身の下山だ。
トニーは全魔力を自身の肉体硬化に充て、膝を折り曲げて構えた。
「とにかく、全力で――――!」
一斉攻撃を仕掛けるんだ。
トニーがそう命令を出そうとした。
その間に、更なる変化はすでに起こっていた。
雪が降っていたのだ。
この緊迫した状況にそぐわない、ふわふわと揺れる雪が。
急にやってきた寒気に、一同は身を震わせた。
「道なら、私が作ります」
パチン、とレイシアが指を鳴らした。
瞬間、無数のゴリエたちは氷塊の中に閉じ込められる。
それは最初、長時間かけて生成した氷のように透き通り、クリスタルにも似た美しい輝きを放っていたのだが。
レイシアたちの周囲に発生した巨大な氷塊は、まるでゴリエたちの血を吸い上げるように内部から赤く変色していった。
「氷の道を作ります。傾斜があるので、滑りながら降りてください」
レイシアが跳躍し、その足元から平らな氷が生成されていく。
みな唖然としながらも、大人しくその指示に従った。
「さすが第一位様」
いち早く追いついたアマミがレイシアに声をかける。
「さすがにこの数は骨が折れました」
「広域魔法ってのは便利だねぇ」
「場況によりけりですよ」
そんなやり取りをする中。
トニーはブツブツとつぶやいていた。
「そんな……そんな……馬鹿な事が……」
瞳を震わせて、怯えたようにすら見えるトニー。
彼はこの氷の道に乗る前に、あるものを見ていたのだ。
それは穴。
正確に言うと、地面が掘り返された後。
つまり、あの大量のゴリエたちは、地面から這い出してきたことになる。
「バカなっ! ゴリエにそんな性質はないはず!」
進化とは、環境に応じるため、理にかなった形でなされるものだ。
特にその生き物の形状というのは、必ずと言っていいほど物理的な理論に理由付けがなされている。
ゴリエには地面を掘るような器官はない。
そのような姿を目撃したこともない。
なにより、一度トニーたちが何もない場所を視認してから大量のゴリエを確認するまでの間はほんの短い時間であり、誰も気づかないほどに音がなかったのだ。
だが考えられる可能性はあった。
それが、トニーの心を何よりも怯えさせていたのである。
「あのゴリエが、魔法を使ったのか……」
魔法を使うどころか、本来は魔力を持つことすらありえなかった生き物である。
しかしそれは同時に、魔力さえ持ってしまえば、事情は容易に変わってしまうことも意味している。
だからこれは、可能性なのだ。
決して低くはない。
魔獣が、魔力を持った動物が、魔法を使うということ。
レイシアたちはひたすら麓を目指す。
幸い、追ってくる魔獣はいないようだ。
しかしこの異常事態は、こんなちっぽけな事件では終わらなかった。
再びの地震。
それは先程までのものとは比べ物にならない衝撃であり、厳しく訓練されたトニー他学生6人全員が、バランスを崩して転げるほどであった。
「痛った! ちょっと! どうなってんの!」
アマミがどうにか立ち上がろうとしながら叫ぶ。
だがもうそんな余裕すら与えられなかった。
地震は途絶えることなくグランデ魔鉱山を襲い続け、ついには地が割れ、魔石採掘用の魔法道具が次々となぎ倒されていった。
近隣の施設も同様である。
魔石交換所。
魔石貯蔵庫。
そして、テレポーテーション装置まで。
本来その建物を保護するための防護装置ごと持って行かれてしまったのだ。
「君たち! 早く僕たちに掴まれ!」
ようやく救助隊の到着である。
背中にジェットパックを装備した風属性魔法使いたちが空を飛び、グランデ魔鉱山に残っている人たちを次々と回収していく。
「ひえー危なかったー」
「スリル満点だったね!」
リック・バーナードコンビはこの状況でものんきである。
救助隊に浮き輪の形をした装置を取り付けられ、それが上空を飛ぶ魔法使いの背中の装置と連動して浮力を与える。
それこそまさに空中を泳ぐ感覚だった。
二人はそれを面白がりながら、山の様子を確かめる。
グランデ魔鉱山は頂上から崩壊を始めていた。
それは内部から何かに突き上げられるように。
地面がひび割れ、そしてその中心から、一つの長い腕が飛び出した。
「お、おい。あそこにいるのって、もしかして生き物じゃないか?」
「で、でっかい……」
さしもの二人も顔をひきつらせずにはいられなかった。
そのもしかしてはついに山のてっぺんを吹き飛ばし、咆哮を上げて胸を何度も強く叩く。
それを見た全員が、共通の生き物を思い浮かべた。
――ゴリエ。
それも山と同等の大きさを持つ超巨大な魔獣が、ついにこの日、世界に君臨したのである。