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赤の記憶と運命の恋人たち  作者: 方丈 治
本編

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14/20

偏見と直感、そして“運命”


「おい、何だよこれ?」

 テルは自分の右手を見た。赤い糸が括り付けられている。

「タウラスの仕業かぁ? ……にしても、あいつがこんなしょうもないイタズラする訳ねえしな……ってあれ。取れねぇし」

 テルは小指に結ばれている糸をもう片方の手で取り去ろうとした。しかし、取り去るどころか触れることさえできないのだ。

「なんだぁ、これ。……ま、いっか」

 深く考えることを放棄したテルは、途中だった昼寝を続けることにした。昼寝からたまたま目覚めた時に小指の赤い糸に気付いたのだが、眠さの方が勝った。

 早くも深い眠りに入ろうとした時、テルが寝ていた粗末な小部屋のドアが開いた。

「なんだ、まだ寝てるのかよ。テル、起きろよ。仕事だぜ」

 あと五年もすれば中年と呼ばれるだろう年齢の男が、ずかずかと部屋に入ってくる。筋骨隆々な肉体と、笑うと顔に刻まれるシワが印象的な男だ。

 その男、タウラスはテルの腕を足先で荒っぽく揺すった。

「ん……。もうそんな時間か」

 大きな欠伸をしながら起き上がると、テルは大きく伸びをした。

 テルは栗色の髪をした二十歳前後の青年だ。細身の長身ながらもがっしりとした肉体で、そこそこ整った顔立ちをしている。だが、目つきの悪さが総合点を下げているのは確実だ。

 テルは雑巾のような毛布から這い出ると、ボサボサのショートヘアを無理矢理バンダナでまとめた。次に、仕事用のジャケットを着て、腰にはナイフホルダーを括り付けた。

 最後に、腕にガントレットをはめようとした時、赤い糸のことを思い出した。右手の小指にまだ括り付けられていたからだ。テルは再び糸に触れようとする。……が触れることはできずに、ただ糸をすり抜けるだけだ。

「何やってんだ、テル?」

 テルの支度が済むのをドアの横で待っていたタウラスは、テルの不可解な行動に怪訝な顔をした。

「いや、糸が小指に絡まってるだろ。さっきから、取ろうと思っても取れないんだよ。ほれ」

 テルは右手をタウラスに見せる。タウラスはじっとテルの指を見る。そして、一言。

「何も見えないぜ」

「あ~? もう老眼か? ほら、糸がおまえの横を通って、ドアの外まで続いてるじゃねえか」

「…………」

 しばらく真面目な顔をして考えていたタウラスは、テルにこんなことを訊いた。

「何色の糸だ?」

 すり抜ける糸なら仕事や日常生活に支障がなくていいや、と考えながらガントレットを装着していたテルは、「赤色だな」とそっけなく答えた。

「…………あっはっはっは」

 黙りこくっていたかと思えば急に笑い出したタウラスに、テルはぎょっとした。

「なんだよ、ついに頭がおかしくなったのか?」

「いやいや、すまん。なんか運命を感じてしまってな」

「運命? おまえ、いつからロマンチストになったんだ」

「おまえくらいでも、赤い糸の話は知ってるだろ?」

 テルは考えた。女同士が集まれば話に花が咲きそうな占い事や色恋沙汰に関する言い伝えにはとんと興味がないテルだったが、赤い糸の言い伝えくらいは知っていた。

「赤い糸……って、結ばれた者同士が出会うとなんたら、ってやつだっけ?」

「そう、それだ。……どうだ? 自分が運命の赤い糸に選ばれた感想は?」

 タウラスが冷やかすと、テルはむっとして荒々しく小部屋から出た。穴の開いたボロボロの木造の廊下を進んでいく。男二人が同時に歩くと、今にも床が抜けそうだ。

「これは、そんなんじゃねえよ」

「じゃあ、何だっていうんだ?」

 後ろから付いてくるタウロスはニヤニヤしながらテルに訊く。

「知るか!」

 テルが進む方向に伸びている赤い糸は、テルが歩くにつれてゴムのように静かに縮んでいく。

 少しムキになってしまったが確かにコレは運命の赤い糸とかいうヤツかもしれないと、テルはそれを眺めながら思った。そうでなかったら、この糸のカラクリを説明できない。

 そんなことを考えていると、少し大きめの部屋にたどり着いた。同じく汚らしい部屋には間違いないが、酒場のようなカウンターが部屋の大部分を陣取っている。

「よお、テル。もう例の依頼を片付けに行くのか」

 カウンターの中にいる大男がテルに話しかける。熊のようなこの男が、依頼を扱うこの店のマスターだ。

「ああ。期限は一週間後だけど、『迅速・丁寧で安心サービス』が俺らのモットーだからな」

 その時、続いて部屋に入ってきたタウラスが、カウンターの上に置いてあるビールジョッキに気付いた。

「さっきまで誰か来てたのか?」

「ああ、新しい依頼主だ。今回の仕事が済んだら、この依頼のことを考えてみてくれ。若干面倒くさそうな依頼だが、その分報酬はでかいぞ」

 テルはカウンターの前に座ると、マスターに出された軽食を食べ始めた。その横にタウラスも座って、カウンター奥の壁に掛けられてある依頼板を眺めた。ここに泊まる時は必ずこの依頼板をチェックする。どの依頼を受けるか選定するのがタウラスの仕事だからだ。

 テルは食べながらも、右手に違和感を覚えていた。

(確かにすり抜ける糸なら括られている感触はないし、引っかからなくていい。ただ、視界に入ってくるのは鬱陶しいなぁ)

 視界に赤い何かが入ってくるので、思わず見てしまうのだ。テルはこっそり赤い糸の行方を探してみた。糸は表の通りに出るドアの隙間に消えている。外に出たら赤い糸は一直線に伸びているのだろうか、運命の相手のところまで。

(…………まじかよ)

 テルは妙なモノに巻き込まれてしまったと思った。今はとにかく少しでも多く依頼をこなして、自分の仕事の腕を磨きたいのだ。女に興味がないことはないが、可愛い女の子をちょっと冷やかすくらいだ。突然右手に現れた変なモノのせいで、仕事の邪魔をされたくはない。

 その時、依頼板を熱心に見ていたタウラスが妙に表情のない声で訊いてきた。

「なあ、テル。おまえ、俺が選んだ依頼は必ず引き受けてくれるんだったよな?」

 テルは口いっぱいに頬張っていたものをごきゅっと飲み込んでから答えた。

「あん? 今更な質問をする奴だな。おまえがイイ仕事を探して、現場では俺のサポートをする。俺は現場で最高の仕事をする。タッグを組む時、そういう話だったろ?」

「その言葉、覚えてろよ? ……マスター!」

 ここでタウラスはカウンターの中の大男に話しかけた。テルはその様子を訝しそうに見た。

(何なんだ……?)

 マスターが目の前にやって来ると、タウラスは依頼板の一部を指して言った。

「この依頼受けるぜ!」

 マスターはそれを聞いて嬉しそうに笑った。

「おお、この新しい依頼を早速引き受けてくれるのか! ちょっとばかり依頼内容が怪しいもんだから、用心深いおまえは受けてくれないと思ってたとこだよ」

「普段の俺ならな」

 依頼板に書かれた依頼内容の上に、マスターは赤チョークで「依頼済み」として丸印をつけた。タウラスの意図が何なのか分からなかったテルは、印の付けられた依頼内容を読んだ。

「なになに……。『ある人物の拉致・監禁に関わる業務(詳細は引受人本人にのみに通知したいとの依頼主の強い希望有)、目的地……デスティネ』? えっ、依頼の情報はこれだけか? おい、タウラス! こんな怪しすぎる依頼受けるのか!?」

 タウラスがどういう依頼を引き受けたのかを理解したテルは、タウラスに突っかかった。しかし、タウラスはニヤリと笑うだけだ。

「そう、俺の偏見と直感だ」

「何考えてるんだよ! いつもはちゃんと信頼できる依頼しか受けないじゃねえか」

 テルは、大きな音を立てて椅子から立ち上がった。勢いでタウラスの胸ぐらに掴みかかる。それでもたじろがないタウラスはこう言った。

「これを見た瞬間、運命だって思っちまったんだ」

「~~~~~~~まだ言ってん……」

 テルの怒りが最高潮に達しようとした瞬間、タウラスが口にした言葉はこうだった。

「『デスティネ』……知ってるか? 古代語で『運命』って意味なんだ」


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