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一章 一節

 屋敷の中には静寂が満ち、口を開く者はなかった。

 富裕層が所有するものとしては小さな、木造の二階建て構造。古風な内装に絢爛さはないが、壁や床はもちろん、インテリアのひとつひとつに至るまでしっかりと金がかけられ、目が行き届いている。発光する特殊な鉱石を用いた照明はすべて消されており、薄いレースカーテン越しに窓から差す月明かりだけが、屋敷の中を照らしている。

 青白い光に浮かび上がるのは、死。

 大きな壺に頭部を突っ込んで絶命している者。なめらかな絨毯の上に作られた血だまりの中に沈む者。屋敷の至る所に、かつて命だったものの残滓がこびりついている。

 生きている者は、いない。

 否、いた。

 屋敷の中の一室、そのクローゼットの中に、毛布をかぶりながら身を隠す者が二人。年齢が二桁に乗るかどうか、といった幼い様相の男女。双子のようだ。姿かたちは人間のそれだが、人らしい形の耳介を持たず、代わりに頭部に一対の縦に長く伸びた耳を持っていた。形としては、兎のそれに近い。

 双子はほとんど裸同然の体を寄せ合い、震えながら身を隠していた。

 ここに隠れていろ。

 そう告げられた言葉を、最後の望みにして。

 静かになったクローゼットの外が、また騒がしくなった。いくつもの足音が忙しなく駆け回っている。物を倒し、乱暴に戸棚を探っている音が、クローゼットのすぐそばにも近づいてきた。双子は、ぎゅっと手を握り合い、恐怖と声を押し殺す。

「あったか?」

「いや、どこにも。しかしこれを見て下さい」

 男たちの声だ。すぐそばで話している。

「コレクションの中がひとつだけ欠けています。恐らくは、ここに」

「……まだ身に着けたままだったか」

「『鉄の手』では? 隙を見て奴が持ち去ったという可能性もあるでしょう。奴はあれの価値を知らない」

「いや……どうかな」

「当主お抱えと言っても、所詮は傭兵でしょう。金目の物に目がくらんでもおかしくはないのでは」

「普通の傭兵ならそうかもしれない。が……」

「奴は違うと? 確かに、腕は立つようですが」

「……。とにかく、後を追うんだ。手遅れになるとまずい」

「はっ」

 男たちの気配が遠ざかる。見つからずに済んだようだ。

 だが、双子は動かない。ただ信じて、震えながら待つ。

 男たちが目指したのは、屋敷の一室に隠された秘密の通路だった。使用された形跡のない暖炉の奥に、地下へと続く縦穴が掘られている。それを隠していた板は、乱雑に傍らにどかされていた。

 降りた先にあるのは、細く、曲がりくねった薄暗い通路。かなり古く、今にも崩れて落ちそうな不安な石造りだ。照明は申し訳程度で、湿気も汚れもひどい。見るだけで鳥肌が立つような虫や小動物も大量にうごめいており、お世辞にも快適とは言えない空間だった。

 吸い込むだけでせき込むカビ臭い空気に苦しみながら、その通路を少女が駆けていた。緩やかなウェーブがかかった長い金髪と、丸く愛らしい両目を持つ。身に着けているのは薄手のベビードールのみ。白い手足は汗で濡れ、地下通路にたまった汚れですでに真っ黒だった。片手にぼんやりと発光する手のひら大の鉱石を握っているが、周囲を照らす明かりとしては心許ない。

「ひゃっ……!」

 また何か、踏みつけた。ぱきり、と、嫌な感触。虫の外骨格、あるいは羽でも踏みつぶしたのだろう。その時零した悲鳴に反応し、天井にぶら下がっていた暗闇に生きる蝙蝠たちが一斉に羽ばたき出した。少女は身をかがめ、目を潤ませ、それでも進む。先ほど何を踏んだのか確かめるのも、足を止めるのも怖い。時折止まって肩で息をしてしまうが、落とした視線の先に映る大量の虫たちと、背中を刺す恐怖が少女を進ませた。

 やがて、長い通路の終点が、ようやく見えてきた。

 傾斜になった道を上った先に、光が見える。格子状の扉、その隙間から零れてくるのは、月明かり。

 少女はわずかに希望を抱き、照明の鉱石を投げ捨てて坂道を駆け上がった。転び、通路の石くれを踏みつけて切り傷を作りながらも止まらず、扉にしがみつく。扉の錠は都合よくこちら側からでも開けられた。

 錆びて滑りの悪い錠を苦心しながらも開け、外に出る。そこは、煌びやかな街の通りからは外れた路地裏だった。大通りの方から来たとすれば、袋小路になる場所。ゴミや残飯が散らばる小さな広場は普段なら足を踏み入れる気にもならない場所だが、ここから街に出られることは違いない。

「はあっ、はあっ……」

 背後を振り返る。誰かが追ってくる気配はない。

 助かった。あとはこの路地裏から出れば街に出る。そこで誰かに助けを求めればいい。

 あと少し、あともう少しだけ頑張れば。

 そう思った時、足音が聞こえた。

 前方からだ。街の方から、誰かがこちらに近づいて来ている。暗がりの中にあってよく見えないが、確かに人の姿が見えた。

「たっ……け、て」

 上手く声が出ない。息が安定しない。でも、早く。早く、助けを求めなければ。

「……助けてっ……!」

 今度は言葉になった。大丈夫、声は出せる。少女は心で自分に言い聞かせる。

「人殺しよ。いきなり屋敷を襲ってきたの。どうか、どうか助けて……!」

 返事はない。だが、人影はこちらに近づいて来ている。こちらに気付いてはくれている。

 大丈夫、助かる。少女がそう、確信した時。

「思ったより早かったな」

「!」

 耳の奥によく響く、若い男の声。人影の正体が、月明かりを受けて夜に浮かび上がる袋小路に姿を現した。

 少女の心がまた、隠し通路の闇より黒く染まる。

 精悍な青年と言える年齢の顔立ち、体形。だが眉間には年相応とは言えない険しさが深く刻まれている。後ろに流した黒い頭髪は、左耳からこめかみにかけての部分のみ、真っ白に色が抜けていた。

 身に着けているのは、黒基調のレザーのシャツとパンツ、灰色のマントに金属製のブーツ。いずれも傷とほころびが目立ち、所々にどす黒い汚れがこびりついている。その奥には鍛え上げられた肉体が隠されていることが、衣服の張り具合からうかがえた。

 何よりも目を引くのは、その左腕。

 物騒な黒騎士のガントレットのような、あるいは神話に出てくる悪魔のそれを無理やり模したような。とにかく、人本来が生まれ持つものではない。二の腕から指先に至るまでのすべてが、鈍く黒く光る金属のものに置き換わっている。

 どこか神聖に光る満月を背中に、その男は、少女が街に出る行く手を阻んだ。

「『鉄の手』、ヴァニティ……」

「……すっかり名が知れたな、俺も」

 少女に正体を看破されても、ヴァニティは微塵も動揺しなかった。

「屋敷に隠し通路があったことにも、ここに通じていたことにも調べはついてる。悪いが、逃げられないぞ」

「……」

 少女は動かなかった。今すぐ来た道を引き返したところで無駄だとわかっているのだろう。自分が逃げてきた屋敷を襲ったのは、他でもなく目の前にいる男だ。

「ねえ、待ってよ」

 しばらくの沈黙の後、少女はそう切り出した。薄く笑い、相変わらずひっきりなしに汗をかきながら。

「どうしてなの? あたし、あなたに何かした? ……酷いことをされるような覚えなんてないわ」

 言葉は震えながらも途切れない。

「あたし、何も悪いことなんてしてない。だから見逃してよ。……何でもするから、お願い。今は何も持ってないけど、お金も宝石も好きなだけ渡すから。それとも、あの屋敷にいたインピュアの双子がお目当て? それでもいいわ、あたしはまた別の……」

「……」

 ヴァニティはわずかに沈黙した後、一歩前に出た。腰の後ろに手をやり、そこに携帯していたものを右手に握る。前方から見ると棺桶のように見える形状の歪な六角形をしたバレルに、破損とは無縁であろう肉厚のシリンダーとグリップ。威圧感を抱かせる質量とサイズを持つ、超大型のリボルバー式拳銃だった。

「! いや……いや……!」

 少女の顔が青ざめた。汗はかえって引き、腰が抜けてへたり込む。一歩、また一歩と前に出てくる終焉そのものに、もはやなす術がない。

「いやよ、そんなの嫌……! パパ、ママ、助けてよ! 誰か、誰でもいいから、嫌、嫌、嫌……! あたし、何も、なんにも悪いことなんて……!」

 十分な距離まで歩いて近づいた後、ヴァニティは足を止めた。

 銃を少女に向ける。

「あたしは悪くない、悪くない、悪くない、悪くない……!」

 少女は目を瞑り、両手で頭を抱える。

「悪くない、悪くない、悪くな」

 一瞬、赤みを帯びた閃光が月光を塗りつぶし、そして消えた。炸裂音が、夜の空を駆け抜ける。

 骨と肉が混ざってはじけ飛び、少女の体が後方に吹き飛ぶ。隠し通路の扉付近まで路地を滑り、止まる。びくびくと二、三度痙攣して動かなくなった体からは、頭部と、両手の先がなくなっていた。

「君が何も悪くなくても」

 硝煙を上げる銃をホルスターに戻す。

「……俺は英雄(ヒーロー)じゃない」

 もはや何も聞こえはしない少女にそう告げ、ヴァニティは今来た道を引き返していく。

「っ」

 途中、あるものが目に入った。路地裏の壁に貼ってあった手配書だ。長い年月にさらされ、紙はすっかり色あせている。書かれているのは罪人の名と、相当に高額な懸賞金。そしてその罪人の似顔絵が、中央に大きく描かれている。

 イーサン・ヒューズ。

 その名は、記憶を辿ればすぐそこにあり。

 似顔絵に書かれているのは、鏡を見ればいつでも目に出来る男の顔だった。

「…………」

 ヴァニティは、鉄の左腕でそれを引きはがす。

 風化した手配書は簡単に散り散りになり、路地裏に溜まるゴミにまぎれた。


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