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赤の記憶と運命の恋人たち  作者: 方丈 治
本編

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16/20

赤い糸の先には


 出かけしなに、リブラは突然言い放った。

「お嬢様、そちらの方向に行ってはなりません」

 ジナが宿を出て最初の一歩を踏み出そうとした時である。このタイミングで突然声を掛けられたため、ジナは足を引っ込めることもできず、思わずつまずきそうになった。

「何よ、突然。次はデスティネに向かうって言ったでしょ。大きい街だし、何より赤い糸が向かう方向だし」

 ジナの後ろに立っていたリブラは、ジナの言葉など耳に入っていない様子だ。両手で持つ水晶玉を、難しい顔をして見つめている。

「まさにデスティネの街に黒い霧が立ち込めているのが見えます。そちらの方向には向かわないのが賢明でしょう」

 リブラの真剣な顔に、ジナはうーんと唸った。

 デスティネの街はカジノや大型商店街があることで有名だ。ジナはこの旅でデスティネに寄って、こっそり遊びを満喫しようと考えていたのだ。もちろんリブラを騙して一人で遊ぶことは不可能なので、何とか言い訳をしてリブラも共犯仲間にしてしまえば怖くないと企んでいた。

 しかし、リブラの占いが正しいということは身に染みて分かっている。それにリブラのこの真剣な表情──リブラはこんなところで意地の悪い冗談を言う人間ではない。

「……わかったわよ。デスティネには近寄らなければいいんでしょ? どーせ、リブラの言うコトは正しいものね~~」

 ジナは膨れっ面で答えた。赤い糸の方向に向かうには通り道になる上に、旅の楽しみがひとつ減ってしまったのだ。しかし、凶事にわざわざ足を踏み入れるほど馬鹿ではない。素直にこの占い師の言うことに従うのが得策だ。

「さーてと、次なる目的地は…………こっちよ!」

 ジナは大手を振って歩き出した。

 リブラもその後を付いていく。その顔はいつものように冷静沈着だが、ジナが不吉な何かに巻き込まれずに済みそうになったことに一安心をしたのだろう。口元が少し緩んでいる。


「おいおい、どこ行くんだよ!」

 テルはある宿屋の一部屋を借り、粗末なベッドに横たわりながら真横の窓から双眼鏡で外を観察していた。双眼鏡の中の女達の行動に焦りを覚えながら、テルは思わず呟いた。

「どうしたんだ?」

 外の雑貨屋で食料を調達してきたタウラスが、紙袋からパンと果物をテルの前に置きながら訊いた。

 テル達は依頼主セバスチャンから受けた依頼のため、この一週間、ある二人の女を追っていた。その二人の女というのは──そう、ジナとリブラのことだったのである。


 *****


 街にたどり着いたテルとタウラスは、セバスチャンから聞いた情報通り、依頼主が探している女を無事見つけることができた。

 テル達は表通りを歩く女に気付かれないように、かなり距離をあけて尾行していた。物陰からこっそりとジナの顔を観察する。

「長い黒髪に、隣には女占い師が一人……。よし、肖像画の女だな」

 テルは顔を引っ込めて再び物陰に隠れる。これでジナの顔がセバスチャンに見せてもらった肖像画の女と同一人物であることを確認できた。あとは二人に近づき、上手いこと騙してデスティネまで連れて行けばいい。

 その時、タウラスが横からジナを見ようと身を乗り出した。

「おい、どの娘だ?」

「バカ、こっそりやらねえと見つかるぞ! あの付き人の占い師、結構勘が鋭いようだ。俺の視線に気付きそうになった」

 今まで多種多様の依頼をこなしてきたが、尾行はテルの得意分野のうちのひとつだった。テルの優秀な尾行に気付く人物には、ここ数年お目にかかったことがない。そのテルの尾行に気付きそうになるとは、あの令嬢は良い召使を持っている。

「…………! ほお……、あいつ……か」

 テルに言われ、気を遣いながら覗き込んだタウラスは、一瞬驚いたように息を呑んだ後、ニヤリと笑う。

 テルはふと右手を見た。小指の赤い糸が現れてから一週間が経つ。最初は視界に入るだけで気になったが、この数日はもう気にならないほどまでに慣れていた。

「……ん?」

 初めて小指に赤い糸が現れた日のことを思い浮かべていたテルは、何か違和感を覚えた。糸の太さが違うのだ。初めて現れた頃は引っ張ればすぐにでも切れてしまいそうな細さだったのに、今やちょっとやそっと引っ張った位では切れそうにない太さだ。もちろん、赤い糸が実際に触ることができればの話だが。

「──ル、テル!」

「なっ、なんだ!?」

 じっと右手を見つめていたせいか、テルはしばらくタウラスに呼ばれているのに気付かなかったようだ。さっとタウラスを見る。

 タウラスは何か焦っているようだ。

「ターゲットが、こっちに向かってきてるぞ!」

 テルは即座に身構えると、タウラスの横から女達を覗いた。人通りの多い街道を女二人──ジナとリブラは、テル達のいる裏通りへの角へ一直線に進んできているのだ。

 そして、テルは気付いた。

 ジナの左手の小指に、自分と似たような赤い糸が結ばれているのを。

「ま、まさか……」

 テルは恐る恐る赤い糸を目でたどった。ジナの白くて細い小指から街道へ伸び、街道を歩く人々の体の真ん中を通り抜け────終着点は、なんと、自分の右手の小指だ!

 テルはこの現実を前にしてめまいを覚えた。この依頼を受けた時、タウラスが「運命」だとか言ってからかってきたが、まさか本当にその言葉の意味を噛み締めることになるとは!

 いろいろ考えることはあるが、今はこうして突っ立っている場合ではない。瞬時にそう悟ったテルは、すぐさま行動を起こした。

「行くぞ、タウラス!」

「おっ、おい!?」

 音もなく裏通りの奥へと走り去るテルを、タウラスはやや動揺しながらも追いかけるのであった。


「あれ? ここに誰かいると思ったのに……」

 裏通りへ伸びる赤い糸を追って街道を横切ってきたジナは、辺りに誰もいないことを訝しんだ。確かにここに誰かいたはずだ。赤い糸が太くなっていたので、相手はすぐ近くにいるとジナは思ったのだ。

「お嬢様が追うから逃げ出すしかなかったんですよ」

 ジナの後ろからリブラが小言を言う。

「……それ、どういう意味よ?」

「そういう意味ですが? ……とまあ、冗談はさておき」

 リブラはスッと目を細めて裏通りの奥を見た。

「運命の相手とやらに近づいているのは間違いないようですね」

 ジナは頷き、左手を目の前に掲げた。

「そうね。あんなに細かった糸がこんなに太くなっているんだもの……。きっと王子様に近づいてる証拠だわ。……ってあれ? なんでリブラにそんなことわかるの? 赤い糸は本人同士にしか見えないはずなのに」

 ジナの疑問にリブラは不敵な笑みを浮かべるだけで、何も答えない。

「まあ、リブラなら何でも知っていそうよね。占いもよく当たるし。というか、私の運命の相手がどこにいるか、占ってよ」

「それはダメです。探す楽しみがなくなりますから」

「……ほんっと、あなたって変なところで頑固よね」


「なっ、なに~~~~~~!?」

 タウラスは思わず大声を叫んだ。テルが言ったことに驚いたからだ。

 二人は今、人影のない街外れまで出てきていた。既にあの女達を撒いていたのに、テルがここに来るまで立ち止まろうとしなかったためだ。

 早くあの女達を探さないと見失うぞとタウラスが言っても、テルはなかなか承諾しなかった。それを変に思ったタウラスが問い詰めたところ、ようやくテルはその理由を白状したのだ。

「じゃ、じゃあ、あの依頼主の探してる女っていうのが、おまえの赤い糸の相手なのか!?」

 テルはタウラスの声の大きさを注意してから答えた。

「……認めたくはないが……どうやらそのようだな」

「…………………」

 タウラスは開いた口が塞がらないらしい。しばらく宙を見つめて呆然としている。そして、唾を飲んでからテルに訊いた。

「……しかし、どうするんだ?」

「どうするって、何が?」

「依頼だよ! そうだと分かっちゃあ、はいそーですかって依頼を受けることはできないだろう!?」

 声を荒げるタウラスの一方、テルはしれっと言葉を返した。

「もちろん依頼は続行するさ。当たり前だろ」

「な…………おまえはそれでいいのか!?」

「運命の相手だか何だか知らないけどさ、そんなの俺には関係ないんだよ。俺は仕事を大事にしたい」

「なあ、テル。あの男に渡したらあの娘がどんな目に遭うか、分かってるだろ?」

「じゃあ訊くぜ。この五年間、俺らが命を懸けてしてきたことをおまえは台無しにできるのか? 繋がりは『運命の相手』ってだけの、会ったこともない人間のために?」

 テルの問いに、タウラスは即座に首を縦に振ることはできなかった。

 なぜならテルの言っていることは正しくて、テルとタウラスは文字通り命を懸けて仕事をしてきたからだ。がむしゃらに進んできた歳月がタウラスの脳裏に浮かぶ。

 依頼主と実際に会ったのは短時間だったが、セバスチャンの卑劣さは十分に伝わってきた。もし今回依頼内容に反するようなことになれば、あの男がおとなしく黙っているはずがない。誹謗・中傷どころか、手下の荒くれ者を使って自分達を消そうとするだろう。

 今まで培ってきたものを簡単に放棄することができないからこそ、タウラスは答えることができなかった。

「……………」

「……その沈黙、おまえも俺と同意見だってことで受け取っとくからな」


 その後二人は街へ戻り、再びジナとリブラを探した。二人を見つけると、彼女達が宿泊している宿から十二分に離れた所にテル達も宿を取り、そこから監視を続けた。

 もちろん近すぎると監視に気付かれる危険も高くなるし、下手したら向こうから赤い糸をたどって来られる可能性があるからだ。

 テルとタウラスが二度目の作戦会議をして決めたことは、ひとまずはジナとその付き人の占い師に会わないということだ。

 当初は女二人を発見後すぐに接触を図り、否が応でもデスティネに連れ去る予定だった。しかし、今はジナがテルと赤い糸で結ばれていることが判明し、ジナ側からもテルの居場所を追えるという欠点が見つかった。しかも、ジナが糸で結ばれた運命の相手を探している可能性があった。

「この数日間あいつらを監視した結果、赤い糸の先にいる人間──つまり俺を探しているようだな」

 宿泊する際は必ず窓のある部屋を取り、宿の窓から双眼鏡でジナ達の行動を観察した結果、テルはそういう結論に至った。

「何か目的地があって旅をしている風でもなく、ただ赤い糸をたどって行動しているからな。だから、それを逆手に取ってこっちも動けばいいんだよ」

「逆手?」

 タウラスは不思議そうな顔でテルを見返した。テルはにやっと口元を曲げた。

「そうだ。俺らがあいつらの先に回って、デスティネまで誘導すればいいんだ。そうすりゃ、あいつらは赤い糸をたどって自分からデスティネに足を運んでくれるって訳だ」

 テルの名案を聞いて、タウラスはひゅうと口笛を吹いた。テルの言う通りだ。そうすれば、直接接触するよりも危険が少なくなるだろう。

 何より、テルはジナに会いたくなかった。全く知らない人間でも不思議な縁で結ばれていると知ってしまったからには、一度会うだけでもジナに情が移ってしまう可能性が皆無ではないからだ。そんなテルの気持ちが分かったからこそ、タウラスはその案に賛成した。

 そうと決まってからは先回りしてジナ達をおびき寄せ、少しずつではあるがデスティネの方向へと距離を縮めていた。手間のかかるやり方だが、ほぼ確実にジナ達をデスティネまで連れて行くことができるだろう。

 しかし、作戦実行開始から四日目にして異常事態が起こった。ジナと女占い師が宿を出てから進んだ先は、デスティネに向かう方向──つまり、テルに向かう方向ではなかったのだ。テルのいる宿とは真反対の方向に進んでいく。

(まずいな、このままだと見逃しちまう)

 急いでベッドから跳ね起きて身支度を始めたテルを見て、タウラスは果物をかじりながら声を掛けた。

「所用でどっか出かけているだけじゃないのか? それより、腹ごしらえしとけよ」

「あいつら、もう街から出てるんだよ! 見失わないうちに急いで追いかけるぞ、タウラス!」

 早くも荷支度が済んだテルはさっさと部屋から出ていった。それを見てタウラスも慌ててテルの後を追いかけた。


 *****


 テル達がジナに追いついたのは、先ほどまでいた街を随分と離れた街道でのことだった。人影がまばらにある街道ではあったが、街中と違って隠れるところはほとんど無いので、テルは十分に距離をあけて後を付けた。

「一体どこに行くんだろうな」

 タウラスが小声でテルに話しかけた。テルはジナ達の後ろ姿を見つめながら、うーんと唸る。

(まさか、糸を追うことを諦めたのか?)

 テルは右手の小指を見た。自分とジナはいまだ赤い糸で繋がっているのに、ジナはそれを見ようともしない。このままではデスティネからどんどん離れてしまう。テルは意を決してタウラスに言った。

「仕方ない……。作戦は変更だ」

  

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