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二章 七節

「か……は……っ」

 圧迫された喉元から、細く声が漏れる。

 噛みつくかのように首元に食い込んだ、鉄の五指。片腕で持ち上げられた男の動きは次第に鈍り、意識も遠くなっていくようだった。

(こんな場所が。……しかし、ここで間違いなさそうだな」

 ヴァニティは番をしていた男を持ち上げながら入り口に立ち、奥から次々に現れてくる男たちを数える。一人、二人、三人……確認出来ただけで、五人はいる。シックスモールズには属さない人間も混ざっているようだ。

 続いて、足元に目を落とす。

(……やっぱりな。ここまでずっと続いてた)

 灯された照明のおかげでよくわかる。自宅からこの隠れ家まで、血痕は絶えず続いていた。何の情報も得られなかったヴァニティをここに導いたのは、この血痕だ。これがなければとてもたどり着けなかっただろう。

 床に落ちていたキッチンナイフによって誰かが傷ついていたのは間違いない。エヴァが男たちに一矢報いたか、もしくは……。

「野郎! 死にたくなけりゃあそいつを放せ!」

(……それを考えるのは後か)

 殺気がいくつも自分を突き刺してくる。怒りに血走った目と、鈍く光る剣先も視界に飛び込んでくる。

「早く放せってんだ! さもねえと……!」

 長身のライフル銃を握った男が弾を装填し、ヴァニティに向けて構えた。盾にした仲間に当たることを恐れて射撃には至らないその左腕に、モグラの焼印があるのをヴァニティは見逃さない。

「仲間はだけは大事にしてるらしいな。……そのくせに、女はさらうわ家は荒らすわ、人の迷惑になることばかりやりやがる」

 ヴァニティは、男を放すどころか一層強く締め上げた。

「何がシックスモールズだ。俺に言わせれば、お前ら全員ロクデナシだ」

 ごきり。首の骨を折られ、男が泡を吹いて絶命する。

 ヴァニティのその行動が、戦いの火蓋を切った。

「この野郎!」

 ライフルから銃弾が放たれる。大型の弾丸が飛翔し、もはや肉塊になった男の胴を貫き、なおも直進する。

 その道筋に、ヴァニティはすでにいなかった。男の死体を前に放り投げ、自身は体を真横に飛ばして回避行動を取りつつ、愛銃スケープゴートを抜く。そしてそのまま射撃してきた男に向け、引き金を引いた。

 ライフルが射撃された時よりも大きな銃声が、隠れ家全体を震わせた。男が反応するよりも先に体が後方に吹き飛び、叩きつけられるようにエントランスに背中から倒れる。その胸の肉は、激しい衝撃によって強引にかき混ぜられている。呼吸器を潰され、男は息をすることが出来ず、血を吐きながら死に向かっていった。

 それを確認することもなく、ヴァニティは一番近くにあった部屋のドアを突き破り、その向こう側に身を隠した。一瞬遅れて、激しい銃撃の音が追いかけてくる。周囲の壁とドアに、ひとつ、またひとつと風穴が穿たれ、その向こうの洞穴の壁を叩く。他にも銃を持っている者がいたらしい。

 ヴァニティは数秒様子を見た後、右半身を部屋の外に出して銃を構えた。研ぎ澄まされた集中力を発揮し、一瞬のうちに敵の位置を脳味噌に焼き付け、右手に狙いをつけさせる。

「ぐわ!」

 シリンダーが反時計回りに回転し、スケープゴートが激しく火を噴く。先ほどの男と同型のライフルでこちらを狙っていた男の肩に大穴が開いた。髭を蓄えた大柄な男だ。

「ボス!」

 どうやらごろつき集団の頭目だったようだ。傍らにいた同じ服装の男が動揺し、思わずそちらに目を向けた。

 それが命取りだった。側面から銃弾を叩き込まれた男の頭部が、砕けて吹き飛ぶ。男は自分が死にさらされている瞬間を認識することすらなかった。

 それを目の当たりにした頭目の男が、目を見開く。

「くうぅ……! この野郎!」

 片手では扱いきれないライフルを投げ捨て、腰のナイフを抜いてヴァニティの方を向き、身を低くして突進を仕掛ける。その素早さはなかなかのもので、ヴァニティは照準を合わせることが出来なかった。

「シィィアッ!」

 低い角度から突き上げられるナイフ。歯の隙間から漏れるような声。

 ヴァニティはそれを回避しなかった。そしてそれよりも有効な手を、先に打っていた。

「ごあっ!?」

 攻撃の瞬間、がら空きになった頭目の腹に、ヴァニティの膝が突き刺さる。照準を合わせられないのなら合わせなければいい。素早い攻撃ならば、それより速く動けばいい。単純だが、それ故に有効なカウンター攻撃を、ヴァニティは咄嗟に放つ術を身に着けている。

 怯んだ頭目の頭部に、横薙ぎの上段蹴りをお見舞いし、そのまま床へと叩きつけ、押さえつける。胸元を踏みつけなおし、真上を向いた顔面に、銃口を突きつける。

「まっ、待て!」

 頭目が叫ぶ。

「オレだけは助け」

 命乞いを、銃声が塗り潰す。仲間を思い合っていたはずの集団の頭目とは思えない哀れな呪詛だが、そもそも聞いていないヴァニティには関係なかった。

 銃口から上がる煙、その独特な甘い香りを感じながら、ヴァニティは五感を研ぎ澄ませて周囲を探る。

 ……まだ、何者かの気配がする。

 手近な部屋からその扉を開き、中を注意深く調べていく。

 先ほどの部屋には誰もいなかった。次の部屋にも、エヴァも敵もいない。その次の部屋は……。

「っ!」

 扉を開いた瞬間、その横から剣が突き出された。身をよじってどうにか回避したが、切っ先がわずかに首筋を捉えていたようだ。熱さに似た痛みが、顎の下に走る。

 剣を突き出してきた男の手を掴んで、その腹部に銃を向ける。だが相手もそれを察知しており、引き金を引く前に銃口を手で掴み、力ずくで外側に向けられた。放たれた銃弾は、床板に大穴を開け、ささくれ立たせる。

(こいつ、ごろつきどもとは違う……!)

 訓練を積み、実戦にも慣れた者の動きだ。ヴァニティと黒衣の男の力は、互いの腕を掴んだままの状態で拮抗する。

 そして、背後からもう一人。別の部屋に潜んでいたのだろう。剣を構え、ヴァニティを背中から仕留めようと迫ってくる。

 ヴァニティはその気配に気付き、男と組みあいながら、背中越しに間合いを図った。

 不利な状況。だが、この程度は今までにいくらでもあった。そして、その度に生き延びてきた。

 ヴァニティはタイミングを見計らい、左腕に声を飛ばす。

転回(ロタシーオ)!」

 そう叫びながら、左腕に強く意識を向ける。すると、ぐるり、と鉄の左手の手首が百八十度以上も回転した。ヴァニティの左腕、オートマトンピースに搭載された、隠し玉と言える機能。強い意識とヴァニティが叫んだ専用のコードによって、その左腕は人間の腕であり得ない挙動を取るように設計されている。

「なっ!?」

 歴戦の兵士であっても予想が出来なかった左腕の変形。剣を持つ男の腕があらぬ方向に曲げられ、関節の可動域の限界以上にねじ曲がって、筋や骨に損傷が生じる。体勢が一瞬崩れ、剣が手から落とされる。ヴァニティはその隙に男の足を払い、床に転ばせた。

 迫って来ていたもう一人の男に素早く銃を向け、銃撃。胴体に命中し、男が吹き飛ぶ。そのまま引き倒した男にもとどめを……と思ったところで、体が警告を発し、無意識に指が止まった。

(弾切れか)

 スケープゴートの装弾数は六発。それは体に染みついている。再装填をしない限り、鈍器にはなっても銃としては扱えない。

 ならば鈍器として使うまで。ヴァニティは男を執拗に銃のボディで殴りつける。強力な銃弾を扱うために堅牢に作られたそのボディは十分な威力を発揮し、男を痛めつけた。だが相手も負けてはおらず、倒されたままの状態で足を振り上げてヴァニティを突き飛ばし、拘束から逃れてみせる。

 両者ともに体勢を立て直す。ヴァニティは変形した左腕を元の形に戻し、黒衣の男はひねった右手を軽く振って具合を確かめ、腰から短剣を抜く。銃に弾を込める暇は与えてくれなさそうだ。

 ヴァニティの足元には、男が落とした剣が転がっていた。

「……ふん」

 ヴァニティはそれを一瞥した後、足で脇に蹴り飛ばす。そして弾切れの銃を手にしたまま、男に迫った。

 二人が真正面からぶつかり合う。銃と短剣が至近距離で振り回され、戦士としてのフィジカルが勝敗を分ける勝負へとなだれ込んでいく。

 そして、それはヴァニティに軍配が上がった。男の短剣はヴァニティを捉えず、逆にヴァニティの銃による打撃は、男の体に確実に傷を追わせていく。

 横薙ぎにされた銃口があばら骨を叩き割り、振り下ろされた銃把が頭蓋骨にひびを入れる。男が後方にふらつき、短剣を取り落としたのを見て、ヴァニティは真下から顎を狙って蹴りを放つ。首と頭部に深刻なダメージを追い、とうとう男は仰向けに倒れて事切れた。

 息の上がったヴァニティの背に、またもや殺気。息をつく暇などまるでない。襲ってきた斬撃を側転でかわしつつ、ヴァニティは敵を視認する。その黒衣の、胸の部分が焼け焦げているのがわかった。

(対弾布か……!)

 どうやら先ほど胴を撃って倒したと思った男のようだが、着ていた黒衣のおかげで命を繋いでいたようだ。繊維にアーティファクトを用いることで、銃弾に対しての高い防御効果を発揮する布で作られた衣服。銃が使用され始めてから間もなく開発され、主にホワイトフレークの騎士たちに用いられている。刃物には弱く、高価であることが欠点だが、銃弾に対する効果は見ての通り高い。

「……くそっ。い、いい加減に……!」

「っ……」

 だが、男の息は絶え絶えだった。対弾布は弾を防ぐことは出来ても、その衝撃を殺すことは出来ない。銃弾に焼尽灰を利用しているスケープゴートの一撃ともなれば、すでに骨の数本は折れ、内臓にも損傷を負っているだろう。

 動きの鈍くなった男の攻撃を冷静にかわし、ヴァニティはその体をしかと捕まえる。そして、執拗な膝蹴りでその胴体の内側をかき回す。男はそう絶たずに血を吐き出し始め、だらりと脱力。ダメ押しにその顔面を殴り飛ばして、とどめの一撃とした。

「……ふうっ……」

 周囲に気配は感じられない。ヴァニティは銃の左側面にある排莢口を開き、左手でシリンダーを弾くように回転させる。内蔵されたバネ仕掛けにより、六つの空薬莢が勢いよく吐き出されて床に落ちた。排莢口を閉じた後、続いて右側面の装填口を開いて、新しい銃弾を一発ずつ詰めていく。六発の弾丸のリロードを済ませたヴァニティは、銃を構えながら注意深く部屋を出た。

 まだ何が待ち受けているかわからない。注意深く、ヴァニティは残る一階の部屋の探索を進めていく。いくつかの部屋を調べていくが、エヴァの姿もなければ、特に気を引くような物もない。

(……ここで最後か)

 入り口からは最も遠い、奥まった場所にある部屋のドアに手を伸ばす。一階で調べていない部屋はここだけだ。

 ゆっくりと開き、中に銃を向ける。

「うっ……!」

 思わず鼻を覆いたくなる悪臭が、むわっと体に纏わりついた。

 この部屋だけは灯りがともっておらず、中は真っ暗だ。エントランスからの光を頼りに、ヴァニティは中に目を凝らす。闇に目が慣れて、次第に視界が利くようになってきた。

「……なっ……」

 その異様さに、ヴァニティは絶句した。

 部屋の一番奥には、人の姿があった。両手には太い鎖が繋がれ、その端を壁に直接打ち付けることで捕縛されている。膝立ちになり、顔をうつむけたままの状態だ。様子どころか、生きているかどうかもわからない。

 破けてみすぼらしい様相の衣服の隙間からは膨れ上がった筋肉が覗いている。それも含めた体形を見る限り、男であることは確かなようだ。

 何日もこの状態のまま世話も受けずに放置されているようだ。部屋の匂いは、その男の排泄物や吐瀉物が主な原因だと思われた。かつ、それだけではない。かすかだが、焼尽灰特有の甘い匂いも感じる。それらがすべて混ざり合ったのが、この部屋を満たす悪臭の正体だ。

「これは……。こいつは、いったい……?」

 さっきの集団が彼をここに捕らえていたと考えてまず間違いないだろう。しかし、何故そんなことをしたのか、捕らえた上で男に何をしていたのかがわからない。

 さらに、ヴァニティにはその男にどこか見覚えがある気がした。膝立ちの状態ゆえにわかりづらいが、かなり高そうな身長。頭部の短髪。……つい最近、どこかで会った人間に思えてならない。

「……っ、て……」

「!」

 かちゃり。

 太い鎖が、小さな音を立てた。

「生きていたか。……待ってろ、とりあえず今――」

「てつ……の。……てつ、のて……」

 異様な空気を感じ、ヴァニティは足を止めた。

 繋がれた男が、顔を上げる。うつろな双眸が、暗闇の中に浮かび上がるように、ぼんやりと光る。

「てつのて……。てつのて。てつのて、てつのて、てつのてのてつのててつののてのてつのてつつのてつてつのてのてつのててててつのててつてつのてつつのてつつのてののてつのてつてのてのててつつのててつつのててつのてつつつつつののてつととののののてててて」

 ガチャガチャと、鎖が騒がしく音を立てる。男の筋肉が膨れ上がる。いくつも歯が欠けた口から唾液が垂れ、恨む相手を呪うような言葉が吐き出され続ける。

「てのつてつてのてててのつてつのっ………………てつのてええええええええええ!!!」

 絶叫し、男は自身を束縛していた鎖を引きちぎった。金属の鎖の輪が弾け、二本とも中央部分で破損する。

「う、お……!」

 面食らうヴァニティに、男は真正面から激突してきた。首元を掴み、突進の勢いそのままにエントランスへと飛び出て、そこにヴァニティを押し倒す。その突撃の強烈さに、ヴァニティは銃を取り落としてしまった。

「ああああああああああああああああああああああっっっ!!」

 男は手を振り上げ、ヴァニティの顔めがけて振り下ろしてきた。どうにか首をよじって回避するが、男の拳は床板をいとも簡単に貫通した。弾ける木片に、ヴァニティは反射的に片目を瞑る。

 床板ごと硬い岩肌を殴り、腕は無事では済まなかったはずだが、男は痛がる様子もない。男は明らかに正気も理性も失っている。だが廊下の照明に照らされたその顔を見て、ヴァニティはようやく男の正体に気が付いた。

「……お前、あの時の!」

 体形は二回りも膨れ上がっているが、間違いない。ボロボロになってはいるが、服も同じだ。ピジョンでエヴァにちょっかいをかけ、それを止めたヴァニティを襲った、あの傭兵だ。

(まさか、こいつも……!?)

 マスターの話が脳裏に浮かんだ。焼尽灰の毒にやられ、死んでいった傭兵たち。中には暴れて手がつけられない者もいたという話だった。この男がこうなったのも、恐らくは焼尽灰が原因だ。

 だが、その体の変化は謎だった。この男はかなり痩せていたはず。ほんの数日でここまでの変化が起こるわけがない。ましてや焼尽灰にはそんな作用はないはずだった。

「がああっ、ああ、ああああっ、があああぅうぅぁああああああ!!」

 考える余裕を、男は与えなかった。ヴァニティの体を軽々と持ち上げ、まるで人形か何かのように軽々と振り回し、エントランスの壁に叩きつける。一度では済まず、エントランスを爆走しながら、壁へ床へと、二度、三度と繰り返す。ヴァニティの頭部から、一筋の血が流れた。

「ぐっ、う……!」

 とんでもない馬鹿力で揺さぶられ、意識がぐらつく。ちかちかと明滅する視界が、ふとすると黒一色に塗りつぶされそうになる。

 その仄暗い視界の中に、幻が揺らいだ。

 記憶の奥底から呼び起こされた、コバルトブルーの髪。その持ち主の表情は、黒く塗りつぶされているようで、何もわからない。

 だが、声が聞こえた。

 指先で心をなぞるように。その声は、自分の真名を呼んだ。

(……あ、あぁ……)

 ふっと、体から力が抜けていくのを感じる。緩やかに、安息が体の内側から湧き出てくる。

 首元に、厚く作られたマントの襟元の柔らかな感触が触れる。

 ……その瞬間。

 幻が闇を振り払い、その向こうにあった姿が露わになった。

 現れたのは、先の声の持ち主ではなかった。……突然目の前に現れ、このマントを縫い、あの小さな家で自分を待っていたはずの……。

「……っ……!」

 ヴァニティは、ぶり返した激痛を起爆剤に意識を繋ぎ、窮地の中で目をこらし、男の手から逃れる手を探る。

「ぅがああああああっ!」

「……まだ、だ……!」

 次に自分が叩きつけられるであろう壁にヴァニティは目を付けた。体に鞭打ち、足を振り上げて、男に叩きつけられるよりも先に、壁に足をつく。そしてそこを足場にして、器用に体を反転させた。マントと共にヴァニティの体が翻り、その勢いを乗せたつま先が、男の頭部を直撃。拘束が弱まり、その隙にヴァニティは男の手から逃れた。

「俺が逝くのは、今夜じゃない……っ!」

 ヴァニティは足に力を送り込み、男の首を狙って蹴りを放った。肉も骨も弾けるような、強烈な音がつんざく。

「うう? ……ああぁがあっ!」

「!? 効いて――」

 ヴァニティは、男が振り回した腕の鎖を胴体に受けて吹き飛んだ。廊下を転がりながら、どうにか体勢を立て直す。

 男の方に目を向ける。確かな手ごたえはあったのだが、それでも効いていないようだ。首の骨を一本か二本折ったところで、止まるような状態ではないらしい。

 叫び散らし、もはや獣よりも野蛮な生き物と化した男を見ながら、ヴァニティは額に流れた血を拭い、赤く染まった唾を吐き捨てる。

「まったく大した力だが……。代償に、何もかもを忘れちまったらしいな」

 ヴァニティの両目、そこに宿る光に、鋭利さが増した。呼吸を整え、腰を落として身構える。

「せめて最期に思い出させてやる。お前はどうしようもない馬鹿だったってな」

「ぉおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 鎖を振り回しながら男が迫る。振り下ろされる鎖を見切り、的確に回避。そして攻撃後の隙を的確に突いて反撃する。男には大して効果がないようだが、あくまでヴァニティは冷静な対応に徹した。

(力が強くなっても、元があの程度じゃあな……!)

 男の実力はたかが知れたものだった。一撃は重いが、当たらなければ恐るるに足らない。

 そしてヴァニティからの攻撃も、一発の効果は薄くとも、それが積み重なれば話が別だった。少しずつ、だが確実に男の動きが鈍り始める。

 頃合いと見たヴァニティは、男が振るった鎖を鉄の左手で受け止め、絡めとった。男の体を引き寄せて、下顎を蹴り上げる。男の体が、ぐらりと揺れる。こんな状態になろうとも、体のつくりは人間だ。自分と同じように、脳を揺らせば動きは鈍る。

「ふうんっ!」

 四肢に力をこめ、鎖を利用して男の体を背負い、ありったけの力で投げ飛ばす。男の巨体が一瞬宙を舞い、すぐさまエントランスに激突。床板が数枚、派手に吹き飛んだ。

 それを尻目に、ヴァニティは男から歩いて遠ざかる。落とした愛銃を拾い、軽く手で汚れを払った後、構える。

「おおぅ、おおおっ、おお……!」

 男はまだ生きている。四つん這いになりながら体を持ち上げて、まだヴァニティの命を奪おうと迫る。

「てつ、の、てええええっ……!」

「いい加減にしろ」

 焦点の合わない目に、銃を構えるヴァニティの姿が映った。

「しつこい男は嫌われるぜ」

 銃撃。強烈な威力を持つ弾丸が男の体に命中し、肉と血が激しく弾け飛ぶ。やはり一発では止まらないが、二発、三発と連続で放たれた射撃を受け、男はとうとう片膝をついた。ヴァニティはじっくりと狙いをつけ、四発目を男の頭に叩き込んだ。

 弾丸が男の頭部、その右側を貫通し、肉塊を撒き散らす。

「おおっ、あおお……っ…………」

 男の目から恨みの光が消え、音を立てて巨体が仰向けに倒れた。まだびくびくと体が痙攣しているが、それだけだ。

「……はあっ、まったく。何だったんだ」

 焼尽灰が関わっているのは間違いないと見ていいだろうが、にしても腑に落ちない点が多すぎる。こんな状態になった人間を、ヴァニティは未だ見たことがない。

 いったい、何が起こっているのか。いったい誰が、何のために……。

「やるね」

 突然の声。ヴァニティは瞬時に反応し、銃を上方に向けた。二階へと続く階段、そこから連なる踊り場に、仮面をつけた青年が立っている。

「『鉄の手』、あるいは『デスブリンガー』。名が知れるだけの腕はあるようだね」

 次から次へと。嫌気がさして、ヴァニティは舌打ちする。

「そりゃどうも。だがこっちが訊きたいのは誉め言葉じゃないんだ」

 ヴァニティは銃を構えながら、体に緊張感を満たしていく。雰囲気は異なるが、やはり穏便に事を済ませられる相手ではない。

「さらった女はどこだ」

「……これは偶然」

 青年は、ごく自然な動作で腰に手をやった。

「こっちも訊きたいことがあったところだよ」

 剣を抜いた青年が、それを眼前に斜めにして掲げる独特の構えを取る。そして踊り場から飛び上がり、ヴァニティに斬りかかった。

 ヴァニティは後退し、冷静に距離を取った。剣の間合いの外、しかし銃撃の回避は困難な中距離で、仮面の青年に狙いを定める。そして引き金を引き絞った。

 だが、弾は当たらなかった。空に舞う羽のような身のこなしで、青年は銃弾をあっさりと避けてみせた。

(見てから避けた!?)

 只者ではない。ヴァニティは歯を食いしばり、青年が繰り出した斬撃をどうにか回避した。攻撃も極めて速く、鋭い。一度でも避け損なえば終わりだ。しかし、距離を離しても射撃は当たらない。接近戦で活路を見出す他ないようだ。

 横薙ぎの切っ先を銃口で払いのけ、隙をつくべく蹴りを繰り出すが当たらない。縦斬りを左手の甲を使って受け止め、銃を構えるが、青年はすでに射線上にいない。

 一方で青年も攻めあぐねている様子で、戦いは拮抗した。その拮抗を破るべく、二人は一歩、間合いの内側に踏み込む。

 そこで優位に立ち回ったのは、仮面の青年だった。振るわれたヴァニティの右手を、剣の柄で弾き飛ばす。

「くっ……!」

 ヴァニティの首筋に刃があてがわれ、身動きを取ることが出来なくなる。

「……なるほど」

 仮面の青年が、どこか満足そうに零した。

「いい動きだ。汚れ仕事をやらせておくには惜しいよ。……穢れた銃なんて捨てて、然るべき方の元で剣を振るった方がずっといい」

「刃物は嫌いなんだよ。嫌なことばかり思い出す」

 その発言に、ヴァニティは青年の正体の片鱗を見た。銃を穢れた物として扱い、古から続く剣の伝統と神聖性を重んじる。騎士特有の思考だ。

「そっちこそ、人の留守中に招いてもいないのに家に押し込んで、散々荒らした挙句に人までさらっていくってのはどういうことだ? コソ泥ですらもう少し人の心ってものがある。それ以下の真似をして、その剣とやらは泣かないのかよ」

 そして、その言動だけではない。仮面の奥の素顔に繋がるヒントを、ヴァニティはもうひとつ見出していた。

「ポールスター流剣術」

「っ」

「ホワイトフレークの騎士たちが学ぶ流派のひとつだ。その剣筋はよく知ってる。仮面で顔を隠しても、体に染みつかせた技術は隠しようがないぜ。……ずいぶんと堕ちたもんだな、騎士って奴も」

 身動きを制限されても、ヴァニティは怖気付いていなかった。

 青年は露骨に言葉を詰まらせた。やはり、正体の露見は是が非でも避けたいようだ。

「……。これは主の信念に従った行動だ」

 剣は、ヴァニティの首筋を捉えたまま微動だにしない。

「そこに間違いなど、あるもんか」

「顔を隠した奴がよく言える」

「お前こそ、指輪をどこに隠した?」

 青年がわずかに体を前に出した。黒衣の男につけられた傷から流れ出る血が、刃をつたっていく。ヴァニティは、それでも退かない。

「先にこっちの質問に答えてもらおうか。彼女をどこにやった」

 ヴァニティは隙をついて銃を持つ右手を上げようと試みたが、仮面の男の刃に牽制され、叶わなかった。

「質問が出来る立場だと思っているのか?」

 緊張の糸が、ぴんと張り詰めたまま緩まない。

「女から指輪を受け取ったことはわかってる。持っているのなら今すぐ渡すんだ」

「それは無理だな」

「ずいぶん余裕だな。こんな状況で……」

「あの世に逝きかけたことなんて何度もあるのに今更ビビるかよ。……無理なもんは無理なんだよ。持ってないものをどうやって渡せって? どうやるんだ。教えてくれよ、なあ」

「とぼけても無意味なんだよ!」

 仮面の青年の語気が強まった。表情は見えないが、相当焦れているようだ。

「早く渡せと言っている。さもなくば……」

「さもなくば……何だ?」

 一方でヴァニティにはやはり余裕があった。その言葉通り、幾度も死線をくぐってきたのだ。このような状況でも己を失うことはない。何より、今更死など恐れていない。

「掃き溜めに生きる盗賊よろしく、俺を殺して身ぐるみ剥いで探すか。やってみろ。どんな結果が出てこようが、先に待つのは後悔だけだ」

「……っ……」

 刃が、ほんのわずかにヴァニティの首筋から離れた。

「……。持っていないはずがない、そんなはずがないんだ」

 自分に言い聞かせるように、青年は言う。ヴァニティの、そしてエヴァの、その揺るがない態度を前に、青年は揺らいでしまっていた。

「ならどこに隠した! それとも売ったのか!? 早く言うんだ、でないと――」

 突然、ゆらりと、二人に影が差した。

「てぇつのてえええええええええええええええええええええええええ!」

「!」

 仮面の青年の背後で、先ほど倒したはずの元傭兵が立ち上がっていた。その頭部は一部が欠損しており、胴体も銃撃によってずたずただ。それでもまだ動くのは、ヴァニティへの執念の賜物か。何にせよ、相対している相手に集中していた二人にとっては、完全に想定外の出来事だった。

 幸運なことに、ヴァニティの目には跳ね起きた男の姿が偶然映り込んでいた。頭が判断するよりも先に体が反応し、後方に飛び退く。

「なっ……!?」

 青年は背後を取られ、完全に意表を突かれた形になった。

 男が振り回した鎖をまともに体に受け、真横に吹き飛ばされる。受け身を取ることも出来ず、エントランスの壁に叩きつけられる。

 その拍子に、顔を隠していた仮面が外れ、廊下に落ちた。

「……! まずっ……」

 体を起こした青年は慌てて顔を隠したが、もう遅い。ヴァニティはその素顔をしかと目撃していた。

「お前……!」

「くっ、くそっ……!」

 分が悪いと見て、青年はすぐに駆け出した。暴れまわる男の脚を斬りつけて足止めしつつ、身を屈めて廊下を走り、二人の体の間をすり抜けて、外へと逃げていく。

「……」

 ヴァニティは、青年を追おうとはしなかった。……今は、他に優先すべきことがある。

「……てつ……の、て……っ……。お、おおぉ……」

 致命傷を受けながらも立ち上がった男だったが、もはや限界を通り越しているようだ。まともに動くことも出来ず、四つん這いになりながら、性能の落ちた五感を使ってヴァニティのことを探している。

 そんな状態になっても、自分の名前を呼び続ける男に、ヴァニティは銃口を向ける。

「今、楽にしてやる」

 今一度頭部に狙いをつけ、銃を放った。頭部が棒で殴られた果実のように張り裂け、ピンク色の内容物があたりに一面に散らばる。

 今度こそ、男は死んだようだった。叫び散らすための口は役立たずの脳味噌と共に失われ、もはや痙攣もしていない。

 男の死体と、青年が逃げ去った先を交互に見てから、ヴァニティは一息ついた。すぐさま気を張り直し、銃を再装填して再び屋敷の探索に移る。一階はすでに調べ終わっている。次は二階だ。

 敵の気配は感じられない。だが、それでも慎重に進むに越したことはない。銃を構えながら階段を上がり、その先にある二つの扉を目に留める。

 手近な方の扉に手をかけて、部屋の中を調べる。寝泊りに使う部屋だったようだが、寝具がいくつか置かれているだけでここには何もない。早々に次の部屋へと移動する。

 例によって緊張感を保ったまま、扉を開き、中へと意識を滑り込ませていく。

「!」

 部屋の奥、その壁にうずくまる人影を見つける。眩しいような裸体に、いくつもの傷。コバルトブルーの髪。

「エヴァ!」

 ヴァニティの呼びかけに、エヴァははっと顔を上げた。

 間に合った。無事とは言えないかもしれないが、まだ彼女は生きている。

 安堵を覚え、ヴァニティがエヴァに歩み寄ろうとすると。

「っ……」

 勢いよく立ち上がり、エヴァはまっすぐヴァニティへと駆け寄った。

「ちょ、ま、かくっ……」

 エヴァの全裸を意図せず目の当たりにし、たじろいだヴァニティなどお構いなしに、エヴァは真正面からぶつかるように抱き着いた。

「やっぱり来てくれた。……でも」

「…………」

「……ずいぶん……待たせるじゃない?」

 ヴァニティの胸に顔をうずめながら、エヴァはそう言った。くぐもった声は、少し湿っていた。小さな肩が、震えている。

「……悪かった」

 彼女に触れることも出来ず、ヴァニティはただそう返すだけだった。

 そして、下向けた視線に、それは自然と映り込んだ。

「……」

 白く滑らかな肌の背中、その中心に生えそろった、髪とよく似た色の艶やかな鱗。謎めいた彼女が、予想だにしなかった秘密をまだ抱えていたことを、ヴァニティは知る。

 だが、明らかなこともあった。

 エヴァは、自分を信じて待っていた。……必ず助けに来ると、そう信じていた。

 言葉よりも確かに、胸を締め付け続ける細い腕の力が、それを物語っている。

「……。……待たせて、悪かった」

 もう一度詫びて、ヴァニティは目を閉じる。

 銃を握る右手と、鉄の左手を体の横に下げたまま、エヴァが満足して自分から離れるまで、ヴァニティは彼女の抱擁を、ただただ受け止める他なかった。

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