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赤の記憶と運命の恋人たち  作者: 方丈 治
それぞれの物語
3/20

わたしの居場所(1)

 わたしは物心もついていないくらいの幼い頃から、占いをしている。

 とは言っても、このまえ十歳になったところで、占い師としてはまだまだ駆け出しだ。


 わたしは職業柄、いろいろな人に意見を求められる。

 ある人は自分の事業は上手く軌道に乗るのか、ある人は家族みんなが今年も健康に過ごすことができるのか──彼らの問いは多岐にわたる。わたしはそれらの質問に対して占い、その結果を踏まえた意見を彼らに返す。

 彼らはわたしの口にしたことを参考に、行動するのだ。人の一生の間には何が起こるかわからない。不確かな人生だからこそ人は何かにすがり、自分の行く道が本当に正しいのかを誰かに聞いてもらいたいのだろう。

 彼らから受ける占いの依頼の中でも多いのが、恋愛に関することだ。

 若い女性はもちろん、まだ母親の後ろを追いかけている小さな女の子から、ひ孫までいるおばあさんまで、女性というのは──その年齢を問わず──色恋沙汰の話題が好きだ。

 世の女性たちは、どうすれば気になる男性の心を自分に傾かせることができるのか、自分とあの男性との相性はどうなのか、とわたしに占いを請う。わたしがその結果を言うたびに、彼女たちは黄色い声を出しては色恋話に花が咲く。

 わたしはそんな彼女たちの後ろ姿を微笑ましく見てきた。なぜなら、中流階級以上の女性にとっての結婚とは、恋愛の延長線上にあるものとは限らないからだ。

 彼女たちの将来の相手は「家」と「家」が決め、彼女たちは大抵の場合、それに従わなければならない。自由に恋をすることは許されず、もちろん自分の結婚相手を選ぶこともできない。

そんな「社会の常識」に自分の人生を縛られている彼女たちに、色恋話くらい自由にさせてあげてもよいのではないか──こんなことをまわりの大人たちに言えば、「生意気な娘だ」と言われるかもしれないけれど、わたしは本気でそう思っている。



 *****



 そんなわたしが下町のとある占いの館で働いていた頃、お供の者たちを連れた男性が店にやって来た。その人は上品な装いをしていて、いかにも上流階級の紳士といった感じだった。

 彼は占い部屋の水晶玉の前に座っていたわたしの前に歩み寄ると、きれいに整えられた口ひげを動かしてこう言った。

「リブラという名の占い師は貴女ですか?」

 わたしが「そうです」と答えると、彼は顔に笑みを浮かべた。それはとても優しい笑顔で、会って間もなかったが、その笑顔が彼の人柄そのままだと分かった。

 彼は満足そうに頷くと、再び口を開いた。

「確かに噂通り、貴女は神秘的な雰囲気をお持ちだ。その占いが腕利きと評判なのも、貴女にひと目見て納得しました。まだお小さいのに、大したものだ」

 彼はそう言うと、この占いの館の主は誰かと訊ねた。

「わたしの祖母です」

 そう答えると、貴女のお祖母さまに大事なお話があるのでぜひお会いしたい、と彼に懇願された。

 わたしはすぐにおばあ様を呼びに二階に上がった。

 おばあ様はとても強い力を持っていて、百年先の未来さえ見通すことができると囁かれている占い師だ。わたしなんて、一生かかってもおばあ様のような優れた占い師にはなれないだろう。

 ただ、今のおばあ様は目も足腰も弱りきり、占い師を引退している。とても大事な占いの依頼があったときや、孫のわたしでは対応しきれないような人がこの館にやって来たときにだけ、二階の部屋から人前に姿を現す。

 わたしが部屋に入ると、おばあ様は着衣を整え、ドアの前に立っていた。自分の出番が来ると分かっていたようで、すぐに会いに行けるよう準備を済ませていたのだ。

 おばあ様が階段を下りるのを手伝い、わたしたちは客人を待たせていた占い部屋に入った。おばあ様を見てすぐ、かの紳士は立ち上がり、恭しく一礼をした。

「では、わたしはこれで」

 おばあ様が椅子に座るのを見届けてから、わたしはそう告げて部屋を出ていこうとした。後はおばあ様にすべて任せておけばいい、そう思っていたのだ。

「お待ち、リブラ」

 しかし、おばあ様はわたしの名を呼んだ。少し驚いたわたしは立ち止まって、おばあ様を見た。

「お前もここにいるんだよ。お前に関係のある話なのだから」

 おばあ様の言葉に、紳士は驚いたようだった。息を呑んで、感服したような目でおばあ様を見る。

「その通りです、ご婦人」

 わたしの方を振り返って、続けた。

「確かに私は、貴女のことで、貴女のおばあ様に許しを請わなければいけないのです」

 なんだろうと訝しく思いながら、わたしはおばあ様の言う通りに部屋に留まった。おばあ様の後ろに立つと、紳士が話し始めた。

 話が進むうちに、彼がおばあ様に何の許しを請いたいのか、だんだんと分かってきた。彼の話を要約すると、彼の家の厄除けと繁栄のために、このわたしにお抱えの占い師となってほしいというのだ。

 半年前に彼の奥さんが若くして亡くなってしまったせいで、彼は病や事故に対して敏感になってしまったらしい。わたしの占いで、彼の家を厄災から逃れられるように、守ってほしいと言うのだ。

 さらに、彼には幼い一人娘がいるらしいのだが、母親が亡くなってからはすっかり元気をなくしてしまったらしい。娘が元気を取り戻せるように、前を向いて生きていけるように、わたしの占いで導いてやってほしいとも彼は言った。

 そんな彼の言い分に対して、わたしは質問した。

「それならば、わたしがあなたの家の占い師にならずとも、あなたが道に迷ったときに、わたしの占いを求めにこの館を訪ねていただければ良いのではないですか?」

 彼の切実な頼みにそれは冷たいのではないか、少しくらい彼の頼みを聞いてやってもいいのではないかと、わたしの言葉を聞いた人は思うかもしれない。

 しかし、昔から何かにつけておばあ様が言っていた──占い師は人の所有物になってはいけない、と。

 その理由をいくら訊ねても、おばあ様は教えてくれなかった。だから、わたしは自分なりにその理由を考えたものだ。占いは万人のために存在するべきものであるから、と。

 特定の人物の占いをすることは、「占いで全てのものが手に入る」と勘違いをした愚か者を生み、その欲望や権力を増大させることもある。かつて王族専門の占い師の発言が戦争を引き起こし、一国分の民の血が流れた歴史がいい教訓だ。

 何より、特定の人物に対する占いは不公平だ。自分の職業をそう捉えているからこそ、わたしは目の前の紳士にそのような“提案”をしたのだ。

 今までも今回のような訪問は何度かあった。おばあ様やわたしを手元に置きたがっている人たちが甘い餌をぶら下げては、わたしたちを丸め込もうと話術巧みにいろいろと話していた。しかし、そんな彼らをおばあ様は二の句を言わせずに館から追い出していたものだった。

 今回も当然、おばあ様は客人にそのようにしてお帰りいただくものだと思っていた。だから、紳士が何かを言おうと口を開きかけた時に、おばあ様がこんなことを言ったのにはとても驚いた。

「いいだろう。この方とお行き、リブラ」

 紳士はぱっと笑顔になっておばあ様を見たが、わたしは目を丸くしておばあ様を見つめた。

 どうしておばあ様はわたしが彼のお抱えの占い師となることを許したのか? もしかしてわたしは知らない間におばあ様を怒らせるようなことを仕出かしてしまったのだろうか? それでわたしを手元に置いておきたくなくなったのでないだろうか。

 そんな事を考えていると、わたしの考えを読んだようにおばあ様が優しく諭すように言った。

「大丈夫さ。お前はこの殿方について行くのが一番幸せになれるんだよ」

「幸せになれる……? おばあ様、それはどういうことですか」

 おばあ様の言ったことが理解できなくて、わたしは思わず聞き返した。

 これまでおばあ様の言うことはとても理にかなっていて、わたしはそれをすんなりと受け入れることができていた。しかし、今のおばあ様の言葉は意味がわからなくて、聞き返すしかなかったのだ。

 おばあ様は静かに答えた。

「なに、お前の未来をちょっとばかし覗いてみただけさ。わしの見立てだと、この殿方の家にお務めすることでお前の道が開く。──少し、時間はかかるだろうがね」

 おばあ様が身内であるわたしを占ったことを知って、わたしは少なからずショックを受けた。おばあ様は普段から、自分や家族、親しい者のことを占うのはなるべく避けるようにと言っていたからだ。

 わたしの母親も占い師だったが、あるとき彼女の夫、つまりわたしの父親のことを占ったことが原因で、両親ともに悲惨な末路をたどってしまった。

 そんなことがあったからこそ、おばあ様の忠告は理由を聞かずとも納得できた。そして、わたしはその忠告を今日までずっと守ってきたのだ。


 おばあ様が自ら禁を破った……。


 これに対して、わたしはどうにも反応できなくてまごついていたら、おばあ様が──普段はほとんど笑わないおばあ様が、だ──微かに微笑んだ。

「リブラ、お前はこの殿方の『所有物』にはならないよ。お前が恐れていることは何ひとつ起こらない。それはこの殿方を見て、お前も感じていることだろう」

 わたしは素直に頷いた。この紳士が優しくて気のいい人物だということは一目で分かっていた。わたしの占いを悪用してどうこうしようという人物ではない。彼はただ安穏な生活を求めているだけなのだ。

 ──だからといって、おばあ様を一人置いて、彼について行こうとは到底思えなかったが。

 彼は、おばあ様とわたしが二人暮らしであることを悟ったらしい。おばあ様に、よかったら孫のわたしと一緒に我が家に務めてほしい、と優しくも提案してくれた。

 しかし、おばあ様はかっかっかっと笑いながら、それを断った。

「この老いぼれを雇うというのかい? 笑わせるんじゃあないよ。わしはようやく一人きりの生活を満喫できるとゆうに、今更どこぞのお家に行くもんかい」

 これで話は終わった。

 わたしは紳士の家のお抱え占い師となったのだ。


 紳士、もとい今日からわたしの雇い主となった旦那様は、わたしさえ良ければ今から一緒に屋敷へ帰ろうと言った。少しでも早く、わたしに務めをしてほしいらしい。

 それについてはわたしもおばあ様も構わなかったので、それではお供しましょうと返事をした。

 それほど持っていく物もなかったので、支度はすぐに終わった。わずかな着替えと、そしていつも肌身離さず持ち歩いている、占いには必需品の水晶玉だ。

「気を付けて行っといで」

 おばあ様はそれだけ言うと、わたしとの別れを惜しむというわけでもなく、二階の自分の部屋へとさっさと上がっていった。

 旦那様はそんな成り行きを呆気にとられたように見ていたが、わたしはあっさりと挨拶を済ませて、長い間過ごしてきた館を後にした。

 今思うと、別れの場面はそれで良かったと思う。もしおばあ様と話せるのがそれで最後だとわかっていたら、旦那様のところでお務めするわたしの気持ちは揺らいでいたことだろう。


 旦那様のお屋敷はとても大きかった。この辺り一帯の名士とあって、治める領地も広いようだ。

 わたしは旦那様の後に続いて馬車から降りた。地面に降り立ったそこは屋敷の入口の前で、扉の左右には使用人たちがずらりと並んでいた。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 先頭に立っていた一人の使用人がそう言うと、全ての使用人たちが揃って頭を下げた。こんな光景を見たのは、下流階級の人間が住む薄暗い下町で育ったわたしには初めてのことだった。

 わたしがその場で立ち尽くしていると、旦那様が彼らたちにわたしのことを紹介してくれた。

「彼女は今日から我が家の一員となるリブラだ。小さいながらも、占い師として私たちを導いてくれる。よくしてやってくれ、皆」

 旦那様の言葉が終わると、わたしはただ深く頭を下げた。

 わたしは柄にもなく緊張していた。普段いろいろな種類の人たちを相手に占いをしてきたが、その相手はほとんどの場合一人だけ──多くても五、六人だった。

 それが今、目の前にはざっと見積もっただけでも二十人はいる。職業柄、占い師は公にさらされる立場ではなかったし、今までこんな大勢の前に立った経験などなかったのだ。

 頭を下げたまま固まっていた子供に、使用人たちは口々に「よろしく、リブラ」「わからないことは何でも訊いてね」「頼りにしているよ」などと、それぞれ声をかけてくれた。

 雇用主である旦那様の前で自由に口を開くことは、使用人たちの規則としてマナー違反であることくらい、わたしも知っていた。しかし、この屋敷にはそのような堅苦しいルールはないらしい。

 あとで分かったことだが、この屋敷の使用人たちは普段から自分の思ったことや感じたことなどを、率直に旦那様に伝えていた──もちろん、節度と分別を持って、だが。

 それは、普段から使用人たちとコミュニケーションをとることが大切だと考えていた旦那様の意向であったからだ。使用人を意味のない規則と上下関係で縛り付けるのではなく、主人と使用人が一丸になって屋敷を守っていこうとは、優しい旦那様らしい考え方だ。

 しかし、そんなことを知らなかったわたしは、目を丸くして頭を上げた。とにかく、使用人たちが口々に優しい言葉をかけてくれて嬉しかった。彼らとはすぐに打ち解けられるだろうと思ったし、実際そうなった。

 そして彼らと一緒に、旦那様へのご奉仕に励もうと思った最初の瞬間だった。


 旦那様に連れられて、屋敷の中に入った。しばらく大きな廊下を歩いていき、ひとつの扉の前で立ち止まった。

 後ろに立ったわたしに向かって、旦那様は大切な宝物を見せようとしている子供のような目で微笑む。

「私の娘を紹介しよう」

 扉を開けて部屋の中に入ると、そこは大きな広間だった。窓側には大きなテラスがあり、部屋の中は暖かい自然光で包まれている。

 わたしたちは開放的な雰囲気の広間を横切り、テラスの方へと歩み寄ると、テラスには数人のメイドと小さな女の子が一人いた。

 主人がやって来たのに気付いたメイドたちはお辞儀をすると、わたしたちが通れるように脇へ退いていった。

「ジナ、帰ったよ」

 旦那様はテラスの真ん中に座っている、小さな背中に優しく声をかけた。

 その声を聞いて初めて人がいることに気が付いたらしい、その小さな背中はゆっくりとこちらを振り返った。

 黒い髪と真ん丸な目の、可愛らしい女の子だ。歳はわたしの半分ほど、五歳くらいだろうか。

「ぱぱ」

 少女は儚げな表情で呟くと、よろめくようにして旦那様のもとに駆け寄った。そして旦那様の足にしがみつく。

 その不安そうな様子はまるで、親鳥にひとり置いてきぼりにされたヒナのようだった。それがわたしのジナお嬢様に対する第一印象だった。

 ジナお嬢様は、下町で見かけてきた子供たちとは雰囲気が明らかに違った。

 下町では、お嬢様と同じ年頃の子供は、親でさえも手に負えないような腕白ぶりだった。そこまでとはいかなくても、どの子も子供らしい元気さを持っていた。

 しかし、お嬢様はその子たちのような元気がない。笑ったり、はしゃいだりはしない──そう、子供らしさが全くないのだ。

「母親を失くした子供」というものを初めて見た瞬間だった。もちろん自分を除いて初めて、という意味だが。

 旦那様は震えるジナお嬢様を抱きかかえてから、わたしの方に振り向いた。

「リブラ、この子が私の娘のジナだ」

 次に、お嬢様の方を向いてわたしのことを説明してくれた。

「ジナ、彼女はリブラ。今日からこの家で働いてくれる占い師だよ」

 父親の言葉に何を言うわけでもなく、ジナお嬢様は大きな瞳でただわたしを見つめた。

 その瞳は、好意や困惑、敵意など、感情というものは一切浮かんでいなかった。空虚の目だ。

 わたしは深々と頭を下げた。この小さなお人が、旦那様の次に仕えるご主人様なのだ。

「はじめまして、ジナお嬢様。占い師のリブラでございます」

「…………」

 相変わらず、お嬢様は無言でわたしを見続けた。

 旦那様はそんなお嬢様の反応を見越していたらしく、わたしに向こうの部屋に行こうと声をかけてくれた。旦那様はジナお嬢様をそっと下ろし、「後でまた来るからね」と告げてから、テラスを後にした。わたしもその後に続いた。

「母親が生きている頃はとても明るい子だった。しかし、今やあの調子だ」

 旦那様は廊下を歩きながら、口を開いた。

「あれじゃ生きているのか死んでいるのか分からない。リブラ、あの子を再び……この世界に戻してやってくれ」

 前の歩く旦那様の顔は見えなかったけれど、どんなに悲痛な思いをして絞り出した言葉であるかはよく分かった。

 わたしは何のためにこの屋敷に呼ばれたのか? 旦那様が占いの館にやって来たとき、何と言っていたか? わたしは頭の中で自問した。

 そして、ジナお嬢様を必ず救ってみせる──と心の中で誓った。

 わたしの力を信じて雇ってくれた旦那様のために、悲しみの淵にいるジナお嬢様のために、そして自分のために。


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