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赤の記憶と運命の恋人たち  作者: 方丈 治
それぞれの物語
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孤独な男(2)

 依頼の引受人となった俺は、店を出て町の中に出て行った。向かうは光の射さない裏通りだ。

 この町は、浮浪者にとっては居心地の良い町だ。俺が小さい頃に渡り歩いてきた町のように、町人から浮浪者へ軽蔑の眼差しを向けられることもそうはない。なにせ、町全体が裏の住民達の根城だからだ。

ただし、町の治安が悪く、犯罪行為は日常的に起こる。力あるものだけが生き残れる、弱肉強食の世界だ。

 こんな町の裏通りで、浮浪者達はひっそりと息を潜めるように生きていた。めぼしい物を拾うためにゴミを漁り、後は路頭に座ってひたすら虚空を見つめるだけの生活。まさに生きる屍だ。中には一念発起して、押し入り強盗など大それたことをする奴もいるが、大抵は失敗に終わって命を落とすか、今までより非道い暮らしをすることになる。

 俺が探している浮浪児たちも、この裏通りに住み着いていた。この界隈では、大人よりも子供の方が「生きる」ことに貪欲だ。昔の俺もやっていたように、靴磨きで僅かな小銭を稼ごうとする子供もいれば、店先で食べ物を盗む子供もいる。

 そんな奴らだ、「いい仕事を紹介してやるぜ」と言えば簡単に付いてくるに決まっている。世の中のことを何も知らない甘ったれた昔の俺なら、そうしていただろうから。

 裏通りを歩いて半時も歩くと、幾つかの子供たちの群れに会った。大抵の子供は、数人でゆるい集団を作っている。今回の依頼では最低二十人集めなければならないようだから、これは手っ取り早くていい。

「俺の知り合いに、おまえらに仕事を紹介したいって言っている奴がいるんだ。今度、その詳しい説明をしてくれる。どうだ? いい話だと思うんだが……無理にとは言わないぜ。おまえらが無理のようなら、他の奴らを当たってみるしな」

 俺は集団を見つけるたびに、そう声を掛けた。

 子供たちは仲間内でざわざわと相談し始めた。中には俺の話を訝しがる奴もいたが、結局は皆、納得してこの話に乗った。

 上手くいったポイントは、無理強いさせなかったことだ。そして、俺が子供たちの憧れの的であることが後押しをした。

 子供たちは誰もが俺のことを知っていたし、裏の世界でどんな依頼もこなす、まさに超人である俺の言うことならハズレはないに違いない、と踏んだのだ。

 俺は浮浪児たちに指定の日時と集合場所を伝えた。明日の日没に、町外れにひっそりと立つ廃屋の裏だ。

 一仕事を終えて、宿に戻ろうと通りを歩いていたところだった。

 いつの間にか日が暮れかけている中、向かう先が何やら騒がしいのに気が付いた。

「どこに逃げやがった!? あのチビ!!」

「あんた、あっち探してきなよ!」

 いきり立った中年夫婦が物騒なことに──俺が言うのも変かもしれないが──、そこらに落ちてあった鉄棒を手に喚いている。

「ありゃ、確か……雑貨屋の」

 見覚えのある二つの姿は少し先に立っている俺に気付くことなく、別々に去っていった。

 ──その時、ちょうど俺が立つ所から横に伸びる道筋の暗がりに、もぞもぞと何かが動くのが見えた。

 誰にも見られていないのを確かめてから、俺は横道に滑り込んだ。そして、忍び足で小さな「影」に近付く。

 ところが、その「影」はピタリと動くのを止めた。気付かれたか? ──いや、違う。

 そいつは上を見上げていた。その視線の先には、下り始めたばかりの夜空がある。建物の壁の間から覗いている月を見ているのだ。

 なぜか俺には、その姿が物悲しそうに見えた。まるで、あの日、冷たい路上で孤独と絶望を味わっていた俺の姿を見ているようだ。

「こんな所にいたら見つかるぞ」

「わあっ!」

 地面にうずくまっていた「影」は、飛び跳ねるようにしてこっちを振り返った。

 暗闇の中に大きな瞳が浮かび上がる──「影」の正体は男の子供だった。その子供はまだ物心がついたばかりの年頃に見えた。背丈は俺の足の長さもないが、体つきはやせ細っているという訳ではない。

 そいつは最初、自分が見つかったことにかなり驚いた表情をしていたが、すぐに警戒の目付きで俺を睨んだ。元々目付きは悪い方みたいだが、睨みを利かせていることで一層可愛げがなくなった。

「無事に食い物をかっぱらってきたみたいだな。でも、店からこんなに近い場所で足を止めたら、直に店の者に捕まる。通りは最低五本離れた所まで逃げな」

 子供が両腕で胸に抱えている缶詰や野菜を指差しながら俺は言った。普通ならこんな場面に遭遇しても素知らぬ顔で通り過ぎるのに、今回はなぜか、この子供のために注意までしてやっている。甘いというか、物好きというか……これでは『暴れ牛のタウラス』の名折れだ。

 しかし、子供は俺を睨み続けたままで、身動き一つしない。それは動かないのではなくて、動けないようだ。微かに身震いしながら固まっている。

「はあ……」

 俺は溜息をついた。なぜなら、この子供はこの町によくうろついている浮浪児のガキどもではなかったからだ。

 この子供が浮浪児ではないとわかった理由は、いくつかある。まず、盗んできた物が缶切りや調理を必要とする物だったからだ。生きるために何を盗めばいいかをわかっている浮浪児は、そんな煩わしい物は盗まない──その場ですぐに食べられるパンや果物を手に入れる。

 そして何より、この子供はそれなりに身なりがキレイだった。昨日着替えたような汚れのない服だ。体つきも細いが、毎日そこそこ満足した食事を与えられてきたのは明らかだった。

 この子供は浮浪児ではない。浮浪児でないならば、保護者に守られて生活している「普通」の子供だ。

 ──しかし、この子供は「普通」ではない。それは、夜の寒い路上で親の姿もなく、一人きりだからだ。

「どこから来た、ぼうず」

 そう尋ねてみたものの、俺はこの子供がここにいる理由に薄々気が付いていた。どうやら面倒なことに巻き込まれたようだ。

 子供は口を開いて、目の前にいる巨人に──俺のことだ。この子供から見たら、さぞかしそう見えるだろう──恐る恐るこう言った。

「…………。……ぼくんちから」

「…………」

 そりゃそうか。俺は自分を無理矢理納得させて、違う質問をしてみた。

「誰か……親は、一緒じゃねえのか」

「……ぼく、おとうさんとおかあさんと、『りょこう』してるんだ。おおきいまちだって、いっぱいとおってきたよ。……いまは、おとうさんたちとはぐれちゃったけど」

「……そうか」

 子供は、俺がいきなり自分を取って食おうとはしないと分かってか、少しだけ気を緩めた。一息つくと、再び話し始めた。

「きょうのあさ、このまちにきたんだよ。でね、おとうさんがいいものみせてくれるっていったんだ。それで、みちのうえでねてるひとがいっぱいいるところにつれていってもらって……。ぼく、ずーっと、それをみてたんだ。そしたら……、」

 子供は一回言葉を切った。その時のことを思い出したのだろう、一瞬その小さな顔に不安がよぎる。

「おとうさんたち……いなくなってたんだ」

 そこで、誰かを庇おうとしているかのように、語気を強めて続けた。

「でもね! おとうさんとおかあさん、ぼくがいないことにきがついて、いまもさがしてくれてるよ、きっと。だからぼく、このまちでまってるんだ。えへへ、えらいでしょ」

 子供の顔には押しつぶされそうなほどの不安があったが、揺るがない自信も浮かんでいた。そう、この子供は、親は必ず自分を迎えに来てくれると信じているのだ。

 しかし、俺にはその結末が分かっていた。もちろん親は迎えになんか来ない。

 ──何故なら、親はこいつを捨てに、この町にやって来たのだから。

 こいつの両親は、子供には旅行すると言い聞かせておいて、長い旅をしてきたのだろう。子供に自力で戻ってきてもらっては困ると思って、自分の住む町から遠く遠く離れたこの町をわざわざ選んだのだ。もちろん浮浪児の多いこの町では、夜に町をさまよう子供が一人増えたって誰も気付ないためでもあるだろうが。そして、子供を何かに夢中にさせている間に、自分たちはひっそりと町を去る。

 何らかの理由で育てられなくなった子供を捨てるために、この町に置き去りにする親がよく使う常套手段だ。こうしてこの町の浮浪児が増えていくのだ。

「ったく、親ってもんは……」

「えっ、なにかいった?」

「いいや、何でもない」

 この子供を見て、俺は自分の子供の頃を思い出した。

 俺は直接捨てられたわけではない。だが、母親は殺され、父親は逃げ、結果的にその子供は浮浪児になった。捨てられたのと同じだ。

 町から町を渡り歩き、自分の居場所を探す毎日だった。行くあてもない寒い夜に、何度空を見上げて月を眺めただろう。

 目の前の子供は、小さい頃の俺に似ているんだ。

 そして、俺は思う──こんな目に遭わすくらいなら子供などいらない、と。

 普通、男は女と結婚し、子供を作る。しかし、その中には自分の血を分けた子供に残酷な仕打ちをする親がいる。そんなことになるのなら、俺はやすやすと特定の女に入れ込むようなことはしないし、結婚もしない。女が欲しい時は、いろんな女を渡り歩けばいいだけの話だ。

 世間では「赤い糸で結ばれた男女は幸せになれる」とか何とか言ってるが、そんな都合のいいもの、あるわけがない。もしあるなら、この世の全ての人間が赤い糸の相手と結婚すればいい。そうすれば、浮浪児なども生まれないはずだ。でも、そんなものはないから今の現実がある。

「──ぼうず、名前は?」

 俺は柄にもないことを訊ねた。名前なんか訊いてどうする。

「テル、だよ」

 捨てられたと微塵も気付いていない子供は、無邪気な笑顔で答えた。そしてその笑顔のまま、とんでもないことを言いやがった。

「おじさんは?」

「お、おじ……!」

 俺はショックだった。まだ二十歳なのに、おじさん呼ばわりされるとは。……まあ、顔が老けて見えるからかもしれないが。

 俺は気を取り直して、答えてやった。そういえば、この辺で俺の名を知らない奴なんかいなかったせいか、自分の名前を名乗るなんて久しぶりだった。

「タウラスだよ、タウラス」

「タウラス……。タウラスおじさんだね!」

「おじさんはやめろ! 俺のことを呼ぶならタウラス『おにいさん』か……、そうだな、タウラスでいい」

 その子供……いや、テルは笑顔で頷いて、「タウラス!」と一度だけ確認するように呟いた。

 俺はこの子供の前から立ち去りたかった。これ以上、テルになつかれては困る。だが、どうせだから、最後に一言アドバイスでも残してやろう。

「テル……もう夜だぞ。何かくるまる物を探してきたか?」

「えっ? なんで?」

 テルはどうしてそんなことが話に出てきたかも分からないといった顔で聞き返した。これだから何も知らない「捨てられたて」は!

「夜は冷えるだろ! ぼろ毛布でも、新聞紙でも、ボール紙でも、何でもいい。何かかぶる物がないと凍え死んじまうぞ!」

 俺がそう叫ぶと、テルは急に現実を思い出したらしい。途端に不安そうな顔をして、俺を見上げた。

「ぼく……そとでねるんだよね……?」

「あたりまえだ。金を持っていなけりゃ、道の上で寝るしかない。この町では金か力のある者だけが宿の布団で寝られるんだぞ」

「……そとでねるなんて、ぼく、したことなんかない」

「そりゃ、誰でも『初めて』はあるさ」

「……タウラスはふとんのなかでねるの?」

「そうだ」

 そこで、テルはもじもじとしながら、俺の目を見た。

「あの……ぼくもいっしょに」

「ダメだ」

 俺はテルの言葉も終わらないうちに突っぱねた。「こんなに小さいのに。親に捨てられて可哀想」と思っても、甘やかす訳にはいかない。一度でもそいつに手を差し伸べることは、そいつの面倒を一生見られる奴だけがやっていいことだ。

 俺の部屋に泊まりたいという願いを即座に拒否され、テルはしょんぼりと地面に目を落とした。

 俺のテルに対する仕打ちがなんて非道いと思う奴はいるかもしれない。だが俺は救世主じゃない。テルは世間の厳しさを学ばなければならない。

「……待てよ」

 俺はその時、あることを思い付いた。俺は今日何をしていたのかを思い出したのだ。

「……テル。ひとつ話があるんだけどな。実は、おまえに食べ物と寝床をくれるような人がいるんだ。その人と会うのがちょうど明日の日暮れ時だ。もしおまえがこの町で親が来るのを待つつもりなら、その人に頼ったほうがいいんじゃねえかな」

 そう、俺が今日引き受けた依頼だ。町の浮浪児には信頼させるために「いい仕事がある」と言ったが、テルのような世間知らずには今のような言い回しで十分だ。本当にそんな「優しい人」がいるのだと、疑いもせず信じることだろう。

 来るはずのない親を待つテルにそう提案したのはテルのためでもあると、俺は勝手に思っていた。日が経つにつれ、親に捨てられたことを思い知らされるくらいなら、町で出会った男に知らない間に売り飛ばされていた方が、幾らかましなのではないか。もちろんその後に待ち構えている奴隷生活は辛いものになるだろうが、そんなことは俺の知ったことではない。

 テルは予想通りの反応をした。ぱっと笑顔を俺の方に向けて、はつらつと答えた。

「うん! ぼく、そのひとにあいたいな」

「北側の町外れに一つの廃屋がある。明日の太陽が沈む頃、その廃屋の裏だぞ。確かに来いよ。その人とはそこで会えるからな」

 俺は回れ右をしながら、そう言った。俺が去ろうとしているのに気付いて、テルは慌てて訊く。

「ねえ! きょうだけでも、タウラスといっしょにいていいでしょ?」

 俺は足を止めて、溜息をついた。明日売りさばこうとしている子供と、誰が一緒にいたいと思うだろう。

 ──そんなことをしたら俺もおまえも辛いだけなんだよ。

 そう言いたかったが、もちろん言わなかった。

「一日くらい、自分の力で生き抜いてみろ」

 代わりにそう言い残して、俺はその場を去った。


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