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赤の記憶と運命の恋人たち  作者: 方丈 治
それぞれの物語
4/20

わたしの居場所(2)

 

 わたしは次の日、ジナお嬢様がいるテラスを訪れた。

 お嬢様の部屋は別にあるのだが、日中お嬢様はこのテラスにいることが多かった。外の景色を見せることで、ふさぎこんでしまったお嬢様の気を少しでも晴らそうとメイドが連れてくるのだ。

 お嬢様はメイドに見守られながらテラスに座り、ぼんやりと空の辺りを眺めていた。昨日と同様、その目には何も浮かんではいなかった。

 わたしはお嬢様に話しかけた。しかし、お嬢様は返事をするどころか、振り向きさえしなかった。

話しかけても反応がない──これを何度か繰り返したところで、その日は引き下がった。そんな日が一週間続いた。

 お嬢様のお世話をしているメイドの話によれば、毎日会っている彼女たちでさえ、お嬢様の反応がないことがほとんどだと言う。

 ただ、唯一の肉親である旦那様だけは違うらしい。旦那様が声を掛けると、お嬢様は決まって不安そうに抱きつきにいく。

しかし、それだけであって、以前は楽しくしていた旦那様とのお喋りも、今はほとんどないらしい。

 この屋敷に来て一週間、わたしはまったく旦那様やお嬢様のお役に立てていなかった。わたしは自分の生業をすっかり忘れていのだ。わたしは占い師だ。占いで、この屋敷から厄災と取り除くこと、そしてお嬢様を立ち直らせることを旦那様に頼まれたではないか。

 そのことを思い出し、わたしは早速、占いの視点からお嬢様を見てみることにした。

 わたしの占いはほとんどの場合、水晶玉で行う。見たいものを念じると、水晶玉にその答えが映し出されるのだ。それははっきりと出るときもあるし、靄がかかったようにぼんやりとしか出ないときもある。

 わたしは今のお嬢様の姿を頭の中で思い浮かべ、次に、いまだ見たことのない元気なお嬢様を想像した。こうすることで、お嬢様が元気になるきっかけが分かるかもしれない。

 しばらくすると水晶玉に変化が現れたので、水晶玉の中を覗いた。水晶玉はぼんやりと光っている──が、それだけで何の形も見えてこない。

(おかしいな……)

 水晶玉が光っているのは、何かを映し出しているというサインなのに。

 そう思ってさらに水晶玉を見つめたとき、私の目が「それ」を捉えた。わたしは思わず呟いた。

「赤い……糸?」

 それは、一本の糸だった。赤色の細い糸が、水晶玉の中央でピンと張っているのだ。水晶玉は初めから占いの答えを映し出していたのだが、こんな細い糸一本では思わず見逃しそうになったのも仕方のないことだ。

 わたしは水晶玉が示した意味をしばらくの間考えた。水晶占いは水晶玉に映し出されたものを占い師が正しく解釈して、相手に伝えなければならない。間違った解釈はあってはならない。占い師の一言が人の一生を左右してしまうこともあるからだ。


 ──互いに赤い糸で結び付けられた男女は、運命の相手である。


 これは世間の女性たちの間で流行っている迷信である。

 赤い糸が一体どのようにしてお嬢様に光をもたらすというのだろうか? わたしはそのような迷信をいたって肯定的に考えているし、赤い糸のロマンスに胸をときめかせて話を盛り上がらせている女性たちを見るのも、微笑ましくて好きだ。

 しかし、赤い糸は所詮、迷信に過ぎないとわたしは思っている。例え、もしそれが本当にこの世に存在するのだとしても、そんなものが人と人を繋いでいたら周りの人間はすぐに分かるのだ。糸で結ばれている人間など見たことがないし、誰だってそんな経験をした者はいないだろう。

 わたしが今まで占いをしてきた中で、こんな占いを頼んできた女性がいた──自分と相手の男性が運命の赤い糸で結ばれているのか、もしくはこれから結ばれる予定はあるのか、と。

 依頼してきたその女性自身も赤い糸の存在を信じきっている様子ではなかったが、興味本位で占ってほしいようだった。わたしはいたって真面目に占ったが、彼女に赤い糸を見ることはなかった。その後も何人か同じような依頼をしてきた者がいたが、どの者にも赤い糸の影はなかった。

 ──赤い糸は実在しない。

 いや、もしかすると存在しているのかもしれないが、誰でもその糸を持つことはないらしい。もしくは、人間の目には見えないか、だ。

 その考えのもとで悩みに悩んだ末、わたしは一つの答えを出した──水晶玉の映し出された赤い糸は、その運命の糸のような現実離れした話を聞かせることでお嬢様の気分を晴らすことができる、と言いたいのだ。赤い糸のおとぎ話は、お嬢様を悲しみの深淵から救い出すきっかけになる。わたしはそう信じた。

 その占いの後、わたしは折を見て、テラスで相変わらず放心状態にあるジナお嬢様の横に座った。

 わたしはある物を持ってきていた。それは幼い子供向けの、「赤い糸」に関する物語が何話か収められている絵本だった。

 わたしはジナお嬢様の前に見やすい角度でその絵本を立て置いた。ジナお嬢様は目の前に置かれた絵本の方を振り向きはしたが、いつもの暗い瞳だった。

 そして、孫娘に昔話を聞かせるおばあさんのように、わたしはゆっくりと物語を語りだした。最初から反応のなかったお嬢様だったが、結局最後まで反応がないまま、わたしは絵本を読み終えたのだった。

 わたしはお嬢様の心が少しも動いていない様子であるのを悟って、少なからずショックを受けた。水晶玉が示した赤い糸の解釈が間違っていたのだろうか? 

 一瞬そう思ったが、一回だけの挑戦で結論づけるのは早いと考え直した。

 そして、それは正しかった。


 次の日もわたしは昨日の絵本を持って、ジナお嬢様のいるテラスへと向かっていた。今日も絵本の読み聞かせをするためだ。

 その時、わたしを見つけた一人のメイドが、とても慌てた様子でわたしのもとへと駆け寄ってきた。

「どうしてそんなに慌てているのですか?」

 わたしは彼女に訊いた。彼女は自分を落ち着かせようと息を整えてから答えたが、それを聞いたわたしもとても驚いてしまった。

「ジナお嬢様があなたを呼んでいるのよ、昨日の絵本をもう一度読んでって!」

 テラスに入ると、わたしに背中を向けて座っていたお嬢様がこちらを振り返る。そして、大きな目でわたしを見つめた。

 顔に表情がないのはいつも通りだったが、今日のジナお嬢様は違った。わずかだが、瞳の中に感情が浮かんでいた──親に何かをねだる子供のような目だ。

「えほん」

 お嬢様は小さな指でわたしが持っていた絵本を指差した。お嬢様がわたしに向けて何らかの感情を出したのはそれが初めてだった。そばでこれを見ていたメイドが、驚きで息を呑むのが聞こえる。

 わたしはお嬢様の目を見て、ゆっくりと頷いた。

 昨日と同じようにお嬢様の隣に座り、絵本を開いた。そして、昨日と同じ物語を語り始める。

 話が紡ぎ出されるにつれて、お嬢様が絵本の方へと惹きつけられていくのが分かる。無表情で本を見つめているが、心の中に小さな明かりが灯ったのだ。

 赤い糸の物語がお嬢様を暗闇から引き上げ、夢であふれる空想の世界に連れて行った──そんな感じに見えた。


 その日から、わたしはお嬢様に赤い糸の絵本を読み聞かせるのが日課となった。

 毎日同じ物語でもお嬢様は飽きることなく聴いていた。その絵本が持つ引力は、周りの者が見ていて本当に目を見張るほどだった。

 ジナお嬢様がある絵本に夢中になっているという噂は、すぐに屋敷中に広まった。もちろん旦那様の耳にもすぐに入り、ある日わたしが絵本の読み聞かせしているときに覗きにやって来た。お嬢様の姿を見てとても驚いている旦那様の顔がおかしくて、わたしは少し笑ってしまったほどだ。

 旦那様や使用人たちはしばしば、何がそれほどお嬢様をその絵本に引きつけているのかと話し合っていた。今まで多くの絵本を持ち出してきたが、どれもお嬢様の目には入らなかったようなのでなおさら不思議らしい。わたしはわたしで、あのとき水晶玉に映った赤い糸はこういうことだったのだ、わたしの解釈は間違っていなかった、と自分の占いに少しの自信を持つことができた。

 とにかくお嬢様の状態は日に日に良くなっていった。それは誰の目にも明らかだった。お嬢様の瞳には以前のような明るい光が宿り、旦那様や私たちメイドとも言葉を交わすようになったのだ。わたしはお嬢様が元気な様子を見ることができて嬉しかった。

 ある日、わたしは旦那様に部屋に呼ばれ向かった。

 旦那様はわたしの手を取りながら、今にも泣きそうな顔で言葉を尽くしてお礼の言葉を述べた。わたしは今まで人からそれほどまでに感謝されたことはなかったので、気恥ずかしいのと畏れ多い思いでこう返した。

「わたしは占い師です。占いで人々を導くのがわたしの仕事ですよ。それに」

 そこで、旦那様の目を見た。

「旦那様がわたしをお雇いになったのですから。当然のことです」

 旦那様は潤んだ瞳をゆっくりと目を閉じた。そして、再び目を開ける。

「……リブラよ」

「何でしょうか?」

「おまえは決してうんとは言わないだろうが……私はおまえを無理矢理に近い形でここに連れてきてしまったように思えるんだ。家におばあ様を残してきただろう。私はそれがずっと気がかりでね。もし……今からでも家に帰りたいという気持ちがあるというのなら……」

 旦那様は懺悔するような口調でそう言った。申し訳ないような目でわたしを見つめる。

 わたしは旦那様にそんな顔をしてもらいたくなかった。少し前のわたしだったら、まさか占いの館を出て、誰かの雇われ占い師になるなど考えもしなかっただろう。

 しかし、このお屋敷に来た今のわたしは違う。

 旦那様やジナお嬢様、それに使用人たちと一緒に暮らすことや、彼らの役に立てることがわたしの喜びだった。

 だから、わたしの心は決まっていた。

「……旦那様。わたしもおばあ様も、わたしがこのお屋敷にお務めすることを望んでそうしたのです。わたしはもうこのお屋敷の一人なのですよ。旦那様、お願いですからそのようなことはおっしゃらないでください」

 わたしがそう言うと、旦那様は目を見開いてわたしを見つめた。泣き笑いのような表情をしながら、わたしの手を痛いほどに握った。

「……! リブラ……ありがとう」

 そのとき、部屋の扉がばたんと開いた。わたしたちがそちらを振り向くと、小さな影が扉の前に立っていた。ジナお嬢様だ。

 お嬢様はにこっと笑うと、部屋を横切ってわたしたちの前に走り寄ってきた。片手ずつ旦那様とわたしの手を握ると、お嬢様はわたしたちを引っ張った。

「ぱぱもリブラも、こっちにくるの! おちゃのよういができましたよ!」

 旦那様とわたしは顔を見合わせて微笑んだ。少し前までのお嬢様とは大違いだ。わたしたちはそうして部屋を出て行った。


 一ヶ月後、わたしのもとにある便りが届いた。

 それはおばあ様が亡くなった、というものだった。隣に住む者の話によれば、おばあ様はそれは安らかに息を引き取ったらしい。

 おばあ様のことだから、自分の死期を悟っていたのではないかとわたしは思っている。あのとき、おばあ様がこの屋敷のお抱え占い師になるようわたしに言ったのも、旦那様がおばあ様も屋敷に来ないかとの誘いを断ったのも、全ては一人で静かに最期を迎えるためだったのではないのだろうか。

 もし旦那様に連れられて館を出なかったら、おばあ様の死後、わたしは永遠にあの占いの館を出ることなく暮らすことになっただろう。

 ……というのも、これからの人生で、わたしは誰か男性を好きになることもないし、まして結婚などするつもりは全くないからだ。異性を愛するのは「恐怖」でしかなかった──自分の両親のことを考えると、どうしても。

 だから旦那様のもとに来なければ、わたしは誰にも心を許すことなく、あの館に閉じこもっていたに違いない。おばあ様が守ってきた館と占いに対する考え方を、今度は自分が守るため、自分で自分を縛り付ける人生になったのだろう。

 それにおばあ様は言っていた──このお屋敷でお勤めすることでわたしは幸せになることができる、と。

 ジナお嬢様が元気を取り戻し、旦那様がそれをとても喜んでくれて、今のわたしは十分幸せだった。おばあ様はこのことを言っていたのだろうか?

 おばあ様の亡き今、それはもう分からないが、別にそれで良かった。旦那様とジナお嬢様、そして屋敷の仲間たちと一緒に暮らせるのだから。ここがわたしの新しい居場所だ。

「リブラ、はやくつづきをよんでよー」

 我に返ると、ジナお嬢様が怒ったような顔でわたしを見ている。絵本を読んでいる最中だったことを思い出した。

「はいはい、お嬢様は本当に赤い糸のお話が好きですね」

「うん! だあいすき!」

 ジナお嬢様はわたしの言葉に満面の笑みで頷いた。

 元気を取り戻してからのお嬢様は、今まで話せなかった分を取り戻すかのような勢いで、旦那様や使用人たちに話しかけた。

 世の中の事に興味が出てくる年頃であるのも加わって、メイドたちは度重なるお嬢様の質問や他愛のない会話に閉口し始めているほどだ。娘を溺愛している旦那様でさえ、話が長くなると感じると、所用が出来たと言ってその場を逃げ去るくらいなのだ。

 しかし、皆そんな態度を取っているけれど本心では皆安心している、嬉しいのだ、とあるメイドが話してくれた。今のお嬢様は、わたしがこの屋敷に来る前の、まだ元気だった頃と全く同じ様子なのだと言う。

 その話を聞いて、わたしはお嬢様との他愛のない会話を大事にしていこうと思った。すっかり引きこもってしまったお嬢様の姿などもう二度と見たくはないし、元気のないお嬢様を相手にするより、元気すぎるお嬢様を相手にする方がよほど気持ちがいいからだ。

 お嬢様は例外なくわたしにも様々な質問を投げかけた。特に、占い師であるわたしは職業柄、珍しいことを知っているとお嬢様は思ったらしい。太陽と月はなぜ順番にやってくるのとか、屋敷のテラスから見える地平線の向こうには何があるのとか、大人でさえも答えにくいことをそれはよく訊いてきた。

 わたしが辛抱強く答えると、お嬢様は一応納得したような顔をして次の質問に移る。毎日がこの繰り返しだった。

 そんなことをやっているうちに、占い師としての仕事がないときはジナお嬢様のお守り役専任となってしまった。これ幸いとばかりに、旦那様や使用人たちはお嬢様をわたしに預け、それぞれ仕事をしに行く。もともとお嬢様の世話係だったメイドたちでさえ、他人事のように「お嬢様とリブラはまるで本当の姉妹のようね」と言う。

 しかし、本当に恐ろしいのはここからで、周囲からだけではなく、お嬢様本人からも「お気に入り」として選ばれてしまったらしい。お嬢様はわたしを見つけると駆け寄ってきて、得意の質問攻めを始める。

 ただ、当のわたしは、お嬢様の相手をするのを煩わしいと思うどころか、むしろ楽しくなってきた。お嬢様の質問や話はとても純粋で、こちらが考えもしなかったようなことを口にするので勉強になるのだ。今日もお喋りをひとしきり楽しんだあと、いつもの絵本を読んで聞かせている。お嬢様は赤い糸の話が本当に好きだ。

 わたしが中断していた読み聞かせを再開しようと口を開きかけたその時、ジナお嬢様は突然こんなことを言い出した。

「いっぱいおはなししてくれるリブラも、だあいすき!」

 お嬢様のえくぼを見ながら、わたしはその無邪気さに驚くとともに感服した。


(──ああ、わたしの居場所はやはりここなのだ。お嬢様の成長を見守っていこう……)


 わたしはそう心に刻みつけてから、絵本を読み始めた。


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