二章 一節
谷底の中でも特に人気がなく、寂れた区画に、ヴァニティが住まう石造りの一軒家がある。家といっても、ほとんど小屋当然の狭い家だ。生活に必要な最低限の家具しか置かれていないキッチン付きのリビングには、すきま風が吹きこむ箇所もある。冷え込む室内は、中に炭を入れて暖を取る缶型のストーブでどうにか暖めていた。
そんな家にエヴァと住まうようになって、七日が過ぎた。劣悪と言う他ない環境で、勝手の違いから戸惑うこともあったようだが、エヴァはこの七日間を約束通りヴァニティのそばから離れずに過ごした。弱音のひとつも吐くことはなかった。
エヴァの尽力の甲斐あって、ヴァニティの家は七日前とは見違えるほど過ごしやすくなっていた。床も壁も磨かれ、天井の蜘蛛の巣は取り払われ、使われずに放置されていたキッチンも、今や料理が出来る程度にはなっている。
余計なことはしなくていい。ヴァニティは何度もそう言った。だが「これが仕事だから」と聞かず、半ば強引にエヴァは家事をこなした。止めたところで無駄だと、今はもう悟っている。
「今日もお仕事はなさらないの? 『鉄の手』さん」
数日前に新たに買い求めてきた椅子に座り、大きな布地を縫い合わせているエヴァがそう問いかけた。谷底に下りて来た日と同じ、お気に入りだというドレスを着用している。
「……ああ」
ヴァニティはその向かいに座り、銃の手入れをしていた。分解し、清掃を済ませたパーツを組みなおしていく。着ているのはいつものレザーの衣服ではなく、簡素な布で作られたシャツとパンツだ。仕事をする身なりではない。
「どうしてそんなことを訊く?」
「そろそろ私の依頼を受ける気になったかと思いまして」
「……」
「急かしたりはしませんわ。ゆっくり考えて下さって結構です。約束の期間は、まだ十日以上もありますもの」
けれど、とエヴァは繋ぐ。
「ずっとこのまま、とはいかないのではなくって? 先立つものだって、いつかはなくなってしまうのですもの」
「……。少しくらいなら、まだ余裕はあるさ」
ヴァニティはそう返したが、事実は違った。先日稼いだ金貨はもうほとんど使ってしまったし、蓄えも多いわけではない。そろそろ何か仕事をしなければ、生活に影響が出る。エヴァはかなりの額の金を所持しているようなので心配はいらないだろうが、自分は別だ。だからといってエヴァの持つ金を頼りにすることも憚られた。
(指輪ばかりを気にしてもいられない、何か仕事は受けないと……)
手入れを終えた銃を見つめ、ため息をひとつ。製作者にスケープゴートと名付けられた一点物のカスタムリボルバーが、冷ややかな光を放つ。
それをテーブルの上に置いた時、起きた振動で、側に置かれていた針山から、ひとつまち針が床に落ちた。
「あ……」
「いい。俺が拾う」
立ち上がろうとしたエヴァの代わりに、ヴァニティは身を屈めて左手を伸ばした。先の尖った鉄の指が、器用に針をつまみ上げ、針山に戻した。
「ありがとうございます。……。ねえ、差しつかなければ、ひとつ伺っても?」
「何だ?」
「その左腕のことですわ」
エヴァの視線が、ヴァニティの左腕に注がれる。
「気になるか」
「最初はただの義手かと思いましたが、自由に動かせるようですわ。ずっと小手を着けているというわけでもなさそうですし……」
「……曰く、芸術品、だそうだ」
エヴァは「?」と首をかしげる。
「これを作った自称アーティストはそう言った。アーティファクトを利用した、特別製の多機能型義手。オートマトンピース、と名付けられている」
アーティファクトは、人類が再現出来ない技術、あるいは現象を実現する物体の総称だ。内包する力や希少度により、特級、一級、二級、三級の四段階に区分される。例を挙げると、三年前の事件の中核となった咎の種火は特級のアーティファクトだ。一方で、日常的に照明として使われる鉱石である灯石は三級に属する。
「豪雷鳥の羽毛という二級アーティファクトを使っている。そもそも人間は、体を小さな電気の信号で動かしているから、その電気をアーティファクトの力で増幅して、どうのこうの……って話だった」
もっと詳しい説明は受けたが、もうヴァニティは忘れていた。覚えていなくても、腕を動かすのに問題はない。
「自分の腕として、普通に扱えるものですの?」
「一応は。ただ、物に触れても、触れていることを感じる機能はないと言われた」
「それは不便なのではなくって?」
「だが、不思議と触れているように感じる」
嘘ではなかった。物を掴めば物を掴んでいるように感じるし、人を殴れば殴った手ごたえを手先に感じるのだ。何故そうなのかは不明だが、腕を腕として扱うにはむしろ好都合だったため、ヴァニティは深く考えないことにしている。
「不思議ですわね。……それにしても、そのような物が世にはあるなんて。私、全然知りませんでしたわ」
「一般に流通してる物じゃない。そこの銃もそうだが、こいつは世界に一つしか存在しない。……こういう物を作る、ただそれが目的っていう人間もいるんだ。谷底にはな」
「変わったお方のようですわね。……では、やはり」
すっと、エヴァの両目が細くなった。
「そこに、あなたが生まれ持った左腕は存在しないのですわね」
「…………」
「その理由を伺うのは失礼かしら?」
ヴァニティは口を閉ざした。
何も言えるわけがない。……明かせる過去など、そこには存在しない。
愛した人の瞳。
親友の期待。
信頼の言葉。
期待のまなざし。
……戦闘。
次々に命を落としていく戦友。
悲鳴。
爆音。無音。
そして……赤く、赤く光るそれに伸びていく、左腕。
「……」
ぐさりと、脳内に何かが刺さるような感覚がした。
「『鉄の手』さん?」
ヴァニティは声に顔を上げた。
一瞬、エヴァの顔と、記憶の中のオードリーとが重なる。
「っ」
「……訊いてはいけなかったことのようですわね」
「……」
「失礼しましたわ。忘れて下さいまし」
「…………。ああ」
ヴァニティが深く息を吐きだしたのと同時に、扉を叩く音が聞こえた。
「あら、お客様かしら? 珍しい」
「待て」
ヴァニティは瞬時に目に険しさを宿した。
「俺が出る」
テーブルの上の銃を左手に取り、手早く弾を一発だけ込める。背後に隠すように持ちながら扉に近づく。
扉を開けると、そこには黒いマントを着込み、目深にフードを被った人間が立っていた。かなりの長身だ。
「よっ。左腕は痛んでないか?」
そう言って、指でわずかにフードを持ち上げ、快活に微笑む。金の短髪と、すっと通った鼻筋が覗き見える。一目ではわからなかったが、ヴァニティにとっては古くから縁が続く友人だった。
「……ギル? お前、ギルか」
ヴァニティは銃を持つ手から緊張感を抜く。ギルバート・トンプソン。コールドウェル家に代々仕える騎士の家系だ。当然のことながら、今はエステルの配下に属している。
「見てわからなかった?」
「ああ、一瞬な。……ずいぶん背が伸びたな」
「へへ、だろ」
ふたつ年下のはずだが、ギルバートの身長はヴァニティを少し超えている。逆に声はヴァニティの記憶よりもずいぶん低くなっていた。
「まだまだ伸びるぜ。すぐに見下ろすくらいになってやる」
「そうか。……元気そうで何よりだ」
二人は軽く握った拳を触れ合わせる。何度も共に戦い、死地をくぐり抜けた兄弟のような絆が、自然とそうさせていた。
「しかし珍しいな。直接会いに来るなんて」
「たまには兄貴分の様子も見ておこうかと思ってさ。こんな場所だし、暮らすのには不自由や不満も多いだろ?」
人好きのする笑顔を隠さずに浮かべるギルバート。その声にも曇りはない。
「どうなんだ? もし何か困ってるなら――」
言いつつ、ギルバートはちらりとヴァニティの体越しに部屋の中を見た。
「――え?」
ギルバートの表情と体が固まった。
「…………。え……ちょ……マジで?」
何を見たか、ヴァニティにはすぐに察しがついた。
「待て、誤解するなギル。あれはだな」
「や、マジか。……まさかあのイーサンが、家に女の子を」
「おい、よせ」
「あ、ごめんつい」
制止しつつ、ヴァニティは家の中に目を向けた。……エヴァは裁縫を続けている。こちらには目を向けていない。
「……気を付けろ」
「ごめんって。……あー、ま、まあまあ、ね? まあそうだよね。はは、まあ……ね? 人間だもんね? それに男だもんね?」
「だから誤解……」
「安心してよ。僕は気にしないし、誰にも喋らないからさ」
「余計な気を遣うな、違うって言ってるだろ」
「まあまあ、そう隠さなくってもいいじゃん。楽しくやってそうで何よりだよ、はははっ。……まあ、当主には黙っといた方がいいかも? とは思うけど」
「……。要件は」
ヴァニティは頭を抱えたくなったが、そんなことをしても何の解決にならないことにも気づいていた。ギルバートに話を促す。
「ああ、そうだった。当主からの伝言。夕刻、例の食堂で待ってる、だってさ」
「……そうか」
当主、つまりはエステルのことだ。指定された場所はピジョン。考えるまでもなく、仕事の話だろう。
「お前を伝言係にするとはな。それだけ大きな仕事ってことか?」
「僕は何も知らされてない。当主から直接聞いてよ。……あと、わかってるとは思うけど」
一瞬、ギルバートは視線を家の中に投げた。
「必ず、一人で来てくれよ」
「……わかってる」
詳しい内容はわからないが、それでもいい。エステルと話せばすぐにわかることだ。それよりも、無意味な念押しをされたことがヴァニティをもやつかせた。
「用事はそれだけ。それじゃあ、僕は邪魔にならないように退散するよ」
「おいギル、だから変な勘違いを……」
「わかってるって。それじゃね!」
ギルバートはフードを目深に被って笑顔を隠し、背を向けて離れて行った。
(……何が、わかってる、だ)
誤解を解くためにギルバートの背中を大声で呼び止める気にはなれない。ヴァニティもさっさと扉を閉める。
「お知り合い?」
エヴァはテーブルに着いたまま様子を伺っていたようだ。ヴァニティは一応頷き返す。
「いつもこうだとは限らない。……次からは見ないでおくことを薦める」
「わかりましたわ。危ないところですのね、谷底って」
「帰る気になったか?」
「あなたの側なら安全でしょう?」
怖がるどころか、そんな返しをしてくる。ヴァニティはやはりエヴァを谷の上に帰らせようとしても無駄だと再認識する。どうにか彼女から指輪を受け取るまでは家に住まわせていてもいいが、その後どうするか、何か策を考えておく必要がありそうだ。
「……。今日の夕方、仕事の話をしに行く」
「あのピジョンという食堂?」
「ああ。ただし行くのは俺一人だ」
当然、この家にエヴァを一人残していくことになる。
「ここは谷底だ。安全だとは思わない方がいい。俺が帰るまで外には出ないで、何があっても扉は開けるな。誰か来ても無視した方がいい。それと、暗くなっても明かりは灯さないこと。ストーブもなしだ。寒ければ着込んで耐えてくれ」
「わかりましたわ。……お料理くらいはいいですわよね?」
「……」
「あら、だめですの? でも、あなただって帰った時に温かいお食事があった方がいいんじゃないかしら」
「誰かいるって気取られるだけだぞ」
「それだけで襲ってくる人なんていますの? 谷底とは言いますけれど、あなたの家でしょう?」
「だから危険なんだ」
今までどれだけ恨みを買ってきたかわからない。そうでなくても谷底は荒くれ者どもが多い。万が一にも、エヴァが危険な目に遭うことは避けたい。指輪を手に入れ、谷の上に帰すまで、無事でいてもらわなくては困るのだ。
「大丈夫ですわよ。『鉄の手』さんの家ですもの。誰も襲ったりなんかしませんわ。……襲うとしても、夜、寝込みを襲う、とかじゃありませんこと?」
「……」
確かにそれは的を射ている。事実何度も襲われたことはあるが、決まってそれは寝込み、深夜の時間帯だ。
「……。誰か来たら、火はすぐに消せよ」
結局、折れたのはヴァニティの方だった。
「はーい。ではあなたも食事は済ませずに帰って来て下さいね? ……さ、後はこれを早く終わらせなくっちゃ」
「……ここ数日ずっと何をしてるんだ、それ」
ヴァニティはエヴァの手に握られているものに目を向けた。ここ数日間、手すきになると、エヴァは決まって裁縫をしている。どうやら、衣服に準ずる何かのようだが……。
「すぐにわかりますわ。あなたがお出かけになる、その時に」
「……?」
含みを持たせた笑みを浮かべ、エヴァはヴァニティを見上げた。
「楽しみになさっていて」




