フィオネ・ブラスネイル
オスマルドが最高峰なのは料理においても変わらない。
金持ちの子どもたちに有無を言わせない味もさることながら、3000人近い生徒が通うこの学校の不定期な来訪を、すべて単一の食堂で捌ききるというのだから驚きである。
注文は着席状態でのオーダー制で、メニュー表にある料理を魔力を込めてタップすればキッチンに要求が送られる。
キッチンで作られた料理は、出来上がった瞬間に文字通り飛んで来るので、いつでも出来立ての料理が目の前に並ぶことになる。
ちなみに、進学した生徒が通う高等学校や、職人養成施設としての専門学校の校舎は別のところにあるので、初等学校であるこちらにそういった生徒が来ることはまずない。
同じオスマルドの学生なので禁止されているわけでもないが。
逆に俺が専門の先輩たちに混じって食事をすることもできる。
「ひとつ確認しておきたいんだけど」
「なに」
「何で急に仲良くなってもいいと思ったんだ?」
「あんたが馬鹿だからよ」
グサッ。
酷いことして悪かったと謝罪したその日にこれである。
「と、とりあえず、注文しよっか」
「そうね」
二人でメニューを広げて、あれが美味そうこれが美味そうと話し合う。
いっつも横から頬杖ついてるの眺めてるからかもしれないけど。
フィオネは横顔がよく栄える。
たまに釣り上がりな目を隠すように長い髪を寄せるクセがあるのは、コンプレックスなのだろうか。
俺は意思が強い感じがして好きなんだけどな。
「どうするの?」
「あっ。えっと、チキンの、クリームスープの、ライス」
「じゃあ私はパルミコース産海鮮盛り合わせにしようかしら」
じゃあってなんだよじゃあって。
その二つにどんな関連が。
「ドリンクとかは適当によろしく」
くっ。
サラッと難題をふっかけてきたな。
このアデル・クリフォード。
男をみせるときか。
どこまで頼めばいい。
オードブルは。
デザートは、やはり必須か。
「正直に言うと、少し楽になりたくて」
ん?
突然なんのことかと思ったが。
俺がさっきした確認の答えか。
「なんでもかんでも自分のせいにするのは、俺から言わせりゃただの逃げだよ」
「そう言われると胸が痛むわね」
「時には逃げるのもいい。でも問題解決を望むなら、やるべきことは自傷じゃない。話すと苦しいから話さない。動くと辛いから動かない。それじゃダメなんだ。俺がフィオネの活路になる。そしてその暁には、俺がフィオネにとってのナンバーワンに――」
「わかったわかった。話すからちょっと黙ってなさい」
「はい」
フィオネの心には刺さらなかったか。
乙女心というのは未だによくわからん。
あまり口から出任せを言うと嫌われそうだな。
自重しよう。
フィオネは口で大きく息を吸い込む。
話すのも簡単じゃないか。
何年も自分を悪者にしてきたわけだからな。
「ブラスネイルの家系は代々炎属性の魔法を得意としていて。というより、そうであることが強く望まれるの。だから適性検査なんてものはやらないし、炎属性の適性があること前提で教育もされる」
ま、義務ではないからな。
お金もかかるし。
よほど血筋に自信があればやらないところもあるか。
「けどね。そういう習慣が祟ってか、近年のブラスネイルの功績はあまり芳しくなくて。炎属魔法の研究科ではトップを維持しているけど、それにしては技術や魔法力は他国に遅れを取るばかり。税金ドロボウだって世間に叩かれたときもあったらしいわ。そして……」
滑らかに繋げられていたフィオネの言葉が途切れる。
いよいよ核心か。
「しびれを切らしたお祖父様は、ブラスネイルの権威を世界に知らしめるため、まだ試作段階だったとある実験を強行した。私はその被験体だったってわけ」
話がいきなり物騒になったな。
「詳しい内容は知らないんだけどね。私はただ、利用されただけだから」
「いいよ。俺が興味あるのはフィオネとその事件のことだけだし」
「助かるわ」
興味なくはないけどな。
知らないんじゃしょうがない。
そしてこのタイミングで料理がやってきた。
このクリームスープの匂いがたまらない。
あえてソースにしなかったところが注文の決め手だ。
「ざっくり言うと、すごい魔法使いを作るってことだったらしいの」
ずいぶんざっくりだな。
「私は10歳のときに手術を受けて、莫大な魔力を超高密度に圧縮したナニカを埋め込まれた。魔力器官に干渉して、本来人間が持ちえる魔力の限界を超えるために」
「えげつないことをする」
「全くだわ」
人間は魔力を生み出す。
これは動物にはないものだ。
その魔力を生み出す器官は、物理的ではなく概念的に存在している。
観測不可能だが、たしかにそこにあるとされている魔力器官。
アストラル領域や虚数軸世界のように、本来はそもそも恣意的に干渉出来ない空間が、人間の体内(一部の説では精神や魂)で働いているというのが現状実証しうる魔法科学の常識だ。
動物には魔力器官ないと言ったがこれには例外もある。
魔獣と呼ばれる存在だ。
この世界では100年前まで戦争があった。
100年前の英雄の誕生を期にあらゆる戦争が終結ないし停止したが、その最終局面である二国を代表する世界大戦が終わるまでは、いくつもの魔法戦術が用いられていた。
その1つに魔力散布というものがあり、濃密な魔力を敵国周囲の山にばらまくと、魔力に耐性を持たない動物たちが突然変異を始め、周囲の街を襲い始めるというものだ。
大規模な魔法攻撃が飛び交う戦争が続くにつれ、本来存在するはずのない魔力を持った動植物が次々と発見されるようになったのがその戦術の発端である。
こういった歴史から、魔力によって生態を変化させることができるのはわかっている。
フィオネが受けた手術もこれに近い現象を引き起こすものだったのだろう。
ただし、その結果生まれる生物は凶暴化することが多く、そもそも人間の命を保ったまま耐性を破壊できる魔力は、少なくとも現存している魔力の測定器では理論上不可能とされている。
「でも、なんでそんなことがわかったんだ? 手術中は意識ないだろ」
「何も聞かされてなかったわけじゃないわ。完成した私が、私の存在価値を認識していなければ意味のない実験だったもの。お祖父様はそのナニカを私に見せつけて、お前はこれで変わる、新しい人類へ進化するんだと繰り返し口にしていたわ」
恐ろしいことを考える人間もいるな。
世界に立つと小さいものが見えなくなるのか。
「馬鹿なこと聞くけど、爆発したりしないよな、フィオネ」
「馬鹿だとは思うけど、その疑問は尤もね。でもしないわ」
よかった。
ちょくちょく毒舌になるのは仲良しの証拠として受け取っておこう。
「実験は手術だけで終わりじゃないの。その後、私が連れて行かれたのはブラスネイル家の屋敷の地下。その全体を使って構築した魔法陣の上に立たされて、そこでの儀式でようやく私は人知を超えた魔法使いになった。はずだった」
それが事故に繋がるわけか。
「実験は失敗。そのとき屋敷にいた両親と祖父母、身内数人に使用人全員をまとめて私が焼き尽くした。失敗の原因を聞いたら笑うわよ。魔力適性検査を怠ったせいだもの」
笑えないけどな。
研究してた本人からするとアホらしいだろうよ。
「お祖父様は、私がダメだったら弟で再実験するつもりだった。というより、私なんかはただの布石で、本命はそっち。それが終わったら他の家族にも施術をして、ブラスネイルそのものを大改革するつもりだったらしいわ」
「えーっと……色々突っ込みたいんだけど。フィオネ、弟いたのか」
「まあね。今は別々に暮らしているけど」
しかも生きてるのか。
たしかにブラスネイルの血を根絶やしにしたとは言ってないもんな。
そもそもが屋敷を燃やしたとしか聞いてないし。
「お祖父様は自らをブラスネイル家史上最高の魔法使いだと自負していたわ。実際に優秀だったしね。座学においても魔法力においても右に並ぶものはいない。そういう傲慢が、実験における臨界検証の幅を狭めた。私はそもそも、炎属魔力適性値が異常に高かったのよ。お祖父様なんて比にならないぐらいにね」
不幸な偶然。
テストケース不足ってやつか。
優秀だもんな、フィオネも。
「結果、私の魔力が暴走して屋敷は全焼。事前に準備しておいた保護壁もとっさの防御魔法も紙ほどにも意味をなさず、灰燼と化したその土地に残っていたのは私だけ。それが全部よ」
そういうことか。
経緯はわかったんだが、スッキリしないな。
どうしてフィオネは被害者じゃないんだ?
「それならフィオネが自分を攻める理由はないだろ」
「……客観的に見たらね」
話が一段落して、フッと息を吐く。
それが全部って言っただろ。
いいけどさ。
フィオネの気持ちは楽になってるのかな。
「屋敷を燃やし尽くした魔法を発動したのは私の意思によるもの。私が制御できなかったのは魔法じゃなくて、心だった」
「まさか、凶暴化?」
「どうかしら。無関係とは言い切れないけど。死ねばいいと思ったわ、全員。私の人生台無しにして好き勝手やってるんだもの。逆らったりはしなかったけど、心の奥底では家族を憎んでいたのかもしれない」
そりゃそうだ。
俺でもそうなる。
「事実、人が何人も死んでる。あの事故が、ただの事故で終わらせていい気がしないの。私は赦されたらいけない気がして。だから、ずっと逃げてた」
「めんどくさい性格だな」
「同意するわ」
フィオネの言葉から哀愁は感じない。
会話の合間に食べる料理は、フィオネが喋ってる量が多いので必然的に俺の方が減っていた。
「一応言っておくけど、俺は今でもフィオネと仲良くなりたいと思ってるよ」
「ありがと。やっぱり馬鹿ね」
短く返事をして、フィオネは刺身を口に運ぶ。
食事の邪魔はしたくないけど、質問しないと話が進まないからしかたない。
「フィオネは今13歳なんだよな。三年間何してたんだ?」
「生きてた」
「は、はあ」
小学生かお前は。
「死んだように生きてたわ。食事以外はただ寝るだけ。なにも考えずに。それで、三年間。三年も、無駄にしちゃった」
最後の言葉は、少し悲しそうだった。
十代の一年は貴重だからな。
それを三年も失ったんじゃ悲しくもなる。
「食事とか寝床はどうしてたんだ?」
「シャルロットの祖父母が私を拾ってくれたの。森の中で死にかけていた私を、偶然ね」
ああ、そういう関係だったのか。
シャルロットもシャルロットで何も話さないからな。
全然知らなかった。
「優しい人もいるもんだ」
「本当にね。ただの穀潰しでしかなかったのに」
「得体のしれない子供を無償で引き取るってのは、俺にはどうもな。俺も子供とかできたら理解できるんだろうか」
「無償ってわけでもなかったわ」
「え、そうなの?」
家の手伝いでもさせられてたのか。
いや、食う寝るしかしてなかったって言ってたしな。
「シャルは両親を事故で亡くしてるの。それでいつだか、親がいないことを馬鹿にされたらしいわ。あの子はそのことを気にして、人と話すことを避けるようになった。だから友達がいないのよ」
「ほう。それで?」
「私を養うから、元気になったらシャルと友達になってくれって言われたわ」
じゃあなんで友達じゃないなんて言い張るんだよ。
「だから決めたのよ。将来お金持ちになって、財産をシャルの家に渡すって」
「んなこと誰も望んでないだろ。どうして友達になってやらないんだよ」
そう言うと、フィオネは眉を潜めて俺を睨んだ。
なんだその顔は。
親なんて子供に金を費やすのが生きる目的みたいなもんなんだ。
貯金して金を返されるより、財布の中を空にされてでもやりたいことやって元気にしていたくれたほうが親は幸せだと俺は思う。
フィオネの人生を考えればひねくれるのもわかるけど。
お前はそういうやつじゃないだろ。
「だって」
フィオネは食器を置き、俺の目を見つめながら言う。
「友達ってお金を払ってなるものじゃないでしょ?」
何を当然のことを、とでも言いたげな顔だった。
そのひとことに、俺は二の句を告げなかった。
自分勝手なことを考えていた。
死ぬほど恥ずかしい。
「あの子、お金を払ったから私が優しくしてると思ってる。お金があるから私と仲がいいと思ってる。あんたがシャルに近寄るのも私の助言があるからだと思ってる。それが気に入らないの」
「ならそう言えよ」
「う……うるさいわね。色々あるのよ」
その時見せた表情は印象的で。
目をそらしたフィオネの頬が、ほんのり朱くなってる気がした。
恥ずかしがり屋か。
「ア、デ、ル」
そんなフィオネに癒やしを得ていた俺だが。
肩に置かれた手に若干の戦慄を覚える。
やばい。
今日もレイシアと一緒に帰る日だった。
バーバラさんに伝言するの忘れてた……。
「お姉ちゃんのことを忘れて女の子とデートですか?」
決して顔には出さないレイシアだが。
絶対怒ってるよねこれ。
待たせたのは俺だし怒られるべきなんだけど。
これはまた、ご機嫌取りが必要そうだ。