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三章 三節

「……申し訳ありません」

 豪華絢爛、その一言に尽きる寝室に、その謝罪の言葉は響き、すぐに消えた。

 埃ひとつない部屋が、大きな窓から差す月明かりに照らされ、青白く浮かび上がる。照明となるものは灯されておらず、暖炉に控え目に燃える火がその代わりを担っていた。冷ややかな白色の光と、燃える橙色の火。二色のコントラストが、壁や飾られた絵画の上を揺らぐ。

 金髪の青年――ギルバートは膝をつき、この部屋の主に対して深く頭を下げていた。時折、怪我を負った腹部の痛みを気にしている。

「隠れ家にしてた場所は見つけられてしまった。あなた以外の全員が死んで、生きて戻ったあなたも正体を明かしてしまった。しかも、指輪も取り戻すことは出来なかった」

 部屋の主は窓に向かって立ち、夜の帳が下りたホワイトフレークの街並みを見ていた。そっと、その頭が下向く。

「失態なんてものじゃないわね。ギルバート」

「……申し訳、ありません」

 仕える人物を失望させた悔しさと、ミスをいくつも重ねた自分のふがいなさに、歯をくいしばる。

 そんなギルバートを、そっと振り返った人物の双眸が見下ろした。

「もういいわ。仕方ないわよ。だって、あのイーサンなのよ」

 白い髪が揺れ、暗い部屋に浮かび上がるように波打つ。

 エステルの瞳に、暖炉の火が映り込んだ。

「谷底で雇った集団が仲間にいたとしても、敵うわけがないわ」

「……。しかし、これで彼に例の実験が露見してしまいました」

「あなたのせいでね? ギルバート。しかも成果らしい成果が出る前だわ」

「…………」

「わたしの期待は、まだあなたには重いわね」

 ギルバートは何も言えず、握った拳をさらに強く握り固める。

「いいのよ。繰り返しになるけど、仕方ない。……ねえ」

 エステルの声が、わずかに柔らかくなる。

「強かった? 彼は。教えてよ」

「……。はい」

 ギルバートは、頷く他ない。

「圧倒的、というしかありません。雇った強盗集団はあっさりと全滅、連れて行った騎士も腕は立つ二人でしたが、まるで歯が立たなかったようです。……隠れ家で実験に使っていた傭兵はまだいい勝負でしたが、結局は、多少の傷を負わせた程度で……」

「容赦なく殺された?」

「……剣こそ使いませんが、動きは昔のままだと言えます。いや、昔以上かも……」

「じゃあ、あなたも次、彼に会ったら殺されるわね」

 その問いかけに、ギルバートは一瞬逡巡した。しかしすぐ答えを見つけ、長く俯けていた顔を持ち上げる。

「剣術であれば負けません。次は、必ず」

 勝てる。ギルバートはそう確信した。あの銃の一撃さえ回避出来れば接近戦に持ち込める。そこから先は、剣を握っている自分が有利だ。負けはしない。

「そっか。……強いんだ、イーサン」

 しかし、エステルはギルバートの方を見ていなかった。天井を見上げ、ここにはいない男の顔を思い浮かべていた。

 イーサン・ヒューズ。かつては国を、そして国民の命を守るために戦っていた騎士。

 谷底に堕ち、名を変えた今でも、その力は健在。それがエステルには嬉しかった。傭兵としてどんな依頼をもこなしてみせるだけではなく、コールドウェル家が抱える騎士を含めた一団を相手にしても、単独でそれを退ける実力……。

 長年惚れ続けた男の強さ。それを伝え聞いて、エステルの心は高鳴った。

「……イーサンは、エヴァを連れ去ったあなたたちを追ってきた。彼女を助けるために」

「はい。……まさか彼女が道しるべを残していたなんて。その上、毒蛇のインピュアだったとは……」

「したたかよ、彼女は。じゃなきゃ彼を追って谷底に下りたりはしない。……そういうところは……本当に、姉とそっくり」

 エステルは再び窓の方に向き直る。

 長く、深い沈黙。夜の静けさが、そのまま部屋に満ちる。ただ耳に聞こえるのは、暖炉の薪が焼ける音のみだ。

「…………。指輪はイーサンも、エヴァも持っていなかったのよね?」

「はい。エヴァンジェリンは在り処を知っているようでしたが、イーサンはそれを知らなかったようです」

「それでも彼女を助けるためにイーサンは現れた。そこには見逃せない意味があるわね」

「意味……と、言いますと」

「彼は彼女を助けるために、自ら危険な道を選んだということ」

 あまりに当たり前のことを言われたように感じ、ギルバートは困惑した。

「……今の彼は傭兵です。当主からの依頼ともあれば……」

「だったら昨日、エヴァと暮らしていることをわたしに明かしてるはずよ」

 エヴァは指輪を盗んだ直後、谷底にてヴァニティと接触、その後共に生活を始めたことはすでに掴んでいる。ヴァニティは彼女が指輪を持っていることを把握していると見てまず間違いはないとエステルは踏んでいた。

 しかしヴァニティは食堂で会った時、エヴァのことを明かさなかった。指輪を手に入れるチャンスはあったはずなのに、そうしていなかった。

「金や物じゃないわ。元々、イーサンはそういうもので動く人じゃなかった。あなたにも思い当たる節があるんじゃない?」

「……。イーサンは、自分のためには戦わなかった」

「そう。彼はいつも、自分ではない誰かのために戦った。それを利とする騎士だった。名前や環境が変わった今でも、彼はイーサン・ヒューズであり続けてるのよ。だから彼は、今夜、エヴァを助けた」

 多くの人を助け、救うためならばと、いつも過酷な任務に就いていた彼をエステルは思い出す。

「……そんな彼が、今夜、あの隠れ家に足を踏み入れてしまった。……あそこで何が行われていたか、きっと彼はすぐに気付くわ。あの指輪の正体と、本当の価値にもたどり着くでしょう」

 エステルは確信する。

「彼はここに来るわ。必ず、近いうちに」

 そして、ギルバートを肩越しに見やった。

「備えて。出来るだけの戦力と武器をこの屋敷に集めるの。騎士だけじゃないわ、声を掛けられる傭兵も全員よ。報酬には糸目をつけないわ」

「っ、イーサンと戦うおつもりなんですか!?」

 ギルバートは目を見開くが、エステルは表情を動かさなかった。翌日の朝食のメニューを言いつけるかのように言う。

「イーサンには死んでもらうつもりよ」

「なっ……!? そんなこと!」

「もちろん、わたしだって望んではいないことよ。でもこうなってしまったのなら、それも仕方ないわ」

「で……ですが……」

「ねえ、ギルバート」

 エステルの声が、すっと冷え込んだ。

「そうしなければならない原因はあなただってこと、わかってる?」

「……っ……」

「真実にたどり着いた彼ならば、必ずわたしたちを止めに来る。……もう一度言うわ。備えて。いいわね」

「………………」

「聞こえてた?」

「……っ、は、はっ……」

「返事はすぐにしてね。それじゃあ、頼んだわ」

「……。はい」

 言葉を失うも、辛うじて返事をし、ギルバートは部屋を後にした。

「……ふぅ」

 エステルは目頭を抑え、揉み解す。強い疲労感。体が疲れているわけではない。原因は、もっと他のところにある。

「…………」

 エステルは少し考えた後、寝室を出た。明かりはほとんどなく、屋敷の廊下は暗いが、その暗さがかえって心を落ち着かせてくれるように感じる。

(思っていたよりずっと早い。……でも、いずれ避けられなかったことよね)

 慣れ親しんだ屋敷を進み、来客はもちろん、使用人や部下ですらほとんど近付かせない、屋敷の最も奥にある扉にたどり着く。持っていた鍵で開錠し、その奥へ。通路は地下へと続いていく。

 そして、その通路の行き着く先に、その部屋はあった。

 エステルが扉を開くと、その小部屋の全容が目に入ってくる。そう広い部屋ではない。先ほどの寝室と同程度だ。

 だが、内装はまったくと言っていいほど異なっている。家具と呼べるものはほとんどない。ただ木製の棚が部屋の壁を覆うように設置されているのみだ。

 そこには、液体が詰まった瓶がところ狭しと並んでいる。中身はすべて同じだった。

 真紅の液体。それはまるで、赤い宝石を液状に溶かしたようだ。

 ……そして、部屋の最奥。細長い透明な容器に収められ、安置されているそれを見ながら、エステルは目を細めた。

「あなたはいつも、わたしに嘘をつかせるわね」

 誰よりも自分に忠誠を誓うギルバートだけではなく、配下の騎士たち全員を欺く嘘は、簡単に口をついて出た。その軽さに、エステルは自虐気味に笑う。

 恋焦がれ続けているイーサンを殺す? そんなこと、選ぶはずがない。

 彼には生きていてもらう。……否、もはや、彼だけが生きていればいい。彼一人いれば、他の誰もいらない。彼と自分の、二人きりでいい。

 だから、生き延びてもらう。命令を受け、自分を殺めようとするすべてを殺してもらう。

 ……彼なら、生き延びるはず。

「きっと大丈夫。信じていいわよね? イーサン」

 エステルは目の前の物体へと、愛おしそうに呼びかけた。

 炭のように黒くなった表面の奥に、炎が波打っている。時折、真っ赤な液体が、一筋の血液のように流れていく。

 熱を失わず燃え続ける溶岩を想起させるそれは、けれど確かに、人間の腕の形をしている。

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