脅迫された二人
「迷信事なんか信じないぜ、俺は」
テルはぶすっとした表情でタウラスの横に座っていた。テルの小指に赤い糸が出現したあの日から一週間、二人は例の怪しい依頼の件でデスティネにやって来たのだ。
ここはデスティネのとある名家の豪華な屋敷だ。依頼主の指示通り、この屋敷の一室で面会をし、詳しい依頼内容を教えてもらう予定だ。
「迷信を信じろとは言わないけどよ……。たまには自分の直感を信じることも大事だぜ、テル」
この依頼を受けてから右肩上がりに不機嫌になっていくテルを、タウラスはなだめながらここまで引きずってきたのだった。
「目的地の名前が『運命』っていう意味だけで依頼を受けるかふつー? 依頼主がアブないヤツだったら俺たちの生死に関わるんだぞ、下手したら」
テルの言っていることはごもっともだ。彼らが生業としているのは、決して表立って依頼できないような内容の仕事ばかりだからだ。それは宝発掘のため前人未到の洞窟探求から窃盗・恐喝まで、裏の仕事を依頼主から引き受ける。そのため依頼内容や依頼主の選定が重要になってくる。タウラスがいつも目を光らせて依頼板を見ているのはそのためだ。
しかし、それをテルに教えてくれたのはタウラスだ。タウラスが依頼を「選ぶ」ことの大切さを知っているからこそ、今回のような暴挙に及んだことがテルには理解できなかったのである。
タウラスはテルのそんな気持ちを知ってか知らずか、膨れっ面のテルに声を掛けた。
「まあまあ、依頼内容を聞いてからでも断るのは遅くないじゃないか」
「…………」
テルは仏頂面で考えた。今から詳しい内容を聞かないことには何とも言えないが、確かにこの依頼は報酬が良い。それに内容によっては、テルの仕事の腕が上がる良い機会かもしれないのだ。
「……聞くだけだぞ」
テルが渋々そう言うと、タウラスはニヤリと笑った。
「お待たせしました」
その時、ドアが開いて一人の男が入ってきた。身なりの良い格好で、のっぺりとした顔の男である。三十代くらいに見えるが、実際は自分と同じ年頃だとはテルも気づいていない。
「私はこのヨーズ家の嫡男セバスチャンです。貴方がたが今回私の依頼を引き受けてくださるテルさんとタウラスさんですね。裏通りのパブのマスターから伺っています」
セバスチャンは穏やかな表情で、二人の前の椅子に座った。テルはセバスチャンの言葉に突っかかった。
「まだ引き受けるとは言ってねえぜ。あんたに依頼内容を詳しく訊いてから決める」
「……テル!」
タウラスは刺々しい態度のテルを注意した。依頼主にそんな態度を取っても得をすることは何もないからだ。
しかし、既に遅かったらしい。依頼主のセバスチャンはニヤリと笑う。のっぺりとした顔が醜く歪み、不気味だ。
「それは困りますねぇ。依頼主が私だと知ってしまった貴方がたは、引き受けてくださらない限りこの屋敷からお出しすることとはできないんですよ」
その時、二人の後ろのドアから武装した屈強な男達が部屋に入ってきた。男達は太い腕を組んで、テル達から目を離さずに睨んでいる。
(タウラスめ……)
自分達が陥ってしまった状況に気付いたテルは、全てはこいつのせいだとタウラスを睨んだ。タウラスはというと、声に出していれば「いやー、すまんすまん」といった表情で、テルに向かって片手を軽く上げた。
(なーにが直感だっっ。後で締め上げてやるからなっっ)
鼻息を荒くしながら、テルは睨む相手をタウラスからセバスチャンへと移した。ぶすっとした調子でセバスチャンに尋ねる。
「……詳しい依頼内容は?」
「おお、やってくれますね。頼りにしていますよ」
セバスチャンは醜くゆがんだ顔から穏やかな顔へと戻した。
「そう、私の依頼というのはですね。この街の湖畔に立つ私の別荘に、この女性をお連れして欲しいのです」
セバスチャンは胸ポケットに入れてあった一枚の肖像画をテルに見せた。テルはその肖像画をじっくりと見た。腰まで伸びた黒髪と大きな瞳が印象的な、一人の若い女が描かれている。気品ある雰囲気を感じるあたり、どこかの令嬢だろうかとテルは睨んだ。
「美しく清らかなこの女性の名前はジナ。彼女は私の婚約者です……いえ、婚約者でした」
「はは、フラれたんだろ……ってえ~~!」
セバスチャンを無邪気にからかったテルの頭を、タウラスはおもむろに殴った。こめかみに青筋が立っているセバスチャンに向けて、タウラスはテルの頭を上から思い切り押し付ける。
「失礼。礼儀の知らないアホでして」
「ご、ごほっ。冗談はよしてくださいよ、テルさん。あ、あんな女、わわ私がフッてやったんですよ」
動揺しまくるセバスチャンを横目に、テルはタウラスに小声で異議を唱えた。
(何しやがるんだよっ! どっからどう見ても、あいつの方がフラれたのは確実だろ!?)
(それはそうだが声に出すな。態度に出すな。心の中で叫んでろ。おまえは黙って依頼主の話も聞けないのか?)
タウラスに諭されたテルは、ぐっとこらえてセバスチャンに向き直った。
セバスチャンは呼吸を調えてから、再び話し始めた。しかし、先ほどのショックがまだ残っているらしい。顔はいまだ青白い。
「そ、それでですね、私をフッたあの女に……間違えました、私の方から『丁重に婚約をお断りさせていただいた』その女性に、一言言いたいことがあるのです。それほど私と結婚したいのなら考え直してあげてもいい……とね。そのためにも誰の邪魔も入らない、ゆっくり話せる場所にご招待したいのです。貴方がたには、彼女のエスコートをお願いしたいのですが」
テルは我慢の限界だった。セバスチャンへのツッコミが喉元まで出かかっていたが、何とか堪える。その代わりに、肝心の依頼内容について依頼主に質問した。
「ふーん、とりあえず連れてくればいいんだな。……で、どこに住んでるんだ? その女」
「そう、問題はそこなんです。実は彼女、つい一週間前に実家の屋敷を出て旅に出たようなのです。旅の目的はよく分からないのですが……街から街へあちこち巡っています。今はちょうど、ここから山をひとつ超えたところの街に来ているようなので、早速貴方がたに向かっていただきたいのです」
「分かりました。しかし、この方は名のある家柄のお方をとお見受けします。お付きの者の数は如何ほどで?」
タウラスはセバスチャンに訊いた。
「貴方の仰るように、この方は名家のご令嬢です。普段なら何人もの付き人が付いていてもおかしくはないのですが、何故か今回の旅にはお抱えの女占い師一人だけです。この占い師にも用があるので、共にお連れください」
「これで取り引きは成立だな。じゃな」
一刻も早くセバスチャンの前から消えたかったテルは、最低限のことだけ聞くと部屋を出ようと席を立った。
しかし、後ろでずっとテル達を見張っていた男達がドアの前に立ちふさがっている。テルが目の前に来ても、退こうとしない。テルが実力行使に出ようかと考えていた時、後ろからセバスチャンが声を掛けた。
「最後に……彼女達がよく分からないことを騒ぐかもしれませんが、それは照れ隠しなのでしょう。聞き入れなくていいですよ、別荘で私に会えばすぐに落ち着くでしょうから。まあ、黙らしていただいても結構ですがね」
言葉尻にセバスチャンが醜く笑みを浮かべるのを見届けてから、テルとタウラスは部屋を後にしたのだった。
セバスチャンの依頼を受けたことでようやく屋敷から出ることのできた二人は今、街の外れまで来ていた。後を追う者がいないか確認しながらここまで来たが、どうやら誰も追ってこないようだ。
「クソッ、あのヒョロヒョロ男め!」
テルは地面を蹴った。土埃が勢いよく舞い上がる。
「女にフラれた恨みなんぞ、てめえで晴らしやがれ!! こんなこと人に依頼する時点で女にフラれて当たり前だってーの!」
「落ち着けよ、テル」
テルと対極にいるタウラスは冷静そのものだ。
「って、タウラス! こんな目に遭ったのも、元はと言えば全ておまえのせいだろが! 何、冷静に俺をなだめてるんだよ!」
タウラスの首を絞めてやろうかと一瞬考えたテルだったが、自分の息が切れていることに気付いて立ち止まった。
「…………もういいや、何か、疲れた」
テルはゼーゼーと息をついた。激昂しやすいテルがどのようにクールダウンするかは、タウラスは長い付き合いを通して知っていた。しばらく怒りを放出させておけば勝手に落ち着くのだ。
「確かに今回は俺が悪かったな」
「いいよ、もう。とっとと依頼済ましてあの色白男とおさらばしようぜ!」
「お、一応依頼を受けるのか。テルのことだからほっぽり出すと思ってたぜ」
「そりゃ、あんな胸くそ悪い依頼なんぞ受けたくねえよ。でもここで放ったら、俺達の名に傷が付くからな」
テルは今までこなしてきた依頼の数々を思い起こした。テルとタウラスが二人でこの五年間積み上げてきたものが無駄になるのかもしれないのだ。軽々と依頼を無下にする訳にはいかない。
その時、タウラスが考え込んだ顔で呟いた。
「しかしなぁ……あの男、なんか気にならないか?」
「俺にはツッコミどころ満載の野郎だったけどな」
「あれだけ裏方の仕事をやってくれそうな手下共がいるにも関わらず、誰ともしれない俺達にこんな仕事を預けるとはな。……それに女達の居所を知っていた。尾行させているのか」
タウラスは先ほど自分達を囲んでいた屈強な男達を思い出した。あの依頼主自身が雇っている荒くれ達なら、女二人くらい軽々と連れ去ることが可能だろう。居場所を把握しているのならなおさらだ。
「自分達の手を汚さずに見物していたいんじゃねえか? ……お偉いさんの考えることはやっぱり違うね」
テルは侮蔑の笑みを浮かべて言い放った。
「さってと、フラれ男のお望み通り、早速お嬢様方をお向いにあがりましょうか、タウラスさん?」
テルはガントレットのベルトを締め直しながらタウラスに声を掛けた。
その時、右手の小指に赤くちらつくものに気付く。それをちらりと見てから、そういやまだあったんだな、とテルは溜息をついた。




