三章 七節
「…………っ。はあっ…………はあっ……」
剣を杖代わりに床に立て、ヴァニティはギルバートを見続けた。頬にかかった返り血を汗と一緒に拭った後、ギルバートに近づく。
光を失いながらも、見開かれ、天井を見続ける瞳を見下ろす。
「…………」
その目にかけられる言葉を、ヴァニティは自分の中に見つけ出すことが出来なかった。
無力な自分に歯噛みしながら、静かに、出来る限り優しく、その両目を閉じてやる。
「すばらしいわ。イーサン」
背後から声がしても、しばらくヴァニティは動かなかった。
「あれだけの騎士と傭兵を、たった一人で……。ギルバートもやっぱりあなたには勝てなかった。かつてホワイトフレークを背負っていくって期待された力は、伊達じゃないわね」
「……すばらしい?」
鼻で笑いながら立ち上がり、ヴァニティは振り返った。
「これがか?」
手を広げて、エントランスの惨状をエステルに指し示す。エステルはハンカチで口元を押さえながら、ドレスが汚れないように血に濡れた床を避けて立っていた。いらつきながらも、構わずヴァニティは続ける。
「みんな死んだ。誰も彼も一人残らず、ギルもな。……だがこの中に、一人でも殺されるべき人間がいたか? そんなクソ野郎がいるとしたら、今こうして生きてる俺だけだ。……俺に力があったとしても、これは褒められるような使われ方じゃない」
「それでもあなたの才と能力は、認められるべきものでしょ? わたしは認めるわよ」
「なら俺にもそう思わせて欲しかったもんだ」
剣を握る手が、強く震える。
「……全部聞かせてもらうぞ、エステル。何故俺を生かした。……そしてお前は、あの赤い液体で、何をしようとしている」
「……」
エステルは、長い瞬きとともに頷いた。
「着いてきて」
「……」
長銃剣を収め、ヴァニティは屋敷の奥へと歩き出したエステルに着いていく。広い間隔を開けたまま、死が満ち満ちたエントランスを後にし、廊下を進んで、屋敷の最奥へ。さらにそこから、地下へと進む階段を下りていく。その終点にある部屋の扉を、エステルが開いた。
「入って」
先に入室したエステルを見届けてから、ヴァニティは部屋へ足を踏み入れた。
そして、思わず息を止める。
部屋を一回り狭いものにしている棚は、どれも赤い液体が満ちた瓶でいっぱいになっている。部屋を照らす照明は灯石たったひとつ。薄暗い部屋は、液体の赤みで不気味に染まっている。
そして、部屋の一番奥にあったものは……人間の、左腕にしか見えない形状の物。
焼け焦げたように真っ黒になり、その奥に覗く炎の脈動は、とても生き物の物には思えない。しかし、確かにそれは……。
「あなたの腕よ。イーサン」
エステルはその側に立ち、ヴァニティを振り返った。
「三年前のあの日に斬り落とした、咎の種火を握りしめていたあなたの腕。……長時間毒素と一緒にその力を吸い込んだせいで変異して、アーティファクト化してるの。すごいでしょ」
「……こんな物をどうして残しておいた?」
「……。ずっと思ってたんだけど」
エステルは眉をハの字にした。
「ねえイーサン。あなたって鈍感よね」
「……何の話だ」
「わざとじゃなくって、本当にわかってないのよね? ……正直、そういうところはちょっと嫌い」
「だから何の話だ」
「わかって欲しかったなって。そういう話」
エステルはヴァニティに背を向け、保存容器の中の左腕を見上げた。
「あなたを助けたかった。それは、あなたがあなただから。左腕も失いたくなかった。それは、これがあなたの腕だったから。……そういうことよ」
「…………」
「……愛してる人を大事にしたいって思う気持ちくらい、あなたにもわかるでしょ?」
こんなことまで言わせないでよ。エステルはそう繋いだ。
「咎の種火を握りしめたあなたを見つけた時、思ったわ。助けられるのはわたししかいない。わたしだけがあなたを助けられるって。……だからあなたを助けるために、わたしが出来る全部のことをした。あなたを利用したお父様を当主の座から引きずり降ろして、あなたが危険な目に遭う原因になった国を黙らせて、アーティファクトを手元に置いた。あなたに不自由な暮らしをさせてしまうのは心苦しかったけどね。でも仕方ないじゃない? あなたを生かして、繋がり続けていくには、貴族と傭兵って関係しかなかったんだから」
「……。それなら」
その質問をする勇気を振り絞るのには、少しだけ時間が必要だった。
「オードリーを殺したのも、俺のためだったって言うのか」
「…………」
「答えろ、エステル」
「…………。本当はあなたが生きてるってことは、隠し通さなきゃいけなかった。わかるでしょ? あなたとオードリーを会わせるわけにはいかなかったの」
「殺す必要がどこにあった」
「頑固なところあったじゃない、彼女。……言っても聞かなかった。でもねイーサン、やっぱりそれでよかったのよ」
「よかった……だと?」
今までに感じた事もないような、激しい怒りが自分の中で渦巻くのを、ヴァニティは感じた。
「罪とは無縁の人間が死んだのを、それでよかったんだで片付けるのか?」
「お願い、聞いてイーサン。……少し経った後にね、この腕がある力を秘めていることがわかったの」
エステルの瞳が、左腕の奥で脈動する炎を映す。
「さっきも言ったけど、ある時この腕がアーティファクトと化してることがわかったの。咎の種火と同じように、とても強力な炎を生み出す能力を秘めてる。そして、そのエネルギーによって、これは腕だけで生きているような状態になってるの。腕の中はそのエネルギーが、まるで血液みたいに循環し続けてる。……そのエネルギーを秘めた液体が、切断面から流れ出てくるの。もうわかるでしょ? ……焼尽灰と同じ、いやもっとすごい力を持つ、赤い液体。わたしはエンゼルブラッドと名付けたわ」
エステルは両手を広げてみせた。ヴァニティも今一度部屋の棚の中に目をやる。
小瓶一本飲み干せば、たちまち人が人でなくなる。……それを念頭に置くと、おぞましく感じる量だ。
「液体が秘めたエネルギーが人体に作用すると、肉体を飛躍的に強くすることもわかった。……だけど、咎の種火や焼尽灰と同じように、強い毒素を持っていることが問題だったの。人を超えた力を得られはしても、それじゃあだめ。……でもその毒素さえどうにか出来れば。……わたしはその方法を捜し続けた」
「何人もの人を犠牲にしてまでか。そんなことをした理由は何なんだ」
「察してよ。……あなたのため」
「……頼んだ覚えはない」
望みもしなければ、願いもしていない。
それを物語るヴァニティの眼差しは、しかしエステルの視線とは交わらない。エステルはまだ、左腕を見続けている。
「わたしは、あなたがずっと谷底で暮らし続けるなんて耐えられなかった。あんな場所はあなたにはふさわしくない。あなたは光の下で生きるべきよ。英雄と呼ばれてたあの頃のように……誰もが認める騎士として生きていた時のように。そのための道をずっと探してた。そして、この腕がそのキーになるって思った」
エステルはようやく、ヴァニティの方へ向き直った。
「あなたは戻れるのよ。英雄と呼ばれた、イーサン・ヒューズに」
その目には、揺るがない信念の光が満ちている。
「そのために、この腕をあなたに返すわ」
「……何だって?」
「鉄の腕がくっつくんだもの、それくらいは絶対に出来る。それが出来れば、あなたは人でありながらアーティファクトを体に宿した、人を超えた存在になれる。今のあなたでさえものすごい力があるのよ。誰も何も敵わない力を、あなたは手に出来る」
「……」
「でも、それにはまだ少しだけ時間が必要なの。ギルバートに実験させていたけど、毒素を中和する方法はまだ見つかってない。それが見つかるまでは我慢してもらうしかないわ。いくら焼尽灰の毒素に耐性があるあなたでも、やっぱり心配は心配だしね」
「そのためにまた犠牲を払うのか? ……エヴァも、ギルも、騎士や傭兵たちも。誰もが傷ついて、多くの人が死んでいったんだぞ」
「わたしはあなたさえいればいい。そのために犠牲が出ても、それは仕方のないことだわ。……もしわたしの思い通りになれば、あなたは『鉄の手』と呼ばれる必要なんてなくなる。またホワイトフレークの英雄として、多くの人を救える人に戻れる。……わかっているわ。あなたはイーサン。イーサン・ヒューズだもの。その心は、まだ多くの人を助けるために燃えているんでしょ? わたしなら、その心に寄り添える。あなたが戦う手助けが出来る。……死んだオードリーや、他の女には無理よ」
エステルは右手を開き、差し出す。
「信じて。わたしになら、あなたを幸せにしてあげられる。あなたのためなら、わたしは何でも出来る。その覚悟を、どうかわかって? イーサン」
「……………………」
怒りを抱え続けたまま、ヴァニティはエステルを見続けた。
ゆらゆらと、赤い光がその瞳に映り込んで揺れている。
沈黙の中で、時だけが、刻一刻と進んでいく。
長い時間、ただエステルを睨みつけ続けたヴァニティの目が、ふっと柔らかくなった。
「わかったよ」
言いながら、右手を差し出す。
ぱあっと表情を明るくし、エステルが駆け寄る。
「イーサン……!」
伸ばした手を、ヴァニティの右手に絡めながら、そのまま胸に飛び込む。
エステルは、ヴァニティが素早くマントの襟に左手をやったことに気が付かなかった。
「痛っ」
小さな痛み。
ヴァニティの胸の中で目を閉じたエステルの眉間に、皺が寄る。
「受け取れ」
鉄の左腕、その指が、エステルの右手からそっと離れる。
「『デスブリンガー』からのプレゼントだ」
耳元で囁いた後、ヴァニティは体を離した。
憐れむような目をするヴァニティを訝しみながら、エステルは痛む自身の右手に視線を落とした。
赤い指輪。……エンゼルブラッドの指輪が、右手の薬指にはめられている。これが痛みの原因だ。
外すと、わずかに指輪が血の糸を引いた。……それが繋がる先には、針。裁縫に使う小さなまち針が、着用者の指に刺さる角度で、裁縫用の糸で指輪に結び付けられていた。
「何のいたずらよ? イーサン」
「崩れた過去の元通りを願っても、同じ未来は作れない。死んだ人間が生き返らないのと同じようにな」
「……?」
「……だから。胸を張れる未来を、俺は願う。そのために、俺は今を選ぶ」
何よりも強い光、しかし怒りではない輝きが、ヴァニティの目に宿っていた。
「覚えておけ。……ヴァニティ。それが、俺の名だ」
その瞬間。
「!?」
がくんと、ヴァニティの姿が震えて見え始めた。
……いや、違う。震えているのは、自分だ。
「が、あっ、ぐぁ……は、あっ……が……!?」
おかしい。体が震える。息が苦しい。自分の指すら震えて見える。いったい、何故。
きらりと、手にした指輪の針が光った。
(……! まさか……)
エステルは気付く。
(エヴァ、あの女……!?)
毒だ。……大男ですらひと咬みで殺したという、あの毒蛇のインピュアの毒。それがこの針に塗られていたとしか考えられない。
気付いたところで、どうしようもなかった。さらに震えは激しくなり、呼吸は困難になるばかりだ。涙が出始めた。それを指で拭うことすら出来ない。
苦しい、苦しい、苦しい。震える、震えが止まらない。力が入らない。
たまらず膝をついた。視界には、自分の手が映っている。指が何十本もあるように見える。
赤い光が、きらきら光っている。
指輪の光。エンゼルブラッド。
愛する人を常に身近に感じていたくて作らせた、自分だけの指輪。
その人はどこ? どこにも見えない。
ただ、揺れる。指輪が揺れている。……もう、持っていられない。
「ぁ……」
落ちた。
弾けて、割れた。
赤いきらめきが、目の前で、ぼうっと消えて。
後は、紅蓮の炎に変わった。
「あああぁぁあぁぁぁああぁぁああぁ…………」
指輪の中の液状焼尽灰は、瞬く間に燃えて広がった。床から、飛沫を浴びたエステルのドレスに燃え移り、そこからすぐに全身に火がまわる。自慢の白い髪にも火が付き、先端から根本へと、真っ黒に燃えて焦げていく。
「……」
無表情のまま見下ろしたヴァニティは、長銃剣を抜いた。
まずは、右側の棚。棚に剣を叩きつけて、中の瓶ごと破壊する。すぐに火が付き始めた。左側の棚も、同じように叩き割る。
そして、最後。自身の左腕だったものへと視線を定める。
業火に飲まれ始めた部屋の中央に立ち、半身になって長銃剣を構える。
「……やっと、楽になれるぜ。イーサン・ヒューズ」
一息に突き入れ、そのまま引き金を引く。
砲のような銃声。左腕が粉々に砕け、中の液体が溶岩のように溢れ出して周囲に散らばった。
部屋の中はすでに灼熱の地獄だ。一分と留まっていることは出来ない。そしてこの炎はすぐ屋敷全体に広がっていくだろう。
「……」
一瞬、ヴァニティは床にうずくまるエステルに目をやった。
もう生きてはいない。……彼女が守り続けた物が生んだ炎に包まれたこの部屋が、彼女の棺となる。
彼女は間違いなく友人だった。命を救い、生きる道を与えてくれた恩人でもあった。
しかし、どんな想いを向けられようとも、彼女と歩むことは選べなかった。これから訪れる未来の先では……どうしても。
エステルへ何も告げないまま、ヴァニティは隠し部屋を急ぎ後にする。
その心に、恨みはない。
ただ、彼女へと指輪を贈った左腕に、疼くような痛みを感じていた。




