表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

公園で拾ったヤンキーTS娘と社会人のお話

作者: 主(ぬし)

Twitterでふと妄想を呟いたら少しだけ反響があって、なんかいいなあと思ったらもう妄想が止まらなくて、気付いたら2日で仕上げてた。夜のテンションも混じってるので、きっとこっ恥ずかしい内容になっていると思う。でも自分にブレーキを掛けないことも大事だと思うんだ。よって晒す。最近小説をガッツリ書いてなかったから利き腕の右腕が痛いし、しっくりこないところもあるけれども、僕のようにTSが大好きな人がニンマリと気持ちわる~い笑顔になれる作品になっていれば幸いです。皆さんの笑顔を想像して僕も気持ち悪~くニンマリしてますので。

女になんてなりたくなかったけど、この人に出会えたから、まあいいやと思えた。




 もう22時だ。住宅街の灯りもあらかた消え、ひっそりとした3月らしい肌寒さが満ちていた。後輩の失敗の後処理も終え、残っていた自身の抱える案件も片付き、ネクタイも緩めてすっかり気を抜いた俺は、遅い夕食の弁当と明日の朝食用の菓子パンをファミマで買ってのそのそと帰路に付いていた。明日からの土日休みを享受できる身としては、一刻も早く愛しのボロアパートに帰ってドロドロの眠りにドボンと浸りたい気分だった。


(……ちと暗いが、ここを近道するか)


 だから、普段はあまり通らない公園をまっすぐ突っ切ることにした。縄文時代の貝塚遺跡を内部に要するこの公園は県下でも五本の指に入るほど広く、市がアピールポイントとして利用しようと知名度の振るわない微妙なゆるキャラを作るほどだ。国道に近いのに、中心部に足を踏み入れれば鬱蒼とした木々に阻まれて騒音はほとんど聞こえない。それはまあ、昼間は癒やしスポットして人気になる要因になるが、夜になるとそうはいかない。景観を保つために街灯を少なくした分、よろしくない(・・・・・・)連中のたまり場になっていたりもするのだ。

 入口に設置されたゆるキャラのコンクリート製モニュメントを横目に公園へ歩み入る。オバQとふなっしーを足して2で割ったような無個性なゆるキャラは設置されて早くも悪質なラクガキや破損の問題に悩まされていて、市民の意識の低さと公園の治安の悪さを象徴している。額部分に「DETH」と刻まれた文字はおそらくは「DEATH(死)」と書きたかったのだろう。色々な意味で頭が痛くなるラクガキに言い知れぬ不安が背筋を湧き上がった。



(うわあ)


 こういう時の不安は何故かしら当たるものだ。「悪い予感は往々にしてよく起こる」というのはマーフィーの法則だったか。ぼんやりと薄白い明かりを放つ自販機の前で、見るからによろしくない風貌の若い男が3人、やはり見るからによろしくない雰囲気で顔を突き合わせて言葉の応酬を繰り広げていた。こちらに気付いた一人が威嚇と警戒の目でじろりと睨みつけてくる。不自然に避けるのも妙な話だが、お近づきになりたくもないので気がついていないふりを装って視線を合わせずにひたすらに足を動かす。自慢ではないが格闘技の経験など無いし、喧嘩なんて片手で数えるほどもしたことがない。戦闘経験値など0に近い。身につけた装備はくたびれた冬物背広(防御力1)とイオンで買った安いビジネスバッグ(攻撃力1)。中肉中背一般ピープルはどうしたって無力なのだ。

 俺の不干渉の意志を理解したらしい若者はわざとらしい舌打ちを鳴らして再び顔を突き合わせる。どうやら会議でお忙しいらしい。今のうちに横切ってしまおう。


「―――どうすんだよ、なあ、オイ。寝てるみてぇだし、襲うならマジで今のうちだって。前みたいに(・・・・・)()ってすぐ逃げりゃバレねえって」

「マジで()んのかよ。いいぜ、俺はいいぜ。ちょうどナイフ持ってんだよ。運がいいよな。おめえらが行くなら行くぜ?」

「ぜってぇ男誘ってんだよ。違いねえ。俺ら悪くねえって。捕まったってまた(・・)スグに出られるって」


(……聴こえなかった。俺は何も聴いてないぞ。)


 子供がキャッキャとはしゃぐような無邪気さで悪辣な言葉をこね回す若者たちを意識から追い出しにかかる。せっかくの休日を前にして、胸糞の悪い記憶で心の安寧を邪魔されたくなかった。さっさとその場から立ち去ろうと歩を早める。お気に入りの靴に汚い泥を塗り付けられたような最悪の気分だった。目の前にポツンと見える街灯の光はヘドロの中のオアシスのようで、その清流を浴びれば泥が消えてくれるような気がして足速に光の下に踏み込む。



あどけないその横顔に、目を奪われた。



「――――おおっ!?」


 一拍遅れてギョッと後退る。街灯の光が届くか届かないかという場所にあるベンチに、小柄な人間が横たわっていた。黒い服を着ていたせいで、近づくまでわからなかったのだ。

 摺り足でゆっくり近づき、おそるおそる観察してみる。ネコのように身体を丸め、胸元を微かに上下させている。どうやら眠っているらしかった。服装は、ぶかぶかの黒いジャージと、ついさっき家から飛び出してきたような履き潰したツッカケサンダル。肩まで届く栗色の髪、色白の肌に鼻筋の通った中性的な面立ちは男か女か判別に迷うところだったが、ほっそりとした首筋とつんと長いまつげで、少女らしいことがわかった。


「なんでこんなとこに―― ……ッッ!?」


 不意に、背後から突き刺さるような寒気を感じて反射的に振り返る。気配の元を辿れば、先ほどの若者三人組がギラついた目つきでこちらを強烈に睨みつけていた。今すぐ失せろとばかりの憤怒の形相に、先ほど耳に入れてしまったアイツらの台詞に合点がいった。


(狙われているのは、この女の子だ。すると俺は、アイツらの楽しみを奪う鬱陶しい邪魔者ってわけか)


 加減を知らない抜身の殺気をぶつけられて我知らず喉が鳴る。確か、ナイフを持ってるとか言ってなかったか。洒落にならないぞ。

込み上げてくる恐怖に身震いしながらチラと少女に視線を落とす。ジャージは取っ組み合いでもしたみたいに傷つき、乱れている。ケバケバしい栗色の髪は当然地毛ではあるまい。脱色しすぎてバサっとした髪の隙間から、複数のピアス穴で風通しの良さそうな小さな耳たぶが覗く。こんなところで寝るような無防備な行動然り、素行が良い方ではないらしい。

「家出でもしたんだろう。危ない目にあっても自業自得だ。関わるな」と理性が囁く。「見て見ぬふりをしろ。わざわざ危険に身を晒すな。ここは逃げて、後で警察に電話すればいいじゃないか。警察が駆けつけるまで時間はかかるだろうが、その間に何が起きてもお前に責任はない。大人になれよ」と声を荒げる。

 今日は忙しかった。もう十分頑張ったし、明日からは優雅な土日休みじゃないか。そうだ、理性さんの言う通りだ。賢くなろう。自分にはどうにも出来ない理不尽なことは社会にはいっぱいあるんだから―――




視界の隅で、少女が寒そうに小さく身じろいだ。

端から血の滲む色素の薄い唇が、寂しげに微かに震えて、

痩せた白い頬を、一筋の寂しげな涙が伝った。




―――馬鹿野郎、理不尽を許容するのは役立たずのやることだ。理不尽をなくしていくのが大人の役目だろうが。


「おい、起きろ! 逃げるぞ!」


 怒りに任せ、頭のなかで理性さんの横っ面をぶん殴る。いったい俺のどこに、こんな行動に駆り立てる勇気が眠っていたのか。少女の肩を勢い良く掴み上げ、強制的に引き起こす。背後の気配がいよいよもって興奮に尖り、ザクリと落ち葉を踏み締める音が鼓膜を突く。ならず者たちの一線を越えてしまった確信に冷えつつ、「ひゃっ!?」と驚愕に肩を跳ね上がらせて覚醒した少女を力任せに立たせる。思っていたよりも声音の高い少女が、突然掴み掛かってきた男に対して警戒の色を隠さずに毛を逆立てる。


「なっ、なっ、なんだよっ!? オッサン、誰だよっ!? オレになんか用かっ!?」

「なにい!? オッサンだとぉ!? 俺はまだ28―――いや、それは今はいい。俺の後ろを見てみろ。早く」


 片眉を釣り上げた少女が「はあ?」と鼻につく声を上げて訝しげに俺の肩越しに目線を飛ばす。「えっ」と視線がピタリと固定されたかと思うや否や瞳孔がギョッと開き、半笑いだった顔面からさあっと血の気が引いて瞬く間に真っ青に凍りついた。自分がどんな目に遭う寸前だったのか察したらしい。「ひう」と悲鳴を飲み込んだ少女の目尻に涙が浮かぶ。背広の胸元をぎゅっと掴み、すがるように見上げてくる。


「い、イヤだ。もうイヤだ。なんでオレばっかりこんな目に遭うんだ。オレあんなこと(・・・・・)されるのはイヤだ」

「わかってる。襲われるのが好きな女なんていないよな。人通りの多いとこまで一緒に行ってやる。走れるか?」

「な、なんとか。まだあんまり身体に慣れてない(・・・・・)けど、走れる」


 「オレ」。「慣れてない」。違和感のあるキーワードにもしかして(・・・・・)と一つ予想が思い当たるが、確認している余裕はない。後方の足音はどんどん歩幅を広げて接近してくる。「行くぞ」と一言告げ、有無をいわさず少女の右手に自分の左手を絡ませる。冷えきった指先の小ささを手のひらに感じた刹那、戦慄に顔を歪ませた少女が叫ぶ。


「後ろっ!!」

「――――づッ!?」


 「ふざけんなよテメェ」と殺気立った声がすぐ背後で聞こえたのも束の間、とっさに逸らした背中の表面を鋭い痛みが滑り、手足が電撃に貫かれたように痙攣する。ナイフが掠ったようだ。だが、幸か不幸かそれが功を奏した。ビクッと痙攣を起こした脚が反射的に地面を蹴りだし、俺の身体は少女を牽引したままグンと勝手に飛び出した。せめてもの抵抗にと後手に捻ったビジネスバッグを背後に叩きつけ、後は勢いに任せてがむしゃらに走る。「ぎゃあっ!」「いてえ!」「待ちやがれ!」。複数の人間がもんどり打ってバタバタと倒れる音と怒号を置き去りに、俺たちは人気のある場所を目指して走った。






「も、もう、げんかい。オッサン、お願い、止まって、もう走れ、ない」

「だから、ぜえ、俺は、げほ、オッサンじゃないと言って、はひいい」


 時間も時間で、昼間なら活気のある大通りも人影はまったくない。結局、俺たちは公園からかなり離れた歓楽街にまで走る羽目になった。装飾過多のネオンとわざとらしい客引きの煽て声もこんな状況だと心強く感じる。

果たして全力疾走をしたのは何年ぶりだろうか。その場にへたり込みそうになるのを膝に手をおいて何とか防ぐ。しばらくぶりの酷使に晒された心臓と肺がひいひいと情けなく喘いでいる。誰かを連れて走るというハンデがあったとはいえ、まだまだ自分は若いと思い込んでいただけに、衰えを突き付けられるのはそれなりにショックだ。


「おい、大丈夫か」

「……っ……」


 深呼吸で息を整え、袖口で額の汗を拭く。ようやく他人を気にかけられる余裕を取り戻して左隣の少女に目をやれば、あちらはもっとひどく、今にも気を失いそうな蒼白な顔でふるふると頭を振って返した。いつの間にサンダルを落としたのか片足は素足で、足取りもフラフラとしていて力ない。走り方もまるで自分の手足に振り回されているように危なっかしげだったところを見るに、本当に慣れていない(・・・・・・)んだろう。どこかで休ませないとそのままぶっ倒れてしまいかねない。ぐるりと視界を回せば、ちょうどすぐ目の前に深夜まで営業しているマクドナルドがあった。


「ほら、もう少し歩けるか。マックがあるからそこで休むぞ」

「……でも、オレ、金持ってないし」

「社会人ナメんな。マックくらい奢ってやる。ほら、足が痛むならおぶってくぞ」

「…………いい。歩ける」


 まだ繋いだままの手にほんの少し力を込めて移動を促す。少女は特に何を口にするでもなかったが、意外にすんなりと付いてきた。腹が減っていたのかもしれない。「助けてやったのにありがとうくらい言えんのか最近のガキはこれだから」と頭の隅でボヤき、それが俗にいう「オッサンの象徴的な言葉」であることにハッと気付いて深く肩を落とす。この少女の言う通り、俺ももうオッサンなのかもしれない。歳は取りたくないもんだ。




「あ、あの、お客様。ご注文のえびフィレオバーガーとオレンジジュースのセット、それからプレミアムローストコーヒーです。それから、当店は深夜1時までの営業となっておりまして、その……」

「ああはいはい大丈夫ですわかってますよはははははは」


 衣服の乱れた少女を連れてきた汗だくのスーツ男に怪訝な目を向ける中年の店員の手から商品をもぎ取り、「関わらないでくれ」と意志を込めた乾いた愛想笑いを返して店の隅のテーブル席に逃げる。「そっちこそ面倒事を起こす前に早く帰ってくれ」というオーラが背中にチクチクと痛い。自分の人相は決して悪くないと自負しているが、状況的に通報されても仕方がない。閉店間近で客がすっからかんなのが不幸中の幸いだ。


(何も悪いことはしていないのにどうして後ろめたい思いをせねばならんのだ)


 はああ、と特大の溜息をついてえびフィレオセットを少女の前にずいと差し出す。出来立てのエビカツから立ち昇る香ばしい匂いとオーロラソースの酸味の効いた匂いに、ぐったりとソファにもたれかかっていた少女がぴくりと反応した。スンスンと小さめの鼻を動かし、真正面のハンバーガーセットに顔が吸い寄せられていく。


「……食べていいの?」

「いいぞ。俺はもう弁当買ってるからいらん」

「……でも、オレ、ベーコンレタスの方がよかった」

「なんだあ? 俺だって腹減ってんだ。文句があるなら食っちまうぞ」

「ま、待って、待って。オレ、えびフィレオも好きだから。食べるから」


 生意気な物言いにカチンと来て取り上げようとした途端、慌ててハンバーガーの包み紙をひっぺがしてハグハグと頬張り始める。口の周りにソースがつくのもお構いなしに大口を開けてかぶり付く様子は、エサ皿に頭を突っ込むネコの必死さを連想させる。最初からそうやって素直に食べてればまだ可愛げがあるというのに。


(しっかし、明るいところで見るとけっこうな美少女だな。)


 平均よりやや長めに伸びた脚、丸みを帯びて柔らかな撫で肩、人形のような小顔。くりっとした大きめの瞳とちょこんと形の良い鼻梁は、毛先がうねる栗色の猫毛と相まってどこか野良猫のような印象を醸す。化粧をしていなくてもこのレベルなのだから、ほんの少し手を加えてやれば、世間から相応の評価を与えられるポテンシャルを秘めていそうだ。もちろん、口端の怪我を治して、泣き腫らしてこびり着いた目の下のクマを取っ払うことが出来れば、の話だが。


(さぁて、これからどうすっかなあ)


 プレミアムと大それた名を冠するただのホットコーヒーを喉に流し込むのと並行してこれからのことを考えてみる。こういう場合、警察に相談して保護者に引き取ってもらうのが常識的な大人の行動なのだろうが、餓死寸前を疑うほど涙を浮かべてポテトを懸命に頬張る少女に込み入った事情がありそうなことは火を見るより明らかでなんだか気が引ける。それに、俺の予想が当たっていれば……きっと家には戻りにくいはずだ。

色々と悩んだ末に「とりあえず話を聞いてから判断しても遅くはあるまい」と結論に至り、もう一口コーヒーを啜る。話しかけるタイミングを見計らい、腹を満たした少女が一息ついたところで問いかける。


「なあ、一つ聞いていいか」

「なんだよ、オッサン。ポテトはやらねえぞ」

「だから俺はオッサンじゃないしポテトはいらないし貞操の恩人に対してその口の聞き方は―――まあいい。……あのさ、お前もしかして、」

「んだよ」


生まれながらの(・・・・・・・)女にしては(・・・・・)やけに大柄な仕草の少女をじっと穿つように見つめ、


「お前、最近TS病になったろクチだろ」

「――――!!」


 ギョッと目を見開いた少女がガタンと音を立てて仰け反る。“ビックリ”という言葉のお手本のようにわかりやすい反応に、「やっぱりな」と鼻を鳴らして最後の一口を啜る。

 これだけの美少女にも関わらず、自分の価値(・・)を理解していないというのもそうだが、自分の身体の変化に対応できていない走り方にも既視感(・・・)があった。TS病にかかった人間の傾向にピッタリ当てはまるのだ。

 『TS病』。トランス・セクシャルから生まれた造語で、正確には『急性性別変化症』というが、ゴロがいいからTS病と呼ぶのが一般的だ。10代後半から20代前半の男が突然女になるという奇天烈な病気だ。TS病になった人間は、総じて平均の女性より美しくなる傾向がある。もちろん人それぞれで振り幅があるし、元から造形が良かった場合も多い。そのせいで、外見と中身とのギャップが大きくなり、男だった時と同じ言動は『無防備で危なっかしい』と認識される。また、TS病になったばかりの人間の脳は突然の肉体の変化に対応しきれない。背丈の変化、骨密度の差異、筋肉の激減と乳房や尻肉など脂肪の加増によって重心が狂い、結果的に眼前の少女のように自分の手足に振り回されるような動きになる。この奇病は20世紀後半から現代にかけて世界中で流行っており、社会に少しずつその名が浸透してきてはいるが、原因等は今もって謎のままなのだ。


「ど、ど、どう、」

「落ち着け。理由はちゃんと話してやるから」


 「どうしてわかったんだ」と言わんばかりに口をパクパクとさせる少女の目を見返す。普通の人間なら、こんな美少女を前にして「実は男だったんだろ」なんて言えない。俺が普通の人間と違うのは、経験(・・)があるということだ。




――――お前なんか俺の兄貴じゃねえ




 かつて、ひどい言葉で傷つけてしまった家族の影を少女に重ね、静かに紡ぐ。


「昔な、俺の兄貴がさ、なったんだよ。TS病に」

「オッサンの兄貴が? 頼む、詳しく聞かせて」

「ああ。あとオッサンはやめろ」


 興味を示したらしい少女が前髪を揺らして顔を近づけてくる。この有り様からしてろくな相談相手もいなかったんだろう。親は何をしていたのやら。


「俺が中学を卒業した時だったから……兄貴は17歳だな。その年のある朝、起きたら急に兄貴がTS病になってたんだ。それから家中上を下への大騒ぎよ。それから一年くらいはホント色々あったよ。本人も周囲の俺たちも含めてな。まあ、今はもう完全に姉貴(・・)だけどな。あー、なんつーか、弟にしてみれば兄貴も姉貴も楽しめて一石二鳥っつーか、はは」


 最後の一文は深刻な顔をして聞き入る少女に気を使って場を和ませるつもりで言ったのだが、少女は笑わなかった。ジトッと若干の苛立ちを含んだ目が俺を射る。当事者にしてみれば笑い事じゃないのだろうし、さすがにこれはデリカシーが無かったかと反省してコホンと咳払いをして誤魔化す。


「まあなんだ。TSした頃の兄貴―――いや、姉貴の様子に似てたから、お前もそうじゃないかと思ったんだ」

「似てたって、どんなとこが?」

「無防備だったり、身体の変化についていけてなかったり、それに……家に帰りにくくなったり、とか」


 これも図星か。

 グッと唇を噛んで俯向いた双眸に、水気と一緒にじわりと黒い感情の色も浮かぶのを見て、「これは兄貴よりずっと重症だな」と内心でため息をつく。TS病は、もちろん当事者も混乱するが、当人よりも周囲の混乱の方がより深刻だ。家族関係もそれまでのように行かなくなる。どこかギクシャクしたものになるのは避けられない。TS病を扱う医者によると、円満に解決する家族は稀で、何かしら問題を引き摺るのが常らしい。我が家では思春期真っ盛りの俺がその問題の中心となり、今となっては穴があったら入りたいようなテンプレ反抗期的な反応で姉貴にぶつかってしまったわけだ。後で聞いた話、姉貴はそれがトラウマになって家に帰れなくなり、当時親友だった男の家に泊まりこんだらしい。それから(・・・・)のことを思えばまわり回ってキューピット役になったとも言えるが、申し訳ないことをしたことに変わりはない。

 とは言え、殺意すら感じる目でじっとテーブルを睨みつける少女はそれよりずっと深刻な悩みを抱えていそうだった。


「……あんなクソババア、もう親じゃない。ジローも、もう友達でも何でもねえ。あんなクソ野郎ども、二度と会うもんか」


 二次成長期特有の反抗期とは一線を画す、悲哀と侮蔑の入り混じった冷ややかな声が落ちる。「親や友だちをそんな風に言うな」などと空虚な言葉で茶を濁すような雰囲気ではないと察し、気配だけで次の言葉を誘う。ここは黙して話を聞いてやるべきだ。


「オレ、一昨日、急に女になったんだ。つい何時間か前までジローと原チャリ乗り回して遊んでたのに、帰って眠って昼過ぎに起きたら、もう女になってた。分けわかんなかった。もうどうしていいかわかんなくて、誰に相談していいかもわかんなくて、そしたらジローが遊びに来て、アイツならオレより色んなこと知ってるし、きっと助けてもらえるって思ってて、そしたら、そしたらアイツ、オレに―――」


 そこで少女は口篭り、台詞が途切れる。つらい記憶を思い浮かべたのか、痩せた身体がブルリと悪寒に震え、首筋に汗が滲む。その話から、取っ組み合いでもしたみたいに乱れたジャージと唇の傷の理由の予想がつき、少女に何が起こったのか理解できた。


「……襲われたのか。友だちに」


 少女は俯いたまま無言だったが、十分な答えだった。TS病になった人間は、それまでの親友と恋仲になることが多々あると聴いたが、それもやはり人それぞれなのだろう。意識は男のままなのだし、嫌なものは嫌に違いない。信頼していた友だちに裏切られる気持ちというのは推し量るだけでもつらい。しかも、信頼の裏返しがどす黒い欲情から成る暴力となって襲いかかってきたら、この痩せてひ弱そうな身体ではさぞや怖かっただろう。公園で助けた際に「もうイヤだ」と震えていたことを思い出し、少女の心中を想像して胸が締め付けられる。


「……なんとか抵抗してたら、途中でクソババアが風俗(フーゾク)の仕事から帰ってきた。クソババアはジローをバットで殴って、蹴っ飛ばして窓から叩きだした」

「おお、すげえな。でも、親御さん、助けてくれたんじゃないか。なんでクソババアだなんて」

「その後だよ。あのクソババア、女になったオレを見て、なんて言ったと思う? フザケてんだぜ、これが。ついさっき犯されそうになってたオレに、ヘラヘラしながら、こう言ったんだ」


 少女が顔を上げる。真っ赤に腫らした目尻にいっぱいの涙を蓄えて、無理やり作った笑顔で、嗤う。


「“ちょうどいいわ。うちの店でソープ嬢足りなかったからそこに入んな。まだ傷物じゃないんでしょ。ロリ顔で初物と来ればしばらくはいい値段で売れるよ”だってさ。ケッサクだろ? その場で店に連絡しようとしやがったから、クソババアのスマフォぶっ壊して、バッグの中の金も盗んで逃げてやった。あの金、暴力団(ヤーコウ)に払うクスリの代金のはずだから、今頃大慌てしてるぜ」


 「ザマァミロだ」とくつくつと薄い背中を揺らす。表面張力を超えた涙がポタポタとテーブルの表面で弾けていく。自分の境遇を嘲笑う自嘲の涙はだんだんと増え、おびただしい量が頬を幾筋も伝い落ちる。昏く淀んだ目で笑い続ける姿はあまりに悲しく、痛々しくて、掛ける言葉が見つからなかった。友だちに裏切られ、次の瞬間に実の親にまで裏切られる。人間にとって血の繋がりとは最後の支えだ。それすら軽蔑の対象になってしまい、帰る場所も拠り所も一気に失って、寂しかったに違いない。怖かったに違いない。


「……親父さんはいないのか。親戚は? 他の友だちは?」

「父さんはクソババアとオレを放ってどっかに逃げたらしい。会ったことも無い。親戚も知らない。いるのかどうかもわかんない。友だちは、もう誰も、信用出来ない。みんな信用出来ない」


 再び震えだした自身の身体を強く抱き締めて少女が絞りだす。友だちに襲われたことがトラウマになって人間不信に陥っているようだった。


「一昨日と昨日はどうしてたんだ。まさか公園で過ごしてたんじゃないだろうな」

「一昨日はネカフェに泊まった。外の出るのが怖くて、そのままずっとそこにいた。だけど金があと10円しかなくなって、今朝追い出された。ネカフェはドリンクしかなかったから腹減ってたけど、金がないから何も買えないし、行くところもないし、散々歩いて疲れたから公園のベンチで休もうと思って、気がついたら眠ってた。いつの間にか夜になって、いきなりオッサンに起こされた」


 餓死寸前だったかのような強烈な食いっぷりの説明もついた。昨日から飲み物しか口にしていなかったであれば、それは腹も減るし、走ってもすぐにバテるのも無理は無い。


「そういうことだったのか……。あと、オッサン言うな」

「オッサンはオッサンじゃん。俺より11歳も年上だもん」

「お前まだ17歳なのかよ」


 「悪いかよ」と鼻水をグスッと吸い込み、ぐしぐしとジャージの袖で涙を拭う。人前で泣き顔を見せた羞恥に鼻先を赤らめたかと思うと俺から顔を背けて押し黙る。そこで会話は途切れ、気不味く重い沈黙が二人の間に流れた。


 さて、充分に少女の話は聴いただろう。ここに来てようやく、俺は先送りにしていた最初の難問に取り掛かれる。すなわち、


(さぁて、これからどうすっかなあ……)


 当初の予定通り、警察に届けるか? その場合、少女を迎えに来るのは保護者―――友だちに犯されそうになってそれがトラウマになっている子ども(しかも未成年)をソープ嬢に仕立てあげようとするとんでもない母親―――ということだ。児童相談所も、子どもを親から離すためには幾つもの段階を踏まなければ動けない。その間、この少女がどんな目に遭わされるのか想像するだけで怖気が走る。かと言って、この薄幸の少女には他に行くところがない。俺が見て見ぬ振りを決め込めば、また夜の街を彷徨う羽目になり、またもや油断に漬け込まれて危ない目に遭うだろう。その時にまた誰かが助けてくれる保証はない。世の中には他人の不幸を利用しようとする悪い奴が大勢いる。誰かが護ってやらなければならない。ならないったらならない。……ならないが―――。


(ついこの間強姦されかけた女の子に、俺の部屋に来いだなんて、言えないよなあ)


 これである。俺は実家から離れて一人暮らしだし、住人が一人増えたくらいで困るほど狭い部屋ではない。

 言うまでもなく俺に下心はない。確かにコイツは美少女だが、元は男だ。そもそも未成年に手を出したら犯罪だ。この気持ちは、大人としての正義感から生ずる義憤の潮であり、部屋に招くのは緊急避難的な措置として精一杯の配慮である。さりとて、上記の理由で一人暮らしの男の部屋に女の子を誘うのは気が引けるし、勇気がいる。この歳で彼女がいないことから察して欲しいが、恥ずかしいことに俺は奥手なのだ。

はてさて、どう切り出すか―――


「あの、お客様。もうお時間が―――」

「わかった。俺の部屋に来い」

「は?」

「あ、」


 反射的に脊髄で言葉を発し、それを思考が追いかける。隣を振り仰げば、先ほどの男性店員のポカンとした間抜け顔。それを見返すのも俺のポカンとした間抜け顔。オッサンを自分の部屋に誘惑するオッサンという構図だ。間抜け顔同士が目と鼻の先の距離で凝視合うこと数秒。何が起こってしまったのかを冷静に分析し、問題を円滑に解決するために、互いに今の会話を無かったことにして再起動。


「お客様、もう閉店のお時間ですので、ご退出の方をお願い致します」

「ええ。わかりました」

「ありがとうございます。それでは失礼致します」


 見たか。これが大人の意思疎通の力だ。後で俺の脳内ディスクからも今の記憶を消してしまえば黒歴史の消去は完璧だ。


「………行っていい、の?」


 目撃者がいた。

 ギギギと首を曲げて正面に目を向ければ、淀んでいた目にほんの少しだけ希望の光を取り戻した少女が、期待と不安に満ちた表情で俺を見つめていた。ここで見捨てられたら終わりだ。もう裏切られるのはイヤだ。そう言わんばかりに拳を強く握り締めて、命乞いをするように、すがるように見つめてくる。


「―――あ~あ、俺の部屋、隣街なんだよなあ。だからさあ、」

「……っ」


 わざと気だるそうな声を放つ。少女の握り拳がビクリと震える。表情が絶望に凍りつきかけて、


「お前をおぶって帰るのは、けっこう難儀だろうなあ。サンダル片方なくしちゃってるし。俺は背中ちょっと切られちゃってるし」


 言って、俺は照れ隠しに顔を力いっぱい背けた。うん、こっ恥ずかしいぞ。口に出してしまった後に気付いてしまったが、けっこうクサくないか、この台詞回しは。なんだかセンスが10年くらい古い気がする。ああ、また一つ黒歴史が増えてしまったじゃないか。刺されたり恥かいたり、いったい俺が何をしたっていうんだ。


「―――くっさ。センス古いよ。30年くらい古い。白黒テレビのメロドラマみたい」


ガーン!! 嘘だろ、そんなに古いのか!? ショックだ!! 


「……でも、」


 ガックリと落ち込む俺の左手に、出し抜けに、小さな手がおずおずと重なった。俺の指より一回り小さく細い指がぎこちなく絡まり、やがてギュッと一つになる。

驚いてそちらに目をやれば、脱色しすぎてバサッとした栗色の髪と、仄かに朱に染まったあどけない横顔。目を丸める俺を見あげ、悲しみではない涙を目尻に浮かべた少女が満面の笑顔を咲かせる。


「嬉しかったよ、ニイサン(・・・・)!」








 そしてその日から、今日まで続く俺と少女の奇妙な同棲生活が始まったわけだが―――ああ、その話はまた後日に落ち着いてからゆっくりとしよう。今日はもう出来そうもない。なぜなら今日は、





――――おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあっ






人生でもっとも目出度い日になるからだ!!!

「心して聞き給え、後輩よ。TS娘と夜の営みをする際は細心の注意がいるのだ。特に最初の頃は肝心だ。まず、自分の快楽を優先してはいけない。相手は女の体に慣れていない。快楽にも、痛みにもだ。従って、表情をよく観察しながら、時には頭を撫でて安心させてやり、時には労るように背中を擦りながら優しい言葉をかけ、時にはそっと口づけをして、落ち着かせてやるのが肝要だ。それと、痛がったらすぐに止めること。腰を動かしたい気持ちをぐっと抑えつけろ。TS娘は痛みにはあまり強くない。少しずつ、少しずつ、慣らしていくのだ」

「なるほど。勉強になります」

「だろ? だが、慣れてしまえばこっちのもんよ。元は男だからっつーのもあるんだろうが、性欲はそれなりに旺盛でな。慣れてくればけっこう積極的になってくれる。“今日はしないの…?”と顔を赤らめてせがんで来た時なんかはこれ以上ないくらい燃え上がる。こちらの気持ちいいところとか、何をすればどう感じるかとか、男が何を望んでるのかとかをよくわかってくれてるから、後は天国が待っているのだ。コスプレも口では嫌だと言いつつもしてくれるし。最初は気を使うが、それを乗り越えれば夜に飢えることはなくなる」

「ははあ。経験者のお言葉、大変参考になります」

「はっはっはっ。そうだろうそうだろう。TS娘の扱いなら何でも聞き給え」

「それではお聞きしたいのですが、先輩」

「なんだね?」

「今までの話を全て先輩の背後で仁王立ちしている奥さんに聞かれてしまった場合、どのような言い訳をすればいいんでしょうか?」

「―――――今夜に頑張っていっぱい気持よくしてあげるとか―――イデデデデッ!!??」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] やっぱりTS娘が幸せになるのはいいですね! [一言] いちゃラブがあんまりなかったから いちゃラブ成分が増えたらいいなと思います
[一言] 肝心のイチャラブが、ノロケ話だけだったのが残念でした。 長編版を希望します。
[一言] TSとハートフルストーリーの組み合わせがよかった。TS少女がラスト、幸せになってとても、良かった。 主人公の社会人、グッジョブ。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ