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赤の記憶と運命の恋人たち  作者: 方丈 治
本編

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13/20

ジナが旅に出た理由

 婚約者セバスチャンを目の前にしてジナは思った。

(なんて冴えない男なんだろう!)

 親が当人の関係ないところで勝手に婚約をするということは、名家にはよくあることだ。ジナの場合もそうだった。三ヶ月前、おてんば娘のジナにもようやく婚約者というものができたのだった。

 婚約者なる男がいることは、以前から父に聞かされていた。おとぎ話好きなジナは決められた結婚について、はじめは快く思わなかった。しかし、ジナの友人の娘達はどんどん結婚していき、今では結婚していないのはジナくらいだった。

 さすがのジナも焦ってきたらしく、婚約のことを聞いた時も「まあ仕方ないことか」くらいにしか考えていなかった。

 しかし、今日初めてその婚約者を招いての食事会で未来の夫と実際に会ってみて、ジナの考えは一気に変わった。

(こんな男と結婚なんかできない!)

 食事会の後、ジナはすぐに父親の部屋へ直談判しに行った。

「あの人とは結婚できません!」

 開口一番にそう言い放った娘に、父親は溜息をついた。

「どうしてなんだ、ジナ? 彼と婚約してもいいかと尋ねたとき、おまえはそうしても構わないと言ったじゃないか」

「さっき会って気分が変わったの。顔も中身もつまらないなんて、ずっと一緒に暮らしていく自信がないわ!」

 父親は気分を落ち着かせるために葉巻に火を点けた。

「おまえはまだ若いから、ああいうタイプの男はつまらないと感じるのだろう。……しかしな、長い目で見るとおまえにはああいう男の方が合ってると思うのだよ。何よりおまえを好いていてくれている。この先もずっと、崇拝するほどおまえに尽くしてくれるに違いない」

 お父様ったら分かってないわね、とジナは心の中で舌打ちした。

「尽くしてくれる男性じゃなくっていいの。私が求めるものは……そう、運命的な出会い!」

 父親とその場にいた使用人達──お茶を用意していたメイド達と、それにリブラもいる──は、一瞬時が止まったように固まった。その沈黙を破ったのは、父親の咳払いだった。

「コ、コホン。いいかい、ジナ? その──『運命の出会い』とやらはいつ訪れるんだね? 何年も待つ訳にはいかないぞ、おまえはもうすぐ二十歳なんだからな。二十歳であれば二人目の子供がいたっておかしくない歳なんだ」

(フン、私が嫁ぎ遅れてるのが心配なのね。だったらこれを見せてあげようじゃない──この運命の証拠を!)

 ジナは左手を高くかざした。父親、使用人達がつられて頭を上げて見た。

「ほら、見て! 紛れもない赤い糸よ! この先に運命の出会いが待っているんだから、何年も待つ必要なんかないわよ──って、あれ?」

 ジナは、自分の顔と左手を怪訝な顔で見比べている父親達に気付いた。

「ジナ……赤い糸なんてどこに付いているんだ? 私には全く見えないが。皆もそうだろう?」

 父親が周りの使用人達に訊くと、メイド達もそれに同意した。

「確かに昔から赤い糸の言い伝えはある。赤い糸で結ばれた異性は運命の相手。前世からの恋人、配偶者と言われ、その者と一緒になれば必ず幸せな人生を送ることができる──とな。おまえは昔からこういう夢物語が好きだったなあ」

 父親が部屋の窓から外を覗きながらしみじみと呟いた。

「な、何言ってるのよ、お父様! 私がウソついてるって言いたいの!?」

「ジナ、セバスチャンが気に入らないのは分かった。他に替わる者を急いで見つけてくるから、もう少し大人しく待っていてくれ」

「ちょっ……」

 父親が早速行動に移そうと部屋を出ようとした──その時。

「お待ちください、旦那様」

 そう言って父親を止めたのは、この家のお抱え占い師リブラであった。彼女は二十五歳になるが、幼い頃に占い師としての才能を認められ、この家に仕えるのも今年で十五年目になる。

 リブラの腕を信用していた父親は、大事な局面ではこの占い師の発言を重きものとする傾向にあった。だからこそ、父親は足を止めてリブラの方に振り返った。

「ジナお嬢様のおっしゃることは真実でございます」

「なに……! リブラ、おまえにはあの子の指に赤い糸が付いているのが見えるのかね!?」

「いいえ。赤い糸というのは結ばれた者同士の当人にしか見えないものです。そして、赤い糸は魂と魂で結びつくもの。故に、お嬢様の前世を占えば、本当に赤い糸によって結ばれているかが分かるのではと思い、占ってみたのです」

 リブラがそう言うと、父親とジナをはじめ、メイド達もリブラの周りに集まってきた。皆がリブラの手に持つ水晶玉を覗き込む。リブラは解説を始めた。

「お嬢様の前世は百姓の娘でした。彼女は貧困と闘いながら暮らしていたためか、今のお嬢様と違って素朴で慎ましやかな性格をしていたようです」

「こら!」とジナが突っ込んだが、リブラはそれをまるで聞こえてないかのように話を続けた。

「彼女が年頃になった頃、左手の小指に赤い糸は現れました。自分にしか見えないその糸に戸惑いましたが、彼女は運命の相手を探すために家を出たのです」

「そっ、それで? 結局、運命の相手には出会えたの?」

 いつの間にか聴いていた者全員が、リブラの話にのめり込んでいた。ジナはというとそれは熱心に聴いている。

 リブラは話を続けた。

「大変な旅の末、彼女はついに運命の相手に出会ったのです。自分の小指とその相手の小指とが赤い糸で繋がっていたのです。しかし────」

「えっ、それでハッピーエンドじゃないの?」

 ぽろっとジナが不満そうに言葉を漏らした。

「しかし、相手の男性は運悪くその日に事故に遭って亡くなる寸前だったのです。もしあと一日早く出会えていたなら運命は変わっていたかもしれませんね。その後、彼女は結局別の男性と結婚して、その生涯を終えました」

 リブラの言葉に聴いていた一同は、シーンと静まった。

「そんな……私の前世の人、なんてかわいそうなのかしら……。ねぇ、それじゃあ私の前々世も占ってちょうだい。その時はきっと運命の人と結婚して幸せに暮らしたのよ」

 リブラは言われた通り、水晶玉に手をかざし念じた。すると、水晶玉は再び何かを映し始めた。

「お嬢様の前々世でも、幼い頃に赤い糸が小指に現れました。彼女も成長すると運命の人を探すため、旅に出ます。そして、運命の相手に出会いました。今度こそ相手は死にかけていません。ピンピンしています」

「今度こそハッピーエンドね」

 ジナがホッとしたようにため息をついた。────が。

「しかし、相手の男性は九十六歳の超高齢のご老人だったのです。若い娘と結婚できることに男性はとても乗り気でしたが、彼女はどうにもそんな気になれず……」

「ストーーーーップ」

 ジナは耐えられずに叫んだ。

「リブラ、前々々世よ!」

 同じくリブラは占い直すと説明を始めた。

「お嬢様の前々々世では、赤い糸が現れるのが比較的遅く、三十歳を過ぎてから赤い糸が現れました。自分はもう結婚できないのだと彼女は諦めていたのですが、赤い糸の思し召しと考え、結婚しようと思い直しました。そして、運命の相手に出会いました。今度こそ、死にかけてもドシニアでもありません。しかし────」

「な~んか嫌な展開……」

 リブラが次に何を言うか、ジナにはもう大体の予想がついていた。

「しかし、相手はまだ二歳の男の子だったのです。彼女は、やはり自分は結婚に縁が無いのだと諦めて帰って行きました」

「………何か、私って相当タイミングの悪い魂の持ち主のようね……。生まれ変わっても生まれ変わっても運命の人と結ばれないなんて……」

 ジナは自分で言って、悲しくなってきた。そして、心の中でぼやいた。

(どうせ、私の赤い糸もタイミングが悪いのよ)

 ほぼ投げやり状態のジナの心を読んだのだろうか、リブラがはっきりと宣言した。

「ただ、現世のお嬢様の赤い糸はとても良い兆しを示しています」

 水晶玉に手を当てながら念じているリブラを、ジナは驚いて見上げた。

「ほ……本当なの、リブラ?」

「お嬢様が品行を正せば」

 リブラの追加の言葉は聞き流して、ジナは急に元気が湧いてきた。パッと笑顔になって、横に立つ父親に迫った。

「聞いたでしょ、お父様。私の前世を見て、私が赤い糸の運命の下に生まれてきたのは明白でしょう? 赤い糸で結ばれた相手を見つけるために、私も旅に出ていいわよね? お父様!」

 娘にすがりつかれたら、父親は弱いものだ。しかも今回の件は、ジナが赤い糸の持ち主であることをリブラが証明している。

「う~~む……」

 父親は悩みに悩んだが、結局は娘の願いを承諾することにした。

「分かった、それでおまえが納得できる結婚相手を見つけることができるのなら……。しかし、条件がある」

「いいわよ、旅を許してくれるなら何でも」

 父親のお許しが出て有頂天になっていたジナは、調子よく返事をした。

「まず一つ目。旅に期限を設ける。一ヶ月探しても相手を見つけられない場合は、諦めてすぐさま帰ってくること。そして、私が決めた相手と婚約をすること」

「一ヶ月……かあ。短いなぁ」

 ジナがボソリと不平を言ったが、父親は続けた。

「二つ目。その運命の相手とやらを見つけた場合、即刻一緒に連れて帰り私に会わせること。私の合格サインが出れば、結婚を許そう。しかし、もし私の眼鏡にかなわなければ……どうなるかわかるな?」

「はいはい、お父様が決めた人と婚約すればいいんでしょ? ……ま、そんなことにはならないと思うけど。きっと王家の御子息だから、お父様だって文句のつけようが無いわよね?」

「そして、三つ目! 旅の同行者として、占い師リブラを付ける!」

「はいはい…………って、えぇえぇええ~~~~っ!?」

 ジナは目を血走らせて、叫んだ。

「な、なんでリブラなの!? っていうか、一人で十分よ! 子供じゃないんだし!」

 せっかく気楽な一人旅ができると思ったのに。そう考えていたジナには、受け入れがたい条件だった。

(しかもリブラ……)

「リブラはこの家に必要な存在でしょ? 私の旅に付き合わせちゃ申し訳ないわ。他の人なら考えてもいいけど……」

 ジナは遠回しにリブラの同行を拒んだ。しかし、父親には伝わらなかったようだ。

「確かにリブラにはこの家に居て欲しいのだが、女一人でおまえを旅に出させる訳にはいかない。そっちの方が心臓に悪いからな。リブラは占いの力が確かだし、おまえの旅の助けになってくれるだろう。それに、母もきょうだいもいないおまえを、幼い頃からずっと近くで見守ってくれたリブラなら気が置けなくていいだろう?」

(それはそうなんだけど……)

 確かにジナとリブラは、雇い主と雇い人の関係を超えた──キツい冗談でさえ言い合える──仲だが、リブラはしっかりし過ぎていて、しかも抜け目ない。これまで外出時には必ず付き添い人が付いたジナにとっては、今回の旅では存分に一人旅を楽しもうと目論んでいたのだ。なのに、しっかり者のリブラがお供では、それももはや望み薄だろう。彼女を騙くらかすことは不可能だからだ。

「リブラ、すまないがジナの旅に付きやってくれないか?」

 父親は、後ろに立つ占い師に声を掛けた。リブラは相変わらずのすまし顔で承諾した。

「旦那様がそうお望みならば、喜んでお供しましょう。お嬢様のことですから、どこぞの溝に足を踏み外すか分かりませんし、どこぞの馬の骨に付いていくか分かりませんから、旦那様のご心配もそれは大きなものでしょう」

「うるさいぞぉ、リブラ!」

「そうなんだ」

 父親が素直に認めると、ジナは「認めるんかぃ!」と心の中で突っ込んだ。


 急いで旅の準備を済ませ、次の日の昼には旅立つ用意が出来ていた。女二人だけの旅なので護身用にと、出発の際に父親に無理矢理ダガーを持たされた。

「それでは行ってきます、お父様!」

「お嬢様のことはしっかり見ておきますので、ご心配なく」

「うむ……くれぐれも無理はしてくれるなよ」

 そうして家を出てリブラと二人旅を始めたのが二週間前のことであった。


 ちなみに、旅に出てからこの二週間の間に、ジナは四回溝にはまり、二回知らない男に付いていきそうになったのであった。


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