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隻眼の野良ねこ  作者: かぼちゃ汁
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細く吸って、細く吐く。

薄暗い中、目を凝らしながら壁伝いに歩いていると、どうしても昔を思い出してしまう。

あの頃と違うのは、身を包むのがボロ布から肌触りの良い黒装束に変わったことだ。


「なにが、一枚書類を持ってくるだけのお使いだ。帰ったら絶対に殴ってやる…!」


暗闇の中、手探りで進むのは慣れているが、そこかしこから怒号が聞こえるのはいただけない。


かじかんで感覚の薄い手の先へ意識を集中し、魔力を全身へ張り巡らせる。

無駄にある魔力の使い道として、唯一できたのがこの身体強化だったのだ。


「おい、こっちだ!見つけたぞ!!」


張り詰めた男の叫び声と複数の人影が、松明の明かりと共に雪崩れ込んでくる。


「あーもう、覚えてろよ。くそ王子め。」


当人に聞かせたところで鼻で笑われる罵詈雑言と、踏みつけられ砕けた石床の音が重なった。





モノゴコロ、とやらがついたときには常に腹を空かせていたと思う。

父親は見たこともないし、母親はいつもフラフラと身体を揺らしているだけ。世話らしいことをしてもらった覚えはない。


「もう少し身体が大きければ売り物になったのにねえ。」


と残念そうに言われたのは母親が死ぬ直前だった。

生まれつき小柄で、右目が濁った子どもは売ることもできず、さぞ困ったことだろう。


そんな母親が死んだのは、厳しい冬の朝。

真っ白な顔をして動かなくなった母親をぼうっと眺めていたら、様子を見に来た近所の老婆が世話をしてくれた。

誰も彼も金はないが、途方に暮れた子どもを放り出さずに生きる術教えてくれる。掃き溜めのようなスラム街でも、そんなつながりがかすかに残っていたのだ。

最低な中でもほんの少しマシな場所にいる、それが運が良かったのか悪かったのか、ボロボロの子どもは何とか死なずに済んでしまった。


かろうじて生き延びてから数年後、子どもはまだ生きていた。

緑の街灯を越えたら治安警備隊が増える、と教えてくれたのは誰だったか、覚えていないということは、多分捕まったか死んでしまったのだろう。

狙うなら酔っ払い、観光客、若い女。一人からたくさんはスらない、無理だと思ったらすぐに逃げる。

生きていくために刻まれた経験は深く濃い。


「よし、ノルマ終わりっと。」


行きより重くなった懐を押さえて走り出す。

足を止めることなく、路地から路地へ、舗装された道はあっという間に無くなり、埃っぽい路地裏へと辿り着いた。


「よっ…と!」


両足に力を込めて外壁を蹴る。軽業師のようにトントンと屋根までかけ上げれば、下の方からうろたえるような声が聞こえた。


「バーカ、つけるならもうちょっと上手くやれよな。」


人の上がりを狙う奴らはだいたいが酒に身体をヤられているので動きが鈍い。

なので、屋根から屋根を飛び、さっさと距離かせいでしまえば簡単に撒けるのだ。


そのまま屋根をつたい、細い道を通り抜け、崩れかけた小屋が立ち並ぶスラムのさらに裏手へ向かう。

途中のあばら屋の窓に小銭を放り込めば、しゃがれたババアの罵りごえが聞こえる。


「ははっ、まだ生きてるな!」


「生な口聞くんじゃないよクソガキ!!」


スラムの中を通り抜けていけば、剥き出しの水路が顔をだす。

がらんと口を開けたトンネルの奥へ進んでいけば、そこが我が家。

湿っぽくて薄暗い、坑夫たちの簡素な休憩所だった場所。そんな場所なのに、ほんのり灯った明かりを見ると、張り詰めていた気持ちがゆるゆると解けてゆく。


「…ただいま。」


「「あ、ヴィー!おかえり!!」」


「フェイ、エラ、ただいま。良い子にしてた?」


太陽よりも眩しい金色の瞳が四つ、きらきらと入り口からのぞいている。金髪に金眼の双子は薄汚れた地下道の中でも輝いていた。


「おかえり、ヴィー。怪我はしていない?」


奥から赤目に赤髪の少年が足を引き摺りながら現れる。

双子よりほんの少しだけ年嵩な少年は、この穴倉の管理を担っているのだ。


「カイ、ただいま。今日はイマイチかも。」


少し膨らんだ布袋を渡せば、少年、カイはくしゃりと苦笑した。


「仕方ないよ、治安警備隊にこの辺りはマークされてるみたいだ。ヴィー、ちょっと派手にやり過ぎたね。」


小銭や小ぶりの宝飾品を数えるカイの指を眺めつつ、ヴィーは口を尖らせた。


「仕方ないだろ。チビたちの飯代だ、いくらでも金がいる。」


地下道に建てた小さな掘立て小屋にはまだ幼い双子のフェイとエラ、そして足が悪いカイがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。

今はまだ全員が小柄なので何とかなっているが、ここから先はわからない。


「イサじゃないんだから、わたしたちはそんなに食べないわよ!」


ぷく、とほおを膨らませた少女は心外だとばかりに手を振った。


イサはヴィーとほぼ同年代の少年で、最近は傭兵の手伝いをして小銭を稼いでいる。メキメキと身長が伸びているので、そろそろこの小屋では辛いだろうと話をしていたところだったのだ。


「そういえば、ヴィーはイサと会ってない?今日には帰ってくるって言ってたんだけど。」


「いや、会ってない。今回は害獣駆除か?それとも、また、」


ヴィーがそう尋ねた次の瞬間、地下道に轟音が走り抜けた。


目の端でカイが素手でランプの灯りを握り潰したのを確認し、ヴィーはズタ袋を脱いで投げつけた。


「…っ!!カイ、フェイとエラを!!」


「エラ、エラこっちだ!」


「フェイっ!!」


地響きとともに聞こえたのはいくつかの足音。重く反響をしているのは軍用のブーツだからだろう。

こんなところにわざわざ来るなんて、ろくなやつらではない。


ヴィーは双子をカイに押し付け、小屋の奥へ放り込む。

隠れる場所など無いが、ズタ袋をかぶれば幾らか時間は稼げるだろう。


ぐっと息を詰めて、身体をゆっくりと伸ばす。足音はどんどんと近づき、小部屋の前で止まった。


「っし、ここだな。おい、隠れてねえで出てこいや!」


よく通る男の声が聞こえた瞬間、ヴィーは扉を蹴り抜く。ばりんと木戸が割れ、向こう側へ薄い板が倒れ込んだ。


「どわあっ!!」


外にいたのは体格の良い男が一人、その後ろに細身の男と、同じく細身の女。

扉ごと押し倒した体格の良い男が一番戦闘力があると判断をし、体重をかけたそのままに両目を狙う。


「っ!おいおい、マジかよ。勘弁してくれ!」


慌てて飛び退いた男は、無事だった顔をひと撫でして息をつく。

その様子を見た女がおかしそうに手を振った。


「あらま、すごいわね。ゼッド、大丈夫?」


「リン、笑ってないで手伝えよ!殿下は生け捕りをご希望だぞ。」


ふふふ、と楽しげに笑う女、リンがひょいと手を振ると、ヴィーの右足がガクンと重くなる。

振り返れば真っ黒なツタのようなものに右足が捕えられていた。


「ごめんね、暴れないでちょうだい。その子、獲物が動くと興奮しちゃうから、危ないのよ。」


まさに振り払おうと力を込めた瞬間、みしりと骨が軋むほど締め付けられて、女の言葉に嘘がないことを知る。


「またお前、趣味悪ぃやつ増えてんじゃねえか。」


「んー?ゼッドもぐるぐる巻きにしてほしいのかしらあ?」


「ばっかお前こっち向けんな!!」


ぴこぴことツタを動かして男をからかう女を横目に、ヴィーは必死に逃げる道を探していた。

捕えられた右足はがっちりとつかまれており、少々のことでは動かせない。

ヴィーが捕まるだけで済むならいい、最悪なのはあの子たちが見つかることだ。


「…お前ら、何なんだよ。」


食いしばった歯の奥から低く唸る。

すると、奥にいた細身の男がゆっくりと前に出てきた。


「わたしたちは第二部隊です。王都の端に出たコソ泥を捕まえられないと治安警備隊に泣きつかれまして、この度出動を命じられたのです。」


体格の割に低い声で語られる態度は慇懃無礼、そして全くトーンに抑揚がない。


「調べてみれば、野良猫のような子どもを誰も捕まえられないという体たらく。

警備隊の顔を立てるためにも、生け捕りにし、聴取ののち見せしめに王都の中を引き回せと…。

随分、恨みをかいましたね。全く、あまり大人をからかうものではありません。」


つらつらと並べられる言葉は現実味がないが、どうやら随分と大物を釣り上げてしまったらしい。

確かに、追いかけてきた警備隊を適度に煽ったことはある。真っ赤な顔で叫ぶじいさんの顔を思い出し、あいつか、と口を曲げた。


こわばっていた身体から力を抜いて、ゆっくり両手を上げる。


「いいさ、引き回しでもなんでもしろよ。金は全部使っちまったし、返すアテもねえ。」


ほらよ、とポケットの中のものを地面へ投げ捨てる。


「返せるのはそんだけだ。持ってけよ。」


不遜に振る舞えば、さっさと連行されるだろう。世の大人たちが生意気なガキを嫌っているのは、いやになるほど知っていた。


「ゼッド、確認を。」


「お、おう。…だー、これゼン爺さんの時計じゃねえか。そりゃキレるだろ、警備隊長からスッてんじゃねえよ。」


「ふむ、なかなかに良い腕ですね。」


「アサ、ほめるとこじゃねえぞ。」


細身の男はゆっくり腕を上げて、空中に何かを描き出した。


「それだけの腕があり、しっかりと稼ぐコソ泥にしてはあまりにも潔い。その辺りはまだまだ子どもですね。“捕えなさい、風影”」


ごお、と空気の塊が動き、小部屋を揺らした。


「うわあ!」

「きゃあっ」

「わああ!」


3人の子どもたちが空中に投げ出され、そのまま転がり出てしまう。


「カイ、フェイ、エラ!!くっそ、やめろ!オレだけでいいだろ、そいつらは関係ない!!」


骨が軋むのも構わず暴れると、右腕と左足にも黒いツタが巻きついてきた。


「アサったら、やってることが完全に悪い大人よ?

ほら、子猫ちゃんがこーんなに牙向いちゃって。あーらら、かわいそう。」


ギリギリと音を立ててめり込むツタを見て、女が眉を顰める。


「なるほどなあ、一丁前にチビ食わせてたのか。」


うずくまり震える子どもは3人、どれもこれも上に出た瞬間食い散らかされるタイプだ。

見目が良いものと、弱いものが生きていけるほどスラムは甘くない。


「こいつらは?」


「犯罪に加担したものとして施設収容ですかね。」


淡々と処遇を話す男たち、この国は子どもだろうと罪を犯せば裁かれる。

そして、今まで施設に行くといった子どもたちは誰一人として戻ってこなかった。


「うあぁあ!!!」


怒りと焦りと、激しい感情の唸りで身体が燃える。そのまま、腹の奥の何かが弾けた瞬間、ヴィーは自分が爆発したのだと思った。


「ちょっと、ダメよ。手足がちぎれちゃうわ!!」


ふわりと柔らかな何かが覆いかぶさる感触がしたが、全てを振り払って、ツタをちぎる。

目を丸くした女の頭上を飛び越え、子どもたちのそばにいる男に掴みかかった。


「っ、アサ!!すばしっこいだけの子どもじゃねえぞ!魔力持ちだ!!」


「これはこれは、さすが殿下。ちゃんと当たりですねえ。」


「のんきにしてんじゃねえ、死ぬぞ!」


確実に急所のみを狙う子どもをいなしながら、同僚を睨みつける。


「くっそ、暴走してんじゃねえか!このままじゃ魔力線が焼き切れるぞ!」


「殿下はいけどりをご所望です。」


「あーあーあー、うるせえな!リン、魔封じ!」


「今日持ってきたやつじゃ無理よお。上級の匂いがするもの。」


焦りからか、暴走する子どもはもはや意識があるかも怪しい。

意識を落とすか、とゼッドが腰の長ものへ手を置いたとき、ガゴん!と鈍い音がした。


「ヴィー、また暴走したな。あんまり無茶すんなって言ってるのに。」


少年から青年へと成長していくちょうど狭間のあいだごろ。スラリとした体躯の少年は大きな木箱を無造作に投げ、白目をむいているヴィーの頬を叩く。


「あー、やべ。やりすぎたか。

カイ、フェイ、エラ、遅くなってごめん。

何がどうなってるのか説明って聞ける感じ?」


少年はがりがりと頭を撫でながら周りを見渡した。


「アサ、ちょっと。あなた結界は?」


「ふむ、きちんと封をしたんですけどねえ。」


「マジで大当たりじゃねえか。

…おい、話が変わった。とりあえず危害は加えねえからついて来い。」


びくりと震えた子どもたちを横目に、少年、イサはへらりと笑った。


「この人たちは大丈夫だ、悪い感じもしないし。さて、俺はヴィーを連れていくからお前らは自分で歩けよ。」


飄々とした様子の少年に毒気を抜かれた大人たちは顔を見合わせ、ひらりと布を一枚取り出す。


「話もまとまったようですし、参りましょうかね。

我が主人のもとへーー。」


瞬く間に光に包まれた一同は、何も残すことなく穴倉から姿を消した。


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