屋上とパン
※一部性的描写があります、閲覧の際はご注意下さい。
屋上に吹く風は初夏の天候にふさわしく爽やかで眩しいくらいの太陽が空にある。
先週の喧嘩でつくった傷は塞がりかけていたのに今度は日焼けで皮が剥けるんだろう。
私の生まれた日は今日のように青い空が広がっていたらしい、それにちなんでソラという名前をつけたとか。
制服のリボンが苦しく首を絞めているそんな心地がした、白昼夢でも見ているのだろうということで自己完結する。
父親が馬鹿みたいにたくさん作っているコッペパンから溢れた大嫌いなイチゴのジャムが手について、まるで血のようにねっとりしている。
それを舐め取ってまたお昼を再開した、ぼんやりとしていたらいつも思い出すのはこの言葉だけ。
愛とは同調である。
誰かがそう言った、薄れる思い出にその言葉だけが強く残った、人の頭に残るのは言葉だけ、誰が言ったかは関係ないのは名言の良いところだと思う。
愛とは言ってもセックスやキスさえもしたことにない私だから、この言葉の意味はいつわかるのかは謎だった。
しかしこんな喧嘩するしか能がないような私でも、もっともらしく聞こえるのは不思議だった、模倣に心は宿るだろうかという話になっている。
模倣の先に目指す私の未来はあるのだろうかと考えてしまう、それでもいいのかもしれない、きっとこれを呟き続けることに意味があるように錯覚している今が好きなんだろう。
あれは父さんがよく言っていた言葉だと思い出す、しかし本人の考えなのかは定かではない、聞こうとしても親子だというのに会話がもう何年もないのだ。
難しいことを考えるのは嫌いでもなく好きらしい、勉強は苦手だけれどそういうのは問題ではない、勉強に疲れた人はその時以外は考え込みたくない。
だから私はそこで難しく考えない、この左目のことだってもう考えないようにしたのは現実逃避なんかじゃない。
そう言い聞かせているのは人ではないような、その赤い目を隠すために昔から包帯を巻いていたのには理由があるらしい・・・
「神獣殺しの罪により貴方をこの争いに強制参加とさせて頂きます。」
少しだけ近付ける気はした。
真っ黒なマント、深々と被り顔は見えない話し掛けてきたその人物、屋上の鍵は閉めていなかったからいてもおかしくはないのだけれど、校内でこんな怪しい人物が忍び込んで誰も気付かないのだろうか。
もしそうだったとしたらこの学校の警備はずさんなものなんだと笑いたくなる、しかし声から察するに恐らく男性であろう人はそう私に告げた、彼の言う争いとは何だろう?
不良グループの抗争なのかはたまたゲームの世界のように国家が争うという意味なのか、そう尋ねると後者はあながち間違いでもないと言われる。
「けれど私たちの世界の国家がどうなろうと貴方の世界には何ら影響はございませんので。」
「私たちの世界・・・」
素晴らしく明るい笑顔なのにどこか信用ならない胡散臭さがある、私が不審そうに睨むとまた笑ったのだ。
「貴方の罪は貴方のお父様の罪だそうです、それを償うために貴方のお父様は貴方を身代わりにしたとお伺いしています。」
娘に暴力を振るう最低な父親だとは知っていたが、そこまで腐った考えの持ち主だったとは、身代わりとは何だか聞こえが良くないのは私だけではないだろう。
「貴方がお生まれになる前の話だそうですが。」
「父さんは結局、何をしたんだ。」
「だから先刻申し上げましたように、神獣殺しの罪です。」
「シンジュウ?」
貴方の世界ではこのような字を書きます、神の獣と書いて神獣とそこらに落ちていた石の破片で屋上のコンクリートに描かれた。
「その左目を失うだけではとても償えない罪、それをこの争いに身を投じて頂く事で償うのです。」
「・・・罪を受けるのも不服だけれど、それでいったいどうしてその争いとやらに参加するのが罪なわけ?」
「遠い昔の話ですが、海の先に憧れた者達は自分達の国にはない香辛料を求めて航海をしたという歴史があります。」
唐突にそんなことを言い出すものだから私はまたいぶかしげにそれを聞いていた、勉強があまり好きではない自分には聞いたことのない話だったので退屈にはならなかったもののやはりどこかきな臭さを感じる。
「その航海には危険も伴ったでしょうし、そこにたどり着くまでに争いもあったでしょう、その旅で人は醜いというのに罪をまた犯すのです、だからそういうことではないでしょうか?」
よくわからない例えだった、どう足掻いてもこの状況から逃れられないのなら乗せられてやった方がまだこの男の言いなりになったわけではない気がする、それに夢のような出来事だから進んでいけば覚めてしまう脆い夢ならと私は返事をした。
「まあ、退屈だったから付き合ってあげるくらいはいいかな。」
「ではそのまま立っていて下さい、準備はすぐに終わりますから・・・」
彼は青白く細い指をくるくる回した、異変にはすぐ気付いた、背中にじとりと嫌な汗が流れてきて心がざわめくように誰かが私の中に入ってきて支配するかのような強烈な感覚、振り向くと私の影が歪む。
手にしていた昼食のパンからダラリとまたジャムが垂れた、だがしかし気にする暇もなく体中に蟲でも這うような嫌悪感が続いているのは確かだったので脳から全ての欲が消え去っていくのを感じた。
夢にしてはあまりにもリアル、現実にしてはあまりにも有り得ない光景、あれだけ父を憎んだから自分の中に悪魔が住んでいてそれが形になって、私を殺して、身体を支配してこの世界で悪行を尽くすのかもしれないとも思ってしまうほど。
日々を思い出す、こんな悪夢のような出来事より数時間前。
珍しく私は自分の机に座って窓の方を向いてぼーっとしていた、あまり授業には顔を出さない私を男子生徒はおろか女子生徒でさえ恐れるような目で見ている、停学明けくらいは授業に出なさいという担任の言いつけで仕方なくここにいた。
友達がいたのは中学生までだった、母が病死する以前は別の町で暮らしていたのだが、母の容態が悪くなったので少しばかり都会から離れた地区の高校に通うことにしたが、私は母の死が悲しかったのか父の虐待で自分を弱いと思ったから強くありたいと間違った力を求めてかはもう覚えていなかった。
何かを埋めようとして女の割にやってみたら喧嘩が強くて、最初は売られた喧嘩を買い続けていたのだが次第に他校、隣町からと喧嘩を売られ続けたり、それを遡って昔のことになるが初めての停学処分を受けたのが夏のことだったと記憶している。
私の学校は進学校ではないけれど別段目立って不良がたくさんいたわけではない、昔はこのクラスにだけ私と同じ匂いを感じ取ってきたのかと勘違いするほどいいタイミングで、喧嘩をし始めて少し経ったそんな頃にちょっとした不良集団に目を付けられた。
悪名が轟いていたようでクラス内での恐喝(というには甘いような)や、今時そんな不良がいるのかと驚いたがクラスの女子を強姦紛いに犯していた奴もいて、母の死や父からの虐待で友達を作ろうという余裕もなくクラス事情にも疎かった私は知ってしまった。
偶然にも通りかかった体育館から女子のただならぬ悲鳴やら喘ぎ声やらが混じり合ったのが聴こえて、同じ女として身の毛すらよだつような行為が行われているだろうと想像した、ほぼ間違いではないと思ったのはどうしてかよくわからない。
行き過ぎた恋人同士の痴話喧嘩だと思い込めばその場を見逃すことも出来たのに、足はどんどん進んで行って倉庫の扉をがらりと開けた先には予想していたよりも酷い光景が広がっていた。
生まれて初めて嗅いだ雄の匂いといえばいいのだろうか、そこにいた女子はぎりぎり私が顔を覚えている程度ではあったが、入学式の後に笑いかけて話し掛けてくれた子だったのだが、女子の緑の制服は剥ぎ取られて胸だけなら良かっただろうに口にはしたくないような部分まで晒されていた。
人数にして3人ほど、まあそういうやり方もあるんだろうなと今はどうでもいいことを考えながら、この世で一番冷たいんじゃないかってそんな軽蔑の眼差しでその女子を取り囲んでいた3人を見た。
あの後は怒りとかそういうのはどうでもよくて、こういう奴らってどうして私と同じように生きないのだろう、喧嘩なら待っていればいくらでも売られるのに自ら売りに行ったり売られるようなことをして。
そして私が行き着いた先はその子からの謝罪の言葉が一回だけ、その後は恐喝や彼女のような子達が今までずっとされてきたようなことは起きず、ただその後は私とその他不良が停学処分を受けただけ。
別に正義を気取ったわけでもない、それから次第に授業へ出る回数が減って、また他校から喧嘩を売られれば買ってまた停学になり最初のうちは父は学校に出向いて謝罪をしに来たが慣れたというのか何と言うのか父は半ば私を見捨てて学校には来なくなった。
それを哀れんだのか先生達は私をいくらなんでも可哀想だなぁとか言い出して、あの一件から私を恐れて近付かないクラスや学校の生徒達よりも彼らの方が醜く思えた。
一度は自分よりも下に見たものを少しでも同情してやれば私がなんていい人だと思うとでも考えたのか、それならば同情も失望もせず私という存在を消していく生徒達の方が幾分かましに見える。
ああ早く昼休みになればいいな、私の担任の先生は同情とかそういうのとは違う目で私を見ていたらしく、居場所がないならせめて静かな場所で自分なりにいろいろ考えればいいといって、屋上の鍵を無断だが複製して私に預けてくれている。
チャイムが鳴り響いて勉強道具なんて入っちゃいない鞄を背負った私を汚いものでも見るように、今年度入って来たどこぞの有名大学とやらを卒業したという紺のビジネススーツを着込んだ先生が小さく舌打ちをした。
廊下に出るとがやがやと騒がしい生徒がいる、いつもと全く変わらないどこにも私の居場所はない学校、さしずめ逃げ込める屋上は牢獄のように寂しくひっそりと私を待っている、こんな現状を呪うわけではないが出来るなら父を呪いたい。
卒業したらどうしようとか考えるわけでもない、もしかしたらこんな私では繁華街で身体を売ったりして暮らすのだろうかなんて、どんより暗い未来を予知したりしかできない、私が死んで悲しむ人はいるかな。
そういえば私を何故か慕う後輩がいたなとかそいつなら悲しむだろうか、まあ悲しんだとしても今更こんな私だから勝手に死んでも心苦しくはないからとか、ここから逃げ出すことばかりを考えていた。
だからそう、これは弱い私への報いだとも思ったし、悪魔がこの身を食らってもどうだってよかった、風が少しだけ強くなるのを感じる。
けれど想像とは異なった結果が目の前に現れる、狼男が私の前に立っていてやはり私を食べるのかと思ったらそいつは突拍子もないことを言い出した。
「こんな女が俺のパートナーだって?」
「まあまあ、こればかりは相性とか関係なく適当に割り振られているものですから目を瞑って下さいよ。」
低い声を出した狼男はバツの悪そうな顔で私を見た、不思議とそれは悪意によるものではあるが私を見てきた人間のような嫌悪感は含まれていない眼差し、どこか諦めという言葉も似合いそうな情けない顔だった。
「紹介しますよ、彼はルーズ、ウルフ種最強とも呼び声の高いダークネス・ウルフの獣人、司る罪は怒り、属性はまあ言うまでもないですよね?」
ルーズというその狼男は毛先がうっすらと紫掛かっていて上半身は何も身につけておらず下半身は厚手のズボン、気だるさが滲み出た第一印象とはさして変わらない奴であった、気だるさという点ならば私と似ているのかもしれないのだが・・・
「説明が遅れましたがこの争いの正式名称は血と肉の晩餐会と言いまして、勝ち残ればどんな望みも一つだけ叶えられる素晴らしい企画でしてね・・・」
「何が素晴らしい企画だよ、所詮は血で血を洗う争いってだけだろ。」
「しかし参加したいと申されたのは貴方ではないですか?」
「俺が用があるのはお前らがいう景品の方だ、まあ亜人に対して景品って言い方だと人権的にどうかと思うが・・・」
「結局さぁ。」
何が言いたいのやら訳がわからない、この狼男が呼び出されたわけはもっとわからないので説明を求める、話の腰を折るのがお得意なのかしらと嫌味まで言ってやったのだから正当な説明が頂きたいところ。
「彼は貴方と共に戦うパートナー、運命共同体、というわけで。」
「女、俺はどうしてもこの馬鹿みたいな争いで勝たなきゃいけねぇ、わかったらさっさと契約するんだ。」
「あー言わせてもらうけどどうしてそんなに上からものを言うんだよ、戦うって他にも私みたいにパートナーがいて戦いに参加してるってわけ?」
「この世界の時間で言うともう一ヶ月も前から行われていますが・・・」
「だいたい争いって言うんだから他にも戦ってるやつがいるに決まってるだろ、馬鹿かお前?」
一ヶ月も前からこんな訳の分からない勧誘に誘われて戦ってる連中がいるのか、それって思うに正気の沙汰じゃない、ここまで来ると夢だ何だというのは飽きてきて現実を見つめた方がいいのかと考えていて・・・
「どちらにせよ貴方は強制参加なので、この戦いで負けない限りは降りることは出来ませんが。」
「俺が許さないけどな。」
「貴方にも損ではないと思われますがね、だって貴方がどんなに無理だと思っていた望みだってかなえて差し上げることが出来るのですから。」
私が望むこと、そう言われて真っ先に思いついたのはなかったといえば嘘だ。
だって私にはこの居場所のない世界から逃げ出しす、つまり死ぬことは可能だけれどそれでは晴れない釈然としない思いがたった一つだけあった。
何故私が死んであの人が死なないのか、それを思うと手にしていたナイフは手から滑ったし屋上から飛び降りようとしても後ろ髪が引かれた。
私の分身が囁く、貴方が自由になるために必要なことがあるじゃない、それをしなければ死後の世界があるかはわからないけどきっと後悔するんじゃないかと。
「たとえばそうだ、私の父親をこの世から消してくれたりとかは?」
隣にいた狼男ははっとした顔で私を見た、けれどもあの男だけは素晴らしい笑顔で微笑んで勿論可能ですよと言う。
そうあの笑顔はとても素晴らしく見えた、先ほどは胡散臭くて仕方のなかった笑顔なのに、今は神様に微笑んでもらったかのように穏やかな心地になる。
そうか、あの人が世界から消えるんだ。
まだ勝ってもいないのに取らぬ狸の皮算用、もしあの人がいなかったら私はまずはあれをしようこれをしようと次々に考えが浮かぶ。
食べ残しのパンがコンクリートに落ちた、その光景を一言で例えるならパンの惨殺事件とでも言おうか。
酷く不気味だが、それがもしかしたら起こり得る父の最期の姿かもしれない。
人外と人間という組み合わせで書きたいと思って数年温めてきた小説です、ゆっくり連載ですが宜しくお願いします。