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三章 四節

「少しは休めたか?」

 店の外では、空が深夜から一歩だけ早朝へと足を踏み出し始めていた。まだ深い眠りの中にいるか、もしくは酒の力にようやく寝かされた人間が大半の時間帯だ。

 ピジョン、マスターの隠し部屋。マスターはそこのテーブルに人数分の飲み物を用意した。

「とっておきの茶葉を使った。飲め」

 褐色の茶が満ちたカップが、みっつ。ヴァニティとエヴァは並んでソファに座り、勧められた通りに茶を口にした。寝起きに心地よい香りと渋み。体も温まる。

「具合はどうだ? 『ミス・デスブリンガー』」

「ええ、大丈夫。……エヴァよ。よろしく、マスターさん。美味しいわ、これ」

「そいつはよかった」

 マスターは口元を緩ませる。好きな茶葉を褒められ、嬉しかったようだ。

 エヴァはカップを手にしながら、部屋の中をぐるりと見まわした。 

「こんな部屋があるなんて外からじゃわからなかったわ。傭兵さんの仕事って、秘密めいたことがたくさんあるのね。ヴァニティ」

「……本来なら、マスターに認められた傭兵しかここには入れないんだ」

「じゃあ、今日の私は特別?」

「そういうことになる」

 それだけの理由があって、自分は起こされ、エヴァはここに呼ばれた。ヴァニティはそれをすでに理解している。

「二人とももう少し寝かせてやりたかったものだが、こっちも出来るだけ早く話をしたくてな」

「その話ってのは? マスター」

 隠し部屋のソファに眠ったせいで、首や肩の筋にかすかに痛みを感じながら、ヴァニティが問う。

「例の隠れ家を仲間に調べさせた」

「何かわかったのか」

「仲間は隠れ家から気になる物をいくつか回収してきた。取るに足らない薬品類や等級の低いアーティファクトがほとんどだったが……。その中にこんな物があった」

 マスターは燕尾服の内ポケットから、手のひらに収まるサイズの小瓶を取り出した。

 その中を見て、ヴァニティとエヴァはそろって目を見開いた。

「そいつは……」

「あの指輪と、同じ……?」

 量はほんのわずかだが、それでもそれがエンゼルブラッドの内部と同じ、真紅の液体だということは二人にはすぐにわかった。

「……おれの目に間違いはなかったか。お前たちが出会った時、何やら変わった指輪を前に話をしていたのはカウンターから見ていたが」

「……あんな一瞬だったのに、見ていたの?」

「ピジョンでおれに隠し事が出来るとは思わない方がいいぞ、『ミス・デスブリンガー』。……それで、こいつの正体だがな」

 わずかに溜めて、マスターは言った。

「焼尽灰だ」

「!」

「世にも珍しい宝石なんかじゃない。仮にこの瓶を床の上に叩きつけたらどうなると思う? 途端にピジョンが火に飲まれるぞ」

 ヴァニティは信じられない物を見るような目で小瓶を見る。

「まさか、液体の焼尽灰なんて……」

「ああ。おれも今まで見たことがなかった。……ミスがなければ、もっと大量に回収出来たかもしれないが」

「ミス?」

「回収する際、仲間はこいつと同じ物をひと瓶床に落としてしまったらしい。途端に発火して木材に火がまわり、例の隠れ家は全焼、転がっていた死体もろとも丸焦げだ。……もっとも、そのミスのおかげでこれの正体が明らかになったんだが」

「その仲間は」

「命は助かったがしばらくは動けん。火事の際に出た煙で、軽度ながら中毒を起こしている。その症状は……言わなくてもわかるな?」

「焼尽灰特有の症状。……毒性もそのまんま、ってことか」

「そういうことだ。話を聞く限り発火性も高い。こうして容器に密封しているぶんには大丈夫なようだが……くれぐれも強い衝撃は与えないよう気を付けることだ」

「……新型の焼尽灰。言わば、液状焼尽灰(リキッドバーンアウト)……」

 ヴァニティは言葉を失い、赤い液体が入った小瓶を睨み続けた。今出回っているものだけに留まらず、こんな新しいタイプの焼尽灰が存在するとは。

「こいつはひとまずそう呼ぶことにしよう。……もうひとつ情報がある。この液状焼尽灰だが、家畜小屋かと勘違いする有様の部屋にあったそうだ。ヴァニティ、覚えはあるか」

「ああ。中を詳しく調べはしなかったが、傭兵の男が鎖で繋がれてた部屋に違いないだろう。覚えてないか? 先日店で問題を起こしかけたあいつだ。……となると、あいつは液状焼尽灰を体に入れられて……」

「……そして凶暴化、か」

「それだけじゃない。体も以上に膨れ上がっていた。……最初は奴があの傭兵だってわからなかったくらいだ」

「ふむ……従来の焼尽灰にはない効果だな。興味深いが、しかしそれで理性を失ってしまってはな。……もっとも、やった奴らはそれを承知なはずだ。むしろこいつの効果を確かめるために傭兵を使っていたとも考えられる。金、力、そして恨み。誘い文句にも事欠かなかっただろうな」

「谷底で誰かが焼尽灰中毒で死んだところで大した話題にはならない。傭兵たちなら体も丈夫だ。……みんな都合のいい実験体にされたってことか」

「その可能性が高いだろう」

 マスターは小瓶をテーブルの上に置き、ようやくヴァニティたちの向かいに腰かけた。

「さて、おれからも質問がある。エヴァ、例の指輪はどこで手に入れたんだ」

 温かな茶で口を潤しながら、エヴァは質問に答えていく。

「スミス家の令嬢が使っていた屋敷よ。奴隷を買って遊ぶっていう、ただそのためだけの屋敷」

「盗んだのか?」

「うん。ヴァニティが仕事をした後の隙を狙ったの」

 エヴァは視線を横のヴァニティに向ける。

「あの夜のことか。……やけにタイミングが良かったな。何故そんなことを」

「ずっと狙っていたのよ」

 その言葉が指しているのは指輪だと、ヴァニティは思った。

「あなたに近付くための理由と、機会を」

「……俺に?」

 だが、それは違った。

「そう。指輪を盗んだのは、そのためのきっかけを作るためよ」

「……? どうしてだ、どうしてそうなる。俺はあの指輪のことなんて、何も……」

 ヴァニティはエヴァの真意を解せないでいる。マスターも同様だ。

「……そうね。……最初から話すわ。その方がよさそう」

 エヴァは二人の視線を受け止めながら、話し続けた。

「三年前に起きた、咎の種火事変。あの日、イーサン・ヒューズがその姿を消した。……誰よりも愛した女の子を残したままね」

「……」

「それからすぐに、エステル・コールドウェルの告発で、首謀者が当時のコールドウェル家当主、パトリック・コールドウェルだって明かされたわ。彼は処刑されたけど、実行犯のイーサンは遺体が見つからなかった。もちろん咎の種火の爆発に巻き込まれたんだって多くの人は思った。二つの国の兵士を大勢巻き添えにして、灰で汚れて立ち入れない荒野を作って死んでいった罪人。人々の記憶に、彼はそう残ってる。……だけど」

 カップを握る手に、力がこもる。

「オードリーは違ったわ。誰に何を言われても信じてた。……イーサンがそんなことを望むはずがないって。そして、今もどこかで生きているんだって」

「…………」

「正しかったわ、オードリーは。……ね?」

「……。ああ」

 目の奥が熱くなる。自分を疑わず、信じてくれた人は、確かにいた。

「でも、オードリーは死んでしまった。……あなたを捜して、そして亡くなった」

「……」

 それもまた、真実だ。自分を信じたが故に、彼女は足を踏み入れてはいけない場所へと立ち入ってしまった。

「私はその後を引き継いだの。亡くなった彼女の代わりに、イーサン・ヒューズを捜し出すって」

「……どうして」

「決まってるじゃない」

 にこりとエヴァは微笑む。

「私も信じてたからよ。あなたを」

「っ……」

「あなたと姉が心を通わせているのを、出ることの出来ない屋敷の窓からずっと眺めてた。憧れて、ちょっと羨んで……。そんな二人を見ていて、幸せを感じてた。……だから思ったのよ」

 笑顔を消して、真剣な表情でエヴァは告げる。

「イーサンは、オードリーだけを残して逝くようなことは絶対にしないって」

「…………」

 言葉もなく、ヴァニティは目を閉じる。かすかに、その目頭が震えている。

「……。話の腰を折ってすまないが」

 マスターが軽く手を上げて割り込む。

「ヴァニティ。お前が捨てた名の男は、一般には罪人として知られている。それは真実なのか? お前は自らの意志であの事変を起こしたのか? ……そしてお前は、どうやってあの爆心地から生き延びたんだ。咎の種火の爆発に巻き込まれたというのに……何故」

 ヴァニティはわずかに両目を開き、心労を感じさせる声で応える。

「……。……何も疑わない馬鹿だったんだ、俺は」

 今も脳裏に焼き付いて離れない記憶を、ヴァニティは語り始める。

「冬の終わりの、雪の日のことだった。隣国ヒートヘイズが保有しているアーティファクトが、ホワイトフレーク襲撃の前準備として移送されるという計画がある。騎士としてそれを阻止し、アーティファクトを奪取して欲しい。……そういう話だった。任務を与えたのは、パトリック・コールドウェル。俺は何も疑わずそれを受けた。ウォルコット家を離れて、コールドウェル家の客員騎士として。別に俺としては珍しい話じゃなかった。コールドウェル家の騎士は訳あって使えないと言われた。だから俺はごく少数の信頼出来るウォルコット家の騎士仲間を連れて、野営していた移送部隊に夜襲を仕掛けた。……相手は大人数、数的には圧倒的な不利。しかも襲撃場所は身を隠す場所の少ない、雪の積もった草原地帯。すぐにバレたが、やるしかなかった。何人ものヒートヘイズ兵士が波のように襲い掛かってきて、一人、また一人と仲間は倒れて行った。相手取っている間に、アーティファクトを輸送していた馬車が遠ざかっていこうとしてた。……逃がすまいと思って、俺は隙をついて手にしていた剣を馬車に向かって放り投げた。馬車の車輪に当たって、車体が傾いた。その直後、武器を失った俺に、何人もの兵士たちが突撃して来た」

 深いため息が、カップの湯気をさめざめと吹き飛ばす。

「……真夜中の草原が、真昼のように明るくなった。兵士たちを背中側から照らす閃光に、俺は思わず目を閉じた。……そのまましばらく、気を失っていたらしい。気が付いた時、俺は何か重たいものの下敷きになっているんだと気付いた。必死に這い出てみると、どうだ。……それは、俺に迫って来ていた、ヒートヘイズの兵士たちだった。皮肉にも、俺を殺そうとしていた奴らの体が盾になって、俺は生き延びることが出来たんだ。……俺以外に、誰一人生きている者はいなかった。……一瞬で溶かされた白い雪の代わりに、甘い匂いのする黒い灰が降り積もる地に、ただ俺だけが立っていた。そしてその中心に……それはあった。真夜中の荒野に、小さな太陽が落ちているように見えたよ」

 だがそれは、この地を一瞬のうちに炎で飲み込んだ、死の種火だった。

「あのままにしてはいけない。そう思って俺は、咎の種火に近づいた。あちこち痛む体を引きずって、何かの破片が刺さって使い物にならなくなった右手ぶら下げながら。……信じたくなかったよ。その気になれば片手で持てる、人の頭よりも小さいそれが、とんでもない爆発を起こしたなんてな。……俺はそれを、左手で掴み上げた。今すぐにでも手放したくなるような熱さ。体の芯を焼くような熱気。そして持っているだけで、頭の中がぐらぐらと揺れて、今にも気を失いそうだった。だが放っておけなかった。どうにかしなきゃいけない、ホワイトフレークまでこれを持ち帰らなければいけない。でなければ、こいつはまた多くの人を焼き殺す。……そして俺は歩いた。ホワイトフレークへ。……咎の種火を持ち帰るために。……生きて戻るために」

 長い話を終えて、ヴァニティは深く、深くため息をついた。

「……そこから先は覚えてない。次目を覚ました時は谷底にいた。しかも半年も時間が経ってた。……そのあたりのことは、むしろマスターの方が知ってるんじゃないか」

「……。ああ、そうだな。見覚えのない奴らが、左腕のない半死半生の青年を連れてきて、谷底の一角に身を潜めたって話は耳にした。今思えば、あれがお前だったか、ヴァニティ」

「エステルに助けられたんだ。公には俺を死んだことにして、コールドウェル家の人間を使って世話をしてくれていた。左手は助ける時にやむなく斬り落としたらしい。咎の種火の熱と、傷から入り込んだ毒素のせいで、どうしようもなかったと聞いた」

「なるほどな。それが、谷底に『デスブリンガー』が生まれ落ちた背景、というわけか……」

「……俺は何も知らない馬鹿だった。目の前の人間や耳にした言葉をただ信じて、考えなしに進んでいたんだ。……大罪人ってのは間違ってない。大勢を死なせて……信じた人の信頼にも背いた。極めつけに……」

 ヴァニティはカップを置いた後、持っていた銃弾をいくつか取り出し、テーブルの上に放り投げた。ころころと音を立てて、その中のひとつが、液状焼尽灰の入った小瓶にこつんとぶつかる。

「こいつだ。……焼尽灰。俺が目を覚まして間もなく、こんなものが出回ってると知った。……初めてこの匂いを嗅いだ時、途端に思い出したよ。あの爆心地と、咎の種火をな。……同じ匂いがするんだよ、あの真っ黒な地獄と」

「な……」

「誰も何も言わないが、俺にはわかってる。焼尽灰は咎の種火から作られてるんだ」

 一度驚きはしたマスターだったが、すぐに顎に手をあて、頭を冷静に回転させ始めた。

「……咎の種火事変が起きたのが三年前。焼尽灰が開発されて出回ったのはその数か月後。時期的な矛盾はない。それまでに新型の火薬を開発しているなんて話はまったくなかった。……火力の高さも、アーティファクトの力を秘めているとするなら、説明はつく。……あながち間違いでもないかもしれん」

「違うわ」

 そう言い切ったエヴァに、二人の顔が向いた。

「間違いなく本当のことよ。焼尽灰は咎の種火から作られてるの」

 エヴァは断言した。マスターがその自信を確かめるべく問いかける。

「どうしてそう言い切れる?」

「少し話を戻しながら説明するわ」

 一度区切って、エヴァは話の流れを元に戻した。

「オードリーはイーサンが生きてると信じて、従者の力を借りながらその行方を捜してた。そして彼女は、とある情報を手に入れるの。……谷底に、左腕を無くした青年がいるって情報よ。危険だとわかっていながら、止められても聞かずに彼女は谷底へと向かったわ。従者も連れずに、たった一人で。……結果、どうなったかは言うまでもないわね」

 ヴァニティとマスターは、無言によって肯定した。

「彼女は谷底に下りる直前に、私にだけはそれを明かしてくれた。これから、イーサンかも知れない人を捜しに、谷底に行くって。……そしてそのために力を貸してくれる人がいるんだってことも教えてくれた。その人の協力があるから、誰も連れずに谷底に行けるんだって」

「誰だ? そんな話を信じさせたのは」

「つまりは、彼女にそれを信じさせることが出来た人よ。……それだけの信頼関係がある人なんて限られてるでしょう? 例えば、付き合いの長い親友とか」

 ヴァニティの両目が、驚愕に支配される。

「馬鹿なっ……」

「そう。エステル・コールドウェルよ。彼女を谷底に下ろしたのは」

 さすがに絶句し、ヴァニティは信じられないと言わんばかりに、目を見開いてエヴァを見続けた。

「……エステルは、そんなこと一度も」

 ようやく、といった様子で言葉を絞り出す。

「言わなかった? そうでしょうね。言えなかったんだもの」

 さらに衝撃的な言葉を、エヴァは連ねていく。

「どうして言える? 彼女を殺したのは自分だ、なんて」

「な……!」

 ヴァニティは反射的に立ち上がる。

「ふざけるなよ、そんなはずがあるか。どうしてそうだと言える……!」

「ふざけてなんてないわ。落ち着いて、ヴァニティ」

 エヴァは穏やかな様子を崩さず、ソファに座ったままだ。

「考えてみて。……あなたが咎の種火を狙った命令を与えられていたこと、そしてその日時や場所を知りえた人。瀕死になったあなたを助けて、谷底にかくまった……つまり、あなたが谷底にいることを知っていた人。あなたが持ち帰った咎の種火を手に入れるチャンスがあった人。咎の種火をもたらされたホワイトフレークで、その国防のために動いて、咎の種火の保管施設を作るだけの権力を持った人。……この条件を、全部満たすのは、たった一人しかいないでしょ?」

 ヴァニティはあがくように頭を働かせる。だが、エヴァの言う通り、それを満たす人物は一人しか思い浮かばない。

「……エステル……」

「彼女には動機がある。ウォルコット家は仮にも貴族よ。いくら友好的な関係にあっても、自分の地位を揺るがすような秘密を明かすわけにはいかないでしょ。……あなたとオードリーが再会して、彼女に秘密を知られることを嫌がったんだと思う。実は生きていた大罪人をかくまっていた、なんてことが明らかになるだけで、コールドウェル家には大打撃だわ」

「オードリーはそんな真似はしないはずだ」

「でもそれをエステルが恐れたとすれば、もう理由としては十分。でしょ」

「……」

「……もうひとつ、大きな理由があるとも思うけど」

「大きな理由?」

「いいの。忘れて」

 エヴァはそれを口にすることなく話を先に進めた。

「とにかく、オードリーはエステルと谷底に下りた夜に亡くなった。彼女の後を引き継ぐって決めてからまず私が調べたのは、エステルのことよ。絶対に、オードリーの死に彼女が関わってるって思った。探っていることが気付かれないように、出来る限り慎重に調べたわ。……時間はかかったし、時には危ない橋を渡って、犠牲も出してしまったけど……。いろいろなことがわかった」

「……おおよそ、察しはつく」

 マスターが話を引き継いだ。

「例の事変が起きた際、恐らくエステルは現場の方に向かったんだろう。そして彼女は、道中で気を失ったイーサンを発見、その体と共に咎の種火を回収した。続いて父親を事変の主犯格として告発、コールドウェル家当主のポストを空白にし、自らがそこに就いて権力を得た。……彼女は、咎の種火の力をその目で見ていた。それを利用するべく、保管施設を偽装した施設を作り、中で咎の種火を研究させた。その結果として開発されたのが、焼尽灰だ」

「その通りよ。焼尽灰は、咎の種火をわざと燃やして、その時に出る灰と火薬を混ぜることで作られてるの。永遠に燃え続ける種火から出た灰は、火をつければまた激しく燃え上がる。その性質を利用した物。そして彼女は、ヒートヘイズとの和平交渉に出向いて、完成した焼尽灰の存在をちらつかせたの。……当時使われていた物よりもずっと強力な、ホワイトフレークだけが作り出せる火薬。もちろん言葉にはしないけど、その後ろには元々ヒートヘイズが持っていたアーティファクトの存在がある。和平なんて名前ばっかりの脅しをかけて、彼女はヒートヘイズを大人しくさせたのよ」

 エヴァは改めてヴァニティの顔を見上げた。

「もうわかったでしょ。エステルの意志、ただそのひとつだけが原因で、こんな現実があり得てしまったのよ」

「……」

 ヴァニティは脱力し、どさりとソファに腰から落ちた。

「……なんで……エステルは……」

「理由を知っているのは本人だけよ。支配欲に取りつかれたからか、もしくは……」

「そうじゃない! ……そういうことじゃない」

 力ない声を出しながら、もたげた頭を右手で受け止めるように抱える。

「……どうしてだ。どうしてエステルは俺を生かした。どうして……俺だけが、生きているんだ」

「……」

「……あれだけのことをしたんだぞ。生きてる価値なんてないんだ。そんな俺が、どうして今も生きて。……何の罪もなかった、生きるべき未来のあった……オードリーが……。彼女だけじゃない、俺が馬鹿だったせいで、何人も死んだ。……何人もだ。……なのに、俺は。……俺は、死にもしないで、のうのうと……」

 肩を震わせるヴァニティを、エヴァは静かに見つめ続けていた。

 彼女の中には、それに対する答えがある。ヴァニティとオードリーの再会をエステルが拒んだ最大の理由にも、それは繋がっている。

 だが、それを声にすることは出来ない。エヴァは確信しているが、その一方で、形に出来る確証があるわけではない。

 それは、ただ、エステルの心のうちにのみ存在する。……恐らく、今も。

「……。ヴァニティ」

 そう呼ぶエヴァの声は、慈しみに満ちて、明るかった。空気にそぐわない呼びかけに、ヴァニティは頭を上げる。

「いいじゃない。生きてる価値なんてなくたって」

 エヴァは笑顔を浮かべている。

「エヴァ……?」

「私もね、何度も思ったわ。人を不幸にするばかりの私なんて、死んじゃった方がいいんじゃないかって。……でも、私は生きてる。生きて、面白いことを見つけて、やりたいことをやって。……人を好きになったりしてる」

「……」

「そんなわがままに生きる私は、死んだ方がいいって思う? ヴァニティ」

「……まさか」

 ヴァニティは首を横に振った。

「そうよね。あなたは私を助けて、生かしてくれた。出会った時も、私が襲われた時も。インピュアだって知ってからも、見捨てたりしなかった。……私も同じよ。あなたが人に死と不幸をふりまく人でもいい。……ううん、あなたがそんな人だからこそ、手を差し伸べてあげたいって思う。……つらかったのはよくわかるわ。私も、同じ罪を抱えて生きて、そして苦しんできたんだもの。人の幸せを願っても、自分の力ではどうすることも出来ない。……それでも、やっぱり人に幸せを与えたくて、諦めきれないでいる。……私は、同じ苦しみの中にいるあなたを、見過ごすなんて出来ないわ」

「……。初めて会った時の話は嘘だったのか?」

 エヴァは確かに言った。イーサン・ヒューズを殺して欲しい、と。エンゼルブラッド、もとい液状焼尽灰の指輪を持ちながら。

「嘘じゃないわ」

 矛盾。しかし、あまりに迷いなくエヴァは言った。

「どういうことだよ。……別に取り繕う必要はないだろう。……俺は君の姉が死んだ原因となった男なんだぞ? 理由は十分だろう」

「あなたがそう望んだわけじゃないでしょ? わかってるわ、ちゃんと。……オードリーは最期まであなたを愛してた。立派じゃない。私は好きよ。そんな風に、私も人を愛したい。そして、愛する人と一緒に幸せになりたい。そう思う」

 言いながら、エヴァは傍らに置いてあったヴァニティのマントを手に取った。厚く作られた襟元を広げ、そこに隠されるように作られていたポケットの中に指を入れる。ポケットから引き抜かれた指には、指輪が握られていた。赤い液状の宝石……液状焼尽灰を抱えた指輪だ。

「それは。……そんなところに……」

 マスターが驚き、口を開く。

 ヴァニティも同様に驚きを隠せないでいた。どうりでギルバートたちが指輪を見つけられなかったわけだ。マントを仕立てたエヴァならば、確かにそこに隠す機会はあった。

「割れでもしたらどうするつもりだったんだ」

「そんなに危ない物だとは知らなかったもの。本当に、生き延びることについては、どこまでも幸運ね」

 エヴァはわざとらしく肩をすくめた。

「エステルはこの指輪にものすごく執着してたわ。スミス家の女の子をあなたに殺させたのも、彼女に奪われたこの宝石を取り戻すことが本当の狙いだったの。私たちのことも容赦なく襲ってきた。力もお金も手に入れた彼女は、このたったひとつの指輪を取り戻すためならなんだってした。……思った通り、ただの高価な宝石じゃなかったわね」

「……さっき、俺に近づくきっかけを得るためにそれを盗んだ、と言っていたが」

「あなたは谷底では有名だった。義手の左手を持つ傭兵がいるなんてすぐ調べがついたし、もっと早く会いに来ることは出来たわ。でも同時に、あなたがよくコールドウェル家に雇われて仕事をしてるってこともわかった。……言葉は悪いけれど、あなたは何も知らずに彼女に飼われていた。そんなあなたに、真実に気付かせるための証拠が必要だったのよ。事実、この指輪を持っているせいで、私たちはエステルたちに命を狙われたでしょう? 指輪があなたの手に渡れば、たとえ私が死んだとしても、いつかあなたはエステルの闇にたどり着く。そう思ったの」

「……だが、俺がそれを知ったからってどうなる。今更過去の罪は……」

「過去は変えられないわ。でも、未来に続く今を、あなたはあなたの手で選べる。それをいつか、胸を張って誇れる過去にすることが出来る」

 エヴァは指輪をヴァニティの前に掲げる。

「エステルはまた新しい罪を重ねようとしてるわ。あなたの手で、それを止めて欲しい。あなたが悔やむ過去を繰り返さないように。……最低な未来を作ろうとしているエステルを止めることで、最悪の過去を背負って、今もあなたの中に生きるイーサンを殺してあげてほしい。……自分で自分を責め続けている彼を、もう休ませてあげるべきよ」

 指輪の光沢に、エヴァの、そしてヴァニティの顔が映り込む。

「あなたになら出来る。そして、あなたの手でやるからこそ意味があると思うの。あなたがこれから、本当に、ヴァニティとして生きていくために。……英雄(ヒーロー)なんかじゃなくっていい。誰かのためじゃなく、あなた自身のために。あなた自身を救うために戦って」

「……俺自身を、救う。……そのために、戦う……」

「そう。まずあなたが誰よりも救うべきなのは、あなた。これを伝えるために、私は谷底に来たの。後は、あなた自身がどうするかを決めるだけよ。……さあ、選んで。ヴァニティ」

「………………」

 部屋に沈黙が下りてくる。誰も、何も言葉を発さない。

 閑寂の中で、ヴァニティは自身の心で、エヴァの言葉を復唱した。

(誰かのためじゃなく。……俺自身のために……)

 かつては、人を救い、助けるために剣を振るった。

 傭兵となってからは、ただ雇い主に言われるがままに引き金を引いた。

 思えば、自分のために戦ったことなんて、今までに一度もなかった。

 何を望み、戦うのか。何を求め、戦うのか。

 ヴァニティは、自分に、繰り返し問いかける。

(俺は。……俺は……)

 ……そして、答えを出した。

 ヴァニティはテーブルの上に鉄の手を伸ばし、置いてある物の中から銃弾を選び取った。

「……すべてを確かめる」

 握り締め、一度長く瞬きをした後、立ち上がる。

「エステルに会いに行く。もしあいつが焼け焦げた未来を作ろうとしてるのなら……見過ごすことは出来ない」

 ずっと悔いてきた。自分自身を責めてきた。

 自分を無価値だと思い込み、穢れ切った生活に押し込めて、いつか訪れる死によって救われることを望んでいた。

 ……そんな枷に縛られているだけが、道ではない。

 こんな自分でも、自分自身を救うことは出来るかもしれない。自分を縛る呪縛を自らの手で断ち切り、希望のない日々を終わらせることは出来るかもしれない。

 闇の中に落ちようとしている未来を救うことで、自分を赦し、救う。失望に沈んだ自分だけでは気付けなかった未来への扉が、今は見える。

 扉の前まではエヴァがいざなってくれた。後は自分自身の意志で、前へと手を伸ばすだけだ。

「俺は二度と、罪を繰り返させない」

 ヴァニティの決意の表情を見て、エヴァが満面の笑みを浮かべた。

「なら報酬が必要よね。あなたは傭兵なんだもの。……でも、もうこの指輪じゃだめよね」

「気にしなくていい。必要ないさ。……お前の言う通り、これは俺のための戦いだ」

「だからって、何もなしはよくないでしょ。……そうね」

 エヴァは首をかしげて問う。

「私じゃだめかしら? ひと月じゃなくって、これからの一生をあなたにあげる」

「馬鹿言うな。貰い過ぎだ」

「いいじゃない? 私がそうしたいんだから。……だから、無事に帰って来て」

 笑顔がふっと消えて、悲しみに似た何かが、エヴァの頬に宿る。

「これまで多くの人を不幸にしたのだとしても、それでも私たちは、生きていくしかないんだもの」

 そしてそれは、また浮かんだ笑顔にかき消された。

「誰も幸せに出来なかった者同士、二人で幸せになりましょ?」

「……まったく。言ったろ? それじゃ貰い過ぎだ」

 ヴァニティは微笑した。

「ま、戻るまでには、考えておくさ」

 ヴァニティは言いながら銃弾をしまい、エヴァが笑顔で頷くのを確認してから、マスターに顔を向ける。

「マスター、貴婦人は?」

「彼女の朝は早い。もうアトリエにいる」

「会わせてくれ」

「もちろんだ」

 マスターはまず、ヴァニティから受け取っていた蒼鴉の落とし物で作った鍵を分離させ、認識票部分を返却する。エヴァは部屋に待たせて二人で部屋を出て、ピジョン店内で清掃をしていたウェイトレスを呼びつけた。

「アトリエへ」

「はい、『鉄の手』さま」

 エヴァの手当てをしたウェイトレスが、にこやかな表情で鍵束を取り出す。ヴァニティの蒼鴉の落とし物と組み合わせて、鍵を作成。マスターの隠し部屋とは異なる形状の鍵となる。鍵束から取り外して渡されたそれを手に、ヴァニティは店の隅、地下へと続く階段を下りる。その先にあった扉を、鍵によって開錠し、開いた。

 アトリエと称された部屋。だがそこは、言葉から連想されるような、画材や木材で狭くなった工房とはまるで様子が違った。

 マスターの隠し部屋ともいい勝負の、手の込んだ内装、家具類。壁面のすべてを隠すように硝子製の棚が並び、その中には部屋の主が「芸術品」と呼ぶ物が並んでいた。中央には巨大な長机が横になって置かれている。部屋の主はその向こう側、部屋の一番奥の棚の前にいた。

「貴婦人」

 ヴァニティが呼びかけると、貴婦人は振り返り、手にしていたナイフからそっと顔を上げた。

「おはようございます。良き朝ですね、『デスブリンガー』様」

 その長身を包むのは、喪服のようにも見えるシックな黒色のドレス。煌めく銀髪を持った、美しい中年女性だ。そしてその頭部には、髪と同じ色をした毛が生える、三角形の耳。……狼のインピュアだ。

 ナイフを棚に収め、長机の前まで歩き、貴婦人はそこで足を止めて両手を腹の前で組んだ。

「ご機嫌はいかがですか? あなたも、わたくしの芸術品たちも」

「ああ、悪くない」

 左腕を掲げて、手のひらを開閉させてみせる。ヴァニティの代名詞たるその義手を作ったのは彼女、貴婦人だ。

「それは何よりです。今日はどのようなご用件で?」

「仕事なんだ。この後すぐ」

 液状焼尽灰が絡むと、エステルは如何なる手段も取った。危害を加えることをためらわなかったし、自分に対してもそうだろう。場合によっては、訓練と実戦経験を積み重ねた騎士たちを相手にすることになる。対弾布の存在も懸念点だ。そのための下準備が必要だった。

「……大仕事になるかもしれない」

「……。なるほど。では、こちらですね」

 部屋の棚から貴婦人が取り出し、長机の上に置いたのは、コの字型をした箱と形容すべき物体だった。成人男性がどうにか片手で持てる程度の大きさと重量、その突起部分の片方からは大口径の銃弾が覗いている。

「装弾数五十発の箱型弾倉。中はすべて焼尽灰使用の強装弾です。こちらで間違いありませんね?」

「そうだ。……だが」

「?」

「ふたつだ」

「かしこまりました」

 優雅に微笑み、貴婦人はもうひとつ同じものを棚から取り出し、持って来た。

「助かる」

 ヴァニティは懐から二枚の金貨を取り出し、長机の上に置く。貴婦人はそれを手のひらで包み、自身の方へと滑らせた。

 ヴァニティは箱型弾倉の端についている金具を、自身のパンツのベルトループに引っ掛けることで携帯する。

 用事を済ませて部屋を出ようとしたヴァニティを、貴婦人が呼び止めた。

「『デスブリンガー』様。お急ぎの所申し訳ありませんが、少々お時間をいただいても?」

「? 何だ」

「あなた様にぜひ見てもらいたい物があるのです。ジョン、ジェーン」

 貴婦人が呼びかけると、長机の下から兎の長い耳を持つ少年と少女が飛び出した。思わぬ所に隠れていた子どもたちにヴァニティは思わず目を丸めた。そして、すぐに気付く。

「お前たち、あの屋敷にいた……」

 間違いない。先日仕事をした際、屋敷から連れ帰ってきた双子のインピュアだ。ヴァニティを見上げる二対の双眸が、ぱちぱちと瞬く。

「わたくしの助手とさせていただくことになりました。とてもいい子たちですよ」

「……そうか。それは何よりだ」

「素敵な出会いを下さり、心から感謝します、『デスブリンガー』様。……二人とも、手伝ってちょうだい」

「はーい」

「はーい」

 やや間延びしているが元気よく返事した双子と共に、貴婦人は長机の下に手を入れた。その下にあった物が、三人がかりで持ち上げられる。かなりの重量を感じさせる音を立てて、大きな長方形の木箱が机の上に置かれた。貴婦人は金具のロックを外し、蓋を開く。

「こちらです」

「……これは……」

 ヴァニティは息を呑む。木箱の中に収まっていたのは、異様としか言いようのない武器だ。

「サクリファイス。そう銘を付けました」

 貴婦人は、訥々と説明を始めた。

「主要な部品はすべて上質なミスリルと白銀を用いた特殊合金の削り出し。ブレード部分は根元から切っ先に至るまで、すべてを天然砥石で研ぎあげました。湾曲したカーブドヒルトタイプのグリップ部分には希少なペイルホースの革を使用しています。頑丈で、濡れた手で握りこんでも滑りません」

 説明は続く。

「最大装弾数は七発。スケープゴート同様焼尽灰を用いた大型の専用焼夷散弾を使用します。操作にはグリップ部分のレバーを用いるレバー動作式を採用していますので、同形式の散弾銃と同様に扱って下さい。上部ブレードが照星を兼ねる設計であること、そして見た通りバレルが常人の手では触れられない構造であることには留意が必要ですが……。『鉄の手』たるあなたならば、問題にはならないでしょう」

 説明の流れがおかしいとも思える。だがそれこそが自然な流れなのだと言わせる物体が、目の前に身を横たえているのだ。

 どこまでも透き通ったきらめきを持った、銀色の武器。その武器は、武器と呼べはするものの、それ以上の分類が出来ない。グリップが延長されたソードオフタイプの長身の銃、その銃身の上下に刃を取り付けて無理やり剣に近づけたとでも言うしかない、常識外れの一振りだ。

「ちょっと待ってくれるか」

「はい?」

 貴婦人は首をかしげるが、なぜそんな当惑の仕方をされるのか疑問なのはヴァニティの方だった。

「何なんだ、こいつは。あんたのことだ、これも芸術品だと言うんだろうが。だからってこんな武器を作ってどうする。売れやしないだろう」

 淑やかで、にこやかな調子を貴婦人は崩さない。

「あなた様のために造ったのです」

「俺のため?」

 ……ゆっくりと、もう一度武器を見つめなおす。

「俺に払える値段の武器だとは思えないが?」

「お代はいただきません。差し上げます」

「……。何だって?」

「差し上げます、と言ったんです」

 驚愕するヴァニティを見ながら、貴婦人は続ける。

「あなた様にはわたくしの同族を助けていただきました。……この子たちも、あなた様には感謝しています」

 双子はにこりと笑った。

「名前すらなかった二人は、今やジョンとジェーン。ごくありきたりな名ですが、それに見合う、人としての生活を送る権利を、あなた様にもたらされたのです」

「……ということは、まさか、七日かそこらで、こいつを?」

「ええ。……礼と信用、それが時に対価になり得ることを、あなた様はご存じでしょう?」

「…………」

 ヴァニティはサクリファイスに右手を伸ばし、しっかりと保持して持ち上げる。しっかりとした重量が、手にのしかかった。

 数歩下がり、構えて一振り。重心に工夫があるらしく、かなり振りやすい。続けて横たえてレバーやトリガーの動作確認を行う。動作は極めてスムーズだ。

「いかがです? あなた様が刃物をお嫌いなことはもちろん存じております。ですが、剣でありながら剣ではなく、銃でありながら銃ではない、それならば。……わたくし謹製のショットガンブレード、長銃剣サクリファイス。お気に召すでしょうか」

「長銃剣……サクリファイス」

 剣を立てて、その全身をじっくりとヴァニティは眺め見る。

 無知なままに剣を振るっていた頃の自分。谷に落ちて生きるためだけに銃を握った自分。記憶の欠片たちが、交互に脳内に浮かび上がってきた。

「気に入った」

 否応なく自分が積み重ねてしまったものを、この手で掌握しているような気分になれる。確かに、この武器は自分にこそ相応しい。そう思えた。

 ヴァニティの返事を聞いた双子が、笑って顔を見合わせた。部屋をとたとたと走り、奥から二人がかりで、大きな革のシースを持ってくる。ベルト部分が散弾のホルダーを兼ねる特異な形状のそれは、サクリファイス専用に作られたものだ。

「そのシースは二人が作りました。さあ、着けて差し上げなさい」

「はーい」

「はーい」

 ヴァニティは剣を頭の上に持ち上げ、双子のされるがままになった。腰の左側に、きっちりとシースが装着される。

「焼夷散弾はこちらです。お好きなだけどうぞ」

「……気前がいいな」

 貴婦人が長机の上に置いた小箱には、ぎっしりと専用の散弾が詰まっていた。ヴァニティはそこから散弾を掴み、まず長銃剣に装填。終えてシースに収めた後、続いてホルダーにも一発ずつ詰めて保持していく。

「お次からはお代を頂きます。お忘れなきように」

「ああ、わかってる」

 最後に拳銃、スケープゴートのシリンダーをチェック。六発装填されていることを確かめてホルスターに戻す。戦いの準備は、これで最後だ。

「世話になった。貴婦人」

「今度ともご贔屓に。『デスブリンガー』様」

 頷いて、ヴァニティは背を向ける。生きて戻れる保証なんてない。この部屋から出る時はいつもそうだが、それを口にするのは野暮だと二人ともわかっていた。

 ヴァニティはアトリエを後にし、一階に戻る。

「準備は済んだか」

 カウンターに立ったマスターがこちらに顔を向けた。

「ああ。万全だ」

 鍵を分離させ、その半分を投げ返す。マスターはそれを空中で捕まえた。ヴァニティの腰に提げられた新たな武器を見て、苦笑に似た笑いを浮かべる。

「またとんでもない物が出て来たな。……さて、おれからはこいつだ。持っていけ。必要だろう?」

 代わりに投げ渡されたのは、谷底とホワイトフレークを繋ぐ昇降機の通行手形だった。

「よく手に入ったな?」

「あの隠れ家からだ。奴らの一味が使っていたんだろう。仲間が例のブツと一緒に回収していたんだが、こんな早く役に立つとはな。……しかし、今日は寒いぞ。本当ならホットワインの一杯でも飲ませてやるところだが……」

「知ってるだろ? 酒は呑めない」

「わかってる。おれの出る幕じゃないことはな」

 マスターが目配せで示したのは、カウンターの席に着いていたエヴァだ。

「行くのね?」

 椅子から立ち上がり、エヴァは手にしていたマントをばさりと広げた。

「出来る限り綻びは直したわ」

 カウンターテーブルの上にはソーイングセットが置かれている。エヴァはヴァニティに歩み寄り、背を伸ばして、その首元にマントを持つ手をまわす。戦いに向かうヴァニティにとっての正装。その仕上げは、エヴァが行った。襟をしっかりと整え、寒気が入りにくいよう、前も少しきつめに留める。

「……荒事になったら、どうせまたボロボロになるんだぞ」

「じゃあそのたびに縫い直してあげる」

 エヴァはそのまま、ヴァニティの首筋に手をまわして組んだ。至近距離から見つめられて、ヴァニティは思わず咳払いし、顔を背ける。

「んっ」

 横を向いたヴァニティの頬にキス。瞬間、ぼっと頬が熱くなるのを感じた。

「これだけでも赤くなっちゃうのね?」

「……。苦手なんだよ、こういうのは」

「そうなの? 私は好きよ」

「だからって……」

 マスターとウェイトレスからの視線を気にしながら、ヴァニティはエヴァの肩に手を置いた。

「……勘弁してくれ」

「? あ、そういうこと?」

 エヴァは察して、名残惜しそうにしながらも体を放した。

「じゃあ二人っきりの時にする」

「……」

 ヴァニティは顔に浮かんだ照れを右手で隠し、ため息をつく。こちらを見て微笑む気配には、気付かなかったことにした。

「……行ってくる」

「待って。忘れもの」

 エヴァはヴァニティの左手を取った。

「……本当に、すごい手ね」

「下手に触ると怪我するぞ」

「それでも平気よ」

 手を開かせ、その上にそっと乗せたのは。

「あなたへの報酬にはもうならないから。プレゼントよ」

 赤い液体を抱えた、あの指輪だった。

 手の上に乗せられた指輪を捉えたヴァニティの目が、かすかに見開かれる。

「っ……これは、まさか――」

「どうするかは、あなたに託すわ」

「――…………」

 頷き、ヴァニティはそれをそっとマントの襟のポケットに押し込んだ。

 準備は整った。

「行ってくる」

 エヴァの目をまっすぐ見て告げて、ヴァニティは歩き出す。

 見送る人たちの視線を背中に受けながら、店の扉を開いた。まだ日の差さない、薄暗い谷底の朝。刺すような寒気が体を覆い包んでくる。

 そして、ひらりと舞い散る、白い雪のひとひら。

 この冬、初めての雪だった。

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