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赤の記憶と運命の恋人たち  作者: 方丈 治
それぞれの物語

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7/20

孤独な男(3)

 次の日、俺はいつもの宿で夕暮れに起きた。朝方までずっと酒をあおっていたから、ひどく頭が痛い。

 昨日、テルとかいうあの子供と別れてから、妙に落ち着かない気分になった。それがどうにも居心地が悪くて、遂にはいらいらする始末だ。酒が何とかしてくれるだろうと思って、酒場に直行したのだ──結局、酒の力は当てにならなかったが。

 ちなみに、昨晩のマスターの接客は最悪だった。酒を頼めば無言で酒の入ったグラスを机に叩きつけるようにして置くわ、つまみの一つも出しゃあしないわ。俺が店に入った瞬間から終始仏頂面で、俺に話しかけようとさえしない。

 普通、自分の店の得意先である俺が来れば、受けている依頼の様子はどうだの一言くらいあってもいいはずだ。俺が昨日、例の依頼を引き受けたことをいまだに根に持っているらしい。

「プロじゃねえよなあ……」

 俺は酒をちびりちびりと飲みながら、そう呟いた。それはマスターに向けて言ったのか、それとも自分自身に向けて言ったのかは覚えていない。何しろ泥酔していたからだ。

 悲鳴を上げている頭を押さえながら、俺は外に出た。夕日の僅かな暖かさが目に滲みる。

 昨日は酒場で酒に手をつける前に、愛想の悪いマスターに依頼主へ伝言を送ってもらうように頼んだ。その内容は大体のところ、『明日日没時、町外れ廃屋の裏にてブツの受け渡しをするので遅れずに来いよ』といったものだ。頼まれた連絡業務を無視するほど仲介屋としてのマスターの心は腐ってはいないと思うので、依頼主は指定の場所に現れるだろう。

 引受人の俺が遅れては話にならないので、俺は足を早めて現場に向かった。昨日の居心地の悪さがいまだ俺の頭の中でもやもやと渦巻いていたが、そんなことに構っている暇はない。

 町外れに向かうほど人気が少なくなっていき、廃屋の前にたどり着いた頃には通りを歩く人影はすっかり無くなった。念のため周りに人がいないかを確かめてから、廃屋の壁際を歩いて奥へと回った。

 廃屋の裏は、ちょっとしたスペースがある。そこに子供が二十人ほどたむろしていた。いくつかの塊に分かれて、それぞれ何かを話し込んでいる。辺りは囁き声で埋め尽くされている。

 俺は見渡して、人数を確認した。どうやら昨日声を掛けた奴らは全員揃っているようだ。感心な奴らだ。

 昨日最後に声を掛けたテルは、隅の方で身を小さくして一人で座っていた。昨日より少しだけ薄汚れていたが、無事に「生き抜いた」ようだ。ここにも遅れずに来られたようだし、これまた感心だ。

 俺の姿を見つけて、一人の子供が話しかけてきた。つられて他の子供たちも俺の方に寄ってくる。

「タウラスさん! どういうことですか! こんなに人を集めてたなんて……」

「それはこっちのセリフだ! オレたちだけが呼ばれたんだと思ってたぞ!」

「それより、俺たちに仕事をくれるって人はいつ来るんですか? あの話、ウソじゃないですよね!」

「まさか、全員分の仕事はない、なんて言わないですよね?」

「オレたちの方が仕事はできるから、おまえたちは今すぐ戻んな!」

 グループの間で喧嘩が始まりそうだったから、俺は仲裁に入った。

「まあまあ、落ち着け。全員分の仕事は必ずあるから安心しろ。だから大勢に声を掛けたんだよ。それに仕事の紹介人はもうすぐ来るはずだ」

 昨日俺がこいつらに言ったことも、今の説明も、嘘は言ってない。全員に「奴隷」としての仕事があるのだ。

 説明を聞いた子供たちは渋々納得した様子で、元の位置にそれぞれ散っていった。

 やれやれ、大勢のガキ達をまとまるのは大変なことだ。

 そのとき、人だかりの隅で一組の大きな目が俺を見ているのに気付いた。

 テルだ。

 テルはゆっくりと立ち上がると、俺の方にやって来た。

 呆然とした様子で口を開いた。

「タウラス……『しごと』って、なに? どういうこと?」

「ああ……そうだった」

 テルには他のガキどもと違う誘い方をしたのを思い出した。だからこいつと出会ったとき、面倒なことになりそうだと感じ取ったのだ。ああ、ややこしい。

「あのな、テル……」

 俺が言い訳をしようとした時だ。廃屋の影から五、六人の男が俺達の前に現れた。どいつもそれなりに武装していて、強そうな奴らばかりだ──まあ、俺には敵わないと思うが。

 男たちを見て、子供たちは騒然となった。どう見てもこの連中が自分たちに「いい仕事」をくれそうな人物には見えなかったからだろう。男たちが子供たちを外側から囲むようにして近付くと、子供の集団はどんどん萎んで、小さく集まっていった。

「やっぱり、おまえかあ、タウラスとやら! 会ったことはねえが、俺たちの街にまで名声は聞こえてるぜえ!」

 男の一人がそう声を上げる最中も子供たちから目を離していないところを見ると、やはりこの仕事に手馴れている感じはある。他の男たちも俺の方に関心はいっているみたいだが、目は子供たちの上に注がれている。

「一体どんな手を使ったんだ? 本当に一人でこんだけの数のガキを集めるとはすげえよ。 へっへへへへ……」

 男は卑しい笑みを浮かべて、子供たちを舐めまわすように見た。その姿は、肉食の動物がよだれを垂らしながら獲物を目の前にしたときの顔と本当にそっくりだ。反対に、子供たちは獲物らしく怯えた様子で身を寄せ合っている。

 他の男の一人が目の前の子供に下品な笑みを浮かべてこう言った──。

「それにしても小汚いガキばっかりだな。ま、オークションまでには何とかできるか。おい、ガキども。奴隷になる心の準備はできているか? ん?」

 それを聞いて、俺は舌打ちをした。余計なことを言いやがって。おまえのその一言がなければ、子供たちは騙されたまま、無事取り引きが済んだものを。本当にバカ野郎だ。一発ぶん殴ってやりたかった。

 子供たちはお互い顔を見合わせ始めた。その顔には驚きと恐怖が浮かんでいる。

 どうやら真相に気付き始めたらしい。徐々に不穏な空気が広がる。一人、二人……と遂には全員の子供が俺を見る。

 みんな黙ったまま睨んでいるが、子供たちが何を言っているのかは目で見れば一目瞭然だ──タウラスに裏切られた。信じていたのに。カッコいい大人だと思っていたのに。最低だ。おまえも汚い大人の一人だ!

 俺の真横にいたテルは、何が起こっているのか分かっていない様子だった。だが、周りの子供たちを見て状況を察したのだろう。小さな手で俺の足に掴みかかった。

「タウラス! ひどいよ!」

 大勢の子供の冷たい視線は、俺にとって痛くも痒くもなかった。それは侮蔑の意を含み、浮浪者を見る大人のそれと全く同じだったからだ。そんな視線には子供の頃に慣れている。

 しかし、テルの大きな視線は俺の心に鋭く突き刺さった。その瞳には、俺に対する恨みの気持ちではなく、深い悲しみだけが浮かんでいる。それがなぜか俺の胸の中で響くのだ。

「わかった……」

 俺は思わず呟いていた。昨日からずっと続いていたもやもやの原因が分かったのだ。


 ──俺がやりたいのはこんなことじゃない。


 テルの真っ直ぐな瞳がそれに気付かせてくれた。

 子供たちを裏切ることで、過去を克服できる?

 俺こそ「バカ野郎」だ。心はそれに気が付いていたのに、ずっと無視していたのだから。

 じゃあ、俺は一体何がやりたいんだ? その答えはすぐに出た。

「おっと、すまねえ。何か余計なことを言っちまったみたいだな」

 全くすまないと思っていない顔で、男はヘラヘラと笑った。

 それに対して俺は笑って許してやることにした。俺は何て優しいんだ。

「ハハッ、いいってことよ。──もうおまえらとは関係ないしな」

「……どういうことだ?」

 男の一人が眉をピクリと動かして、俺を睨んだ。ようやく事態の重さに気が付いたようだ。

 俺は男たちを無視して、その中の、囲われている子供たちに向けて、声を張り上げた。

「十秒後、俺が血路を開く。この町の外、いやそのずっと先まで、一気に走り抜けろ。二度とこんな目に遭いたくない奴は、もっと遠くまで逃げるんだ。いいな、散れ!」

「おい、てめえ! 何言ってやが……」

 俺の胸倉に掴みかかってきた一人の男は、言葉を終える前にその場で膝から崩れ落ちた。顔に一発、拳をかましてやったからだ。

「い、い、今だ!」

 子供の一人がそう叫んだ。それが合図となって、子供たちが一斉に動き出す。男が倒れたせいでできた隙間から、子供たちが囲いの外へと飛び出した。悲鳴を上げてそれぞれ散り散りに逃げていく。

 突然の状況に、男の仲間たちが顔色を変えた。互いに目配せをして頷き合う。三人が連れ戻すために子供の後を追い、二人が武器を手に構えながら俺に近付いてくる。俺の方に来た二人はこの中で一番腕が立つようだ。他の三人では俺に敵わないと踏んだことは褒めてやろうと思う。

「えらいことをしてくれたなあ……」

 二人の男は殺気だらけの顔で俺を睨んだ。もちろん俺のことを殺すつもりでいるのだろう。だが、こいつらの相手は後だ。まずは子供たちを捕まえようとする奴らを何とかしなければならない。

 俺が二人の男に背を向けて走り出したのに、男たちは驚いたらしい。まさか逃げ出すとは思っていなかったようだ。素っ頓狂な声で喚くのが聞こえる。

「ま、待てッ……! 腰抜けが……!」

 待てと言われて待つバカがどこにいる? 廃屋の奥から通りに出た俺は、全速力で男の姿を探した。

 一人をすぐ見つけた。三人の子供を捕まえている。子供たちは暴れているが、大人の男に首根っこ掴まれ、抵抗は無駄に終わっている。

「へっへっへ……逃げても無駄だぜぇ。大人しグエッ」

 俺は背後に忍び寄って、男の後頭部に手刀を入れた。男は何が起こったのかも分からないまま、地面に倒れ込んだ。

 男の手をすり抜けた子供たちは、倒れる男の巻き添えになるのを危うく逃れた。そして、後ろめたそうな目で俺を見上げる。

「あの、タウラスさん……。さっきはごめんなさ──」

「さっさと行け!」

 怒鳴りつけてやると、子供たちは驚いて逃げていった。彼らに謝られる理由はない。むしろ、俺が謝らなければいけないのに。

 それに、ここに立ち止まっている時間もない。さっき放置してきた二人の男がようやく俺に追いついてきたのだ。

 走ってきたのと、怒りのせいで、鼻息を荒くしながら男達が唸った。

「なめやがって……!」

「この落とし前はきっちりつけてもらうからなぁ」

 俺は溜息をついて、呟いた。

「やれやれ……。まあどっちにしろ、後で相手にすることになるか」

「余裕だなぁ、おい?」

 男の一人がそう言葉を発した時、俺は既に動いていた。男の手を叩き、持っていた短剣が地面に向かって滑り落ちていく。地面に当たる前にすかさず掴み取って、俺はそれを拝借することにした。

「余裕じゃないぜ、別に」

 俺はそう言うと、男に向けて短剣を構えた。武器を失った男の顔が一気に青くなっていく。

「ちょ、ちょ、待っ……」

 俺は身を低くして、その足を薙いだ。男が血を撒き散らせてよろめく。

 しかし、残りの一人は動揺することなく行動に出ていた。俺に向かって長剣を振りかざしていた。避ける暇はない。

 俺は歯を食いしばって短剣でその刃を受け止めた。金属がぶつかり合う音が町の中に響く。

「へっ。長剣と短剣じゃ、ちょいと厳しいな……」

 俺はいつの間にか笑いながらそう呟いていた。相手に押され気味になっているというのに、だ。笑っている場合ではなかったが、無性にこの場が楽しかった。どうやら俺は根っからの暴れ者らしい。

 そのとき、ある物が俺の視界に入った。

 ──通りの隅に、放置されたバケツがある。ありがたいことに、中には雨水が溜まっている。

「うおおおおおっ」

 俺は咄嗟にバケツの取っ手に右足を差し入れた。そして足に力を入れてそれを持ち上げ──目の前の男にぶちまけてやった。頭から水を被った男は、一瞬怯んだ。

 俺はその隙を見逃さなかった。

「ぐ、……お」

 俺の拳が男の腹に深々とめり込んでいた。男は目を血走らせて俺を睨んでいる。

「正々堂々じゃなくてすまないな。生き残るために、場を利用する闘いをしてきたんだ」

 そのとき、両足がずしんと重くなるのを感じた。見ると、足を傷つけられた男が──這いずって来たのだろう、地面に血で擦った跡が残っている──したり顔で、俺の両足を掴んでいた。

「へへ……馬鹿な奴だ。足じゃなくて首でも狙えば良かったものを」

「……俺ぁ、確かにバカかもな」

 俺は短剣を地面に投げ捨てた。俺の不可解な行動に、足を掴んだ男は一瞬驚いたような顔をした。

 それもそうだ。俺は身動きができない状態にされ、目の前の男は腹を押さえて身悶えしているがそのうち回復するだろう。二対一の勝負で、決して俺が優勢なわけではないのに、持っていれば有利な武器を手放したからだ。

 せっかく奪ったナイフを捨てたのは単純な理由だ。俺は肉弾戦が好きだからだ。武器の扱いはそれほど上手くないが、自分の拳や足なら上手に操れる。力だってある。相手を瞬時に仕留める能力は低いが、一発で気絶させることはできる。要するに、体力バカなのだ。

「俺はバカだからな、相手を殺すことはできねえんだ。しかも、死ぬ方がマシだって思うほどの痛い思いさせる」

 俺は足元の男の顔を一発殴った。男の顔から血が吹き出る。そして、ふらつく頭を地面に向けて汚物を吐いた。きっと今頃、男の脳みそはグラグラ揺れているはずだ。

「てめ……」

 男はフラフラになりながらも、俺を睨み上げた。俺は心の中で、素直にこの男を褒めた。大体の男ならこの一発で沈めることができる。しかし、この男は気絶もしないし、俺の足を掴む手も緩まない。こいつも、腹に一発お見舞いしてやった奴も、一発で気絶はしなかった。敵ながらすごい奴らだ。

 だが、ここで止めるわけにはいかない。足を離してもらわなければ俺は動けないのだ。容赦なく男を叩きのめしてやると、男はついに白目を剥いて後ろに倒れた。

 足が軽くなった俺は振り返った。さっき腹に重い一撃を与えてやった奴が立ち上がろうとしていた。少しは回復したらしい。そいつは濡れた手で剣を構え直し、にやりと笑った。

「確かに、『暴れ牛のタウラス』とは本当だな。だが、武器を持つ相手に勝てると思っているのか?」

 男は長剣で斬りかかってきた。俺はそれを避けようとしたが、フェイントだった。男は半歩下がると、次の一歩を大きく前に踏み出し──俺の胸目がけて突き上げた。

 しかし、俺はそこにはいなかった。膝を曲げて、男の足元にしゃがんでいたのだ。そして、両手を地面に付いて、片足のバネで体を跳ね上げた。

「がふっ!」

 俺の姿を見失っていた男の顎に、俺の蹴りが命中した。男は上を見上げながら宙を浮く。まるで空に向かって飛び立とうとしている鳥のようだ。

 どさりと地面に落ちた男は動かなかった。気絶しているようだ。油断して食らったのがいけなかったらしい。

 俺は少し物足りなさを覚えたが、そんな場合ではないことに気が付いた。それに暴れ足りないのは、残りの奴らが解消してくれるだろう。

「……あと、二人!」

 俺は残りの敵を探すために、その場を去った。


 結局そのすぐあと、残りの二人は町の外で見つかった。町から逃げ走る子供たちを追っていたのだ。発見次第、男どもには鉄拳制裁を加えてやった。すぐに悶絶して全く楽しめなかったのが残念だ。

 辺りはすっかり暗くなった。夜の帳が下り、その中に町の明かりが灯る。

 すべきことを終えた俺は、町に戻るために歩いた。町外れにたどり着くと、真っ暗で人気は全くなかった。町の中心部だけが栄えていて、その外周は静まり返っているのだ。

 俺は町の中心部にあるマスターの店に行こうとした。依頼破棄どころか、引き受けた依頼主達をフルボッコにしてしまったのだ。誰のためかは分からないが、とりあえず謝りに行こうと思う。もしかすると、逆に、マスターに感謝されるかもしれないが。

 そして、今まで世話になったことを伝えよう。長らく住んでいたこの町とは今日でおさらばだ。

 そんなことを考えながら歩いていると、通りに立つ建物の壁際に、小さな影があるのに気が付いた。

 ──テルだ。うずくまって、じっと地面を見つめている。

(……やはり最後まで厄介なのは、こいつか)

「おい」

 俺が声を掛けると、テルはハッと顔を上げた。睨むような視線で俺を見る。元々目付きは悪いが、今は本当に心の底から睨んでいるのだろう。

「何でそこにいる。さっき、おまえも聞いただろ。俺はおまえら子供を売ろうとした悪い人間だぞ。こんな人間がこの町にはいっぱいいる。早くこの町を離れろ」

 そんなことを言える立場でないのは、十分に分かっている。テルは俺のことを責めるのかと思った。

 しかし、テルはそうしなかった。また地面に目を落とすと、ポツリと呟く。

「いやだ。……おとうさんとおかあさんがむかえにきてくれたとき、ぼくがここにいなきゃこまるもん。だから、ここにいる」

「おまえ、まだそんなこと言ってんのか?」

 このときの俺はどうかしてた。頭の中の何かが、ぷつんと切れたんだ。言わなくてもいいことが、次々に口から飛び出ていた。

「まだそんな甘いこと考えてるんなら、教えてやるよ。おまえは捨てられたんだよ。おまえには旅行と言っていたが、もちろん旅行なんかじゃない。おまえを上手く騙してこの町に連れて来るために、親がついた嘘だ。親はおまえとはぐれたんじゃない──わざと置いていったんだよ!」

 一気に畳み掛けると、俺は一息ついた。

 テルは──泣いていた。

 子供の泣き方にしては静かすぎる泣き方だ。声を殺して、口をギュッと結んで、大きな目から涙が流れていた。まるで大人の泣き方だ。

「うそだ! そんなのうそだ! おとうさんもおかあさんも、ぼくのこときらいになったはずなんかない! だって、ひぐっ、きのうはぐれるまえも、えぐっ、ぼくのこと、せかいでいちばんあいしてるって、うえっ」

 テルは叫んだ。途中から嗚咽を混ぜて。

「でも実際、おまえの親は迎えに来ないじゃねえか。そろそろ目を覚ませよ」

「もうすぐっ、あした、ひっく、むかいにくるよ!」

「おまえはもう、自分の力で生きなければならないんだ。ここでずっと座ってても、腹は減るし、凍えるぞ」

「そんなのへいきだい!」

「このっ……俺がそうだったから、言ってやってるん……」

「うわーーっ!」

 遂に耐え切れなくなったテルは、そう叫ぶと、地面に突っ伏した。そして、泣きじゃくる。

 俺はむしゃくしゃしていた。現実を見ないテルの甘さと、こんな子供に関わってしまった自分の軽率さに。

 そして、かつて自分が思っていた言葉を思い出した──『一度でもそいつに手を差し伸べることは、そいつの面倒を一生見られる奴だけがやっていいことだ』。

 気付いたら、俺はテルに二つの選択肢を与えていた。


「テル、今すぐ決めろ。この町で来やしない親を待ち続けるか、それとも、生きるために俺と一緒に行くか」



 *****



 ──俺は一体何をやっているんだ? いっちょまえに人の親代わりのようなことをしようなんて。

 俺は、自分がまさかそんなことを言うなんて、思ってもみなかった。何でこんなことを言ったんだ、俺は?

 テルは相変わらず足元でうずくまり、泣きじゃくっている。泣きながらも、俺の問いを考えているのだろうか。

 もしテルが「俺と一緒に生きる」ことを選んだらどうするんだ? 俺にはこんなことに関わっている暇も余裕もないし、何しろ義理がない。それに俺自身、子供はいらないとあんなに心に決めてたじゃねえか。

 俺は呆然と立ち尽くした。

 困った。どうすればいいのか分からない。

 しばらくすると、徐々に泣き声が止み、テルが手で顔を拭い始めた。上げた顔を見ると、涙と鼻水でそれはひどいものだったが、決心したような表情が浮かんでいる。ついさっきまでの、自分一人では何もできない子供の顔とは違った。「覚悟」があった。

「きめたよ、タウラス」

 テルは鼻を啜ってゴクリと飲み込み、しっかりとした口調で言った。俺はテルの出した答えに注目した。

「ぼく、いくよ。──タウラスといっしょにいく」


 ──終わった。俺の『暴れ牛のタウラス』としての人生は終わった。


 子連れの『暴れ牛』など、裏世界のどこにいるだろうか? いや、そんな情け深い『暴れ牛』はどこにもいない。

 ──あの『暴れ牛のタウラス』が捨て子を拾って育ててるらしい。あいつも丸くなったもんだな──

 きっとそう囁かれるのだ。そんな事を考えていたら、いつの間にか鳥肌が立っていた。

 しかし、今更「今のはウソだ、すまん」などと言うことは、俺のプライドが許さない。もう腹を決めるしかないのだ。

「……分かった。これから、おまえのことは俺が面倒見てやる」

 テルはぱっと笑顔になった。──おっと、ここで勘違いさせないように釘を刺しておかなければ。俺はあくまでも、こいつが一人で生きていけるようにその知識と技術を教えるだけだ。一から十までお世話をしてやるつもりは、ひとかけらもない。

「だがな、俺は決しておまえを甘やかしはしないぞ。おまえにいろいろと注文をつける。いいな?」

 俺の厳しい声に、テルはビクッと肩を震わせた。そして、恐る恐る俺に訊ねた。

「……たとえば、どんな?」

「そうだな……。全ての面において、俺より強くなれ。将来俺が楽できるように、な」

「…………」

 テルは俺の頭から足先までを眺めると、それは心細そうに呟いた。

「……そんなのむりだよ」

「ははは! まあ、追々、な」

 俺が歩き始めると、テルも慌てて立ち上がって後をついてくる。

「あ、まってよー!」


 テルと共に行動することが、この先俺の人生にどう影響を与えるかなんて分からない。

 でも、テルと一緒にいることがそれほど嫌ではない。

 もちろん頑固なところがあるテルにイラついたり、扱いに困ったりする時もあるが、テルと一緒にいることで初めて知ることもあって、楽しくさえある。


 さて、明日はどんな一日になるだろう?



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