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雨姥女

夏のホラー2025企画に挑戦。

「アマンバジョ?」


 俺は怪訝さを隠さずに復唱した。


「そうそう、降る『雨』に婆さんと同じ意味の『姥』、それに『女』で『雨姥女(あまんばじょ)』。ボクの地元に伝わる……妖怪? みたいなモノなんだけどさ」


 目の前の同僚である温水は、童顔を無邪気にニヤつかせて言う。


「なんで半疑問系なんだよ、妖怪じゃねぇのか? 大体なんでその……雨姥女とか言い出した?」


「ん〜、ボクがまだ幼気(いたいけ)な少年だった頃に祖母にしょっちゅう言われてたんだぁ。『雨ふいの晩は(雨降りの晩は)早よ寝らんと(早く寝ないと)アマンバジョがくっど(雨姥女が来るぞ)』って。

 雨の晩に夜更かししてると老婆が傘の代わりに鎌を持ってやって来て……っていう、要は躾で聞かされる典型的な脅し文句なんだよな〜、多分。

 あ、ちなみにさっき言った漢字はボクが考えた当て字ね。耳でしか聞いた事ないから。『山の姥』って書いて『やまんば』なら、『雨の姥』で『あまんば』でもおかしくないでしょ」


「『姥』が老人の女を指すんだから、『女』はいらなくないか?」


「しょうがないじゃん、ボクが聞かされたのが『アマンバジョ』なんだから。『女』はオマケね。あるいは強調ってことで。

 んで、なんで半疑問系なのかって言うと、ボクの地元でも住んでた狭い地区でしか聞いた事ないからなんだよ。そこって六世帯くらいしかないトコでさ、そこ以外だと隣の地区でも誰も知らないの。地元に神社もあったけど地区が別でさ、そこの神主も知らないから郷土特有の妖怪っぽくもなくて。

 だから、後々ボクはその地区の大人が創作した妖怪的なモノだと結論づけて、それ以上はボクも子供だったから深く考えずにそれからずっと忘れてたんだよねぇ」


「で? 雑談なら休憩時間にしてくれないか?」


「ああ、ごめんごめん。ちゃんと仕事の話だから。

 この夏、『夏の怪奇特集』ってことでウチから別冊出すだろ? そのために読者の体験談、募ったじゃん。集まったそれを採用不採用の仕分けのためにいくつも読んだんだけどさ……」


 そう言って温水は何枚かの書類を俺のデスクに放った。一枚から二枚にプリントアウトされたメールの内容が五通。日付はバラバラ、差出人の住所も全国に散らばっている。

 これがどうかしたのかと思って温水を見れば、無言で顎を振って「中身を読め」と言ってくる。

 俺はため息を吐いて、一番上の一枚を手に取った。

 温水の視線を浴びながら俺はそれを読んだ。




『これは五年くらい前の、夫と結婚する前の話なんですけど、当時、私は大学生で一人暮らししてたんです。

 二〜三週間おきくらいに週末はお泊まりデートしてて、あの時もそうでした。

 昼間に普通に観光地でデートして、彼の家へ帰るために高速を走ってたんですけど、遊びすぎちゃってかなり夜遅くになっちゃってたんです。

 でも、どうせ彼のところに泊まる予定だし、朝、遅めに起きても大丈夫だったんで二人とも気にしませんでした。

 高速を半分くらい来たところで雨が降り出して、帰り着く頃には止んでると良いねなんて呑気に言ってたんですけど、夜が遅いこともあって気がついたら走ってるの私達の車だけになってたんです。

 前も後ろも、すれ違う対向車もなくて、ヘッドライトが照らすのは雨に打たれる道路ばかり。

 そうなってすぐは彼と「こんなに他の車がないって珍しいね」とか「時間帯のせいかな」とか「雨も降ってるしね」って軽口言い合ってたんですけど、そのうちなんだか空気が重くなっちゃって、二人して何も話さなくなっちゃったんです。

 いつもなら楽しく聞いてるカーステレオの曲も、その場にそぐわなく感じるっていうか、好きなはずの曲もぜんぜん心に入らないっていうか、とにかく重苦しんです、空気が。喧嘩したわけでもないのに。

 そして私も彼も黙って前方ばっかり見てたんです。運転してる彼はともかく、助手席に座ってると見てるのって前ばっかりじゃないじゃないですか。横の窓から外を見たり運転席の人を伺ったり、意味なくエアコンやカーステ見たり……。だけどこの時は私も前だけずっと見てたんです。

 それで、しばらくずっと無言で走ってて、そろそろ高速降りるなって思ったのは覚えてます。

 あたりは真っ暗で、ライトが照らすのは雨と雨が道路に作るたくさんの波紋だけのはずのそこに、ふっと前方に人の足が見えたんです。

 雨だけど高速で自分たちだけだからスピードはそれなりに出してたんで、あっという間でした。

 ああいう時って不思議ですね。時間なんて何秒もないんですよ。なのになぜか近づく人影が事細かに見えたんです。

 ライトに浮かび上がったのは小さなお婆さんでした。手拭いでほっかむりして、着物にモンペって言うんですか? 足元の窄まったカスリのズボン履いてて、こっちをニヤニヤして見てるんです。雨が降ってるのに傘も持たずに、その代わりに右手に鎌を持ってて。

 もちろん、彼は急ブレーキを掛けました。私は悲鳴をあげて目を瞑ってしまいました。路面が濡れてたので車がスリップして何回か横回転して止まったんです。

 何かにぶつかったり跳ね飛ばしたなんて衝撃はありませんでした。

 私達以外に車が走ってたら、確実に事故になってました。幸い、中央分離帯にもガードレールにもぶつからなくて、しばらく車の中で二人してうつ伏せて乱れた呼吸を整えました。

 もう、その時間の怖いこと怖いこと。

 だって、衝撃が無かったからって、人を轢いてない保証はないじゃないですか。相手は小さい老人ですよ。場合によっては救急車や警察を呼ばないといけません。私と彼は、お互いを励ましながら顔を上げて辺りを見回しました。

 でも、何もないんです。濡れた路面とそれを打ち付ける雨しか見えないんです。

 それで慌てて二人で濡れるのも構わずに車から降りて……。いま考えると無茶してますよね。高速道路でいきなり車から降りるなんて。でも、そんなこと考える余裕はなかったんです。

 しばらく二人で辺りを探しました。でも、そこには何も無くて、車にも何かとぶつかったり撥ねたりした痕跡はありませんでした。

 私達は急いで帰って、彼の家で朝まで眠ることもできずに、朝イチで彼が普段からお世話になってる整備工場へ車を持って行ったのですが、やっぱり問題なしと言われました。

結局、警察には届けませんでした。だって、事故を起こした証拠が何も無いんですから。

 私達は去年、結婚しました。でも、あれから夜遅くや雨の日に出かけるのは避けるようにしています。』




 別段、体験談としては変わったところの無いありふれた内容だ。さっきの温水の話と合わせて考えれば、この老婆が温水の言うところの『雨姥女』なんだろうが……。


「で?」


 温水とは目を合わせずにそう言うと、


「まぁ、まぁ、他のも読んでよ池田ちゃ〜ん」


甘えるように促してくるが、良い年した男が上目遣いで小首を傾げて言ってきても気色悪いだけだぞ。

 どうやら全部読まないと離してくれなさそうなので、他四通を斜め読みした。




 ・自転車通学だった中学生時代の、部活後に遊びに行って帰りが遅くなった雨の日の夜の体験談

 ・台風が来そうな日に友人と夜遊びしていて鎌を持った婆さんに遭遇した高校生の話

 ・両親ともに不在の雨の日、留守番を任されたのに友人の誘いに乗って夜中に肝試しに行った時の目撃談

 ・子供が生まれたばかりの頃、育児に非協力的な夫に言われて夜泣きでぐずる我が子を連れて雨の中、近所の公園へあやしに行った主婦が遭遇した人物




 年代まで書いてあるものもあれば推測できるだけのものもあって、それによれば彼らが体験した年代もバラバラで、とにかく共通しているのは


 ・着物にモンペ姿で()(かむ)りの婆さん

 ・手には鎌

 ・雨の日の深夜(およそ午後11:00〜午前3:00頃)


だとということ。

 そして、いずれも“気ついたらそこに立っていた”という。

 だが、どれもこれも採用するにはパンチが足りない。端的に言うなら「雨の日の深夜に不審な婆さんを見た」だけの話だ。怖いかと問われれば、絵面は怖く演出できるかもしれないが正直、どこが怖いんだ? と言う感想しかない。あえて言うなら最初に読んだ体験談が事故になりかけてるところが怖いくらいか。


「まさか、これ採用する気じゃねぇよな?」


 念のため訊いてみれば、


「ナイナイナイッ、もうちょっとこう、追いかけられたとか襲われたとかあればワンチャンあるけど、池田ちゃんも分かるでしょ?」


だと。ふざけんな、じゃあ、なんなんだよ。


「ふざけんな、仕事の話じゃなかったのかよ、なんなんだよ」


 俺は思ったそのまま不満を口にした。

 相手してられない。俺には俺の仕事があるんだ。

 俺は温水を無視するべく自分のデスクに向き直った。


「うわ〜ん、ごめん、ごめんて、池田ちゃん! 聞いて、ボクの話、聞いて欲しんだってぇ!!」


 結局、メインは仕事の話じゃなく温水の話らしかった。ケッ。つまりは雑談じゃねぇか。マジ、ふざけんな。

 一睨みしてやれば、返ってきたのは意外にも真剣なというか泣きそうな顔で、俺はため息を吐いて温水を連れて休憩室へ移動した。




 休憩室に据えつけられている自販機でコーヒーを二つ買って、一つをテーブルの席に座ってる温水の前に置いてやる。紙コップのやつだ。


「で、結局なんなんだよ?」


「お、ありがとう。それなんだけどさ、……池田ちゃん、アレ読んでどう思った?」


 ズズッと一口飲んでから温水がそう訊いてきたから、


「ああ? 特に何も。怖いかって聞かれりゃ『別に』って言うわ。雨の日に婆さん見かけたってだけじゃねぇか。服装はまぁ古くせぇけど、ど田舎に行けばまだ見れるんじゃね? あと持ってるもんはちぃと物騒か」


正直に答えてやる。


「うん、だよね。雨ん中、傘の代わりに鎌持って突っ立てる老婆ってだけだよね。だけどさ、……うん、あれはさ、実際に見た人間じゃないと…………」


 温水の言葉に、一瞬頭が空白になった。

 はぁ? 今こいつ、なんつった?


「実際に……見た……?」


「ああ、うん、いや、……別に頭おかしくなったとかじゃないからね? いや、どうなんだ? おかしくなっちまったのかなぁ? 池田ちゃん、どう思う?」


「待て待て、落ち着け。とりあえず、ゆっくりでいいから話せ、な?」


 温水の隣に腰掛けて、らしくなく縮こまってる奴の肩をポンポンと宥めていればようやく落ち着いたのか、温水は口を開いた。


「さっきさ、池田ちゃんは老婆のことを『ど田舎にいればまだ見れるんじゃね』って言ったよね。ボクもそう思うよ。山間の過疎化の進んだ限界集落とかならまだ着物にモンペのおばあちゃん、いるかもって。でもさ、高速道路のど真ん中にいるかな? 都会の住宅街の公園に、いる? 他はさ、限界集落まではいってなくてもほどほど田舎じゃん。ギリギリいなくもないかもって思える。だけどさ、ボクが見たの、繁華街のど真ん中だったんだよ。流石にいるわけないじゃん。

 甥っ子がさ、姉ちゃんと……あ、ボクの姉ちゃんの子なんだけどね、二ヶ月くらい前に姉ちゃんと喧嘩して家出してさ。仕方がないから一晩預かるからってネカフェに歩きで迎えにいったんだよ、その帰りにさ。

 雨降ってて、連絡もらったのが十二時になりかけてたかな。甥っ子と合流したのはそこから三十分後くらいで。店の前で甥っ子拾って、さあ帰ろうかってタイミグでふと後ろが気になってさ。

 繁華街だからさ、明るいんだよ夜でも雨降ってても。普段なら雨でも誰かしら通行人がいるのにさ、振り返っても誰もいねぇの。気のせいかと思って向き直ってもさ、誰もいねぇの。

 いい、いい、分かってる。たまたまそういうタイミングだったかもしれないさ。だけどさ、あるはずの喧騒もどっか遠くて、代わりに雨の音がうるさいくらいなんだ。大雨でもないのに。

 なんかこう、不気味な感じがしてさ、でも、甥っ子は全然感じてないっぽいんだ。そんで、いつまでもそうしてるわけにもいかないから、甥っ子と並んで歩き出して……十歩も歩いてないのに、いきなり目の前に人の気配がすんの。最初は傘でよく分かんなかったんだけど、ホント、いきなり降って湧いたみたいにさ、いるんだよ、おばあさんが。

 傘も差してないのにずぶ濡れにもなってなくて、長い白髪を後ろで纏めて手拭いの頬っ被りしてて、(かすり)の着物に絣のモンペ、藁草履はいてて右手に鎌持った腰が少し曲がったおばあさんが、ニタニタ嗤ってんだ」


 いつもの(ふざ)けた様子とは打って変わって、ともすれば口の中でボソボソと喋る温水は目が(うつ)ろで、俺が隣にいることも忘れてるんじゃと思わせる。

 その声音、抑揚、ときおり忙しなく動く手、目の前を見ているようでどこも見ていない眼。その全てが、送られてきた投書とさほど変わりのない内容のはずの温水の話に言いようのない不気味さを感じさせた。

 文字だけでは伝わらない、生の声とでも言えばいいのか。


「それでさ、甥っ子には見えてないんだよ。平気でズンズンおばあさんの方へ歩いてくの。止めたほうがいいのか、それで相手にボクが見えてるってバレる方がマズいのか分かんなくて体が硬直しちゃってさ。

 もう、それがダメだったのかな? おばあさん、ニタニタからニマァって顔に変わって……。

 ボク、慌てて取り繕って甥っ子追いかけて……、怖かったけどおばあさんの横を通り過ぎたんだ。そん時、左腕に痛みが走ってさ。でもそれどころじゃないよ。心臓バクバクで、でもなんにも見えてない甥っ子に怖い思いさせるわけにもいかなくて、なんとか家まで帰って…………」


 立板に水……と言うほど流暢じゃない。時折、口篭ったり逆に早口になったりしながら、それでもこっちに口を挟める隙を作らないままそこまで話すと、温水は冷めたコーヒーを一気に煽った。それを見て俺もまだ手をつけてなかった自分のコーヒーを飲み干す。

 遭遇した者にしか理解できない恐怖。それを訥々と語っていた温水も、今はなんとか落ち着いてきたようだ。


「……ん、まぁ、お前が怖い目に遭ったっていうのは判った。でも、それ以後、何も無いんだろ? 二ヶ月前って言ってたもんな? それから今まで、お前そんなそぶり全くなかったし」


 逆に俺の方がちょっと落ち着かないが、それを隠すように訊けば、


「ん……、ああ、確かにそれっきりっちゃあ、それっきりなんだ……」


そう答えるので俺はホッとして、そんな自分に気がついてどこかバツが悪くなったのを誤魔化した。


「そうかそうか、その甥っ子も何事も無かったんだよな? 良かったじゃないか、一回こっきりで済んで。

 なに? その体験談、俺に聴かせたかったの? お前、なかなか上手かったぜ、語りが。この俺がちょっとブルっちまったぜ」


 それまでの重苦しい雰囲気を吹っ飛ばすようにわざと明るく言う。


「ああ、ちょっとは怖かった? ごめんね?」


 温水はまだ少し余韻があるようだったが、さっきの正気を失いそうな雰囲気は消えていた。


「それにしても、お前、九州の方だって言ってなかったか? 狭い地域限定の妖怪にしちゃ、あちこち出現してんのな。地域ごとに呼び名が違ってたりするかもな」


「そうだね、どうだろ? でももう、ほんと、あんなのは遭いたくないよ。池田ちゃんもさ、深夜の雨の日は気をつけなね?」


 温水の言い方に違和感を覚えてヤツの様子を窺い見る。

 温水は落ち着きを取り戻して笑みを浮かべているが、それはいつものニコニコした人当たりのいいものとは違って、ニヤニヤとどこか人を喰ったようないやらしい感じだ。


「ん? おう、頭のどっかに留めては置くけどさ、仕事柄、無理じゃね? まぁ、できるだけ気をつけとくよ」


 さて仕事に戻るかと紙コップを握りつぶして席を立とうとしたタイミングで、


「あれから悪夢を見るとか、家ん中で怪現象が起きるとか、ホント、全くないんだよ。だから呪われちゃったとかって無いと思うんだ。だけどね…………」


そう言って左の袖を押し上げるように捲って、俺が見やすいように目の前に突き出してきた。


「着替える時、風呂入る時、これが視界に入るとさ、どうしても思い出しちゃって、それがキツくてさぁ……。

 痛くも痒くも無いし、こんなのが付くようなこともしてないから、心当たりって言ったらあん時しかないんだよね〜」


 いつもの口調に戻った温水の左腕、手首から肘にかけての外側に、まるで鋭利な刃物で斬り付けられたかのような、わずかに湾曲した赤黒い線が走っていた。


「ほんと、池田ちゃんも気をつけなねぇ〜?」




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