二章 五節
急ぎ自宅に戻ると、ヴァニティはまず家の扉がなくなっていることに気が付いた。
近くの物陰に身を隠し、そこから様子を伺う。
(遅かったか? ……いや……)
もう誰もいないかとも思ったが、人の気配がする。床を踏む音、家の中の物に手を触れる音。そのどれもが乱暴に感じる。
掃除と整理整頓に気を遣っていたエヴァが立てる物音ではないのは明白だった。ヴァニティは舌打ちを路地裏に吐き捨てる。
「…………」
中腰になりながら家の壁まで近づき、そこに体を張り付ける。息を殺して待っていると、中にいる何者かが話を始めた。
「あったかよ?」
「いや、さっぱりだ。……やっぱここにはねえんじゃねえのか?」
「オレもそう思ってたところだ。……くそっ、面倒くせえ。本当にあんのかよ、中が水みたいになってる宝石がついた指輪なんてよ」
何かを蹴り飛ばす音がした。声からして男、人数は二人。そしてそのどちらもが、真っ当な生き方をしている人間じゃない。
(? 指輪がないだと……?)
奴らがエンゼルブラッドを探しているということはわかるが、あれはエヴァが持っていたはずだ。彼女はもうどこかに連れ去られてしまったようだが、それなら指輪のことを奴らが把握していないのはいささかおかしい。
「どうする。隠れ家まで戻るか? 連れて行ったあの女が何か知ってるはずだ」
「そうするしかねえな。肝は据わってみてえだったが、たかが貴族の小娘だ。たっぷり可愛がられて、今頃洗いざらい全部話してるだろうよ。後でオレたちもおこぼれにあやかろうぜ、へへへ」
ヴァニティの奥歯が、ぎりっと鳴る。男たちは気付かず、話し続ける。
「……ただそれだけじゃ面白くねえ。何か金目の物でもねえか探して行こうぜ」
「こんだけ探した後だぜ? 何にもなかっただろうがよ」
「指輪はなくても、どこかに金くらいは隠してあるだろ。『鉄の手』の野郎の家だぜ。あんだけ殺してりゃあ金もどっかにたんまりとあるだろ」
「そうだな。……床板でも外して探してみるか……」
隠れ家に戻るのなら後をつけようかとも考えたが、まだ男たちは家に居座って泥棒の真似事をするつもりのようだ。
これ以上待つのは得策ではない。そう判断したヴァニティは、身を隠すのを止めて立ち上がった。
そして、そのまま、真正面から家の扉をくぐる。
「おい」
「「!」」
突然の家主の帰宅に、男たちが身構える。
「家主に断りもなく、とんだ来客だな」
ヴァニティは家の様子を一瞥した。目の届く範囲だけでも、酷い様相だ。好き勝手荒らされ、エヴァが作ったであろう料理の鍋もひっくり返されている。わかってはいたが、エヴァの姿はなかった。
「後片付けをするつもりもないんだろう。……これ以上、掃除を面倒にさせるな」
ベージュの衣服で身を隠した男たちは、互いに顔を見合わせ、腰から片刃の剣を抜いた。
「『鉄の手』だな。……へっ、ノコノコと帰って来やがるとは」
「丁度いい。お前には聞きたいこともあったんだ」
剣を向けながら、片割れが問いかける。
「指輪はどこだ」
「それが似合う女にでも訊け」
最初からまともに取り合う気など、当然ヴァニティにはない。
「とぼけるつもりかよ。……やり手の傭兵が聞いて呆れるぜ。目の前の状況ってもんもロクにわからねえとはな」
「馬鹿な奴だぜまったく。……ならさっさと思い出してもらうぜ!」
問答などが意味を持つ間柄ではないことは、もうどちらも把握している。後は、どちらの意志が通るか。それを決める方法はひとつだけだった。
男たちが剣を腰だめに構え、ヴァニティに迫る。
ただし、男たちは理解していなかった。今、自分たちが相対しているのが、どのような男であるのかを。
ヴァニティは素早く銃を抜くと、まずそれを握ったまま横一文字に振り抜いた。頑丈に作られたリボルバーの銃身が、剣の切っ先を弾き、攻撃を逸らす。
たたらを踏んだ男の頭部をめがけ、流れるような動作で手を返して、一撃を見舞う。
「がっ!」
男は小さく声を上げ、床に勢いよく頭から叩きつけられた。人体から出たものとは信じたくない音が、家の中に反響する。
ヴァニティは動きを止めず、もう一方の男に接近。体ごとぶつかり、男の首を下から押し上げるような形で、横にした銃身を押し付ける。その勢いのまま、男の体を一息で壁まで押し込んだ。
「ぐ、え……!」
逃れようのない力で首を圧迫され、男は剣を取り落とした。空けた両手でヴァニティの拘束から逃れようとするが、出来ない。
ふと、そのもがき動く左手に、焼印があるのが見えた。黒い、モグラをモチーフにしたものだ。
「その焼印。確か……シックスモールズ、とか言ったか」
同じ焼印を同じ位置に入れて徒党を組んでいる、谷底ではたまに見るタイプのごろつき集団だ。個人的な確執はないはずだが、記憶の中に、その特徴を持った輩たちが強盗や盗みを働き、時には殺しにも手を染めているという噂を、ヴァニティは耳にしたことがあった。
「ここに女がいたはずだ。どこに連れて行った」
男の素性など大した問題ではない。ただ、こんな状況にもなれば遠慮はいらない相手であるのも確かだ。首を圧迫する力を強める。
「ぐう……! ま、やめ……」
「早く言え」
「だ、から、まっ……。しゃ、しゃべ、れ……!」
「……」
体から力を抜き、男を解放してやる。男は首を押さえながら、壁を伝うようにして腰を落とした。
数歩後ろに下がり、じっと、それを見下ろすヴァニティ。
背後から迫る気配に、気付かないはずがなかった。
「! ぐは!」
声を上げたのは、ヴァニティの背中を襲おうとした男の方だった。強烈な裏拳を顔面に見舞われ、その視界がちかちかとくらむ。
男の衣服を掴んで床へと引き倒した後、ヴァニティは壁にもたれる男に向かって行った。
「どうやら俺とお前たちは同類らしい」
「……な、に……?」
その言葉の意味を解せないでいる男の前で、ヴァニティは右足を上げ、そして。
「……!」
床に倒れる男の首を、思い切り踏みつけた。
グロテスクな音が鳴り響き、男の体が二度、三度と痙攣する。
「人を殺すことに、今更ためらいなんて感じない。どうしようもないクズ野郎で……目の前の状況もロクにわからない」
「こっ、この、野郎……!」
「クズの命をいちいち助けてやるほど、俺は良い奴じゃないんだ」
ヴァニティは右足を一歩前に出した。にじっ、と、ねばついた足音が鳴った。
「さあどうする。……お前らが言う隠れ家に案内するなら、少なくともそれまでは、お前は生きていられる。俺が油断してれば逃げられもするかもな」
「……」
男はしばらくヴァニティを睨みつけていた。傍らに落とした剣をちらりと見やり、またヴァニティの方に視線を戻す。
それを男が数度繰り返すのを、ヴァニティは黙って見つめ、答えが出るのを待った。
……そして。
男は、落としていた剣を手に取ることを選んだ。
「……。そうかよ」
言葉や取り引きなど、やはり意味を持たなかった。
「死にやがれっ!」
男は立ち上がる勢いを乗せた剣を突き出す。だが、あらゆる点で、男に勝ち目はなかった。
単純な刺突を回避するなど、ヴァニティには容易なことだった。最低限の動きで避け、男の首に自身の右腕を絡めるようにして締め上げる。
今度は最後まで止めなかった。男が窒息し、その首の骨が砕けるまで、力を抜かなかった。苦悶の声が止み、男の全身から力が抜ける。剣が落とされ、どこか寂し気な音を立てたのを確認してから、ヴァニティは男を離した。
(……こういう奴は、決まって仲間意識だけは強いから困る)
脅したところで、仲間が危険に晒されることは選ばなかったわけだ。その気やよしだが、こうなると面倒だ。エヴァはどこかに存在する隠れ家に連れ去られたと見ていいようだが、肝心のその場所がわからない。
一度ピジョンに戻り、マスターの力を頼るのが一番だろうか。……しかし時間はかかるだろう。それまで、エヴァの身に何もなければいいのだが。
とにかく他に手がない。ならば出来るだけ急がなければ。そう思って駈け出そうとしたヴァニティの足先に、こつんと何かが当たる。一瞬、無意識のうちに、そこに目を向けた。
「ん……」
妙な違和感を覚え、しゃがみ込んでよりよく見てみる。
落ちていたのはキッチンナイフだった。……だが、それだけじゃない。
「血……?」
暗闇の中で目を凝らすと、その刃先が赤い血に濡れているのがわかった。これで誰かを斬りつけたのだろうか。
そして、そこから外に向かって、血痕が続いている。辿って外に出てみると、欠け始めた月からの光を受けて、道の上にかすかに血の跡が浮かび上がっていた。




