余りものの値段
少し書いてみました、初投稿です。
朝は、だいたい同じ時間に目が覚める。
目覚ましは使っていない。
カーテンの隙間から入る光と、外の音で十分だった。
冷たい床に足をつけると、季節の変わり目がわかる。
キッチンは狭いが、使いやすい。やかんに水を入れて火にかける。
音が立つまでのあいだ、パンを切る。
昨日の残りで少し固い。
軽く焼くあいだに庭に出ると、朝の空気はまだひんやりしていた。
土はちょうどいい湿り気だった。指先に少しだけ冷たさが残る。
ナスをひとつ収穫し、手のひらに乗せて少し見る。濃い色が鈍く光る。
ひとつで足りる。
もうひとつは余る。
しばらく考えて、家の前に置いた。
小さな紙を添える。
――ご自由にどうぞ。
それでいいと思った。特に理由はない。
夕方、女が立っていた。置いた野菜の前だった。
光の中で、少しだけ浮いて見える。
肌だけが妙にきれいだった。
「これ、いくらですか」
声は小さいが、迷いがなかった。
余りだからタダでいいと伝えると、少し困ったように笑う。
「タダって……どういうことですか」
遠慮ではなかった。本当に分かっていない顔だった。
一個だけ持っていけばいいと説明すると、ゆっくりうなずく。
それでも、すぐには手を伸ばさない。
しばらくナスを見てから、そっと持っていった。
去り際に振り返る。
「これ、ほんとに大丈夫ですか」
「うん」
それだけ答えた。
次の日も、同じ時間に来た。少しだけ律儀だった。
小さなしわのある紙幣を差し出す。
払わないと困るかもしれない、と言う。
理由は曖昧だった。
自分でもよく分かっていないようだった。
ナスを渡すと、女はそれを見て言った。
「これって、高いですか」
視線はまっすぐだった。
だが、考えが進んでいない。
「どう思う?」
そう聞くと、少しだけ考える。
すぐに止まる。
「……わかんないです」
そのまま答えた。
市場の端で見かけた。
昼の光の中だった。
女は通りの端に立っていた。
夜になると、人が増える場所だ。
男と話して、金を受け取る。
短いやり取りだった。
額は、少ない。
見れば分かる程度には。
女はそれを受け取り、少しだけ見る。
数えるでもなく、ただ見ている。
合っているかどうか、判断できていない。
そんな止まり方だった。
風が吹く。
布が揺れる。
レイは視線を外す。
(関係ない)
そう思う。
ギルドの仕事は単純だった。
金額、数量、日付、署名を確認する。
問題はない。
そう思って進もうとして、手が止まる。
ほんのわずかなずれ。
誤差とも言える差。
だが、それが続いている。
同じような形で残っている。
小さく抜かれた金。
気づかれない程度の歪み。
確信に変わる。
偶然ではない。
ペンを持つ。
そのまま止まる。
相手は年上で、女。
自分は年下の男。
(言う立場じゃないか)
小さく思う。
そのまま書類を流した。
夕方、女が紙を見せてきた。
少しだけ息が荒い。
「これで合ってるのか、分からなくて」
手の中の紙は軽い。金額も少ない。
「それ、おかしいよ」
そう言うと、女の顔が止まる。
空気が少し冷える。
「じゃあ、私が悪いんですか」
言葉が刺さる。すぐに返せない。
違う、と言いたい。
だが形にならない。
女は小さく謝る。
そのまま離れていく。
しばらく来なかった。
静かな時間が戻る。
それでいいはずだった。
だが、少しだけ引っかかる。
正しいことを言ったはずだった。
それでも、届いていない。
(やり方が違うか)
小さく思う。
次に来たとき、少しだけ距離があった。
それでも立ち止まる。
簡単な食事を出す。
湯気がゆっくり上がる。
ナスを指す。
だいたいの値段を伝える。
別の皿も示す。並べて見せる。
教えるのをやめる。 比べさせる。
女は少し考える。
今度は止まりきらない。
「これとこれで……これくらい?」
少し不安そうに言う。
「そんな感じ」
短く答える。
朝、トマトを取る。
少しだけ赤みが強くなっている。
女が来て、それを見る。視線が止まる。
「これ、いくらくらいですか」
値段を伝える。
女は少し考える。
今度は、止まらない。
「……これ、安すぎるよね?」
そのまま言う。
レイは少しだけ驚いて、うなずく。
風が吹く。
庭の葉が揺れる。
昨日と同じはずの景色が、少し違う。
完全に分かったわけではない。
全部が変わったわけでもない。
それでも。
(これで、足りている)
静かに思う。




