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三章 二節

「…………」

 まだ、顔が熱い。

(まさか、あんな。……油断した……)

 ヴァニティはにやつく口元を右手で隠しながら階段の前に立っていた。心が落ち着き、頬のほてりが冷めるまで、しばし待つ。なかなか顔が元の形に戻らない。平静を取り戻すには数分の時間を要した。

「……。よし」

 どうにか気を取り直し、一階へと下りていく。店内にはまだ客は多くいるが、先ほどよりは少なく見えた。

「ヴァニティ、こっちだ」

 マスターの手招きを受けて、カウンターの一席へと向かう。

「食え。腹は減っているだろう」

 示された席の前には、出来立ての温かな料理が待っていた。骨付きの地鶏のグリルが二本。燻製ではなく、下味をつけた生肉をシンプルに焼いて作る。この料理法に耐えうる新鮮な肉は、谷底では流通量が少ない。さらにその横に、同じく地鶏を使ったスープが満ちたマグカップが置かれている。中には根菜の具もたっぷりだ。

「……そこまで懐に余裕はないんだが」

「安心しろ。おごりだ」

 マスターが顎でヴァニティの背後を示す。見ると、先ほどヴァニティをからかった三人組がまだ同じテーブルにいた。

 ヴァニティの視線に気づき、三人同時に親指を立てる。にっ、と笑いながら。

「童貞卒業祝い、だそうだ」

「……違う、俺はまだ」

「いいさ。そういうことにして、もらっておけ」

「……」

 釈然としないが、食べないのは実にもったいない上等な食事だ。ヴァニティは料理に向き直り、大きく一口。肉汁で一気に口の中が潤い、脂の旨みが広がった。焦げ目がつく直前まで焼かれた皮の香ばしさも、またたまらない。

 ヴァニティは一本目を食べ終わるまでただ黙々と食べ進めた。骨にこびりついた肉のかけらまで丁寧に歯でこそぎ取り、余すことなく味わう。マグカップにも口をつけ、鶏と根菜の豊かな味わいが溶け込んだスープを、全身に染みこませていく。

「あぁ……」

「どうだ」

「……。たまらないな」

 体を凝り固まらせていた緊張感が、ようやくほぐれていくような心持になった。深くため息をつき、席の背もたれに体重をかける。

「……。マスター」

 だが、休む前にまだヴァニティにはやっておくべきことがあった。

「調べて貰いたい場所がある。例の話にも関わることだ。マスターにも損は無いと思うぜ」

 ヴァニティは、エヴァが捕らわれていた隠れ家の場所を口頭で告げる。マスターは眉をひそめた。

「すぐに調べさせよう」

「中は死体しかないはずだが、一応気を付けた方がいい」

「大丈夫だ。手練れを向かわせる」

 マスターはウェイトレスを一人呼び、指示を耳打ちした。ウェイトレスは小さくうなずき、店の奥へと消えていく。

「……崖の壁面に隠れ家とはな。そんな場所をよくもまあ見つけたものだ、金持ちのボンボンどもは」

「シックスモールズって集団、マスターも聞いたことがないか。奴らはそいつらと手を組んでいた。隠れ家は、たぶんシックスモールズが使ってたものだろう」

「金でごろつきどもを雇うことで、谷底で使い勝手のいい人間とアジトを手に入れていたってところか。……そこで奴らが何をしていたかは?」

「詳しくはわからなかった。だが焼尽灰が絡んでるのは確かなはずだ。明らかに様子がおかしい奴が捕まっていた。いや、捕まっていた、と言っていいものかどうか……」

 あの傭兵の男は、まるで猛獣でも繋ぎ留めているかのような扱いをされていた。

「……まあ、人に知られるわけにはいかないようなことだろうな」

「なるほど。……だからか、ごろつきを雇ったのは。大金をちらつかせて使い、用済みになったら口封じのために始末するつもりだったんだろう。そうするなら傭兵よりも使い潰しが利く。考えたもんだ」

 険しい顔をしたマスターが、小さな嘆息とともに肩をすくめた。

「……まったく。どこの誰だ、そんな不遜な輩は」

「……」

「? どうした、ヴァニティ」

 表情を曇らせ、少し顔をうつむけるヴァニティ。

「どこの誰か、か……」

「……まさかお前、心当たりがあるのか?」

「……。ああ。一人だけ、隠れ家から逃がした奴がいる」

 グリルを手に取り、ヴァニティは視線をきつく歪める。

 その目は、目の前の肉ではないものを見ていた。

「見知った顔だった」

 肉にかぶりつく。

 何度も噛んで、肉を咀嚼する。胸に浮かんだ、暗い思いを噛み砕くように。

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